実験 4 紫外・可視分光法と光化学反応 - Doshisha実験4...
Transcript of 実験 4 紫外・可視分光法と光化学反応 - Doshisha実験4...
実験 4 紫外・可視分光法と光化学反応
分子はその電子状態や取り巻く環境に応じて光を吸収し,得たエネルギーを光あるいは熱の
形で放出するとともに,化学的な変化を起こす。本課題では種々の有機分子を対象として,紫
外・可視領域の光を用いた光吸収・発光(蛍光)及び光化学反応の実験を行う。蛍光の実験は
アントラセンやピレンを用いて吸収・発光スペクトルの振動構造および蛍光消光の速度を検討
する。光化学反応としては, 近年広く実用に供されている二酸化チタン光触媒をもちいた有機
物の酸化還元反応を取り上げる。
0. はじめに
0-1 実験上の諸注意
• 液体,粉体の試料を扱う際は保護メガネを着用すること。• 二酸化チタン試料は非常に細かく軽い粉体で,吸引すると激しく咳き込むことがあるので,必ずマスクを使用すること(マスクは配布する)。また使用しない試料は実験台に放
置せず,すぐに片付ける。
• テキストをよく読んで,実験の手順などについて理解してから実験を進めること。• 分光器は精密で高価な装置であるので,取り扱いに注意すること。また光学セルは割れやすいので,倒したり机の端においたりしないこと。
• ジェルネイル用の紫外光源は,人体に有害とされる 315 nm以下の UVB,UVC領域の
光はほとんど出さない。しかし 400 nm以下の紫外線を,可視部よりはるかに強い強度
で放射している。ジェルネイル用の光源やブラックライト,太陽光は,直視したりしな
いように注意する。
• 共用の溶媒の汚染には十分注意する。試薬瓶に直接ピペット等を入れない。• 溶液は必要な分量だけつくり,有機化合物を含む溶液は必ず指針に従って処理する。
0-2 実験前の自習
• 可視域の光(およそ 400 nm~700 nm)は,およそ eVから eV程度のエネ
ルギーを有し,分子の (電子振動回転)状態を励起することができる。また発光ダイオー
ド(LED,Light Emitting Diode)は,伝導帯の電子と価電子帯の正孔(ホール)が結
合する際に発生するエネルギーを光に変換する素子と言える。したがって LEDの順方
向バイアス(伝導帯と価電子帯のエネルギー差(バンドギャップ)に相当する)が 2 V
の場合,およそ nmの光が発生することになる。
• アナターゼ型の二酸化チタンのバンドギャップエネルギーは 3.2 eVであるが,光の波長
に直すと, nmである。
1. 分光の基礎
1-1 分子のエネルギー
電子の運動は原子核に比べて非常に速いので,孤立した分子の内部エネルギー Eは,原子核
の平衡位置での電子状態エネルギー EE と平衡位置近傍の原子核の運動にともなう振動 EV,
回転 ER の各エネルギーの和として表すことができる。
E = EE + EV + ER (4.1)
一般に各エネルギーの大きさは,EE ≫ EV ≫ ER の順になっている(図 1)。分子のエネル
ギー準位は,電子状態ごとに振動準位群が存在し,さらに振動準位ごとに回転準位群が存在す
るという階層構造をとっている (図 2)。本実験で用いる紫外・可視の光の持つエネルギーは電
子状態変化と共鳴するエネルギー領域にあり,そのスペクトルはしばしば電子スペクトルと呼
ばれる。
図 1 分子のエネルギーと対応する光の波長
v = 0 J = 0
J = 1
J = 2
J = 3
v = 1
図 2 分子のエネルギー状態の概念図
1-2 エネルギーの単位
分子のエネルギーは,一般に光を用いて測定されていることから,共鳴する光の波数(ν̃)を
単位として用いることが多い。波数は一定長さに含まれる光の波の数に等しく,単位としては
通常 cm−1 を用いる。波数と波長 λは逆数関係にあり,振動数 ν との間には比例関係 ν = cν̃
(c:光速度)が成り立つ。したがって,光子のエネルギー E と波数 の関係は,
E = hν = hcν̃ =hc
λ(4.2)
となる。ここで h はプランク定数(6.626069×10−34 J s)である。また電気的なエネルギー
との対応を見る場合には電子ボルト eV(1 eV = 1.602 176×10−19 J)が用いられる。1eV =
8065.54 cm−1。
1-3 光と分子の相互作用
分子が吸収もしくは放出する光の振動数とその強度を調べることで,状態間のエネルギー差
とその遷移確率を知ることができる。一般に物質が放出する光を蛍光と呼ぶが,分子を取り扱
う場合には光を吸収してただちに発光する(通常数百 ns以内)ものを蛍光,ゆっくり発光する
もの(通常数 ms以上)をリン (燐)光と呼んで区別する。ゆっくりした発光が起きる場合は通
常,電子のスピン状態(多重度)の変化をともない,異なる化学的な特性を示すことが期待さ
れる。このことから蛍光をスピン多重度の変化をともなわない発光,リン光をスピン多重度の
変化をともなう発光と分類することも多い。この場合,光吸収で生じた物質・状態の2次的な
変化(三重項状態同士の相互作用で生じた励起一重項からの発光,電離した電子の再結合によ
る発光など)によるゆっくりした発光も蛍光と呼ばれることになる(遅延蛍光)。
図 3 電子励起状態の緩和過程 (ジャブロンスキーダイアグラム)
分子は光を吸収して励起状態になった後,様々な過程を経て基底状態へと緩和する(図 3)。
光吸収により基底状態(通常一重項状態なのでここでは S0 と表記する)から最低励起状態
(S1)へ遷移した後,1) 蛍光を発して基底状態に戻る過程,2) 振動緩和のみで基底状態に戻る
過程(内部転換 internal conversion。核反応でも同名の過程があるが別もの),3) 三重項状態
(T1)に遷移する過程(系間交差 intersystem crossing),また,4) 他の分子と反応を生じるこ
とでエネルギーを失う過程などがある。また三重項 T1 から S0 への遷移にともなって,リン光
の放出を伴うこともある。 一般に一重項励起状態の分子の失活過程は次の式で表される。
d[S1]
dt= −(kF + kIC + kISC)[S]1 (4.3)
ここで,kF, kIC, kISC はそれぞれ,輻射の速度定数 (上記の 1),無輻射失活の速度定数 (上記の
2),交換交差の速度定数を表す。(上記の3)したがって,分子の蛍光を観測すると,蛍光強
度 IF は見かけ上次の式で減衰する。
IF = I0 exp(−k0t) (4.4)
ここで I0 は励起直後の蛍光強度である。ただし
k0 = kF + kIC + kISC (4.5)
である。光を吸収した分子のうち,蛍光を出してエネルギーを失う分子の割合を蛍光の量子収
率 ϕと呼ぶ。速度定数をもちいて表すと
ϕ =kF
(kF + kIC + kISC(4.6)
1-4 紫外・可視領域の分光測定
1-4.1 吸収スペクトル
稀薄溶液の光吸収を定量的に取り扱う基礎となるのが Lambert-Beer の法則である。Lam-
bert の法則は,光の吸収と光路長に関する法則で,次のように表される。
A(λ) ≡ log10I0(λ)
I(λ)= k(λ)l (4.7)
ここで,A(λ) は波長 λにおける吸収強度 (absorbance),I0(λ) は入射光の強度,I(λ) は透過
光の強度,l は光路長 (普通単位は cm) で,k(λ) は実験的に決まる定数である。
Beer の法則は k と光を吸収する化学種の濃度との関係を表す法則で,Lambert の法則と組
み合わせると次のようになる。
A(λ) = ε(λ)cl (4.8)
濃度 c は普通 mol dm−3 の単位で表され,このときの比例定数 ε(λ) をモル吸光係数と呼ぶ。
ε(λ) はそれぞれの化学種に固有の量で,波長に依存する。吸光光度計では入射光のそれぞれの
波長の光がどの程度の割合で吸収されるかを測定する。
1-4.2 蛍光スペクトル
ある試料が光を吸収し,電子基底状態(S0)から励起状態(S1)へと遷移したとする(図 4)。
この励起状態が失活するとき,そのエネルギーを光として放出したものが蛍光である。試料に
励起光を照射すると,蛍光は四方八方に放射され,蛍光測定では通常,励起光の散乱をできる
だけ除去するために,励起光と直角方向に放出される光を測定する。試料溶液が清澄であれば
励起光の散乱光は弱い。蛍光の発生効率の高い分子の場合,光吸収より蛍光の検出感度ははる
かに高く,蛍光はしばしば生理活性物質など微量成分の検出・分析に利用される。波長の蛍光
強度を励起波長を変えながらモニターしたものが蛍光励起スペクトルである。吸収が大きい励
起波長で,蛍光強度は大きくなると予想されるので,蛍光励起スペクトルは吸収スペクトルの
形状と似ることが期待される。
図 4 吸収スペクトル,蛍光発光スペクトル,蛍光励起スペクトルの比較
1-5 分子のエネルギー準位と分光測定
1-5.1 光の吸収強度と吸収スペクトルの形状
図 5は,原子核の相対距離(横軸)に対して基底状態
と励起状態のエネルギー曲面を示したものである。分子
が光を吸収し基底状態から励起状態へと移る際,遷移に
要する時間は極めて短く(∼ 10−15 s),その間,分子構
造の骨格となる核間距離に変化はないと考えられる(フ
ランク-コンドンの原理)。それゆえ,電子遷移はポテン
シャル曲面間で垂直な線として描かれることとなり,垂
直遷移とも呼ばれている。図 5 垂直遷移
一般には,電子遷移と共に振動状態も変化するため吸収スペクトルには,電子状態のみなら
ず励起状態の振動状態も反映され,スペクトルに振動構造が現れる。
分子がある振動数(波長)の光を吸収する現象は,古典的には分子が電場によって分極する際
に共鳴を起こすものとして理解できる。量子力学的にはこの分極の大きさ αは,始状態 |ϕi >と終状態 |ϕf >の間の遷移双極子モーメント を使って評価できる。
α ∝< ϕf |µ|ϕi >< ϕi|µ|ϕf >= µfiµ∗fi = |µfi|2 (4.9)
光の吸収による(放出の場合も)電子遷移の起きやすさは,遷移双極子モーメントの大きさで
決まる。たとえば次のような遷移は起きにくい:(1)電子スピン状態が変化する遷移(特に重
要なのは1重項と3重項の間の遷移。通例,吸光係数は 0.1 mol1 dm3 cm1 以下),(2)軌道
の重なりの小さい遷移(たとえばカルボニル基 C=Oの Oに属する孤立電子対が C=O結合の
分子軌道の励起状態に遷移する nπ∗ 遷移。通例,吸光係数は 100 mol1 dm3 cm1 以下)。
分子の電子状態と振動状態の変化が独立に取
り扱え,電気双極子モーメントは電子状態のみ
に依存すると近似すると(コンドン近似),電子
状態の波動関数 ei,ef と振動状態の波動関数
vi,vf それぞれからの寄与の積で記述できる.
|µfi|2 = | < ef |µ|ei > |2| < vf |vi > |(4.10)
振動状態の遷移に関わる項 はフランク-コン
ドン因子と呼ばれている(基底状態と励起状態
では,平衡位置・バネ定数が一般に異なるので,
振動量子数が異なる順位間での直交関係が成立
しないことに注意)。図 6 フランク-コンドン因子の分布と光吸
収スペクトル形状との関連
始状態と終状態における振動状態を表す波動関数の重なりが大きければフランク-コンドン
因子も大きくなる。図 6は電子基底状態と電子励起状態を調和振動子型のポテンシャルを仮定
して描いたものである。電子基底状態にある振動状態 n = 0の波動関数と重なりが大きな振動
状態(例えばm = 1, 2)ほど遷移確率が大きくなり,光吸収スペクトルの強度も大きくなって
いる。
1-5.2 発光スペクトル 鏡像関係
試料に光を吸収させ励起状態に遷移させると,溶液などの凝縮相では周囲の分子と
の相互作用により,速やかに振動緩和が生じる (1012 秒程度)。このため,たいていの
場合始状態が第1励起状態(S1)の最低振動準位にほぼ限定された形で発光現象が生じ
(Kasha 則),電子基底状態の中のいずれかの振動状態 (終状態) に達することになる。
つまり,観測される蛍光スペクトルの形状は
励起する光の波長に依らず,電子基底状態の振
動準位 (終状態) を反映したものとなる。基底
状態と励起状態の形状が似ているものの,ポテ
ンシャルの底の位置がずれている場合は,電子
遷移に際して,異なる振動状態へ遷移する確率
が高くなる。図 7 は,図 6 に図示したような
ポテンシャル形状を元にして作成したもので
ある。
吸収スペクトル蛍光スペクトル
図 7 規格化した吸収スペクトルと蛍光スペクトルの比較
吸収スペクトルと蛍光スペクトルから,ピークの波長とピーク強度を読みとり,横軸を波数,
縦軸を 0-0遷移のピーク強度に対する相対値としてグラフを作成すると,蛍光スペクトルと吸
収スペクトルのピークの位置と強度は 0-0遷移を対称軸として,左右対称な関係を示す。これ
を鏡像関係と呼んでいる。
1-6 吸収・発光スペクトルの表現・標準蛍光スペクトル
1-6.1 スペクトルの縦軸と横軸
発光スペクトルの強度 F (λ)の表記には,いくつかの流儀がある。特に (a)波長 λを用いる
か,波数 µ̃( = 1/λ)あるいは振動数 ν( = c/λ)を用いるか,(b) エネルギー強度を用いるか
(以下で添え字 e),光量子数を用いるか(以下で添え字 q)に注意。相互に次の関係が成立する。
λ2Fe(λ) = λFq(λ) = λFe(ν̃) = Fq(ν̃) (4.11)
ここで例えば Fe(ν)は振動数に対するエネルギー強度分布を意味する。今回利用する測定機器
で表示される発光スペクトル強度はおおむね Fe(λ)に相当する。吸収スペクトルについては,
一般に吸光度 Aあるいは透過率 T が用いられ,たいていの場合 (4.11)のような相互変換を要
しない。ある物質 Xの吸収スペクトルと蛍光スペクトルを対比する時,通常,吸収スペクトル
については吸光度を,蛍光スペクトルについては発光強度を取る。これは吸光度・蛍光強度が,
ともに存在する Xの物質量に比例すると考えられるからである。たとえば蛍光スペクトルの励
起スペクトルは,たいていの場合,吸光度のスペクトルと一致する。
1-6.2 発光スペクトルと溶液による光の吸収
ある分子が発光しても,周りの分子によってその光が吸収されてしまうことがしばしば起き
る。特に励起された分子の発光が,基底状態の分子によって吸収されることによって蛍光スペ
クトルの形状が変化することには注意が必要。蛍光スペクトルに対する蛍光の再吸収の影響
は,濃度を下げた測定を行ってみると明瞭になる(発光強度は濃度に比例するが,光吸収量は
濃度の指数関数になる)。
1-6.3 標準スペクトルと装置の較正
一般に光の検出器の感度・回折格子の分光特性等は波長に依存する。したがって測定結果か
らある程度定量的な議論をするには,前もって標準とされる物質の蛍光スペクトルを用いて,
装置の較正をかならず行う必要がある。
1-7 蛍光消光
溶液中に蛍光を出す分子と相互作用を行う分子が存在すると,蛍光寿命や蛍光強度が影響を
受ける。例えば蛍光のスペクトル波長と重なりをもつ吸収スペクトルを持つ分子をいれるとエ
ネルギー移動が起こって,蛍光が消光される。また溶液中にヨウ化物イオンなどの重原子が存
在すると,重原子の衝突によって交換交差が誘起されたり,内部変換過程が起こったりして,
蛍光が消光される。一般に蛍光の見かけの減衰速度定数は消光剤の濃度を [Q]で表すと
k = k0 + kQ[Q] (4.12)
と表される。ここで k0 は消光剤がない場合の蛍光減衰の速度定数である。また,蛍光減衰が
速くなることにより,定常蛍光の強度も弱くなる。消光剤がない場合の定常蛍光の強度を I0,
消光剤の濃度が [Q]の時の蛍光強度を IQ とすると
I0IQ
= 1 +kQk0
[Q] (4.13)
となる。
2. 光触媒による有機化合物の酸化還元反応
本研究課題では,二酸化チタン光触媒について,紫外・可視分光を用いて (1)バンドギャッ
プの見積もりと,(2)メチレンブルーの還元反応の観測を行う。
2-1 光触媒
一般の触媒反応は熱エネルギーによって進行し,反応物のボル
ツマン分布に応じて反応速度が規定される。一方,光触媒反応に
おいては,光のエネルギーによって系の電子励起が引き起こされ,
光エネルギーが化学エネルギーに変換される。近年,有害物質の
分解や,燃料電池を念頭に置いた水の分解に二酸化チタンをはじ
めとする光触媒が広く用いられており,環境技術の大きな柱とし
て重要な役割を果たしている。図 8 半導体型光触媒の電子構造と反応機構の模式図
光触媒反応の反応機構は複数存在するが,二酸化チタンに代表される半導体型光触媒の機構
について解説する。半導体型触媒の電子状態は,シリコン等の半導体と同様に,図に模式的に
示したように,電子に満たされた価電子帯と空の伝導帯からなり,それらをバンドギャップと
呼ばれる禁制帯が隔てている。
図のようにバンドギャップ以上のエネルギーをもつ光が照射されると,価電子帯の電子 e−
が伝導帯に励起され,価電子帯には正孔 h+ が残される。電子と正孔は再結合を起こすが,再
結合が起こるよりも早く,伝導帯に励起された電子が反応系に渡されると,還元反応が起こる。
半導体型光触媒では,反応物の電子状態によって酸化反応,還元反応のいずれもが起こりうる。
2-2 紫外・可視吸収分光をもちいた二酸化チタンのバンドギャップの見積もり
二酸化チタンの場合は,伝導帯が主に Tiの 3d軌道,価電子帯が主に Oの 2p軌道から構成
されている。二酸化チタンの結晶はアナターゼ,ルチル,ブルカイトという 3種の形態が存在
するが,このうちアナターゼ型が優れた触媒作用を示す。アナターゼ型に二酸化チタン結晶は
3.2 eVのバンドギャップをもつ。これは紫外域の光に相当し,紫外・可視吸収分光において,
価電子帯から伝導帯への電子励起つまり電子・正孔対生成が観測される。波長を変化させなが
ら光吸収を測定すると,バンドギャップエネルギーより高いエネルギーをもつ光しか吸収され
ないはずである。言い換えると,紫外・可視吸収分光測定から,バンドギャップのエネルギー
を見積もることができる。
一般に微粒子において,その粒径が伝導帯/価電子帯を自由に運動する電子/正孔のドブロ
イ波長と同程度になった場合,粒子1つ1つが一種の箱型ポテンシャルのように働き,電子の
運動エネルギーが粒子の大きさによって規定されるようになる。つまり,バンドギャップの大
きさが粒径の影響を受けるようになる。一般にマイクロメーターオーダーの粒子では,バンド
ギャップのエネルギーは結晶の値と同じであるが,ナノメートルオーダーになると,粒径の影
響を受けるようになり,粒径が小さくなるほどバンドギャップは大きくなる。
上述のように,紫外・可視吸収スペクトルから二酸化チタン微粒子のバンドギャップを見
積もることが出来るが,溶媒にとけるわけではないので,水に懸濁させて測定することになる。
懸濁液は濁って見えるが,これは微粒子による光の散乱のためである。この状態で吸収スペク
トルを測定しようとすると,光が四方八方に散乱され,直進してきた透過光を検出するだけで
は正確なスペクトルを求めることが出来ない。このような場合,広い範囲に散乱された光をす
べて球面鏡で集めて測定する,拡散反射法という測定法が用いられる。二酸化チタンの懸濁液
の場合も拡散反射法で本来測定すべきであるが,本学生実験で使用する分光器は拡散反射測定
に必要な光学系を備えていないため,直進してきた光のみを検出する。この場合,スペクトル
になだらかなバックグラウンド構造が重なる。このため,バンドギャップの正確な値を見積も
ることは困難である。しかしながら,大まかな値を見積もることは可能である。常にスペクト
ルに散乱の影響があることをに留意しながら実験をおこなうことが重要である。
2-3 光触媒反応による有機化合物の反応
二酸化チタン光触媒による有害有機物の除去は,幅広く実用に供されている。例えば,家屋
の外壁に塗布し,排気ガス等に由来する大気中の有機物を分解するのに用いる。あるいは,工
場排水中から有害有機物を除去するのにも用いられる。半導体型の光触媒反応においては,酸
化反応,還元反応のいずれもが起こりうるため,反応機構は一般に複雑であるが,比較的小さ
な有機分子の場合,水と二酸化炭素にまで分解され,大気中で反応させた場合,後に何も残ら
ない。
有機化合物の酸化,還元反応の例として,今回は
メチレンブルーの退色反応を取り上げる。メチレン
ブルーの構造式は図 9に示す。通常目にするメチレ
ンブルーは酸化型であり,色からわかる通り,π 電
子系により可視域に吸収極大波長をもつ。メチレン
ブルーは酸化還元指示薬としてしばしば用いられる
が,還元をうけるとロイコメチレンブルーと呼ばれ
る形になり,色は消失する。 図 9 メチレンブルーの構造
光触媒表面にメチレンブルー分子を吸着させ,光照射をおこなうとメチレンブルーの青色が
消失する。この反応は光触媒の簡便な評価法としてしばしば用いられる。退色反応の機構とし
ては二つの過程が提唱されている。(1)光触媒から電子を受け取り,ロイコ型への還元が起こ
る。(2)光触媒から正孔を受け取り,小さな化合物へ順次分解される,というものである。いず
れの機構が当てはまるのかについては,明確な答えはまだ得られていないが,pHや溶媒の種
類等の反応条件にも大きく依存すると言われている。今回の反応条件では (1)の還元反応が主
に進行すると考えられいる。
紫外・可視吸収分光法をもちいて反応を追跡すれば,退色反応の速度を見積もることができ
る。Lambert-Beerの法則により,吸光度が試料濃度に比例するため,吸収極大波長の強度か
ら酸化型メチレンブルーの濃度を知ることができる。
3. 実験
以下の実験は二つのグループに分かれて,前半後半で別々の実験を交互に行う。
3-1 アントラセンの吸収・蛍光スペクトルの測定と消光過程の評価
本課題では,試料溶液の吸収・発光スペクトルの測定を行い,その蛍光強度が消光剤の存在
によってどのように変化するか評価する。蛍光物質としてアントラセン(anthracene)を用い
る。消光剤としてはヨウ化カリウムを用いる。いずれも用意されている溶液 (メタノール溶液)
を適宜希釈して使用する。アントラセンは吸収・発光スペクトルに明瞭な振動構造を示す。こ
れらのスペクトルを解析し,ストークスシフトや吸収・発光スペクトルの振動構造についての
理解を深める。また消光反応速度について考察を行う。この実験はサンプルの調整以外はすべ
て SC210で行う。SC 210に行く際には,データを保存する USBメモリを準備する。
表 1.
試料 no. TiO2 照射する光の種類
1 あり ネイルアート用光源 2 あり 卓上蛍光灯 3 なし ネイルアート用光源
3-1.1 吸収スペクトル測定
用意されている標準溶液を純メタノール,10 mM KIメタノール溶液,20 mM KIメタ
ノール溶液で希釈して 10−4 M程度の溶液を作成し,それぞれの吸収スペクトルを測定する (1
M = 1 mol dm−3)。
(1) アントラセン標準溶液はピペッターを用いて 50 µl量りとり 10 ml メスフラスコで溶媒
を用いてメスアップを行う。標準溶液にラべリングしてある濃度から希釈した溶液の濃
度をそれぞれ正確に決定すること。
(2) 希釈した溶液をそれぞれ石英セル (片面すりガラス,セルを入れる方向に注意。) に入れ
て吸収スペクトルの測定を行う。吸収スペクトルの測定には SC210にある UV2500 を
用いる。測定したデータは名前を付けてデスクトップに保存する。
3-1.2 発光スペクトル測定
蛍光スペクトルの測定は SC 210 で行うので,先ほど希釈したアントラセンの溶液を石英セ
ル (全面透明) にそれぞれ入れて,測定する。
3-2 メチレンブルーの還元反応
本課題では光触媒を用いた有機化合物の還元反応を行う。二酸化チタン光触媒によるメチレ
ンブルーの還元反応の反応速度などを Lambert-Beer 式や吸収スペクトルを利用して求める。
¡注意
¿ 二酸化チタン (TiO2) を取り扱うときはマスクを着用すること。
(1) 約 1 mM のメチレンブルー水溶液をピペッターで 750 μ l 量りとり,メスシリンダー
内で水溶液が 75 ml になるようにメスアップする。(濃度計算必要なし。だいたいでよ
い。)その後,約 25 ml ずつ3つに分け,シャーレに移し替える。
(2) 表 1に示した三種類のサンプルを用意する。(二酸化チタンを 3 4 mg の範囲で正確に量
り取り,no.1と no.2 にそれぞれ加える。二酸化チタンを入れた試料はスターラーで攪
拌する。)
(3) 試料 no.1~3 の紫外・可視吸収スペクトルを測定する。吸収スペクトルの測定には
BRC112E 分光光度計を用いる。
(4) 表 1 の 3 つの条件で,紫外光源(ネイルアート用光源)と卓上蛍光灯を照射する。ス
トップウォッチ等を使って時間を計りながら光照射前と光照射後 2分おきに各試料の吸
収スペクトルを測定する。測定の際には反応溶液の一部をピペットで取り出してプラス
チックセル(セルを入れる方向に注意。)に入れて測定し,測定後はすぐに溶液をシャー
レに戻す。(試料 3種類× 11回測定= 33個のデータが得られるので,どのデータがど
の試料 no. の何回目か分かるように名前を付ける。
4. 考察課題
4-1 有機物質の吸収・蛍光スペクトルについて
(1) エクセルでグラフ (吸収スペクトル) 描き, アントラセンの吸収ピーク (375 nm)にお
けるモル吸光係数を求めよ。
(2) エクセルでグラフ (蛍光スペクトル) を描き, アントラセンの吸収スペクトルと蛍光ス
ペクトルに現れる振動構造の間隔を求め,そこから得られる情報にについて議論せよ。
(3) アントラセンのメタノール中での蛍光のみかけの減衰速度定数 (k0) は 0.25 ns−1 であ
る。実験結果より,消光反応の速度定数を求めよ。また速度定数について考察せよ。
4-2 光触媒について
(1) メチレンブルーの還元反応について,反応時間,極大吸収波長の吸光度,Lambert-Beer
の法則から見積もった濃度を表にまとめよ。さらに反応時間を横軸,濃度の常用対数を
縦軸にプロットせよ。できたプロットから反応速度定数を求めよ。二酸化チタン微粒子
が入っていない時に比べて,入っているときの反応速度は何倍になっているか?一次反
応として十分にフィットできない場合はその理由を考察せよ。(吸収ピークは 664 nm ,
モル吸光係数は 95000 M−1cm−1 を使い,エクセルの解析ソフトでグラフを描く。)
(2) 光源により反応速度に違いがでればその理由について考察してみよ。またその原因を確
かめるにはどのような実験をすればよいか考察せよ。
補足資料 A 吸光光度計の使い方
一般的なダブルビーム吸光光度計では,まず光源からの光をグレーティング(回折格子)で分光し,スリットをもちいて特定の波長の光だけを取り出す。その光を二つに分けて,ひとつを参照光としもう一つをサンプルに透過させ,別々に光強度を測定することで,ある波長での吸光度を評価する。この手法ではスペクトルを測定するためにはグレーティングを動かして波長を挿引する必要があるが,迷光の除去能力が高く,また時間に対する光源の揺らぎに対しても安定である。一方,ここではダブルビーム吸光光度計以外に CCD 検出の吸光光度計も用いる。これは検出器として多素子の CCDをもちいて,スペクトルデータを一度に測定可能な光度計である。以下,装置の仕組みについて簡単に記述し,測定の原理について理解したのちに,具体的なソフトウエアの使用方法について解説する。
図 A.1 一般的なダブルビーム吸光光
度計
1. 装置の構成
• 分光器 (CCD検出タイプ)原理的には右図のような配置でサンプルから透過し
てきた光をグレーティングによって分光し,検出器である CCD表面上に結像する(本当は,凹面鏡とグレーティングが一体となった凹面鏡型グレーティングを使っている)。CCDでは受光した光を電気信号に変えて素子に蓄えることができる。CCD は小さい素子が一次元上に並んでおり,おのおのの素子で分光されてきた光を検出する。測定できるスペクトル範囲は組み込まれたグレーティングの分解能と CCD の大きさによって決まる。今回用いる装置では可視領域で測定可能な設定がなされている。 図 A.2 CCD検出をもちいた分光器
• 光源:ハロゲンランプ (可視光領域)および重水素ランプ (主に紫外光領域) の二つの光源をもつが,同時に利用することはできない (最近は両方同時に組み込んだ光源もある)。今回はハロゲンランプをもちいて実験をおこなう。
図 A.3 光源のスペクトル
2. 吸収スペクトル測定の原理
一般にある波長 λにおける吸光度 A(λ)は入射光の強度 I0(λ)およびサンプルを透過した光の強度 I(λ)を用いて,次式で定義される。
A(λ) ≡ log10I0(λ)
I(λ)(A.1)
多素子の CCDと分光器を組み合わせることで,一度に広い波長範囲の吸光度すなわち吸収スペクトルを測定することが可能となる。しかしながら今回用いる EPP2000Cは検出器がひとつしかないので,サンプルを透過する前の光強度と,サンプルを透過した後での光強度を同時に測定することができない。ただし光強度が時間に対して十分安定であれば,サンプルを入れる前と入れた後での光強度を比較することで吸収スペクトルを測定することが可能である。このサンプルを入れる前の光強度を一般に参照光強度 Iref (λ)と呼ぶ。実際にはセルに溶媒だけ入れた状態で光強度をあらかじめ測定しておき,その後同じセルにサンプルを入れて光強度I(λ)を測定して,参照光強度との比較から吸光度を決定する。
A(λ) ≡ log10Iref (λ)
I(λ)(A.2)
ここで注意が必要なのは CCDなどの素子は,光がない状態でも一般に暗電流とよばれるような,ある程度の信号強度をつねに出しており,これは決して無視できる大きさではない。したがって,光を入れない状態で,あらかじめ検出器の暗電流による寄与(バックグランド Ibg(λ)と呼ぶ。暗電流の大きさは当然波長には依存しないのだが,素子に依存するので,その波長を検出する素子という意味で (λ)をつけた。)を測定しておき,実際の信号から引き算する必要がある。したがって吸光度は以下の式で評価される。
A(λ) ≡ log10Iref (λ)− Ibg(λ)
I(λ)− Ibg(λ)(A.3)
実際の吸収スペクトルの測定に当たっては,以上の原理,特徴をよく理解したうえで,装置の設定をおこなう。
3. UV1800 操作手順(吸収スペクトル測定)
(1) UV1800の右側面のスイッチを入れると、初期設定が始まる。この間に横のノートパソコンの電源を入れる。
(2) 初期設定が終了すると、パスワード入力画面になる。パスワードは何も入力せずに「enter」のボタンを押す。「外部制御」のボタンを押す。
(3) ノートパソコンのデスクトップの中央付近にある「UVprove」を起動させる。(4)「connect」をクリックする。(5)「Baseline」をクリック。(6) UV1800のふたを開け、奥のホルダーに石英セルにシクロヘキサンをいれたものをセットする。
(ここまでの操作は装置の初期設定なので、最初に一回だけ行えばよい。)
(7) 測定したいサンプルを石英セルに入れ、手前のホルダーに入れる。(8)「start」をクリックして、測定開始。(9) 名前を付けてデスクトップに保存する。すべての実験が終わったら、各自の USBに保存する。※ txt形式で保存すること。「名前を付けて保存」を選んで、ファイルの種類を「データプリントファイル」を選択して保存。この時、「データファイル」のファイルの種類が保存したいデータを選択できているか確認すること。
4. BRC112E 操作手順(吸収スペクトル測定)
(1) ランプの電源を入れる。(2) ノートパソコンの電源をいれて、デスクトップ中央付近にある「BWspec」を起動させる。
(3) 画面右側の「RawData」を選択する。
(4) をクリックして、光源のスペクトルを確認する。
(5) をクリックする。(6) 純水をプラスチックセルにいれ、ホルダーにセットする。
(7) 暗幕を全体にかぶせて、 をクリックする (光強度の検出)。
(8) 暗幕で検出部を覆って、 をクリックする(ダークカレントの測定)。(ここまでの操作は装置の初期設定なので、最初に一回だけ行えばよい。)
(9) 測定したいサンプルをプラスチックセルにいれて、画面右側の「absorbance」を選択する。
(10) をクリックする。(11) 得られたスペクトルを画面右下の「Save」をクリックして名前を付けてデスクトップに
保存する。すべての実験が終わったら各自の USBに保存する。