関係概念としての...
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関係概念としての
「映像=イメージ」について
総合情報学専攻基礎
2014/04/24
From 2013/06/01 日本映像学会シンポジウム
1 ©Masakatsu KANEKO
概要
1. はじめに
• 自己紹介/問題設定
2. 「イメージ=映像」の概念
• 近代の「イメージ=映像」概念
• 関係概念としての「イメージ=映像」
3. 事例検討
4. おわりに
5. 参考文献
2 ©Masakatsu KANEKO
関連分野例
3 ©Masakatsu KANEKO
児玉幸子 「Fluide] 2001
文化庁主催「メディア芸術祭」2002年度、インタラクティブ部門グランプリ
問題設定
1. 概念検討の必要性
• 映像について、「デジタル/アナログ」「実写/アニメーション」など、理解の混乱がある
• これらの検討にあたって、ベースとなる「イメージ=映像」とは何かを議論することは有用である
2. 関係概念としての解釈
• 伝統的な「イメージ=映像」概念は、切断によって定義される
• これを批判するものとして、「イメージ=映像」を関係概念として考える動きがある
4 ©Masakatsu KANEKO
枠組み
5 ©Masakatsu KANEKO
現実、本物 Image (像)
Image概念
Cf. [lat.] imago 何かに似たもの、似せてつくられたもの ex. この息子は父親のimagoである ex. 葬式などにつかう死者の彫像 ex. 幽霊
19世紀以前
○ パターン1
6 ©Masakatsu KANEKO
現実、本物 Image (像)
模倣
参照
Image は現実の模倣であり、模倣として劣ったもの
19世紀以前
用例:パスカル、パンセ
7 ©Masakatsu KANEKO
Imagination. -- C‘est cette partie décevante dans l’homme, cette maîtresse d‘erreur et de fausseté, et d’autant plus fourbe qu‘elle ne l’est pas toujours[…]. Pascal, Pensée, 78
想像力 --- それは、人間のうちでがっかりさせるあの部分、錯誤と偽りの女主人であり、いつも偽りというわけでないゆえにこそ、いっそう悪質な部分である。
19世紀以後
8 ©Masakatsu KANEKO
現実、本物 Image (像)
自由
非参照
切断
○ パターン2
Image は現実から自由であり(現実を参照する必要がなく)、それ自体として価値がある
ボードレール
1859年のサロン
9 ©Masakatsu KANEKO
[写真が、自然をその通りに写すことに長けているのに対して、絵画は、夢見ることを表現しなければならないという一節の後で、ボードレールは、想像力を「諸能力の女王」と呼ぶ。そして…]
彼女[=想像力]は被創造物のすべてを解体し、その起源は魂の も奥底にしか見いだされ得ぬ規則に従って取り集められ配列された素材をもって、一個の新しい世界を作り出し、新たなるものの感覚[サンサシオン]を産み出すのです。彼女が世界を創ったのだから(宗教的な意味においてすらそう言ってもよいと私は思います)、彼女が世界を統治するのは正当です。
阿部良雄訳、ボードレール全集、第3巻、p.311
ブルトン
シュルレアリスム宣言
10 ©Masakatsu KANEKO
自由という一語を除いて今もなおわたしを感動させるものはほかにない。[…]がらくたずくめの遺産にまじって、精神の 大の自由がわたしたちに残されたことに気づくべきである。その取り返しのつかぬ濫用を防止するのはわたしたちの努めである。イマジネーションを隷属に追いこむことは、たとえ卑俗な意味で幸福と名付けられるものにかかわる場合にせよ、自己の底に見出される、至高の正義にまったく目をつむることである。イマジネーションさえあれば、いかなるものが可能であるかがわかるのだし、そのことだけで、おそるべき禁忌を少しばかり取り除くのに充分であり、また、誤ることを恐れずにわたしがイマジネーションに身を委ねるのにも充分である。
Manifeste du surréalisme, O.C., Pléiade, p.312
サルトル
想像力の問題
11 ©Masakatsu KANEKO
あらゆる意識はその対象物を措定するが、しかし各々その措定の仕方には流儀がある。たとえば知覚はその対象物を現存するものとして措定する。イメージもまた、信憑 croyance の作用あるいは措定の作用を含んでいる。この作用は、四つの、そして四つ限りの形式をとりうる。すなわちそれは対象物を、非存在として、あるいは不在として、あるいはどこか他の所に存在するものとして、措定する。それはまた己の作用を《中和する》こと、つまりその対象物を現存するものとして措定しないこともできる。
想像力の問題、サルトル全集第12巻、人文書院、p.16
イメージ批判
12 ©Masakatsu KANEKO
(現実、本物) (Image )
生起
関係
「イメージ=映像」を、「切断」とは異なるやり方で、理解し、実践すること
○ パターン 3
イメージ批判
13 ©Masakatsu KANEKO
Baudelaire(1827) 1859: Salon de 1859
Breton (1896) 1924: Manifeste du surréalism
Lacan (1901) 1953: Congrès de Rome
Sartre (1905) 1935: L’Imagination
Klossowski (1905) 1954: Roberte ce soir
Bonnefoy (1923) 1953: les Tombeaux de Ravenne
Deleuze (1925) 1953:Empirisme et subjectivité
ボヌフォワのイメージ批判
La Présence et l’Image, 1983
14 ©Masakatsu KANEKO
現実がついに十分に具肉された[アンカルネ]というこの印象、逆説的にも具肉作用[アンカルナシオン]から逸らされた語たちからやってくるこの印象を、私はイマージュと呼びたいと思います。諸々のイマージュ、諸々の世界=イマージュ。これはボードレールが、彼の詩的直感の も苦しみ多い刻に、次のように書きつけた際に理解していた意味だと思われます。「イマージュの崇拝、私の大きな、私の唯一の、私の原初の情熱」 イマージュ、それは日々の灰色な画面[グリザイユ]には欠けた輝き、しかし夢の常なる渇きが、言語を自分のほうに湾曲させ、生みの乳房のごとくに捏ねるとき、言語が可能にしてくれる輝きなのです。
邦訳、現前とイマージュ、朝日出版社、p.37
ボヌフォワのイメージ批判
つづき
15 ©Masakatsu KANEKO
愛とは言わずとも、少なくとも狂気を再発明した我らの西欧、その 初の日々以来、<イマージュ>のメランコリックな精霊[ジェニー]によって、蔑まれた此処と、善とされた他処とのあいだの有害な二元論が、実行不能な秘教的知識が、馬鹿げたスローガンが、何とたくさん撒き散らされてきたことでしょう![…]<イマージュ>は、画像師[イマジエ]がいかに誠実であろうとも、確かに嘘なのです。
邦訳、現前とイマージュ、朝日出版社、p.38
ボヌフォワのイメージ批判
つづき
16 ©Masakatsu KANEKO
言葉の真実、それを私はためらうことなく、現前のためのイマージュとの戦い、--イマージュ=世界との戦い--であると言いました。しかしそれは、手はじめの近似的な言い方にすぎず、[…]今度はその背景に言及してみたいと思うのであって[…]。詩の観念のその第二の水準とは何か。それはつまり、こうして有限性を目ざしつつ、廃棄の数々、閉鎖の数々と戦うことは、愛することでしかあり得ないということです。 […]もろもろのイマージュは、絶対化されれば詩の瞞着ともなったはずですが、人がそれを横切るように体験する瞬間から、かくも原始的で、かくも貪欲であるが故に、われわれの裡にあって人間性のありのままの姿に他ならぬこの欲望の、全く単に自然な形態にすぎないものになる、このことを詩は、少なくとも予感はできるその 高の高みにおいては、理解することに成功しなければなりません。
邦訳、現前とイマージュ、朝日出版社、p.57-58
ドゥルーズ 「シネマ」
17 ©Masakatsu KANEKO
同概念は、ベルクソンを援用する手続きのなかで、サルトルに至る「映像=イメージ」概念にあった「主体-客体」図式を脱出している
(ベルクソンは、主体も客体も区別なく、すべてはあらかじめ image であるとした)
1) Image 概念 は「主-客」図式を捨てる
ドゥルーズ 「シネマ」
18 ©Masakatsu KANEKO
• 刺激に対して直接反応が返るのが「運動=イメージ」
• 刺激に対して反応が返る際、潜在性の次元(記憶、思考)を経由するのが「時間=イメージ」
• 「イメージ=映像」の分類学は、この「刺激-反応」とその遅延のさまざまなパターンについての分類である
2) Image は刺激-反応(あるいはその遅延)の関係
ドゥルーズ 「シネマ」
19 ©Masakatsu KANEKO
ドゥルーズにおいて「映像=イメージ」は、刺激=反応とその遅延の「関係の束」である。 「映像=イメージ」とその外、たとえば現実、たとえば俳優、たとえば感情は、切れていない。それは同じひとつの出来事である。
3) 既出の図との重ね合わせ
(actor, etc) (audience, etc)
image
Stimulus
Reaction
事例考察1
20 ©Masakatsu KANEKO
キアロスタミ「友だちのうちはどこ?」(1987)
• 子供のリアルな表情と、演出方法が話題になった
• イラン北部の実際の村の実際の村民、子供をつかった
• 子供に直接指示出しをせず、子供がある表情になるように「環境を演出」した
事例考察1
21 ©Masakatsu KANEKO
俳優(本当の感情はわからない)
結果としての映像(泣き顔)
演出: 泣いてください
切断
演技:がんばって泣く
事例考察1
22 ©Masakatsu KANEKO
(actor, etc)
image 刺激の束としての環境を演出
本当に困る
(audience, etc)
目に見えるもの 本当の表情
Image とその外
事例考察2
23 ©Masakatsu KANEKO
宮崎駿「となりのトトロ」(1988)
• 「友だちのうちはどこ?」と設定がよく似ている
• 新しい環境に出会い、子供がとまどいや探索や発見など、さまざまな反応をする
• 後のエピソードは、「夕暮れに、知らない場所で、子供が途方にくれる」
事例考察2
24 ©Masakatsu KANEKO
「となりのトトロ」が苦労して描き込んでいるところ
• アニメでは、動くものの数量(画面の中でしめる面積とか)、動きの質(多方向、速度変化とか)で、描画の困難なところがある
• 「となりのトトロ」では、風景や人物の動きもさることながら、風や雨や毛の感触といった、感覚対象とキャラクタの接触シーンで、描画の労力をかけている
事例考察2
25 ©Masakatsu KANEKO (キャラクタ)
image 目に見えるもの、 揺れる木、落ちる水滴、ふわふわする猫バス
(audience, etc)
絵のうえでの反応 (絵なのでそれ自体としては弱い)
キャラクタはリアルには存在しないが、それが風や水や知らない環境に触れたときの感情はそこにある
Image とその外
おわりに
26 ©Masakatsu KANEKO
【おわりに】 表題に「after 3.11」とつけました。ちょうど20世紀後半の哲学が第二次大戦とホロコーストを直視することであたらしいステップに進んだように(たとえばレヴィナス)、いま日本で映像を考えることも3.11を直視せざるをえないと考えています。 リアルなものとどのように関係するか、それが映像の今日的な課題だと考えています
おわりに
27 ©Masakatsu KANEKO
• ニュース23の川内村レポートに、深い違和感。これはなんだろう?「帰還のトップランナー」?あれ?広野町と楢葉町は?なぜこの二つの町はスルー?ああ、そうか、首長を追跡取材していないなあ。
• 川内村レポート。祭の復活のために、避難先から3人の子どもを一時帰村させて、300年続く伝統の獅子舞 を演じさせていた。子どもが演じるのを見て、子どもをダシに中高年齢者が「元気をもらう」姿に、吐き気さえ感じた。子どもたちは来年は代替わりの年。後継 者はない。住民も無理に呼び戻す気はない • 川内村レポートを見終わって、しばらく考えた。なぜ、広野町や楢葉町では駄目なんだろう?なぜ、その二つ の町には「特集」が取材に行かないのだろう?答えは、原発事故発生前と同じなんじゃないかと思った。「福島は緑あふれる農村漁村」というイメージに合わな いといけない。それが原因なんじゃないか
2013年5月13日TBS系「ニュース23」福島県川内村の特集を見た、ある方のツイート
おわりに
28 ©Masakatsu KANEKO
• 川内村レポートは、結局、事故前と何も変わらない印象操作でしかなかった、と私は思う。緑豊かな福島。な のに、原発事故で困っている、自然と歴史があふれる福島。首相が「取り戻す」と言っている「日本」と同じ、妄想の中の社会だ。見える実態を、意図的にカメ ラが通り過ぎる。 • 川内村を映すのなら、「除染」作業で規定が守られていない事だって、「除染」では期待したほど線量が下が らない事だって、「除染」で暴力団が暗躍している事だって、ゼネコンがピンはねしてる事だって、カメラの前にあるはずだ。それを全部スルーして、「かわい そうな村」を映す。吐き気が強まった。
http://togetter.com/li/502413
おまけ:関連研究分野2
29 ©Masakatsu KANEKO
梶本裕之:触覚インタフェース
2つのメディアデザイン(例)
Playstation III
画像処理の高度化
ユーザー VS 画面 の視聴関係は普遍
<< 従来ユーザーの延長
Wii
インタフェースの変化
ユーザー VS 画面 の関係を変える
<< あたらしいユーザー
(集団で遊ぶ,子供,シニア)
© Masakatsu KANEKO, Departement of Human-Communicatin, UEC