藝 上實驗處世實驗譚 - TNRICP(TOBUNKEN) Top Page...實 驗 處 世 實 驗 譚 東 京 美...

Transcript of 藝 上實驗處世實驗譚 - TNRICP(TOBUNKEN) Top Page...實 驗 處 世 實 驗 譚 東 京 美...

  •  

    家が其

    に處する方法を明細に叙說することは一一夕の談話で容易に盡くすことは出來ないが只

    自己の經驗上より之を

    べて見やうと思ふ

    の二方面

     

    まづ

    に金錢上より來たるもの思想上より來たるものとの二種類があるしかし金錢上の

    は固

    問題で自

    といふものは何も稼いで⻝はねばならぬといふ譯でないから今日生活其物と苦鬪してゐる

    ものに比

    すれば何の事もないのであつたが思想上より來たる頭腦の

    は隨

    人並にはやつて來たと思ふ

    而して此思想上の

    は誰れにも有ることであらう自

    の耻曝らしではあるが明白に云ふと自

    が歐洲に留

    學してゐる中思想の變

    に一頓挫を來たした事がある

    業の

     

    劈頭自

    は畫家にならうかなるまいかと言ふことが第一の苦

    であつた其は最初自

    が留學の目的は他に

    あつたので如何さま幼年時代には繪畫に對して尠からぬ興味を有つてゐたのであるが其趣味を有つてゐるから

    家にならうと决心したのでなく

    二三種の好きなものゝ中から其一を

    擇したといふ譯でもない斯かる

    理由で幼少の時から別に藝

    を職業とするといふ志

    はなかつたのである

    が其れが好きであるから世に

    上實驗處世實驗譚

    東京美

    授 

    黑田淸輝君 

  • 處しやうといふ覺悟をも持つてゐなかつたのである換言すれば自己の好尙といふ事と職業といふことは

    く兩

    に解釋してゐたのであるまた自

    の心には世に生まれた以上は富豪となつて立

    に暮さうといふ實地の考

    もなかつた只何か歷

    に顯はれてゐるやうな一事業をして見たいといふ考であつたまづガルバルヂ

    は予の

    靑年時代の理想的人物であつたで自

    の佛國に留學したのは

    く政治學硏究の目的であつた

     

    當時我が國は未だ帝國議會の開らけない時で戰爭の眼

    に橫たはるといふ時機でもなかつたのである同行

    の友人は陸軍なり海軍なりに志したのであつた自

    は幼少時代からの體質や性狀の上から言ふと擊劍も好き

    で隨

    亂暴を働らいてゐたので軍人に志願する筈であらうが唯一意政治家となつて外

    り方內治の方法

    等に心を盡くして偉らく

    つて見たいといふ志

    であつたで三年許法律の硏究に從事したのである

    思想衝突の歷

     

    其法律硏究中に妙な事で自

    は繪畫の方面に志を變へたのである事の

    りは下らないことであつた即ち自

    が學

    以外の法律家と或る法律上の問題に就いて議論を試みたことがあつた自

    には先方の說くところが

    何うしても腑に落ちない不條理で耐らない科條を擧げて先方は論ずるが先方の考に依ると惡いものを助ける

    といふことに歸するのであるから

    に大學の

    長に質問して見ると

    長は自

    の意見に同

    を表して吳れた

    のであつた此時を以て自

    はつく〴〵と妙な

    じを

    したのであるしかし解釋は人によつて

    うが自

    の解

    釋は當時斯うであつた即ち法律を學むで

    一個條を

    議するといふことが政治家となるに如何

    がある乎

    藝 上實驗處世實驗譚

  • 法律なるものゝ精神は條理で善惡の

    斷を下だして行けるして見ると政治家となるには別に一々法律の個條を

    ざむには

    ばない大體は常

    斷で解决して

    ける政治家は法律家を

    ふて

    くのであると大層偉らく

    思ひ濟ましたのである

     

    然うなると法律を硏究するのが自分に取つては厭やになつた

    に法律硏究が厭やになつたのみならず轉じ

    て政治家となるといふことも厭やになつたのである斯くて自己の野心は一時に崩れて宛然夢の覺めたやうであ

    つた厭やに力味むでゐた

    けの皮が剝がれて野心は

    え去つて唯

    のない本の木阿彌のみ殘つたのであるそ

    は實に自

    に取つては思想の大變

    でありかつは大苦

    であつた

     

    其處で始めて自

    の本

    は何であらうと自らを顧みるのであつた政治家とならうといふ野心は失せて世に

    立つには自

    を立てるに

    ぎぬといふ考を

    したのである換言すれば從來の野心と皮を取り去れば殘るとこ

    ろは天然の物を見て

    快に

    ずるとか繪畫を見て喜ふといふことが之が自

    を組

    せる

    子で外には何も無

    い即ち自己の向ふところをやれと决心したのである折角

    學して親から優

    されてゐるのであるから何か業

    を修めて自

    を拵へねばならぬと思つて硏究したのである

    天性と處世

     

    するにこは自己經歷の一斑を表白するまでの事で决して一般に强ゆるといふのではないが自からを處する

    上に就いて人は其假面を剝脫した

    の天性のまゝに着目するといふことが必

    であると思ふさもなけれ

    藝 上實驗處世實驗譚

  • ば或る時機に到

    して本に歸るであらうと思ふ

    天眞と虛僞

     

    其れから繪畫に志してから

    がある之は一旦其性の向ふところに基いて决心して政治家的の欲

    てゝ仕舞つたものゝ悟つたやうで悟つてゐなかつたのは胸奧に潜む野心の囁きであつた即ち形式には繪畫を修

    めつゝも依然として外界に對する慾

    と內部の功名心とを打

    てることが出來なかつたのである其は畫を書き

    始むると忽ち偉らいものにならうと思つて野心が勃々としてゐたのである今日より當時の畫を見ると至つて拙

    いが當時は非常によいものだと思つてゐたのである

     

    換言すれば繪畫に志して後も第二の政治家を繰り

    へしてゐたのである友人の作品を見れば其れが拙く見

    え敎師が滿足の意を示して吳れるに

    れては自

    は得意になつてゐたがさて二三年も修行してゐる中には

    量が拙くなる氣かしたのである何も拙くなる譯はなからうがたゞ六ケ

    なつたのであるさて六ケ

    なると他人の製作が拙く見えないやうになり且つは敎師が自

    の製作の缺點に

    意を與たへて吳れたことも

    には如何なる理由なるか

    らないことあつた然ういふ

    を一年も一年

    もゞけゐたので

    には自

    を疑がつて來たのである

    自然界と野心

     

    が自

    には疑の晴れる時機が來た其は

    に法律をやめた時と同じ事を繰り

    へしたので馬鹿に偉らくな

    藝 上實驗處世實驗譚

  • らうと思つたのが

    で自

    は天性で

    るのであるから

    上手にならうとか巧妙なものを書くとかいふことは

    別問題である藝

    の爲めに盡くし藝

    の爲に身の處して

    きさへすれば自己生活の意義は

    なく發揮せ

    られるのである然うすればお隣を羨むにも

    ばず

    他人の

    に心を配る

    は無い

    はたゞ自

    の好むとこ

    ろをやるといふことに歸するのである敎師のいふて吳れる缺點の

    らないのは自

    量の足らないからであ

    る然う决心したので苦悶は除却し去つたのである

     

    其れで期を定めて

    も許して吳れて

    々藝

    硏究に取りかゝつたのである

    余の苦悶除却法

     

    で自

    の當時の苦悶の原因を

    究すると

    く野心が蟠まつてゐたからである自

    を知るといふ度は尠な

    かつたのである想ふに藝

    の修行者には其れ〳〵種々の苦悶があらうしかし其苦悶に處したら能く

    に苦悶の原因があるかと考かへて之を解釋をして見ると早く苦悶を去ることが出來て修行を快くすること

    が出來るであらうと思ふ藝

    家として今日人に譽められるやうな考で製作するやうでは其心は苦いだらうと思

    ふさうなると譽められないと

    非常に苦しくなつて仕舞ふのであるがたゞ自

    は自

    の天性であるから

    やるといふ心地でやりさへすれば巧妙に出來たのは氣の

    むでゐた爲であり拙いのは氣が添はないからと氣づ

    くまでの事で然う人言に介意する

    はないのである自

    は今日の處斯ういふ考でやつてゐるそは自

    の考

    べたまでの事である他の事は吾人の知るところで無い

    藝 上實驗處世實驗譚

  •  

    しかし人はさま〴〵で一

    に律し去る譯のものでない繪畫を生活の爲めにやるものあれば名譽の爲にや

    るものもある其れで名譽の爲め或は生活の爲にやつても滿足に

    けることがある能く書かうとして書けるも

    のでもあらう自

    はたゞ自己の

    懷を

    べたまでの事で大抵は能く書かうと思つて

    就したものが多いやうで

    ある

    の根本義

     

    しかし

    意すべきは潤筆料の臭氣によつて製作したものと自己の肺腑から出た製作とは其間に至大な

    區別かある彼の多年繪畫に從事してゐる畫家の製作と畫家ならざる禪學家の

    興に乘じて畵いたものと比

    して見ると線の配合着色等

    謂畵法は如何にも專門畵家の方が巧妙に出來てゐるがさて其の神

    の縹緲た

    るところは却つて後者にあることが多いのである其原因は盖讀者の想

    し得るところであらう如何にも氣

    だけでは美

    の好尙家には滿足は出來ないであらうが氣

    却し去つたものには完

    なる製作は出來ない

    のである兎角完

    の域に

    するといふことに就きては立

    にやらうと言ふ考より自

    が其物に憧がれて製作

    しなければならぬと思ふで繪畫を修むるものは修業時代が濟むで頭と手と共に背かず

    くやうになつて始め

    て見るべきものが出來るに相

    ないのである

    『成功』一〇六

    明治四〇年一月

    藝 上實驗處世實驗譚

  • 藝 上實驗處世實驗譚

    若き日の黒田が法律家を志望してパリへ留学したことはよく知られるところである

    法律家から画家への転進について

    は「余の特性發揮徑路」(本書三九二

    三九六頁)「私は豪傑

    義の少年だつた」(本書五五二

    五五四頁)でもふれられているが

    まさに留学当時転進の決意を養父清綱に伝えた明治一九年五月二一日付の書簡(『黒田清輝日記』第一巻)と読みあわせてみ

    ると興味深い

    書簡中「今般天性ノ好ム処ニ基キ断然画学修業ト決心仕候」と決意のほどを記した黒田だがその後二十

    年余りを経た右の文献でも「天性」あるいは「天然」とい

    た語が散見される

    さらにいえば美術上の理念を開陳した「美

    敎育の方針」(本書六五

    八二頁)でも「天然」の語が頻出し

    天が黒田の思想に大きな位置を占めていたことがうかがわ

    れる