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603 東京国立近代美術館 ニュース 2013 12 –2014 1 月号 ジョセ フ クーデルカ

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Page 1: 現代の眼 603 13 1125 · 603 東京国立近代美術館ニュース2013年12月– 2014年1月号 ジョセフ・クーデルカ展 現代の眼603_13_1125.indd 1現代の眼

603 東 京 国 立 近 代 美 術 館ニ ュース 2 0 1 3年 1 2 月 – 2 0 1 4年 1月号

ジョセ フ ・ クーデ ル カ 展

現代の眼 603_13_1125.indd 1現代の眼 603_13_1125.indd 1 13/11/25 17:2013/11/25 17:20プロセスシアンプロセスシアンプロセスマゼンタプロセスマゼンタプロセスイエロープロセスイエロープロセスブラックプロセスブラック

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Newsletter of The National Museum of Modern Art, Tokyo [Dec. 2013-Jan. 2014] │ 2

「ジョセフ・・クーデルカ展」

ジョセフ・クーデルカ「ジプシーズ」

作品の成り立ちと写真集の構成を巡って

小林美香

会期:二〇一三年十一月六日│二〇一四年一月十三日 

会場:美術館企画展ギャラリー﹇一階﹈

「ジプシーズ」の撮影と写真集出版にいたるまで

 「ジプシーズ」は、ジョセフ・クーデルカ(Josef K

oud

elka, 19

38

-

)が一九六二年から一

九七〇年にかけて出自国であるチェコスロヴァキアを中心に、ジプシー(ロマ)の人々

を撮影したシリーズ作品である。一九七五年に出版されたフランス版写真集『G

itans:

La fin

du

Voyage

(ジプシー:旅の終わり)』(ロベール・デルピール刊行)やアメリカ版写真

集『Gyp

sies

(ジプシーズ)』(アパチュア刊行)、およびニューヨーク近代美術館でジョン・

シャーカフスキーの企画により開催された個展「Josef K

oud

elka

(ジョセフ・クーデルカ)」

を通して作品の全体像が広く知れ渡ることになった。

 

クーデルカが写真家として活動を始め、「ジプシーズ」の撮影と写真集の出版にいたる

までの経緯を、一九六〇年代当時のジプシーの人々をめぐる社会状況も含めて手短に

辿っておこう。ジョセフ・クーデルカはチェコ工科大学で工学を学んだ後、一九六一年か

ら航空技師として働きながら、演劇雑誌『D

ivadlo

(劇場)』に寄稿するなど、演劇の撮影

を手がけるのと並行して、おもに東スロヴァキアに点在するジプシー居住地区で撮影に

取り組むことになる。東欧各国では一九五〇年代末から六〇年代初めにかけて、移動

生活をするジプシーへの対策として、居住地区を設けて定住・同化を促し、彼らを地域

の労働者へと変えるための政策が採られていた。チェコスロヴァキアでは一九五八年に

ジプシーたちの居住地区が設けられるほかに、断種・不妊化の処置など非人道的な政策

も施行されている。クーデルカがジプシーの居住地区を訪れ、撮影を重ねていった一九

六〇年代は、定住・同化という名のもとにジプシーたちへの抑圧的な政策が施行され、

ジプシーの方でもこのような政策に対抗するために自己組織化が行われていた時代で

あった。

 

クーデルカはジプシーの撮影にいたる動機を明確には語ってはいないが、ジプシーた

ちの民族音楽や詩、言語などに興味を持っていたことが、撮影を続ける原動力となった

と述べている。クーデルカは撮影を重ねる過程で、ジプシーたちの演奏する音楽の録音

を行ったり、ジプシーの言語や文化の研究者たちと交友を深めたりもしている。差別と

迫害に晒されるジプシーたちの文化に対して敬意を持って接し、関係を築いていったこ

とは撮影の経緯として特筆すべきであろう。

 

一九六七年にクーデルカは航空技師を辞め、写真家としての活動に専念するよ

うになり、当時彼が舞台撮影を手がけていた「門の向こう」劇場のロビーで写真展

「Cikán

i, 19

61 -1

96

6

(ジプシー、一九六一│六六)」を開催、初めてジプシーの写真を

展示した。この展覧会を、当時プラハを訪れていたスイスの写真雑誌『C

AM

ER

A

』の

編集者アラン・ポーターが、クーデルカと親交のあった写真評論家アンナ・ファーロ

ヴァーの薦めで見たことが契機となり、作品の一部が『C

AM

ER

A

』の一九六七年十一

月号の誌上で紹介された。アラン・ポーターは、クーデルカに「ジプシーズ」のプリント

を葉書よりも小さなサイズで三セット制作するように依頼し、ポーターはそれぞれの

セットをパリでアンリ・カルティエ=ブレッソンに、ニューヨークでジョン・シャーカフ

スキーに渡している。このような紹介を端緒として、「ジプシーズ」は写真集、写真展

としてまとめられることになる。一九六八年のプラハ侵攻の撮影を契機に、クーデル

カは一九七〇年にチェコスロヴァキアを離れイギリスに亡命する。「鉄のカーテン」で

西欧と東欧が分断されていた時代にあって、亡命の後、移動生活を送るようになった

クーデルカが西側諸国で活動の基盤を築き評価を獲得する上で、一九七一年のマグ

ナム・フォトへの参加と、一九七五年のフランスとアメリカでの写真集の刊行は大き

な意味を持っていたと言えよう。

「ジプシーズ」の写真の特徴

 

冒頭でも述べたように「ジプシーズ」は、東スロヴァキアに点在するジプシー居住地区

で撮影された写真を中心に、生活環境や、人々の暮らし、風俗、儀式、ポートレートを

織りあわせるようにして構成されている。クーデルカは一九六三年から二十五ミリの広

現代の眼 603_13_1125.indd 2現代の眼 603_13_1125.indd 2 13/11/25 17:2113/11/25 17:21プロセスシアンプロセスシアンプロセスマゼンタプロセスマゼンタプロセスイエロープロセスイエロープロセスブラックプロセスブラック

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手がけていた演劇の写真にも因るところが大きい。クーデルカは演劇の撮影に際して、

リハーサル中に舞台に上がり、俳優たちが演じる場面の中に入り込んで彼らの動作や

表情に肉薄し、演目の中の場面としてではなく、舞台上で現実に起きている状況とし

て捉えるような実験的な撮り方を試みている。このような方法で演劇の写真を撮る経

験を積む過程を経て、クーデルカは、脚本に基いて展開する演劇のみならず、ジプシー

の人々の振る舞いやその生活環境、状況に則して反応するように撮影する術を会得し

ていったと言えよう。

 

また、演劇の写真との関連から「ジプシーズ」の写真を見ると、室内空間の家具や壁、

額装をほどこして飾られた写真や、キリスト教の主題を描いた宗教画が、ジプシーの人

たちの暮らしぶりや家族とのつながり、歴史的・文化的な背景を示唆するような小道具

として捉えられているようにも思われる。フランス版とアメリカ版の写真集両方の表紙

に使われている写真﹇図2﹈には、ベッドに寝そべって上半身を上げるような姿勢で、正

面を見据える高齢の男性が、見上げるような角度で捉えられている。男性は

左手に、チェコスロヴァキアの首相及び大統領を歴任したクレメント・ゴッ

トワルトの名前と横顔の肖像が刻まれた円盤を、右手に真正面から捉えら

れたポートレート写真(男性本人の面影もうかがわせる)を差し出すように掲げ

持っている。一人の男性を二つの肖像と共に捉えたこの写真は、この男性

のみならずジプシーの人たちが移動生活を送りながら、チェコスロヴァキア

の政治体制下でどのような境遇におかれ、どのような人生を経てきたのかと

いった社会的・歴史的な背景への想像を喚起させる。

 

図2のような、個人としてのジプシーの存在を描出した写真のほかに、

クーデルカは人々が集まるような場面を、人々に取り囲まれるような至近距

離や、あるいは少し引いて情景を見渡すような視点から捉え、ジプシーのコ

ミュニティとしての特徴やその生活のありようを描き出している。人々が集

まる場面として写真集の中で何度か登場するのが、葬儀の場面である。図

3には、窓から光が差し込む薄暗い室内で、女性の遺体を取り囲み、悲しみ

に沈んだ表情で集う人々が捉えられている。大人たちの腕に抱かれたり、間

に立ったりして葬儀に参列する子どもたちの存在が、拡大家族のようなジプ

シーという共同体の生活を反映している。また、若干傾いだ画面とともに、

角レンズを使用するようになったため、狭い住居の中でも、人々の動作や表情を、周辺

の環境や室内空間のディテールとともに捉えることができるようになった。

 

広い画角とともにシリーズ全体を特徴づけているのは、被写体に対して正面から対峙

するアプローチの仕方である。このようなアプローチは、部外者としてジプシーの人たちの

生活を傍観したり、覗き見たりするのではなく、人々の生活の中に踏み込んで、やり取り

に加わり、状況や動作に素早く反応するようにして向き合っていたクーデルカの態度を

反映している。例えば図1には、小屋の立つ丘の斜面を背景に上半身裸で両腕に力を込

めて力瘤を作るようなポーズをとる三人の少年たちが正面から捉えられている。ジプシー

の居住地区が設けられた地域の地形的な特徴や、小屋のような粗末な住居、斜面の上に

散らばって立っている数人の幼い子どもたちの姿など、ジプシーたちの生活環境のありよ

うとともに、クーデルカと少年たちとの間の生き生きとしたやり取りをうかがわせる。

 

図1に見られるような人物に対する即時的、反射的なアプローチの仕方は、同時期に

図1 ジョセフ・クーデルカ 「ジプシーズ 1962─1970」より《スロヴァキア》 1967年 © Josef Koudelka / Magnum Photos

図2 ジョセフ・クーデルカ 「ジプシーズ 1962─1970」より《スロヴァキア》 1966年 © Josef Koudelka / Magnum Photos

現代の眼 603_13_1125.indd 3現代の眼 603_13_1125.indd 3 13/11/25 17:2113/11/25 17:21プロセスシアンプロセスシアンプロセスマゼンタプロセスマゼンタプロセスイエロープロセスイエロープロセスブラックプロセスブラック

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カメラを気にしている子どもた

ちの視線が、葬儀に立ち会って

いるクーデルカの存在を際立た

せている。葬儀のような儀式や

生活の場面を捉えることで、ジ

プシー固有の文化のみならず

人間が生きる普遍的なありよ

うを浮かび上がらせてもいると

言えよう。ジョン・シャーカフス

キーは写真集『G

ypsies

』(アパ

チュア刊行)の巻頭の辞として、

次のように言い表している。

「おそらく写真の中に描き出さ

れているのは、人それぞれを区

別するための小さくも大切な

違いではなく、人間を包み込む

普遍的な状況なのだ。」

新装版『G

ypsies

 

最後に、写真集の構成と二〇一一年に刊行された新装版の『G

ypsies

』について述べ

ておきたい。クーデルカは、一九六八年にグラフィック・デザイナーのミラン・コプジー

ヴァと協同して写真集を構想し、一九七〇年にチェコスロヴァキアでの出版を予定して

いたが、クーデルカの亡命によって計画は中断された。一九七五年に刊行された写真集

『Gyp

sies

』及び『G

itans: L

a fin d

u V

oyage

』は、クーデルカが亡命後に知遇を得た編集

者ロベール・デルピールがデザイン・制作を手がけた。写真集は横長の版型で、見開きの

右側のページに写真を、左側のページに撮影場所と撮影年を記載するというレイアウト

で構成され、六十点の写真が収録されている。

 

二〇一一年に新装版として刊行された写真集『G

ypsies

』は、一九六八年当時のマケッ

トに基づいて制作され、写真点数を倍近くに増補し、一〇九点の写真が収録されてい

る。増補された写真の中には、至近距離から捉えられたポートレート写真や、貧しい環

境の中で生活する子どもたちの姿、ジプシー独特の衣服を描き出したものも多く、一九

七五年版の写真集と見比べると、ジプシーの文化の独自性や、貧困や差別などのジプ

シーを取り巻く社会的な問題に対して、当時クーデルカ自身が抱いていた意識をより

強く直截に反映しているように思われる。写真集は縦長の版型で、サイズ自体は一九七

五年版とはさほど変わりはないが、横位置の写真は見開き全面に跨ぐように、つまり横

位置の写真が縦位置の写真の倍の大きさになるように配置されている。さらに、ところ

どころに折り込みのページが設けられ、折り込みを開くと、写真に捉えられた空間の広

がりや人の存在感がより強く、生々しく立ち上がり、見る者に迫ってくるような造本に

仕立て上げられ、さながら写真集全体がジプシーという役者が登場する舞台空間のよ

うな空間性を具えている。

 

クーデルカが「ジプシーズ」制作の頃から追求してきた空間性は、後に一九八〇年代半

ばから撮影を手がけてきたパノラマ写真や、パノラマ写真をもとに制作された写真集の

空間性にも通底する特徴であるとも言えるだろう。

(美術課客員研究員)

後記 

今回の展覧会は、写真家ジョセフ・クーデルカの半世紀を超える活動の全体

を視野に入れた回顧展である。なかでも、足掛け九年の歳月をかけて撮影された「ジ

プシーズ」は、本展を構成する七つの章のうち第四章があてられ、展示作品数は九十

七点と展覧会のなかでもっとも多い。この連作が作家にとって非常に重要な作品で

あることがうかがわれる。文章の中でも触れられているとおり、「ジプシーズ」は彼に

とって初めての写真集となった作品であり、二〇一一年には当初構想していたプラン

にもとづく新装版を出版し、約四十年越しの宿願を実現させた。さらに大半がチェコ

スロヴァキア国内で撮られているとはいえ、異なる文化を持つ人々を訪ねて撮影をす

るという行為は、彼がその後故国を離れ、亡命者として流浪しながら写真家活動を

続けるという事態に対して、期せずして格好の訓練ともなっていた。

 

展覧会では「ジプシーズ」と、彼が同時期に並行してとりくんだ「劇場」の作品群が

空間を共有して展示されている。この両作を文字通り並行して観ることで、私たち

はこの稀有な写真家の眼や姿勢が確立されていったプロセスをたどることができる。

(美術課主任研究員 

増田玲)

図3 ジョセフ・クーデルカ 「ジプシーズ 1962─1970」より《スロヴァキア》 1963年 © Josef Koudelka / Magnum Photos

現代の眼 603_13_1125.indd 4現代の眼 603_13_1125.indd 4 13/11/25 17:2113/11/25 17:21プロセスシアンプロセスシアンプロセスマゼンタプロセスマゼンタプロセスイエロープロセスイエロープロセスブラックプロセスブラック

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5 │ Newsletter of The National Museum of Modern Art, Tokyo [Dec. 2013-Jan. 2014]

 

伝統の概念がいま使われるような意味で固まったのは明治時代だったが、そのとき固

まった伝統は、社会のなかのどのような階層の利益を代弁していたのだろうか。そして

その後、どのような階層の人達が伝統を必要とし、自分達の存在証明として伝統を唱

えてきたのだろうか。

 

こんな疑問を持ったのだが、そのきっかけは、今年の日本伝統工芸展に出掛けたとき

の些細な体験だった。

 

日曜日の午後、日本橋三越は混んでいた。会場の七階でエレベーターを降りようとし

たとき、エレベーターホールで和服姿のまだ若い女性が数人、それぞれの知人を待つと

もなく立ち話をしているのが目に入ってきた。華やかな雰囲気で、戦後の昭和を思い出

させる情景だった。伝統工芸展にはこんな婦人がよく似合う。そしてこういう婦人と、

彼女の夫や親兄弟、親戚縁者こそ、伝統工芸の需要者﹇註1﹈なのだと実感した。

 

わたしの連想はさらに広がり、和服の婦人達を通して、小津安二郎や川端康成が描

く戦後日本の、まだ核家族化する前の都市型中流家庭に行き着いた。そこでは人間関

係の礼儀作法から家族が揃う夕飯時の会話まで、生活全般で伝統的な教養が隠し味に

なっていた。もちろん華道や茶道も、生活のなかで息づいていた。

 

映画や小説では、そうした家庭にずかずかと入り込んでくるインモラル、ドライな若

者、洋装、電化製品などが物語の種になっていたが、その対蹠点では、多分に知的労働

者層のそれではあったが、伝統的教養が家庭の規範になっていた。その規範とは、戦争

を挟んでもなお変わらぬ価値に対する信奉であったと言い換えてもよいだろう。こうし

た「変わらぬ価値」を精神的支

柱とする人達こそが、骨董品や

伝統工芸品を自らの教養を深

める造形物として必要としてき

たのだと考えられる。

 

だが、小津や川端の描く戦後

日本から約半世紀が過ぎた。い

まの日本にこの種の階層の人達

がどれほどいるのだろうか。こ

の階層の衰退こそ、もし現在

の伝統工芸が人気の点でも販

売実績の点でも苦戦している

のだとすれば、つまり伝統工芸

が曲がり角に来ているのだとす

れば、その真の原因だと思われ

る。この階層の衰退は、伝統工芸展が始まる昭和二十九年からすでに予感されていた

らしく、後に文化庁審議官および東京国立近代美術館長を務めることになる漆工史研

究者の岡田譲は、こんな言い方で世間の物質趣味が変化しだしたことを指摘している。

 

時を同じくして、日本橋の三越で文化財保護委員会主催の「日本伝統工芸展」と

産業工芸試験所の「デザインと技術展」が開かれた。(中略)

 「伝統工芸展」の方は、京友禅、黄八丈、志野焼、輪島沈金など地方産業工芸と

して有名なものから、ほとんど世間から忘れられ、わずかに名人と呼ばれる人の手

によって細々と命脈を保っているものに至るまでならんでいた。(中略)これに対し

「デザインと技術展」では、扇風機、電熱器、家具、食品などの工業製品や雑貨工芸

が、デザイン技術の改善に関する研究調査資料と一緒に展示されていたが、それ

らはすべて産業工芸試験所が現代の生活の中にできるだけ広く受け入れられるよ

うに設計されたものである。

 

ところで、このふたつの会場で受けた印象からすると、「デザインと技術展」の方

により魅力を覚えたことは確かである。もっとも、これは当然のことであるかもし

「日本伝統工芸展60回記念

工芸からK

ŌG

EI

へ」展

誰が為に伝統は作られる

樋田豊郎

会期:二〇一三年十二月二十一日│二〇一四年二月二十三日 

会場:工芸館

図1 室伏英治《Nerikomi Porcelain 「Sparkle」》2012年  作家蔵 撮影:尾見重治、大塚敏幸

現代の眼 603_13_1125.indd 5現代の眼 603_13_1125.indd 5 13/11/25 17:2113/11/25 17:21プロセスシアンプロセスシアンプロセスマゼンタプロセスマゼンタプロセスイエロープロセスイエロープロセスブラックプロセスブラック

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Newsletter of The National Museum of Modern Art, Tokyo [Dec. 2013-Jan. 2014] │ 6

れない。試験所の試作品に

は現代の生活感情が求め

ている要素を一応具えてい

るのだから。そこへゆくと

「伝統工芸展」の方はいかに

も昔ながらの古めかしさが

目立った﹇註2﹈。

 

岡田譲は伝統工芸品と工業

製品の違いを、それぞれを需要

する階層の差異からくる違いと

しては捉えていない。だが、昭

和二十九年頃から高度経済成

長が始まり、さらに昭和四十五

年頃には国民の九割が中流意識をもつに至ることを考えるならば、岡田がこの文章を

書いた昭和二十九年春は、後に中流を自認する人達が、自分達の階層が欲する物質趣

味を形成する揺籃期だったということができるだろう。

 

あらためて階層の視点で見てみると、最初に伝統の概念を作り、それによる利益を

求めたのは明治の官僚と商工業者である。そのとき求められた利益とは、国家の文化的

統合と経済的発展だった。文化と経済。直接関係はなさそうだが、どちらも国家政策と

いう点では繋がっていた。

 

官僚と商工業者の関係も、両者は官と民という身分差はあっても、階層という点で

は繋がっていた。彼らは明治社会になって新たに登場した勤労者層だった。彼らのこと

を市民階級と呼ぶか、資本家階級(ブルジョワジー)と呼ぶかは専門家の議論に委ねると

して、この勤労者層は維新以前の旧体制を支配してきた大名とは違う階層を形成して

いた。この階層にとって最大の存在証明は、旧体制が壊れたばかりの日本を、国民国家

として束ね直すことだったからである。新しい「国家の形」を作るうえでの紐帯として、

官僚と商工業者は伝統を必要としたというわけだ。

 

国家の形を作る方策には、美術の教科書制定、日本や東洋の古代模様を指導する図

案集の出版、内国勧業博覧会の開催などがあり、これらによって地方ごとに異なってい

た絵画や物づくりが、「日本美術」の名のもとに統一されていった。

 

こうして必要とされた伝統だったから、そこから派生した伝統工芸の歴史が、国家の

文化政策と符合していたことは言うまでもない。明治三十年の古社寺保存法に始まり、

昭和二十五年の文化財保護法に至る法律が、伝統工芸の法的裏付けになっている。

 

だがここで気になるのは、明治の伝統を支配していた芸術上の趣味が、新しい階層で

ある官僚と商工業者の趣味ではなかったということである。ほとんどは、江戸の大名趣

味を抜け出せていなかった。なぜ、彼らは自分達の世俗趣味を打ち出せなかったのか。

それだから明治維新は、政治的には革命であっても、文化的には市民革命でも、ブル

ジョワ革命でもなかったということになるのかもしれない。伝統のこうした片肺飛行は

後々まで尾を引き、それが岡田に「昔ながらの古めかしさ」と言わしめたものの正体だっ

たと思われる。

 

それがあって、昭和二十九年には文化財保護法が改正され、重要な工芸技術の指定に

は芸術性が条件づけられるようになった。この改正を促したのは、日展等に所属する、つ

まり町の名工ではない工芸家達から

唱えられた、伝統を芸術運動の理念

と見なす主張だった。しかしそれ以

上に本質的なのは、当時すでに、伝

統を需要する階層が、官僚や商工業

者から伝統を教養と考える都市型

中流家庭、つまりわたしがエレベー

ターホールで見た和服姿の若い婦人

の祖父母世代に交替していたことで

ある。

 

これ以後、伝統工芸は作者の独創

と感性を表現する芸術運動として

理解されるようになる。挿図に掲げ

るのは、伝統技術の粋を守ると同時

に、「みずみずしい感性」が表現され

ている実例として、筆者が選んだ作

図2 村上浩堂《象嵌花器「暮れゆく運河」》2011年  作家蔵

図3 石田知史《パート・ド・ヴェール線刻文鉢「風をきく」》2003年  個人蔵

現代の眼 603_13_1125.indd 6現代の眼 603_13_1125.indd 6 13/11/25 17:2113/11/25 17:21プロセスシアンプロセスシアンプロセスマゼンタプロセスマゼンタプロセスイエロープロセスイエロープロセスブラックプロセスブラック

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7 │ Newsletter of The National Museum of Modern Art, Tokyo [Dec. 2013-Jan. 2014]

品である﹇註3﹈。室伏英次の《S

parkle

》﹇図1﹈は磁器なのにあたかも粗彫りの木鉢のよ

うに温かく、村上浩堂の《暮れゆく運河》﹇図2﹈は金属象眼なのにミニアチュール文様の

ように詳密で、石田知史の《風をきく》﹇図3﹈は硝子なのに濃淡のある水色の糸で施し

た刺繍のようだ。どれもが芸術表現上のサプライズに挑み、そして繊細さに徹している。

 

ところがそうした芸術運動として伝統を見る言説も、日本が低成長社会へと転換し

た現在では、和服姿の若い女性の絶滅危惧種化とともに危機に瀕している。

 

さて、いま伝統工芸の需要者になりえるのはどのような階層の人達だろう。官僚でも

商工業者でも、戦後の都市型中流家庭でもない。昭和四十五年頃に国民の九割を占め

た中流意識者層でもないだろう。岡田譲が言った「現代の生活感情が求めている要素」

の需要者になっていく中流意識者層も、その後の所得格差や地域間格差の再拡大に

よって、すでに層としてのまとまった物質趣味を持てなくなっているからだ。彼らの生

活様式はもはや似たり寄ったりとはいえない。

 

今日の社会には、多種多様な人達がいるだけだ。その人達はもはや階層をなさない。

流動的で拡散的な公衆としてそこにいるだけである。その公衆に、国家の形や芸術とし

て伝統を語りかけてもすれ違うばかりだ。しかし今日の公衆は多種多様でありながら、

行動様式としては規範的でもある。そのほとんどは等し並みにディズニーランドで遊び、

ファミレスで食事をし、アウトレットで買い物をする。この規範性を根拠に、現代を生

きる大多数の人達の自画像となりえる伝統を、もう一度作れる可能性もあるのではな

いか。

 

それにしても、ここまで読み進んでくださった皆さん、もう、国家の形や芸術運動と

して伝統を語るのは止めませんか。

(秋田公立美術大学学長)

註1

現実に購買する欲望を備えた支持者層という積極的な意味を込めて、受容者ではなく需要者と

いう造語を使った。

2

岡田譲「古いものと新しいもの

│国の主催する二つの工芸展を見て

│」朝日新聞、昭和二十

九年三月二十一日。

3

これらの作品は、工芸館で開催される「日本伝統工芸展60回記念工芸からKŌ

GE

I

ヘ」展で実物

を見ることができる。

後記 

日本伝統工芸展の第一回展が開催されたのは、樋田豊郎氏の文章にもあるよう

に昭和二十九年であった。それは「無形文化財日本伝統工芸展」の名称のもとに開催さ

れたが、無形文化財に選定された人や団体しか出品が許されなかった。

 

昭和二十五年に制定された文化財保護法がその発端となるが、当時、世界に類の

ない画期的な制度としてそれは発足した。なぜなら、建造物や絵画、彫刻、工芸品な

どの目に見える有形の「物」(有形文化財)だけでなく、工芸技術や芸能など、特定の

個人や団体が伝承し体得している目に見えない無形の「技」を「無形文化財」と定義

し、その保存と活用を図ることを目的としたからだ。「無形文化財のうち特に価値の

高いもので国が保護しなければ衰亡する虞のあるもの」を選定し、「助成の措置」を講

じ、その啓蒙普及に努めたのである。そして第一回展は、その工芸技術の公開に該当

していた。

 

その昭和二十九年五月、文化財保護法の一部が改正され、現在に通じる重要無形文

化財制度が誕生した。それまでに選定されていた無形文化財は白紙に戻され、無形文

化財の中で重要な「技」を重要無形文化財として指定し、その「技」を高度に体得して

いる人を重要無形文化財の「保持者」(人間国宝)として認定する制度が確立した。無形

文化財が伝統的な技術を保持している名人名工と呼ばれた作家たちを基準としたのに

対し、この改正により、重要無形文化財はその技術とともに、創作的な表現による作品

の芸術性を重視することを、国が定めたことを意味した。まさに樋田氏が指摘したとお

り、伝統を芸術運動の理念としたのだ。

 

その理念は伝統という名の下に、日本の工芸に独自の発展と展開を生むきっかけを

つくったと言える。それは単なる技術の伝承ではなく、時代や制作者の考えが強く反

映された革新や創造の連続があったからこそである。ゆえに、「工芸」という言葉を訳

した際、「C

raft

」という既成の言葉の持つイメージにそぐわないと思えるほどに優れて

芸術的で、技術や表現においてもクオリティーの高さを誇っている。まさに「工芸」はそ

の独自性から「K

ō gei

」としてしか説明ができない世界に到達したといえるのである。

 「日本伝統工芸展60回記念 

工芸からK

ŌG

EI

へ」展は、日本伝統工芸展が今秋、60

回目を迎えたのを記念して企画された。日本伝統工芸展における近年の受賞作や入

選作などを中心に、現役作家九十七名の代表作を一堂に会することで、伝統工芸の

「今」をあらためて概観し、そこからその「未来」を考えるきっかけになればと思うもの

である。

(工芸課長 

唐澤昌宏)

現代の眼 603_13_1125.indd 7現代の眼 603_13_1125.indd 7 13/11/25 17:2113/11/25 17:21プロセスシアンプロセスシアンプロセスマゼンタプロセスマゼンタプロセスイエロープロセスイエロープロセスブラックプロセスブラック

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Newsletter of The National Museum of Modern Art, Tokyo [Dec. 2013-Jan. 2014] │ 8

「竹内栖鳳展 

近代日本画の巨人」

無邪気さと気高さ

子どもたちから芸術家まで、心を捉えるライオンの魅力

長倉かすみ

会期:二〇一三年九月三日│十月十四日 

会場:美術館企画展ギャラリー﹇一階﹈

 

動物の匂いまで描くと言われた竹内栖鳳。丹念な観察により、その本質をつかもうと

する彼の姿勢は、動物園の飼育員の日常と重なる。栖鳳の描いた、物言わぬライオンの

絵を再び観察し、彼が感じた動物の魅力に思いを馳せてみたいと思う。

創世記の動物園へ

 

栖鳳が一九〇〇年に渡欧した当時、世界

には一三〇園ほどの動物園があり、そのうち

の約半分がヨーロッパに集中していた。日本

では、一八八二年に上野動物園が開園して

いたが、ライオンが初めて展示されたのは、

一九〇二年であった。当時の動物園がヨー

ロッパに多かったことは、珍しい動物が植民

地から連れてこられたことが現代の動物園

の起源であることに端を発している。例え

ば、栖鳳が訪れたと言われるベルギーのアン

トワープ動物園﹇図1﹈は、ベルギーが植民地

支配をしていた当時のベルギー領コンゴ(現

在のコンゴ民主共和国)の密林の奥深くで暮

らしていたオカピを、世界で初めて公開したことで知られる動物園である。

 

動物園のコレクションは野生個体から始まっているが、現在では種の保存の必要性が

なければ野生からの新規導入は行っていない。現代の動物園では、飼育下繁殖に取り

組み、世界中で個体を交換しながら遺伝的多様性の保持に努め、調査研究および教育

活動に力を注いでいる。

ライオンの魅力

 

現在、世界には一三〇〇園以上の動物園・水族館があり、毎年七億人以上の人々が

訪れている。日本は今や動物園大国で、およそ一六〇園を有し、年間入園者数は七〇

〇〇万人にも上る。日本の動物園で見られる動物種は、哺乳類だけでも四〇〇種ほど

ある。これだけ多くの動物種を直接見ることができるようになった現代においても、ラ

イオンは非常に人気がある。私の所属する横浜市緑の協会が管理運営する横浜市立動

物園の昨年度の来園者調査によると、よこはま動物園では、オカピ、インドゾウに続き

第三位に、野毛山動物園ではキリンに続き第二位にライオンがランクインしている。

 

ライオンが人気を集めるのには理由がある。ひとつ目は、典型的な肉食獣としての形

態的な特徴である。ライオンなどのネコ科の動物は、まさに襲いかかろうとする獲物と

の距離を正確に測るため、目が顔の正面についている。獲物を捕らえる際には、獲物の

喉元に深く噛みつき、気道をふさいで窒息死させる。大型の有蹄獣に絶命するまで噛

みついているためには、強靭な筋肉が必要である。噛みつく力を増強させるため、ネコ

科の動物では頬の骨が横に張り出し、筋肉がより多く付着できるようになっている。こ

のため、ネコ科の動物の顔は丸くて目がくりくりとしていて愛らしく見える。﹇図2﹈

 

ふたつ目は生態的な特徴である。ライオン

はネコ科の動物の中で唯一「プライド」と呼ば

れる群れで暮らす動物である。このような社

会性が影響するのか、以前、私がライオンの

飼育に携わった際、他のネコ科動物よりも好

奇心を素直に表現している様子が観察され

た。飼育員が通りかかれば、ガラス越しに飛

びつき、ボールをぶら下げると猫パンチをする

といった彼らの行動は非常に魅力的であった。

図2 正面から見たライオンの顔

図1 1801年のニューイヤーカードに描かれた「捕食者の宮殿」。左手前がライオンの展示。1967年に取り壊されたので、現在は見ることはできない。提供:アントワープ動物園

現代の眼 603_13_1125.indd 8現代の眼 603_13_1125.indd 8 13/11/25 17:2113/11/25 17:21プロセスシアンプロセスシアンプロセスマゼンタプロセスマゼンタプロセスイエロープロセスイエロープロセスブラックプロセスブラック

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9 │ Newsletter of The National Museum of Modern Art, Tokyo [Dec. 2013-Jan. 2014]

戻ってきたボールが顔にゴツンと当たり、面食らった表情をしているのを見た時には、こ

れで獲物を仕留めることができるのか、心配になってしまったが、獲物を目の前にすれ

ば彼らは捕食者へと豹変する。ライオンは、頭を低くして息を潜め、じっとチャンスを待

つ。しかし、先に房のついた尻尾はまるで別の生き物のようにひょこひょこと動いてしま

う。抑えきれない興奮が尻尾から溢れ出てしまうのである。百獣の王と言われる威厳と

無邪気な一面がライオンには同居しており、いつまで観察をしていても飽きない。

栖鳳が見たライオンに出会う

 

栖鳳はいったいライオンのどこに魅力を感じたのだろうか。本展に出品されたライオ

ンをじっくり見ていると、栖鳳が見たライオンの魅力が伝わってくる。

 

一九〇一年に描かれた、ぐっすりと眠るライオンの絵﹇図3﹈では、ライオンを眺めて

いる私たち自身も一緒に眠ってしまいたくなるような、心地よい空気を感じることがで

きる。ライオンの寝相には、足を曲げて仰向けにひっくり返る、横になり足を伸ばして

寝るなどと多様なバリエーションがある。一日に二十時間眠ると言われるライオンだけ

に、寝ているライオンに遭遇する確率は非常に高い。この絵の中のライオンは、お行儀

よく座ったまま、頭を乗せやすいように前足を重ねて寝ている。尻尾も開放的にまっす

ぐ後ろに伸ばしている。暑ければ、お腹を出し、口を開けて寝るだろう。寒ければ、尻

尾もしまって、小さく縮こまって寝るだろう。絵の中のライオンは、座っているうちに

そのまま寝てしまったように見える。そして、ふわふわとしたたてがみが心地よい風を

受け、時々尻尾もふわりと動いているような、そんな想像を働かせてしまう幸せそうな

寝顔である。当時からライオンは非常な人気を誇っていたため、檻の前にはたくさんの

人々が集まっていたことが想像される。そんなことも気にせず、ひたすらに眠っていた

であろうライオン。そんな王者としての風格が、栖鳳の心を捉えたのかもしれない。

 

一方で、一九〇四年に描かれたライオン﹇図4﹈は、ダイナミックな動きを見せている。大

きな足、ごつごつした顔、大きく開く口などの体のパーツは細かくライオンの特徴を捉えて

いる一方で、不自然な前足の返し方や跳ね上がるような動作など、動きには違和感を覚え

る部分がある。ライオンは狩りをするために走る。最短距離で走るためには、常に前方に重

心を移して走る必要がある。そして、追いかける獲物を確実に捕らえるためには、体の前

方に前足を投げ出し、鋭い爪を獲物の皮膚につきたて、動きを封じ込めなければならない。

 

当時の動物園では、走るライオンを見ることは難しかったことが推察されることから

も、このライオンの動きは、ライオンではなく、人間になぞらえたようにも見える。飛び

かかっているライオンの身のこなしは、まるで武術のようである。これは私の安易な想

像に過ぎないが、強さの象徴としてのライオンと武術は、栖鳳の中ではつながっていた

のではないだろうか。広い草原で地平線を見つめるライオンは、動物園でもじっと遠く

を見つめていることが多い。この気高い視線の後ろに隠れる猛々しい捕食獣としての本

能を栖鳳が感じとっていたからこそ、このように躍動的なライオンが描かれたのかもし

れない。もしも栖鳳に会うことができるのであれば、ぜひ聞いてみたい。

 

栖鳳の訪問からおよそ一〇〇年後の一九九九年に、私はアントワープ動物園で初め

て出会うオカピの優雅さに心を奪われていた。動物園は今日も世界中で、人々と動物

が出会う架け橋となり続けている。

(公益財団法人横浜市緑の協会動物園部動物園調整課担当係長)

*栖鳳はアントワープ動物園でライオンを見たと思われるが、スケッチをしたのはロンドンの動物園

であるとの説がある。

図3 竹内栖鳳《獅子》右隻 部分 1901年 個人蔵

図4 竹内栖鳳《獅子図》左隻 部分 1904年 大阪歴史博物館蔵

現代の眼 603_13_1125.indd 9現代の眼 603_13_1125.indd 9 13/11/25 17:2113/11/25 17:21プロセスシアンプロセスシアンプロセスマゼンタプロセスマゼンタプロセスイエロープロセスイエロープロセスブラックプロセスブラック

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「クローズアップ工芸」展

「クローズアップ工芸」展における

映像展示について

室屋泰三

会期:二〇一三年九月十四日│十二月八日 

会場:工芸館

はじめに

 

本稿では「クローズアップ工芸」展において作品と共に展示されている映像について、

技術的な背景を報告する。この映像展示では、画像処理技術を駆使して出品作品を文

字通り「クローズアップ」して作品の見方の新たな一面を探ることを目的とし、『(作品

に)近づく』、『(作品を)照らす』、『(作品を)動かす』という三つのアプローチを試みた。

1『近づく』

 

松田権六《蒔絵竹林文箱》等四つの作品について、6000万画素クラスの中判デジ

タルカメラを用いて、高精細デジタル画像を撮影し﹇図1│1﹈、作品画像の任意の箇所

を「クローズアップ」して見ることができるようにした。

 

使用したカメラはハッセルブラッド社の「H4D│

60」、一般的なデジタル一眼レフカメラを大きく超える

8956×6708画素のデジタルカメラである。こ

のカメラで撮影した画像により、どの程度作品の部分

を拡大することができるのか概算してみよう。《蒔絵竹

林文箱》の雀が三羽とまっている面﹇図1│2﹈を例に

する。この面の大きさは幅145㎜、高さ111㎜で

あるが、撮影したデジタル画像の中で作品が写ってい

る部分は6587×4932画素であったので、1

画素あたり約0

02㎜という範囲を写していること

となる。これを今回展示で使用しているディスプレイ

(1920×1080画素)いっぱいに表示すると、作品の約4×2㎝の範囲が表示さ

れることとなる﹇図1│3﹈。

 

展示室では、作品の隣にタッチパネル式ディスプレイを置き、作品画像を拡大したり、

見る場所を変えたりしながら、実物とクローズアップした画像を交互に見ることができ

るように展示した﹇図1│4﹈。

2『照らす』

 

作品の「質感」は、作品の素材が持つ光沢感や微細な形状(凹凸)とそれらを照らす光

によりもたらされる。照明光を変えることにより、作品の表情はさまざまに変化する。展

示室の中では作品の保護等の配慮の下、定められた照明によって展示されるが、ここで

は作品をコンピューター上で仮想的に再現し、さまざまに変化させることで作品の持つ質

感に照明を迫ってみる。そのために凸版印刷株式会社が開発した、ざらつき感や光沢感

などの質感を記録・再現する質感表示技術により、富本憲吉《色絵金銀彩羊歯文八角飾

箱》をコンピューター・ディスプレイ上に「展示」することを試みた。「質感」の元となる作品

表面の微細な形状(凹凸)や光沢、色彩を前項の中判デジタルカメラにより撮影した画像

を元に得て、コンピューター上で仮想的な照明光と共に再構成するという技術である。

 

質感を再現するためには作品表面の微細な形状を知ることが必要である。光は物体

の表面形状の凹凸の方向により反射する向きが決まり、(質感をもたらす要素のひとつで

図 1─1

図 1─2

図 1─3

図 1─4

現代の眼 603_13_1125.indd 10現代の眼 603_13_1125.indd 10 13/11/25 17:2113/11/25 17:21プロセスシアンプロセスシアンプロセスマゼンタプロセスマゼンタプロセスイエロープロセスイエロープロセスブラックプロセスブラック

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11 │ Newsletter of The National Museum of Modern Art, Tokyo [Dec. 2013-Jan. 2014]

ある)微小な陰影が生じる。そこで逆に陰影から

表面の微細な形状を推定するのである。

 

今回の計測では十六方向からLEDを光源と

する光をあて、それぞれの方向についてデジタル

画像を撮影し﹇図2│1﹈、それらデジタル画像か

ら作品の表面の微細な形状を得た。形状のほか

に、光をあてた際の光沢に関する情報、色彩に関

する情報をそれぞれデジタル画像から読み取り、

コンピューター上での仮想的な照明の下での「見

え」を再現している。仮想的な照明としては、作

品を全体的に照らす「周辺光」と局所的に照らす

「スポット光」の二つの光源があると想定した。そ

れぞれを独立に調整できるようにしたことで、あ

たかも展示作業中の学芸員のように照明光を操

作することできる﹇図2│2﹈。

3『動かす』

 

三つ目のアプローチとして、コンピューター・グ

ラフィックス(CG)技術を用いて、作品をディス

プレイ上で自在に動かすということを試みる。

 

日本刀のデジタルアーカイブとデジタル画像

化された日本刀の様々な照明下での見え方について先駆的な研究を行っている長野大

学・田中法博教授の研究室の協力により、鈴木長吉《十二の鷹》のうちの1羽をディス

プレイ上でいろいろな方向から見られるようにすることを目標とした。

 

作品をCG再現するためにはその三次元形状を精密に計測する必要がある。作品の

保護を考えれば、非接触計測が必須である。そこで、レーザー光を用いた三次元形状計

測器(N

extEn

gine

社、N

extEn

gine H

D P

ro

)を用いた形状計測を実施した﹇図3│1﹈。し

かしながら、この計測は非常に困難なものであった。今回用いた計測器はレーザー光(も

ちろん、作品に悪影響を与えるような高出力のものではない)を作品にあて、その反射光によ

り形状を測定する。しかし、《十二の鷹》の場合、作品の素材である金属の反射特性、そ

して羽の一筋一筋といった微細な細工の相

乗作用により、反射光が計測器に返ってこ

ない箇所が多数生じて、正しく形状が得ら

れた部分と欠損部分がまだらに混在した結

果となった。そこで欠損部分を埋めるべく、

計測器と作品の位置関係を少しずつ変え

て、多数の計測を行うことで結果を補完し

ていった。鷹の頭部だけでも、かなりの回数

の計測が必要であった﹇図3│2、鷹の頭部

の形状の再現。形状情報のみで色彩情報は考慮

していない状態での表示である﹈。全体をレー

ザー光により形状計測するのは難しいとい

う判断に至った。

 

そこで、形状計測の方法として、マイク

ロソフト社の「K

inect

」を用いることを試み

た﹇図3│3﹈。「K

inect

」は本来は同社のゲーム機にゲームの操作者の動き等を伝える

ための機器である。しかしながら、人の動きを立体的に捉えることができるため、ゲー

ムだけではなく、メディアアート作品などにも応用されている。レーザー光を用いた計

測器より精度は劣るため、作品の全体形状を取得するのに使用することとし、細部は

別に撮影したデジタル画像を元に再現することとした。《十二の鷹》の映像については

現在(執筆時)、制作中である。

さいごに

 「クローズアップ工芸」展で試みた映像展示は単に見た目にキレイなCGを表示した

いというわけではない。映像機器の高精細化やコンピューターの処理能力の向上は、作

品の表情をもたらす微細な形状や照明を反射する特性等物理的な情報を元にした、単

なるCGを超えた映像表現を可能とする。「クローズアップ工芸」での映像展示はその

可能性の端緒を開くものである。本稿をまとめるにあたり、凸版印刷株式会社・長谷川

隆行氏並びに長野大学・田中法博氏に多大なご協力をいただきました。ここに記して感

謝を表します。

(国立新美術館情報資料室長主任研究員)

図 3─2

図 3─3

図 2─1図 2─2

図 3─1

現代の眼 603_13_1125.indd 11現代の眼 603_13_1125.indd 11 13/11/25 17:2113/11/25 17:21プロセスシアンプロセスシアンプロセスマゼンタプロセスマゼンタプロセスイエロープロセスイエロープロセスブラックプロセスブラック

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新しいコレクション

中平卓馬

《「サーキュレーション

│日付、場所、行為」より》

中平卓馬(1938-)《「サーキュレーション─日付、場所、行為」より》

1971年(2012年プリント)ゼラチン・シルバー・プリント各32.0×48.0(40.6×50.8)cm

平成24年度購入および作者寄贈

ここに九枚の写真を紹介しました

が、今回は作者からの寄贈も含

め四十点を、このシリーズから収蔵しま

した。

 

作者の中平卓馬は、雑誌編集者として

写真家・東松照明に仕事を依頼したこと

がきっかけで自らも写真を撮るようにな

り、やがて写真家として、また写真を中

心に同時代への鋭い問いを突きつける文

章の書き手として、一九六〇年代末から

七〇年代半ばの日本写真界をリードしま

した。

 

その中平が、七一年の第七回パリ青年

ビエンナーレに出品したのが、この作品で

す。正確には、会期中、毎日パリで撮影し

た写真をプリントし、日々展示に加え、増

殖させることで、日付と場所に限定された

写真を現実に循環させるという行為それ

自体が「作品」でした。

 

下段の左側の写真はビエンナーレ会場

の中平の展示風景です。壁は毎日増殖す

る写真で埋まり、一部は床にも散らばっ

ています。このプロジェクトに使うための

暗室の確保などに手間どり、中平はビエ

ンナーレが始まって数日たってから、よう

やく展示を開始しますが、増殖した写真

が与えられたスペースをはみだしたことな

どをめぐって主催者側と対立し、会期途

中ですべての写真を自ら破り捨て、敢然

と撤退するという伝説的な事態へと至り

ました。

 

中平が、この「行為」を通じて撮った写

真には、印刷物やテレビ画面の複写など、

数多くの既存のイメージが現れています。

またパリで目にしたさまざまなモノやヒト

(真ん中の写真のサングラスの男は中平自身で

す)、さらには展示風景までもがランダムに

登場します。これらを等価に扱い、増殖さ

せていくことで、政治的に利用されもすれ

ば、消費経済とも深く結びつき、あるいは

脳内の記憶までも侵食する、現代社会に

おける写真の在り方を露わにしようとい

う意図を読みとることができます。

 

さて、では行為自体が「作品」ならば、こ

のたびコレクションに加わった一枚一枚の

写真は何なのか?単なる「行為」の記録で

はないのか?

 

写真がレンズの前の事物の客観的な記

録として、私たちが安住する主観的で曖昧

さをはらんだ世界の認識に、トゲのように

つきささり、批評的に作用する。中平は写

真にそうした可能性を見出していました。

だとすれば、これはビエンナーレでの中平

の「行為」の記録にすぎないとしても、まさ

にそのことによってトゲとしてつきささり、

写真について、あるいは美術や作品という

概念について問いを発しているのではない

か。中平の仕掛けた問いの射程は四十年

後の現在にも届いているのです。

(美術課主任研究員 

増田玲)

現代の眼 603_13_1125.indd 12現代の眼 603_13_1125.indd 12 13/11/25 17:2113/11/25 17:21プロセスシアンプロセスシアンプロセスマゼンタプロセスマゼンタプロセスイエロープロセスイエロープロセスブラックプロセスブラック

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13 │ Newsletter of The National Museum of Modern Art, Tokyo [Dec. 2013-Jan. 2014]

新しいコレクション

加守田章二(1933-1983)《曲線彫文壺》

1970年陶器高さ 25.2, 幅 23.0,奥行 24.8cm

平成24年度購入

加守田章二

《曲線彫文壺》

一九六〇年代中頃から人気作家と

して注目されるようになった加守

田章二(一九三三│一九八三)は、むしろ世

俗のわずらわしさから逃れようとするかの

ように、一九六九年六月、妻子を栃木県

益子に残したまま制作拠点を岩手県遠野

に移し、まるで修行僧のように作陶に没

頭する生活を送るようになります。しか

もその場所は、市街地から四キロメートル

ほど離れた辺鄙な場所でした。

 

加守田章二が生前好んで口にしていた

のが「北風に向かって歩く」という言葉

だったそうです。「淋しさ」「空しさ」「退屈

さ」│普通の人であれば避けたいと思

うこうした感覚をむしろ堂々と全身で受

け止めること、そこに人間の生きる意欲

の原動力があると考え、それを身をもって

実践した男でした。

 

その頃の雑記帳には、「着実な単純な生

活の積み重ねこそ最も充実した生活であ

る」(一九六九.七.二十二)と記されており、

遠野に自分の理想の仕事場を得て、そこ

で作陶三昧の充実した日々を送っていた

ことをうかがわせます。

 

遠野に拠点を移した年の秋から冬にか

けて制作したのが「曲

きょく

線せん

彫ちょう

文もん

」シリーズで、

遠野に制作拠点を移してはじめての個展

(一九七〇年三月、日本橋髙島屋)で発表さ

れました。《曲線彫文壺》はその時に出品

されたおよそ三十点の「曲線彫文」のうち

のひとつです。

 

ゆるやかにうねるような凹凸を備えた

多面体の表面全体に、波のような曲線を

彫った「曲線彫文」はプリミティヴな生命

感を備えています。一見すると、縄文土器

を連想させるかもしれませんが、この作品

の着想のもとになったのは、じつは遠野に

ある神社の朽ちかけた木製の鳥居だった

そうです。長年にわたって風雪にさらさ

れ、表面がささくれてごつごつした状態と

なった鳥居に共感するものがあったので

しょう。

 《曲線彫文壺》の多面体のような器形が

生み出す影、そして、波状に彫られた曲

線文による影が存在感をきわだたせてい

ます。

 「曲線彫文」は発表と同時に絶賛されま

した。おそらく、そこに安住することもで

きたに違いありません。しかし、加守田は

その次の個展ではまったく違う作風の作

品を発表しました。いかに高く評価され

ようとも、自己模倣することなく、つねに

「踠も

きながら努力する」ことを自らに課し

ていたのです。その後、個展ごとに作風を

変えていく加守田章二に人々は熱狂しま

した。

 

加守田章二は陶芸界の寵児と絶賛さ

れ、期待を一身に集めましたが、その後病

に倒れ、四十九歳の若さでこの世を去り

ました。

(工芸課主任研究員 

木田拓也)

現代の眼 603_13_1125.indd 13現代の眼 603_13_1125.indd 13 13/11/25 17:2113/11/25 17:21プロセスシアンプロセスシアンプロセスマゼンタプロセスマゼンタプロセスイエロープロセスイエロープロセスブラックプロセスブラック

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Newsletter of The National Museum of Modern Art, Tokyo [Dec. 2013-Jan. 2014] │ 14

 

厳格な十字形、水平や垂直の短く太い

直線、丸みを帯びたV字形をなす線の集

合、さらにはよりランダムに描きなぐられ

たかに見える即興的な曲線と色斑、そう

いった互いに異なる要素が、明るい青緑

とオーカーを基調とした幅四・八メートル

の大画面内に混在し、異階層にあるもの

の並存、干渉と融合の喧騒からなる複雑

な全体を作っている﹇図1﹈。個別の要素

それぞれは、山田正亮(一九二九│二〇一

〇)のここまで四十年にわたる画業で用い

られてきた種々の語彙に由来するものと

いえる。「眼を通して入ってくる知覚が脳

をふくめた全身に沁み込み、ある身体的

統一性をもとにした澄明な感覚で染めあ

げられるのを感ずる。それが、ある精神の

ある状態に自然に転移するには、微妙な

忍耐と時間が必要だ」﹇註1﹈と、山田正亮

のこの期の作品について述べた東野芳明

の言葉は今でも貫通力があり、この決し

て親しみやすいとはいえない大作に接近

する勇気を与えてくれる。しかしそれはま

た、雲をつかむような一般論の場にわれわ

れを置き去りにもする。

 

部分部分を掘り起こしつつ見ていくと、

画面のところどころに淀みが現れる。例え

ば画面左下よりの緩やかに接続し合った

線や色斑の集まりは﹇図2﹈、ひとつのま

とまりとして何かを再現していそうに見

える。垂直な青い直線から放射状に伸び

る何本かの色線、その上には比較的大き

なベージュの色斑が載っている。大地から

まっすぐ伸びあがって花をつけた植物、あ

るいははじけてとび散る花火、あるいは四

肢を広げて伸びあがる少し取り乱した風

情の人の姿、あるいはそのすべて。ではと

りあえず人間としてみよう。次にこちらは

どうか。今見た形のちょうど真上、画面の

上辺にぶつかりそうな位置にあって、青紫

の色斑とその四隅から斜め四方向に伸び

ひろがる線群と真上に伸びる線からなる

形態﹇図3﹈。これを、両腕両脚を広げて立

ちふさがるか、あるいは四肢をめいっぱい

広げてジャンプする人間の姿だととらえて

はいけないだろうか。先程のものよりむし

ろ人間らしいし、より生動感の強いアク

ションが想起される。これでともかくも画

面にふたりの人間が生まれた。ところどこ

ろ十字形で区切られた舞台上を跳びまわ

るダンサーたちだ。さらに画面ほぼ中央に

はアメリカ先住民風の羽根飾りと仮面を

付けた人物が、左に体を傾けて進んで行

こうとしている﹇図4﹈。ピーテル・ブリュー

ゲルの悪女フリートさながらで、右手に剣

まで持っている。ダンサーもこうして三人

になると舞台にはそろそろ何かコンポジ

ションといったものも生まれてくる。

 

画面上に頻出する弧線、それらを様々

に組み合わせれば随所に人間の四肢が見

えてくる。そこに頭部としての色斑が加

われば人型の基本要件は完備されるから、

画面にはいくらでもそれを見出すことが

できる。これらの形態の凝集力はどれも

それほど強力とはいえず、輪郭は流動的、

どの線が手足なのかも曖昧であるものの、

いったんそう思えてしまえば人でしかなく

なり、茫漠と広がると見えていた画面か

ら浮上して特権化する。人間像からは逃

れ難い。

 

もちろんこういった読み取りは作者の

意図したところとは全く異なる。牽強付

会になりかねず、かなり危険なことだとさ

え思う。隠されたシンボリズムや、画家の

無意識の発露を探ろうとするつもりもな

い。作者が存命なら、客体としての絵画の

中での自律した線や色彩の秩序だと、あ

の独特すぎる超難解な文体で一蹴するだ

ろう。月のウサギではあるまいしと笑う向

きもあるかもしれない。けれども、人間が

描いた絵を人間が見る中で、うっすらと

ではあるが確実に人間の姿が生まれ出て

しまったこと、このことはやはり無視でき

中林和雄

抽象と待機

│山田正亮《W

ork

E-250

》をめぐって

作品研究

図2 《Work E-250》部分

図3 《Work E-250》部分

図4 《Work E-250》部分

現代の眼 603_13_1125.indd 14現代の眼 603_13_1125.indd 14 13/11/25 17:2113/11/25 17:21プロセスシアンプロセスシアンプロセスマゼンタプロセスマゼンタプロセスイエロープロセスイエロープロセスブラックプロセスブラック

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15 │ Newsletter of The National Museum of Modern Art, Tokyo [Dec. 2013-Jan. 2014]

ない。出現した踊り手たち

には具象絵画の人物像と同

等の生存権がある。抽象絵

画はあくまで抽象的できれ

いな言葉で語られねばなら

ないのか。けれどもここで

あえてそれを踏み外してみ

よう。あるいはなぜそれが

いけないのかを愚直に考え

てみたい。

 

抽象絵画には悲壮なま

での探求と闘いの歴史が

ある。未知の領域の探索者

たちは、具体的な人やもの

の姿を描かなければならな

かった過去の絵画と訣別

し、絵画の世界だけの原理

によって飛翔する自由を勝

ち取ろうとしたのである。

抽象絵画を見る者には求道

ともいうべきその経緯と前

提を共有することが求めら

れている。それはわかってい

る。だが、ふとしたはずみに

画面に人を発見すると、通

常の視覚の慣習が戻ってき

て、ふっと肩の力が抜け、抽

象道に取り組んでいた気合

いは萎む。それまでは画面

のあらゆる個所を均等の注

意で見ていたのに。あるいは、均等に、も

しくは漠然としか見られなかったからこそ、

なにかフラストレーションを感じていたのか

もしれないが。これは抽象道の精神からの

日和見、逃避だろうか。獲得した自由の大

きさをもてあます凡人は、すぐにこのよう

な読み取りにすがろうとするのだろうか。

 

対象の精確な把捉という観点からいえ

ば抽象より具象絵画の方が明解であろ

う。視覚だけが対象を明瞭に分節化し把

握、つまり具象化できる。視覚以外の人間

の感覚はみなある意味抽象の段階にとど

まっており、具象の一義性に到達できない

でいる。網膜の機構を外在化する装置と

しての絵画が、対象の模倣を通して視覚

の名指し機能を反復すること、すなわち

具象を生み出しえたことはそれだけで驚

異的な出来事であった。抽象絵画はだか

ら具象からの進化形というよりも、あまり

に几帳面で否応ない視覚の名指しと分節

化による意味付けの習慣の留保、あるい

は麻痺の擬態と考えられる。それは具象

の壮麗な伽藍からの暫時撤退であり、対

象を離れ、絵画というメディアを聖化し、

そこに隠遁する姿勢である。それはあえ

て未分化な薄明の段階へ立ちもどり、知

覚の抑圧されていた別の相を解放しよう

とする営為であるが、ある意味不自然な

意図的退行であり、だからこそ撤退の契

機は気楽なものではない。ヴォリンガーも

言ったように抽象絵画は、可視的世界へ

の違和感や怖れ、幸福とは言い難い関係

を基点としているのだろう﹇註2﹈。それは

世界への戸惑いであり、かつ楽天的すぎる

視覚の独走への警戒である。空虚の直視

であり、だから概ね悲劇的である。実際、

世界との一体的な融和を基調に持つハッ

ピーな抽象絵画はあまり信用できない。

山田正亮の画業のはじまりも、戦争とそ

の後の過酷な状況から生じた精神の空白

への対処に他ならなかった﹇註3﹈。

 

抽象絵画を貶めようとしているのでは

ない。その逆である。視覚の強い一義性は

そのまま欠点でもある。人やものの形、そ

のあり方はそもそも極めて流動的、主観

的、相対的なものだ。その多くの相は突

出した視覚が主導する知覚の営みからは

捨象されてしまう。本来世界が持つはず

の自由度の幅、多様な広がりが、視覚の

せわしない分節化、そして例えば「正しい

人体デッサン」といった教条によって膠着

し、貧困化する。絵画はそれに抗い、形の

無限の可能性に賭ける営為たりえるだろ

う。そのために、ある画家たちは対象を直

接に模倣・再現するという絵画の絶対的

慣例を保留してみたのだ。正しいデッサン

などなく、それぞれのデッサンがあるだけ

だ。視覚の突出した能力をいったん封印、

ないしはその麻痺を擬態して、一義的意

味付けの引力に抗いつつ種々の知覚の相

図1 山田正亮《Work E-250》1986年 油彩・キャンバス 194×486cm 東京国立近代美術館蔵

現代の眼 603_13_1125.indd 15現代の眼 603_13_1125.indd 15 13/11/25 17:2113/11/25 17:21プロセスシアンプロセスシアンプロセスマゼンタプロセスマゼンタプロセスイエロープロセスイエロープロセスブラックプロセスブラック

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Newsletter of The National Museum of Modern Art, Tokyo [Dec. 2013-Jan. 2014] │ 16

の間を自由に遊泳すること。その彷徨の

不安とフラストレーションにもまれながら

耐えつつ、慣習、制度により固化した視覚

を揺さぶり、新たな境地にいたるために動

き続けること。

 

一九五八年から七八年の山田正亮の絵

は、《W

ork E-2

50

》に見られる類の受容

の場での曖昧さ、ないし多義性の発現を

極力抑えるかのように、ストライプや十字

形といったごくシンプルな構成原理のみに

よって一元的に画面全体を作っていた。描

き続けられなければ明日死ぬといわんば

かりに張りつめていて、浮ついた形態を読

み込む隙などみじんも与えなかったこの

頃の作品には、まさに抽象道の本丸に籠

城する頑なさがあり、意味付けや感情の

投影を拒む。見る者はなによりもまずそ

の頑なさと激しさに打たれ、拒絶されなが

らも離れられないのである。七九年以降の

作品はそれ以前の造形要素を複合して用

い、受容の場での振れ幅を大きく広げた。

そこにここまで見た「読解」の余地も生じ

る。切りつめて厳しく、触れば手が切れる

ほどの前期の画面が、後期では前期に獲

得した諸要素を組み合わせながら大型化

し、大胆な筆致もふんだんに残されて、見

かけの上ではリラックスした、あるいは懐

を深くした。

 

視覚の慣性を無理やり押しとどめつつ、

あえて薄明の段階にとどまること、その領

域に閉じこもる抽象の困難な努力は、大

きなポテンシャルを沈殿させるであろう

が、その閉じは結局のところ何らかの形で

は外に向かって開かれなければならない。

外界との経路を絶ってあえて不分明の領

域に孤立しようとするのは、逆説的にも

外界とのより強い結びつきを獲得するた

めだともいえる。作品は他者と何らかの

交通を生起させなければならない。メディ

ウム・スペシフィックという発想への固執

は、メディアがそもそもは何かを伝えるた

めのものだったという点で袋小路に突き

当たり、自家撞着を引き起こしかねない。

蓄積したポテンシャルには、外在化する局

面が訪れるだろう。そして、十分に閉じこ

もり禁欲的にパトスを凝縮したからこそ

発生した反作用としてのこの弛緩は、最

初からランダムであるような表現とは全

く違って、ある根深さと熟成の香気を帯

びていた。山田正亮の絵画群「W

ork」の前

期の切りつめた姿勢と後期の解放ないし

開放、この両者は吸気と呼気のようにし

て、その緊密な全体運動を作り上げてい

る。ふたつの局面は相補的であり、相補的

であるからこそ強力である﹇註4﹈。

 

山田正亮の画業の弛緩の相の中で図ら

ずも浮上してしまったさきほどのダンサー

たち。ここでその呼び方を変え、例えば「少

し取り乱す」、「跳びあがる」、「前進する」、

とでもしてみると、実体としての人間の似

姿、固定的な輪郭を持った物的対象として

のあり方は弱まり、動きや状態を可視化す

る担い手として柔軟にとらえられはじめ、

その存在感も適度に希薄になる。名詞よ

りも動詞としての形態。力動や流れの表徴

が、擬人像めいたものとして私には見えた。

そういえば画家も少しは聞いてくれるかも

しれない。そしてそのような眼であらため

て見返せば、画面のあちこちにはかげろう

のように現れては消えながら踊り続ける無

数の形象が明滅していて、そのざわめきが

この大きな絵を動かしている。なによりダ

ンスとは、個を超え出て世界や宇宙の律動

を感じること、身体の内と外を流通させる

こと、すなわちとりわけ視覚に依存するこ

とで固定化しがちだった界面、輪郭を身体

感覚の中で柔軟に流動化し、開くことなの

ではないだろうか。マティスの《ダンス》の

人物像は絵画の論理に従って大きく変形

され、その輪郭は流動化し、実体というよ

りは運動としての、あるいは状態としての

身体にいたった。絵画の自発性だけを精査

しようとし続けた山田正亮の長い試行錯

誤の果てには、踊りまわる人物群の影が画

面にあまねく湧出し、天空の星座のように

たゆたいはじめた。方向は違っていても、結

果においてそこには意外な近接ないし平行

がないだろうか。ダンスを介して抽象と具

象はいわば軒を接している。

(企画課長)

註1

東野芳明「山田正亮

―Eの非劇」『山田正

亮新作展』カタログ(一九八六年九月十九日―十月

十一日、佐谷画廊)。

2

ヴォリンゲル(草薙正夫訳)『抽象と感情移

入』岩波文庫、一九五三年(原著は一九〇八年)。

3 

山田正亮の、とりわけ前期の絵画群の諸問

題とその総体性については以下を参照。中林和

雄「山田正亮

life and work

│制作ノートを

中心に」『東京国立近代美術館研究紀要』第十七

号、二〇一三年、八―三三頁(pdf

版掲載:http://

ww

w.m

omat.go.jp

/research/kiyo/17 /pp.8 -3

3 .pdf

)。

4 

こういった相補性は他にも山田正亮の作品

総体の様々なレベルにおいて見出すことができ

る(註3拙稿を参照)。

表紙:ジョセフ・クーデルカ「ジプシーズ 1962─1970」より《ルーマニア》1968年 35.5× 54cm © Josef Koudelka / Magnum Photos

東京国立近代美術館賛助会員 (MOMAT メンバーズ)

2013年 12月1日発行 (隔月1日発行) 現代の眼 603号編集:独立行政法人国立美術館 東京国立近代美術館/美術出版社制作:美術出版社発行:独立行政法人国立美術館 東京国立近代美術館〒102-8322 東京都千代田区北の丸公園 3-1 電話 03(3214)2561

次号予告 2014年2 - 3月号 2月1日刊行予定

604

あなたの肖像─工藤哲巳回顧展Review

ジョセフ・クーデルカ展/現代のプロダクトデザイン─ Made in Japanを生む

現代の眼 603_13_1125.indd 16現代の眼 603_13_1125.indd 16 13/11/25 17:2113/11/25 17:21プロセスシアンプロセスシアンプロセスマゼンタプロセスマゼンタプロセスイエロープロセスイエロープロセスブラックプロセスブラック