第9章配列ドット格子と磁気物性 - Riken1 第9章配列ドット格子と磁気物性...

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1 第 9 章配列ドット格子と磁気物性 東京大学物性研究所 ナノスケール物性研究部門 大谷義近 1. はじめに 一般に強磁性体は、静磁エネルギー、磁気異方性エネルギーや交換エネルギーから成る自由エネ ルギーを最小にするように、異なる磁化方向を持った微細な磁区に分かれ消磁している。磁区と磁区 の間には磁気スピンがなだらかにねじれた遷移領域の磁壁が存在し、通常の遷移金属強磁性体の場 合おおよそ 10 ~ 20 nm 程度の大きさとなる。したがって、直感的にも解かるように注目する強磁性体 の大きさを数十から百ナノメートルの寸法まで微細化すると強磁性体ドット中に生じる磁区構造は、上 述の磁区を一つしか含まない単磁区や、磁壁を一つだけ内包する二磁区状態等のように単純にな る。 磁気ランダムアクセスメモリー(MRAM)に代表されるスピンエレクトロニクス素子応用やパターンド メディア応用を考えると、磁気ドットはスピン分極した伝導電子の供給源あるいは記憶素片として大変 重要な要素となる。このような強磁性体ドットの磁化状態は供給される電子スピンの配向方向を決め るため、単磁区状態を取り、かつ双安定性を示すことが望ましい。しかしながら、MRAM やパターンドメ ディアにおいて記録密度を高くするために表面磁極が生じる単磁区状態を保ちながらドットを相互に 接近させると、静磁気的な相互作用が顕著となり磁化状態が不安定になる。このように磁化状態の安 定性は静磁的相互作用と密接に関係している。本章ではスピンエレクトロニクスの一翼を担うパターン ドメディア、特に対称性に優れたナノ磁気円盤構造に注目し、孤立円盤ドットの磁化状態について形状 磁気異方性や界面磁気異方性の観点から議論する。次いで積極的に静磁気的相互作用させた磁気 ドット格子系の磁気ロジックゲートや磁気人工分子などの新しい物性について簡単に述べる。 2.ナノ磁性体円盤の磁気相図 ナノスケール磁気円盤の直径と膜厚に対する磁気安定構造をについて実験とマイクロマグネティク ス計算との比較から求めた磁気相図 1) を図1に示す。マイクロマグネティクス計算にはパーマロイ (Fe 20 Ni 80 合金)の磁気物性定数を用いた。図中にそれぞれ 3 つの領域で安定な磁気構造を模式図で 示す。ナノスケールの強磁性円盤の直径を数 100 nm の領域から次第に小さくしていくと約 40 nm 以下 では磁壁を内包するのはエネルギー的に損になるため、単磁区状態が安定構造となる。この状態で は、円盤の直径 D と厚みの比で表されるアスペクト比( D / )も重要となる。直径を固定したまま、 アスペクト比を1より大きくすると円盤は偏平になり面内に寝た単磁区構造(S // 構造)となる。逆にア スペクト比を1より小さくするとスピンが円盤底面から立ち上がった単磁区構造(S 構造)が安定構造

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第 9章配列ドット格子と磁気物性

東京大学物性研究所

ナノスケール物性研究部門

大谷義近

1. はじめに

一般に強磁性体は、静磁エネルギー、磁気異方性エネルギーや交換エネルギーから成る自由エネ

ルギーを最小にするように、異なる磁化方向を持った微細な磁区に分かれ消磁している。磁区と磁区

の間には磁気スピンがなだらかにねじれた遷移領域の磁壁が存在し、通常の遷移金属強磁性体の場

合おおよそ10 ~ 20 nm程度の大きさとなる。したがって、直感的にも解かるように注目する強磁性体

の大きさを数十から百ナノメートルの寸法まで微細化すると強磁性体ドット中に生じる磁区構造は、上

述の磁区を一つしか含まない単磁区や、磁壁を一つだけ内包する二磁区状態等のように単純にな

る。

磁気ランダムアクセスメモリー(MRAM)に代表されるスピンエレクトロニクス素子応用やパターンド

メディア応用を考えると、磁気ドットはスピン分極した伝導電子の供給源あるいは記憶素片として大変

重要な要素となる。このような強磁性体ドットの磁化状態は供給される電子スピンの配向方向を決め

るため、単磁区状態を取り、かつ双安定性を示すことが望ましい。しかしながら、MRAM やパターンドメ

ディアにおいて記録密度を高くするために表面磁極が生じる単磁区状態を保ちながらドットを相互に

接近させると、静磁気的な相互作用が顕著となり磁化状態が不安定になる。このように磁化状態の安

定性は静磁的相互作用と密接に関係している。本章ではスピンエレクトロニクスの一翼を担うパターン

ドメディア、特に対称性に優れたナノ磁気円盤構造に注目し、孤立円盤ドットの磁化状態について形状

磁気異方性や界面磁気異方性の観点から議論する。次いで積極的に静磁気的相互作用させた磁気

ドット格子系の磁気ロジックゲートや磁気人工分子などの新しい物性について簡単に述べる。

2.ナノ磁性体円盤の磁気相図

ナノスケール磁気円盤の直径と膜厚に対する磁気安定構造をについて実験とマイクロマグネティク

ス計算との比較から求めた磁気相図1)を図1に示す。マイクロマグネティクス計算にはパーマロイ

(Fe20Ni80合金)の磁気物性定数を用いた。図中にそれぞれ 3 つの領域で安定な磁気構造を模式図で

示す。ナノスケールの強磁性円盤の直径を数100 nmの領域から次第に小さくしていくと約40 nm以下

では磁壁を内包するのはエネルギー的に損になるため、単磁区状態が安定構造となる。この状態で

は、円盤の直径Dと厚みt の比で表されるアスペクト比( D / t )も重要となる。直径を固定したまま、

アスペクト比を1より大きくすると円盤は偏平になり面内に寝た単磁区構造(S// 構造)となる。逆にア

スペクト比を1より小さくするとスピンが円盤底面から立ち上がった単磁区構造(S⊥構造)が安定構造

2

となる。また、図1の相図において第三の領域が磁気渦構造(V 構造)である。すなわち強磁性体円盤

において、半径が交換長(磁壁幅)より大きく(~数10 nm)、かつ厚みが交換長程度の強磁性円盤内

には、磁気渦構造が安定構造として出現する。この磁気構造は、相図からも分かるように比較的に広

い範囲に安定に存在する。エネルギー的にはこの構造は円盤磁性体の交換エネルギーと静磁エネル

ギーの競合の結果生じ、渦中心では交換エネルギーの急激な増大を防ぐために吹き出し磁化と呼ば

れる垂直磁化成分が現れる。最近、この吹き出し磁化が磁気力顕微鏡などを用いて比較的簡便に観

測されたことから2)、磁気渦は新たに注目を集め、静的および動的挙動に関する多くの研究結果が報

告されている3-5)。

応用の観点からこれらの3つの構造に着目すると、S⊥構造は静磁エネルギーによる形状磁気異方

性が熱エネルギーによる熱擾乱に勝る比較的に安定なマクロスピン構造であり、磁気記録の 1bit とし

て利用することができる。すなわち、強磁性ドットの磁化状態は上向きまたは下向きに孤立して2値化

(双安定化)されるため、連続媒体でノイズの原因となるビット間の磁化遷移領域が無くなる。一方、V

構造も渦中心に室温において双安定な吹き出し磁化を有する。したがって、これらを格子状に配列す

るとパターンドメディアと呼ばれる記録媒体を実現できる。現在のハードディスクに用いられている多

結晶連続記録媒体では、記録磁化は高密度化に伴う結晶粒の微細化のために熱的に不安定になる。

このため、おおよそ数 100 Gbits/in.2 が連続媒体記録密度の限界と考えられている。この限界を打破

する新しい記録媒体の一つがこのパターンドメディアである。

双安定性を実現する上で最も重要な物理因子は磁気異方性である。特に磁化方向を安定化するた

めに有用な一軸磁気異方性として、形状磁気異方性あるいは結晶磁気異方性がある。形状磁気異方

性を付加することは、ミクロンスケールでは比較的に容易であるが、数ナノメートルの精度で正確に制

御するには、複雑な微細加工プロセスが必須となる。一方、結晶磁気異方性による配向には、単結晶

を用いて基板全体にわたる異方性の分散を抑制する必要がある。したがって、応用上の立場からは

単結晶を用いる手法は現実的な方法といえない。そこで、磁気構造に及ぼす結晶性の影響が少ない

以下の二つの場合の双安定性について議論する。

2.1 軟磁性 Fe20Ni80 円盤の磁気構造(1)

ここで議論する、ナノスケールの Fe20Ni80円盤ドット格子は電子線描画装置を用いたリフトオフ法によ

り作製したものである。また、ドットは結晶粒が2nm 程度の微結晶から構成されている。作製された円

盤ドットの厚みは40~90 nmであり、直径は80~400 nmである。図2に典型的な円盤ドット格子の(a)

走査電子顕微鏡(SEM)像と(b)磁気力顕微鏡(MFM)像を示す。円盤ドットが平滑な表面と急峻な側

面を有することが分かる。また、格子状に配列したドットにおいて、静磁気的相互作用を最小にするた

めに、円盤ドット間距離を最低限300 nmに保つようにした。円盤面垂直方向の磁化曲線を極磁気カー

効果により測定した。更に、磁化状態のマイクロマグネティクス計算も行い測定結果との比較を行っ

3

た。

図2(b)のMFM像は、いずれも円盤面に垂直に1.5 Tの磁場を印加した後に観察した残留磁化状態

である。全ての円盤ドットの中央部分が明るくなっており、磁性探針に強い引力が作用していることを

示す。これは、円盤中心近傍に磁気渦が発生していることに起因する。このような磁気渦構造は、円

盤磁性体において、静磁エネルギーと交換エネルギーから成る磁気エネルギーを最小にする磁化分

布である。すなわち、円盤中心の吹き出し磁化は円盤面から垂直に立ち上がっており、その面直磁化

成分は動径方向 x に沿って対数関数的 [ ]( )( )2exp~ δx− に減少する。一般に、磁気渦のコアの大きさ

は、交換結合長程度(δ = 15 nm)すなわち磁壁幅程度と考えられる。しかしながら、図2のMFM像では、

100 nm 程度まで広がっている。これは、MFM の空間分解能に起因したものであり、磁気渦コアの磁

化分布を直接示すものではない。図3に Fe20Ni80 円盤ドットの面直方向に測定した磁化曲線と計算結

果を併せて示す。図3の a)は直径 0.5μm、b)は直径 1.0μm の円盤ドットの結果である。 この二つの

いずれの場合においても残留磁化の大きさは全体が一様に飽和したときの約 10-2 %となり、非常に

小さい。磁場を増加すると、磁化は印加磁場に比例して増大し、やがて飽和する。飽和磁場の大きさ

は円盤により異なり、直径 0.5μmの場合 0.55 T、直径1μmでは 0.72 T である。この差は、もっぱら

直径の差異により生じる反磁場の変化に起因しており、磁化過程が反磁場に支配されていることを示

す。上述したように全円盤体積に比べ磁気渦コアの占有体積は非常に小さいため磁気渦コアの磁化

反転挙動を詳細に議論するのは容易ではないがブロッホポイントの生成伝播による磁化反転過程(6)

が Thiaville 等によって詳細に議論されている。

上述したように、磁気渦構造は円盤面に垂直な磁化成分が非常に小さくなる。そこで、磁気渦コアの

占める割合を大きくするために円盤直径を小さくすると磁気渦構造は V から Vmに変わり不安定となる。

従って、V 領域の磁気渦構造よりも S⊥領域が安定な単磁区構造となる。しかしながら、非常に高いア

スペクト比が要求されるため、面垂直方向の結晶磁気異方性あるいは次節に述べる界面磁気異方性

を使わずに形状異方性のみで単磁区構造の安定化を実現するのは困難である。

2.2 Co/Pt 人工格子ドット(7)

ここでは、上述の形状磁気異方性を用いた手法とは異なり、界面磁気異方性を用いて双安定性を誘

導する手法について述べる。Co/Pt人工格子において垂直磁気異方性の大きさは主にCo層の厚さと

界面の平坦さによって決定される。Co/Pt 人工格子は 2 nm の Pt 下地層を成長させた Si 基板上に

[Co (t nm)/Pt (2nm)]10 の多層構造として作製した。このとき Co 層厚( tCo )を、0.3~1.1 nm の範囲で

変化させた。この多層膜について有効垂直磁気異方性定数の Co 層厚依存性を調べると、Co 層厚を

0.8 nmより減少させると異方性定数は負から正に変化し、磁化容易軸は面内から面直に立ち上がるこ

とが分かった。前述したリフトオフ法により作製した円盤ドットの寸法は次の通りである。ドットの直径

は 180~500 nm の範囲で変化させ、異なる直径の円盤ドット正方格子配列の大きさはをそれぞれ 300

4

×300μm2である。

図 4 に直径 300 nm の Co/Pt 多層構造(tCo= 0.5 nm)円盤ドット格子と連続膜の磁化曲線を示す。連

続膜の場合、磁化反転の核生成磁場Hnは比較的小さく、飽和磁場HSは高い。一方、円盤ドット格子

では、核生成磁場Hnは著しく増加し、-28 mT に達する。さらに、磁化反転も急峻に進行する。連続

膜の場合、磁化反転は少数の磁化反転の核生成から磁壁移動が広範囲にわたって進むのに対し、

円盤ドット格子の場合、各々のドット内における逆磁化の核発生磁場Hnの分布が全体の磁化反転の

様相を決定する。図からも分かるように、Co/Pt 多層構造円盤ドット格子では核生成磁場Hnの分布

幅は非常に小さく制御でき、急峻な磁化反転が実現している。興味深いことは、薄膜状態では磁化が

面内に倒れていた Co層厚 tCo= 0.8 nm のものでも円盤形状の微細構造を付与することにより、磁化が

面直に立ち上がり易くなる様子が、磁化曲線に観測される。これは、円筒状の微細形状によって生じ

る形状磁気異方性に起因する。図5に Co 層厚( tCo )が (a) 0.5 nm と (b) 0.8 nm の2種類の円盤ドッ

トについて観測したMFM像を示す。いずれも円盤直径は 300 nm であり、面垂直に 1.5 T印加した後

の残留磁化状態である。注目すべきことは、Co層厚 tCo = 0.5 nmのものでは全てのドットで一様に明る

くなっており、いずれの円盤も単磁区構造を取る。一方(b)の Co 層厚 0.8 nm の場合、大きさ 80 nm 程

度の微細磁区構造が存在し、ドット内部に明暗のコントラストが現れる。

この円盤ドット格子の双安定性をより具体的に調べるために、十分強い磁場を印加した後の残留磁

化状態において単磁区構造を示した tCo = 0.5 nm、かつ直径 (a) 300 nm と(b) 500 nmの円盤ドット格子

2種類について 30 mT の保磁力程度の磁場を印加した時の残留磁化状態のMFM像を観察した。そ

の結果を図6(a), (b)に示す。直径 300 nm の円盤ドット格子の場合、全てのドットは安定した単磁区構

造を取る。従ってMFM像には明暗どちらかの単調なコントラストが観察される。この結果は、観察領

域を変えても同様である。(a)では面内に 1.5 T の強磁場を印加しても、残留磁化状態に微細磁区構造

は出現せず、上下どちらかに磁化を向けた単磁区構造が安定構造となる。一方(b)に示した直径が

500 nm の円盤ドット格子の場合、殆どの円盤ドットは単磁区構造を示すが、微細磁区構造を内包する

円盤ドットも混在する。また、1.5 T の強磁場を面内に印加すると、全ての円盤ドットは微細磁区構造を

内包するようになる。

以上、MFM観察の結果をもとに磁気異方性と円盤直径に対する磁化状態をまとめたものが図7で

ある。Co/Pt 多層膜を円盤ドット材料として用いた場合、単磁区構造が安定構造になる条件として、垂

直磁気異方性定数は 1.7×106 J/m3 以上、円盤直径は 300 nm 以下である必要がある。これまでパタ

ーンドメディアを目的としたドット配列の実験では、新規な加工法、配列の細かさや形状の制御性の高

さなどが強調され、個々のドットの磁化状態の不安定性、磁化反転磁場(核生成磁場)の分布などに

ついては殆ど問題視されなかった。ここでの議論から、この2点がパターンドメディアだけではなくナノ

スケール磁性体格子の磁化反転を決定する重要なパラメターと考えて良い。したがって、軟磁性薄膜

から作られた円盤中の磁気渦では、その磁気構造が静磁エネルギーで強く支配されるため、上述の2

5

つの条件は再現良く実現されると期待して良い。また、Co/Pt 多層膜では完全な単磁区構造を持つ双

安定性を得るためには 106 J/m3を超える非常に強い垂直磁気異方性と、300 nm より小さい円盤ドット

径が必要である。しかしながら、この多層膜の利点は、磁化反転磁場の分布が非常に狭いことである。

これは、これまで報告されてきたドット配列に比べて人工格子膜の結晶粒が非常に小さく、垂直磁気

異方性の局所的分散が無視できるほど小さいことを示している。これまでのドット配列ではドット径を小

さくすると、結晶粒の大きさと結晶軸方向の局所分散によって反磁場のバラツキが増大し、パターンド

メディアの優位性を失ってしまう恐れがあった。Co/Pt 多層膜のドット格子は、この問題を解決する指

針を示しており、今後この様なパターンドメディア材料やナノスケール磁性体の磁化状態制御を行う上

で重要な知見と考えられる。

3.ナノ磁気円盤の磁気特性と応用

前節までは静磁気的な相互作用が遮断された孤立系について議論してきた。ここでは、図1で示し

た相図の中の面内単磁区構造及び磁気渦構造のダイナミクスについて議論する。磁気渦構造につい

ては孤立系と静磁的に結合した系の両者の磁気物性について簡単に述べる。

3.1 面内単磁区構造(S//構造)

相図の中の S//構造は面内に寝た単磁区構造を示し、円盤の回転対称性から面内でどの方向にも

向きやすいマクロスピンとして振舞う。図8(a)に示すようにこのマクロスピンを数珠状に隣接させて並

べると静磁気相互作用を通じて形状磁気異方性が誘導されるためにマクロスピンは一方向に向きを

揃えて配列しやすくなる。このマクロスピン配列の片方からマクロスピンの向きを反転すると反転した

境界が時速 700km 以上の高速で伝播する8)。この様子はスピンの向きが異なる境界の伝播、一種の

波(ソリトン)の伝播、いわばマクロな磁壁とみなすことができる。従って、これはエネルギーロスの非常

に少ない情報の伝達と見なせる。また、8(b)に示すように磁気回路を組むことによってマクロスピンの

方向によって動作する再構成可能な論理回路9)の作製も不可能ではない。上述の考えに基づく静磁

的相互作用の原理実験が Cowburn 等によって行われている 10)。彼らの最近の仕事では、磁気微粒

子列中の境界がナノ強磁性細線中の磁壁に類似していることから、上述の考えを磁壁に対応させて

NOT ゲートやシフトレジスター等の磁気デジタル回路が動作することを実験的に確かめている11)。

3.2 孤立した磁気渦構造とその運動

磁気渦のV構造について理論的かつ実験的に確認されていることを簡潔にまとめると、磁気渦は細

線中の磁壁と同様に磁気ソリトンの一種であり、吹き出し磁化の分極 (p = ±1)、渦度(q = ±1, ±2,

±3…)とスピン分布の回り方のカイラリティー(C = ±1)により分類される。渦中心は無磁場中では磁

性円盤の中心に安定に存在する。まずダイナミクスに注目すると、この磁気構造に重畳して振動数 10

6

ギガヘルツ近傍のスピン波が熱的に励起されることが、ブリリュアン光散乱の実験から観測されてい

る12)。一方、一様磁場を円盤面に平行に印加すると磁場方向の磁化成分を増大させるように磁場に

垂直にずれる。図9に示すように、この状態から磁場を取り去ると渦中心はその進行方向に対して垂

直に加わるジャイロ力のために円盤中心の周りを固有角振動数で螺旋運動しながら中心へと緩和す

る。回転の方向は時計回り(cw)と反時計周り(ccw)の2通りあり、渦中心の分極度 p のみによって決

定される。図9の模式図に示すように、直感的イメージは有効質量を持った質点がパラボリックポテン

シャル中を螺旋運動する物理描像に相当する。従って外部より変調磁場あるいは回転磁場等を用い

て駆動エネルギーを供給してやれば、スピン波と比較してゆっくりとした1ギガヘルツ近傍の周波数を

持つ調和回転振動子として運動する。注目すべきことは、磁性体円盤のアスペクト比(直径と厚みの

比)を適当に選ぶことにより、所望のポテンシャル形状を設計することができること、また、渦中心が円

盤の中で回転運動をしていることから円盤の円周には磁極が現れることである。前者は上述の周波

数が円盤形状により選択可能であることを示し。後者は、現れた磁極が磁気双極子を構成し、渦の回

転と同期して回転する。従って、2つ以上の磁気円盤を近接配置すると磁気双極子相互作用の影響を

受けた固有振動数の変化が期待される。

3.3 静磁的に結合した2次元磁気渦格子

上述したように 2 つ以上の磁気円盤を近接させると、磁気双極子相互作用が期待される。このことを

踏まえて、まず2つの磁気渦について螺旋運動の緩和過程を解析および数値計算の両面から理論的

に考察の結果をまとめると、次の通りである13)。基本的には単一磁気渦と同様に2つの磁気渦の場合

も固有角振動数でそれぞれの円盤中心の周りを回転しながら緩和する。この固有振動数は磁気渦の

特性量である分極度 p とカイラリティーCの組み合わせに応じて4つの型に分類できる。回転運動は

磁気渦のカイラリティーCには依存せず分極度 p にのみ依存することから、それぞれ等しい固有角

振動数を示す二つのグループA,ωAとグループB,ωBに分けられる。ここで、単一磁気渦の固有振動数

を基準振動数ω0とすると3つ振動数には次の関係ω0>ωA>ωBが成り立つ。これは、まさに一つの

周波数に縮退していたエネルギー準位が磁気渦間の双極子相互作用によって二つのエネルギー準

位に分裂したことを意味する。従ってこれらの振動数を持つ変調磁場や回転磁場を照射することによ

りそれぞれの準位に対応する固有共鳴振動が励起できることがわかる。また二つの円盤の間に節が

来るような空間変調された振動磁場を印加すると、新たに2つの励起状態が実現する。以上のことは

この静磁的に結合した 2 つの磁気渦が一種の双極子相互作用によって結びついた2原子分子のよう

に振舞うことを示唆する。これを確かめるために時間平均した磁気双極子エネルギーの磁気渦間距

離依存性を計算すると、振動磁気渦間の結合力は磁気円盤間距離の6乗の逆数に比例しており、双

極子相互作用を結合の起源とする van der Waals 型結合の引力項に類似していることが分かった。

更に、以上の考察は容易にN×N個の2次元磁気渦格子に拡張することができる14)。その結果求

7

められた固有振動数の分布(状態密度)を図10に示す。このように、磁気渦の分極度 p の分布に応じ

て多彩な状態密度分布が得られる。例えば、チェッカーボード状に渦の分極が配列している格子の場

合、双極子相互作用のために状態密度のピークは単一磁気渦の振動数ω0より少し低いところに位置

する。一方、交互に分極の向きを変えるストライプ格子の場合はω0 を挟んで対象に2つのピークが出

現する。これは磁気渦の分極配列や磁気円盤の大きさを適当に制御することにより状態密度を設計

できることを意味する。すなわち、強磁性円盤の直径や厚みを周期的に変調することにより、状態密

度中にギャップを導入することができる。また、任意の格子点を空孔にすることで半導体の不純物準

位に相当するエネルギー準位をギャップ中に導入することも可能である。後半で述べた磁気渦の連成

振動に関する部分は、現在のところ理論的な考察に過ぎないところもあるが、物理的には磁性体版人

工分子(マグネトロニウム)としての物性が興味深い。応用的にはマイクロ波領域のフィルター、吸収

体や 2次元導波路さらにはマイクロ波版フォトニッククリスタル実現の可能性が開けるかもしれない。

8

参考文献

1) N. Kikuchi, et al., IEEE Trans. Magn., 37, 2082 (2001).

2) T. Shinjo, et al., Science, 289, 930, (2000).

3) K. Yu Guslienko, et al. :Appl. Phys. Lett., 78, 3848, (2001).

4) K. Yu Guslienko, et al. : Phys. Rev. B, 65, 24414, (2001).

5) M. Rahm, et al., Appl. Phys. Lett., 82, 4110, (2003).

6) A. Thiaville, et al., Phys. Rev. B, 67, 094410, (2003).

7) N. Kikuchi, et al., J. Appl. Phys., 90, 6548 (2001)

8) S. Ishizaka, et al., J. Magn. Magn. Mat., 210, L15 (2000).

9) F. Nori, (private communication).

10) R. P. Cowburn, et al., Science, 287, 1466, (2000).

11) D. A. Allwood, et al., Science, 296, 2003, (2002).

12) V. Novosad, et al., Phys. Rev. B, 66, 052407 (2002).

13) J. Shibata, et al., Phys. Rev. B, 67, 224404, (2003).

14) J. Shibata and et al., Phys. Rev. B (2004) in press.

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図の説明

図1 ナノ磁気円盤中に現れる磁気構造を示した磁気相図。図中S//は面内単磁区構造、S⊥は面直単

磁区構造、Vは磁気渦構造、Vmは磁気渦構造が不安定になる領域を示す。

図2 左:直径 200nm の Fe20Ni80円盤の走査電子顕微鏡像。右:直径 1μm の Fe20Ni80円盤の磁気力

顕微鏡像。

図3 Fe20Ni80 円盤面に対して垂直方向に測定した磁化曲線と計算結果。(a)は直径 500nm、(b)は直

径1μmの円盤に対応する。

図4 直径 300nm の Co/Pt 多層構造(tCo = 0.5 nm)円盤格子(実線)と連続多層構造膜(鎖線)の磁化

曲線。

図5 Co 層厚 tCo (a) 0.5 nm と (b) 0.8 nm の2種類の Co/Pt 多層構造円盤格子について観察した

MFM像。

図6 Co/Pt 多層構造(tCo = 0.5 nm)からなる直径 (a) 300 nm と (b) 500 nm の円盤格子について保

磁力程度の磁場を印加した後の残留磁化状態のMFM像。

図7 Co/Pt 多層構造円盤の示す磁化状態の円盤直径依存性。

図8 (a)面内単磁区構造を示す強磁性円盤列の模式図。(b)円盤列を用いて作った再構成可能なロジ

ック回路図中 A と B が入力右側の円盤の磁化方向が出力に相当する、C の磁気円盤の磁化方向を

変えると論理演算の出力が NANDから NOR にスイッチする。

図9 左:マイクロマグネティクス計算より求めた磁気渦のらせん運動。右:偏心した磁気渦のスピン分

布とパラボリックポテンシャル中をらせん運動する磁気渦の模式図。

図10 磁気渦中心の分極がチェッカーボード格子または1方向のみ変調したストライプ格子の固有振

動数の状態密度。図中白丸は、磁気渦中心の吹き出し磁化が上向き、黒丸は下向きのものを示す。

0 10 20 30 40 50 600

10

20

30

40

50

60

円盤厚みt

(nm

)

円盤直径 D (nm)

t

D

⊥S

//S

VmV

図1

図2

-1.5 -1.0 -0.5 0 0.5 1.0 1.5

-1.0

-0.5

0

0.5

1.0

-1.0

-0.5

0

0.5

1.0(a)

(b)

計算値測定

µ0H ( T )

M/ Ms

図3

0 0.1

-1.0

-0.5

0

0.5

1.0

-0.1

連続膜

円盤ドット

µ0H ( T )

M/ Ms

HnHs

図4

0.5μm0.5 µm

図5

3μm 3μm

(b)(a)

図6

0 100 200 300 400 500

単磁区構造多磁区構造

106

Keffect(J/m3)

反磁場エネルギー

円盤直径D(nm)

図7

(a)

マクロ磁壁の伝播

(b)

“1”

“0”

Input A

Output

C = 1

Input B

図8

Y

XP = + 1

P = - 1

Y

XP = + 1

P = - 1

磁気渦コア

図9

(a)

(b)

図10