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1 日本傳染病學會雜誌 第五 巻 第五 原著及綜説 ヂック・ 「 テスト」 は猩紅熱に對する感受 猩紅熱問題 其二 滿鐵衞生研究所 ヂック「 テスト」 が眞に猩紅熱に對する戚受性を指示するものなるや否や 率この關係、第二にヂック反應ご血清中の抗毒素この關係、更に第三に猩紅熱罹 觀察する事が出來る。第一 の問題は更に( イ) 烈ッ 東 刻反應ご罹患峯及び( ロ ) 的及び性別關係の二點より考察せられる。 一 、ヂック反應ご猩紅熱罹患 ヂック夫妻( 192 9 ) に據れば、二萬入百五十六人のヂック陰性反應者は何れも一 乃至數囘の す、其中の二千百五十人は醫師、 看護婦、附添等にして猩紅熱患者に日常接觸し居たるに拘らす、 唯一 名の を除いては一名も猩紅熱に罹患せざりしご云ふ。豐田岡は患者に接觸する機會ありし者( 醫師、 附添、 看護 者を持つ小學生)三百十五名中ヂック陽性者九十五名、同陰性反應者二百二十名ありしが、前者よりは十六名( 十六 入%) の患者を出せるに後者よりは一 名も罹患者なかりし事を報告して居る 。Tom s cik はハンがり に於ける試驗 安東=ヂヅク・ 「 テヌト」 ば猩紅熱に封する感受性を示すか 四七一

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1

第五巻第五號

昭和六年二月二十日

ック・「テ

スト」は猩

に對

る感

猩紅熱問題

其二

滿鐵衞生研究所

ック「テ

スト」が眞

に猩紅熱に對す

る戚受性を指示す

るものなるや否やを判定す

るには、第

一にヂ

ック反應

ご罹患

率この關係、第

二にヂ

ック反應ご血清中

の抗毒素この關係、更

に第三に猩紅熱罹患ごヂ

ック反應の變化

この三點よウ

觀察す

る事が出來る。第

一の問題は更に

(イ)烈

ッ東刻

反應

ご罹患峯及び

(ロ)ヂック陽性峯

ご罹患峯この年齡的、人種

的及び性別關係

の二點より考察

せられる。

一、

ヂック反應ご猩紅熱

罹患

ヂック夫妻

(1929)に據れば、

二萬入百五十六人のヂック陰性反應者は何れも

一乃至數囘の流行

に遭遇せるのみなら

す、其中の二千百五十人は醫師、看護婦、附添等

にし

て猩紅熱患者に日常接觸し居たるに拘らす、唯

一名

の疑似患者

を除

いては

一名

も猩紅熱

に罹患せざりしご云ふ。豐田岡は患者

に接觸す

る機會ありし者

(醫師、附添、看護鑑、同胞

に患

者を持

つ小學生)三百十五名中

ヂック陽性者九十五名、同陰性反應者二百

二十名ありしが、前者よりは十六名

(十六・

入%)の患者を出せるに後者よりは

一名も罹患者なかりし事を報告して居

る。

Tomscikは

ハンがり

に於ける試驗

東=ヂ

ヅク・「テヌト」ば猩紅熱

に封す

る感受性

を示すか

四七

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の"

安東

=ヂ

ック・「テスト」に猩紅熱

に對する感受性

を"示すか

四七二

第一表 ヂック陽性者 と同陰性者 この罹患峯比較

N. B. Hirszfeld: Seuchenbekampfung, 1929, 6, p. 215.

Sparrow: C. r. Soc. Biol., 1926, 94, p. 1091.

豐 田太 鄭: 實 驗 醫 學 雜 誌, 1929, 13卷p.447,

Debre, Lamy et Bonnet: Ann. de Med., 1926, 19, p. 457.

Sparrow et Kacyriski: G. r. Soc. Biol., 1927, 97, p. 1476

其 他 ばFriedemann, U. (K1. W., 1928. pp. 2277 und 2325) よ り

第二表 ヂック反應の

程度 ご罹患率(豐 田)

を總

括し

て之

ご同

の成績

を報告

て居

る。

尚ヂ

ック陽性

反應者

の罹患

が同陰

牲反應

の夫

より邁

かに大な

る事

は第

一表

に綜括

の成績

が明

示す

るのみ

ならす、

英國

の成

総括

O. Brien

告、

エーデ

に於

Jacobsohn, Jundell und Lonbergの

報告

亦之

を肯定

て居

る。

の諸成績

りも更

一層、

ック反應が

猩紅熱縞

する戚受性の指示こして如製

適當なるかを理解せしむるものは次に示す豊田諤

統計

(第二表)である.

ヂック反應が猩紅熱罹患率良

く併行す

る事至

述の如客

國に於ける多數の統計祭

す所で

ののなが.少數例の觀

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3

ながら

ック反應

性者

の罹患

が第

一表以

にも報告

せら

て居

(Ueichen, Gerbasi, Todorovic

, Buschmann,

Cobby,(以

v. Groer und Redlich

より) Sparrow et Kacynski, Zlatogoroff und Mittelman等

)勿論

デッ

ク,反應

は單

受性

の程度

を示す

にし

て、絶

的不戚

徃を指

示す

るも

に非

る故、

ック陽

性反應

の罹患

其事

重大

な問

ではな

い。

墨掲諸

の報

告も多

は單

に陰性

反應者

も罹

患す

ご云

ふに過ぎ

ぬが、ブデ

ー易

UOskocilは三

のヂ

ック陰性

中七

名罹

患し

五名

のヂ

ッグ陽性者

一名

も罹

せす、

又十

三名

の陰性

者中

六名

罹患し

一各

陽性者は罹患

せざりし例を擧げ

Onetoo

, Knight

s等はヂ詞屠

陰性者

も多數罹患す

る故ヂヅ

ク・「テ

スト」は信頼す

るに

足らすと唱

へ、ゴスト

Mstibowsky

は六七九名

の肉「刻陽性又は混合陽性者

の中入十名

は猩紅熱を經過せる者

なりしを以て見れば嚴密

に特異的なりとは云ひ難しと云ふ。然し

ながら第

一に問題となるは是等の諸氏

の使用

せる

毒素が果し

て適當

なるものなりしやの點であ

る。是等

の不充分な報告以外には陰性反應者

に於て陽性反應者より罹

患率大なりと云

ふ確實な事實を指適した者は無

い。然しながらヂ

ッグ、陰性反應者の罹患と云ふ事は多少

の考察を要

る事勿論である。先づ第

一に考

へら

ゝ事は皮膚試驗量の不足にし

て、ヂスク

毒素

の檢定は實際上甚だ困難な

故、使用毒素が

一皮膚試驗量

(皮膚單位)に滿たざりし事であ

る。次に實際

一單位を使用せるに拘らす陰性反應者中

に罹患者あり

とすれば、此試驗量

(叉は單位)を増して

二、三單位を使用せねばならない。第三

に觀察時聞の關係、注

射技

術上の過誤等

により陽性なる可き者が陰性と誤まられし場合。第四にヂック

・「テ

スト」に使用せる毒素と性質的

に異る毒素を産生す

る菌による威染。第五

にヂック反應が比較的短期間内

に動搖し、「テ

スト

」陰性なりし者

が後に陽

性となり其時に偶

ゝ罹患せる場合等

の事が考

へられる。Friedemann und Ueicherはヂ

ック陰性なりし者が三週後に

陽性

となり其後直

に罹患せる

一例を偶然發見報告し

て居

る。

ヂック

反應が、同

一個體

にて多少動搖す

る事

に就

ては

「ヂ

ック反應

の動

」の項

に邇

る。

二、 ヂ

ク反應

罹患

の性別

及人種

別に於

平行

安東=ヂック・「テヌト」猩

紅熱に封する感受性を示すか

四七三

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安東=

ック・「テヌト」は猩紅熱

に對

する感受性を示すか

四七四

豐凪(80)

の報告

によるに猩紅熟患者三千人中男四十九%女五十

一%にして.健康者

一萬三千入のヂ

ック陽性峯を見

に男三十四・六%、女四十九・九%更に大連の樹人

二禺の罹患率は男三十

一・九、女三十七・七

にし

て兩者は良く卆

行して居

る。

南滿洲に於

て日本人

の猩紅熱罹患峯が支那人

の夫

に比し

て著しく高き事は

一般

に信ぜらる

ゝ所にして、

滿鐵浩線

ては日本人三・〇六%、支那人〇・一二%、關東洲内

にては日本人

二・五六%、支那人〇・〇二%であ

る(關東廳保健調

査會調査)。勿論支那人患者の申告

洩れは相當

大なるものなら

んも、日本人の罹患峯

は遙

かに支那人

の夫より大なる

のと思はれ

る。ヂック反應

の成績も之と李行し

て、豐田(80)

に據れば日本人

(一萬

一千

二百入十四人中)の陽性峯三

七・三%、支那入

(三千百六十八人中)の陽牲峯

一九

・四%、安東、西村及尾崎(1)(60)

に據

れば

日本人

(二千八十

一人)三六

%、支那人

(四百三十

一入)一七

・九%、強陽牲反應者

のみを探れば支那人の二・一%

に謝して日本人は

一三・二%であ

る。水島

は朝鮮に於て日本人

(二七三九人)の陽性拳四四%、鮮人

(三

一六八人)二二%な

る數を舉げて居

る。而し

朝鮮

に於ける日鮮人の猩紅熱患者數を見るに、内地人は朝鮮人より遙

かに人口小なるに拘らす、其猩紅熱患者數及

死亡數は甚しく大である(大正八乃至十三年間の六

ヶ年間

に内地人三千四百四十六名、鮮人六百七名罹患)と云ふ

(豐

田(79)

)。

文化低

き鮮人の申告洩れの大なる事は滿洲

に於けると事情全く同

一なら

んも.鮮人が猩紅熱に樹し

て、戚受

性少き事は想像せられる。

三、各年齢に於ける猩紅熱罹患率

猩紅熱罹患傘

一歳

未滿にて極めて少く、

一歳以後急劇

に増加し

て極大に達しセる後年齡と共に徐々に減少す

る事

は世界各地の統計

の示す所であ

る。此極大の年齡は報告者によ

つC多少異り、大連

(豊田岡)にては

二歳

(出生後滿二

年より三年未滿の意)乃至六歳就中三歳、ボーラ

ンド

(Celarek et Sparrow)にては三、四歳、ハンガリー

(Johan(39)

)にて

は之と異り八歳

である。然し之等

の統計は各年齡

の患者實數

にし

て、當該年齡

に樹す

る罹患率

ではな

い。最も

Johan

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5

第三表 各年齡の罹患率

注意:大 連:昭 和2年 の大連市人 口及

大 正元年 より15ケ 年間の療病院

入 院患者3,000人 より算 出ぜる

3年 夲均、人 口1萬 人 に對 する

患者數

東 京:大 正15年 の東京市人 口及

び大正13-15・ 年間の 全患者(20

歳 未滿)680人 よ弓算 出ぜ る年 卒

均、人 口1萬 人に對 する患者數

Pope:猩 紅熱を出ぜ る家 の家族

59,634人 と此家 族 い)の 續發 患

者17,625人 とより算 出 ぜ る罹

患百分卒 に して1887-1920年

の33年 間 の材料 に よるものな り

第四表 毎5年 の猩紅熱罹患峯

注 意 何 れ も各 年 齡 の 罹 患 奉 の李 均(来 國 ば%、

他 ば%)で あ る

大 連 、 東 京 及 米 國(Pope)拭 第 三 表 と同 一

材 料 に據 る

モ ス コ ウ(Korschun und Spirina: Zlato・

goroff und Mittelmannよ り),シ ヤ ル コ

ゥ(Zlatogoroff und Mittelmann),ロ ス ト

ウ(Mstibowski)の 數 ば非 接 種 總 人 口 と患

者 數 と まり算 出 ぜ る もの で あ る

罹患率も略

ゝ同樣

の曲線を示す

と附言して居

る。

余は黒井及森脇

(大連)、及び井

ロ(東京)の表より釣人

一萬に對す患者數を計算し、Pope(アメリヵ)の數

一括し

て第三表を作

っだ。Pope. A.S.は猩紅熱

精細

な疫學的研究を發表して居

るが、茲に出しだるも

のは患者

の發生せる家の家族數

(五九六三四人)と其家

族中の續發者數

(一七六

二五人)とに基

いて各年齡

の罹

患率を算出せるものにて、之は威染の機會をも考慮に

入れての罹患峯なれば各年齡

の戚受性を最も良く示す

ものと思はれる。之等の成績に慷れば、

大連

にては三

乃至九歳就中六歳、東京

にては六乃至十歳就中七歳、

安東

=ヂック・「テスト」に猩

紅熱に對する感

受性を示すか

四七五

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6

安東

=ヂ

ック・「テ

スト」は猩

紅熱に對する感

受性

た示すか

四七

アメリカにては四乃至七歳就中六歳

に極大鮎がある。

Kleinschmidt(4

5)

三乃至八歳殊に八歳が極大鮎な

る事を圖示

て居

る。

余は更

に各國

の統計より五歳毎の罹患峯を探録せるが、第四表に示す如

ロストウを除けば何れの地

にても五乃至

九歳の罹患峯

が最高なるを知

る。

四. 各年齡に於けるヂック反應陽性率

ヂポク

陽性峯は各國多歎

の統計、殊

に紐育

の七千七百人

(Zingher

(83)).

ハンガリ

の九千二百七十五人

(Johan(38))、

ボ馴判

烈ドの

一萬四百

二十四名

(Celarek

et Sparrow

)、大連の

一萬

一千二百八十四名、

(豊田

(80))、副ー

訓ー・

スラビ列

のズコ

ルエ全市民約七萬五千人

(Mersol

)、其他多数各地に行は典陀

るヂ

ック「テ

スト」の成績

に擦

るに、一歳未満は

第 五表 各 年齡 の ヂック「テス ト」陽

性率

Celarek et Sparrow: Seuchenbekaempfung, 1929,

6, P.171, 第 四 表(Hirszfeld)

Mersol: Zbl. f. B. I. o., 1929, 111, p.232, 第 三 表

Zingher: Bokayよ り

Bokay: D. m. W., 1926, p.1250

著しく小にして之

り急劇

に増大し

て極

大に達した

る後年齢

と共

に徐

々に逓減す

る。

(第五表墾照)極

大黙は各國共に比較

的良く

一致し

一乃

至四歳

の間にあり、

紐育

にては

一歳、ハン

ガ列

馴にては四歳、

ポーラ

ンド、大連及

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第六表 毎5年 のヂック反應陽性率(毎 五年)

注意 各年齢 の陽性率た李均ぜ る もの であ る

0-1歳 の陽性 率ば初生見を多 く検査ぜ る者程低 き債な

得、6ク 月以後の 乳 見な多 く槍 査ぜ る者 ば比較 的高 き

率々得可 きで ある

Bokayば0-1歳 の陽性 牽な精細 に楡査 ぜ る故、 同馬

の34%を 以てすべての報告(Mersolな 除 く)の0-1

歳 の陽性傘 として用 びれ

ユーゴー・スラビアにては三歳であるが、極大黙の陽性峯、

少年期以後の陽性率等は報告者によ

つて

相違があ

る。極大黙の陽性率は

ポーラ

ンー・ユーゴー・スラビアにて

は九十%前後なるが大連、

紐育及

ハンガリーにては七十乃

至八十%である。叉少青年期及夫以後の陽性峯を見るに、

大連にては十三歳以後は十五乃至

二十五%、紐育

にては十

二歳以後は十五乃至三十%、

ハンガリーにては十歳以後は

二十乃至四十%、

ポーラ

ンドにては八歳乃至二十

一歳迄は

四十乃至五十%にて、二十

一歳以後

にても

二十九

・二%を示

て居

る。各五年毎の陽性峯を見るに何れの國

にても〇

至四歳最大にし

て年齡と共に減少し

て居

る(第六表墾照)。

Johan(

38)は弱陽性反應者が、年齡と共

に増加す

る事實を指摘

して、

ハンガリー

に於け

る陽性峯

と紐育

に於ける夫との少

青年期に於け

る「開き」を、陽性反應

ど陰性反應との判断

個人的の相違

に蹄せしめて居

る。然

るに安東及尾崎は菌騰蛋白

に對す

る陽性傘

が年齡と共

に増加する事、及び所謂

ック毒素中

に菌禮蛋白が含まれ此者がヂ

ック陽性峯

に影響を及ぼす事を讃明して、上述

の如き各地に於け

る成績

の差

異は各地

にて用ひられ泥

る毒素中

に含有せら

ゝに菌禮蛋自量

の相違に由來するものならん蓬説明しだ。即ち

少青年期及夫以後

に於

て高き陽性峯を得たる者は菌騰蛋自含有量

の大な

る毒素を用ひたるものと思はれる。

ハンガリー及大連

(豊田)にては千倍稀繹液〇・一琵

(一輩位)を使用し、

ポーラ

ンドにてはヂ

ック・「テ

スト」に三輩位

安東=ヂック・「テスト」に猩紅熱に對する感受性を示すか

四七七

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東=ヂ

ック・「テスト」ば猩紅熱

に對す

る感受

性を示すか

四七八

の毒素を使用して居

る。Redlichはポーラ

ンドに於けるヂック陽性峯

一般に高き原因は鼓にあるざ述

べて居

るが、

余をし

て云はしむれば毒素の強き

(三軍位)事

が其原因に非すし

て、濃厚稀繹液なる故菌禮蛋白含有量の大なる事或

は血液成分を含む事が圭因ならんと思はれ

る。少青年期

に於け

る陽性率

の著しく高き事

(四十乃

至五十%)が

一暦此

推論を裏書きす

る。安東及尾崎は普通のヂ

ック毒素

の二畢位

(千倍稀繹液〇

・一琵)を用ふる時は精製毒素の二輩位を

ふる場合に比し

て少青年期及夫以後に於け

る陽性峯

の著しく高き事、及び精製毒素なれば

一輩位

にても

二軍位

ても其陽性峯

に著差無きが

(一一二

・二%に對し

て三四・一%)、普通

の毒素なれば

一輩位

にては三三・二%なるものが二

輩位

にては五

二・五%となる事を實験し

だ。之等

の事は普植

のヂック毒素中に含ま

るゝ菌膿蛋白がヂ

ック・「テ

スト」

の成績

に如何に大なる影響を與ふるかを示し

て居

る。從

つて各年齡

に於ける眞

のヂック陽性率は血液成分は勿論、

菌禮蛋自を含まざ

る精製毒素によるものでなければならな

いが、此種の實験は安東及尾崎の三千五百十

一人

に於け

るヂ

ック。「テ

スト」があるのみである。此成績に擦れば少青年期及夫以後

の陽性率は上記諸家

の夫よりも小である

(第

一同参照)

五、 ヂック反應陽性率と狸紅熱罹患率

ック反應陽性峯

と罹患率

との年齡曲線が相併行す

るや否やも亦、ヂ洲

刻・「テ

スト」が眞に狸紅熱に對す

る戚受性を

指示するものなりや否やを判定す

}根擦とな

るも

のである。然し

たひがら

一方、罹患峯は血液中の抗毒素量

のみ

配さるゝものでは無

く、生活状況

(群集生活と孤立生活等の如き)一般的抵抗力等によつても影響

さる

ゝも

のにし

で、他面ヂ

ック。「テ

スト」は血液中

の抗毒素量に關す

るのみならす皮膚

一般的敏戚性

の大小にも關する

(初生兇、

乳兇の陰性峯大なるは之

による)もの故、之等

の黙を考慮に入れて引洲刻・

「テ

スト」陽性率

と罹患率との比較を行は

ねばなら

い。

二項紅蓮べ髭る錺を麹較すれば大燈に齢て煮惑磨腸牲峯賄綴

ビ羅患率幽綜

ビは

良く牟行す

鵡ざ見轍す事が轟摩

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る。

モスコゥに於けるRosen and

Korobicina

の成績によれば爾者は殆ど完全

に李行し

て居

るが、仔細

に諸家の成績

を觀察すれば極大黙

の位置及少青年期以後に於け

る曲線

に顯著な差異がある。

第三表と第五表

とを比較す

るに、罹患牽

の極大は六七歳なるにヂック陽性峯

の極大瓢

は之より遙

かに低

一乃至四

歳の間

にあ

る。豊田の掲ぐ

る表

(實験讐學雑誌十三憲五號四五三丁)に擦れば大連

に於

ては爾極大黙は良く

一致して

るが、之は罹患峯

の代り

に全患者

の各年齡に於

ける分布峯を以てせるが爲にし

て、各年齡別人

ロに基

いて罹患峯

を計算すれば、上述

の如く罹患峯

の極大黙はヂック陽性峯の夫

(三歳)より遙

かに高齡

(六歳)にあるを知る。又五歳

別の雨者

の峯を比較

(第四及六表)す

るも、ヂック陽性率は〇乃至五歳

にて最大な

るに罹患峯は五乃至九歳

にて最大

である。罹患峯

の極大黙なる六歳前後に於てはヂ

ック・「テ

スト」陽性峯は既

に低峯

となるのみならす、強陽性反應者

のみの峯も六七歳

にては既

に著しく減少し

て居

(安東及尾

崎)。Johan(38)の報告

によるも、強陽性者は三乃至五歳に、

中等度陽性者は

一乃至四歳

に最も多く、六、七歳頃より

は弱陽性者の割合が急劇

に増加し

て居

る。然

るにも拘らす

五乃至九歳

にて罹患率

の最大な

る事は何

に由來す

るか明かではな

いが、罹患は

個禮

の戚受性よりも

生活歌況

(威染

の機會、例

へば學校等

に於ける群集生活と幼時

の孤立生活との如き差異叉は幼見

と小見との活動性の

差異等)によ

つて、より

一暦支配せら

るゝものであるとも云ふ事が出來

る。

次に大連

に於ける豊田の表

(實験讐學雑誌十三巻五號四五三丁)にては十三歳以後に於て、菊

ラン刷

(Celarek

et

Sparrow)

の成績

にては十五歳以後

に於

て爾曲線

の「開き」著しく、罹患峯曲線はヂプ

刻陽性率曲線より著しく低

い。

此他多ーの報告に於

ても

一般

にヂ

ック陽性峯

の減少は罹患峯の夫に俘

はぬ如くであ

るが、之は

二貼より説明す

る事

が出來

る。第

一にボーラ

ンー3及大連共に罹患牽曲線

は全患者の年齡的分布によるものにして眞

の罹患峯では無

い。'

眞の罹患牽は第三表

に示す如く少青年期以後

に於

て豊田の表

に於けるより高峯

となる

(第

一同墾照)。又戚染

の機會

をも考慮

に入れだPopeの精細な研究

に擦

るも少青年期

に於ける罹患峯は相當大な

る事を知

る。第

二に諸家の使用

安東=ヂック・「テスト」は猩紅熱に對する感受性を示すか

四七九

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10

安東

=ヂ

ック

「テスト」に猩紅熱

に對する感

受性を示すか

四八〇

せる毒素中には上述の如く相當多量の菌騰蛋自

(及血液成分)を含むものと想像す可き充分の理由がある。

而して菌

禮蛋白

に對する陽性反應は年齡

と共に増加す

る故、

ヂック陽性峯が此

「アレルギー」性

の反應の爲

に少青年期以後

て眞

の陽性峯

(眞性毒素に對す

る)より高峯

とし

て現はる

ゝ事も考

へられる。實際安東及尾崎は菌禮蛋白を含まざ

る精製毒素を以て三千五百十

二名

に「テ

スト」を施し

て、少青年期以後

に於ける陽性率が

Johan, Zingher

の夫より邊

第 一 圖

罹 患 率 とヂック 「テ ス ト」

注意 罹患傘(萱 田)に 豊田の報告に ある儘の もの

に して眞の意 味の罹 患傘に非 す ごて各年 齡

の患者数 の比 傘に過 ぎない

罹患卒(安 東)ば 豊 田の 報告 と大連 の人口 と

よリ余 の算 出ぜ る眞の罹 患率に して第三 表

(大連)に 墾げ れ るものであ る

かに低き事を示しだ。斯く補

正せるヂック反應

陽性峯

と罹患率とを比較すれば、爾曲線は相接近

るが、爾成年期以後に於てはヂ

ック陽性率

は、

罹患峯より相當大である。此事が何

に由來す

るか

は明ではな

いが、

一般

的抵抗の増大及學齡前

の幼

ざ等しく戚染

の機會の少き事等

によつても説明

する事が出來るものと思ふ。

(第

一圖墾照)

六、 ヂック反應と血液中の抗毒素量

血液中

の抗毒素の槍定は

シュルッ・シャルト

ンの疹

清槌現象及人間の皮膚反應

による皮膚中和試験

つて行はれて居

る。狸紅熱患者は初期

にヂック

反應陽性にして病の經過

と共

に陰性峯を増す

もの

であるが、之と

全く李行し

て初期患者

の血清は疹消槌現象を呈せす病

の經過と共

に該作用を現はす

に至る事は諸家

の報告

(殊に豊田

岡四五八丁、Birkhaug

の第

二表)に明である。

(第七表墾照)

豊田

岡は狸紅熱を經過せざ

る三十人の健康者

に就てヂ

ック反應及血清

の疹消偲作用を比較

せるに、全例に於

て爾反

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11

第 七 表

應が全く正反對の關係

にある事

を示し、更

にヂック陽性、

ュ氏

反應陰性

なる十五名

にヂ

ック毒素

にて豫防注射を行

へるに、十四

名はヂ

判ポ

陰性

となり、同時

に其血清

はシ

ュ氏反應陽性

となりし

事を實瞼し

て居

る。Joeはヂ

ック陰性者

二十七名中九十

二・六%は

シュ氏反應陽性なるに、ヂ

ック陽性者の血清は百%

ュ氏反應陰

盤なりし事

を、Noller

はヂック陰性者二十五例中八十四%は

反應陽性

にし

てヂック陽性者十五例は何れも同反應陰性な

る事を、又

聞轟葺

はヂ

ック陰性者

の百%ヂ

ック陽性者

の五%が

シュ氏反應を呈し陀る事を報告して居

る。

Paunz und C

soma(65a)

はヂッあ陰性反應者四十四名

の血清は皮膚中和試験

にてヂック毒素中和能を有し、三十八名

陽性反應者の夫は同中和能を有せざりし事を報告し

て居

る。Friede

mann,

Keinsch

midt(45)Dbre,Lamy et Bonnet

(16)等

も同様の成績を報告し

て居

る。即ち劉

ック皮

應と血清のヂ

ック毒素中和能叉は疹消裾作用とは楯

の爾面に當

るもの

と見徹す事

が出來るが、例外的事實も亦多少ながら報告

せられ

て居

る。

一に、初生見

(別項説明)、麻疹罹患右、紫外線放射後、

「カ

ヘク

シー」の状態

にある者

(ヂック・「テスト」の動揺

項参照)等

は血中

に抗毒素を讃明せざ

るに拘らす、其皮膚

はヂ

ック毒素に對し

て反應せゐ。之等は皮膚

の「ア子ルギ

ー」(Hautan

ergie)を以

て説明せられ

て居

る。

上述

の如き皮膚の「ア子ルギー」の問題は別どしても、術ヂ

ック陽性反應者の血清が皮膚中和試験叉は

.氏反應陽

性なる例は上記諸家

の報告中

に少数例ながら見ら

るゝのみならす、其他にも多歎

に報告

せられて居

るM

eyer, H

enry

and Lewis, Krstulovie, Paunz and Csoma(

65a)、Keinschmidt

(45)、Davies, Fr

enkel und Margolis Cook

e(11)等)。然し

何れ

も少数

の例外例にし

て而かも毒素中和能も著しく無

い。之等

の例は余

の第三群

(眞性毒素

に反應

せすし

て菌禮蛋白

安東

=ヂ

ック・「テスト」は猩紅熱

に對

する感受性を示すか

四八

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12

安東

=ヂ

ック・「テスト」ば猩

紅熱

に封すろ感受性な

示す

八二

陽性反應を呈す

る者)に當

者にして、其陽性反慮はヂ

ック毒素中

の菌髄蛋臼又は他の蛋白成分に由

るものなりと

すれば、此例外的事實

の存在は當然

にして何等怪しむ足りぬのみならす、ヂ

ック・「テ

スト」とン」、氏反磨或は皮膚中

和試験

とを數量的に比較す

れば雨者の不

一致は

一暦減少す

るものこ思はれる。

以上

の如

く之等の例外的事實も上述

の如く説明し得ら

るゝを以

て見れば、此問題も亦ヂックの所説

一致す

るも

と見徹す事が出來る。

七、 猩紅熱罹患とギック反膿

第八表 猩紅熱の経過 とヂック陽性率

(檢査數及陽性率)

Ker, Mc Kartney and Mc Garrity: Lancet, 1927, 1,

P.230検 査 患 者 數441名

jinloch, Smith and Taylor : J. Hyg., 1927, 26, p. 327

検 査患 者數170名

Benson and Simpson: Lancet, 1927, 1, p. 281.

検査 患者數50名

Joe, A. Lancet, 1925, 2, 1321.

ヂック説に擦

れば狸紅熱初期にはヂ

ッン

反癒陽

にし

て、恢復期拉に既往症ある者

には陰性なる筈である。諸

の報告は大膿之に

一致し

て居

るとは云ひ得

るが、爾説

明を要す

る若干の事實

がある.。

Bokay

は發病

一乃至五日の患者三十五名中

二十九名

(八

二、六%)ヂ

ック陽性にし

て、最初より陽性なりし

三十

八例中

二十四例は二週以内

に、六例は三週、五例は四週、

一例は五、六

週以内

に陰性となり、

一例のみ六週以上

陽性に止まりし事を報告して居

るが,省第八表に示す諸

家の成績も同様

にヂ

ックの所説

の如く猩紅熱の経過

に伴

つてヂ

ック反應の陰性となり行く事を示して居

る。

第九表は猩紅熱初期

拉に恢復期に於けるヂ

ック陽性率を

諸家

の報告

より集録したものであるが、余は之を其成績

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13

第 九 表

注意(+)發 病11日 以後,※ 恢 復期初期,※ 恢復期後期Perkinsの 報 告は諸

家 の成績 を総 括ぜ うものに して表 中の他 の成績 と重複 す うもの もあ る

東=ヂ

ック・「テスト」ば猩紅熱

に樹すろ感

受性を示すか

四八三

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14

安東

=ヂ

ック・「テスト」は猩

紅熱

に封

すろ感受性を示すか

四八四

に從

つて五群に分類し

て見た。此表

に於

て注目す可き鮎は第

一にA乃至D群とE群

との成績

の相遠である。前諸群

に於

ては陽性率は減じ

て居

るに反し、E群

に於

ては却

つて増加して居

る。前諸群に類す

る報告は此他にも多數

にあ

が、E群

に属す

るも

のは僅かに此四者を見出し得たるに過ぎな

い。前諸群

の成績

より猩紅熱初期にはヂンーク陽性率大

なるものとすれば、E群

の報告に於て初期

の陽性率

の極めて低き事は使用毒素の極めて弱毒なる事を物語

るも

のと

見徹す事が出來

る。Zlatogoroff

and derkatsch

を除く他の三氏

の使用せるヂ

ック毒素は何れも血液加

「ブイ

ヨン」培

養濾液

にし

て、近藤

は傭反應に就

て何等記載す

る所なきも、Ciuca等

は儒反應が發病十乃至

二十日に

一四・二八%な

りしものが、發病二十乃至三十日には四〇。五

一%に上与し事を記載して居

る。

而し

て近藤.Ciuca等

が、此血液成

分を含む極

めて弱毒なる毒素を以て頻同同

元患者に皮膚反應を行ひしを以て見れば、氏等

の試験

はヂッ

ク反應とは

無關係

にし

てコフィ

ヨン」中の血液成舜又は菌髄

蛋良

に封す

る「アレルギー」性の皮膚反應を檢査せるに過ぎない。

以上數氏の例外的成績を除けば、他はす

べて初期に陽性率

大にし

て恢復期

に減少す

る鮎

に於

一致して居

るが、猶

注目す可き黙は初期

の陽性率

と恢復期

の陽性率

との罰合

である。諸家

の成績の相連が毒素

の「強さ」にあるならば初

期に大なる陽性率を得たる者は恢復期

にも大なる陽性率を得可きである。然

るに初期陽性率

の最大なるA群にては

恢復期陽性率は却

つて最少にして、

C群

の夫より遙

かに小である。D群に至つては初期陽性率極

めて小なるに恢復

期陽性率は甚だ大であ

る。是等

の事は使用毒素が性質的

(皮膚

反應よ与見

て)異

る事を示すも

のであるK

irkbride

and Wheelerは血液成舜を含ムホざる毒素を以てヂ

ック・「ヲ

スト」を行ふ時は僑反應少く且猩紅熱経過者

の約十%が陽

性反應を示す

に過ぎぬが、血液を含み且弱毒なる毒素を從

つて低稀繹にて用ふれば経過者

の陽性率は凡そ三十

一%

に及

ぶ事を報告して居

る。此事は恢復期陽性率の大なる事

一部を説明す

るものと思はれ

る。

猶血液成分を含ます

とす

るも培養濾液は眞性毒素の他に菌髄蛋臼を含み、此物は

「アレルギー」性

の皮膚

反應を起し、

此反應は眞牲毒素に翌す

る免疫と平行す

る事從

つて猩紅熱

の経過に伴

ふ可きであ

る事等

は安東等(1)(2)

讃明せる所であ

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るが、此物も恢復期患者又は猩紅熱経過者のヂッ「ク陽性率

に影響

を與

へる。豊田

岡は既往症あ

る者

二百五名に就て、

菌髄蛋自を含まざ

る余

の精製毒素

と普通のヂッ

ク毒素

(血液成分を含ます)とにてヂ

ック・「ヲ

スト」を行

へるに、前者

にては僅

かに三・四%の陽性反應なるに後者に樹し

ては三二・七%

陽性反應を獲た。Zlatogoroff

and Derkatch

Aldershoff(

「ブイヨン」血液成分を含ます)の培養濾液

(千倍稀繹液)を用ひて、初期

に三五・七%、恢復早期に三三。七

%、

恢復末期

に五〇・六%の陽性率を得た。而して恢復期

に於け

る強陽性反應は淋巴腺炎、關節炎,中耳炎、腎臓炎等

の合

併症あ

る時に著しき故、此反應は非特異的な

る連鎖状球菌々騰

蛋臼に由るものにし

て皮膚

の猩紅熱連菌

に封す

る過

教症ならんと述べて居

る。初期に陽性率の小なりしは使用毒素

の弱毒なりしを

示すものである。Kleinschmidt(45)

Malmherg und

Jacobsoh

n

の集録によるに、多數の報告者は罹患者の約十%が省陽性反應を呈す

る事を指適し

て居

るが、第九表

に擦

るもE群及之

に準す

る數氏、及びA群を除けば罹患者の約十乃至三十%が陽性反應を呈す

る事

知る。而して之は多くはヂ

ック毒素中の血液成分或は菌禮

蛋自

に由るものにして眞

性毒素

に陽性反應を呈す

る者は

かに少

きものと思はれる。

猩紅熱初期

に九十%以上の陽性率を得

て居

る者

(主にA、B群)あるも、多くは十乃至三十%の陰性反應者を報告し

て居

る。是等初期患者

のヂ

ツク陰性は其

一部は明

に毒素

の弱毒なる事

にょつて説明出來

るが、

一部は檢査

の病

歴日

に關係す

るものにし

て、發病日數と共

に陽性率の減少す

る事は第八表によ

つても明である、然しながら第

三に毒

素が大量血中

に吸牧

せらる

ゝ初期

には

一時

的に皮膚

の「ア予ルギー」が發生する事もあり得る所である。DebrL

amy

et Bonnet(16)

は六ハ十

一例の初期患者中僅

かに三十二・七%の

陽性反應を得陀るに過ぎぬが、観察時間を四時間とせる

に十例中九例迄陽性反應を呈し、二十四時間

の観察にては僅かに四例の陽性反應なりし事を述

て、猩紅熱罹患初期

には皮膚の敏度が攣化

せる爲早く消失す

るものならんと附言し

て居

る。Brokman et Mayznerはヂック陽性反應者

に十億

の連死菌を注射せるに

一時的

にヂン、,ク陰性

に攣じたが、血中

に抗毒素を讃明せざりし事を報告し

て居

るが、

東=

ック・「テ

スト」に猩紅熱

に封する感

受性

を示すか

四八五

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16

安東

=ヂ

ック・「テスト」ば猩紅熱

に封

すろ感受性を示すか

四八六

Friedemanu(24)Z

oOller,rib

adeau-

Dumas et Chabrumは

猩紅

熱初期

のヂッ

ク陰性

は此實

と等し

く皮膚

「ア

子ルギー」

に由

るものならんと説明し

て居

る。

以上の如く

元見

ヂック説に

一致

せぬ如く見ゆる事實

も略

ゝ上述

の如く説明し得

るが、只猩紅熱初期のヂ

ック陰性が

果して存

在す

るものなるか又は輩

に毒素の弱き事

に起因す

るか.若し又實

際存在す

るとすれば、

「ア子ルギー」によ

るものなるか否

かの黙は今後

の研究

によ

つて確かめられねばならな炉。而し

て此諸推論を確かむ

るに當

つては血液

成舜は勿論菌禮蛋白を含まざ

る精製眞性毒素を以て毒性

の充分なる檢定

の下

に、實験を行はねばならない。

八、初生兒及び乳鬼に船けるヂック及應陰性に就て

第十表 初生兒及乳 兒の

ヂック「ヲス ト」陽性率

D. and G.=Damianovich and Gazia:

Bull. Hyg., 1929, 4, p. 335

P. and C. = Paunz and Csoma:

Kl. W., 1928, p. 498.

第十一表 年齢と猩紅熱毒

素に封する皮膚の敏度

(Cooke, J. V. : Amer. J. Dis. Children, 1928, 35, p. 762)

注 意S.T.D.=Skin Test Dosis謬 皮

膚 試 験 量 或 に皮 膚 輩 位=S.U.

=SkinUnit.

初生兒及乳兒

の猩紅

に封す

る罹患率

著しく低

く、

大連療

病院

(黒井及森脇)の

三千例

の同患者中

歳未滿の者は全艦の

一%以下

(二十八名)

に過ぎす、Bokyaの

「クリ

ニック」に於

も猩紅熱患者

二千百

八十六ハ例中

一歳未滿は僅かに二。七%

(五十九名)に過ぎぬと云ふ

(PaunN und Csoma

(65))。

此罹患率

の小なる事と平行し

てヂック陽性率

も亦初生兒、乳兒に於て者しく低き事も

一般

に認

めら

れて居

る(第五表

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17

及第十表塞照)。猶乳兜は,ヂック陽性峯

(三皮膚輩位

の」ヂック毒素

に封す

る陽性峯)著しく低

きのみならす、皮膚

の狸

紅熱毒

素に封す

る敏度が著しく低き事は第十

に示す

Cooke(11)

の成績及

びHardyの明示す

る所

である。之を要す

るに生後六

ヶ月迄は皮膚

の狸紅熱毒素

に封す

る戚受性

の著しぐ低き事を知

る。然らば之

は何に由來す

るか。從來之

は母髄よりの被働性免疫

によると考

へられて居

セが、最近に至り被働性免疫

同時

に初生兇及び乳児

の皮膚

の「ア

予ルギー」が論せざ

るゝに至

つだ、帥母子

の擁「ゾク反癒を比較するに、uu

kavは初生兇七十

三例中六十六列

へ九十三

第十二表 母子の皮膚反應比較( Cooke, J. V., Amer. J. Dis. Children, 1927, 34, p. 969)

注 意 50 S. T. D. (+)ば20 S. T. D. (-)で あ る

%)に於

て、乳兜

(二週乃至六

ヶ月、母乳)四十

一例中三十五例

(八十五%)に於

爾者の

三致を認

め、母が陽性にし

て子が陰性なる者は五例を見だるも、母が陰性

にし

て子

が陽性なりしは

一例に過ぎ

兎事を報告して居

る。Cooke(13)

は二、

二十、

五十皮膚輩位量を用ひて母子の戚受性を比較

せるに、第十二表の如く小見

の皮膚

が、母禮の夫より著しぐ戚受性低く、

二皮膚輩位

に陽性なる母五十三例の初生見

中僅

かに二例が同量に陽性

に反磨せるのみである。此事は母髄よりの被働性免疫

に依

つて説明する事は出來ない。

森脇

(三十

三組

の母子の血中抗毒素含有量比較)、6。。ke働(五十四働の初生兇及母

髄の血中抗毒素量どヂック反癒

との比較)、及

Paunz und Csoma(65)

(母子

の血中抗

毒素量どヂ

ック反慮との比較)の研究を綜合す

れば、(イ)一年以上の小兜に於

ては

血中抗毒素とヂ

ック反癒

ごは良ー季行す

るが

一歳未満に於

ては必すしも然らす、

(ロ)母子

のヂ

ック反癒は必すしも

一致せざ

るが、初生兜血清中

の抗毒素量は母禮

の夫ご殆ど相等しき程度

に存し、只少数例

に於

てのみ母禮

に抗毒素を有す

るに拘

らす小見に之を謹明せぬ、又

(ハ),ヂック

陽性の母を持

つ乳見はヂック反慮の如何

安東

=ヂック・「テスト」に狸紅熱

に封する感

受性た示すか

八七

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18

安東

=ヂック・「テスト」に狸紅熱に封する感受性な示すか

四八八

に拘ら

す其

血清

に抗

毒素

を持

だす

ック陰性

の舞

を持

つ乳

は生後

ヶ月

は抗毒素

其血中

に謹明す

るが、

ヶ月

以後

ヘヂ

ク反應

は猶

陰性

に止

其ハ血中

に抗

毒素

を含

ます

と云

が出

る。

つて

Pa巷Zund

Csomaは初

生見

及乳

は之

(イ)ヂ

.ク陽性

抗毒素

を有

せす、

(ロ)ヂ

ック陰性

抗毒素

を有

せす

(ハ)ヂ

ック陰性

素を有

の三

に分

つ事

を得

ると云

ふ。

而し

て氏等

二ヶ年間

に第

一群

の乳

至四

ヶ月

)二名

の狸紅

熱患

を見だ

るのみ

て、

の乳

の罹患

を見す

又ヂ

.刻毒素

を皮

に注射す

るに第

三群

の乳兇

は殆

ど反

せす、

二群

の乳

(一例は

五千

一例

二萬皮

膚輩位

を注射す

)は高熱

.

嘔吐、

髄重減

少、

下痢

「エオ

ジノ

フイ

リー

」等

症朕を

呈し

るも登

を現

はさす

且是等

の症

を四十八

間以内

に溝

失し

る事

を報告

て居

る。

上記

の諸

Zingher(83)

Zoller,Ribadeau-uumas et Chabr馨

は初

生兇

、乳

に於

てヂ

ック反

と血

中抗

毒素

との併

せざ

るは其ハ皮膚

が、

症性刺

に樹

一般

に鈍戚

に由

ると考

へて居

る。

以上

に擦

つて見

に初

及乳

の皮膚

の狸紅

毒素

に醤

て戚受

性低

きは

一部

は母髄

り賦與

せら

ゝ免疫

(抗

毒素

)によ

るが、

一部

に皮

膚自

の戚

受性

の低

(,ア

ルギー

」)に依

るも

と云

ねば

ならな

い。

に⊥記

℃舞nZund

CSoma

の實

に擦

れば

此皮

「ア

ルギー」は軍

に皮膚

の特

殊性駄

にのみ

るも

のに非

て、

一般

的抵

抗力

が乳

見及初

に於

て特

に大

にし

て皮

「ア

ルギー」は

三つの螢

ど見

る可き

の思は

る。

Groer und Kassowitz

(1919)は

ック反應

は初

生見

び乳

に於

ても抗毒

素含

有量

と併

行す

と報

告した

るが、

其後

研究

(Tschertkow und Belgowskaja

(1930) Ribadeau-Dumas et Chabrun(1928)等

に擦

ばヂ

ソク反應

の場

と同

じくシ

ック・「タ

スト」に封

も皮膚

「ア

予ルギ

ー」の存

る事

が謹

せられた

。又

Ruh and Mc Clengnd.Kuttner and

Ratner等

ック陽性

の母

より生

だる初生

見中

にシ

ック陰

る者

の有

る事

び此者

の血

清が

「ヂ

フテ

ァ」抗

毒素

を含

せざ

る事

示し

て居

る。

猶F

riedberg

erger und Heim

は鰻

「ゼ

ンフ」油

(家

及人)に

て、Freund

「ツ

ペルク

ン」反應

(「モル

モット」にて、安

東及

西村(3)(59)

「ヂ

フク

ァ」毒

(「モル

モット」)にて何

れも初

生見

及乳

(人

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19

は動

物)の皮膚

「ア

ルギー

」の存す

る事を

讃明し

て居

る。

又 v. Grocr und Kasowitz

(1915)自

シック

.「テ

ト」の僑

は大人

及少

に多

く幼

に少き事

を示

て居

るが之

も皮膚

「ア

ルギー」を示す

一讃

と見ら

る。

、 ヂ

ック反應

の勲

狸紅

熱罹

に依

つてヂ

ック反應

が陽性

より陰性

に墾

る事

上述

の如

く大禮

に於

て之

を認

る事

出來

るが、猫

(Paraf Cooke(12) Debre, Lamy

et Bonnet(17) Kleinsc

hmidt(44)

Gorter,De Korte et Munk)紫

外線

放射

(Oebre,Lamy et

Bonnet(17)

)、

「パラ

リー

」の

「マラリ

ァ」療

(Bieling)水痘、

毒、「ア

ソギー

ナ・ラ

クナ

ス」(NObel und Schonbauer)

にヂ

ック反應

が陰

に墾

じた

が報告

せら

れて居

る。

の場

には登

疹期

に陰性

どなり恢

復期

に再

び陽性

に戻

るが、

此陰

性期

にも

血中

に抗

毒素

は讃

ぬと云

ふ。

又紫

外線

射後

のヂ

ック陰性期

にも血

に抗

毒素

は謹

れな

い。即ち是等の例は

的の皮膚の「ア予ルギ」

を以て説明す可きものと思はれる。丹毒及「アンギーナ」の際

には或は抗毒素

の塵

もあり得た

るものと思はれる.麻疹後

の引

ッ蔭

性の最も顯著

外る例はCooke器

報告せる

一例

にし

て、

罹患

皮膚軍

位陽

りし

が罹患

一,

二週間

は五十軍

に陰性

となり、三

週目

二十輩位

陽性

以後再

二輩

位陽

となりし

であ

る。

麻疹

の際

に「ッ

。ヘルクリ

ン」に封す

る戚

(Preisi

ch Pirquet)馬

血清

に墨す

る過

敏症

(Hamburger Bessau等)の減弱す

る事

せら

て居

るが、シッ

反應は麻

に依

つて影響

せられ

(Bessan等

、Zingher(84)Lereboull

et等

、Renault et Le

vy)ど云

ふ。Cooke

は此事

ク毒素

が眞

牲毒素

に非

の圭張

一論擦

とし

て居

る。

以上

は狸

紅熱

以外

の原

に依

つてヂ

ック反應

の墾

化す

る例

であ

るが、

此他

に認

む可

き原因無

に起

る愛

化、

ば自螢的憂化ども云奇

きものがある。此中陽性が陰性

化す

る事は所謂自爾

免疫の登生にして、シック・デ

ト」に於

ても同檬

の關係にあり問題

とす

るに足りな

い。此際募

的免疫の螢生が集

一般に考

へられセる如く、潜在

は顯

の威

に依

るか、

はFriedberger,Bock und Fiirstenhe

im

(1930)の圭張

るが如

三般

物學

的機輻

安東=ヂック・「テスト」ば狸紅熱に對する感受性な示すか

四八九

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20

安東=ヂック・「テスト」に狸紅熱に封する感受性を示すか

四九〇

一登現

に渦

ぎぬかは論外とす

る。考察を要す

るのはヂック陰性

より陽性

への輻化である。Malmberg und Jacob

sohn

は三百

二十名

の小見を四乃至1

週の間隔にて繰返し槍査せるに、陰性者の凡そ二十%が陽性に、陽性者の

一%が陰

性に攣

じたるを登見し、Johan(40)

はヂック

陰性者

の九

%が六

ヶ月後

に陽性に攣じたり

と云ひ、Pro

guski und

Redlichは

十四ヶ月

の間隔

(九十例)及び四ヶ月の間隔

(七十三例)にでヂック

・「テ

スト」を行ひ、前例

にて二十三%、後例

にて八

%の陽性

への攣化を見、且儒反應者に此種

の攣化多き事を述べて居

る。技術上の過誤を別こす

るも、ヂック・「テ

スト」

を頻回繰返

へす際には所謂,ヂック毒素中の血液成分或は菌禮蛋自

に謝して「ア

レルギー」性

の皮膚反應を呈するに至

る事は考

へ得ら

ゝ所にして、Progulski und Redlich

の例の如きは主こして此種の例に非すやご考

へら

れる。然しな

がら

Glennyは健康馬

の血中の「ヂ

フテヲァ」抗毒素量が動揺す

る事

を讃明せるが、人間の血中

の狸紅熱抗毒素量も

同様に動揺する事も考

へら

るる所

にし

て、此動揺

によつて起

る眞

のヂック

陽性

への韓化もあるものこ云はねばなら

い.斯

かる攣化が眞

に有皇

るは之

は倒外的現象

にし

て、多数學者の成績はヂック

・「テ

スト

」は動揺常無きもの

に非ざる事を明示して居

る。

以上九項に亙

つて述

ベセ所に糠

つて、ヂック。「テ

スト」は肉「列の主張す

る如くシック

・「テ

スト」と同

一機轄

にして

明に個禮

の血中抗毒素量の指示であり。從

って狸紅熱

に封す

る威受性を指示するも

のと結論して誤の無きものこ信

る。

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21

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Csoma,

安東

紀ヂ

ック・「テ

ス塾」に猩紅熱

に封する感受性を示すか

四九

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2 2

渡邊

=日本に於け

る「チフス」尿保菌者の疫學的

意義

に就て

四九

E

., Jb. f. Kinderhlk., 1927, 65, p. 695 (Kleinschmidt (45) S, J). 66) Perkins, R. G., J. A. M. A., 1927, 89, p. 1239. 67 , Pirquet,

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56.

87) Zoeller, C., Ribadeau-Dumas, L. et Chabrun. J., C. r. Soc. Biol., 1929, 1

01,p.426.

に於

る「チ

ス」尿

の疫

に就

て.

本邦

に於け

る「チフス」發生の消長に、保菌者取締の如何

により影響

あるが如し、

(保菌者とば本邦の法

定保菌

者を云ふ)

從來尿保菌者

に少數なりと考

へられ居り

しも,多數

研究

者の檢

査成績を綜合するときに、糞保菌

者と殆

んど同數的

に存在

し、大約發生患者

の十分

にして、尿排菌者

の四分

一に相當

するが如し、

故に現今檢

ぜられある各府縣

の平

均十九名の存

在よりも、尚

ほ多數未發

見の尿保菌者

ある々推知し

得るのみならす、保菌

者と決定後

の排菌期間

は平均

三十九

日間な

るも、解熱後

二十

週以上

に亙

るも

のば尿保菌者入十

三名

一名存在

する比例となり

れり。

而して尿中の

「チフヌ」菌は辛

ふじて證明

し得

るが如き少數

の場合あるも、多

きときば約十

二億

萬以上を算

し得れ

る事

例あり

て、其尿

中に於けろ生存期