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DRHADYN湿地への誘い

- エコツアー ガイドブック -

Улаанбаатар хот2017 он

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DDC 910.91 H–646

2002年-2016年の生態系総合調査による写真を基に編集された。   (空撮はパラグライダーによる)

This booklet was made by the Grant from the Japan Fund for Global Environment of the Environmental Restoration and Conservation Agency.

Published by © NPO Mongolia Ecology Information Center, Japan 1–9–16 Mikunimachi Sakaisi Fukui 913–0056 Japan Тel: 81–776814008 (Japan), 976–11460334 (Mongolia) E–mail: [email protected] http://mongol-eco.tank.jp/

Copyright © 2017 by Mongolia Ecology Information Center. All rights reserved.

ISBN 978–99962–904–9–7

右のQRコードから、英語版とモンゴル語版のガイドブックを見ることが出来ます。

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Darhadyn湿地帯はモンゴル国のフブスグル県,フブスグル湖の西側に位置し、この地の北・東側はSayan山脈・Khoridol-Saridag山脈(最高峰はデルゲルハン:3240m)、南・西側は森林タイガ(赤いタイガと呼ばれるUlaanTaigaの山脈)で囲まれ、シシヘデ川に沿って存在する。標高1500-1600m、南北130-150km,東西30-40kmの面積を有し、モンゴル最大の湿地帯で、山間部の広域に点在している。今から130,000-70,000年前はフブスグル湖と同じ大きさの湖であったが、自然の変化によって湖水が干上がり現在の姿になった。2000年6月、私は、世界で初めてのこの地に学術調査の統括責任者として訪れた。地球環境基金(環境省)の下で、モンゴルと日本の大学の共同調査研究として、「Darhad湿地帯の生態系総合調査と環境保全」をテーマに、この地の生態系解明のメスを入れたのである。この広大な地はパラグライダーによる航空写真と人工衛星によるMSSデータによって初めて生態系の調査が可能になる。

このガイドブックは2000~2016年にわたって続けられたDarhadyn湿地帯の科学的・文化的調査の過程で得られた写真を中心に編集されたものである。新たに発見された永久凍土の上に生成するピンゴの構造解明は地球温暖化の現状把握になり、また低温帯生息の希少生物キタサンショウウオの発見は生態条件解明により温暖化現象測定の指標生物として指定出来、このことは絶滅動植物の保護に繋がる。湧き水から生成されているデッド・ツァガンノール湿地は地殻構造の解明により、ラムサール条約の保護湿地帯としての十分な条件を有している。

Tobogyn turuは永久凍土の上に生成し、森林と湿地と湧き水によって構成されている面積80haの湿地で、そこには数十個のピンゴ群が点在し、Tobogyn turuの大半がピンゴによって形作られている世界的にも稀少な地である。また、そこにはメタンガスによると思われる間欠泉沼、永久凍土の溶解による倒木現象・陥没沼の生成現象、湿地隣接地の砂丘の拡大移動等が見られ、この地全体が崩壊の危機にたたされている。2010年生態系総合調査の結果を「DARHADYH WETLAND IN MONMOLIA」として出版し、その後の遊牧民の環境意識調査で、「この地の持続可能な生態系保全は遊牧民との共生なしには考えられない」との結論に達し、2014-17年にかけて「フブスグル地域のエコツーリズムの確立」をめざして、モンゴル国立教育大学観光学科及び地元有識者と共に施策を練ってきた。

その施策の一つとして、科学的調査に基づいて分析記載されたガイドブックを書き上げた。

世界の人々にとって守り続けなければいけない自然の宝の全容が皆様の手に届くことによって、モンゴル唯一の希少な自然を有するDarnadyn湿地帯に興味を持つ人々が増え、この自然を自らの目で確かめ、保護していかなければならないという人々が増えることを期待したい。

Prof.Dr 西田英郎 モンゴル環境情報センター理事長

まえがき

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編集者:

佐野 智行 Prof. (Environmental Information) Himeji Dokkyo University

サンガグ ハタバートルСандагийн ХАДБААТАРДэд проф, доктор, (Газарзүйч) Монгол Улсын Боловсролын Их Сургууль

西田 英朗 Prof. Dr. (Environmental Assessment) NPO Mongolia Ecology Information Center

ソソグルバルム ツォクトゲレルСосорбарамын ЦОГТГЭРЭЛ (Жолооч хөтөч)

ジャグメド タミルЖигмэдийн ТАМИР Дэд проф. (Биологич) Монгол Улсын Боловсролын Их Сургууль

ナツァグドルジ ナランツォクトНацагдоржийн НАРАНЦОГТ Доктор, (Химич) Монгол Улсын Боловсролын Их Сургууль

翻訳者 バタソーリ ノルジマ

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内容1. まえがき 52.編集者 63. Darhad盆地の地理的環境 8-114. Darhad盆地の歴史、生活環境 12-175. Darhad盆地の誕生 18-236. 気候 24-257. 水環境 26-278. おすすめの地域

A- Yamaat uul 28-29B- Ulaan uul sum 30-31C- Shishhed gol 32-33D- Shuuregt 34-39 E- Tsagaan nuuriin rashaan 40-47 F- Renchinlhumbe sum 48-49G- Tovgiin turuu 50-63H- Hoton gol 64I-Ongon tolgol 65J- Tsetsegt nuur 66-67K- Taliin nuur 68-69L- Tuvhun nuur 70-71M- Tsagaan nuur sum 72-75N- ツァータンの人 々 76-79O- シャーマン 80-81

9.Darhad盆地の森林 82-8510.遊牧民の移動習慣と歴史 86-8711.フブスグル湖 88-9112.Darhad盆地を代表する植物 92-10113.Darhad盆地を代表する動物 102-11114.Darhad盆地を代表する蝶 112-11515.参考文献 118

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バイカル湖

フブスグル湖

DRHADYN湿地

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9 3.DARHAD湿地の地理的環境

モンゴル国はシベリアから中央アジアに広がるシベリア森林タイガ、中央アジアの草原、アルタイ山脈、ゴビ砂漠を含めた大地を所有する。Darhad湿地はモンゴル国の北方、フブスグル県の大地に山脈に囲まれて存在する。東方はHoridol Saridag山脈、西方はUlaan Taiga山脈(赤いタイガ)、北方はロシアの国境付近のバイカル湖の高い山々がある。Darhad湿地は標高1550-1650メートルに存在し、広大な草原、多数の小川や湖、湿地帯などがあり、地理的環境から南と北に分けられる。北緯は50°30から51°40まで140キロ、東経100°から99°までの70キロの広さで、全部で10000平方キロの面積がある。Darhad湿地の北側Dood tsagaan 湖は小さい沼が多く、半円形の一番大きな湖である。南側にはDeed tsagaan 湖があり、湿地帯や小川や草原などが含まれる。また、Darhad湿地にはフブスグル県のUlaan Uul,Renchinhunbe,Tsagan Nuurの3つの村が含まれる。

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A

B

D,E

C

A – Yamaat uulB – Ulaan uul sumC – Shishhed golD – ShuuregtE – Tsagaan nuuriin RashaanF – Renchinlhumbe sumG – Tovgiin turuuH – Hoton golI – Ongon tolgolJ – Tsetsegt nuurK – Taliin nuurL – Tuvhun nuurM,N – Tsagaan nuur sumO – Sherman

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W

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E99°00’ E99°30’ E100°00’

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E99°00’ E99°30’ E100°00’

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Darhadという名前を研究し始めたのは19世紀である。Darhad地方に生活していた昔の部族またその先祖に関する情報は中国、モンゴルの昔の書記に書かれている。Darhad地方に昔から様々な部族が暮らしていた証拠の一つは動物の絵が書かれている岩絵である。Darhad地方に初めて人が暮らし始めたのは銅石器時代で18世紀まで様々な部族が当時の社会体制の影響で移動してきたりしていた。しかし、18世紀の中期からDarhad族が誕生し、19世紀にはDarhad族がこの地を制圧した。

Darhad地方で12世紀から暮らしていた部族の生活状況はトナカイ業、牧畜業、狩猟を営んでいた。チンギスハーンの侵略以前のOin Urianhai (森のウリアンハイ族)、森の部族の生活、文化などについて述べるには三つに分ける必要がある。

 ・トナカイ業を営むOin urianhai  ・牧畜業を営むモンゴル系部族 ・狩猟を営む森の部族

Undur Gegeen(チベット仏教の宗教指導者)はHaraaとYuruuという地域に一部の住民を移住させる時はDarhad族を含めていない。当時Haraa、Yuruuで生活していたUndur Gegeenの弟子であるHamnigan族、Uuld族、Hereid族の一部をDarhad地域にも移住させた。Darhad族の大部分を占めるHar DarhadはZasagt Han Genden Sain皇太子の弟Geleg noyonに所属していたが、故郷を出てHaraa、Yuruu地域でUndur Gegeenの弟子として遊牧生活を送っていた。しかし自分の故郷を愛しく思い、Shishhed川に帰りたいという彼らの願いをUndur Gegeenは聞き入れ「私の大事な弟子になって下さい」という意味から現在のDarhadという名前が誕生した。

4 DARHADの歴史、生活環境の特徴 4.1. DARHAD族に含まれる少数部族

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4.2. 人民革命後のDARHAD族の生活

モンゴル国の北部の森林地帯でトナカイを飼って生活する少数部族を人民革命後の書物に「Tsaatan」として記録するようになった。人民革命以前は「Tagna Urianhai」と言われていたが、その他にも「森の部族」(Soyod Urianhai)と区別されることもあった。Tsaatanは旧ソ連のTuva共和国のToj村のTodu、Kara、Todu、Soyon、Kiirgiz、Hanachi、Maat、Baliichki、Huulah族のTuva人の一部で,ウイグル語が話すウイグル系のDuhaという人々である。1925年にDarhadz族が住んでいる地域をDelger Ih Uul村と名付けた。1925年の国民第二会議により1926年にDelger Ih Uul県の村同士に距離があり、役所の仕事に支障が生じ

たので村同士の合併と分離を決意した。そしてDelger Ih Uul村はTsetserleg Mandal藩(現在のArhangai県)に所属するようになった。1931年の国民第15回会議の結果、地理的環境、経済環境により新しい県をつくることと古い村の廃棄案が決議された。新しくフブスグル県が誕生し、フブスグル湖Buren Han Uul村の土地にRenchinlhumbe村、Ulaan uulという二つの村でき、1933年にUlaan uul村からBayanzurkh村が誕生した。後に1985年にRenchinnlhumbe村からTsagaan nuur村が誕生した。2011年にフブスグルの西、東タイガにはTsaatan族41世帯が伝統文化を守りながら生活していることが明らかになっている。

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4.3. DARHAD族の家業Darhad族は牧畜以外にも狩猟、漁業、トナカイ

業などを営んでいる。例えば:中国の歴史資料にChiki、Aazii県では牧畜業を中心に営んでいたが、Zootは昔からトナカイ業を営んでいた。そしてBalagch族の「Balagch」という語は釣り人の意味で、営んでいた家業によって部族の名を付けることが多かったと考えられる。Darhad地方の部族はそれぞれ自分たちの生活環境にあった家畜を選んで営んでいた。11世紀から12世紀には部族を森の部族と草原の部族と二つに分けていた。Darhad地方の自然、地理的環境から山林地帯でも飼いやすいヤックも人気があった。

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Darhad族の家畜の去勢、焼印を入れる、seterleh(モンゴル語で神様のお使いとして扱うこと)などの儀式が昔のモンゴルの伝統儀式を取り入れていたことは考古学から見るととても面白い。Darhad族の家畜の去勢は他の部族と似ているが、大体夏の初めの月の3、15に行われる。家畜の去勢をする時は大、小、中の3日間の内の1日にrashaan(神様の飲み物)というミルク入りの水に麦の種、お香、牛乳、arvaiなどの4種類を作り、その中に去勢した家畜の金玉を入れて最後に茹でて食べる。

家畜の去勢する時に焼印も同時に入れることがある。羊、ヤギ、牛は左右の耳をどちらかハサミで切って印をつける。各家庭が自分の焼印を持ってい

る。Darhad族の特徴と言えば馬を捉える時は必ず塀の中に追い込んで縄を投げて捉えていた。このやり方はTagna Soyon、Altain付近の部族にもよく見られる。馬の焼印を入れが終わったら家主が参加者をご馳走し、尊敬の意を表していた。

Darhad族には自然信仰のOngon shuteen(精霊)という言葉がある。そして山の神であるSavdagに家畜を捧げる儀式があった。Darhad族が昔から良く使っていた儀式の名として「Tsagaan burhanii seter」、「Gombiin seter」、「Lusiin seter」、「Ataanii seter」などがある。

シャーマンのSeterという儀式は山の神、部族の祖先の神霊に対する儀礼である。

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4.4. 家族の構成とその特徴

Darhad族の家族の特徴は嫁の義理の両親に対する対応である。例えば:義理の両親の家には裸足、帽子なしで入ってはいけない。家の外で歌を歌ったり、生脚を出したりしてはいけない。

夫婦間では夫が狩猟など体力を使う仕事をし、妻は家庭内のことをする。家庭内では夫に権利があり、離婚する場合は妻には財産を与えない。

4.5 住居昔のDarhad族の住居と言えばUrtsである。Urtsを

建てる三つの方法がある。Urts以外にハラハ族が移動に使っていたミニゲルも使用していた。そして各家庭が使用方法に合わせて住居を使っていた。例え

ば:Ulaaljは貧乏な人が1人で使用するような小さな家、OvoohoiとHasnagは狩猟に使う仮の家、Jodgorは地方を歩き回る僧侶の家のことである。

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4.6. 衣裳、飾り

Darhad族は現在ハルハ族の民族衣裳であるデールを着ている。人民革命以前は狩猟用のデール、Hirveestei deel、Uujtai deel を着ていた。狩猟用のデールは12~13世紀から受け継がれ、軽く走ったり、飛んだり、隠れたりするには最適である。Hirveestei deelは12~13世紀にAltaihan、Tuva、BuriadなどTagna Soyon、Altai地域で流行ったデールである。このデールは主に中高年の女性が着ていた。また男性は冬用のデールにHirveeを付けて着ていた。Uujtai deelは中高年の女性が着るデールで19世紀に流行ったものである。

Darhad族はデールに様々な飾りを付けていた。ハルハ族のデールに比べて少しシンプルに見える。男性の飾りとしてHet、Bel、Hutgaで女性の飾りはSuih、Ineelge、Hetevch、Bulzug、Bel、Hutgaなどである。

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5. DARHAD盆地の誕生Darhad盆地はUliin峠から始まる。この盆地は自然

史から見ると氷期には氷河湖を形成し、盆地全域が水没していた。その大きさは現在のフブスグル湖とほぼ同じである。この盆地の特徴は地形の凸凹、水質、水脈、気候などの影響が大きい。現在はこの盆地の自然保護、調査、観光、自然の適切な利用などが大きい課題になっている。

Darhad盆地はHoridal Saridag山脈、Ulaan Taigaの高い山々に囲まれていて、標高1500‐1600mに位置する。東北から西南まで120-130kmの長さで横幅は40-50kmである。ロシアの学者A.K. Uflyand(1969)の記録によるとDarhad盆地全域は水に満たされ、湖の面積は2600km2、標高1700mだったとしている。そして長年の自然変化により水がなくなり残ったのが現在のDood nuurとDeed nuur , Targanそして小さな湖沼群である。

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Darhad盆地は地殻変動によって誕生し、様々な地層 が見られる。主な地層は湖、湖-氷河、氷河である。湖の地層は更新世時代の砂利、きめ細かい黄色グレイ色の砂が多い。このような砂はDarhad盆地の東部に5m、Dood nuur付近で20mの高さをもって堆積されている。

更新世時代の湖の地層は粘土性、きめ細かい砂が盆地の中心に多く見られる。この地域で行なったボーリング調査の資料によると底の石の地層まではTunamal hurdas(透明な地層)があり、その厚さは300mだった。(A. K Uflyand. 1969) Darhad盆地の周辺の

山々はシベリア地域と深く関連していて、地球の岩石地層の大きな変動により出来たと見られる。Darhad盆地の誕生についの説明は盆地だけではなく、それを取り囲む地形、環境を地質学の観点から見る必要がある。Darhad盆地の周辺の山々はSoyon山脈、バイカル湖を含むAtriat-zurugt山脈に属し、地殻変動によってそれらに取り囲まれ、広大な盆地になったのがDarhad盆地である。この地域はKaledon時代(山が変動のよって誕生する)の末からGertsin時代(山が出来上がる変動)の初めに基盤が出来、アルプス変動の影響も受けながら現在の姿になった。

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Horidol Saridag山脈はフフスグル湖からDarhad盆地を分断している。この山脈はDarhad盆地の東部にそびえていて、Jigleg峠からはじめ北から南、Beltes、Eg河の山々と合流する。この山脈にはBurenhaan、 Urandush、 Nart、 Hanjit hadなど標高3000mの山々が含まれていて、その頂上は鋭く、細長い岩壁もある。北部はZuun Soyon山脈の最高峯であるMunkh Sar idag(標高3491m)があり、雪や氷河がある。Zuun Soyon山脈からShishhed河の流域まで続くいくつかの山脈がある。この中で一番大きなのはTengis

河の西部を北から南に向けたHoid Agayagiin山脈(標高3106m)、Byarangiin山脈、Tengis峠、Heltesiin Taigaなどの山々で標高3038m、Joshimiin Taigaは標高2977mである。Shishhed河の南、Darhad盆地の西部にある山脈をGurvan Taigasという。この山脈は南に続きIh Agayagiin山脈の終わりHar Adariin山脈と合流する。Har Adar河の初めにはHuulagiin山脈(標高2500m)、そこから西部にDood、Dund、Deed taiga山脈がDelger河まで続き、Busiin河で終わる。この地域を全て含めてUlaan Taigaという。

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Ulaan TaigaはDarhad盆地を囲む他の山々に比べて氷期の影響で頂上は比較的に緩やかで平らで木が多く、山の斜面は断崖絶壁、長年の風化により山の頂上から麓まで小さい石が多く崩れやすい。Ulaan Taiga山脈の最高峯はMaraat山で標高3351m、その次のMungariin Yorvon山は標高2900m、Shar Urkh山は標高2859m、 Halzan Tag山は標高2923m、Yolt山は標高2773mである。

Darhad盆地の中部また西北部は永久凍土によって出来た様々な形をした湖が多く、その面積は盆地の三分の一を占める。しかし、東部と東南部はHoridol Sar idag山脈の西から降りるShi luust河、Alhan河、Bayan河、Jargalan河、Tsagaan nuurに合流する。Arsaiなどの河によって運ばれ堆積されたHurdas

は山の麓から低い土地まで緩やか地形をつくる。盆地東北部のJigleg、Horidol Saridag山脈から降りるHoton、Sharga、Jarai、Havhaiなどの河のHurdasは石を含んだ平らな地形をつくる。

Shishhed、Arsai、Shargaなどの大きな河は昔の湖のHurdasを通って流れていて、場所によっては段丘をつくり、Hurdasの上に大量のHurdasが堆積される。盆地の大部分は永久また一時的な河の流れの影響で出来た地形である。

Darhad盆地にはTargan、Tsagaan morit、Deed tsagaan、Tsagaan、Jargalant、Dood(tsagaan nuur)などの大きな湖も存在する。Dood nuurの湖面は標高1570mでその面積は59 km2 で他の湖は面積が小さい。

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Darhad盆地の地形は地殻変動によって出来たもので長年の自然の厳しい気候、水、人間などの影響でその姿が変化し、形態的特徴もそれぞれ異なる。盆地を地形的特徴から三つに分類する。

地 殻 変 動 - 風 化 - S h i s h h e d 河 を 沿 っ た 山々 は 標 高 2 5 0 0 - 4 0 0 0 m で B u r e n h a a n 、 Urandush、Nart、Hanjit hadなどの山々は標高3000mである。この中でも一番高い山はMunkh Saridag(標高3491m)である。山々の標高の差が激しく、山の斜面の角度も大きいので短い間隔で山々の標高の高

さが変化する。また高い山々にはタイガ(森)が集落的に出来ている。この景観は標高差、気候の風化、地滑りと深く関係する。山の斜面が地殻変動による割れ目に沿って出来た断崖絶壁は岩石、小石が多く(滑り安い状態)、山や山脈の頂上は鋭く、その斜面の角度は30°以上である。2200mの山々の頂上の幅は400-600mで、場所によっては1.5-2kmである。特にHoridol Saridag山脈のDarhad盆地側の斜面の角度が垂直以上の岩壁である。Horidol Saridag山脈はBayan山脈からArsaiまで続く。

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侵食-風化型の凸凹-山の谷、定期的または一時的な流れをもつ河が含まれる。例えば:Sharga、Jarai、Havhai、Arsai、Guna、Hug、Mungarag、Tengisなどの大きな河の谷が含まれていて、流れが速いため侵食、風化が活発に行われている。そのため河の谷や下流にはHurdasが多く堆積されている。上記の河の谷は上流と中流の部分で細長くV字型をしている。

堆積型の凸凹の形-Darhad盆地のほとんどの地域に見られる。この形が誕生するには地殻変動の影響が比較的に少なく、外部からの影響が大きい。言い換えれば、長年の風化によって蓄積され出来たことが分かる。この凸凹には湖、湖-河、河のHurdasが堆積された平原、湖のallyuvi-prolyuvi、delyuvi-prolyuvi、allyuvi-delyuvi、湖-氷河、allyuvi-氷河のHurdasといういくつかのグループに分けられる。蓄積型の凸凹の中でDarhad盆地はallyuvi、湖、湖-allyuviのHurdasの平原が多い。

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Darhad湿地の年間気温差は83.2°Cで寒暖差の大きいことが分かる。しかし、夏はあまり暑くならないが冬は高い山々に囲まれているため非常に寒く、モンゴルで一番寒い地域とされている。例えば:2002~2003年の冬は-45°Cという気温が15日間続いた。1月の気温は-33.5°C、7月は19.9°Cで年間平均気温は-7.02°Cである。2004~2008年の寒期の平均気温は-30°C、暖期の平均気温は16°C~17°Cで年間平均気温は-4.6°Cである。このことから見ると2002~2003年の年間平均気温に比

較すると寒さが緩んできていることが分かる。そして年間平均降水量は419.1mmで積雪の深さは15~20cmである。

また、測定開始からの年間平均気温の一番低い気温は-45.1°C、一番高い気温は38.4°Cで、年間平均気温は-6.43°Cである。しかし1日の最低気温は-40.9°C、最高気温は20°Cである。このことから気温差が大きく涼しい気候であることが分かる。この気候には地域の地理的環境、日照量、湿度などが影響を与えている。

6. 気候

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Darhad湿地の気温の平均値をUlaanbaatar市、ロシアのイルクーツク市、日本の旭川市、熊谷市の平均気温の比較を左図から見られる。

Darhad湿地にある村の年間平均気温が上昇し、エコ環境にも影響を与えている。温暖化が進むことで盆地の小川や池また牧草地の草や植物がなくなり、砂漠化するなどの環境問題が増加している。

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7. 水環境 この地域は水環境が豊かである。北極海の水

域に入るShishhed河も多数の河から構成されている。例えば:Tengis、Hug、Mungarag、Guna、Bagtah、Arsaiなどである。永久凍土、降水量、雪、なども含まれる。その他にBuurug、Dogoilor、Tulegtag、Urtragという湧水もある。

Darhad湿地の気候は寒暖差が大きく地下から湧き出る水に関しては冬期も凍らず湧き出る。

2003年7月30日から2004年の7月18日の湧水の平均温度は4.57°Cだった。この年の湧水の最高温度は2003年の8月2日の17時の時点で7.4°C、最低温度は2003年11月5日の00時の時点で2.2°Cだった。

また1日の温度差が大きかったのは2003年10月5日に3.4°Cだった。

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№ 化学物質 (mg/L)Deed

tsagaan nuur

Duuren nuur

Tsetsegt nuur

Tovgiin turuunii nuur

Burgast nuur

Tuvhun nuur

Hort nuur

1 硬度 1.8 2.9 3.0 2.0 3.5 9.0 4.35

2 カルシウムイオン 3.0 12 4.0 11.8 46 60.12 40

3 マグネシウムイオン 3.6 27.6 12 16.92 14.4 255.12 28.2

4 塩素イオン 28 32 13 10 12 1024.8 14..5

5 硝酸イオン 0.83 0.909 0.63 1.27 1.18 3.05 0.909

6 アンモニウムイオン 0.08 0.06 0.20 0.15 0.05 0.31 0.125

7 鉄分 0.64 0.58 0.20 0.01 0.07 0.05 0.13

8 二酸化窒素イオン 0.01 0.02 0.002 0.006 0.005 0.02 0.002

9 フッ素イオン 1.23 1.12 0.73 0.21 1.95 0.91 0.78

10 炭酸水素イオン 175.6 173.6 101.3 180.5 120.5 2641.9 160.9

11 硫酸イオン 32.53 39.7 24 37.6 27.9 139.09 35.8

12 Erdes(ミネラル) 297.6 127.1 98.9 270.6 135.9 295.3 73.2

陸水(地表水)の大部分はDeed namag、Har usan tohoiの水が占める。大小多数の河や湖が存在し、永久凍土が元になっている。降水によって出来た水たまり

は夏期には増えるが期間が短い。湖水の化学分析結果を以下の表で表す。

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Yamaat 山はUliin峠より東北10kmのGuniin goliin hundii北緯50°37.51、東経99°12.8に位置する。この山は特徴的な形をしていて、Guniin golに向いている側は断崖絶壁になっていて、頂上は平らで木がたくさん茂っている。また山頂付近には鋭い岩崖で分断されていてその基盤の石は風化、侵食の影響を強く受けたことが分かる。これはDarhad盆地にあった大きな湖の活動と深く関係する。またこの地域の気候の変化、自然の変化の結果である。

Yamaat山はグレイ色の石灰石、砂、砂利などが混ざったTunamal hurdasから成る。そして雨、溶けた雪の侵食によって石に小さな穴がたくさん空いている。これは水に溶けやすい石灰石の特徴である。Yamaat山の付近のTunamal Hurdasが多く見られる。風化や侵食によって形が壊れた様々な大きさのグレイ色の石がたくさん分布している。Ulaan uul村は石灰石、石炭などを建築資源、燃料資源として認定されている。右図の斜めの傾斜の痕跡は氷河移動の痕である。

А. YAMAAT UUL

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B. ULAAN UUL SUM(村)

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この村はモンゴル国の旧Tsetserleg Mandal Uul県のフブスグル湖-Delgerhaan村に属していて1931年にBayan-Zurkh村として独立した。当時は18組み、1151の世帯、4000人の人口と総家畜数は109.6万頭の大きな村だった。1933年にUlaan uul村、Bayanzurkh村に分けた。Ulaan taigaの名前を取ってUlaan uul村の面積は10万haでUlaan taiga、Horidol Saridag山脈、Uliin峠、Toomiin峠、Beltes、Guna、Hug、Shishhedなど大きな河が

存在する。村の一番高い山はDelgerhaan uulで標高3095mである。村は高い山々やタイガの地域に位置し、Bal chuluu、石炭、石灰などの地下資源もある。特にMunguush炭鉱は200万トンの石炭を理蔵している。その他にもBeltes河付近の湧水には様々な病気を治す効果があり、地元住民も良く利用している。村の人口の大部分をDarhad族が占める。現在、村の人口は4057人、総家畜数は104,747頭である。

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С. SHISHHED GOL

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Shishhed川の源は北緯50°47、東経29°21に位置し、地元住民は「Hoyor gol」(二つの川)という。元々は高い所にあったが長年の自然環境の中で盆地に形を変え、森に囲まれた。ここには世界のレッドブックに記録されているサラマンダー(Salamandrella Keyserlingu Dybowsky 1870)が生息している。Shishhed川で魚釣りを楽しむこともできる。

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D. SHUUREGT

Ulaan uul村から約2時間の所に湧き水によって形成されたオアシス(Bayan burd)がある。このオアシスは東経99°21’3011、北緯50°59’40に位置する。Shuuregtの森からの伏流水によって出来たオアシスはDarhad盆地の最も美しい場所の一つである。湧水によって南方に池が形成され周りは10m近い土の壁が造られている。池水はDood Tsagaan nuurへと続く。川の周辺には高い土壁や穴が多く、湧水の影響で永久凍土も融解する。この結果、土低が下がり、水が溜まることで川が出来たと考えられる。この地域は冬期の気温は-40°C、地下水の気温は5.0°C(地表の気温は5.3°C)であることから地下には永久凍土がないことを証明する。湧水の流れの速度は7.38m/secである。34

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Deed turuunii begeltsegはDarhad湿地の南、標高1550-1650m、東から西まで30-60kmの幅、北から南まで約59km長さ、2500 km2 の面積に位置する。このBegeltsegの北にはDood nuur、Shishhed川の流域がある。このBegeltsegは地質学的組織である。原生代の変わりやすい石が多く、山の麓に分布されているのは「Morenii hurdas」である。

Darhad湿地は地殻構造的に分離地域に存在するためBegeltsegの出生を明らかにするにあたっては重要である。当湿地の両側を囲む山脈は地殻変動の影響で上昇し、真ん中の部分は凹んでいる部分が現在のHotos(凹み、盆地)である。この地形を地殻変動のHotosと言って、この盆地を地質学的構造から見ると同じ環境がバイカル湖にも多いことが分かった。

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Shuuregt湧水の付近の1km2の沼地に高さ2-3mのドーム状の二つの丘陵地形がある。この丘陵の高さは10mで丘の上の幅は50-60cmで植物も無く少数の割れ目が目立つ。現在もこの地域は永久凍土がある。ボーリングにより右図のような内部構造が明らかになった。地表から1.45mの深さで氷ではなく冷たい石の地層が見つかり、地層の大部分には粘土が多く見られた。粘土層の下には永久凍土があり、冬期には巨大な霜柱を形成して丘陵(Buurug ピンゴ)ができる。このBuurugはアラスカなど寒い地域にも見られる。

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E. TSAGAAN NUURIIN

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Tsagaan nuuriin 湧水は湧く場所によって頭、耳、鼻、喉、内蔵、心臓、胃、関節病等に効くという。夏期の7-8月にはこの地にゲルが建ち並び治療のために2-3週間人々が滞在する。

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F. RENCHINLHUMBE SUM(村)

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Renchinlhumbe村の面積は8850km2でこのうち2910km2が農業用の土地で35%は森林が占める。村の中心はZuulunという。県の中心から北に265km、ウランバートル市から998kmの所に位置する。Renchinlhumbe村は1931年に誕生した。Jumirlag、Ongon、Saridag、Renchinlhumbe山の鋭い山頂、Urtraga、Jar、Husht、Ul、Jivaaなどの高い峠、Duuren、Ongon、Tsetsegtの豊かな湖、Hug、

Ived、Shishhed、Hodon、Sharga、Arsai、Hogorogなど流れの速い50の川が存在する。気候は寒暖差が大きく時には-50°Cにもなる。2010年の人口は4649人で大部分をDarhad族が占める。総家畜数126,474頭(2010年)である。この地域はDarhad uutsan suultei honi(この地域特有の羊のこと)、Hogorog モンゴル牛、Darhad 白い馬などが有名。

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G. TOVGIIN TURUU

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Renchinlhumbe村から北18kmに森に囲まれた流れのある湖がある。Tovgiin nuurという名の湖で森、沼、凍土、砂丘などが集中する美しい場所である。ここには様々な大きさのBuurug(ピンゴ)が群集(15個:高さ10mを超える)しており世界的にも貴重な地域である。この現象は当地域の特徴的なランドシャフトを作り上げる。東北側の草原では周囲からの砂が集積して砂丘を形成し、年ごとに移動を繰り返し、砂丘面積が拡大ししつある。

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TOVGIIN NUUR

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メタンガスの噴出

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凍土のBUURUG(ピンゴ)

長年蓄積された凍土が分布している地域の土壌の表面は水をたくさん含んでいる。そのため冬期に土壌が凍り地上に押し上げ丘ができる。土壌の上の部分が凍り、凍った土壌と長年の凍土の間にまだ凍っていない水に圧力がかかる。この水が凍って地上に押し上げピンゴ(Buurug)ができる。巨大な霜柱現象である。

CLAY

CRANULAR ICE

ICE

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永久凍土の融解

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地球温暖化の影響で永久凍土の融解が進み、氷が解けて沈んだ窪地が小さな水溜りを形成し、徐々に拡大して池が誕生している。

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永久凍土融解による森林の破壊

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砂丘移動-砂漠化の拡大

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砂漠化

Tovgiin turuu湖の南、東南は砂漠化が急激に進んでいる。右側の写真は1986-2001年の間に「Landsat」人工衛星が撮った写真を分析したものである。この写真で白く写っているのは砂礫を示し、砂漠化が進んでいる地域である。左側の写真は2004年にパラグライダーで空から撮った写真で砂丘の広がりを示している。

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Н. HOTON GOL

サラマンダー

サラマンダーは世界レッドブック(絶滅危惧種の動物)に登録されている両生類である。このサラマンダーはシビリア、ウラル山脈、カムチャッカ半島、日本の釧路湿原等、北海道の寒い地域に生息している。サラマンダーの体長は10cm、幅は2cmぐらいの小動物である。写真の通りサラマンダーは水が豊かで寒冷地の森林地帯を好む。地球温暖化が進む現在、サラマンダーの生息域が温暖化の環境指標となっている。

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I. ONGON TOLGOL

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昔からDarhad族はOngon tolgoin周辺に住み、信仰してきた。Horidol Saridag山脈を超え、冬の寒い時期を過ごし、春場所、夏場所はこの地域に戻って来る。その時、この地域の13のOvooに祈りを捧げ、おそない(乳製品やお米など)をし、小希望なナーダムを行う伝統がある。

Ongon tolgoiは周りより高い所にあるため周辺を一望できる。

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J. TSETSEGT NUUR(湖)

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Renchinlhumbe村の中心から北45kmのHodon gol流域に透明な小さな湖がある。湖の幅は0.5km、湖の面積は2.5kmである。湖の深さは1-1.5mである。この湖は内外の流れがない。現在の地球温暖化の影響で湖の量が減少する傾向にある。湖には蓮の花が咲く(湖の浅い所で咲く)。湖の底から0.8-1.1mの高さの茎を

伸ばし水面に葉を出して、太陽が登ると鮮やかなピンクや白色の花が咲く。蓮の花の大きな葉と鮮やか花を見ると心が和む。蓮の花は朝、花を咲かせ、夜には閉じる。自然のこの美しい現象は国内外の観光客の目を引く。

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K. TALIIN NUUR(湖)

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調査地点

植物の名前 色

A Agrostis mongholica 赤

B Carex duriuscula 黄色

C Puccinellia, Cirsium ピンク

D Poa pratensis オレンジ

E Blysmus rufus 緑69

Taliin nuur(湖)の直径は約1.2kmである。この湖はDarhad湿地の北側に位置し、1980年から湖水の流出により川の土壌の侵食が進み湖水の量が減少した。湖が消滅する過程を探るには最高の資料である。最初の写真は2006年にパラグライダーで撮影し、囲み写真はALOS人工衛星からの情報で作成した。これにより湖面を精密に調べることが可能になった。2番目の写真は高さ10mの湖岸から撮ったものである。岸付近の植物の様子は分かるが中心の植物に関しては分別が難しい。湖水があった場所には多数の植物が繁茂している。パラグライダーでのデータをRGBでの色の分別で植物の種類の分類を行ったのが3番目の写真である。

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L. TUVHUN NUUR(湖)

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地元住民はこの湖の土質(hujir)をお茶や料理に良く使用してきた。このHujirは胃腸の伝染病の予防、治療に使用している。湖の岸付近の土壌はshultleg(塩基類)が非常に多いため明るい灰褐色をしている。湖の水は飲み水に適していない。またこの地域の他の湖水に比較すると化学物質の内容が非常に異なる。

化学物質内容

(mg/L)

内容

(10%の土壌の水)К 2710Са 2380Mg 24800Na 3540Fe 31100Mn 505Cl 202NO3 10.2рН 10.0 (24°С)S 32.3湿度 14.1%

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M. TSAGAAN NUUR SUM(村)

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この村は1985年までRenchinlhumbe村の一部だった。Renchinlhumbe村のトナカイ業、狩猟に基づいて1985年に誕生した。村の土地は高い山脈、タイガ地帯に位置する。村の西北は高い山々、森林、川、湖など広い自然が続く。村の最高地は3065mのHoid Agariin orgilである。村の南にはTsagaan nuur、Targan nuur、Duuren、Burgast、Manuult、Tsoitson、Hazaartなどの大小の湖、北側は高い山々、タイガを流れるShishhed、Tengis、Bus、Sarig、Jamsai、Jolgoなどの川がある。村の面積は540.8万平方メートルであ

る。森林の豊かさは県内上位に入る。またこの村にはByarangiin Nogoon Hashという宝石が取れる場所がある。地下資源がとても豊富にあると言われているがほとんど研究されていない。村の川や湖にはDarhadiin tsagaan zagas(Darhad 白い魚)が多く生息している。村の人口の大部分がDarhad族で30%をTsaatan族が占める。村の特徴としてはTsaatan族が大勢住んでいることである。Tsaatan族はTureg系、ウイグル語が話せるSoyod Urianhaiである。2010年の調査によると村の人口1411人のうち269人がTsaatanだった。

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漁業Darhad盆地の川、湖は北極海域に入る。多くの湖は流れがあるため水

産資源が豊富。Darhad盆地の魚の種類に関して多く研究者が記録している。例えば:Tsagaaljtan科、Huld系Tuld、Zeveg、Tsagaagasiinhan系Tsagaan zagas、Jarga、Hadran系Shiver Hadran、Murugtun科Murgiin系Erdiin Varlan、Yaraljiin 系Sahalt ereelj、Sagamhaitan Hutariinhan系Hutarなどの8種類の魚が多く生息している。

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水産加工業と狩猟Darhad盆地の多くの湖は1970年から多く魚を収穫

していた。特にTsagaan zagasの水揚げ量が多く、それに基づいて1942年に食品工場系列の水産加工場が出来た。1956年にRenchinlhumbe村の第二区の地域にHogorog水産加工工場が設立された。当時は馬で魚釣りに行っていた。1956-1970年に60.3-190.5t、1970-1980年に43.9-158.6t、1980-1990

年に40.0-50.0t魚を収穫していた。当時は190人の従業員がいて、二つのグループ体制で営業をしていた。1962年から水産加工工場は魚だけではなく、狩猟の分野で毛皮を目的にミンクの狩りも始まった。年間350-500匹のミンクをかっていた。現在、水産加工工場は営業していない。また、地元住民には魚を釣る特別許可を与えている。

Hucho tamen

Brachymystax Lenok Coregonus pidschian

Thymallus arcticus

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1960年ロシアとの協定が成立し、モンゴル政府がロシアTuva国から移動して来たTsaatan族に対して現在のTsagaan nuur村に土地を与え、森林また漁業を営

むように指示した。これは記念として建てられた建物で当時は役所として使っていた。現在も村の中心にある。

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N. ツァータンの人々

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O. シャーマン聞いておくれ、聞いておくれ、私の馬よ聞いておくれ、聞いておくれ、私のクマよ!おいで私の鳥たちよ!黒雲と共に飛ぶ、私のカラスよ。九つの点の下を飛ぶ、血の眼をしたカラス

よ、屍肉を食う奴!昼も夜も飛び,大地を嗅いでまわる、私の黒

の、灰色のワシよ!おお美しい天の柱よ、人の血を飲み、野獣の

肉を食う者よ!お前、タイガよ、広いタイガよ。お前はいつ

も花の中に立つ、私の母よ!二つの頭を持つ、暗い主よ、お前に栄誉とあ

いさつを!どうか私を助けてくれ!お前、私の馬よ、黒い口をした、茶色の口を

した馬よ、さー、準備はよいか。

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シャーマンは僧侶ではなくカーストにも属してもいず、何の特権も持ってはいない。彼らは遊牧民の民である。職業的なシャーマンはいない。シャーマンは人間と諸霊との間の仲介者として存在しているだけである。

シャーマンは祈祷する前に無言でタバコを吸う。そのときは、周りの人は誰も話しかけてはならない。水をのむシャーマンもいる。そのときは水を血に見立てている。居合わせた人々は太鼓と装束の前で杜松(ねず)を燃やす。それから太鼓を温める。太鼓に張った皮は湿り気を帯びていて、そのため、くぐもった音しか出ない。そこで、明るい高い音が出るようになるまで、火の上にかざすのである。シャーマンはその間に装束を付け、冠をかぶる。装束は皮の外套で鈴をぶら下げる。外套はシャーマンの馬なのだ。馬のたてがみや尾っぽの毛は外套に飾りとなって付けられている。シャーマンはこの馬に乗って、精神的な騎乗を行う。また、太鼓もシャーマンの馬と呼ばれている。装束、太鼓、冠にはそれぞれ意味を持っている。垂れ下がっている二本の布は蛇であり、馬に乗っている間、敵から守ってくれる。冠の二つの小さい板または仮面は祈祷の際自分の目を閉じているので、馬に乗っているとき、これを目として見るためである。冠の羽は守護霊の鳥を表している。

シャーマンは左手に太鼓を持ち、そっと静かにばちで太鼓をたたき始め、霊たちを呼び出す。静かな声で歌いながら、自分のところに助けに来てほしいと霊たちに嘆願する。この先は祈祷の目的によって異なる。歌の一つの例を示そう。

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9.DARHAD盆地の森林

モンゴル国の森林の多くはHangai、 Henti i、 Huvsgul、 Mongol Altai山脈という地域に分布している。特にShines(カラマツ)が多い。モンゴルでは森林の比率は国土の12.03%である。モンゴルの森林資源面積25%である420万haがフブスグル県にある。Darhad盆地の89.77万haの面積が森林である。このうち40.72万haがUlaan uul村、28.32万haが

Renchinlhumbe村、20.73万haがTsagaan nuur村にある。フブスグル県の森林資源の21.4%に当たる。

モンゴル国の森林植物に関してはDarhad盆地の東南側はTuv Hangai 地帯、西と北側はShishhed森林植物地帯に含まれる。この地帯はDed tag、Taigajuu、Uuliin taigaという高山区分に分類される。

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森林地帯にはShishhed川の流域、Ulaan Taigiin Nuruu(山脈)、Delger湖の流域も入る。この地帯は標高1600-2100mの間で、山のすべての斜面に木が生えている。Ded tagiin siireg oi(散在した森林)、Uuliin taigiin oi(山のタイガ森林)といった二つの区分がある。

Shishhed川の源付近の「もみの木」を含んだカラマツの森林の高さの違いが二つの場所で発見された。この場所はDarhad盆地の東南Ulaan uul村から東北に25km、北緯50°57、東経99°23の地点Shishhed川の源または二つの川の流域にもみの木を含んだカラマツの森林である。

Darhad盆地のHogorogiin zurkh山のカラマツの森林の高さの違いが二つの場所が発見された。この場所はDarhad盆地の西北、Renchinlhumbe村から90kmの北緯51°28.63、東経099°37.936の地点のSharga、Hogorog川の源のHogorogiin zurkh山のカラマツの森林である。もう一つはDarhad盆地の東北、Renchinnlhumbe村から20kmの北緯51°04.6、東経99°45.18の地点のArsai川のUlgii山のカラマツの森林である。

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Darhad盆地は森林、植物の分布においてTuv Hangai森林、植物の地域に含まれる。森林は特に山の斜面に多い。ここには山脈地帯の平原が長く続き、山の南側の斜面や山の北側の麓を森林が多く占める。森林にはシベリアカラマツがほとんどを占め、場所によってはシベリアHush、もみの木、カラマツなどの珍しい木が見られるのはこの地域の特徴である。山脈のタイガは実際には多く存在しない。Erchim山脈、Horidol Saridag山脈に小希望の土地に見られる。Horidol

Saridag山脈にDed tagiin 森林が標高1900-2300mに分布している。ここにはSuugt hagt、Huvdut形をした第5bonitetの0.3-0.4密度のHush、カラマツの森林が多い。Darhad盆地の南の囲む山々の標高1700-2000mの所にはタイガカラマツ森林がある。森の密度が濃い。森林の天然更新も悪くはないが、自然の風化がゆっくり行われる。森の密度は0.6-0.8である。天然更新は1haで3.0-4.000本、場所によっては10-15000本の苗木(カラマツ)が見られる。

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冬地 春地夏地 秋地

移動経路

識別記号

遊牧民の移動経路10.遊牧民の移動習慣とその歴史

Darhad盆地の遊牧民の移動経路の調査によるとRenchinlhumbe村、Ulaan uul村の多くの遊牧民は10月の初めから冬場所への移動が始まり、夏場所から冬場所までの移動距離は約50-170kmだった。冬は山の麓など風がこない場所を選び、夏はDarhad盆地に移動する。秋と春の季節は冬場所や夏場所付近で過ごす。移動する日数は家畜を使って6-7日間、多い時は10日間かかることもある。遊牧民は長年の間自然の支配下にあり、牧草地の状態や家畜の状態に合わせて移動する知恵に身につけた。

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11.フブスグル湖

 フブスグル湖はTureg語で「Kep Su keli」青い水の湖という意味である。長さは133.4km、幅は39.5km、湖の島などを入れないで湖面積は2612平方kmである。湖の最大水深はHuis島の西南にあり245.7mである。湖の右側には標高3000-3200mのHoridol Saridag、Bayan山脈があり、湖に面してい

る所は急な斜面である。Bayan山脈の一部が湖に入り込んでいる所がある。その中で一番大きいのはDulaan uul(山)である。湖の右側の山々の頂上は湖の岸から約5-10kmに位置する。湖の東の岸を沿って30の大小の川が流れ込む。

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フブスグル湖は南に細くなり、Hatgal村付近で細長い形を作り、南端のEgiin川に達する。フブスグル湖は大小46の川を含んでいて、その面積は5300 km2である。フブスグル湖にはHadan hui、Modon hui、Dalai hui、Baga huiという四つの島がある。一番大きいのは湖の中心にあるDalai hui島である。湖面から126m、長さ3km、幅2km、その面積は5.8平方kmで木で覆われている美しい島である。

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フブスグル湖は非常に深い湖で夏期は湖水面から50mの深さまでは暖かい。例えば:8月の湖水面の気温は9.6°、10mの深さで8.9°、25mの深さで7.2°、50mの深さで4.6°、100mの深さで3.9°、200mの深さで3.7°だった。フブスグル湖は9月の初めから湖面の凍結が始まり、11月の末に完全に凍結する。5月にフブスグル湖の湖面の凍結の融解が始まり、6月でも氷が残っていることもある。

モンゴル政府は1992年にフブスグル湖流域を特別保護地域として認定した。自然の総合地域という分類にも入る。ありのままの自然、歴史、文化、科学的環境、エコ教育などの大きな影響を与えること考え、総合的に特別保護地域としたのである。この地域を自然環境、植物、動物、歴史、文化的財産の保護、観光などの条件から特別観光制限地域にも分類されている。

フブスグル湖流域に59種類の哺乳類、244種の鳥、750種の植物が生息している。植物の中で60種類が薬草である。森林にはミンク、Oin solongo、Nohoi zeeh、Shuluus、 Huder、 Handgai、熊、猪、Bor gurus、 鹿、リス、Hadnii suusar、 Umhii huren、 Manuul、 Hyars,、雪豹、狼、トナカイ、野生の羊、野生のヤギなど沢山の動物が生息している。Gangar 白鳥、Yavlag sar、Altain hoilog、 Itesgen カモメ、Har tonshuul、Sondor gurgaldai、モンゴル雀、Yatga shaazgai、 Daguuriin yatuu などレッドブックに絶滅危惧種として登録されている鳥の多い。フブスグル湖流域の28%を森林が占める。255420haの土地にUliangar、Hus、 Anhiluun 柳、シベリアカラマツ、シベリアもみの木、Egelアカマツ、シベリアHush、シベリアJodooなどの木が生えている。

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フブスグル湖には1934年に200馬力の遊覧船を新しく組み立て誕生した。名前は「スフバートル」という。「スフバートル」遊覧船は1回で1200トンの荷物を運搬する。135kmの道を12時間かけて移動する。現在、使われている「スフバートル」遊覧船は1985年にフブスグル湖での海上運行が始め、40年間使用可能で全自動である。エンジンは800馬力のデイゼル

で、1800トンの荷物を引っ張る力がある。時速20-22km、霧の時は水と陸を見分ける。遊覧船の長さは41m、横幅8.5m、高さ10m、電力を補う二つのデイゼル発電所、60トンの燃料タンク、6トンの汚水タンクもある。現在「スフバートル」遊覧船は観光用に使われている。

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12.DARHAD盆地を代表する植物

larix sibirica Ldb.

Juniperus sibirica Burgsd. Ephedra monosperma S.G.Gmel.ex C.A. Mey.

Picea obovata Ldb.

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Lilium pumilum DC

Lilium martagon L.

Iris Potaninii M. Silene repens P.

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Dianthus superbus L. Dianthus versicolor F.

Arenaria capillaris P. Pulsatilla ambigua (Turcz.) J.

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Nymphaea tetragona G. Thalictrum petaloideum L.

Potentilla anserina L. Trollius asiaticus L.

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Aconitum czekanovskyi S.

Delphinium grandiflorum L.

Aconitum barbatum P. Palustris palustris L.

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Rosa acicularis L. Rubus arcticus L.

Dasiphora friticosa L. Paraguilegia microphylla D.

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Fragaria orientalis L. Chamaenerion angustifolium L.

Gentiana pseudoaquatica K. Geranium pratense L.

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Geranium pseudosibiricum J.M. Rhododendron Ledebouri P.

Linaria buriatica T. Lomatogonium rotatum (L.) F.

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Myosotis sauveolens W. Schizonepeta multifida L.

Echinops latifolus T. Pulsatilla flavescens (Zucc.) J.

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Chrysanthermum zawadskii H.

Veronicea incana L.

Pyrola incarnata (DC.)Leontopodium

ochroleucum F.

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   13.DARHAD盆地を代表する動物

Darhad盆地の広大な土地、美しい湖や川、青々とした森林の中に色々な種類の動物が生息している。我々の調査の目的の一つは動物の生態、特に野鳥の生態(移動、位置の特定)を詳しく調べることである。右図は調査域を示す。

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世 界 的 に 数 が 少 な く な っ て い る 鳥 と し て はHaliaeetus leucoryphys(VU)、Falco cherrug (EN)、Grus vipio(VU)、Aquila clanga(VU)、Falco naumanni(VU)、Otis Tarda(VU)またモンゴルのレッドブックの登録されているCiconia nigra、Pandion haliaetus、Cygnus Cygnus、Anser indicusなどであ

る。渡り鳥の集団としてはAnser indicus、Tadorna ferruginea、Anas strepera、Aythya ferina、Aythya fuligula、Bucephala clangulaなどが多く見られる。この地域にはユーラシアの高い山々、北の寒いタイガ地域とユーラシアの草原や砂漠に適した鳥が生息している。

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Ciconia nigra Grus vipio

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Cygnus cygnus Anser indica

Platalea leucorodia Falco columbarius

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Aegypius monachus

Haliaeetus albicilla

Otis tarda

Haliaeetus leocoryphus

Athena nogtua

Falco naumanni

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哺乳類

Lutra Ochotona daurica

Tamias sibiricus Scirus vulgaris

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Lepus Timidus

Citellus undulatus

Moschus moschiferus

Capreolus pygargus

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Canis lupus

Vulpes vulpes

Cerus elaphus

Sus scrofa

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P.ognevi

E.nilssoni

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14.DARHAD盆地を代表する蝶

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Brentis ino ssp., genus of Boloria

Genus of Clossian Speyeria aglaia ssp.

Genus of Fabricianas

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Coenonympha amaryllis ssp. Colias chrysotheme

Fixsenia ulmi, Thersamonia dispar aurata and Polyommatus erotides ssp.

Coenonympha glycerion iphicles and Erebia callias sibirica

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Hipparchia autoneo sibirica Polymmatus erotides ssp.

Genus of Pyrgus Genus of Melitaea

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