利子率の決定とケインズ -...

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利子率の決定とケインズ 藤井宏史 I はじめに これまで経済学の数多くの論争の中で r 利子率の短期的な決定因は何か?」 をめぐる議論ぐらい,長期間,多くの研究者が参加した論争はない。具体的に その議論は,利子率が決定される市場を,貨幣市場,貸付資金市場のいずれに 求めるかという形で展開されたことは周知のことである。利子率が貨幣需給で 決定されるという考え方は,ケインズの流動性選好説であり,かたや貸付資金 の需給で決定されるという考え方は貸付資金説と呼ばれるため, この問題は端 的に「流動性選好説」と「貸付資金説」のいずれが正しいかという具合いに表 現されてきた。 もちろんこの問題は,両説が同ーでないことが前提になっているため,あわ せて両説が問ーか否かが議論になった。仮に同一なら,この問題は解消するこ とになる。 しかし最近では,流動性選好説と貸付資金説が全く異なる利子決定論である とみなす考え方が支配的になっている。なかでも,標準的なマグロ経済学や金 融論のテキストでは,金融資産ストックを重視した利子決定論として流動性選 好説を,貯蓄投資を含むフローを重視した利子決定論として貸付資金説を説明 し,流動性選好説のストッグ重視の想定がより現実的だとして, もっぱらそれ を利子決定論として説明する。その結果, こうした考え方をケインズの利子決 定理論とみなす一方で,貸付資金説を古典派の利子決定論と同一視する場合さ (1) 例えば,中谷 [20Jpp 95-8 Harris[3J pp 301-21 OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ

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利子率の決定とケインズ

藤井 宏 史

I はじめに

これまで経済学の数多くの論争の中で r利子率の短期的な決定因は何か?」

をめぐる議論ぐらい,長期間,多くの研究者が参加した論争はない。具体的に

その議論は,利子率が決定される市場を,貨幣市場,貸付資金市場のいずれに

求めるかという形で展開されたことは周知のことである。利子率が貨幣需給で

決定されるという考え方は,ケインズの流動性選好説であり,かたや貸付資金

の需給で決定されるという考え方は貸付資金説と呼ばれるため, この問題は端

的に「流動性選好説」と「貸付資金説」のいずれが正しいかという具合いに表

現されてきた。

もちろんこの問題は,両説が同ーでないことが前提になっているため,あわ

せて両説が問ーか否かが議論になった。仮に同一なら,この問題は解消するこ

とになる。

しかし最近では,流動性選好説と貸付資金説が全く異なる利子決定論である

とみなす考え方が支配的になっている。なかでも,標準的なマグロ経済学や金

融論のテキストでは,金融資産ストックを重視した利子決定論として流動性選

好説を,貯蓄投資を含むフローを重視した利子決定論として貸付資金説を説明

し,流動性選好説のストッグ重視の想定がより現実的だとして, もっぱらそれ

を利子決定論として説明する。その結果, こうした考え方をケインズの利子決

定理論とみなす一方で,貸付資金説を古典派の利子決定論と同一視する場合さ

(1) 例えば,中谷 [20Jpp 95-8, Harris [3J pp, 301-21

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-20ー 第 62巻 第2号 100

えある。

こうして,今日では流動性選好説と貸付資金説をめぐ、る議論に一定の結論が

でたかのように思われているが,ケインズ自身がこうした考え方をしていたか

どうかは明らかで、はない。

上記のように両説を全く異なった利子決定論とみなす背景には一般理論』

発表後に,流動性選好説を主張するケインズと貸付資金説を主張する論者との

間で行われた論争が表面上明確な決着をみなかったことがある。そのため,人

は,暗黙の内に彼が貸付資金説そのものを否定しているかのような印象を受け

るのである。

しかしながら, この論争を通じて,ケインズ自ら彼らが主張する貸付資金説

に対してどの様な考えをもっていたかは,これまで必ずしも明確にはされてい

ない。

そこで本稿では,ケインズ以後行われた流動性選好説と貸付資金説をめぐる

利子率決定論争を直接対象にするのではなく,当時の論争の中でケインズ自身

がどの様に考えていたかを明らかにしたい。ケインズの考え方を正しく捉える

ことは,最近の支配的な見方を検討する上で,一定の示唆を与えてくれると思

われるからである。

II 流動性選好説と貸付資金説

「利子率が決定されるのは,貨幣市場か,貸付資金市場か」という問題につい

て,ケインズの考えを検討する前に,この問題に対する本稿の基本的考え方を

説明しておこう。

この問題を考える場合,次の二つの問題を区別しておく必要がある。すなわ

ち,ケ)一般均衡において利子率の水準(均衡水準〉を決定する市場を問題にして

いる場合と, (イ)利子率の運動を直接生じさせる市場を問題にしている場合であ

(2 ) 小谷 [21]pp 135-74. (3) 本稿での利子率の決定に関する基本的考え方は, Patinkin [15] , Johnson [4],置塩

[19],藤原 [22],二木 [24]等と同じである。

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101 利子率の決定とケインス -21-

る。しかし,明らかに(ア)の問題は,問題自体が意味をなさない。というのも,

ケ)の場合,市場が相互依存関係にある限り,利子率はおろか所得も一般均衡で

決まるのであって,特定の市場の需給均衡でのみ決定されるということはでき

ないからである。よって,問題は仔)の意味で理解しなければならなし、。

問題が仔)の意味であるとすると,利子率は貨幣を一定期間貸し付けることに

対する報酬,すなわち貸付資金の「価格」であるから,一般の価格と同様,当

該市場(貸付資金市場)の需給で決定されると考えるのが自然である。

これに対し貨幣市場は,貨幣自体が他の財のニュメレーノレで,交換手段であ

るという性質から,他の市場にみられない特徴を持つ。すなわち,財や債券と

違って,貨幣市場は,慣習上「市場」とし、う用語がついてはいるが,その不均

衡を調整するはずの価格が固定されているため r市場」固有の調整メカニズム

をもたない。

したがって流動性選好説のように,利子率の変化が貨幣需給で決定されると

主張で、きるためには,なんらかの理由で,それが貸付資金という特定の市場の

需給を反映するとしなければならない。

一般に,貨幣経済では貨幣の需給と他の市場の需給との聞には, ワノレラス法

則と呼ばれる関係が成立する。それは次のような手続きで導出される。

いま,企業,家計,銀行の経済主体が,財・債券・貨幣の三つを取り引きす

る単純な経済を考え,単位期間中の各主体の収支計画を次のようにおく。

企業 • M6+B+ Y == I+W+Bo+Lf (1)

家計..MOh+B~+W == C+Ah+Lh (2)

銀行..M+B8三 Mo+Ab (3)

Mo三 M6+Moh,Bo 三 B~+B8

ここで,Y, W, C,Iは総供給,家計所得,消費,投資を,BとM は債券と

(4) 霞塩 [19Jでは,通常の需給概念や市場概念が貨幣に対しては妥当しない理由が説明さ

れている。以下では,慣例にしたがった。

(5) 簡単化のため,利子の受払いは無視している。なお,労働市場の需給を明示していない

のは,失業が存在するもとで家計が企業の提示する雇用量を受動的に受け入れると想定

しているからである。

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-22ー 第 62巻 第2号 102

貨幣の供給残高,AとLは債券と貨幣の需要残高を表し,添字 Oのついた資産

負債は,期首の保有残高を表すものとする。また,添字/, h, bの付いた変数

は,当該主体(.1.企業,h 家計,b 銀行〉の保有資産や資産需要を表し,

添字のついていないものは集計変数である。

A == Ah+Ab, L三 Lf+Lhとおいて,収支計画(1)一(3)を集計すると,次な

る経済全体の予算制約式,すなわちワルラス法則が得られる。

(J -S)+(A -B)+(L-M)三 o W

なお,Sは貯蓄を意味し,S三 Y-Cである。

これより, (4)式を変形して,

L-M == (S-I)+(B-A) (5)

とすると,貨幣の超過需要は,貸付資金の超過需要(債券の超過供給〉のみな

らず,財市場の超過供給をも反映することが分かる。これは,次のように言い

直すこともできる。すなわち,経済主体が全体として余分の貨幣を入手すiるに

は,財・債券のいずれかまたは両方を購入する以上に売却しなければならなし、。

これより, ワルラス法則(5)を前提にして,貨幣需給で利子率の変化の方向が

決定されると主張するためには,なんらかの意味で財市場の需給一致を仮定し

なければならない。その場合には(5)式より ,1 = Sとおくと

L-M = B-A (6)

となって,貨幣需給が債券需給と表裏の関係になるからである。

もし,仮に財市場の需給一致を仮定しないで,無条件に,利子率の変化が貨

幣需給で定まるとすると,財市場の需給状態いかんによっては,債券需給によっ

て定まる利子率の変化の方向と矛盾する場合が生じる。

すなわち, (5)式において債券市場が超過供給 (B-A> 0)であるにもかかわ

(6) ここでは,とりあえず財市場の需給一致を需給「均衡」の意味で、使っているが,貨幣需

給が債券需給の表裏の関係になるには,これ以外に次のこつの場合が考えられる。

① 供給に応じて財の需要を行う場合〈セ一法則 Say'sLawの成立〉。

② 固定価格のもとで,需要に応じて企業が受動的に財の供給を行う場合。

この場合,1=S より, (6)式は,恒等式になることに注意。

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103 利子率の決定とケインズ -23-

らず,財市場でそれを上回る超過供給 (1-5< 0)が発生しているため,貨幣市

場に超過供給 (L< M)が生ずる場合か,逆に債券市場が超過需要 (B-A<

0)であるにもかかわらず,財市場でそれを上回る超過需要 (1-5>0)が発生

しているため,貨幣市場に超過需要 (L> M)が生ずる場合である。

したがって,財市場の需給状態にかかわらず,利子率の運動を決定する市場

を問うのであれば,それは債券市場(貸付資金市場)であると考える以外にな

い。貨幣需給で利子率の運動が決定されるという流動性選好説が妥当するのは,

あくまで財市場の需給一致が成立している場合に限られる。

III r一般理論』における流動性選好説

こうした考え方は,パテインキン以来のオーソドックスなものだが,ケイン

ズ自身が同じ様に考えていたかどうかは,必ずしも切らかではなし、。果して上

記のような意味で r一般理論』における流動性選好説を展開しているのだろう

カミ。

流動性選好説を展開した『一般理論』第 13章では,周知のように,利子率が

均衡水準に到達するまでの調整プロセスを債券市場の弱気筋と強気筋による貨

幣と債券の択一的な選択過程として記述している。このことは,彼が利子率の

決定を付)の意味で考え,そして貨幣需給の背後に債券の需給を想定して説明し

ていることを示している。基本的に彼は,利子率の変化が債券の需給で定まる

と考えていたのである。

おそらく彼が,この様な迂回的な表現方法をとった理由には,貨幣需給を陽

表化することによって,伝統的な現金残高接近法との異同が明確になり,他の

研究者に理解されやすくなるということと,貨幣供給を腸表化することによっ

て, より単純な形で金融政策変数をモデノレに導入することができるからだと思

われる。とはいっても,迂回的表現を使ったことによって誤解がおきやすいこ

(7) r一般理論』の中で,直接「利子率によってもたらされるものは,貨幣貸付すなわち金

銭債権の需要と供給との間の均等化である。J(Keynes[5]p.. 187,邦訳 184頁の脚注(1))

と明快に述べている。

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-24- 第62巻第2号 104

ともまた事実である。彼は,後にその懸念を以下のように表明している。

「私が『雇用・利子および貨幣の一般理論』で明らかにした利子率の流動性

選好説によれば,利子率は貨幣の現在の供給と,繰延べ貨幣請求券と引き

換えに現在の貨幣請求権に対する需要表に依存する。これは,簡単に利子

率が貨幣の需給に依存するとし、う具合いに表すこともできょうが,誤解を

まねくかもしれなし、。というのも,何と引き換えにした貨幣の需要かとい

う質問の答えが暖味にされるからである。J (Keynes [6] p.. 202,下線部は

筆者。〕

次に,この流動性選好説を議論する場合,財市場の需給一致を仮定していた

のであろうか。しているとすれば,どのような意味での需給一致であろうか。

『一般理論』全体を通じて,財市場の需給不均衡についての記述があるのは第

3章である。そこで,彼は財の総需給に不均衡が発生した場合の調整メカニズム

として,総需要に関する企業の「短期期待」に言及し,その調整によって不均

衡が解消されることを前提にして,いわゆる「有効需要」を定義している。す

なわち,有効需要とは,短期期待が実現し,総需給が「均衡」した状態である。

これ以後,財の総需給が不均衡の場合が議論されることはなく,この有効需要

の議論がさらに詳細に展開されてゆくことから,彼が財市場の需給「均衡」を

仮定していることは明らかだと思われる。

またD"一般理論』で財市場の需給均衡を仮定していたことは,その仮定を採

用した理由をも含めて,後の講義ノート (Kβynes[9] p内 179-183)でも明らかに

している。それによると彼は,当初事前と事後を区別し,財市場の不均衡を前

提に書いていたが,経済取引に共通した単位期聞を確定することが困難である

ことや,調整過程を重視することによってかえって議論の本質が暖味になると

いう理由から,事前の計画が必ず実現すると仮定して書き直したのである。

したがって,当然のことながら問題の第 13章においても,財市場の需給均衡

一致を想定して議論が展開されている。すなわち,この章では流動性選好関数

(8) Keynes [5J p..25,邦訳26頁。

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105 利子率の決定とケインズ -25-

が右下がりになる理由を説明する際に,利子率の低下による所得増加が取引需

要を増加させることを理由の一つに挙げている。また,貨幣量の増加によって

発生した貨幣の超過供給を例に,その不均衡が,利子率低下が直接投機的動機

を増加させるばかりでなく,所得の増加を通じて取引動機をも増加させること

によって調整されると述べている (Keynes[5] p.. 171,邦訳 169頁〉。

そこで,貯蓄 5,投資Iならびに貨幣需要 Lについて,通常の関数形を想定

すると,この章での利子率の決定は,

S(Y)=I(r) Sy>O,Ir<O

f=/(L(Y,r)-M) /(0)ニ 0,f' > 0

をもとに展開されている。

(7)式より,

(7)

(8)

Y = Y(r) Y' < 0 (9)

だから,貨幣需要 Lは,次のように利子率の減少関数となる。

L = L(Y(r), r) Ly > 0, Lr < 0 (10)

dL 77=Ly・Y'+Lr<O

よって,財市場の需給均衡式(7)を考慮すると,貨幣の超過需要は

L-M三 L(Y(r),r)+I(r)-M-I(r) = B-A (11)

と変形でき,債券の超過供給に等しくなる。これをもとに第 13章で想定されて

いる利子率の決定体系(7)(8)を図式化すると,第 1図のように表せる(図中,戸

は均衡利子率,A*, B*は,均衡での債券需給額を示す〉。

以上より,ケインズが,利子率の決定を動学的な意味で考えていること,流

動選好説による利子決定論を説明する際には,叙述上の戦略から財市場の需給

(9) この図は,かつてラーナーが流動性選好説と貸付資金説の同一性を論証しようとして,

描いた図と全く同じである。これに対して Fラインは,ラーナーが所得を所与として描い

たものとみなして批判しているが,これは誤解である。詳しくは, Lerner[12]pp..215-16,

Klein [11]邦訳 PP引 128-9参照のこと。

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-26ー 第 62巻 第2号 106

第 1図

r

L M I=S L+I M+S

¥ lilt-spa-BE白山・・

-

a鳳叩EEEEBEE-aEEl

ー↑i

* r

、、

、、

計 >0 -、-、、、「、-

M,L X=B*

均衡を前提にしていることが明らかになった。

そうすると, ワルラス法則を前提にする限り,財市場が不均衡の場合,した

がって貯蓄投資が一致しない場合には,もはや利子率の決定を貨幣需給 (M

-L)で説明することはできない。その場合,彼の言う流動性選好があくまで「繰

延べ貨幣請求券と引き換えにした現在貨幣の需要」であるとすれば, もはやそ

れは貨幣の需要ではなく,債券の供給(貸付資金の需要〉とみなさなければな

らない。そうすれば,利子率は,依然として流動性の需給で決定されると表現

できるにしても,本質は債券需給で決まると考去ることになる。彼は,そのよ

うに考えたので、あろうか?

それを判断する決め手は,ケインズ自身が(4)式で示されるようなワノレラス法

則を想定していたか否かである。この点を明らかにしておくことは,彼がワノレ

ラス法則を念頭に置いていないという主張の妥当性を考える意味で重要であ

(10) 彼が流動性選好説を議論する際,財市場の需給均衡を仮定した理由として,これ以外に,彼自身,財市場において短期均衡を仮定することが伝統的な取り扱いであると思い込んでいたことがある (Keynes[9J pp. 179-83)。いずれにせよ,この仮定はケインズの目的を達成する意味では有効であったが,後に大きな誤解を生じさせる結果となった。置塩

[19J pp.. 54-5参照。

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107 利子率の決定とケインズ -27-

。。αるこれを確かめるには,彼自身が財市場の不均衡を前提に,より一般的な形式

で利子率の決定を議論している論文に当たる必要がある。しかし,残念なこと

にあらかじめ財市場の不均衡を想定した利子率の決定理論を展開した体系的な

著作物を残してはいない。

唯一その手がかりになるのは~.一般理論』発表後に,彼がロパートソン (D

H.. Robertson),オリーン (BOhlin)との間で交わした利子率決定論をめぐる論

争である。この論争を通じて彼らの間で交わされた数多くの私信や論文を手が

かりにする以外,彼の考えを推測するすべはない。幸いなことに,彼らはケイ

ンズと違って,初めから財市場の需給不均衡を想定して議論しているから,彼

がそれについてどのように反応したかを分析することによってその手がかりを

得ることができると思われる。

IV 利子率の決定と貯蓄投資要因

両者の間で一貫して論争になったのは,貯蓄・投資要因が果して利子率の直

接的な決定因であるか否かであった。

(11) こうした主張する人々に,例えば S.C Tsiang, D Foleyがいる。中でも, Foley [2J の主張は,一般のマクロ経済学のテキストで流動性選好説を説明する際の理論的支柱に

なっているように思われる。それによれば,資産ポートフォリオの配分が期首の一時点で

なされるとすると,資産保有者の貨幣や債券の需要は単に資産の期首賦存量に制約をう

け,期間中の貯蓄投資量から制約を受けることはないという。貯蓄投資量からも制約をう

けるワノレラス法則と区別して,この制約を「資産制約」と呼んでし、る。彼によれば, これ

がケインズの流動性選好説の前提になっているという。これが果して,ケインズ自身が考

えていたものかどうかは,以下で明らかにされるが,その作業が Foleyの議論それ自体を

否定することにはならない。ケインズが考えていたかどうかは別にして,その議論自体の

妥当性は別途検討しなければならない。これについて,直接検討したものに藤原 [23J第

3意 (pp.115-4のがある。なお Foleyの議論の要旨については, Harris [3Jが参考に

なる。

S. C Tsiang [16Jについては本文内で後述される。

(12) ロパートソンやオリーンとの論争を通じて,ケインズは事前の支出決定が実現すると

した『一般理論』での処理方法が当時の経済学者の取扱い方法とかけ離れていることに気

付き r今では,再び本を号室くような機会があれば,始めに私の理論を短期期待が常に実

現すると仮定して書き始め,その後の章で短期期待が実現しなかった場合にどの様なこ

とが生じるかを示すであろう。J(Keynes [9J p.. 181)と述べている。

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-28ー 第 62巻第2号 108

ロパートソンやオリーンは,様々な理由をあげ,利子率の変化が貯蓄性向や

資本の限界効率等の貯蓄投資要因によって直接影響されると主張した。中でも,

本稿とほぼ同じモデ、ノレを前提に,最も論理的に議論を展開したのはオリーンで

ある。彼は, ワルラス法則(4)に依拠して,流動性選好説と貸付資金説が相違す

るのは,両説の間で財市場の需給の取り扱いが異なっているためで、あり,もし

財市場の需給一致を仮定すれば両説は同一になるが,財市場の需給が不均衡の

場合には,彼の主張する貸付資金説が正しいと述べた。さらに(4)式をもとに,

貯蓄投資要因が利子率の決定に影響するとしてケインズを批判した。

すなわち, (4)式を変形して,

B-A言 (I-S)+(L-M) (12)

とすれば,貸付資金の需給は,貨幣の需給と財市場の需給を反映する。よって,

利子率は,ケインズが強調する貨幣の需給要因によって影響を受けるが,貯蓄

投資要因によっても直接影響を受ける (Ohlin[13J p 211)。例えば,投資要因で

ある資本の限界効率の変化は,代替効果を通ずるか (Keynes[9J p..11, p.. 199

-200, Ohlin [14J p..427),投資資金の需要を変化させることによって,利子率

の同方向への変化を引き起こすというのである。

これに対し,ケインズは,当初これらの要因が利子率の動向に影響を及ぼす

のは,直接的ではなくむしろ迂目的だと主張した (Keynes[9J p..225)。すなわ

ち,それらの要因の変化が直接影響を与えるのは,所得の水準であって,利子

率が影響を受けるのはこの所得の変化によって貨幣需給に不均衡が生じるから

だというのである。実際,財市場の需給一致を仮定するケインズの想定のもと

では, (12)式から 1-5の項目が脱落するから,貯蓄投資要因の変化が債券需給に

影響を及ぼすのは,所得の変化を介する迂目的な経路しかない。

その後,双方の間で財市場の需給の取扱いに相違があることに気づいたケイ

ンズは,オリーンの反論に対し,次のような主張をしている。すなわち,事前

の投資 Iが資金需要を変化させることによって,利子率に影響を及ぼす可能性

(13) Ohlin [13] [14]。(14) Ohlin [14] p 426。

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109 利子率の決定とケインズ QJ

2

が強いことは確かだが,事前の貯蓄 Sは資金的裏付けをもっていないため「有

効な」資金供給要因にはならないというのである。

ケインズの反論が妥当か否かは別にして, (12)式をもとに,貯蓄投資要因が利

子率の直接的な決定因であるというオリーンの主張は果して正しいだろうか?

投資要因の変化が代替効果を通じて lであれ,投資の資金需要を変化させる効果

を通じてであれ,利子率の変化をもたらす可能性が高いということと,無条件

にそれが生じるということとは,別の事柄である。オリーンの主張によれば,

例えばリンゴの需給を決める要因に変化が生じれば,必ず,蜜柑の価格が変化

することになるが, このことは明らかに無条件には成り立たない。

(12)式で言えば,貯蓄投資要因が変化して直接的に変化するのは,財市場の需

給(1-5)であるが,それが即債券需給 (A-B)を同方向に変化させるわけで

はない。貨幣需給 (L-M)が反対方向に変化する場合すらある。先の投資の例

で言えば,何等かの要因でL投資が増加したとしても,それがいつも資金需要B

を増加させ,利子率を上昇させるとは限らない。手元流動性の需要 Lを引き下

げることによって資金調達をすれば,逆に利子率は低下するかもしれない。ま

た,貯蓄性向が上昇した場合, (12)式において貸付資金の超過需要が低下するの

は,貯蓄の増加が全て債券の購入に向けられたからであって,貨幣の保蔵に向

けられれば貸付資金の超過需要は変化しない。

したがって利子率は,直接的には貸付資金の需給そのものによってしか影響

を受けない。たとえ,この資金需給が貯蓄投資や貨幣需給を含んで、いるとして

も,それら個々の需給要因が利子率に影響を与えるのは,あくまで貸付資金の

需給に反映することを通してでしかなし、。その意味では,ロパートソンやオリー

ンの強調する貯蓄投資要因であれ,ケインズが強調した流動性選好要因であれ,

それが貸付資金の需給を変化させない限り,利子率の変化に影響を及ぼすこと

はない。よって,仮に(12)式を想定しているからといって,オリーンの主張を肯

定するわけにはいかなし、。

(5) 置塩 [19Jp 55,二木 [24Jpp.. 48-490

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-30- 第62巻第2号 110

このように,当時貸付資金説を唱える人々が,利子率の決定因として,誤っ

て貯蓄投資要因を強調したことは,両者の聞での誤解を一層増幅させる結果と

なった。

V ファイナンスと流動性選好

しかし,事前の投資がファイナンスのための資金需要を通じて利子率に影響

を与えるというオリーンの主張を受け入れたことは,結果的にケインズが財市

場の需給不均衡を考慮して利子率の決定論を考えるきっかけになった。経済活

動において投資の役割を最も重視してきたケインズにとって,計画時の投資の

資金的裏付けが重要であるというオリーンの主張は傾聴に値するものであつ

ど支出計画が実行される以前の段階,したがっていまだ所得が形成されていな

いにもかかわらず,投資の計画に必要となる資金の需要は,利子率に影響を及

ぼす可能性がある。にもかかわらず,それまでの貯蓄投資の均衡を仮定したフ

レームワークでは, これを取り扱うことはできない。というのも,貯蓄投資の

均衡の仮定は,事前の支出計画が実現するという意味で,事前と事後が等しい

ことと同義であるからである。したがって,もしこの資金需要要因を考慮する

には,事前と事後を区別し,財市場の需給の不一致を想定した体系を考えなけ

ればならなし、。

彼が,実際どの様に考えたかを明らかにするため,彼の考えが比較的まとまっ

た形で示されていると思われるこつの論文「利子率の‘事前的'理論J (1937),

「資本形成の過程J (1939)を)1買に検討していこう。

1. r利子率の‘事前的'理論」

この論文は, 1937年 Economic.J oumal誌上でロパートソンやオリーンとの

間‘で行われた論争の中で,ケインズが最後に発表したものである。

まず彼は,投資のファイナンスを,それが実行される以前の段階で必要とな

(6) OhJin [13J pp..61-62。(17) Keynes [7J。この論文は, Keynes [9J pp 215町 23にも収められているが,以下での引

用筒所の頁番号は, Keynes [7Jでのものである。

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111 利子率の決定とケインズ -31-

る資金と定義する。

次に,計画時に必要となる資金の源泉(供給要因)を問う。そこで,まず,

オリーンの意味での事前の貯蓄は,実現していない所得をもとに計画されてい

るため,有効な供給要因ではないと批判し,事前の投資の資金需要に対して真

に有効な供給要因は,現行の貨幣残高と流動性選好の状態(負の保蔵)である

とする (pp..664-5)。

そして,上記要因に追加される資金供給要因について述べている。彼の考え

を掴む上で重要な部分なので,以下原文で引用すると,

“1 return to the point that finance is a revolving fund. In the main the

flow of new finance required by cunent ex-ante investment is provided

by the finance released by cunent ex-post investment When the flow of

investment is at a steady rate, so that the flow of ex-ante investment is

equal to the flow of ex~post investment, the whole of it can be provided

in this way without any change in the liquidity position. But when the

rate of invetment is changing in the sence that the current rate of ex-ante

investment is not equal to the cunent rate of ex-post investment, the

questions needs further consideration." (p“ 666)

この文章は,事前の投資に必要な資金は,事後の投資(投資財の売上げ),従っ

て事後の貯蓄によって回収されるため,事前の投資=事後の貯蓄という意味

で,投資が恒常率にあれば,追加的な資金需要を形成することはないが,事前

の投資ヰ事後の貯蓄の場合には,さらに検討しなければならないと読める。

当然,この論理は,事前の消費と事後の消費の聞にも成立しなければならな

いから,その場合を含めて,彼は次のように述べている。

“It follows that, if the liquidity-preference of the public (as distinct from

the entrepreneurial investors) and of the banks are unchanged, an excess

in the finance required by current ex-ante output (it is not necessary to

(18) ほぼ同じ主旨の文章は, Keynes [6] p 247-8でも述べているが,上記引用文の方がよ

り明確である。

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-32ー 第 62巻 第2号 112

write “investment", since the same is true of any output which has to be

planned ahead) over the finance released by current ex-post output will

lead to a rise in the rate of interest; and a decrease will lead to a falL"

(p. 667)

この文章を理解する際の問題は, ex-ante outputとex-postoutputをどの様

に考えるかである。特に, ex-ante outputが問題で,仮に字句通り「事前の生

産高」と受けとれば,それまでの議論とつながらなくなってしまう。この用語

自体が, この段落にいたるまで使われておらず,直前まで事前の投資と事後の

投資が資金需給に如何に関係しているかを議論していることから,私見では,

ex-ante outputは事前の消費をも含めた計画支出額, ex-post outputは文字通

り事後の生産高すなわち実際の生産額と理解すべきである。

このように考えると,上記引用箇所は, もし企業を除く公衆と銀行の流動性

選好が不変である場合には,事前の総支出が事後の総支出を上回れば,その超

過分が追加的な資金需要を形成するから,利子率を引き上げると読むことがで

きる。

しかしここで注意しなければならないのは,事後の総支出は事前の支出が計

画されるより前のものでなければならないという点である。というのも仮に事

後の支出を事前の支出に対応して実行に移されたものと考えれば,明らかにそ

れは事前の支出に必要な資金を提供しえないからである。したがってここで言

う事後の総支出は資金調達が行われる以前のものでなければならない。

このことを踏まえた上で,事前の支出に必要な資金需要の源泉がその時点で

の貨幣残高と負の保蔵であるということと,事後の支出が資金供給要因の一部

であるという彼の主張が斉合的に導出できるか否かを確かめてみよう。

資金調達と財の取引が同期させた第II節のモデノレと異なり,支出の実行に先

だってあらかじめ資金を確保することが仮定されているので,各主体の予算制

約は次のように書ける。

企業 • Mt+B三 I+Bo+Lf

家計 MOh+Bt三 C+Ah十Lh

(13)

(14)

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113 利子率の決定とケインズ -33-

銀行 M+B8三 Mo+Ab (15)

Mo三 Mo+Moh Bo三 Bt+B8

これを集計すると B-A三 E一(M-L) 。。となる。ここでE三 C+Iである。これより,事前の支出に必要な資金需要 E

の源泉(支出準備金)がその時点での貨幣残高 M と負の保蔵 (-L)であること

が分かる。

次に,前期での資金需給の一致を仮定すると,

Bo-Ao三 Eo-(Mo--Lo) = 0

だから

Mo = Lo+Eo。

これより,

B-A言 L1B-L1A == L1E -(L1M -L1L) (17)

が成立する。なお dは前期の値との今期首の事前の値との差を示す記号であ

る。ここで,前期の支出にもとずいて前期中に生産された生産物に対する受渡

しが,今期の資金調達の前に実行されると仮定しよう。このことは,支出と生

産の聞に一期間の遅れを仮定することに等しい。すあと,Y=E。となるから,

(17)式は次のようになる。

B-A三 (E-Y)一(L1M-L1L) (18)

(1カ(18)式より,もし公衆と銀行の流動性選好の状態が変化しないならば (L1L= L1M = 0),支出が増加する (E> Eo)もしくは事前の生産額が事後の生産額を

上回れば (E>Y),資金の超過需要が発生して (B>A),利子率が上昇するこ

とになる。

これで,事前の支出に必要な資金需要の源泉がその時点での貨幣残高と負の

保蔵であるということと,事後の支出が資金供給要因の一部であるということ

(19) (18)式右辺第一項は E-Y=I-Sと表すことができるから,資金供給要因として事前

の貯蓄を否定するケインズの主張と矛盾すると考えられるかもしれない。しかし,彼が,

事前の貯蓄という場合,それはオリーンの意味での貯蓄,すなわち

事前の貯蓄=予想所得 事前の消費

を念頭においているのである。

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-34ー 第62巻 第2号 114

が斉合的に導出できたことになる。

あわせて,(18)式の右辺第一項は今期の財の超過需要を表しているから, (18)式

自体がワルラス法則の成立を意味している。貨幣についてストックで表示した

場合についても, (16)式より

B~A 三 (E-- Y)+(L+ Y-M) (19)

とすればワルラス法則の形式に書き直すことができる。

こうしてケインズは,貨幣需要を,支出準備金のための貨幣需要 Eと保蔵の

ための貨幣需要 Lとから構成される結果,資金調達時の利子率が依然として貨

幣需給によって決定されると考えたのである。

したがって,当該論文の終わりのあたりで,

“The demand for liquidity can be divided between what we may call the

active demand which depends on the actual and planned scales of activity,

and the inactive -demand which depends on the state of confidence of the

inactive holder of claims and assets; whilist the supply depends on the

terms on which the banks are prepared to become moa or less liquidい In

a given state of expectation both the active and passive demands depends

on the rate of interest" (p句 668)

と述べている部分は斉合的に理解可能になる。まず,従来の貨幣需要 Lが活動

需要Llと非活動需要 L2に分割可能で,計画活動水準 (plannedscales of ac-

tivity)が事前の支出 E(三C+I)であるとすると,

流動性の需要三資金需要三 (E+Ld+L2 仰

と書ける。本文中の活動需要は,(E+ Ll)である。 ここで L2およびEは利子

率の関数であるから,確かに活動的需要,非活動的需要ともに利子率に依存す

る。

一部のポストケインズ派は,ケインズのこうした議論に依拠し,従来の貨幣

保有動機に新たに‘financemotive'なる動機を加えることによって,単純に従

(20) Tsiang [16Jもほぼ同じ考え方をしている。

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115 利子率の決定とケインズ -35-

来の貨幣需要関数に修正を加える。そこでは,財市場の需給均衡を仮定したま

ま,貨幣の取引需要が依存する変数として,所得に代え,消費や投資を当てて

いる。既に述べたように財市場の需給均衡を仮定することは,支出について事

前と事後を区別しないことである。計画したものは当該期に実現するから,事

前に必要となる資金は全て回収され,期間中に追加的な資金需要は生じない。

それが発生するのは,事前の支出が事後の支出を上回る場合である。

よって,事前と事後を区別していない彼らの定式化は,ケインズの考え方を

正しく反映しているとは言いがたし、。

2, i資本形成の過程」

この論文は, 1938年ジュネーブで開催された国際連盟の統計専門委員会が発

表した「資本形成に関する諸統計」とし、う報告書を論評する形で書かれている。

ケインズによれば,この報告書は,貯蓄投資統計を整備するための予備的作

業として,投資計画が実行に移されるまでの投資資金の源泉を明らかにするこ

とを目的にしている。特に,報告書が問題にしているのは,投資資金の源泉と

貯蓄との関係である。報告書では所得支出ラグを前提にして,投資資金の源泉

が,前期の貯蓄と今期の信用拡張ならびに負の保蔵から成ると主張していると

述べている。そして,ケインズは,このアプローチに対し「し、まや,これが貨

幣の流通過程を分析するための興味深くかっ教育的な方法であるという点につ

いては,その後の分析にもよるが,論理的な難点は見られない。J (p.281)とし

て基本的には同意する。これは,第 II節のように,資金調達と資金還流が同

(21) Davidson, P [lJ , Rousseaus, S [17J pp..29-45. (22) Keynes [9J pp..278-85。この論文は,題名のせいか,これまでケインズの利子率決定

を問題にする際にはほとんど注目されてこなかった。実際の内容は以下本文で説明する

ように,もっぱら投資の資金調達に関わる議論である。この論文は,彼が利子率の決定に

関する見解を公にした最後の論文である。

(23) 当該論文の抑注で,この委員会の構成メンバーや助言者の中に,スウェーデン学派のノレ

ンドベノレグや,ロパートソンがし、たことを紹介しており,この報告書の分析方法が彼らの

考え方を強く反映していることを示唆している。なお,この論文が対象としている委員会

報告書が入手不能なため,報告書の内容がケインズの解説通りか否かは不明である。本稿

では,報告書の仮定を前提にした場合,ケインズ自身がどの様に考えたかを問題にしてい

るので, この点は障害とはならない。

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F0

3

第 62巻第2号 116

時発生するとみなすより,所得支出ラグを仮定してそれらを分離するほうが,

資金調達→支出→資金還流〔所得〉→資金調達…

とし、う貨幣流通の連鎖がより明確になるからである。

しかし,前期の貯蓄(前期の投資財売上げ〉だけではなく,前期の消費財の

売上げもまた資金源泉となること,投資ばかりでなく消費も計画時に資金が必

要になることを理由に,報告書での投資を基準にした資金源泉の表現は不十分

だとする (p引 282)。そして,次のように述べている。

“As soon as it is understood that the available funds arise from the whole

of the money income earned at a previous date, whether saved or spent,

supplemented by dishording and credit expansion, and are then employed

for the whole of production (or other monetary transactions) at the

subsequent date whether for investment or for consumption, their sche-

matism breaks down completely in so far as it supports to relate the funds

arising from savings at a previous date to the funds required for invest-

ment at a subsequent date,'" (pゎ 283)

これによると,所得と支出の間に遅れを仮定して,支出計画が実行に移される

前に必要となる資金準備(ファイナンス〉は,貨幣供給と負の保蔵ならびに前

期の所得である。これが今期の支出に利用されることになるから,資金需給要

因は次のように書ける。

資金需要三今期の生産額

資金供給三前期の所得額+(貨幣供給+負の保蔵〉

したがって,資金の超過需要は次のようになる。

資金の超過需要三今期の所得額一前期の所得額

一(貨幣供給+負の保蔵) (21)

当該論文でケインズが想定しているモデルの特徴は,所得と支出の間に遅れ

を想定することによって,支出のファイナンスの源泉を今期の所得ではなく,

前期の所得に関係づける点にある。そこで,所得と支出の聞に一期間の遅れを

想定し,財市場に先だって債券市場が聞かれると仮定した場合に, (21)式が導出

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117 利子率の決定とケインズ -37-

できるかどうか調べてみよう。

仮定より,企業と家計が今期の財や資産を購入するために,今期の所得を利

用することはできない。利用可能な所得は前期末に分配された所得であり,そ

れは貨幣の形態で今期首に持ち越されるから,資金調達時の各経済主体の予算

制約は,上述の(13)-(15)式と同じと考えて差し支えない。よって, (16)(17)式も妥当

する。ただ,前モデルと異なる点は支出計}画が当該期間中に実行に移される

ということである。

そこで,前期末の財市場の需給一致を仮定すると,YO = E。より(18)式は次の

ようになる。

B-A三 (E一日)一(L1M-L1L) (22)

この式を,チャン (S,C. Tsiang)は「資金制約 (financeconstraint)Jと呼んで、,

ワルラス法則と区別する。確かに,この式は経済主体が財市場に先だって,債

券市場にアクセスする際の制約を表しているから,形式上ワルラス法則になっ

ていなし、。しかし,次に聞かれる財市場へのアクセスを考慮するために,生産

量 Yを導入して凶式を変形すれば,容易にワノレラス法則は導出することがで

きる。

(Y -E)+(B-A)+(L1M -L1L一(Y-Yo))三 O

さらに今期の支出 E も実現すると仮定すると,Y =sより

B-A三 (Y-Yo+L1L)-L1M

(23)

(24)

と書ける。これは(21)式と同じ式である。ここで倒式右辺の中括弧はフロー表示

による貨幣の超過需要を表している。これをストックで表示すると次のように

なる。

B-A == L+ Y-M 倒

この場合,貨幣供給 M を所与とみなし,消費 Cと貨幣需要Lは前期所得に

依存することに注意すれば,今期の所得と利子率の一時均衡は,

(24) Tsiang [16J (25) 藤原 [23Jpp. 83-102。

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38-

Y = C(Yo)+I(r)

M = Y+L(れ, r)

第 62巻第2号 118

(26)

(2の

で決定されることになる。この一時均衡は,所得について一期間の遅れを持っ

ているので動学方程式である。消費 Cや投資 1,貨幣需要Lの関数形について

通常の想定をおけば,容易に動学的安定性を証明することができる。

さらにケインズは,この論文の最後で,ファイナンスの概念を導入するに至っ

た経緯ならびに,ファイナンス概念をとりいれた流動性選好説と貸付資金説の

異同について述べている。 (PP..283-4)

それによると~.一般理論』では投資の資金調達の側面を省略したが,批判を

受けて,前掲論文でファイナンスの概念を導入したこと,ファイナンスは投資

支出ばかりでなく消費支出をも対象にした概念であること,そして流動性選好

説は「あらゆる流動資産の需要が利用可能な供給を求めて対等に競り合う」よ

うに利子率が決定されると考えるのに対し,貸付資金説は投資の需要と,その

目的に利用できる資金プールとの相互作用によって決定されると考えているこ

と。

先のモデルで表現すれば,貨幣供給 M を流動資産の供給,保蔵Lに支出準備

金Eを加えたものを流動資産の需要とみなし,この相互作用によって利子率の

決定を説明するのが流動性選好説であると考えるのに対し,これを投資資金の

需給の形式で表現しなおしたものを貸付資金説と考えている。すなわち,

B-A == 1一(M-L-C) 帥

で利子率の決定を議論するのが貸付資金説だというのである。ここで右辺中括

弧が投資に利用可能な資金プールを表す。これはれき C+S,Mo三 Lo+YO

を考慮すれば,

B-A三 I一(S+L1M-L1L) (29)

(26) 事前と事後の貯蓄を 5,5aとおき,事前の消費 Cが実現すると仮定すると,5 = Yo-C 5a = Y-C = (Y-Yo)+5

となる。ここで,Y-Yoは「意図しない貯蓄」を表しており,今期のフローの貨幣需要の一部を構成する。藤原 [23]pp.. 83-94参照。

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119 利子率の決定とケインズ -39ー

と書くこともできる。

VI ストックとフロー

冒頭で述べたように,近年,一定の単位期聞を想定してケインズモデルを考

えるのではなく,経済の瞬時的な状態を描写するものとして理解して,流動性

選好説=ストック分析,貸付資金説=フロー分析とみなす傾向がある。

r一般理論』が出版された当時, これとよく似た解釈をしたのが,ショー (E

S. Shaw)である。彼は,ケインズへの私信 (Keynes[10J pp. 276-9)の中で,ケ

インズのモデルは,経済の状態の瞬間を捉えたものであること,そして流動選

好説では,一時点の貨幣ストックの需給が利子率を決定するがゆえに,投資や

貯蓄といったフロー要因が利子率の決定因に入る余地はないとして,ケインズ

を弁護している。これに対して,ケインズは返信の中で次のように書いている。

「私は,一時的な諸決定が有効となるに十分な期聞を仮定した短期均衡に興

味があるのであって,瞬間描写 (instantaneoussnapshots)には興味があり

ません。J (Keynes [10J p..280)

ケインズが,一定の期間を想定し,その中で経済主体が財や資産の需給の決

定を行うことを想定して議論していることは,先に検討したこつの論文からも

明らかである。

さらに,彼がストックとフローについて, どのように考えていたかは,ラー

ナーの論文[12Jにおけるその取り扱いを見ればよい。ケインズは,先のショー

に対する返信の中で,この論文でのストッグとフローの取り扱いが自らの考え

方と全く同じであると述べている。ラーナーは,単位期間において,期末の資

産ストック需要から期首賦存量を差し引いた増加分をフローの資産需要とみな

し,資産需給をストックで表そうと, フローで表そうと無差別であると述べて

(27) 離散形式のモデノレを,連続形式のモデノレに変換するという手続きにより,これを証明し

ょうとしたものに, Foley [2] , Turnovsky [18]邦訳pp.45-84がある。

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-40- 第 62巻 第2号 120

いる。これは,ストックとフローについての伝統的な取り扱いと全く同じである。

VIIょおわ以に

本稿の目的は,ケインズの利子率の決定についての考え方を明らかにするこ

とであった。彼の考えを要約すれば次のようになる。

まず『一般理論』では,単位期間中に支出・所得形成が同時に発生するモデ

ルを前提に,事前の支出が実現すること(財市場の需給一致〉を仮定すること

によって,周知の流動性の需給による利子率決定論を展開した。

しかし, この想定のもとでは事前の支出に必要なファイナンスが支出の決定

や利子率に与える影響を分析できないことに気付いたケインズは,ファイナン

スの重要性を強調するために,資金調達と支出の実行(=資金還流〉とを明確

に区別し,支出計画に必要な資金を確保した上で支出を実行すると想定した。

このことは,事前の支出に同額の貨幣的裏付け,すなわち「流動性の制約」を

課すことを意味するが, これによっ!て,彼は依然として流動性選好説が妥当す

ると同時に,支出決意、と利子率の関わりを強調する貸付資金説とのギャップを

埋めることに成功したと考えたのである。

しかし第II節で説明したように,こうした方法を採らなくても,資金需給=

流動性の需給とみなす彼本来の考え方を支出と所得形成を同期化させた通常の

モデルに適用すれば,支出のファイナンスが利子率の運動に及ぼす効果を分析

することは可能である。その場合は i貸幣需給」に注目するのではなく,素直

に貸付資金需給に注目しなければならない。

今日,依然としてケインズが「貸付資金説」を否定しているかのようにみら

れているのは,貸付資金説を唱える人々が誤って貯蓄投資要因を強調したこと

に加え,彼自身が「流動性選好」という概念に固執し過ぎたことに原因がある

ように思われる。

(28) ラーナ}は,先の第 1図における貨幣需給をフローで表しているが,ストックで表して

もかまわないとしている。本稿の第 1図はストックで表されている。 Lerner[12] PP 218-20。

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121 利子率の決定とケインズ -41-

引用文献

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Page 24: 利子率の決定とケインズ - 香川大学shark.lib.kagawa-u.ac.jp/kuir/file/5345/20190528134702/...利子率の決定とケインズ 藤井宏史 I はじめに これまで経済学の数多くの論争の中で

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