研究・開発 前線 · 2.カオスニューラルネットワーク...

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20 1.はじめに 私は,1995年基礎工学部電子応用工学科を卒 業し,1997年に修士,2000年に博士の学位を頂 きました.同年に郵政省通信総合研究所(現在の 国立研究開発法人情報通信研究機構)に就職して モバイルネットワークに関する研究に従事しまし た.2007年に同研究所を退職して,東京理科大学 工学部第一部電気工学科の教員となりました.学 生時代の専門分野はカオスやニューロコンピュー ティングに関する基礎研究でしたが,現在ではそ れらの理論を応用しながら無線通信ネットワーク やその最適化に関する研究を行っています. 2.カオスニューラルネットワーク 大学に入学してから学部 3 年生までは,興味を 持てる科目がなかなか見つからず,あまり真剣に 勉強ができていませんでした.このままではまず いと思ったのが,学部 4 年生になって研究室に配 属されるときでした.学生時代の最後の1年間は, 勉強に集中しようと決め,当時一番厳しいと噂さ れていたディジタル画像処理の研究室に入りまし た.まだ研究を知らなかった当時の私にとっては, 画像処理は興味が持てる分野だと感じ,真剣に取 り組めるとも思っていました. 卒業研究を始めてみると,新しいアイデアを自 分で作り出していくことがとても楽しく,興味を 持って取り組むことができました.同じ研究室に は当時助手だった池口徹先生(現在,工学部情報 工学科教授)の指導でカオスという難しそうな理 論を研究しているメンバーが何人かいました.カ オスを研究していたメンバーは,国際学会や学外 の勉強会に積極的に参加していました.カオスを 用いると新しいことができそうだと感じ,卒業研 究が終わり大学院に進学する頃には,カオスに興 味が移っていました. 私が卒業研究を行っていた1994年頃は,カオス ニューラルネットワークを用いた組合せ最適化に 関する研究が注目を集めていました.組合せ最適 化問題とは,例えば,最短経路の探索のように, サイズが大きくなると組合せ数が階乗のオーダー で増加し,最適な解を得ることが非常に難しく なる問題です.私の研究では,カオスニューラル ネットワークを用いてアルゴリズムを駆動する新 しい手法を提案し,従来研究よりも格段に有効と なることを示していました.ジャーナル論文も一 生懸命に書き,海外の雑誌にも複数採録され,学 生としてはかなり良い研究業績を挙げることがで きました.この業績のおかげで,就職活動はとて も順調で,博士後期課程 3 年の時には複数のポス トの内定を頂きました.指導教授(伊藤紘二先生) の勧めで郵政省通信総合研究所 ( 現,国立研究開 発法人情報通信研究機構 ) に就職することになり ました. 3.ユビキタスネットワーク 郵政省通信総合研究所にはニューラルネット ワークに関する研究を行っている研究室がありま したが,入所してみると私が配属されたのは無線 通信ネットワークの研究室でした.その頃の私は, 無線通信に関しては当然ど素人で,割り当てられ た仕事をこなすことだけでも本当に大変でした. 現在では,スマートフォン(携帯電話)で移動中に もインターネットにつなげられるのは当たり前の 時代になりましたが,私が就職した当時(2000年) は,モバイルインターネットはまだほとんど普及 しておらず,研究所にとってはとても重要な研究 テーマでした. 私が主に担当していたのは,ユビキタスコン ピューティング(ユビキタスネットワーク),最近 研究 開発 (3) (3) 長谷川 長谷川 幹雄 幹雄 (平 7 基工・電子応工

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1.はじめに 私は,1995年基礎工学部電子応用工学科を卒業し,1997年に修士,2000年に博士の学位を頂きました.同年に郵政省通信総合研究所(現在の国立研究開発法人情報通信研究機構)に就職してモバイルネットワークに関する研究に従事しました.2007年に同研究所を退職して,東京理科大学工学部第一部電気工学科の教員となりました.学生時代の専門分野はカオスやニューロコンピューティングに関する基礎研究でしたが,現在ではそれらの理論を応用しながら無線通信ネットワークやその最適化に関する研究を行っています. 2.カオスニューラルネットワーク 大学に入学してから学部3年生までは,興味を持てる科目がなかなか見つからず,あまり真剣に勉強ができていませんでした.このままではまずいと思ったのが,学部4年生になって研究室に配属されるときでした.学生時代の最後の1年間は,勉強に集中しようと決め,当時一番厳しいと噂されていたディジタル画像処理の研究室に入りました.まだ研究を知らなかった当時の私にとっては,画像処理は興味が持てる分野だと感じ,真剣に取り組めるとも思っていました.  卒業研究を始めてみると,新しいアイデアを自分で作り出していくことがとても楽しく,興味を持って取り組むことができました.同じ研究室には当時助手だった池口徹先生(現在,工学部情報工学科教授)の指導でカオスという難しそうな理論を研究しているメンバーが何人かいました.カオスを研究していたメンバーは,国際学会や学外の勉強会に積極的に参加していました.カオスを用いると新しいことができそうだと感じ,卒業研究が終わり大学院に進学する頃には,カオスに興味が移っていました. 私が卒業研究を行っていた1994年頃は,カオスニューラルネットワークを用いた組合せ最適化に

関する研究が注目を集めていました.組合せ最適化問題とは,例えば,最短経路の探索のように,サイズが大きくなると組合せ数が階乗のオーダーで増加し,最適な解を得ることが非常に難しくなる問題です.私の研究では,カオスニューラルネットワークを用いてアルゴリズムを駆動する新しい手法を提案し,従来研究よりも格段に有効となることを示していました.ジャーナル論文も一生懸命に書き,海外の雑誌にも複数採録され,学生としてはかなり良い研究業績を挙げることができました.この業績のおかげで,就職活動はとても順調で,博士後期課程3年の時には複数のポストの内定を頂きました.指導教授(伊藤紘二先生)の勧めで郵政省通信総合研究所(現,国立研究開発法人情報通信研究機構)に就職することになりました.3.ユビキタスネットワーク 郵政省通信総合研究所にはニューラルネットワークに関する研究を行っている研究室がありましたが,入所してみると私が配属されたのは無線通信ネットワークの研究室でした.その頃の私は,無線通信に関しては当然ど素人で,割り当てられた仕事をこなすことだけでも本当に大変でした.現在では,スマートフォン(携帯電話)で移動中にもインターネットにつなげられるのは当たり前の時代になりましたが,私が就職した当時(2000年)は,モバイルインターネットはまだほとんど普及しておらず,研究所にとってはとても重要な研究テーマでした. 私が主に担当していたのは,ユビキタスコンピューティング(ユビキタスネットワーク),最近

研究・・開発最最前線(3)(3)

長谷川長谷川  幹雄幹雄((平7基工・電子応工))

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16・10 理窓

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の言葉で言えば,IoT(Internet of Things)に関する研究でした.特に,様々な通信ネットワークや通信機器の間を,通信を途切れさせることなく自由に切り替えるハンドオーバ技術の研究を進めました.現在では,ほとんどのスマートフォンは携帯電話ネットワークだけでなく,無線LANでの通信も可能です.そのような機器で,高速無線LANのサービスエリアでは無線LANに接続し,エリア外に出て移動し始めると広域をカバーする携帯電話ネットワークへと,自動的に切り替える技術の研究を進めました.このような技術は,携帯電話システムのトラフィック負荷を軽減するためにも有効です.私の研究では,このような異なる種類のネットワーク間のスムーズな切り替えを可能にするハンドオーバ技術や,携帯電話の通話を身の周りの様々な端末を用いた通話に切り替える端末間のハンドオーバ技術を開発し,その実装を進めました.デモの発表や特許出願もたくさん行いました.その結果,テレビや新聞にも取り上げてもらえるような成果を挙げることが出来ました. 様々なネットワークをスムーズに切り替えられるようになると、その選択を最適化する研究を行いたいと考えるようになりました.研究所での研究は技術の実証が主で,カオスやニューラルネットワークの数理を用いて最適化するような研究をするのは少し難しいと感じていました.そこで,7年間働いた研究所を退職し,東京理科大学に移りました. 4. 無線ネットワークの最適化 2007年4月から東京理科大学工学部第一部電気工学科の教員になりました.新しい研究室を立ち上げ,早速,無線ネットワークの最適化に関する研究を行いました.この頃,無線周波数やネットワークを最適に選択してダイナミックに切り換えながら利用するコグニティブ無線技術が注目を集めていました.そのようなネットワーク選択の最適化にニューラルネットワークを適用し,実装しながら有効性を示していく研究を進めました.またこの頃,コグニティブ無線技術の国際標準化も進められていました.私は,情報通信研究機構ととも

にIEEE1900.4という国際標準規格の会議に参加していました.年に3回のface-to-face meetingが世界各地で開催されておりましたが,この標準化会議を東京理科大学において2回も開催しました. 無線通信においては,限られた周波数帯域を多くのユーザの通信に利用します.通信の容量(通信速度)は,受信信号の大きさに対する干渉やノイズの大きさ(信号対干渉雑音比)と周波数帯域に依存します.通信容量を拡大するには,各々の通信に別々の無線リソースを割り当てたり,各々のユーザの通信の送信電力を調整したりすることによって,信号対干渉雑音比を最大化することを試みます.このような通信容量の最適化問題は様々な無線通信システムにおいて重要であり,私の研究室では様々なシステムを対象として,様々な手法を用いて研究を進めています.韓国のWon-Joo Hwang教授との国際共同研究で進めているDevice-to-Deviceという新しい方式の最適化は,JSPSの二国間交流事業(共同研究)に採択されました.この共同研究を通じて,日韓の学生間の交流も積極的に行っています. カオスやニューラルネットワークを無線通信や最適化に応用する研究を進めていく中で,FIRST,ImPACT,SIPなどの内閣府のプロジェクトに参画させていただくようになりました.東京大学の合原一幸教授のFIRSTプロジェクトでは,最先端数理モデルを無線通信に応用する研究を他大学の先生方とともに進め,新しい同期方式,最適化方式を構築することができました. 私は,学生時代は応用分野における問題を知らないまま,カオスやニューラルネットワークの理論研究を進めていました.情報通信研究機構に入所して無線ネットワークの研究を行ったことによって,応用についても深く知ることができました.現在は,応用分野における問題をきちんと式にして,それを理論で解決する研究を進めることができています.今後も,新しい分野に踏み出していくことを躊躇せずに,理論から応用までを一貫したアプローチで研究を進めていきたいと考えています.