D・H・ロレンスの「木馬に乗った少年쓖 -不幸な家庭とそ...

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日本大学生産工学部研究報告B 2005 年 38巻 D H ・ロレンスの「木馬に乗った少年 -不幸な家庭とその寓意 須田理惠 D.H.Lawrence’s“Rocking - Horse Winner” The Allegoryof the UnhappyFamily Rie SUDA ‘The Rocking-Horse Winner’is saidtobe aparable whichdescribes the alienationof adults’minds from their childrenandtheresultingtroublethat incurs amongthefamily.As themovieversionhas shown that the scattered toys symbolize the family members’discord illuminating the family members’ incongruity,the storyalsouses the toyhorse as asymbol of aninsatiable desire for luxury. Although the topics described in the story contain one of the Lawrence’s common ones,the interpreta- tionof all thethemesseemstobediverse,accordingtotheallegorical meaning.Aswehaveseen Lawrence blamedthe mother for her alienationof the children’s minds.However,as the name Hester invokes inus the heroine of The Scar let Letter writtenbyNathaniel Hawthorn,Lawrence blamednot just women,but modernpeoples’minds whichwere alienatedintheir depths bythe reflections coming from moderncivilization. キーワード:寓話,木馬,家族,玩具,文明 木馬に乗った少年」はロレンスが様々なフォームで描 いた「不幸な家庭」を主題とした作品の一つである。主 人公の名前が「ポール」であることでも共通している長 編小説『息子と恋人』では,炭坑夫の息子という境涯で, 両親の不仲のうちに育ったポールの不幸が描かれている のに対して,「木馬に乗った少年」では中流の富裕な家庭 で育った息子の不幸が語られる。ここで特徴的なのは, 息子のポールが現代人の抱える曖昧な不安の内に滅ぼさ れて行く過程が描かれることである。 木馬に乗った少年」が書かれたのは1926年,ロレン スがイタリアのスポルトノ(Sportono)のベルナダ(Ber- nada)荘に滞在しているときであった。ロレンスはアス キス夫人(LadyCynthiaAsquith)編纂による『幽霊物 語』( The Ghost Book )にこれを投稿した。 それは『息 子と恋人』の出版から10年以上の歳月が経過していた。 ロレンスはイタリアでローマ人に滅ぼされたエトルリア 人の墓と出会った。「蛮族」を滅ぼして「偉大」な文明を 打ち立てたローマ人の業績を一顧だにしなかったロレン スは,文明から抹殺されて教科書にも登場しないエトル リア人が唯一残した壁画に驚嘆の目を見張る。 現在私たちはエトルリア人の墓でしか彼等について の知識を得ることはできないのだ。エトルリア文化を伝 えるものが少々あるとしても,それは決して一級のもの ではない。彼等を知るには彼等の墓から感じ,読み取る ―51― 日本大学生産工学部教養・基礎科学系助教授

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  • 論 文 日本大学生産工学部研究報告B2005 年 6 月 第 38 巻

    D・H・ロレンスの「木馬に乗った少年

    -不幸な家庭とその寓意

    須田理惠

    D.H.Lawrence’s“Rocking-Horse Winner”

    -The Allegory of the Unhappy Family

    Rie SUDA

    ‘The Rocking-Horse Winner’is said to be a parable which describes the alienation of adults’minds

    from their children and the resulting trouble that incurs among the family.As the movie version has

    shown that the scattered toys symbolize the family members’discord illuminating the family members’

    incongruity,the story also uses the toy horse as a symbol of an insatiable desire for luxury.

    Although the topics described in the story contain one of the Lawrence’s common ones,the interpreta-

    tion of all the themes seems to be diverse,according to the allegorical meaning.As we have seen

    Lawrence blamed the mother for her alienation of the children’s minds.However,as the name Hester

    invokes in us the heroine of The Scarlet Letter written by Nathaniel Hawthorn,Lawrence blamed not

    just women,but modern peoples’minds which were alienated in their depths by the reflections coming

    from modern civilization.

    キーワード:寓話,木馬,家族,玩具,文明

    木馬に乗った少年」はロレンスが様々なフォームで描

    いた「不幸な家庭」を主題とした作品の一つである。主

    人公の名前が「ポール」であることでも共通している長

    編小説『息子と恋人』では,炭坑夫の息子という境涯で,

    両親の不仲のうちに育ったポールの不幸が描かれている

    のに対して,「木馬に乗った少年」では中流の富裕な家庭

    で育った息子の不幸が語られる。ここで特徴的なのは,

    息子のポールが現代人の抱える曖昧な不安の内に滅ぼさ

    れて行く過程が描かれることである。

    木馬に乗った少年」が書かれたのは1926年,ロレン

    スがイタリアのスポルトノ(Sportono)のベルナダ(Ber-

    nada)荘に滞在しているときであった。ロレンスはアス

    キス夫人(Lady Cynthia Asquith)編纂による『幽霊物

    語』(The Ghost Book)にこれを投稿した。 それは『息

    子と恋人』の出版から10年以上の歳月が経過していた。

    ロレンスはイタリアでローマ人に滅ぼされたエトルリア

    人の墓と出会った。「蛮族」を滅ぼして「偉大」な文明を

    打ち立てたローマ人の業績を一顧だにしなかったロレン

    スは,文明から抹殺されて教科書にも登場しないエトル

    リア人が唯一残した壁画に驚嘆の目を見張る。

    現在私たちはエトルリア人の墓でしか彼等について

    の知識を得ることはできないのだ。エトルリア文化を伝

    えるものが少々あるとしても,それは決して一級のもの

    ではない。彼等を知るには彼等の墓から感じ,読み取る

    ―51―

    日本大学生産工学部教養・基礎科学系助教授

  • しかないのだ。

    暗い洞窟から一転して地上に出たロレンスはどこかに

    古代エトルリア人の血を引いている独特の顔を捜し求め

    ている。『息子と恋人』(1913年)から13年を経てロレン

    スの目にはさらに混沌とした現代社会が映っている。ロ

    レンスは近代文明の進歩にもかかわらず人間を不幸にす

    る文明に対して危機感を感じていた。ロレンスの作品は

    その反映なのである。

    小説『息子と恋人』で,ポールは母親の死にかかわら

    ず克己してゆく「成長」を暗示させて終わる。一方この

    作品での母親は息子の成長を見ることもなく,息子の死

    をもって酬いられる。物語ではやや曖昧な「不幸」とい

    う設定は映画にもなった「木馬に乗った少年」において,

    現代における母と子の繫がりや,夫と妻の関係が「愛」

    の代りに「金」と「もの」で代用されている家庭がクロー

    ズアップされる。家の中に散乱する贅沢な子供の玩具は

    「金」と「もの」の象徴であり,悲しき玩具は,そこから

    逃れられない現代人の物質主義に翻弄される姿を浮き彫

    りにしている。

    さらに「木馬に乗った少年」は現代の大人の子供の心

    を理解しようとしない無関心や,人生を皮肉に見たり,

    絶望視している虚無感が子供の心を支配してしまう過程

    が描かれている。希望や夢は心の成長の養分であるが,

    夢や希望のない家庭で健全に子供は育たないし,小説で

    は両親の曖昧で打算的な生活態度に心のよりどころを失

    う少年が暴力的な衝動に駆られて自らの死を招くという

    悲劇が語られている。

    この寓話をもっとも悲劇的にするために一役買うのが

    「木馬」である。英国の中流家庭では有り触れた玩具の「木

    馬」は子供の成長のためを思う親心の象徴なのだが,こ

    こでは「木馬」が皮肉にもポールを死へと追いやる道具

    となっている。「木馬」は見逃すことのできない象徴的な

    「もの」であり,それに振り落とされて死んでしまうポー

    ルを描くことによって,ロレンスは彼の特徴的な現代文

    明についての予言的終末論に寓意(アレゴリー)を込め

    ているのである。

    第一章

    ロレンスは人生を「炎のように」感じて生きることを

    信条とする作家であった。「木馬に乗った少年」の中の息

    子のポールの死は報われることはなかった。短い人生が

    かならずしも炎のような人生ということはできないので

    ある。

    少年のポールは無謀にも母の絶望的な人生に「幸運」

    をもたらそうとして力尽きて死んでしまう。しかしこの

    寓話は母のへスター(Hester)がホーソンの『緋文字』の

    主人公と同じ名前を使用していることでさらに興味が深

    まる。弟のオスカーが語る言葉にはヘスターの子供に対

    する態度への辛らつな偏見が表明されている。

    And even as he lay dead,his mother heard her

    brother’s voice saying to her:“My God,Hester,

    you’re eighty-odd thousand to the good,and a poor

    devil of a son to the bad.But,poor devil,poor devil,

    he’s best gone out of a life where he rides his rocking

    -horse to find a winner.”(980)テクストからの引用は

    ページ数で表記した。

    臨終の時,へスターは弟が自分にこう言っているのを

    聞いた。「へスター,君は八万ポンド余り儲けたが,その

    代わりに,あのかわいそうな息子を死なせてしまったね。

    かわいそうに,かわいそうに,もうこの世にいないが,

    この世では,あの子は勝ち馬を求めて木馬に乗るだけの

    人生だった。

    辛らつに響く言葉でロレンスは現代の「母親」全体に

    向けた憤懣の意を表明したのだろうか。『息子と恋人』で

    はロレンスは父のモレルを官能的な肉体の持ち主として

    描き,夫と相容れない妻が子供に愛情のはけ口を求めた

    苛烈な姿を描いた。しかし『息子と恋人』には確かに子

    供に「愛情」を持った母が描かれていた。『アメリカ古典

    文学研究』でロレンスはへスターとその「夫」との関係

    に言及して次のように述べている。

    ディムズデールの霊的な愛なるものは嘘であった。人

    気ある牧師たちがやるように,説教を重ね,高潔な態度

    を示して女の心を捕え,その霊的な愛なるもののために

    見をまかせるまでに女をしむけたものは,悪意とは無縁

    ながら途方もない嘘であった。それがばったり倒れたわ

    けだ。

    さらにロレンスは『緋文字』の中の次の文章を掲げて

    いる。

    Here,there was a taint of deepest sin in the most

    sacred quality of human life,working such effect,that

    the world was only the darker for this woman’s

    beauty,and more lost for the infant she had borne.

    ヘスターの場合には,人間の生命のもつ最も神聖なも

    ののなかにすら最も極悪の罪の汚れがあった。世界はこ

    この女の美貌のゆえにいっそう暗さを増すだけであり,

    女の生んだ嬰児のゆえにいっそう呪われてゆく,という

    結果を,この汚れは生じていたのである。

    ―52―

  • ロレンスの『緋文字』の主人公へスター・プリンに対

    する見解とは,ホーソンによって描かれた女性の豊かな

    文化の欠落と,それを助長するようにヘスターの胸に輝

    く金糸の異様な刺繡の「A」という文字に象徴化された

    ピューリタニズムの文化の滑𥡴さを見ていることは明白

    である。

    A.The Scarlet Letter.Adulteess!The great Alpha.

    Alpha!Adulteress!The new Adam and Adama!Amer-

    ican!

    『A』の文字。燃えるような緋の色の『A』の文字。『姦

    通した女』の頭文字!ギリシャ語のアルファベットのっ

    最初を飾るアルファもA。アルファ!アダルタレス!新

    しいアダムとアダマ!アメリカ人!(みんなAだ。)

    ホーソンに体現されるアメリカ人の持つ分裂した意識

    に言及してロレンスは『緋文字』を寓話だと述べ,「地獄

    の意味を持つ世俗的な物語」と批評し,『緋文字』を土台

    としてアメリカ人の二重意識と罪深い文明を語った。

    『アメリカ古典文学研究』でロレンスはベンジャミン・

    フランクリンからウォルト・ホイットマンまでの代表的

    アメリカ人批評した。ロレンスが感じたアメリカ人作家

    が異句同音に表現したものとは 一切のものから逃

    れるため」アメリカ人が自分自身から逃れる自分の分裂

    気質であった。ホーソンの『緋文字』ではヘスターに投

    げる言葉はへスターの姦通の罪を責めるというよりもむ

    しろ空虚なアメリカ文明を築くもととなった人間味のな

    さ,肉体の欠如を招いた運命そのものを罵倒するのに似

    ている。

    それゆえにロレンスは「アメリカ人は自分自身を破壊

    しなければならぬように定められている。それは彼の宿

    命なのだ。白人の心情そのもの,白人の意識そのもの,

    その総体をそっくり破壊しさることが,アメリカ人の負

    わされた宿命なのである。 と破滅的アメリカ文明論を

    語るのである。そしてそれが我々が享受している現代文

    明の真の姿だと言うのである。

    第二章

    子供と大人の知識の差とは何なのだろうか。子供と大

    人を結びつける接点はあるのだろうか。「不幸な家庭」と

    はおそらく大人にとって些細と思われる子供の訴えを無

    視し,理解しないことから生まれるのであろう。「不幸な

    家庭」に育ったロレンスが父と母の絶えざる諍いを経験

    して得た結果とは,大人たちがつまらぬことに捕らわれ

    て人生の喜びを見出せず,本当に自分のしたいことを見

    つけることこそ人生の醍醐味であり,それは本能的に生

    きることだということを忘れていると えた。ロレンス

    は,直感を頼りに生きる知識を「血の知識」“blood con-

    sciousness”と呼んだが,本能や直感を信じることは,子

    供の知恵とかなり相似している。ここからはテキストの

    筋に添ってポールがいかにして追い詰められてゆくかを

    えてみたい。

    There was a woman who was beautiful,who started

    with all the advantages,yet she had no luck.She

    married for love,and the love turned to dust.She had

    bonny children,yet she felt they had been thrust upon

    her,and she could not love them.(967)

    テキストにはロレンスがたびたび取り扱う結婚や性の

    問題があり,それに纏わるお金とブルジョワ階級の野蛮

    さも暗に言及されている。そこにはロレンスの女性に対

    する独特の「女性に高等教育は必要ない」といった偏見

    も相俟って「ロレンスらしい」“Lawrentian”小説として

    も読めるのである。だがこの物語が寓話である由縁は,

    先にも述べたが,子供の心を大人はわからない,大人は

    分かっているようで,子供にも分かるよう人生を過ごし

    ていない,コミュニケーションの欠落である。殊に中流

    階級がいかに社交にかまける人生を送って子供の心を忘

    れ,はじめにあった「愛」が消えてしまっていてもわか

    らないか,「愛」を育むきっかけも断たれてしまっている

    かが象徴的に語られているのである。

    さらにはここに登場する母親は幸福が天から授かるも

    のと思い,美貌や家柄に恵まれている自分が不幸なのは

    「運」に恵まれないからだと えている。実は「愛らしい」

    “bonny”子供たちを授かっているのに,子供を「押し付

    けられた」“thrust upon her”と感じているところに母

    である実感を感じていない女性が描かれている。

    主人公の少年ポールは母が「不運」を嘆く気持ちが分

    からない。なぜならばポールは庭付きの快適な家に両親

    と妹たちと,慎み深い召使がいて,隣近所の誰からみて

    も一番よい家庭と思っているからである。

    There was a boy and two little girls.They lived in

    a pleasant house,with a garden,and they had discreet

    servants,and felt themselves superior to anyone in the

    neighbourhood.(967)

    子供のポールには自分たちのように恵まれた環境にい

    るものになぜ漠然とした「不安」や「不足感」が家中か

    ら聞こえてくるのかわからない。父と母は自分たちの稼

    ぐお金では満足できないのである。

    Although they lived in style,they felt always an

    anxiety in the house.There was never enough money.

    ―53―

  • The mother had a small income,and the father had a

    small income,but not nearly enough for the social

    position which they had to keep up.The father went

    into town to some office.But though he had good

    prospects,these prospects never materialized.There

    was always the grinding sense of the shortage of

    money,though the style was always kept up.(967)

    夫婦の関心事が子供ではなく,自分たちのスタイルを

    持つ生活を守ることに費やされているのが判明する。「社

    交」が彼等のもっぱらの関心事なのである。ここで語ら

    れている「スタイル」とは体裁とも置き換えて言うこと

    ができ,中流階級の人間に対するロレンスの攻撃的な言

    葉には独特の感慨が込められている。すなわち,この種

    の人間はロレンスに言わせるならば,前述した生きる手

    段を持っていないということである。中産階級に属して

    いると えている人間が自分の欲求を充たそうとすると

    き,そこにはかならずお金が必要だと える思 経路が

    できている。

    At last the mother said:‘I will see if I can’t make

    something.’But she did not know where to begin.She

    racked her brains,and tried this thing and the other,

    but could not find anything successful.The failure

    made deep lines come into her face.Her children were

    growing up,they would have to go to school.There

    must be more money,there must be more money.The

    father,who was always very handsome and expensive

    in his tastes,seemed as if he never would be able to do

    anything worth doing.And the mother,who had a

    great belief in herself,did not succeed any better,and

    her tastes were just as expensive.(967-968)

    第三章

    愚かな母親」は家庭を救うのが自分だということを遅

    まきながら理解し始める。母親は「私に何かできないも

    のかしら」と自分にできることを探し始めるが,「仕事」

    をしたことのない彼女にはどこから始めていいのかわか

    らなかった。どれほど知識を絞ってあれこれやってみて

    も,何一つうまくいかない。絶望で彼女の顔には深い皺

    ができてしまう。子供たちも成長して学校に行かなけれ

    ばならない年齢になって行く。それで家のどこでも「もっ

    と金が必要だ。もっと金が必要だ」という声が聞こえる

    ようになる。だがハンサムで金のかかる好みを持つ夫の

    稼ぎは妻からするとかろうじて生活できる程度で,母親

    も自力で成功する見込みはない。しかも夫婦はともに倹

    約よりもお金のかかる趣味にしか興味がないのだった。

    家にはいたるところで子供に「もっとお金がなければ,

    もっとお金がなければ」という声が聞こえる。

    It came whispering from the springs of the still-

    swaying rocking-horse,and even the horse,bending

    his wooden,champing head,heard it.The big doll,

    sitting so pink and smirking in her new pram,could

    hear it quite plainly,and seemed to be smirking all the

    more self-consciously because of it.The foolish

    puppy,too,that took the place of the teddy-bear,he

    was looking so extraordinarily foolish for no other

    reason but that he heard the secret whisper all over

    the house:‘There must be more money!’(968)

    いつも揺れている揺り木馬のばねからも,その声は囁

    き出た。木製の首を垂れ,歯をカタカタ鳴らしている馬

    でさえ,その声を聴いた。新しい乳母車に坐って,ピン

    ク色の服を着,気取った笑いを浮かべている大きな人形

    も,とてもはっきりとその声を聞くことができ,そのた

    めになお間の抜けた顔の子犬もまた,家中至る所で秘密

    の囁きが聞こえるというだけの理由で,全く間の抜けた

    顔をしているように見えた。

    子供たちには聞こえる「もっとお金が必要だ」という

    声は,しかし,大人には聞こえていない。いつも「頓珍

    漢」な回答しかしていないと読者には思われる母に息子

    は,自分の知恵を貸せるものなら貸してやりたいと思っ

    て,ずばり聞く。

    うちも車を持ったらどうなの?どうしていつもおじ

    さんのを使ったり,タクシーを使うの?」と聞くポール

    に「それねえ 多分」と母親はゆっくりと苦々しく

    言って,「それはお父さんに運がないからでしょうね」と

    答える。(968)

    母親は子供が知りたいことを具体的に答えていない。

    家にお金がないことと「お父さんに運がない」こととは

    関係がないし,また,父親に「運がない」かどうかも分

    からない。また「運」とは一体何なのであろうか。

    ポールの家族は批評家スナッドグラスの言うように

    「自分たちが何であるかについての本当の知識がないた

    めに,彼等の探索のサーチライトや知識を外界に向けて

    (自分たちとは本当には関係のない)外の世界を支配しよ

    うとしている のであろう。母は自分の感情が本当には

    どうなのかを明確にすることを拒否していて,自分と世

    間を「やさしくて子供のことを思う母」の役割をするこ

    とで自制しようとしている。

    第四章

    一体小説の中で母と子供はどのように乖離していて,

    ―54―

  • 意思の疎通を欠いているのであろうか。ここでの母と子

    供の会話は,世間的にはあまり評価されていない母親が

    子供と接するときに,子供はいかに偏見に満ちた存在に

    育ってしまうかを如実に物語っている。Janice Hubbard

    Harrisは「お金が人生で大事だと えている,人生を社

    交生活と同一視している母親は若い世代に危険な影響を

    与えている」と警告している。

    家にお金が十分にないのは母に言わせれば「運」が悪

    いからなのだ。しかしポールが母に「運とはお金のこと」

    と聞くと母は「運とはお金を儲けさせるものだ」と答え

    る。というのもポールは叔父が悪銭“filthy lucre”とい

    う言葉を悪運“filthy lucker”と聞き違えてしまうから

    だ。(968)

    このような言葉の取り違えや聞き違いは母と息子のコ

    ミュニケーションの欠落を示している。少年の家には息

    子の心の成長を気遣う親はいない。何気なく交わされる

    母と息子の会話に象徴される「粗雑さ」は物語の展開に

    重要な鍵を与えていて,後半の少年の運命を決めるに決

    定的な効果を果たす。悲劇は母親が漠然と感じている夫

    に対する不満を息子が敏感に感じてしまうことである。

    そもそもこの家庭における父の影は薄い。したがって少

    年は「運」悪く生まれついた父親に代って「運がいい」

    と勝手に思い込んだ自分が母を幸福にしてやればよいと

    えるようになる。さらにここには大人の邪悪さが現れ

    ている。母親は子供に自分が運がないのは運のない父親

    と結婚したからだと暗に子供の父を批判することで,子

    供を持った不幸の鬱憤を晴らしている。そして母親の不

    幸によって子供はなんともいえない絶望感を持つ。ポー

    ルは母の絶望感を払拭しようと「自分は幸運に生まれつ

    いている」と言い,「どうして」と問う母に「神様がそう

    言った」(969)と答えて母をなんとか自分に注視させよ

    うと願うポールは途方もない人生の賭け,幸運な人間に

    なる鍵を求めにさまようことになってしまう。

    一般の人間であれば人生の終わりになって初めてする

    ような途方もない人生の賭けを幼いポールはすることに

    なる。

    ポールは「子供っぽい,漠然とした」やり方で,「幸運」

    の手掛かりを探し求めて,一人で出発する。夢中になっ

    て,他人のことなど全く眼中になく,いわばこそこそし

    たやりかたで,ひそかに幸運を捜した。彼は幸運がほし

    くて仕方がなかった。二人の妹たちが子供部屋で人形遊

    びをしている時,ポールは自分の大きな玩具の木馬に

    乗って,妹たちが不安そうに彼を見詰めるときに,狂人

    のように木馬を虚空へと駆り立てる。荒々しく,馬は疾

    駆すると少年の波打つ黒髪が激しく上下に揺れ,目は異

    様な光に輝く。妹たちは彼を恐れ,話しかけることもで

    きなかった。(969)

    第五章

    ポールをいわば「狂気の沙汰」へ追いやる過程に大人

    の男たちの介在は見過ごすことができない。ここに庭師

    と叔父の介在がある。男たちの子供への影響も計り知れ

    ないものがあるのだ。というのも初めに競馬の馬券を

    ポールに買って与えたのは叔父の関与で庭師をしている

    バセットであった。そしてどうもポールの勘は当たるら

    しいという見当をつけた叔父(母の弟)のオスカーはポー

    ルの言うとおりに馬券を買い大もうけをした。母のへス

    ターの家系は賭博師の家系と暗に言及されている。

    賭博師の血統だという述懐はポールの叔父のオスカー

    (Oscar Cresswell)の介在で表面化する。(977)オスカー

    はある日,へスターと共に子供部屋に入るとポールがも

    のすごい形相で揺り木馬を駆り立てているのを見る。だ

    がポールは夢中で彼等に見向きもしない。木馬を降りる

    とポールは「着いたぞ」という。「どこへ着いたの」と問

    う母にポールは「自分が行きたかったところへさ」とかっ

    として母親を見返す。すかさずオスカーは「その通り。

    君」と茶化す。さらに「そこに着くまでは決してやめて

    はいけないよ,ところで,馬の名はなんていうの?」と

    聞く。その名前は一週間ごとに違う。先週はサンソヴィ

    ノ(Sansovino)だったと言うと,競馬通のオスカーはそ

    れがアスコット競馬の優勝馬だったことを確認し,さら

    に妹のジョーン(Joan)によってポールが「いつもバセッ

    ト(Bassett)と競馬の話をしている」(970)という情報を

    得る。

    庭師のバセットはオスカーの計らいでポールの家に住

    み込むことになったがもともとオスカーの当番兵(bat-

    man)だったと解説される。第一次世界大戦で左足を負

    傷し,オスカーの伝(つて)で現在の仕事についたが完

    璧な競馬狂なのだ。(970-971)ポールとバセットはポー

    ルが与える情報で共同で馬券を買い,儲けていたのだ。

    (971)

    We’re partners.We’ve been partners from the first.

    Uncle,he lent me my first five shillings,which I lost.

    I promised him,honour bright,it was only between me

    and him;only you gave me that ten-shilling note I

    started winning with,so I thought you were lucky.

    You won’t let it go any further,will you?(971)

    これを聞いたオスカーは彼等の「賭け仲間」に自分も

    入れてもらい,分け前をいただこうと える。その結果

    彼等はかなりの額を儲け,ポールは自分の名義で一万ポ

    ンドも稼いだ。

    ポールは叔父に頼んで,いつも「お金が足りない」と

    ―55―

  • 思っている母親に,弁護士を通して誕生祝に五年間,千

    ポンドずつ匿名でプレゼントする。へスターが最初のプ

    レゼントを受け取ったとき貪欲にも彼女は五千ポンドを

    まとめて借金の返済に回せないかと弁護士に頼むのだっ

    た。だがこの後でも家の中の「もっとお金がなければな

    らない」という声は消えるどころかますます高まり,そ

    の声はますます大きくなり,狂気じみてくる。ポールは

    緊張し疲れ果てながらも何とか幸運を招く木馬に拍車を

    駆け続ける。その頃には彼の乳母も離れる年頃になるが,

    競馬で勝ち馬を当てられないので,幼児のための木馬だ

    けはポールは手放さず,家の最階上の寝室に置かれるこ

    とになる。(978)しかし賭け事の幸運も長く続くはずも

    なく,あたかも賭博師が人生の凋落に直面するように

    ポールの木馬で当てる感も鈍ってくる。ポールは競馬で

    金を損し始め,その形相は「まるで彼の中で何かが爆発

    寸前のようにぎらぎら輝いていた」(978)のである。

    ポールの眼の表情が刻々と変化してゆくことで年齢的

    には子供であっても賭博にのめり込んで行くに連れて心

    が憔悴し,まるで敗残者となり意気消沈してゆく様子が

    描かれる。

    ダービーを迎えるにつれてポールの心のすべては勝利

    につながれる。その二日前に両親はパーティーへ行って

    夜遅く戻ってくる。へスターはずっと息子のことが気が

    かりだったので,息子が安心して眠っているかどうかを

    部屋に見に行く。彼女が部屋に近づくにつれて部屋から

    は重苦しく馬を駆る音が聞こえる。戸を開けるとポール

    が気が狂ったように木馬に乗って燃えるような目をした

    息子を見る。息子は「マラバー」(979)と叫んでその場

    に意識を失って倒れてしまう。へスターはオスカーにマ

    ラバーが何だか訊ねる。するとオスカーはその勝ち馬の

    情報をバセットに伝えて馬券を買わせる。ポールは三日

    経っても意識を回復しなかったが,バセットはマラバー

    が優勝して7万ポンド儲けたと伝える。つかの間意識を

    回復するポールは最後に「僕,運がいいよね」(980)と

    誇らしげに母に言うが,その晩,ポールは死んでしまう。

    結論

    『息子と恋人』から13年を経てイタリアで書かれた「木

    馬に乗った少年」におけるトーンはロレンスの嘆きであ

    る。ここで描かれている風景は寒々としていて『息子と

    恋人』で予感された親と子の絆は完璧に絶たれてしまっ

    ている。特に父親は明確な言葉を語らないし,母親は自

    分の居場所もわからない。悲劇は「お金」や「もの」が

    もたらしたものだが,大人の利己的で汚れきった世界に

    翻弄され続けた純真無垢なポールの善意は若い命をむざ

    むざと家庭内で滅ぼされることになる。ポールの死は残

    された大人たちにむなしい生を喚起させるが,同時に

    ポールを死に追いやるしかなかった自分たちの生き様も

    まざまざと見せられた。ロレンスはここに彼の現代人に

    対する悲劇的な寓意を込めたのである。

    1)Peter Preston,D.H. Lawrence Chronology p.124

    (St.Martin’s Press,1994)

    2)D.H.Lawrence,Cambridge Edition of the Works

    of D.H. Lawrence, Sketches of Etruscan Places

    and Other Italian Essays ed.by Simonetta De

    Filippis,p.9(Cambridge University Press,1922)

    (和訳 筆者)

    3)D.H.ロレンス,『揺り木馬の栄冠』とアンソニー・ペ

    イリーシェイ監督の映画,翻訳と編集 中西義弘

    (晃学出版 2003年)所収,p.65 ジュリアン・スミ

    スは「『揺り木馬の栄冠』の上流社会構造」のなかで

    「主として,話題の家のモデルにカメラが移動する冒

    頭のトラヴェリング・ショット,主人公である子供

    が雪のなかで遊ぶ時の最初に彼の眼に見える景色,

    圧迫するように歪ませたレンズとカメラ・アングル

    の使用,「玩具」が最後に燃える場面 ……」と

    引用し,揺り木馬と共に玩具がクローズアップされ

    たことも視覚的配慮として使用された成功を語って

    いる。

    4)D.H.Lawrence,The Tales of D.H. Lawrence

    (William Heinemann LTD,1948)(和訳 筆者)

    5)D.H.Lawrence,Studies in Classic American Lit-

    erature,p.95(Penguin Books)1961(和訳 野崎孝

    参照)

    6)Nathaniel Hawthorne,The Scarlet Letter,(Pen-

    guin Classics 1983)p.53(和訳 太田三郎参照)

    7)Studies in Classic American Literature,p.94(和訳

    太田三郎参照)

    8)Ibid.,p.90(和訳 野崎孝参照)

    9)W.D.Snodgrass,‘A Rocking Horse:The Symbol,

    The Pattern,the Way to Live’,Hudson Review

    11,2,Summer 1958 D.H. Lawrence Critical Assess-

    ments ed.Ed.by David Elis and Ornella De Zordo

    Vol.III.p.428

    10)Ibid.

    11)Janice Hubbard Harris,The Short Fiction of D.

    H. Lawrence p.225

    参 文献

    1)D.H.ロレンス名作集 鏡味国彦・野口共訳 文化書

    房博文社 1982年

    ―56―

  • 2)D.H.ロレンス『アメリカ古典文学研究』4 野崎孝

    訳 南雲堂 1987年

    3)河出世界文学大系24(『緋文字』については太田三郎

    訳を参照)1980年

    4)Gibbon,Edward,The History of the Decline and

    Fall of the Roman Empire Vol.I,II,III(Penguin

    Classics,1995)

    5)Totev,Stela Kostova,Variation on Mothrhood in

    Woolf, Lawrence and Joyce (University of Otawa,

    2001)

    (H17.1.10受理)

    ―57―