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目黒寄生虫館月報 1 1 白羽136{P2)J10 R 発行 ・ 1 )J11fll10 1 ;11j 34昭和 3612 日本の肝吸虫 鈴木下司 t の発見という輝かしい業組をith め,実に多くの研究が 指に余る。新感泌がどのいみるかということも疑問で 現在までに行われている。 ある 。 今日 「日本における符生虫学のj i J f'f'G J 2 巻に IJT 一方,予防とし 、うことに日を 1"'1 けると,宰なことに 虫の分市と疫'1: を分担執筆することになり,過去の疫 工場のIfli 汚水, jLt 糸川薬剤 とか,池沼などのニl ユ沢とか 学に関する研究論文を沙dii( する機会を得たのであるが, の問般的安岡がし、つの 1 1 ¥1にか日本の1I1'!反虫症を次第に 上記の発fl ・史の完成及び 2 3 のすぐれた研究は存じ 減少せしめているらしい。だ,一体, 1 1 1'吸虫の予 防や ても,こと疫学:に関しては全くなされていないといっ j;t滅に本格的に取りくんだだろうか。全くその対策は てもよいようである。 放置されていたと云わざるを符ない。これもつまりは 勿論, 1900 年初Ii Ji から引在までに約 300 余に遥する I I T!吸虫の疫学研究が行われていなかったための結果で あろう 。 し,その大i 恨分は!灸使l点前に過ぎない 。 また,これら こう考えてみると, 111 吸虫の疫'子的研究が余りにも 1'3 には 年 令;JIJ 感染中とか,性別感染7 十とか,職業別 なおざりにじていたことに気づき,そして反省をする 象でわっ てそれ以上のものではない。 そこでこの機械に多くの人が円本の風土病のーとし 一歩下っ て,分布状況のl 淵五でもよい。 ところが多 ての!日吸虫に視野を向けて引くことを希翠すると共に くの羽 左は ,ー ,二の IIIJ村が訓べられただけで感法卒 治療を含めた IJ I 吸虫の研究が再1J 11; きれ,白木独自の展 がどうこうという報告である。 l J i l をすることをのぞんでやまない。 しかも,これらの dataは戦前のもので あって現在 (I ' L; IW 1 = 1 で!士通用 しないことが多い。記録のじから,過去には

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Page 1: 目黒寄生虫館月報 - Coocankiseichu.la.coocan.jp/news/mpmnews34.pdf目黒寄生虫館月報-3- れ孫弟子の指導をなし本子Ilj m学の発展に寄与している。 累代文雄の家~に薫育せられた先生は科学界まれに

目黒寄生虫館月報11白羽136{P2)J10 R発行 ・1可)J11fll10ト1;11j

第 34号 昭和 36年 12月

日本の肝吸虫 鈴 木 下 司 t

日,仁こおけるJ1f吸!1~の l肝%は,第一, 第二 "1こl間布主 感染τ告が存したらしいが,現在では全く不明の~1~ lJao ,

の発見という輝かしい業組をithめ,実に多くの研究が 指に余る。新感泌がどのいみるかということも疑問で

現在までに行われている。 ある。

今日 「日本における符生虫学のjiJf'f'GJ第 2巻にIJT吸 一方,予防とし、うことに日を1"'1けると,宰なことに

虫の分市と疫'1:を分担執筆することになり,過去の疫 工場のIffli汚水, jLt糸川薬剤とか,池沼などのニlユ沢とか

学に関する研究論文を沙dii(する機会を得たのであるが, の問般的安岡がし、つの11¥1にか日本の1I1'!反虫症を次第に

上記の発fl・史の完成及び 2,3のすぐれた研究は存じ 減少せしめているらしい。だ,一体, 111'吸虫の予防や

ても,こと疫学:に関しては全くなされていないといっ j;t滅に本格的に取りくんだだろうか。全くその対策は

てもよいようである。 放置されていたと云わざるを符ない。これもつまりは

勿論, 1900年初IiJiから引在までに約 300余に遥する IIT!吸虫の疫学研究が行われていなかったための結果で

各11生の IJï 目立!Í~の侵白状態についての被告はある 。 しか あろう 。

し,その大i恨分は!灸使l点前に過ぎない。また,これら こう考えてみると, 111吸虫の疫'子的研究が余りにも

の1'3には年令;JIJ感染中とか,性別感染7十とか,職業別 なおざりにじていたことに気づき,そして反省をする

感殊事をみているものもあるが,これも所;WJ1支'学 I'r'~現 必~がある。

象でわっ てそれ以上のものではない。 そこでこの機械に多くの人が円本の風土病のーとし

一歩下っ て,分布状況のl淵五でもよい。ところが多 ての!日吸虫に視野を向けて引くことを希翠すると共に

くの羽左は,ー,二のIIIJ村が訓べられただけで感法卒 治療を含めたIJI吸虫の研究が再1J11;きれ,白木独自の展

がどうこうという報告である。 lJilをすることをのぞんでやまない。

しかも,これらの dataは戦前のものであって現在 (I'L; IW 1=1 ,');',0生虫trl'(1耳元託 , 予Jilf'(d'/U~ìl官,鈴木了可)

で!士通用 しないことが多い。記録のじから,過去には

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-2- 白黒寄生虫館月報

NHKテレビて放送

11月21日, rJ生虫予防1週間の第 1日に亀谷館長は,

千葉県五丹保健所長ヤ!I山鍬三郎|専一|→と共JこNHK r茶のl'iilの医学」に出演,主として寄生虫の害と鈎虫の対

策についてIJo111tし,五J:I保健所が千東大学柳沢教J受と

jよー同で成功した撲滅法について紹介した。

文部省より出版助成金

「日本における得生虫学の研究J第 2liの1-liIt&にあた

っては文部省より 出版助成金が交付され激励をうけた。

標本および文献の寄贈

11. 18 東京都市場術生険査所よりマフグ12匹,ヨジ

ギリザメの内臓

11. 21 スーダン大学教授:~f保先生よりツェツェパエ

(アフリカ産)(Glossina附 orsilansWestw,

Glossi向。ραltalisRob. Desv.) 5 i&

11.23'前j同補生Jiff究所より 「大浜110・,大井IIIJにげる

JliIi吸虫の調査並びに治療成績についてJ1音Ii

11. 27 久留米大学教段阿部浩洋tJ]J:より 「パ γクロ

フト糸状虫hfの免疫学的研究」他10篇

11. 29 岡山大学教授11-1iÌ r.可決正博Jでより開~,\j: 1 5周年記

念「研究業給日銀J1音IS。

12. 2 日本動物園水Ib、館協会より動物園水族館側誌

Vol. III. No. 3.

短信

11. 18 試料保集のため東京-til3市場術生試験場,中央

市場へ1JII)j主也子'I'(変也研究員IU張。

11. 19 亀終館長,N HK テレビ局へI:U~待。

11. 19 亀谷俊也研究員, Ijl殻類学会 (真鶴)へI:I:¥N官。

11. 21 常山化学医楽部久保良eiii氏,斧原脊雄氏系館。

11.24 in日新1m社会部安原和維氏来館。

11. 25 千主主大文理学部;j:j:~友三郎防 I~来館。

11. 30 愛知県中部笥生虫予防研究所的田筆先生来館。

11. 30 国立清瀬病院附属高等手守護婦'学院生徒一行29

名。

12. 4 予liff,鈴木 f司博-:1:, r日本における寄生虫

学の{iJfヲ'GJ第 2と22忍終校正のため来釘"

12. 6 ユネスコ凶内委員会調査謀長波辺正氏*ftif有

{t在な指導を受く。

12. 9 国立東京第一病院病邸調IIj芸!同好会広明武材i先

生一行19名。

12.10 北海道大学教授山下博士来館。

12.11 句作館長,型r/{部盟事,スi{fS省へ。

12. 13 栃木県太田原市教宵委員向続安!Jju¥gJで来館。

生物同好会

本月は鴻j':ili のf,fS合で!~、議。

昭和 36年を送る

本年頭;ちりば「日本における寄生虫学の研究」 第 lを

のl:lI版で多忙を私gめ,引きつづき第 2巻の編棋にか

かった。 秋には保弘n文化賞受1'tというまことに喜

ば しい司iがおこり, 同時にi也元後t友会から Systemahelmintum 全巻,標本箱及びミクロ ー トムの寄贈

をうけた。年末には1:1:1版第 2をの校正完了新自与1.){U:¥

l坂されることになった。本年は1J川~j\JlJ[学土も研究に参

力11,小中高校学生の研究のため来館も多く ili況を呈し

た。来年こそはと怠気込んでいる次第でみる。

(iU谷)

日本寄生虫学会はじめの三会長 (5 )

1!I 放浪鑑先生

( 2 ) 先生の業 績(つづ主)

先生は白から輝かしい功紡を遺されたのみならず門

去るに多 くの問先者と指呼せられた。金沢大の'-1"村八太

I!日教授,JJiI滋病院長の倫材、兵三日!S!~仰のごとを先生と

J1U学!W二L:大阪大学名誉教校医学問卜古 川 ft 椛

ともに住j(ILIJ!k虫の研究にfiI以され, 岐阜大の江口季雄

教J受および名,Ii崖の安}j!,g;o;!R憾のごとき!Vi?'!の偉勲者

である。殊に:Tl:愛知低五年教授林山JJ)J!包|専のごときは後

年怒虫病研究において伶功を遺したほか, 病原原虫の

Wf究者として名高く, 1こ| 本寄生虫'子会~4 !亘iの会長を主}j

められたほどの人である。さらにこれら高弟にそれぞ

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目黒 寄 生虫館月 報 -3-

れ孫弟子の指導をなし本子Iljm学の発展に寄与している。

累代文雄の家~に薫育せられた先生は科学界まれに

見る文芸人であった 。 I~I 今東凶に有名な文去に私淑し

その著書を愛読 しあるいは翻訳 し,白からもまた詩文

を能くし, <f-,文佳作が多く|仕に伝えられている。その

書道に至 りてはすでに一家をな し, 11放の来年に際わ

潟前2年の出来事である。如何に先生が責任感を重ん

じ,不援不屈の努力心tこt喜んでおられたかが知られる。

この立派な人柄は,父抱伝来の遺伝的素質にもよる

であろ うが,また後天的先生自身の教養に基ずくこと

も大きいと信ずる。就中著しいことは,キリスト教信

者となられたことではなかろうか,先生は一高l時代に

れしという車111物を見ても書家の慨がある。長ずるに至 普及有ii音教会に入られ,学生時代を経て,実社会にU:I

つてはますます円熟し古家を凌ぐものがある。門人競 られてからも市'に教会tこ出入し,時には牧師宅に同居

うてその筆践を得んとするも容易に入手し得ざりしと し教を乞いつつ,教会のために貢献されていたので,

いう 。これら文芸上の逸品は先生遺芳として後世に残 その拶響により修廷を積まれたことはめらそえない。

されている。落款は五洋生,五洋学人あるいは liJに鍛 昭和 3年にはJ!jl乙ハイデノレベノレク・名誉神学侍二|の称号

となっている。 を受けておられる。しかし先生は徒らにキリスト教を

( 3 ) 先生の 人柄

先生の人柄については,以口|司苗にこれをほめてい

る。あるいは漠然と人陥者といい, あるい口走〈走、の強

い人と初、え,あるいは J!日口で努力家 と称し,智徳~iHf簡

のf子行一致家 と感心し,真1均の典型的人物にして万人

の色鑑と仰がれる人とし, I~界の東郷元日111 と心酔し,

);/.情に厚く,教えては{変更!I,厳父のごとく J~撫送、 l辻に

イ以たりとし,一見石に手l:をJ治せた偶像のようであるが,

内心は人情IJ;Ic豊かな菩隊像、である。守'-"とあらゆる善

志の表現で激賞されているが, 先生の先輩で最も親 し

き同僚である京大名啓教授足立文太11111~博は汐;のニーと

く 而 I~I い百薬で現わされている 。 すなわち, (1)人

をよく見過まる。 (2 )責任感が強過まる。 (3 )時

Ji ll を~111 しみ jl!] ぎる 。 ( 4 )謎['(jl!]ぎる。 (5 )夫i<¥ri1中が良i泊三「る。この芭:1,広をよくこく考えると先生の人柄

を遺憾なくいい現わしている至言だと思う 。

先生美徳のーっとして次のような逸話が残っている。

すなわち日本ftJIlL!政虫抗に闘し「片山病記」というの

がめる。これlifll官後編Lljの故)j?,f;J:1好也氏が法未日J、化時

代に片山病の症状を自筆 した同病に閲する最白の重要

文献として重視されたものである。原文はすでに印刷

せられているが,本!1!.のl肝究に熱心である先生1;):性来

の文芸好みにまかせ,その原本を好lî~U~の孫から悩り

てみられたのが不幸にも教室の火災 (大正14年)とと

もに焼失した。

先生の驚I'{ijと当惑は一方ならず,只管白i告の念に悩

まされたが,遂;こ数年後怠を決 して之が写本を企図 し,

縦5011![長さ 1651~K1í,; :こ及ぶ一大写本を完了せられたが,

文中に見青とあるべをを育児と誤記されたことに気付

き,惜しげもなくこれを廃楽 し, 更に一本と完成し自

己の討葉を追記しで返却されたのである。H寺tこ先生終

盲信されたのではなく,夙に宗教に関する研究には強

い確信を持たれ,只にキリスト教のみならず,仏教に

も淡い関心を持ってh!iられた。

それかあらねか,先生li臨終にあたり葬儀は.1H¥宗教

で行うよう j宣言された|却こて,葬儀に興かった人k は

葬儀の形式につき苦慮、し, 先生が生前,f市教に熱心で

めったことから儒学に造詣深き人の説に従い, f司J葬と

して無宗教葬が執行されたと伝えられている。

先生は{市教を修め,孔子京子のほか,老J':.こより i彦経

せられたので,先生の性行がこれに泌し、)j~響を受けて

いること も否めない。或るとき先生白からの活に「私

は老子の教を実行したおかげで,在狙l中不慮の災刻か

らのがれることが出来た」とある。これによっても先

生が知行合ーの資者であったかがいjる。

最後に先生の偉大さを巌も如実にまた最も有力に物

語るものは, FJj弟消野謙次医1専と川|上i析医1専の両氏に

より編集された「政浪先生追悼録J (昭和10年出版)

と 「藤浪先生遺影J(昭和11年111版)の二大著であろ

う。前者は当時各界に亘る先生の先輩知友,門高L,無庖;

百有余名の有名人の筆に成るもので B半Ij五711約 500

頁iこ及ぶ浩i鎗なもので1000部印刷し贈呈された白であ

る。後者(土先生及知友:の所蔵せる先生に関する遺影の

17" 129 5itをえらび,これを(1)学生時代。 (2 )留

学時代。 (3 )大学教授就任後。(4 )日本住JIlL吸虫

研究。 (5 ) i!fll家庭その他。 (6 )満州、|におけるベス

ト研究。 (7 )第 2回欧州旅行。(8 )ロ ァクフエラ

ー拍!的。 (9 )台湾における寄生虫研究。 (10)ブラ

ジノレ行。 (11)医央材料展及御棒芝類。 (12)イ少年の

前後。 などに )I~'i列区分し掲げられている 。 而して各染

にじ, I時,処,人名,その他当時の桜子など思い出の

材料となることがらが記され, 殊に驚く べきは多人数,

時に百を越ゆる場合で も正確にその人名が記入してあ

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4 ¥, 10 目黒寄生虫館月報 H百有136年12月10H発行(毎月1!旦110日発行)

ることで,かくしてこそ初めて写真帳保存の意義が尊

いのである。これは誰もが望むところであるが,なか

なか111来ねことである。私なども相当写真マニアをも

って自任しているが, j~ r程の注意、力に欠けているので,

外遊以来数百干の写真を集めながら,これが盤理の見

るべきものなきに引き比べ,先生のこの周到さに驚き

感服する外ないと忠っている。

少し余談に亘るが,この二大編著を敢行した清野謙

次医1専がその編著につき述べた言葉が,吾人後輩に教

う処少くないのでその要点を略記する。同i専士はi舌淡

快活で忠 うこと を遠慮なく z卒i存王斗l正凶t白1に言つて少 しもb叫;/陣|

ところのない人であるが,彼の大著追悼録の反響につ

き次のがlく言っている。 I動あれば反動がある。追悼

録を贈って敢えて礼状をlFlこうとは予期していない

が,司成り大部の書籍ではある し,発行費には相当

な苦心であった。上書きの番地名を書いて荷造して書

留便まで払って:11すのは可成り面倒である。まめ,つ

いた{立のハガキ一本はよこしたって 1分か 2分間の

労力だと思う 。ところが折角贈呈してもハガキ一本こ

ないのが少くなかった。その種の人の中には忙しいた

めに告げなかった人もあろうが,その事情を k 調査

:U来ない。… 然しi:I:!:の中はよくしたものだ。今日有

名な地位にあって忙しさの絶頂にある と忠われる人は

悉く u'rぐに返事をよこされている。10人が10人までそ

うである。つまりそう 言う人でなければ世の中の重要

地位には立てないのだ。忙しくてノ、ガキ一本書けなし、

と言うのは要するに口実である。この点その人の緊張

力を知り得て教えられる事力1多かった。」と これは吾人

の長も注怠すべき盲点を指適した名言至語と思 う。

同1専土は更に話を絞け,後期の遺影は色kの事情に

より 300部に限定1:1::版したので,前後篇追悼ー録のよう

に多人数に贈呈することが出来ぬから人選されねばな

らね。その つの条件として前篇の贈与に反応のなか

った人には不利の一点を与えることにしたと言ってい

/.;>。

私は主主なことに i吉野博士のこの逆鱗に触れずに美~fr

な豪華版「先生の遺影」を1J'l戴することが出来た。而

してその巻末に礼状を返されたJ¥kの内, 40人だけを

えらび礼状の全文が掲げられている。これを見ると第

一に独乙の病理学の泰斗アシオッフ教授 (Prof. L

Ascho任)(A,B,C!舶になっている)次に同じく独乙

の有名な病理学者ベネケ教授 (Prof.Rud, Beneke)

を挙げ,邦人としては富土川前:(文博 3 医学史学者)

浜田耕作(文博元京大総長)羽田享(文博医学史学者)

奈佐八郎(医1弘北研部長)稲田竜古(医博,東大名

誉教佼)諸先輩の名がつらねられている。どうした風

の吹き廻しか最後に私の名が記されてあった。何のた

めであったか訳がわからねが,ただ驚いた。その大要

は (拝復,時下益k御清栄の段大E正至極に存じます。

{者此度は街l尽力により完成しました故}j相良先生追悼録

御恵贈に預り,忠、い掛けないこととて誠に有罪Ifく拘 受

致 し早速内容通観致しました。御言葉の通り i岐に豪華

なもの,先生を偲ぶに絶好のもの,これまで色々の)'.-

の記念号を拝見致しましたが, IJr&と語い,装i偵と言

い,編集泣くと言い,稀に見るものと深く感喜しており

ます。

Wi:冬寄稿を移jlDnじ]只きました|僚にも如何がせんと存

じましたが,数ならね身のその列に仙一すべぎものでな

いと存じ投稿をさしひかえました。 この家1~~J仮を見る

につけ先見のi現があったと喜んでいます。しかしまた

この美事な記念出版物に拙き一文を止めるのも,名誉

かと思えば,昨今の御指示に従い「盲蛇におぢずJ践

稿を物すればよかったにとも思います。あまり見事に

かくは思いましたが,また本心に立ち返ると,数なら

ぬ身の捌き文を山して笑い草とならんよりはと心安く

思っております。得1I芳志誠に有り mlfく存じます。街l来

示の通り永久に備えて鑑と致したいと存じます。

先づは右不取敢御礼まで。敬具 11月15日。

吉田点laUI吉野博士の1f!11厚意により故燦浪先生を偲ぶよすがとー

して二大編著を贈られたことを深謝している。

(このJFi了)

あとがき

以上述べた三先生が本邦寄生虫学界の先j土で (~t勲者

である ことには,議れにもご異存のないことと思う 。

それで私はこの三方を選び,その者11経歴4卸業績及びお

人柄につき大要を述べたが,この項を今少し汀しく掘

下げ,更に趣味や日常の生活態度など1111えると立派な

伝記がiJ¥来るのではないかと思うが,私fこはそれ程の

資料がない。各先生の門下生にはそれが山来ると,思う c

是れIムが亀谷博士に 日本寄生虫学者の伝記はそれぞれ

の優秀な門下生にお委託された方がよろしかろうとお、

初Jめした所以である。

3先生は最高学府の教授として他に専攻の科目をお

持ちになり 1並界的業績を挙げられた上に,寄生虫学研

究においても最も著しい偉功を立てられ,これにより

お三方とも学者長高栄誉である学J院貨を獲得された併

三先生はほぼ同年輩で,共に還暦をjiJ!1ぐるまでの長

寿を保ち天命を完了せられ, しかも街l遺族は何れも街!

繁栄にわたらせ給うことは,誠に口山)支き極みであるc

東京都目黒区下目黒3ノ577・電話 (712)4432 財団法人 ・目黒寄生虫館・ 発行

ム開館 ・午前 11時~午後4時 ・月曜 ・祭日休館 館長 '1玄博危谷了,編集担J.k部1'5笠