3166 OCHIホールディングス3166 1.8 % ↑「 K-00」はファイル名の 末尾が自動で入ります 代表取締役社長 社長執行役員 越 お 智 ち 通 みち
株式会社日立製作所 代表執行役 執行役副社長 CSO 「研究」と「 … ·...
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今、
学生時代
―― まず,学生時代のことからお伺いすることにしているんですが。西野 理学部の物理で永田一清先生の研究室に居ました。物性の実験です。―― そうでしたか。西野 この本(写真:赤い本,「数の話」タイムライフインターナショナル 1967)を私の父が中学1年生のときに買ってくれたんですね。学術書ではなくて,自然界に在るものと数学の関係。最初はほとんど判らなかったけれども,本当に綺麗な絵があるので,これがずっと頭に残っていて。当時は,東工大は個体物性が強くて,沢田先生,本庄先生,高柳先生,統計理論の小口先生ほか,有力な研究室が在ってあまり悩まないで物理を選びました。ちょうど永田先生が物性研から移って来られた時期だったので,一
緒に研究室を建設しようとおっしゃるので,修士で出るまで永田先生の研究室にいました。
―― じゃ,基礎的なことを。西野 本当に基礎物性ですね。でも,基礎的なことがきちんと判っているというのは大事な事だと思いま
す。議論を一生懸命やる研究室だったので,何でそう考えるのかを相当鍛えられたのと,新しい分野の開拓には新しい道具が要るという考え方でした。ちょうどインテルやモトローラのマイコン(まだ4ビットや8ビットでしたが)が手に入る時代になり,信号の処理にマイコンを使った新しい測定装置を作りました。ハンダ鏝(こて)を持っている時間が長かった。
日立への入社とエピソード
―― 日立製作所に入られ,配属はどういったところに。西野 最初は国分寺の中央研究所に行きました。当時は半導体,磁性体や誘電体のエレクトロニクスへの応用が非常に盛んな時期で,大きな研究組織がありました。教科書に載るような仕事をする先輩が居る一方で,新しく工場を造るような成果を出す人も居ました。―― 今までどういう大きな流れで歩んで来られましたのでしょうか。西野 しばらく非常に基礎的な研究を担当していましたが,途中から開発に近い方に移り無線や光通信の研究部です。そこでの研究結果が比較的早く製品になるんですけれども,会社に入って10年目くらいにかなり大きなグループのリーダーをするようにな
活躍中の同窓生
●プロフィールにしの としかず:1955年,神奈川県生まれ。1980年,日立製作所入社。1997年,中央研究所オプトエレクトロニクス研究部長。2000年,日立製作所CVC室部長。2002年,中央研究所所長。2005年,日立製作所技術戦略室長兼経営企画室副室長。2005年,日立ディスプレイズ常務取締役。2009年,ルネサステクノロジ取締役。2011年,日立製作所執行役常務経営企画本部長。2015年,同社代表執行役副社長 CSO。現在に至る。博士(物理学)。インタビュー,写真撮影2017.7.7 日立製作所本社にて
極めて論理的にかつ丁寧にお話しされる元理系青年は,身につけた研究の方法論の真髄を経営に展開し,課題の発見と仮説の検証という哲学で総合電機メーカーの経営戦略を展開する。
西野 壽一氏 (S53物 55修)
株式会社日立製作所代表執行役執行役副社長 CSO
「研究」と「経営」は共通思考プロセス
学生時代研究室にて
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りました。―― 早いんじゃないでしょうか。西野 これは早いというより乱暴です。とにかくいきなり明日から部長をやれというような話なんで。今になって想えば,連続性がはっきりした仕事だけでは,個人の大きな成長は期待できないのですけれどね。光の研究室は伊賀先生や末松先生のお弟子さんが在籍していて,大変活躍していました。共同研究でもご指導いただきました。 当時は,超高速の光通信が急速に伸びている時代で,レーザーとそれを駆動する回路の進化が通信のスピードにそのまま繋がるという,エンジニアとしては楽しい時代でした。自分達で作った最先端の試作品を売りに行こうという話になって,ハワードという名前のジャマイカ系アメリカ人の営業と2人で出かけました。ハワードが選んだのはシスコでしたが,当時のシスコはシリコンバレーにまだ最初のビルが建ったくらいの時期でした。当時のCEOのチェンバースがたまたま会ってくれるということになって。1時間ぐらい話をしたら,置いていけと言う。とられちゃ困るなと思いましたが,ハワードに手続きを頼んで預けて帰りました。その後,一月ぐらいしたら注文伝票が来て驚きました。 シスコは,その時はまだベンチャー会社から大企業へ移る途上でしたが,会社を成長させるやり方をチェンバースから聞かせてもらい勉強になりました。
もう一つのエピソードは,私たちの製品がAT&Tの長距離通信に使われていて,注文をもらうには作った製品を認定してもらう必要があります。その認定を昔のベル研究所がやっていました。ある時から何回催促してもオーケーが出ない。それでどこが悪いのか聞きに行くと,前とは別の人が出てきて彼の後任ですと言ってまた話が振り出しに戻る。そうこうしているうちにベル研が潰れてしまって,それをずっと見ていてショックでしたね。 グラハム・ベルの研究所は昔の話ですが,今年になって今度はエジソンの研究所(GEグローバルリサーチ)が大リストラに陥っています。技術だとかサイエンスというのが物事の基本にはなるのですが,どんなイノベーションあるいはその組み合わせで社会や経済をリードして行くのかの見極めは,やはり経
今、活躍中の同窓生
研究所長のころ
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営の見識によるのだと思います。ベル研は,ちょうどその曲がり角の時期に近くで見せてもらって,勉強になりました。
経営者への道
―― その後はいかがですか。西野 今,名誉顧問をされている庄山さんから,翌月からベンチャー投資を担当せよと。CVC(コーポレートベンチャーキャピタル)としてお金は用意するからベンチャー会社を発掘せよとのご指示。やり方が全くわからないので,野村證券系のベンチャーファンドであるJAFCOで見習いをしました。野村證券から移ってこられた津田さんや伊牟田さんに教えて頂きました。そもそも投資委員会で何を議論しているのか見たこともないですし,伸びる会社というのは一体どういう基準で選ぶのかとか,投資の観点から会社が伸びるとは何がどうなる事なのか,私は知らなかった。 この時期の大きな教訓は2つあります。1つは,最初の2年間で延べ約 1,000 人のベンチャー会社の社長さんに会いました。面談は1回1時間なので1日4社は出来るんですね。その時に教えてもらったのは,情熱とはどこから出てくるのかという事です。1,000 人会ってみると,結局これが物事をなし遂げる原動力になるのだという事がよく判りました。つまり成功の原動力。 もう一つは,経営は教科書を読むよりは人を見る方がよく判るということです。実際にやっている方,投資している方が何を大事だと思っているか。幾らビジネスモデルだとか技術が面白いといっても,最後に投資をするのか,あるいはしないかを決めるのは社長の人物だという話になって。 その後,研究所に戻り所長を3年やってから,幾つかの赤字の会社に役員で行きました。赤字には全部それなりの理由があるのですが,とにかく立て直して次の形に持って行く必要があります。最後に担当した半導体事業だけはルネサスという名前で,これは業績が比較的堅調で生き残っていると思います。液晶は資本構成からは抜けました。しかし会社自体は今も結構苦労しています。それから,ハードディスクは売却しました。―― そうですね。西野 本当に有難かったのは,どこに行っても,お
話をすると一緒になって走ってくれる方がいらして,助けられました。味方だとか仲間を作ることが,苦しい時期を乗り越えるためにどれぐらい大事かを勉強しました。経営はビジョン,方向を示すことではあるんだけれども,そういう一緒に動いてくれる人が出てこない限りは上手くいかない。やっぱり,営業も含めて現場にいる人に教えてもらって,ああそうか,という事が沢山ありました。
経営戦略担当
西野 ルネサスの役員をしていた時に,今の名誉相談役で当時会長だった川村さんからお話があり,日立のコーポレートに戻りました。現在は会長の中西さんが社長に就任されたタイミングでしたが,経営改革本部と言っていましたけれども,その組織へ戻るようにご指示がありました。この本部は現在は戦略企画本部という名前で,その後も関連した仕事を担当して今年で8年目です。 色々な意味で日本の産業の縮図がやっぱり日立にもあったと思いますね。日立は,日本の皆さんが必要とする物を,必要な値段で,必要な品質で,お届けするということでこれまで社会やお客様に育てていただいた会社です。ところが,日本の国もそうですし,国民の暮らしもそうだと思いますが,何が大事
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か,価値があるか,という所が途中から変わってきます。日本が直面する課題も同じく変わる。もう一つは,個々の技術の進歩が飽和する時期になると,技術の入れ替りも必要になる。求められるイノベーションもよりサービスに近づいて行く。では日立は変われていたのかと言ったら,それは必ずしもそうではなかったわけで,それを今一生懸命変えているのです。そういう変化への対応を社会イノベーションという考え方で仕事をしています。―― ありがとうございます。元々は,理学的な,どちらかというとロジカルシンキングが一番大切だよという文化かなと思うんですが,企業の幹部になられて,マネジメントの中で判断をなさる時に,特に西野さんだからこういう判断だなみたいな,何か考えの規範にされているようなことというのはご紹介いただけますでしょうか。西野 これはなかなか難しい質問です。2つのメッセージを差し上げます。もし学生の方に話を聞いていただけるとすれば,研究と経営というのは思考プロセスが似ているという事をお伝えしたい。ほとんどの学会に論文投稿のための『スタイルマニュアル』がありますが,論文というのはこのように書かれなければならない,とルールが書いてある。2つ大事なことがあって,1つ目は,取り上げる問題は,その意味と価値が関連ソサイエティの人々にとって十分でなければならない事。もう一つは,その問題に対して
あなたの仮説は何かを明快に言い,その仮説が実験なり計算で再現可能な形で検証できているという事。 経営も同じで,あなたの会社の問題は何ですかという問いに,社会,株主,お客様,にとって意味のある返事が必要になる。そして課題解決のために私はこういう仮説に基づいてこういう手を打ちたいと宣言する。経営施策と言っているのは仮説なので,1年たって効き目がありましたかと検証結果をアナリストが聞くわけです。このプロセスは研究も経営もほとんど同じ。ただ,経営は1年サイクルだから時間軸が入っているという大きな違いがありますけれども。すべてのお金には投資元へ還る期限があるので,こういう根本的な違いが出てきます。―― そうですか。西野 これは先人が作ってきた財産みたいなもので,それをきちんと教えたりトレーニングしたり,あるいはその部分について議論をするというのは大事なことです。 それから二つ目のメッセージですが,座右の銘にしているのは,これは大勢の方に教えて頂きましたし,先ほどの1,000人のベンチャー会社の社長さんから教えてもらったことも含めて申し上げると,やっぱり全て現場が起点。現場というとすぐ工場と思われるかもしれないけれども,お客さんがお使いになっている場所,どういう使われ方をされているのかも含めて全部現場だと思います。―― でも,相当努力をしないといけませんよね。経営レベルでの『スタイルマニュアル』は先ほどおっしゃったように,例えばちゃんと工場が回ってどれだけの利益が上がってというところで皆はある程度実験,検証できたようなイメージ。それがさらに最終
今、活躍中の同窓生
2002年ローザンヌのビジネススクール国際経営開発研究所(IMD)へ。(写真はヨットハーバーにて)
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的にどういうところで使われてという,そこまで見に行って検証だというのは,相当努力が必要なのではないかなと思うんですけれども。西野 お客さんにあなたの会社を選んでよかったと言ってもらわないといけないので。中西さんは社会イノベーションと言ったんですね。今の社長の東原さんは一歩進めてイノベーションパートナーと言ったんですよ。それは何を申し上げているかというと,今,先生がおっしゃられたとおりで,日立の製品やサービスをご採用いただいて,それをずっとお客さんが使っている間中,これをあなたの会社に頼んで良かったと言って頂けるようにならないといけないわけですよね。本当になっているかどうかというのは,これは,東原さんの言っている事も仮説です。大変なんですけれども,そういうふうに変わっていかないと,次の角を曲がり損なうんじゃないかなと思っているのです。
後輩へ一言
―― 今日のお話は最初から若手にぜひ聞かせたい内容ばかりのように私は感じているんですけれども,特に最後に若手へのメッセージみたいな言葉というのはございますでしょうか。西野 やっぱり自分で現場を見て自分で問題を見つけることの重要さというのを是非。これは自分で経験しないとなかなか判らないかも知れませんけれども。技術やサイエンスは基本的,普遍的なもので,教科書できちんと勉強するべきだと思います。ところが,ビジネスモデルというのは,周りの環境(エコシステム)を全部積分したようなものなので,そうすると,10 年前に正しくても今正しいかどうか判らないから,教科書で勉強するよりは,今生きているビジネスがなぜ生きていて,今生きていないビジネスはなぜ生きていないのかという,フィールドワークだと思っています。そこをぜひ記憶して欲しい。有名なビジネススクールのケーススタディよりも,今生きているものから学ぶことの方がはるかに大事だと。 そして,やっぱりなぜそうなるのかということを自分で考える。だけれども,なぜそうなるかということを自分で知りたいと思うということが実はビジネスを考えるときに大事なんじゃないかなと思います。―― ありがとうございます。知りたいと思ってくれないと困るんですけれども,知りたいと思っても,私は教育現場にいますのでいつも批判的に言うのです
が,まだだめなんですよ。何か上から答えが降ってくるのではないか,常に待ちの姿勢なんですよね。そうじゃなくて,自分で掘りに行かなきゃいけないという,今のお話ですね。西野 いや,本当にその通りで,今日,何で自分は掘りに(答えを探しに)行きたいと思うのかと,これが大事なんですよね。そこから先はもう実はハウなんですね。だから,ホワットというのは,先ほどお話ししたとおりで,やっぱり自分が何かしたいという強いモチベーションを持つことがホワットです。今日省きましたけれども,3年間研究所の所長をやりましたけれども,これはもうほとんどそれが勝負でした。だから,やってくれる人にどうしてもこれをやりたいと思わせるのはどうするかと。―― なるほど。最後に西野さんにとって,現在の情熱(ホワット)はどう表現なさいますでしょうか?西野 先ほどお話したように,世界の産業界はもう一度コーナーを曲がる必要が出てきています。これはリーマンの時と違って過剰投資や不良債権をどうするかではなくて,大きなイノベーションの潮流であるデジタル,サービス,個別の価値,新しい社会課題をいかにして自社の成長の源泉として位置づけるかです。これが今の私のホワットです。―― ありがとうございました。
:笹島 和幸(S51 生機 57 博):蓮尾 哲也
インタビュアー ・文写 真 撮 影