チェルノブイリ原発事故30年 健康影響と被災者支援チェルノブイリ原発事故30年 健康影響と被災者支援 「チェルノブイリ被害調査・救援」女性ネットワーク
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第2章 調査結果
1 チェルノブイリ原子力発電所事故関係
(1) チェルノブイリ原子力発電所
○日 時 10 月 19 日(月) 11:30~15:00
○対応者
チェルノブイリ原子力発電所
4号機及び新シェルター等説明 国際事業部 ユーリア・マルセミルさん
1~3号機等説明 イーゴリ-・スタロボイトフ氏
○主なポイント
・汚染水が地下水に混入した場合、ドニプロ川を通じて黒海に入り、環境汚染とな
り、作物や生活全体に影響が出るため、事故直後から炭鉱夫を集めて地下道を掘
った。また、溶け出た燃料を液体窒素で冷やす準備もしていたが溶け出ることは
なく使わなかった。結果として、地下水が汚染されず、汚染水問題が生じなかっ
た。
・冷やすためにはじめ水を使用したが、高温で蒸気が出るため、水よりスラリーや
鉛、砂利などの乾燥したものを使った。放射性物質が出ないように放射線レベル
をコントロールしながら対処し、かつ水を汚さないことを基本に最初から戦略的
に行っていた。
・石棺はコンクリートで全て埋めているわけではなく、炉の周りの部屋をコンクリ
ートで埋め、上部は鉄の板を置いただけとなっている。
・20 億ユーロ以上かけて、石棺を覆う新しいシェルターを建設している。シェルタ
ーには内部にクレーンが付いていて、時間が経って放射線レベルが下がったとこ
ろで、解体作業をして、溶けた燃料等を最終的に処分することを予定している。
・旧ソビエト連邦は核保有国のため核に対する専門的な知識を持った部隊、組織が
あり、情報公開等の点で問題はあったが、事態の悪化防止を最優先に統制のとれ
た対応をしていたと思われる。
・チェルノブイリ原子力発電所は事故後、1~3号機を順次運転再開し、最終的に
2000 年に運転停止。しかし、ウクライナは現在でも総発電量の 45%を原子力発
電に依存している。
※チェルノブイリ原子力発電所の視察箇所や発電所までの道のりは、62、63 ページ参照
ア 調査先概要
チェルノブイリ原子力発電所は、1号機が 1977 年、2号機が 1978 年、3号機が
1981 年、4号機が 1984 年に稼動。4号機稼働の2年後の 1986 年に事故を起こした。
(事故の概要については 65 ページ参照)事故当時建設中だった5・6号機は建設中
止になった。
1号機は事故の年の9月に運転再開し、1996 年に停止。2号機は同じく 11 月に運
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転再開し、1991 年に停止。3号機は 87 年 12 月に運転再開し、2000 年に停止した。
なお、ウクライナは、天然ガス等をロシアから輸入しているため、現在でも総発
電量の 45%を原子力に依存している。
イ 調査目的等
事故後の対策や現状等について調査を行った。
ウ 調査結果
(ア) 4号機の事故後の対策及び現状
【主な説明】
・ウクライナの 30 年の経験を日本の方に役立つように伝えたい。
・現在の石棺は、29 年前に爆発した4号機の上に作られた。高い放射線量から
守るために、石棺の建設は事故後数週間後の5月に開始し、約6か月で建設
された。
・事故処理の作業には9万人が従事。作業に従事したのは発電所職員、消防士、
警察官、軍人。最初は消防士と警察官であった。
・非常に高い放射線量の中での作業であり、屋根ではγ線 20Sv/h が観測され、
1日数分程度で作業していた。1~数分で 1 年分の被ばく限度になった。
・石棺をできるだけ早く建設するために、膨大な資金が投入された。ただ、金
より命の方が大事。
・来年の4月で 30 年になるが、30 年経っても放射線を安全に管理するため、種々
の重要な作業が行われている。
・展示している模型は、ほぼ 30 年が経った現在の4号機の中の状況。爆発によ
って原子炉の中身が完全に破壊されている。
【主な質疑応答】
Q 建屋の土台の下には溶融燃料は達していないのか。
A 爆発したときは温度が 2,000℃まで上がったが、爆発して燃料が構造のコンク
リートや金属と混ざり大きな塊になった。その燃料が溶融し土台を溶かして地
下水に入るという恐れもあり、当時は、トンネルを掘って、冷却のため液体窒
素で充填する対策を考えた。
Q ソ連中から炭鉱夫が来て土台の下までトンネルを掘ったと聞いているが本当
か。また、300mくらい掘ったと聞いているが、どこから掘ったのか。
A そのとおり。炭鉱夫は遠くだと東部ウクライナの炭鉱山から来た。また、3
号機から掘った。
Q 窒素を入れて冷やす予定だったのか。
A そういう予定だったが、実際は液体窒素を使わなかった。溶融燃料が止まっ
たので、必要がなくなった。
Q ドニプロ川に流れて黒海を汚染するのを防ぐためと聞いているが事実か。
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A そのとおり。ドニプロ川だけでなく、地下水の汚染も防ぎたかった。
Q 今ウクライナの地下水は汚染されていない状態か。
A 発電所周辺で地下水を掘って検査している。今のところは汚染されている情
報はない。
今一番のネックは、固まっている溶融燃料の量が多いのでどうするかという
問題。その量は 1,300 トンもある。また放射性廃棄物が数千m3ある。30 年たっ
ても放射線が高いので、常に管理と測定が必要。
2011 年に新しい測定システムを設置し自動で測定している。それ以前のもの
も使っている。追加でシステムを導入した。温度、湿度、γ線、β線、中性子
線、蒸気、濃度など多様なパラメータを測定、管理している。
Q 新しいシェルターを被せるということだが、100 年くらい放っておくというこ
となのか。それとも被せた中で処理をするのか。
A 被せた後は、次の段階の開始で処理をする。新しいシェルターはただのシェ
ルターではなく、処理作業ができるようにつくっている。
Q 模型の中に人がいるが、何を示しているのか。
A 事故後に人が入ったことを示している。研究者が2階に行って、実際に見て、
測って、写真を撮ったりしている。事故後、数週間以内に、当時ソ連の中央原
子力発電所研究所の研究団が、溶融燃料がどうなっているか見るために入った。
Q 爆発の後、リクビダートルと言われる方々が、発電所の上のガレキを下に落
としているビデオを見たことがあるが、どういう状況だったのか。
A そういうことがあった。爆発して飛び出した屋根の上の破片やデブリを、屋
根をきれいにするために黒鉛炉に戻した。
Q なるべく一つに集めようとしたということか。
A 一つに集めようという目的もあるし、放射線が非常に高いので除染し屋根を
きれいにするためでもある。
Q 当時ソビエトが月に着陸させた宇宙船に使った技術を投入したが、放射線が
強くて途中で壊れてしまって、結局、人でやったと聞いているがどうか。
A そのとおり。日本製のものも使おうとしが、放射線量が 40Sv/h もあって電子
回路が壊れてしまって、残念ながら人でしかできなかった。
Q 当時、ここで作業された方は 10 分間作業すると、それで軍隊から除隊ができ
たと聞いているが、それは事実か。
A 1分で2年分なので、1、2分しか働かずに、軍隊で働けなくなった。合計
で 60 万人が、この発電所や 30km 圏内で従事した。
Q ウクライナだけでなく、旧ソビエト全体で集めたのか。今、補償は各国ごと
に異なるのか。
A 当時は独立していなくて、全ソ連から集めた。補償は各国ごとで多少条件に
違いはある。
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Q 現在の石棺を作る際、鉄板をはめる時に、リモートコントロールの重機を使
ったと聞いているが事実か。
A そのとおり。リモートコントロールの重機を使っていた。このためコンクリ
ートを入れる作業や溶接もしなかった。
Q 福島の事故では、水をかけて冷やしている。結局汚染水が流れていっている
が、ウクライナの人は水をかけて原子炉を冷やしていることをどう感じている
か。
A こちらも水をかけて冷やそうとしたが、あまりにも温度が高すぎて蒸気が出
る。日本よりは少ないが、多少はかけた。冷やすために、水よりスラリーや鉛、
砂利などの乾燥したものを使っていた。
Q チェルノブイリは石棺方式といわれるように、鉄板だけでなくコンクリート
とで囲って、出ないようにしていると聞いていたが、単にカバーをつけたとい
うことで、相変わらず内部のデブリを取り出すことは必要なのか。
A そのとおりで、コンクリートを注入していて放射線を防ぐため周りは上から
下までコンクリートで埋まっている。そのため3つのコンクリート工場を建て
た。全部コンクリートで埋められているため、人が調査できない。そのためコ
ンクリートに穴を掘って測定器を入れている。
屋根にもコンクリートを入れる計画もあった。上部に梁を設けて、その上に
チューブからなる屋根を設けて、全部コンクリートで覆うことを考えたが落下
の可能性があった。このためコンクリートではなく金属でできている屋根をつ
けた。
石棺自体は 86 年 11 月に完成したが、放射線量も高く、短い時間しか働けな
い状況で建設した。漏れているところもあり、完全に閉鎖しているわけではな
い。高濃度、高放射線をカバーする機能はちゃんとあった。
もともと石棺として 30 年以内の使用を考えていた。来年4月で 30 年になる
ので新しいシェルターが必要になる。
Q 現在は、一番高い温度と放射線量はどこでどれくらいの値となっているのか。
A 溶融燃料が溜まっているところの放射線量が一番高い。いわゆる「象の足」。
10~20Sv/h で人が入れないくらい非常に高い。
大気の温度にもよるが、温度計はできるだけ近くにつけてあるが 30℃以下。
温度は事故直後の数週間で急激に下がった。
今一番の問題は、溶融燃料が雨水や粉塵と一緒になること。30 年経ってなん
とか管理できるようになった。30 年かけてやっている作業の目的はできるだけ
リスクを下げること。このため新シェルターを作っている。
Q 新しいシェルターの完成予定はどれくらいか。
A 2017 年 11 月の予定(2年遅れ)
Q 作業員の 1 年間の被ばく限度はどのくらいでやっているのか。
A 20mSv/年を超えないように管理している。
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Q 健康管理の責任者は誰か。また、作業員の確保に苦労していないか。
A 原子力発電所自体である。作業員の確保に苦労はしていない。
Q 福島第一原子力発電所では知識のない人も従事しているが、作業員の方はど
の程度研修等を受けているのか。
A 現場や研修センターで行い、後は実践。スラヴィティチ地区にも研修センタ
ーがある。専門にもよるが1~2週間。研修の内容は、放射線関係、安全。普
通の労働者だと溶接とか修理。
(イ) 新シェルターの建設状況
【主な説明】
・G7が支援し新シェルターを建設中。総工費は 20 億ユーロ以上。日本からも
相当な額を支援している。
・建設に 1,500 人の作業員が従事。建設後 100 年間の稼動を予定
・高さ 108m、幅 257m、奥行き 150m、35,000 トンの鋼材を使用
・新シェルターのカバーは、いくつかの層からできている。温度や湿度を保つ
などを主な目的としている。
・外カバーと内カバーの間は、負圧にして粉じん等が出ないような構造となっ
ている。それは石棺の中に4トンくらいの細かい粉じん等があるため。
・外カバーは、丈夫で水が入らないように作られている。地震や竜巻にも耐え
られるように作られている。
・2015 年にシェルター内部の機械や測定器の設置作業を開始した。石棺を分解
するためのクレーンも設置する。
・より緊密に4号機石棺に密着させるため新シェルターにはドアのようになっ
ている部分があり、開けたままレールで移動し、4号機を覆った後にドアの
ような部分を閉めるようになっている。
【主な質疑応答】
Q 分解して出たガレキはどこに置くのか。
A 今建設中の建物があり、そこに分解・処理場を作る。細かく分解して、除染
してパッキングして置いておく。
Q 最終的にはどこに持って行くのか。
A 同じ所で保管する。
Q 地下水の対策はちゃんとするのか。
A 当然対策を行う。
(ウ) 2号機制御室及び3号機建屋内の状況
【主な説明等】
・白衣、帽子、靴カバーをつけ管理区域に入域
・1~4号機は建物設備の構造が同じになっている。2号機の制御室は4号機
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の制御室と同じ構造。1号機は 80 万 kW、2~4号機は 100 万 kW
・3号機と4号機は機器の配置が鏡映対称となっている。
・当時は各号機4人の運転員で操作していた。
・ウクライナでは黒鉛型原子炉は、チェルノブイリ原子力発電所のみで採用さ
れていた。現在4サイト 15 基の原子力発電所が運転しているが、他はロシア
型加圧水型原子炉(VVER)となっている。
・黒鉛型原子炉の優れたところは、燃料棒を原子炉を止めずに交換できること
・黒鉛型原子炉は、現在もロシアではレニングラード原子力発電所などで稼動
している。
【主な質疑応答】
Q 大きな地震で停止するようになっているのか。
A ウクライナは地震がほとんどない。そういう設定があると思うが、仕様書を
確認しないとわからない。
Q 日本では原子力発電所は出力一定で運転しているがロシアでは出力は変えて
いるのか?
A チェルノブイリでは、黒鉛型原子炉は構造上変動させやすいので変えていた。
他のタイプは分からないが、需要により変わる。
Q 事故の後、動かし続けていたが、住民からの反対はなかったのか。
A 当時は国も違っていたが、なかった。今現在でも大きな反対運動は聞いたこ
とがない。
Q 1~3号機は今後、解体するのか。
A 燃料を取り出し、原子炉を撤去するだけで、解体撤去し緑の芝生までにはし
ない。
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チェルノブイリ原子力発電所(4号機石棺、新シェルター)
展望室での説明(ガラス越しに4号機) 4号機石棺模型(閉じた状態)
模型による説明 4号機石棺内部模型(開けた状態1)
4号機石棺内部模型(開けた状態2) 4号機損壊状況を示したパネル
石棺の主な危険箇所を示したパネル 石棺の測定・管理システムを示したパネル
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新シェルター説明図 新シェルター建設状況
知事訪問記帳 記帳したもの
通行証と積算線量計 4号機石棺
新シェルター建設状況(東側) 新シェルター建設状況(東側)
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新シェルター建設状況(西側) 新シェルター建設状況
事故後20年の 2006年につくられたモニュメント 4号機石棺をバックに調査メンバー
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チェルノブイリ原子力発電所(2号機制御室及び3号機建屋内)
2号機制御室(入口から奥の方) 2号機制御室(入口側)
案内者のイーゴリー氏(右端)と調査メンバー 3号機建屋入口
3号機冷却水ポンプ室 4号機に閉じ込められた発電所職員の墓
(壁の向こうが4号機)
1~4号機建屋から出る際の汚染検査
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チェルノブイリ原子力発電所(その他施設)
クーリングタワー 建設中の使用済燃料貯蔵庫
建設中だった5号機と6号機(南東側) 建設中だった5号機と6号機(南西側)
左から2号機、1号機 左から4号機石棺と3号機、2号機、1号機
左から新シェルター、4号機石棺と3号機、2号機
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