第1章...

56
『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」 (大坪:出版社提出初稿:2009 8 3 ) 1 第1章 開発経済学の視座 大坪 滋 「経済開発」は「開発」の中核を成すと経済学者は考えている . 経済成長(所 得増大)と「貧困」削減の間には , 統計的に検証し得る明確な正の相関関係 が存在するからである . ここでは , 「貧困」は1人当たりの所得や消費の水 準で計られる . この点では傲慢にも見える経済学者も , それでは「開発」の 目的が所得の増大にあるのかと問われると , 経済成長は「開発」の目的達成 のための道具・手段に過ぎないと謙虚に答える . 「開発」の目的論そのもの は経済学の範疇外にあるという立場を取ることも多い . 開発経済学者の多く , 政治(制度) , 社会開発や人間開発を考慮することの重要性を認識して いるが , 社会開発論者や人間開発論者が , 経済開発を否定するところに拠っ て立つことには苛立ちを覚えている . 人の一生を考えるとき , 教育を受け , 仕事に就き , 家族を支え子孫を育てるという人間的・社会的活動の実は大き な部分を経済活動が占めており , 経済活動は人間の社会的活動そのものであ るからだ . 本章では先ず , 経済開発とは何であるのか , それを研究対象とす る開発経済学はどのような形成過程を経てどう変貌を遂げてきたのかを概 観する . 経済学者は何故 , 多くの途上国の貧困層が貧困状態にあると考えて きたのだろうか . 経済開発の主要課題にはどのようなものがあるのか . 開発 政治学 , 開発社会学等の他のディシプリンから開発に取り組む学派との関係 はどのような展開を見せているのか . 開発経済学の視座 , 立場を紹介しつ , 学際的「国際開発学」の展開へ向けた(開発)経済学の対象領域拡大の 方向性を議論する .

Transcript of 第1章...

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

1

第1章

開発経済学の視座

大坪 滋

「経済開発」は「開発」の中核を成すと経済学者は考えている . 経済成長(所

得増大)と「貧困」削減の間には , 統計的に検証し得る明確な正の相関関係

が存在するからである . ここでは , 「貧困」は1人当たりの所得や消費の水

準で計られる . この点では傲慢にも見える経済学者も , それでは「開発」の

目的が所得の増大にあるのかと問われると , 経済成長は「開発」の目的達成

のための道具・手段に過ぎないと謙虚に答える . 「開発」の目的論そのもの

は経済学の範疇外にあるという立場を取ることも多い . 開発経済学者の多く

は , 政治(制度) , 社会開発や人間開発を考慮することの重要性を認識して

いるが , 社会開発論者や人間開発論者が , 経済開発を否定するところに拠っ

て立つことには苛立ちを覚えている . 人の一生を考えるとき , 教育を受け ,

仕事に就き , 家族を支え子孫を育てるという人間的・社会的活動の実は大き

な部分を経済活動が占めており , 経済活動は人間の社会的活動そのものであ

るからだ . 本章では先ず , 経済開発とは何であるのか , それを研究対象とす

る開発経済学はどのような形成過程を経てどう変貌を遂げてきたのかを概

観する . 経済学者は何故 , 多くの途上国の貧困層が貧困状態にあると考えて

きたのだろうか . 経済開発の主要課題にはどのようなものがあるのか . 開発

政治学 , 開発社会学等の他のディシプリンから開発に取り組む学派との関係

はどのような展開を見せているのか . 開発経済学の視座 , 立場を紹介しつ

つ , 学際的「国際開発学」の展開へ向けた(開発)経済学の対象領域拡大の

方向性を議論する .

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

2

1. 経済開発とは何か

開 発 経 済 学 で は , 経 済 成 長 ( economic growth ) と 経 済 開 発 (economic

development)を区別している 1 . 厳密には , 国内総生産( gross domestic product;

GDP)で測られる 1 国の実質経済規模の増大が経済成長であり , この増加率が

経済成長率と呼ばれるものである . ただし , 貧困削減への効果を語る場合は ,

1 人当たりの平均所得(国内総生産を人口数で除したもの)の増加を経済成長

と捉えることもある . この場合は経済規模の拡大率から人口増加率を差し引い

た , 1 人当たりの所得増加率を注視していることになる .

経済開発という場合は , 「開発」をプロセス....

として捉え , 経済成長に伴って

生じる ,

① 産業構造変化(農業社会から工業化社会への転換)や経済・社会インフラ

の整備構築等の経済的構造変化

② 農村から都市への労働力移動に伴う都市化やそれにともなう生活様式の変

化という社会的変化

③ 縁戚関係や民族・種族関係を基盤にした組織関係や雇用関係から実力主義 ,

契約主義への移行という文化的変容

④ 財産権の確立や契約履行を強制する法整備等を含んだ制度構築や民主化に

代表される政治体制の変化

等の構造変化 , 社会変容を含んだ概念として定義されている .

また , 「開発」を結果..

として捉える場合には , 経済成長(所得増大)に合わ..

せて..

, 人間の福祉が向上した場合にのみ「開発」が起きた(起こされた)とさ

れている . この点については , Dadley Seers (1969)の言説が紹介されることが多

い . 即ち ,

1 国の開発を語るときに問われるべきは , 貧困状況はどう変化しているか , 失

業問題はどうなっているか , 不平等の状態はどうなっているか , ということ

である . 貧困 , 失業 , 不平等の 3 つ全てが高いレベルから減少したならば , そ

1 英語の ’development’ は「開発」と訳される場合も「発展」と訳される場合もある . 我が国開発研究者の間では両語の微妙なニュアンスの違いを使い分ける場合もある . 確かに

「開発」には能動的他動詞の雰囲気があり , 「発展」には自動詞の含みが感じられるし , 国境を越えての開発の協働作業を「国際開発」と言うが , 「国際発展」とは言わない . 開発

協力関連各省ではそれぞれ日本語訳を単純に統一しているところもある . 本書では日本語

の両語を同義と捉えている . 混乱を避けるため , ‘developing country’ を「開発途上国」と

するなど , 表記統一することとする .

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

3

の期間この国に開発が起きたことに疑いの余地は無い . この内の 1 つか 2 つが ,

あるいは特に 3 つとも一度に悪化しているのであれば , 例え 1 人当たりの所得

が倍加したとしても , その結果を「開発」と呼ぶのは奇妙であろう 2.

経済開発において「貧困」は従来 , 1 人当たりの所得水準や , 消費水準を基に

定義されてきた . 世界銀行は国際間で比較可能な貧困指標として , 各開発途上

国の「貧困者比率( poverty headcount ratio)」を算定して発表してきたが , これ

は人間が人間らしく人としての尊厳を保ちつつ生きるために 低限必要な消費

(衣食住や教育 , 医療消費等)を行うのに必要な購買力として「貧困線( poverty

line)」を 1 日 1 ドルなり(あるいは 2 ドル)と設定し , それ以下の所得・消費

水準にある貧困層の全人口に占める割合を算出したものである 3 . 世界銀行は

また , 2008 年 8 月に貧困ラインをこれまでの 1 日 1.08 ドル( 1993 年国際価格で)

から 1.25 ドル( 2005 年国際価格で)に改訂して貧困者人口推移の新推計を発

表している . 1 人当たりの消費額が も少ない 15 国 の国別に設定された貧困ラ

インの平均をとって基準額( 1.25 ドル)を決定している . この基準額の増加は

貧困ラインに於ける生活水準の向上を意味するのではなく , 途上国での生活費

の上昇を反映したものである .

表 1-1 には世界銀行による貧困者人口 , 貧困者比率の新推計値をまとめてあ

る . 1 日 1 人当たり 1.25 ドル未満の消費水準を貧困ラインとして , それ以下の生

活水準にある貧困者人口 (b 表 )と , その総人口に占める割合 (a 表 )の推移を世界

の開発途上地域別に示している 4. 1980 年代初頭から約四半世紀の間に , 開発途

上国全体の貧困者比率は 51.9%から 25.2%へと半減し , 貧困者人口も 19 億人か

ら 13 億 7400 万人に減少した . 地域別に見ると , 東アジア・太平洋地域におけ

る貧困削減は特に目覚ましく , この間の人口増加にもかかわらず貧困者人口は

2 Seers, Dudley (1969), ”The meaning of development,” Paper prepared for the 11t h World Conference of the Society for International Development, New Delhi, p.3. 更に詳細な議論につ

いては , Brinkman, Richard (1995), “Economic growth versus economic development: Toward a conceptual clarif ication,” Journal of Economic Issues , 29, pp.1171-1188 を参照せよ . 3 過去1日1ドルの貧困ラインと言われていたのは , 厳密には 1993 年国際価格で 1.08 ド

ルの消費支出額に設定していた貧困ラインを意味していた . この国際間比較に用いられて

きた貧困ラインは , 貧国 10 ヶ国の国別貧困ライン (national poverty l ines) を購買力平価 (ppp) 為替レートでドル換算してその中位数をとって求められていた . 諸国間で財・サー

ビスの価格・物価水準が違うなかで必要消費を支える購買力を国際間比較するために調整

使用されるのが購買力平価である . 4 2008 年 8 月の貧困推計改訂前の , 1993 年国際価格で 1 日 1.08 ドルに設定していた貧困ラ

インを使用すると , 貧困者人口は 1981 年時点で 14.7 億人 , 2004 年時点で 9.7 億人(約 10億人)であった . Paul Coll ier(2007)が「 底辺の 10 億人 (The Bottom Bil l ion) 」と総称した

のは, これら開発から取り残された, 多くは構造的な貧困層である.

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

4

7 億 5500 万人も減少し , 貧困者比率は 77.7%から 16.8%に急減している . 南アジ

アでは貧困者比率は低下したものの人口圧力も強く , 貧困者人口は 4800 万人

増加し , サハラ以南アフリカでは , 貧困者比率が横ばいから微減に止まる中で

貧困者人口は 1 億 7600 万人も増加し倍加する勢いである . このように過去四半

世紀 , 世界の貧困者人口の減少は , 東アジア・太平洋地域における貧困減少が

もたらしたものであると言える . また , 表からも明らかなように , 実際この

間の中国の貧困者人口は 6 億 2700 万人減少しており , 開発途上国全体での貧

困者人口減少の 5 億 2600 万人を上回っている . 経済大国化しつつある中国は ,

(不平等度は増していると言われるが)正に貧困削減大国でもあるのだ . 中国

やその他東アジア・太平洋地域以外の開発途上国世界は総体として貧困者人口

の削減に成功しておらず , 多くの人々が貧困に喘ぎ続けている . 「貧困は眠ら

ない( poverty never sleeps)」と言われる所以である .

表 1-1 地域別貧困状況の推移

(a) 貧困者比率の推移 (%)

(b) 貧困者人口の推移 (百万人)

(注) 1日1人当たり1 .25 米ドル(購買力平価( PPP)為替レートを使用した 2005 年国

際価格で)の消費支出額以下で生活する人口と対総人口比率.

(出所) World Bank, World Development Indicators 2008 Supplement , Table 3 より筆者作成.

1981 1984 1987 1990 1993 1996 1999 2002 2005

東アジア・太平洋地域 77.7 65.5 54.2 54.7 50.8 36.0 35.5 27.6 16.8   中国 84.0 69.4 54.0 60.2 53.7 36.4 35.6 28.4 15.9

東欧・中央アジア 1.7 1.3 1.1 2.0 4.3 4.6 5.1 4.6 3.7ラテンアメリカ・カリブ海地域 12.9 15.3 13.7 11.3 10.1 10.9 10.9 10.7 8.2

中東・北アフリカ 7.9 6.1 5.7 4.3 4.1 4.1 4.2 3.6 3.6南アジア 59.4 55.6 54.2 51.7 46.9 47.1 44.1 43.8 40.3

   インド 59.8 55.5 53.6 51.3 49.4 46.6 44.8 43.9 41.6サハラ以南アフリカ 53.4 55.8 54.5 57.6 56.9 58.8 58.4 55.0 50.9開発途上国全体 51.9 46.7 41.9 41.7 39.2 34.5 33.7 30.5 25.2

1981 1984 1987 1990 1993 1996 1999 2002 2005東アジア・太平洋地域 1,071 947 822 873 845 622 635 507 316

   中国 835 720 586 683 633 443 447 363 208東欧・中央アジア 7 6 5 9 20 22 24 22 17

ラテンアメリカ・カリブ海地域 47 59 57 50 47 53 55 57 45中東・北アフリカ 14 12 12 10 10 11 12 10 11

南アジア 548 548 569 579 559 594 589 616 596   インド 420 416 428 435 444 442 447 460 456

サハラ以南アフリカ 212 242 258 298 317 356 383 390 388開発途上国全体 1,900 1,814 1,723 1,818 1,799 1,658 1,698 1,601 1,374

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

5

表 1-2 地域別1人当たり実質 GDP 水準の推移 ( 2000 年米ドル)

(注) 地域グループの国構成が変化することは基本的に無いが,所得グループの構成

国は時系列で変化する. ここでは 2005 年の世銀の所得分類で途上国構成を固定.

(出所) World Bank, World Development Indicators 2007 CD-ROM より筆者作成.

表 1-2 には比較的正確な統計のとれる 1965 年から 2005 年までの 40 年間にお

ける世界とその各地域の実質所得水準( 2000 年米ドル換算の 1 人当たり実質

GDP 水準)の推移を示してある. この 40 年間に開発途上諸国の平均所得水準

も先進諸国(高所得国)のそれも 2.6 倍になっている5. よって残念ながら全体

として, 途上国の平均実質所得水準が先進国のそれの 20 分の 1 に過ぎないと言

う状況に変わりはない. 途上国世界を地域別に見ると, 東アジア・太平洋地域

の地域平均実質所得水準はこの間に 9.3 倍になり( 1985 年からの 20 年間では

3.7 倍), なかでも中国の平均実質所得水準は 14.5 倍に( 1985 年からの 20 年

間では 5 倍に)なっている. 先進諸国の平均実質所得水準( 1965 年からの 40

年間で 2.6 倍)対して相対的なキャッチアップ(> 2.6 倍)を果たしているのは,

この東アジア・太平洋地域の他にはかろうじて , インド( 3.1 倍)の比重の大き

な南アジア地域( 2.8 倍)のみである . この状況は , 1985 年からの 20 年間でみ

ても同じである. 他の地域の平均実質所得水準は, 絶対所得水準の比較的高い

ラテンアメリカ・カリブ海地域も含めて, 先進国のそれに対して相対的に低下

を続けており, キャッチアップの過程にないことがわかる.

経済成長(雇用拡大を伴う) , 不平等 , および(上記のように所得・消費水

準で判断される)貧困の削減との間の関係 , 所謂「貧困の三角形」については

第3節で詳述するが , これら 2 表を対比しつつ眺めて見て明らかなのは , 1 人当

たりの「平均」所得の伸びが大きな地域ほど , 貧困者比率や貧困者人口の減少

5 実質的なウェイト付けの問題から世界の平均所得増加倍率は 2 倍となっている .

1965 1975 1985 1990 1995 2000 2005 2005/1965 2005/1985

東アジア・太平洋地域 145 211 363 481 735 952 1,355 x9.3 x3.7

   中国 100 146 290 392 658 949 1,449 x14.5 x5.0

東欧・中央アジア 2,257 1,763 2,037 2,615

ラテンアメリカ・カリブ海地域 2,275 3,088 3,285 3,259 3,554 3,852 4,044 x1.8 x1.2

中東・北アフリカ 831 1,295 1,431 1,346 1,423 1,605 1,780 x2.1 x1.2

南アジア 199 221 275 328 379 450 566 x2.8 x2.1

   インド 188 215 260 317 372 453 588 x3.1 x2.3

サハラ以南アフリカ 494 587 539 531 494 515 569 x1.2 x1.1

開発途上国全体 550 752 901 963 1,036 1,191 1,440 x2.6 x1.6

先進国 (高所得国) 10,911 15,044 18,959 21,917 23,466 26,368 28,242 x2.6 x1.5

世界 2,840 3,596 4,158 4,565 4,758 5,241 5,647 x2.0 x1.4

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

6

に成功しているということである . これは経済成長の果実が概して平均的には........

貧困層に及んでいることを意味する . 経済成長の貧困削減への「トリクルダウ

ン効果」は , 社会開発論者がそれが殆ど存在しないと批判してきたことに反し

て , 確かに働いていることを開発の歴史は示しているのである .

さて , この史実を確認した上で , 開発経済学では「開発」の目的..

をどう捉え

ているかに言及しておきたい . 上述した Dadley Seers (1969)の言説に紹介され

たように , 経済成長を通して雇用を拡大し(失業者を減少させ) , 所得増大を

果たしつつ貧困削減を果たすのが , 経済開発の目的である . 第 3 節で詳述する

が , 経済成長を貧困削減に効果的につなげるために , 不平等の減少(あるいは

増加の阻止)に同時に取り組まねばならない .

加えて 20 世紀末ごろからは , 1998 年にノーベル経済学賞を受賞したアマルテ

ィア・セン(Amartya Sen)の提唱した人間の「潜在能力( capability)」の拡大

を目指すアプローチが開発経済学の思想や「開発」の目的設定にも大きく影響

を及ぼしている . 人間の福祉( human well-being)や貧困状態を規定する要素を

考えるにあたり , 消費できる財・サービスの量を超えて , それらを活用する術

としての「機能( functionings)」の選択範囲の広さとしての「潜在能力」に注

目する開発思想である . 「潜在能力」とはまた , 人が福祉の増進を果たすにあ

たっての「自由 (freedom)」の度合いであるともいえる 6.

センはまた『自由と経済開発』( 1999; 邦訳 2000)の中で ,

潜在能力思考が貧困の分析で果たす役割は , 貧困と欠乏の性質と原因に関す

る理解を向上させることである . それは主たる関心を手段..

(それも通常関心を

独り占めにする 1 つの特定の手段 , すなわち所得)から人々が追求したいと思

う理由のある目的..

, そしてそれに対応して , それらの目的を満たすことので

きる自由へと移動させることによる . ( p.90; 邦訳 p.102)

と述べている . また , 雇用を生む経済成長の重要性に関連して , 失業につい

て ,

失業が , 所得の喪失にとどまらない広い範囲の影響を持つという証拠はたく

さんある . 失業は , 精神的な傷を作り , 働く意欲 , 技術や自信を喪失させ , 病

6 センの潜在能力アプローチについての説明は , 現在では開発経済学なり経済開発の代表

的な教科書には全て盛り込まれている . 例えば , Todaro, Michael P. and Smith, Stephen C. (2009), Economic Development , 10t h ed. , Addison Wesley [邦訳( 2003 年の第 8 版の訳書): トダーロ , マイケル・ P およびスミス , ステファン・C (2004), 『トダロとスミスの開発経済

学』(岡田靖夫監訳, OCDI 開発経済研究会訳) 国際協力出版会]の第1章を参照せよ .

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

7

気や疾病率(乳幼児死亡率でさえ)を増加させ , 家族関係や社会生活を崩壊さ

せ , 社会的阻害を助長し , 民族間対立やジェンダー格差を浮き上がらせる .

( p.94; 筆者訳)

と述べている . 雇用やその喪失を意味する失業の社会的・人間的インパクト

に関するこの記述は , 経済活動が人間の社会的活動そのものであることを示唆

している . 人の一生を考えるとき , 教育を受け , 仕事に就き , 家族を支え子孫

を育てるという人間的・社会的活動の実は大きな部分を経済活動が占めている

ことに気づかれる読者も多いであろう . 一部の社会開発論者が 1980-90 年代か

ら展開してきた「経済開発のオールターナティブとしての社会開発」推奨論は ,

経済開発のみに「開発」の目的達成を委ねるアプローチの危うさを示すことに

は成功したが , 社会開発論の独立した基盤確立や , ひいては社会開発自体の概

念整理が未だ成されていないことを同時に露呈しているとは言えまいか .

セ ン の 思 想 は , 国 連 開 発 計 画 ( UNDP ) に よ る 「 人 間 開 発 指 数 ( human

development index)」の開発と『人間開発報告書』( 1990-)の発刊に多大なる影

響を与え , 「人間開発」という経済開発や社会開発と並び称せられる開発分野

の確立につながった 7.

既に 1950 年代にラグナ-・ヌルクセ (Ragnar Nurkse, 1953)は , 「貧困の悪循

環( vicious circle of poverty)」論を展開し , 「貧しい国は貧しいがゆえに貧しい」

と主張したがこれは決して禅問答ではない . 貧困層や貧困国は所得が少ないと

いう経済的貧しさ故に , 貯蓄が出来ず , 故に資金不足から(持続的な)経済成

長を支えるほどの投資(資本形成)を賄えない . 雇用や生産も拡大せず , 人民

の財・サービスの購買力が停滞して市場規模拡大や所得増大が実現しない . よ

って人員は貧しい状態のままであるという経済的な悪循環が形成されていると

いうのだ . 同じ貧困の悪循環は , 人間開発の側面においても存在する . 即ち ,

貧しいが故に教育の機会を得られず , 人的資本としての向上が見られないため

に就労の機会が限られる . あるいは雇用されたとしても 1 人 1 人の生産性が低

いために獲得しうる所得も低く , 貧しさからは抜け出せない , というものであ

る 8. 経済成長理論の基本を学びたい読者のために , 理論コラム(Column 1-1)

7 人間の選択肢を拡げる「人間開発」の概念整理については , ポール・ストリーテン (1999)を参照せよ , 8 ODA 等の開発援助は , この貧しさゆえの低貯蓄と , 成長加速に必要とされる高投資の間

の資金ギャップを埋めるものであり , また , 人間開発や技術移転を通して生産性向上を果

たし , 限られた投資の生産成果を高めるものであると言える . 外部からの資金と技術の大

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

8

を用意したが , そこでも労働者 1 人 1 人の生産性(効率)の伸びが , 1 人当たり

所得の永続的増加の鍵となることが示されている . 人間開発と経済開発の相互

補完関係については , 第 4 節で更に詳しく紹介する .

これら開発経済学での「開発」の捉え方や目的設定を踏まえてくると , 開発

経済学を志すものは , 経済開発をより広い社会・経済開発( socio-economic

development)のコンテクストの中で位置づけつつ開発に取り組まねばならない

ことがわかる . 即ち従来の殻に籠もって社会開発や人間開発を対立軸として捉

えるのでなく , 研究や実務の対象拡大を通してそれらを理解し , 取り込んでい

かねばならないのだ . ここに (国際 )開発学には学際性が要求されるという自覚

が醸成されることとなる .

次節では開発経済学者が「途上国の貧しい人々は何故貧しいのか」という問い

に答えて用意してきた「貧しさの理由」の変遷を , 開発思想のパラダイム・シ

フト , およびそれを支えた経済開発理論の推移と合わせて紹介したい .

Column 1-1 ソロー・スワン新古典派経済成長理論とその後の経済成長論

2. 開発経済学の歴史と「開発思想」のパラダイム・シフト

第 2 次世界大戦以降 , 経済開発の開発思想パラダイムは , どのように形成さ

れ , どのような変遷を辿り , 21 世紀において , 今後どこへ向かおうとしている

のだろうか . 主流派のみならず非主流派の開発理念 , 基本コンセプトが興隆 ,

衰退する契機となった出来事などを交え , バランスよく且つ動学的(ダイナミ

ック)に整理して , 将来展望につなげる必要がある .

経済開発のパラダイムを支える開発経済学の理論面では , 戦後 , 当時の先進

国経済用に開発された分析手法を借りて始められた開発経済学による開発分析

が , 古典派経済学 , 構造主義経済学 , 厚生経済学等に裏打ちされつつ独自の開

発経済理論を多く生み出した時代から , 新古典派経済学が再興され , これが

国際経済学(国際貿易論と国際金融論), 財政学 , 制度経済学 , ゲーム理論 , 情

報の経済学 , 内生的経済成長理論等に補完され , あるいは取って代わられてい

量移入をもって貧困にあえぐ開発途上国の経済成長を離陸させようとする支援アプロー

チは「ビッグ・プッシュ( big push)」と呼ばれた .

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

9

く 所謂「開発経済学の興隆 , 衰退 , 新展開( rise, decline, and resurgence)」

の過程を通じ , 開発経済学が借り物理論から独自理論構築へ , そして近代経済

学の一複合領域として , 他領域・新領域を取り込みつつ分析対象を広げながら

展開されてきたことを示し , あわせて「経済開発」の近未来を俯瞰する . 本節

では , これらを年代別に整理して追っていくという手法で提示したい 9. ただ

し読者には , 開発経済学の諸理論の理解に汲々とするよりもむしろ , 開発思

想・パラダイムの大きな流れ自体を掴み取ることに努めて欲しい . 読者の理解

と概念整理を助けるため , 図 1-1 には大まかな(経済)開発パラダイムの変遷

を図にして示し , 表 1-3 には , 戦後世界経済システムの変遷や重要政治経済事

象と , 開発パラダイムや「貧困の理由」の変遷との対応表を用意した .

9 本節の執筆に当たり筆者は , 経済開発の諸理論を提唱する原論文・原著群に加えて , 過去の開発経済学の概念整理を行った多くの書物にも影響を受けている . 中でもマイヤー教

授の以下の 2 作には特に整合的な論点整理において影響を受けた . Meier, Gerald M. and Stigl i tz, Joseph E. (2000), Frontiers of Development Economics: The Future in Perspective , Oxford Universi ty Press [邦訳:マイヤー, G.M. および スティグリッツ, J.E. (2003), 『開

発経済学の潮流―将来の展望』(関本勘次, 近藤正規, 国際協力研究グループ訳)シュプ

リンガー・フェアラーク東京], および Meier, Gerald M. (2004), Biography of a Subject , Oxford Universi ty Press [邦訳:マイヤー, G.M. (2006), 『開発経済学概論』(渡辺利夫, 徳

原悟訳)岩波書店].

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』 「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

10

図 1-1 (経済)開発パラダイムの変遷

(出所)筆者作成.

(戦後-1960年代)

国家開発計画

輸入代替工業化戦略

(ISI)

(1970年代-)

輸出指向工業化戦略

(1980年代)

構造調整プログラム

(SAP)

(1990年代)

グッド・ガバナンス

(1990年代末-)

貧困削減戦略文書

(PRSP)

(21世紀)

開発の新政治経済学

ベーシック・ヒューマン・ニーズ

(BHN)

新古典派経済学(再興)

従属論

内生的経済成長論

開発ミクロ経済学

新制度経済学

(NIE)

古典派経済学

構造主義開発経済学

新古典派経済成長論

政府の役割(市場と政府)

社会資本

(Social Capital)

MDGs (-2015)

グローバリゼーション

人間開発

(HDI)

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』 「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

11

表 1-3 世界政治・経済システムと開発パラダイムの変遷 (第 2次世界大戦以降)

(出所)筆者作成

年代 21世紀

1970年代初頭 1973-74, 1978-80 1980年代初頭 1997-20世紀末

世界政治・経済   システム

ブレトンウッズ体制崩壊

1) ニクソン・ショック (1971.8.15)

アメリカは通貨価値維持に失敗し金ストックの減少に直面.ドルの金兌換を停止.

2) スミソニアン体制 (1971.12)

G10 はドルを切り下げたレベルでの固定相場維持を目指す.($1=\308, 17% revaluation)

3) 主要国通貨 為替変動相場制への移行  (1973.2/3)

第1次および第2次石油危機

1) 第4次中東戦争勃発OPEC 石油価格引上げ(1973.10.6; $2.8/barrel to$11)

2) イラン革命 (end of 1978 -1979.2 -)OPEC 石油価格引上げ(1979.6; $14.55/barrel to$$23.5)(1980; more than $30)

レーガノミクス (Reaganomics)

(強いアメリカを目指して) 第40代レーガン大統領 (1981.2-)

1) 強い民間企業の育成 税率 ↓ → 税収 ↑ (?) 規制緩和.通貨供給量の制御

2) 高金利政策による強いドル復活

3) 強い軍事力構築 防衛費. ↑→ 政府支出 ↑ → 財政赤字 ↑→ より高金利

4) 2)&3) が貿易赤字拡大を生む

混沌とした調整過程

1) プラザ合意 (1985.9) G5 がドルの追加切下げに合意  (\/$: 240 at 1985.8/9, 200 at 1985.12, 160 at 1986.12)

2) ルーブル合意 (1987.2) G7で切下げられつつあるドル為替レート水準の安定を図ったが.ドルは下落を続けた.

3) ブラック・マンデー株価暴落(1987.10.19)アメリカの財政赤字.経常収支赤字の双子の赤字問題

アジア金融危機 (1997-)

1) 東アジアの奇跡の幻?

2) 経常勘定危機から資本勘定危機へ

3) グッド・ガバナンス?

4) 1国の政策 vs. グローバルな政策

不公正かつ不安定なグローバリゼーション・プロセス?

1) 9.11 同時多発テロ (2001.9.11)

2) アフガニスタン戦争 (2001.10-)

3) イラク戦争 (2003.3-)

国連人間環境会議 (ストックホルム, 1972)

i) 石油危機により先進国や他資源輸入国でスタグフレーション(インフレーションと経済低迷)が発生.

ii) オイル・ダラーがユーロ・ダラー市場を通じて開発途上諸国への貸付け急増.

iii) 資源ナショナリズム台頭.

iv) NIEO (新国際経済秩序)宣言 (UN, 1974).

v) 南南協力.

保護貿易主義の台頭.

i) アメリカも石油危機後スタグフレーションに苦しむ. ii) ユーロ・ダラー市場からの開発途上諸国の多大な借入れ.および高金利とドル高 が債務危機を生む (1982.8 Mexico -).

i) 1) が海外直接投資(FDI)の急増を生む.

ii) 開発途上諸国は 国際収支問題, 債務危機に直面.

→ 経済安定化 (Stabilization)→ 構造調整    (Structural Adjustments)

貿易自由化の復活 (1980年代半ば)

i) 実需および投機的資金流入による資源価格高騰.

ii) 資源ナショナリズム.資源外交の再台頭.

ii) アメリカ サブプライム・ローン問題による世界金融市場の混乱.

WTOドーハ・ラウンド (開発ラウンド)   (2001-)

京都議定書 (京都, 1997.12)

第2世代から次世代へ 次世代

開発パラダイム 開発計画と輸入代替工業化

市場, 民間セクターの欠落

資本原理主義ハロッド・ドーマー・モデル

構造主義2部門モデル

従属論 (輸出代替工業化)プレビッシュ・シンガー命題

農業近代化

「人的資本」の欠如

ソロー成長会計・経済成長モデル(技術外生)

輸出指向工業化へ

輸入代替工業化戦略の生んだ非効率な国営企業国際収支赤字拡大

「価格(prices)を正せ」「価格歪曲の回避」へ

新古典派経済学の再興

「北」からベーシック・ヒューマン・ニーズ・アプローチ

「南」からNIEO(新国際経済秩序)要求

「輸出指向工業化」と「第2の輸出悲観論」

新古典派経済学の再興

マクロビジョン形成モデルから技術的なミクロ分析へ

開発ミクロ経済学の誕生

構造調整

「政策(policies)を正せ」

開発ミクロ経済学の興隆

第2世代から次世代へ

「成長の質」

「制度(institutions)を正せ」

次世代

「開発の新政治経済学」樹立

多極化と多様化

公正な制度

公平・公正なインセンティブ構造

社会資本と政府の調整機能

貧困の理由

「非合理的である」「合理的であるが

      資本不足」「貧困な政策」 「不完全な情報」 「正しい制度構築欠如」

「貧困から抜け出すインセンティブが公正かつ公平に提供されない」

1940-60年代 1970年代 1980年代 1990年代

第2次世界大戦終了後 1980年代末-1997(1944.7-)

開発ガバナンス

「ガバナンス(governance)を正せ」

新制度経済学

内生的経済成長理論

グローバリゼーションと「新自由主義」

「人間開発」と「人間の安全保障」

「政府の過剰な介入政策の失敗」 「グッド・ガバナンスの欠如」

開発途上国の 農民・住民・貧困層は 「XXXXXX」 故に貧しい

ブレトンウッズ体制 (BWS)の確立 とグローバリゼーションの進展

連合国代表がアメリカNH州ブレトンウッズに集まり.戦後経済体制構築を協議

第3次中東戦争勃発(1967.6)

急速なグローバリゼーション

1) US 財政規律復活

2) 中南米経済の復活

3) ベルリンの壁崩壊(1989.11).ソ連邦崩壊 (1991.12)と移行経済誕生市場経済化.世界経済への統合

4) 湾岸戦争(1991.1-2)

5) ヨーロッパ統合(1992)

6) アジア型成長モデル台頭 (『東アジアの奇跡』, 1993)

戦後の経済復興と, 第2次世界大戦へとつながった近隣窮乏化政策(保護貿易.為替切下げ競争による失業の輸出)の再現を防ぐため.

i) 経済復興の資金支援 (IBRD 1945-)ii) 主要国通貨間の為替レートの安定 (IMF 1947-).iii) 保護貿易主義の回避 (GATT 1948-).

の体制作りを行った.

[日本: IMF & WB, 1952- GATT, 1955- OECD, 1964-]

i) 円の切り上げ (1992-1994), アジアからの輸出の興隆, アジアへの FDI の興隆.

ii) メキシコ・ペソ危機 (1994.12.20-)

ウルグアイ・ラウンド   (1986-94)WTO貿易体制樹立   (1995.1.1 -)地域貿易協定の興隆 (1990s-)

国連環境開発会議 (リオデジャネイロ, 1992.6)

第1世代 第2世代

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

12

2.1 1940-1960 年代:開発計画と輸入代替工業化:開発経済学の勃興

第 2 次世界大戦後 , 植民地支配を脱して政治的独立を勝ち取ったアジアやア

フリカ諸国は , 多くの制約の中で , 経済的な独立・自立をも目指して国家経済

開発に取り組むこととなった . 市場や民間セクターの存在しない , あるいは未

熟な状況下において , 国家の役割は大きく , マクロレベルの開発ビジョンを掲

げた国家開発計画の下に開発が押し進められた . 当初は概して整合性に乏しい

粗雑な計画も少なくなかったが , 「国づくり」をはじめるに当たり , ビジョン

形成は重要な作業項目であった 10. 政府主導で資本蓄積と経済の構造変革(工

業化)を果たし , 先述したヌルクセの「貧困の悪循環」を断ち切って , ロスト

ウの示した「離陸」を果たそうとした 11. こうして 1 人当たりの所得を高めるた

めに , 国内総生産(GDP)を増加させねばならないが(すなわち経済成長達成),

そ れ に は 資 本 蓄 積 が 必 要 と さ れ た こ と か ら , 「 資 本 原 理 主 義 ( capital

fundamentalism)」が開発の主流理念となった 12.

もともとは当時の先進西欧諸国において発生する好況と不況(失業)の波が

何故起こるのか , 経済の不安定性を分析するために考案された , ハロッド・ド

ーマー・モデル(Harrod, 1939; Domar, 1946)が , 所与の技術(資本係数)の下

で一定の目標 GDP 成長率を達成するために必要な , 資本必要量 , 必要投資率

(必要貯蓄率)を求める(借り物の)枠組みとして使用された 13.

第 2 次世界大戦の末期 , 大戦につながった近隣窮乏化政策(為替レートの切

下げや輸入障壁強化を通した失業の輸出)の再現を防ぐために , 連合国が米国

ニューハンプシャー州の保養地ブレトン・ウッズに集まって戦後の世界経済シ

ステム構築を討議した . このブレトン・ウッズ会議 (1944.7)によって設立された

10 マハラノビス等の手による精緻な経済成長モデルによって裏付けられていたインドの

5 カ年計画と , これに基づいた国営企業を核とした重工業化は , 当時の開発経済学者達の

注目を浴びた . 11 Rostow(1959,1960)の「経済成長段階説( stages of economic growth)」では , 経済成長の

段階を , 「伝統社会」 , 「移行期 (離陸準備期間 )」 , 「離陸」 , 「成熟への邁進」 , そして

「大量消費社会」へと 5 段階の進行過程として分類した . 経済が「離陸」して工業化して

いくためには , 運輸インフラ等に支えられて商取引が生じて余剰が生まれ , これが貯蓄さ

れて投資されるようになり資本蓄積が進まねばならないとされた . 12 後述するが , 開発経済学の歴史は , この「資本」の捉え方の変遷の歴史でもある . 当初

は生産関数の中の「物理的な資本」としてのみ考えられていた「資本」がやがて今日に至

る過程で , 「人的資本」 , 「知識資本」 , 「社会資本」等の新概念として捉えられるよう

になってきたのだ . 13 ハロッド・ドーマー・モデルの経済開発モデルとしての使用法については , 「参考文献

ガイド」に紹介した開発経済学の標準的な教科書を参照せよ .

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

13

のが , 戦後の経済復興を資金面で支援する国際復興開発銀行( IBRD, 1945 年設

立) , 為替レートの安定を図る国際通貨基金( IMF, 1947 年設立) , そして保護

貿易主義を回避する交渉の場としての「関税・貿易に関する一般協定」(GATT,

1948 年設立)であった 14. 米ドルを基軸通貨として IMF を中心とした国際通

貨体制が構築されたが , この通貨体制や設立された諸機関をふくめて , ブレト

ン・ウッズ体制(Bretton Woods System: BWS)と呼ばれる . また米国のケネデ

ィ大統領の国連総会に対する提案により , 1961 年から第 1 次「国連開発の 10 年」

が始まり , これが第 3 次まで続いた . 開発途上国の長期開発戦略や先進諸国の

国際開発協力等の目標が設定され , これが後の , 「ミレニアム開発目標(MDGs)」

につながっていった .

国家開発計画と政府主導の開発努力というこの時代の開発パラダイムの第 1

の特徴に加えて , 今ひとつの特徴は , 開発途上国がこの国家主導の下に採用し

た「輸入代替工業化( Import Substitution Industrialization: ISI)戦略」であった .

そもそも , やっと旧宗主国からの政治的独立を勝ち得たのだから , 経済的にも

旧宗主国を中心に諸外国の影響を断ちたい , そのためにこれら諸国からの輸入

に頼らず , 自らが必需品を(輸入代替として)生産しようとするのは至極当然

なことであった 15.

アルバート・ハーシュマン(Albert O. Hirschman)は『経済発展の戦略』の

中で , 国内の多様な産業セクターを同時に開発することによって互いに需要波

及効果を生むという当時の「均斉成長論( balanced growth theory)」に対して , 限

られた資源を他産業への連関効果の高い特定の(できれば比較優位を有する)

産業に集中投下して産業育成を行うという「不均斉的成長論( unbalanced growth

theory)」を展開したが , ここにおいても(均斉成長論者と同じく) , (輸入代

替)国内産業育成を目指した輸入制限の必要性が謳われていた( Hirschman

1958) . 輸出競争力の無い段階での産業育成には , 国内需要による下支えが必

14 厳密には , ブレトン・ウッズ会議で提唱された強力な世界貿易機関( ITO)は実現しな

かったが , 代わりに貿易自由化の交渉の場として GATT が設立された . 世界貿易機構

(WTO, 1995-)の設立にもつながった交渉ラウンドが有名なウルグアイ・ラウンド( 1986-94)である . IBRD に , 1960 年設立の 貧国向けの無利子融資機関である国際開発協会

( International Development Association: IDA)を合わせて世界銀行(World Bank)と呼ぶ . また , その後設立された国際金融公社( IFC) , 多国間投資保証機関(MIGA) , 国際投資紛

争解決センター( ICSID)を含めて世界銀行グループと呼んでいる . 15 輸入代替工業化戦略の政治経済学については , Hirschman, Albert O. (1968),”Poli t ical Economy of Import Substi tuting Industrial ization,” Quarterly Journal of Economics , February を

参照せよ . ここでは「 ISI 戦略」の失敗の理由も語られている .

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

14

要であるが , その国内市場規模は輸入量から類推できるとし , この輸入を規制

して国内市場規模を確保せよというのである( ibid. Ch.7) .

国連ラテンアメリカ経済委員会(ECLA)の初代委員長を務めたラウル・プ

レビッシュ(Raúl Prebisch)は , 世界の中心にある先進国が工業製品を周辺にあ

る途上国に輸出し , 途上国は価格も安く需要の価格弾力性も所得弾力性も低い

1 次産品の輸出に限られる中で , 交易条件(輸出価格と輸入価格の比率)の長

期的低下が開発途上国の成長の制約条件になるとした(Prebisch, 1950)16. 投

資国と被投資国の間の不公平な利益配分についてのハンス・シンガー(Hans

Singer)の論考と合わせて(Singer, 1950) , 輸出悲観論である「プレビッシ

ュ=シンガー命題」が樹立されたが , これが経済開発の「従属論」として保護

主義に基づく国家主導の計画された輸入代替工業化を押し進める ECLA(C)

開発パラダイムの下支えとなった 17.

この時代の開発経済学理論の勃興についてであるが , ジェラルド・マイヤー

(Gerald M. Meier)が述懐しているように , 初期の開発経済学者は資本蓄積 ,

人口 , 技術を重視していた古典派成長経済学の遺産を高く評価し , 新古典派経

済学とケインズ経済学の市場―価格システムの妥当性には疑問の目を向けてい

た(マイヤー , 2006, p. 74) . 市場―価格システムそのものが極めて未熟であ

り , また , 貧困に喘ぐ開発途上国の人民が , 先進国の住民と同じような(経済的)

合理性 , 即ち直面するインセンティブ構造や所得・資源制約の中での効用極大

化という新古典派経済学の規範性を有しているとは考えていなかったからだ .

この経済社会システムの基本的 , 構造的差異が , 「構造主義開発経済学」の出

発点であった . 輸入代替工業化戦略を唱えた上述のプレビッシュも構造主義

経済学者( Structuralist)に属する . 国家の大々的な関与を (間接的に )支持した

経済理論は厚生経済学(Welfare Economics)であったと言えるだろう . 16 1948 年に国連経済社会理事会傘下の地域経済委員会として発足した国連ラテンアメリ

カ経済委員会(ECLA)は , 1984 年に現在の名称である国連ラテンアメリカ・カリブ経済委

員会(ECLAC)に改称されている . 事務局はチリの首都サンティアゴに置かれている . 17 更に内向きな開発政策を指向する「従属理論」というものもあった . これは開発経済学

者の交易条件悪化に根ざした従属回避の保護貿易論を遙かに超え , 「国際資本主義システ

ムに巻き込まれた開発途上国が搾取される」という社会学者 , 政治学者の主張を中心とす

るものであった . 奇しくもグローバル金融危機に世界が突入した現在 , 再び聞かれること

の多くなった言説であるが , 開発経済学パラダイムの変遷の中では非主流の言説であった

と言われている . この時代 , 「プレビッシュ-シンガー命題」への反論を展開したのは , ヤコブ・ヴァイ

ナー( Jacob Viner, 1953)の「国際貿易と経済発展」論やラ・ミント(Hla Myint, 1954-55)の「余剰はけ口」論であり , 輸入代替政策を批判しつつ開発途上国にとっての外国貿易の

重要性を説いた .

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

15

アーサー・ルイス(Arthur W. Lewis)は開発途上国経済社会構造の「2 重性

(dualism)」すなわち伝統経済と近代経済の共存 , 都市と農村 , 農業と工業な

どの 2 重構造とその変革に注目して 2 部門モデル(Dual Sector Model, Two Sector

Model)と農村の「余剰労働( surplus labor)」の動きに関する論文を発表した

(Lewis, 1954). この 2 部門モデルは , 借り物ではない開発経済学としての

初の体系化された開発途上国構造変化分析の理論モデルであった . 産業構造変

化や労働移動に留まらず , 成長と不平等との関係 , 農業輸入自由化や農業にお

ける生産性向上の役割と影響など , 経済開発に重要な様々な政策へ理論的示唆

を提供した 18.

この時代にはまた , (近代・新古典派 )マクロ経済成長理論の祖といわれる , ロ

バート・ソロー(Robert Solow)の成長モデル , 成長会計の原型も構築され , 資

本蓄積の重要性の上に , (この時点ではまだ外生的な)技術進歩の重要性を確

認している(Solow, 1956,1957) .

さて , この時代 , 貧困の原因は何であると考えられていたかであるが , 先ず

は途上国の構造や住民の行動規範は先進国のそれとは違うという構造主義( 2

部門モデルに描かれた農村を想起せよ)に根ざして , 先述したように ,「開発途...

上国の農民は非合理的であるから貧しい..................

」と考えられた . この時代 , 伝統的農

業社会であった途上国において , 農民は国民の殆どを占めていた . その後

1960 年代に入り , 途上国農村での現地調査( field study)が進むと , 農民が賃金

や農産物価格等のシグナルを通じた経済的インセンティブに合理的に反応して

いることが分かるようになり , 「開発途上国の農民は合理的であるが................

, .資本が...

不足しているので貧しい...........

」と考えるようになった .

こうして農業の近代化が行われ , 農業機械や灌漑施設や化学肥料等も大量導

入されていったが , 物理的資本を投入するだけでは , 農民の貧困状態が必ずし

も改善されないことも判明した . セオドア・シュルツ(Theodre W. Schultz)は ,

物理的資本の投下後も , 大部分の貧困国では , 利用可能な資源が実際に利用さ

れる方法を効率的に機能させることによって初めて達成されるはずの経済成長

が殆どみられないとし , それは「人的資本」の欠如によるものであると考えた . 18 この時代に出現した開発理論・アプローチには(他にも) , リチャード・ネルソン

(Richard R. Nelson)の「低均衡の罠」から抜け出すためのローゼンシュタイン -ロダン( P.N. Rosenstein-Rodan)の「ビッグ・プッシュ」とその後の「均斉成長論( balanced growth theory)」や , ハーベイ・ライベンシュタイン(Harvey Leibenstein)の「臨界 小努力」 , 逆に限ら

れたリソース制約のなかで先導部門育成を説くアルバート・ハーシュマン(Albert O. Hirschman)の「不均斉的成長論( unbalanced growth theory)」等がある .

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

16

経済成長を実現するためには , (中略) 再生産可能な財の量を増加させるこ

と , 生産の主体としての国民の質を改善すること , 生産技能のレベルを上昇

させることである(Schultz, 1956, p372) 19.

こうして国家計画による国家主導の産業育成が行われてきたのであるが ,

1960 年代の末から 1970 年代初頭にかけて , 絶対貧困が減少しないこと , 国内

格差が拡大したことなどへの不満が高まっていった . 工業化を目指した工業

助成 , 産業保護の中で , 農業や農村は往々にして置き去りにされ , 非効率な国

営企業がのさばり , 国内マーケット規模拡大がなかなか進まず , 輸入代替工業

化戦略の失敗が露見する中で , 国際収支赤字も拡大を続けていた . 国内民間セ

クターが育ってきたこともあり , 賃金 , 利子率や外国為替等の価格歪曲につな

がっていた政府介入を取り払おうとする機運が高まった . 「価格の正常化

(Getting Prices Right)」や少なくとも「価格歪曲の回避(Avoid Getting Prices

Wrong)」が叫ばれる中で , 開発経済学の分野でも , 新古典派経済学の再興

(Resurgence of Neoclassical Economics)が起こることとなる .

2.2 1970 年代: 輸出指向工業化:新古典派経済学の再興と国際経済学

1970 年代は , 世界経済激動の時代であった . 1971 年 8 月の米国のドルと金と

の兌換停止(ニクソン・ショック)にはじまり , 1973 年の 2-3 月までには主要

国通貨が為替変動相場制に移行し , ブレトン・ウッズ体制が崩壊した . 第 4 次

中東戦争勃発とイラン革命を契機に世界は 2 度の石油ショックを経験した . 石

油価格引き上げに成功した OPEC 諸国の国際社会での発言権は高まり , あわせ

て世界で「資源ナショナリズム」の台頭を見た . 資源保有国の発言権の高まり

を受けて「南」の諸国は 1974 年に国連において「新国際経済秩序(NIEO)」樹

立宣言を勝ち取った 20. 「北」の諸国や国際機関は 1970 年代前半 , 「国連開発

の 10 年」で謳われてきた資金や技術の(大量)供与によるビッグ・プッシュ

戦略が , 貧困削減へのトリクル・ダウン効果を限定的にしか生まなかったとし

て「ベーシック・ヒューマン・ニーズ(Basic Human Needs: BHN)」の開発

19 この論文のタイトルは「経済成長促進のための政府の役割(The Role of Government in Promoting Economic Growth)」であったが , 当時彼が , 市場を重視する新古典派経済学の牙

城であるシカゴ大学経済学部の学部長であったという事実には興味をそそられる . 人的資

本形成においては , 国家の役割を重視したのだ . 20 この宣言には , 途上国にとっての持続的な交易条件改善の方策 , 特恵的関税待遇 , 資金

移転条件の改善や国際援助の拡大等が盛り込まれていた .

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

17

(援助)アプローチを打ち出した . 1972 年の ILO 報告書や , 同時期の世界銀行

総裁ロバート・マクナマラの BHN への戦略転換の方針発表においては , 成長

の恩恵が貧困層に広く行き渡るようにと「成長の成果のより平等な分配」が提

唱されたが , 「南」側は . これを必ずしも好意的に受け入れたわけではなかっ

た .

先述した通り , 1940-60 年代に支配的であった輸入代替工業化戦略は成功を

収めたとは言えず , 多くの諸国で工業化の停滞や国際収支赤字の拡大を招いた .

1960 年代に目覚ましい経済成長と工業化を遂げたのは , 日本 , 韓国 , 台湾 , 香

港 , シンガポールといった東アジアの(当時の)新興国群であり , これらの諸

国では民間企業が国際競争に打ち勝ちつつ , 成熟した先進諸国市場に輸出攻勢

をかけてこれが工業化を促進するという「輸出指向工業化( Export–Oriented

Industrialization: EOI)戦略」を採っていた . 我が国は , 民間企業の輸出競争力

が高まる中で , 1960 年代前半に意欲的な輸入自由化に取組み , 金融面での為替

管理も取り除いていった 21. こうして輸出指向工業化は 1970 年代に入り , より

多くの開発途上国に拡大しはじめるが , 石油ショックによる先進国の輸入需要

低迷と保護主義的機運の高まりと共に , 第 2 の輸出悲観論も展開された .

1970 年代に入り , 開発経済学は , 消費者や生産者という経済主体の 適化行

動(効用 大化 , 利潤 大化)に基づく市場の均衡価格(需要と供給を一致さ

せる価格)決定機能やそれによる生産資源の 適配分機能を重視する新古典派

経済学に基を置くようになる . 国家開発戦略策定などのマクロ・ビジョン形成

のモデルから , 関税保護や農業補助金の影響など , 新古典派理論で技術的に分

析の可能なミクロ事象へ取り組むようになる . マクロ政策やマクロ調整も , ミ

クロレベルでの経済主体へのインセンティブ提供が正しく成されているかとい

う視点で吟味されることとなっていく . この流れは次節で紹介するように , や

がて 1980 年代に向けて「構造改革」や「ミクロ開発経済学( Development

Microeconomics)」の樹立につながっていく .

「輸出指向工業化戦略」を理論的に支えたのは , 国際貿易論であった . 1970

年 代 に は , そ れ ま で 民 間 資 金 が 大 量 に 流 れ 込 む こ と の 無 か っ た 途 上 国 へ ,

( 1980 年代の債務危機につながっていく)オイル・ダラー , ユーロ・ダラーの

2 1 「輸入代替工業化( ISI)戦略」と「輸出指向工業化(EOI)戦略」は完全相互排除の関

係にあるのではなく , 実は主たる戦略の変化の中で共存していることが多い . 我が国の

1960 年代の開発戦略(やその後の韓国の開発戦略)を ,「輸出指向の ISI」であるとか「輸

出化を意識した ISI」と称する経済学者も多い所以である .

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

18

流入という金融フローを生んだ . これらの資金フローの分析には , 国際金融論

が使用された . この時代より , 開発経済学者の多くはまた , 国際経済学者とい

う肩書きを合わせ持つようになる 22.

貧困の理由については , 1960 年代末から 1970 年代を通して , 「貧困は...

政府の...

過剰な介入政策の失敗..........

の結果生み出され増幅している..............

」とされた . 政府介入を

廃して「価格の正常化(Getting Prices Right)」を進める事が重要とされた .

2.3 1980 年代: 構造調整:開発ミクロ経済学の勃興と財政学

1982 年の債務危機勃発と , これに対する国際機関の救済措置に伴う構造調整

政策が 1980 年代の経済開発あるいは援助アプローチの特徴である . 多くのラ

テンアメリカやアフリカ諸国は , 1970 年代のオイル・ダラーの還流借入れを , 有

効な輸出の伸びによる外貨獲得をもって返済することが出来なかった . 借入

資金が投資に回されて生産能力や輸出競争力の伸びにつながらなかったのは ,

そうならないような欠陥構造が途上国に存在していたからであると考えられ ,

貿易の自由化や国内規制緩和 , 政府介入の排除が IMF や世界銀行によって要求

されていった 23 . 構造改革によって , 途上国の経済構造や政府介入の構造を出

来るだけ先進諸国のそれに近づけようとしたのだ . これらの要求項目は , いわ

ゆるワシントン・コンセンサスと後に呼ばれるものを体現していた 24. 国際収支

の赤字穴埋めができなくなると所謂 , 国際収支危機(BOP crisis)が発生し , IMF

の救済パッケージに頼ることになるのだが , 国際収支の赤字は民間セクターの

赤字と政府の赤字である財政赤字から形成される . ラテンアメリカ諸国はこの

財政赤字も大きかったので , 税収拡大や政府支出の削減という財政管理を行う

ことになった . ここで開発経済学は財政学を強く必要とすることとなった .

混沌とした調整過程が続いた 1980 年代であるが , ガット・ウルグアイ・ラウ

2 2 日本では 1960 年代には未だ開発経済学者や国際開発学者が出現しておらず , むしろ , 国際経済学者(や地域研究者)が開発の議論に参加していったといえる . 23 通常 , 借款によるプロジェクト援助等はそれからの将来的な獲得便益・収入から返済が

なされるが , IMF の「構造調整ファシリティ(SAF)」や世界銀行の「構造調整融資(SAL)」

等のプログラム融資は , 赤字の穴埋めに使われる(輸入代金の立て替えと考えても良い)

ので , それ自体が将来の何らかの新たな収入を担保に融資できるわけではない . そこで , 1国の経済や政府部門の構造改革を条件(コンディショナリティ)として付けて , 国家の外

貨獲得能力を増すことにより , 将来の弁済能力を増すという手法をとったのだ . 24 ワシントン・コンセンサスは後に 10 項目に整理されて提示されたため , 「モーゼの十

戒」のごとく(国際機関によって開発途上国に押しつけられ)使われたとされている .

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

19

ンド( 1986-94)の開始と進展という明るい話題もあった . 途上国の経済構造は

構造改革で自由化し , 世界貿易システムは GATT 交渉で自由化をすすめるとい

う , グローバリゼーションと市場原理主義が拡張しはじめた時代であった .

アルバート・ハーシュマン(Albert O. Hirshman)は 1980 年代初頭に「開発経

済学の勃興と衰退」という論文を発表した(Hirshman, 1981) . 1960 年代末から

1980 年代初頭にかけての , それまで興隆を続けた(古典派経済学の遺産を多用

した)構造主義ベースの開発経済学の衰退をハーシュマンは「衰退」と呼んだ .

ここで語られた開発経済理論・思想の分類学に端を発し , 我が国の開発経済学

者の中には , 構造主義開発経済学がこの時期に , 新古典派 (開発 )経済学 , 改良

主義開発経済学 , および新マルクス的開発経済学の3つに枝分かれしたとまと

める者もいる . ここで改良主義は , 先述したベーシック・ヒューマン・ニーズ・

アプローチにつながった「成長の果実の分配 (所得分配 )」を重要視する考え方

と理解すればよい . 新マルクス的開発経済学は , これも先述した経済的な (新 )

「従属論」を指している . ただし賢明な読者は , すでにこの分類論が少し暴力

的であることに気づかれるであろう . 開発思想は併存しながら互いに影響し合

って進化していくものであるのだから .

社会学者の中には , この論文を引用して , 「1970 年代末から 1980 年代初頭

には開発経済学は死んだのであり , 経済開発のオールターナティブとして社会

開発があるのだ」と主張する者もある . 確かにハーシュマンは , この論考の

後に , 経済のみによって開発の目的が達せられるのでは無いことに言及し ,

その意味で , 経済成長によって(のみ)開発達成をめざした従来のオーソドッ

クスな開発経済学は(完全には)復権することはないだろうとした . ただし , こ

れは経済学が , 多くの開発途上国が(経済)開発に取り組む際の政治・社会環

境を含めた周辺環境への洞察 , およびそれらを扱う学問と協働することの必要

性を示唆したものである .

この時代 , 開発思想と開発理論の主流は , 紛れもなく(再興した)新古典派

経済学にあった 25. 1940-60 年代の , 先進国と途上国は構造的に違うという構造

主義開発経済学の流れが , 途上国の民も , 先進国の民と同じようにインセンテ

25 ハーシュマンは , この流れを「経済開発政策が効率の改善という技術的な作業に格下げ

された」 (1981, p.21)と嘆いたが , 筆者はむしろ , 開発経済学や経済開発政策は , 貧困削減

を目指し多種多様な理論フレームワークを必要に応じて組み立てていく経済学・開発政策

であると考えている . 良い開発経済学者には , 柔軟性 , 適応性と学際的取組みへの理解

が要求されるのではないだろうか .

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

20

ィブと与えられた情報にそって合理的に( 適)行動するので , 先進国に適用

されてきた経済理論を適宜取り入れ組み合わせて経済開発にあたるという新古

典派を基調とした (開発 )経済学に取って代わられたということである .

構造改革を支えたのは新古典派経済学であることは周知の事実だが , ゲーム

理論を用いた制度の経済学や , 新制度経済学(New Institutional Economics:

NIE)の果たした役割も見逃せない . 新制度経済学については 1980 年代の構造

改革よりも 1990 年代の (開発 )ガバナンス論に与えた影響の方が大きいので , 次

節で概説することとする .

構造調整政策のもとで自由化や , 規制緩和 , 財政改革 (補助金改革 , 収入改革

等 )が行われるに当たり , 貧困の理由については以下のように語られていた .

「開発途上国は貧困の悪循環のために貧困なのでなく貧困な政策故に貧困状況..................................

にあるのだ.....

」と . そして「政策を正せ(Getting Policies Right)」と .

2.4 1990 年代: 開発ガバナンス:新制度経済学と内生的経済成長理論 26

1990 年代は冷戦の終結と , グローバリゼーションの伸展 , 市場(原理)主義

と民主主義からなる「新自由主義」の世界への拡散を米国が目指した時代であ

った . 世界貿易機構(WTO) が 1995 年の初頭に設立されている . 1993 年に世

界銀行が出版した『東アジアの奇跡』は世界中で大きな反響を呼び , 所謂「東

アジア型開発モデル」の南アジア , アフリカ , 東欧等への導入伝播の議論を喚

起した 27. 高貯蓄・高投資を支える経済制度・環境 , 介入の度合いに差はあれ

ど一般に良好な政府と市場の関係 , および教育を通じた人的資源の継続的な育

成といった経済成長のファンダメンタルズ(基礎要件)の東アジア諸国に於け

る充実ぶりが紹介された . 加えて , 貿易自由化 , 外資導入等を通じた輸出振興

策 , 即ちグローバル経済との積極的な統合を指向した開発戦略の成功と , 他開

発途上国地域への適用が謳われた . 日本 , 4 匹の虎(香港 , 韓国 , シンガポール ,

台湾)およびアジア新興工業国群(インドネシア , マレーシア , タイ)の 8 つ

の高成長アジア諸国 (HPAE)の成長神話から導き出されたこのグローバル経済

26 開発経済学におけるガバナンス論の詳細については , 第 II 部「課題クラスター 2:ガバ

ナンス」の第 C2-3 節を参照せよ . 27 World Bank (1993), The East Asian Miracle: Economic Growth and Public Policy , Oxford Universi ty Press [邦訳:世界銀行 (1994) , 『東アジアの奇跡―経済成長と政府の役割』(白

鳥正喜監訳)東洋経済新報社]. 本書は 終章「変化する世界に於ける政策とパラダイム」

において輸出振興を核とする開放開発戦略の伝播を標榜している .

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

21

との統合による高度経済成長の実現という処方箋は , 1978 年以降「改革開放」

を通して高成長を続ける中国 , 1986 年以降「ドイモイ」のもとでの改革開放路

線 , 市場経済化で高度経済成長を記録するベトナム , 1991 年以降世界銀行・IMF

の経済安定化・構造調整路線を踏襲した「LPG (Liberalization, Privatization and

Globalization)」モデルを経済成長戦略の中心に据え , 高成長で世界の耳目を集

めるインド等で実行されてきた .

また , 世界銀行は『東アジアの奇跡』において , 新古典派経済学の自由主義

に根ざした「マーケット・フレンドリー・アプローチ」を妨げない「機能的ア

プローチ」という日本 , 韓国 , 台湾などの諸国で成功を収めた政府介入モデル

を認めている . 「市場競争」よりも効率的かつ公平な「仮想競争市場(コンテ

スタブル・マーケット)」を維持した政府介入の「制度」とそれを支える「制度

能力」に一定の評価を下したことは , 制度経済学の発展と共に「政府の役割」

が再考されるきっかけとなった .

1980 年代末から 1990 年代前半にかけて , 1980 年代の構造調整政策の成否に

ついての評価が行われた . 確かに韓国やタイなどでは(広い意味ではその後の

中国 , ベトナム , インドでも)構造改革は成功したと考えられているが , 大半の

開発途上国 , 特にサハラ以南アフリカではそれが見るべき成果を上げなかった

28 . 構造調整政策への批判は , それが社会的弱者に過度の改革の痛みを強いる

という事実に集中していると良く言われているが , 今ひとつの批判は実はアフ

リカの施政者から 1989 年に提示されたガバナンスの欠如に関するものであっ

た . 「開発途上国は貧困の悪循環のために貧困なのでなく貧困な政策故に貧困................................

状況にあるのだ.......

」としても , 「健全な政策処方箋」そのものが経済成長なり貧

困削減を生み出すわけではない . 改革目標・開発目標の達成には政策を適切に

実行に移す強いリーダーシップや良好な開発マネジメント(能力)としての「グ

ッド・ガバナンス」が必要であり , アフリカにはそれが欠如しているというも

のであった . ワシントンの国際機関はすぐに「開発途上国の貧困は.........

, .政策処方....

28 筆者は国際連合本部勤務時代 , アフリカ東部諸国が共同で実施し , 国連アフリカ経済

委員会(ECA)が事務局となった『アフリカ独自の構造改革プログラム(African Alternative Framework for Structural Adjustment Program: AAF-SAP)』プロジェクトに一員として参加し , アフリカの研究者と共に IMF・世界銀行のアフリカにおける構造調整政策を批判し , 代替

案を提示したことがある . アフリカの人々は , 例え構造改革が成功すれば強い経済が出現

するとしても , それに至る過程で弱者が切り捨てられたり , アフリカ文化が踏みにじられ

たり , 社会的に許容できない効果が(途中)出現することは望ましくないと考えていた . 世界銀行も 1994 年に発刊された報告書 Adjustment in Africa でアフリカでの構造調整政策

が概して成功とは言えなかったことを認めている .

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

22

箋が悪いのではなくて..........

, .その実行マネジメント能力............

, .グッド・ガバナンスを欠...........

いているからである.........

」として , 「ガバナンスを正せ(Getting Governance Right)」

と唱えはじめた . アジアの成功国においてさえ , 1997 年に勃発した「アジア金

融危機」以降 , ガバナンスの欠如が指摘された .

国連開発計画(UNDP)はその『人間開発報告』において , 「人間開発」( 1990)

や「人間の安全保障」( 1994)の概念を押し出して , (経済)開発の領域をも押

し広げようとしていたが , IMF や世界銀行が提唱していた「健全なる開発マネ

ジメント( sound development management)」としてのグッド・ガバナンスの領

域を , 「参加」や「平等」等の要素を加えて経済以外の領域にまで拡大した (UNDP,

1997).

IMF, 世界銀行の「ガバナンスを正せ(Getting Governance Right)」を理論的

に下支えしているのは , 新制度経済学(New Institutional Economics: NIE)

である . 新制度経済学の主張は大まかには 2 つにまとめられる . すなわち ,

1) 制度が経済パフォーマンスを規定する . および ,

2) 制度は(インセンティブ構造)のミクロ経済学で分析可能である .

これは正しく , 制度経済学と(1980 年代の構造調整を理論的に支えた)新古典

派経済学の融合を意味しており , ブレトン・ウッズ国際機関にとっては大変都

合の良いものでもあった . 今少し説明をすると , この新しい制度の経済学は ,

① 取引費用の減少と ② 情報フローの容易化と徹底を標榜するものである.

ここでは公的部門(政府)の役割は, 所有権の確立とともに, 取引費用を減少さ

せ情報のフローを助ける「調整機能」にあるとされ, ここにグッド・ガバナン

ス論の根源がある .

1980 年代にはいって第 2 世代の開発経済学者たちによって興された「開発の

ミクロ経済学」は , この新制度経済学に関して , 不完全でコストのかかる情報 ,

不完全な市場 , リスクの存在 , 取引費用に関する問題等の分析に取り組むよう

になった . これらを応用すると , 途上国農業に広範に見られる小作制度の有用

性や , マイクロファイナンスの制度的優位性を示すことも出来るようになった .

開発途上国にはその開発途上国に合った制度が育っていてそれを有効活用する

と い う 機 運 , 「 土 着 の 制 度 を 大 限 に 活 用 せ よ ( making the most of local

institutions)」との考えも , これによって理論的に支持されることとなる .

貧困の理由については , 「開発途上国の農民は合理的であるけれども不完全......................

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

23

な情報故に貧困状況にある............

」と言ったところか 29. これを含めて「制度を正せ

(Getting Institutions Right)」が開発のスローガンとなった .

マクロ経済成長論の発展過程においては , 1980 年代半ばから多くの新しい経

済成長理論が開発されてきているが , その内の幾つかは「内生的経済成長理論

( endogenous growth theories)」として括ることが出来る . これは , かつてソロ

ーが新古典派の経済成長モデルにおいて技術進歩を重要としつつも外生的に扱

っていたのを , 内生的に扱おうとしたものである . こうすることによって経済

政策 , 開発政策が長期の 1 人当たり所得の成長率に及ぼす影響を理論的に解明

することができる . 概説すれば , 経済学でいうところの「規模の経済」や「外

部性」を取り込んだ内生的成長理論は , 皆が一緒に技術やアイデアに投資する

と , それが互いに正の効果を及ぼし合い(外部性) , 総体としての規模の大き

さのメリットも享受できる(規模の経済)ので経済は物理的制約条件を超えて

成長するというものである . よって , 皆が他の人の投資にただ乗りしようと

して , 結局投資が行われないという事態をさけるために , 政府の調整機能が重

要視されることとなる 30.

1990 年代末から 21 世紀への転換点における援助アプローチの変遷としては ,

1999 年に当時の世界銀行総裁であったジェームズ・ウルフェンソンが提唱した

「包括的開発フレームワーク(CDF)」と「貧困削減戦略書(PRSP)」を挙げて

おかねばならない . CDF は包括的な貧困削減努力をマトリックス形状にまとめ

たもので , ガバナンス , 教育 , インフラ等の 14 の取組み項目と , 途上国政府 ,

援助供与国政府 , 市民社会 , 民間セクターの 4 つの活動主体の 14x4 のマトリッ

クスで貧困削減のための諸政策・プロジェクトを協調して展開しようとするも

のであった . これは後の「援助協調」の議論にもつながっていった .

PRSP の目的は , 同じく 1999 年のケルン・サミットで決定された重債務貧困

国の債務免除(HIPC initiative)に合わせて , 債務支払いに充てられるはずであ

った政府財政資金を , 免除を受けた途上国が貧困削減のために有効に活用する

ように仕向けるために , 債務免除の条件として国際開発コミュニティーが求め

29 実際インドのある村において , 村人の生産する穀物の , 都市穀物市場価格がオンライ

ンで提供されたとたん , 仲介人との価格交渉に変化が現れ ,村民の平均所得が 40%も向上

したという事例が , 情報化を進めるインドで報告されたりしている . 30 内生的経済成長理論の代表的な論文として , Romer, Paul M. (1986), "Increasing Returns and Long-run Growth," Journal of Poli t ical Economy , 94 (October) , pp.1002-37, Romer, Paul M. (1990), "Endogenous Technological Change," Journal of Poli t ical Economy, 98 (October), pp.71-102 を挙げておく .

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

24

たものであり , PRSP は IMF・世界銀行の承認を得ることが条件化された . CDF

と PRSP は連動しているので , その作成や実施には国内の各主体(政府 , 市民社

会 , 民間セクター)の参加も必須とされており , これを用意する途上国政府に

は多大なる作成負担がかかることとなり , 実行のキャパシティに疑問符がつく

こともある 31.

2.5 21 世紀: 多極化と多様化:開発の新政治経済学?

21 世紀に入り , 開発経済学の領域は膨張を続け , 開発パラダイムは政治 , 経

済 , 文化・社会の融合を基に展開されるようになってきている . PRSP の次は何

か斬新な , 政治・経済・文化の融合に支えられた開発の新政治経済学が必要と

されるのではないだろうか .

米国型金融モデルが崩壊した今 , 米国一極集中型の世界経済システム , 新古

典派経済学に裏打ちされた自由市場原理主義と民主主義の合体した「新自由主

義」の拡散に根ざしたアメリカナイゼーションとしてのグローバリゼーション

は , 間違いなく大きな転換点を迎えようとしている . 今後 , 多極化していくグ

ローバル社会は , 政府の役割を再認識し , 国際通貨・金融制度を含めて多種多

様な制度・システムの構築・再構築を迫られることになるだろう .

「貧困」は , 「公正」な競争の結果として生じているものと言うよりは , む

しろ「公正」な競争を妨げる制度 , 政治構造 , 文化・社会構造の存在の帰結で

ある場合が多い . 今後 , 冷戦後の米国一極体制が崩壊し, 多極化する世界に新

たなグローバルシステム・制度構築が求められる中, 「公正」な開発を実現す

る制度の構築, 異文化尊重の原理に根ざした文化・制度の多様性の維持と共生

を可能とする「開発と制度」を指向した取組み, すなわち, 開発の「新政治経

済学」の樹立が望まれているのではないだろうか.

長い間世界銀行の調査局エコノミストを務めたウィリアム・イースタリ-

(William Easterly)は 2001 年に世銀を去る(追われる?)に当たり, 回顧録 The

Elusive Quest for Growth(邦訳:『エコノミスト 南の貧困と闘う』)を著したが,

31 次々に難題を押しつけられるアフリカ諸国は , 「価格を正せ(Gett ing Prices Right)」「政

策を正せ(Gett ing Policies Right)」「ガバナンスを正せ(Gett ing Governance Right)」「制度

を正せ(Gett ing Inst i tutions Right)」と要求されてきて , 後にはアフリカがアフリカにあ

ることを貧困の理由として「地理を正せ(Getting Geography Right)」とでも言われるので

はないかと揶揄している . グローバリゼーションと人の移動が拡大してくると , まんざ

らこれも的はずれでなくなるかもしれない .

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

25

一言にまとめると彼は, 援助も構造調整も債務救済も教育も, (貧しい)人々に

正しいインセンティブを提供することに失敗しており, その意味で経済学の基

本原理を無視した結果, 失敗に終わったと回想している.

上述の主張と合わせると「貧困は...

, .

貧困層にそこから抜け出すインセンティ..................

ブが公正かつ公平に提供されない限り無くならない.......................

」と言えるのではないだろ

うか. また,「国際開発」にたずさわる全てのステーク・ホールダー間で, こ

のインセンティブが調整され共有される必要があるだろう.

1990 年代より開発経済学には , 社会資本(Social Capital)の経済開発や開発

理論への組み込みが求められている . グローバル化の中で国家や社会の凝集

力( cohesion)の確保も求められている . 社会資本には公的社会資本( public

social capital)と市民社会資本( civil social capital)があるとされるが , 公的社

会資本の整備とともに , それと市民社会資本との連携調整も政府の果たすべき

調整機能の1つとされている . 21 世紀にはまた , 20 世紀の議論とは違った内

容での「市場と国家の役割」の議論が必要とされている . 開発のコンテクスト

において市場の役割の分析が開発経済学の役目 , 政府の役割の分析が開発政治

学の役目(第 2 章参照) , 社会への諸参加主体間の関係分析が開発社会学の役

目(第 3 章参照)だったとすると , その連携調整を分析するには , 開発経済学 ,

開発政治学 , 開発社会学の融合が必要とされてくることとなる .

再び開発経済学の領域拡大に議論をもどすと , その基となる経済学自体の領

域拡大にも目を向けねばならないだろう . 「世を経(おさ)め民を済(すく)

う」ために創始された経済学の原点は , 実は道徳論(倫理学)と物理学にあっ

たことを知る人は少ない . 経済学の祖アダム・スミスは『国富論』(1776)の中で ,

人がそれぞれの幸福を 大化する行動をとれば , 総体としての経済社会も 良

の結果を迎えるという「見えざる手」の存在を唱えた . しかし , アダム・スミ

スはそれ以前にはグラスゴー大学の道徳哲学教授を努め彼の倫理教説を体系化

して『道徳情操論』( 1759)を著していた . 経済学の主体である「人間」に先ず

目を向けていたのである . アマルティア・センの「人間開発論」につながった

種々の主張には , 経済学の基にあった倫理学のにおいがする . 経済学の残りの

半分は , 物理学を模範として厳密な科学を目指し , 理論の精緻化を指向してき

た経済科学である . これは長きに渡って「人」の合理性 , 合理的選択にその礎

を置いていたが , ダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman)が 2002 年に行動

経済学でノーベル経済学賞を受賞すると , 新たな視点で「人間」やその選択を

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

26

分析することが流行となった . 「人間は感情で動く生き物で決して合理的でな

い選択をする」とすると , まったく新しい経済学の地平線が現れてくるのであ

る . 実は , 青木昌彦等の「比較制度分析」においても既に「人間はあくまで部

分的にのみ合理的である」という仮定が採用されていた . これによって開発経

済学は従来その範疇外にあるとしてきた「開発」の目的を , 開発経済学の体系

のなかで分析しようとすることになるかもしれない . これは , 次世代の開発経

済学者への期待ではあるが .

3. 「開発」と経済成長―不平等―貧困削減の三角形 32

第 1 節で紹介したように, 産業構造変化や社会変容をプロセス....

として伴う

「経済開発」を通して求める結果..

は, 貧困, 失業, 不平等の減少である. 開発

経済学を志す者は, 所得増大・雇用拡大を通して貧困を減少させる経済成長,

即ち「Pro-Poor Growth」の実現を目指しているのだ. そこで本節では, 経済開

発の諸政策を展開するために正しくその相互関係を理解しておかねばならない

「経済成長―不平等―貧困削減の三角形」について , 開発経済学者が検証を重

ねてきた結果を提示しておきたい .

図 1-2 の三角形で示されるように(ここでは便宜上逆三角形), 一般に貧困

削減は経済成長および所得・資産の分配が及ぼす削減効果の2つに分けられる

とされる33. 成長効果と分配効果を独立して扱えるかどうかは, 経済成長と不

平等とのトレード・オフ , または所謂「クズネッツ仮説」の検証や分配の不平

等が逆に経済成長に与える効果の検証に拠る .

32 本節では, 大坪 (2008)で行われた経済成長―不平等―貧困削減の三角関係の各辺に関

する研究のサーベイ, 論点整理, 今後の分析研究の方向性等を要約して紹介する. 詳し

くは, 大坪滋 (2008),「経済成長―不平等―貧困削減の三角関係に関する一考察」,『国際

開発研究フォーラム』, 36, pp.21-44 < http:/ /www.gsid.nagoya-u.ac. jp/bpub/research/ public/forum/36/index.html>よりダウンロード可>を参照せよ. 33 貧困率の変化の成長効果 (growth effect)と分配効果 (distribution effect)への分解展開に

ついては , Datt and Ravallion (1992)が詳しいが , 近では Fields (2001), Bourguignon (2003, 2004) 等でも詳細に取り扱われている .

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

27

図 1-2 経済成長-不平等-貧困削減の三角関係と開発ガバナンス

(出所)筆者作成.

過去 , 開発コミュニティーにおいては , クズネッツ論文 (Kuznets: 1955, 1963)

の指し示すものとして , 経済成長と所得分配の不平等との関係が図 1-3 に示さ

れるように逆U字型曲線 (inverted U-curve)で表わされ得るとされ , 経済発展

の初期には所得分配の不平等は悪化し , 中所得国のある段階を過ぎ成熟国へ移

行するにつれてそれは改善されると言う「クズネッツ仮説 (Kuznets’

hypothesis) 」が形成された . 即ち , 開発の初期段階からある中所得に至るまで

は , 経済成長と所得分配の平等の間に

はトレード・オフが存在し , 所得の増加

(とトリクルダウン効果による貧困削減)

を享受するためには , 分配の不平等はそ

の副産物として甘受されるべきものとさ

れていた . しかしながら 20 世紀末の時

点においては, ’Pro-Growth’

と ’Pro-Poor ’(なり ’Pro-Equity’)が必ず

しも相容れないものではなく , 貧困削減

を目的とした ’Pro-Poor Growth’ が実現

され得るとの認識が共有されることになった 34.

実際 , 経済成長が所得分配の不平等に及ぼす影響に関する Paukert(1973),

Ahluwalia (1976), Ahluwalia, Carter and Chenery (1979) 等の 1970 年代の研究で

34 ‘Pro-Poor Growth’の系譜については , 長田 (2007) に詳しい .

トレード・オフ?

開発ガバナンス政治・制度・社会

貧困削減への「成長」効果 'Pro-Poor' 貧困削減への「分配」効果

経済成長

平均所得増加

不平等・格差

所得分配

貧困削減

絶対貧困の減少

図 1-3 クズネッツの逆U字曲線

1

ジニ

係数

01人当たりの所得水準

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

28

はクズネッツの逆U字型曲線が(各国のデータを横断的に使用した)クロスカ

ントリー分析で確認されたが , 諸国の家計調査データを集め , 時間軸を追加し

たパネル分析や , 各国固有の固定効果を除去した Deininger and Squire (1996,

1998), Bruno, Ravallion, and Squire (1996, 1998) 等の 1990 年代の研究では ,「ク

ズネッツ仮説」は否定されるに至っている . これらの検証結果が示すものは ,

成長が分配に有意な影響を及ぼさないと言うことではなくて , 成長と分配の関

係の一般化をはかるには余りに多くの各国特有の要素が存在すると言うことで

ある .

逆に , 所得分配の不平等が経済成長に及ぼす影響についてであるが , 1990 年

代に Benabou (1996), Perotti (1996) 等の行った , 家計調査を用いたクロスカン

トリー分析では所得・消費の不平等が経済成長に負の影響を及ぼすことが確認

された . しかし , パネル分析を可能にするより良いデータを使用した分析では ,

逆に不平等が成長を加速させる効果を発見した Forbes (1998), 時間軸を足した

パネル分析ではクロスカントリー分析で発見された不平等の成長減衰効果が消

失することを示した Li and Zou (1998), 負の関係はむしろ資産の不平等と成長

の間にあるとした Barro (1999) 等がある . 現在では , 所得・消費不平等と経済

成長との負の関係は , 「クズネッツの逆U字曲線仮説」と同じ運命を辿り , そ

の必然性は認められないと言う Deininger and Squire (1998) 等の見方が力を得

つつある .

しかしながら , 資産の不平等が経済成長にあたえる負の影響については ,

Galor and Zeira (1993) 等理論モデルが存在する . 金融市場の不完全性の仮定の

下に , 資産不平等が短期的な経済活動に(悪)影響を与え , さらに(教育)投

資の不可分性の仮定が加えられると影響は長期的なものになるとされる . 実証

分析では , Deininger and Olinto (2000) による家計調査のパネル分析があるが ,

ここでは所得の不平等ではなく資産(土地)の分配の不平等が経済成長に与え

る負の効果が大きいことが示されている . 世界銀行の世界開発報告 2006 年号

『平等と開発』 (2006) では , これら研究の流れを踏まえて , 市場が不完全であ

る状況ではパワーや資産の不平等が機会の不平等を呼び , 生産資源の無駄と非

効率な配分を生むとしている . この報告書の今一つのメイン・メッセージは ,

経済や政治の不平等が制度の健全な発達を阻害すると言うものである . 不平等

な社会には , 人のネットワークなどの社会資本や社会制度が育ちにくいと言う

ことである .

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

29

後の関連研究に大きな影響を与えた Dollar and Kraay (2002) の Growth is

Good for the Poor(経済成長は貧困層に恩恵をもたらす)論文では , 1950 年から

1999 年までの間で , 少なくとも 2 時点において所得水準の下位 20%の層( 下

位 5 分位層)の平均所得が計算され得る 92 カ国 , 285 件のデータを使用して ,

下位 5 分位層の 1 人当たりの平均所得増加率の , 1 国全体の 1 人当たりの平均所

得増加率(マクロ経済成長)に対する弾性値 (elasticity), 所謂「平均所得弾性

値」を推計した結果 , その推計値は , 1から有意に乖離しているとは言えない

とした(図 1-4) . この結果は , 種々のコントロール変数や所謂 ’Pro-Poor ’ 変数

(初等教育達成度 , 政府の教育および健康に関する社会支出の対総政府支出比 ,

農業生産性 , およびガバンナンス変数のひとつである民主主義的な組織係数)

の追加に対しても頑強性を有することが示され , 総じて , 経済成長(国民平均

所得水準の向上)が , 平均的には他の所得層と同様に貧困層にも恩恵をもたら

すことから , 標準的な経済成長増進のための政策があらゆる貧困削減政策の中

心にあるべきだとしている .

図 1-4 経済成長は貧困層に恩恵をもたらす

(Growth is Good for the Poor)

(『グロ開』図 1-4, p.61 の邦訳図を張る)

(注) 横軸には 1 国全体の 1 人当たり平均所得の増加率 ,縦軸には所得水準の下

位 20%の層の平均所得の増加率をとり ,その相関関係を示している . (出所) Dollar and Kraay (2004), Figure 4. ただし , この図が 初に使われたのは

Dollar and Kraay (2002), Figure 1 である . 作者の了解を得て再掲 .

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

30

貧困削減の経済成長 , 分配の改善に対する弾性値の推計についてであるが ,

Bourguignon (2003) では 1 日 1 ドルの貧困線から得た貧困率の変化率をサーベ

イ平均所得の変化率とジニ係数(Gini Coefficient)の変化率に回帰させ , 平均所

得の弾性値 -2.01, 不平等度の弾性値 4.72 と推計している . さらに各弾性値は

平均所得水準や不平等の水準に依存すると仮定し , 交差項を平均所得の変化率

およびジニ係数の変化率の双方に設定した結果 , 高い初期不平等は , 貧困削減

の経済成長に対する弾性値のみならず , 分配改善に対する弾性値も悪化させ ,

また同様に , 低い所得水準にあっては , 貧困削減の経済成長に対する弾性値の

みならず , 分配改善に対する弾性値も低いと言う結果を得た . Ravallion (2005)

では , 貧困の削減率を平均所得成長率(経済成長率)と全弾力性 (total elasticity)

の積として分解し , 全弾力性をジニ係数の非線形関数として定義して , そのパ

ラメターを推計している . 図 1-2 における , 不平等の効果と経済成長の効果が

合成された弾性値を推計していることになる . 貧困削減の経済成長全弾力性は ,

ジニ係数が 0.2 強から 0.6 程度に悪化するにつれて , -4.3 から -0.6 に縮小するこ

とが示された . 所得分配が不平等である , あるいは悪化するといった状況下で

は , 経済成長は貧困削減に繋がりづらいのである 35.

これらの研究から導き出された示唆を統合すると以下のようになるだろう .

1) 経済成長と所得分配の関係については , これを規定するものは社会経

済構造 , 制度 , 文化 , 政策等の各国固有の要因であると考えられ , 経済成長

が所得分配を悪化させる , あるいは所得分配の悪化が経済成長を減速(あ

るいは加速)させると言う必然性は存在しない . 「平均的」に見ると , 各国

の平均所得の増加(経済成長)は , 弾性値 1 の関係でそれぞれの国の貧困

層の所得向上にも結びついている .

2) 資産分配の不平等が , その後の経済成長や社会資本形成に悪影響を与

えることはある程度普遍性のある関係であると考えられる . よって長期に

わたって所得分配を不平等化する成長戦略は , やがて不平等な資産形成に

35 2000 年 9 月にニューヨークで開催された国連ミレニアム・サミットで採択された「国

連ミレニアム宣言」に基づく「ミレニアム開発目目標(Millennium Development Goals: MDGs)」に掲げられた 2015 年までの 8 つの達成目標の内の第1目標は極貧状態や飢餓の

根絶である . より具体的には所得で測られた貧困(貧困者比率)の半減 , 即ち経済成長で

あり , また , 経済成長によってもたらされるべき女性や若年層を含めた雇用機会提供 , 飢餓人口比率の半減が目標とされている . 残りの 7 大目標は社会開発 , 環境 , 政治(グローバ

ル・パートナーシップ)に関する目標である . 開発経済学者としては , 社会開発重視は許

容するとしても , 所得不平等や格差是正に関する努力目標が明示されなかったことは残念

に思う .

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

31

繋がり , 成長や貧困削減のボトルネックとなる可能性大である .

3) 短・中期的には , 経済成長と所得分配にそれぞれ影響を及ぼす開発戦略

は , ある程度独立して展開可能であるが , 貧困削減への影響を考慮した場

合 , 所得分配をより不平等にする経済成長戦略は回避されるべきか , 貧困

層への適切な所得・消費移転政策等で補完されねばならない .

4) 「平均的」な関係や, 無関係の周囲にある「ばらつき」につき, 各国固

有の要因に注意を払いつつ取り組まねばならない.

図 1-4 の右下の象限に位置する諸国では , 1国全体の1人当たりの平均所得が

伸びているのに , 下位五分位層のそれは減少している 36. 貧困層に成長の果

実が及ばないどころか , 彼らは成長の犠牲になっているのだ . 所得分配の不平

等が急拡大しているであろうこれら諸国に存在する社会経済構造, 制度, 文化,

政策等の各国固有の要因とは何であろうか. 経済開発の目指す「開発」の結果

獲得のためにも, 政治(ガバナンス)と社会開発が必要なのである.

4. 他分野とのかかわりをどう考えてきたか

第 1 節で「経済開発」とは何かを示すことに努めたが , そこでは「経済成長」

に伴って生じる経済的構造変化のみならず , 都市化や生活様式の変化という社

会的変化 , 血縁関係や種族関係から契約社会への移行という文化的変容 , 法制

度構築や民主化等を含む政治体制の変化が「開発」のプロセス....

の中で生じるこ

とを示した . 第 2 節では , (経済倫理学の伝統を踏まえ)経済学者から生まれ

た「人間開発」概念 , 新制度経済学が下支えした(良い開発マネジメントとし

ての)ガバナンス論 , 社会資本や市民社会の経済開発への明示的取込みや , 社

会的ネットワーク形成への補助を含めた政府の調整者としての役割の分析等

36 図 1-4 にはデータの採れる諸国については 1 国当たり数個の観測期間が示されているの

で , ある国が戦後の経済成長史のなかで常時そうであったというわけではないが , 右下の

象限に位置する諸国(観測点が存在する諸国)は , ラテンアメリカ・カリブ海地域のコロ

ンビア , ドミニカ共和国 , エクアドル , ホンジュラス , プエルトリコ , ベネズエラ等であ

り , サブサハラアフリカのエチオピア , ザンビア , セネガル , タンザニア等である . 東ア

ジアではフィリピンそして 1980 年代末から 1990 年代前半にかけての中国がここに位置す

る . 先進国の中ではアメリカの 1980 年代および 1990 年前半にかけての観測期間がこの象

限に属することに興味をそそられる . アメリカ第 40 代の大統領であるレーガン大統領の

下 , 所謂サプライサイド経済政策により起業家・企業家や富裕層が優遇される中で経済成

長は達成したが貧困層の生活苦が増した(実質所得が実際に低下した)時代であった . (この図の作者である Aart Kraay 提供の元データから筆者分析 . )

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

32

が , 開発経済学の系譜・未来展望として示された . 第 3 節では , 「開発」の結果..

として , 貧困 , 失業 , 不平等の減少を求めるのであれば , 雇用増大(失業低下)

につながる経済成長とともに , 所得や資産の分配の不平等が是正されていくよ

うな開発システムを指向した開発ガバナンスが「Pro-poor Growth」実現のため

に必要であることが示された . 経済成長が「平均的」には貧困層の所得・機会

増大と貧困削減につながるとしても , この関係に存在する大きな「ばらつき」

は , 社会経済構造 , 制度 , 文化 , 政策等の各国特有の要因に左右されているこ

とが示された .

これらを踏まえて本節では , 経済成長(あるいは経済開発)と , 人間開発 , 社

会開発 , ガバナンス , 制度等との関係についての知見を要約して紹介し , 開発

経済学者が追い求めてきた(福祉向上と貧困削減に寄与する)高所得水準なり

高所得の「要因」把握にあたり , 開発政治学や開発社会学で語られる要素との

かかわりを示したい .

4.1 経済成長の要因探求:アド・ホック経済成長式推計

開発経済学者は絶えず「世界には何故, 高経済成長を経験する諸国と低成長

に喘ぐ諸国が存在するのか」「世界には何故, 高所得の諸国と低所得の諸国が同

時に存在しているのか」と問い続けてきた.Box 1-1 で紹介されている新古典

派経済成長理論も内生的経済成長理論等を含む新経済成長論も, この問いに答

えるべく形成されてきた. またこれら理論構築とは別に, 何が高経済成長, 高

所得を規定する要因・要素であるのかについて, 「 1 人当たりの所得増加率」

を考えられる諸要因に回帰させるという直接的な実証研究も多く行われてきた

37 . 表 1-4 に , そ の 代 表 的 な 推 計 結 果 を 1 つ ,Barro (1997), Determinants of

Economic Growth より引用して紹介しておきたい . この実証分析は , 大体 100 ヶ国

程度の諸国の 1960 年から 1990 年までの経済・社会データを用いて行われたパネ

ル・データ分析である .

37 生産関数やそれを使用した成長会計式の推計(残差項の説明を目指した全要素生産性

推計を含む)に基づくものとは異なり , 経済成長( 1 人当たり所得増加)を説明すると考

えられる諸要素・要因を順次盛り込んでいくこの推計式分析は , 特定の成長理論に依拠し

ない「アド・ホック成長式推計」と呼ばれている .

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

33

表 1-4 アド・ホック経済成長推計式 (人間資本, ガバナンス, 制度 と 経済成長)

(注) 被説明変数は 1 人当たり平均実質所得の期間( 1965-75, 1975-85, 1985-90)

平均増加率 . 初期所得水準は各期間開始 5 年前の値( 1960, 1970, 1980 年値)

を使用 . 3 期間に渡る 3 式の 3 段階 小二乗法による同時推計 . 読者の理解

を助けるために筆者が説明変数を分類化した . 民主化の 2 変数( 8,9 項)の

共同有意を示すp値は 0.0006 で 2 変数一緒に有意である . (出所) Barro (1997), Table 1.1 の結果の一部を簡略化・分類改訂・翻訳して再掲 .

第 (1)項の負の有意な推計値は ,(他の説明変数で代表される)他の条件が同じ

であれば , 平均的に , 初期所得水準の低い諸国の方がより高い経済成長率を経

験するという「条件付き所得収束」を示す 38. 初期「人間資本」の役割(第 2,3

項)については , 教育水準および(平均余命が表わすとされる)医療・保健・

衛生の水準が高い諸国ほど(他の条件が同じであれば)経済成長率も高いこと

が示される 39. 第 (5)項の負の有意な推計値は , 人口圧力の高い諸国ほど , 1 人当

38 これは所得の条件付きベータ収束( ß-convergence)と呼ばれるものであり , 他の条件

が同じであれば , 低所得国の所得水準がやがて高所得国のそれにキャッチアップすること

を意味する . 39 初期所得水準と初期教育水準の交差項である第 4 項の負で有意な推計値は , 教育水準

の高い諸国ほど ,初期所得水準の低さがその後のより高い経済成長につながることを示し

被説明変数説明変数

推計係数値 標準誤差条件付き所得収束(1) 初期所得水準(対数値) -0.0254 0.0031

初期人間資本

(2) 25歳以上男子の中等教育以上の教育年数

0.0118 0.0025

(3) 平均余命(対数値) 0.0423 0.0137

(4) (1) X (2) -0.0062 0.0017

人口圧力(5) 出生率 -0.0161 0.0053

ガバナンス・制度

(6) 政府支出の対GDP比   (教育, 防衛支出を除く)

-0.136 0.026

(7) 法制度(主観的指数) 0.0293 0.0054

(8) 民主化(政治権利指数) 0.090 0.027

(9) (8)の二乗項 -0.088 0.024

(10) インフレ率(経済ガバナンス) -0.043 0.008

環境変数(11) 交易条件変化(輸出価格/輸入価格比の変化)

0.137 0.030

R2 (決定係数)(各期間毎) .58 .52 .42国数(データ数)(各期間毎) 80 87 84

1人当たり平均実質所得の期間平均成長率

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

34

た り の 所 得 の 伸 び が 小 さ い こ と を 示 す . ガ バ ナ ン ス ・ 制 度 に 関 し て は

(Governance matters? ; Institutions matter?) , 概して大きな政府(教育・防衛を

除く経常支出で)が経済成長の重荷になること(第 6 項) , 法制度の整備構築

が経済成長を促進すること(第 7 項) 40, インフレ・マネジメント(経済マネ

ジメント・ガバナンスを表わす)がしっかりしている諸国ほど期間平均経済成

長が高いこと(第 10 項)を示している . 民主主義についてであるが(Democracy

matters?), 第 8 項の民主化指数は政治プロセスへの参加の度合いを示す政治的

権利を表わす種々のデータから構築されている . 第 8,9 項の両項を合わせて統

計的に有意な(信憑性の高い)結果が出ているとされる . 第 8 項の民主化指数

の推計係数が正であることは , 民主化の水準が高い諸国ほど高成長を記録して

いることを表わし , 第 9 項(民主化の 2 乗項)の推計係数が負であることは , 先

の正の効果が民主化水準が高まるに従って減少し , やがてそれが正から負の純

効果に転ずることを意味している . Barro (1997)はこの分析結果を ,

悪の独裁体制にある諸国では , 政治的な権利の高まりは , 政府権力を押さえ

ることにより成長や投資を推進する . しかしある一定程度の民主化の進んだ

諸国では , それ以上の政治参加の高まりは所得の再分配の行き過ぎを恐れて

投資が減退し , 成長を阻害することにつながりかねない(Barro, 1997, p.59; 筆

者訳) ,

と解釈している. 民主化指数の国際比較や時系列比較によると,大体 1994 年に

おけるマレーシアやメキシコの民主化レベルに達した以降は, 民主化(より広

範な政治参加)は経済成長の足かせとなるかもしれないということになる.あ

くまでこれらは, 多くの諸国の四半世紀余に渡る「平均的な」相関関係から導

かれた解釈であり,各国特有の要因による「ばらつき」が存在していることに

注意せねばならないが41.

さらに, もっと重要なことであるが, そもそもここ(表 1-4)に示されてい

るのは(部分的な)相関関係の存在であって,因果関係の存在やその方向性が

ている . 40 ここで使用されている法制度変数は , International Country Risk Guide による ,官僚組織

の質 , 政治汚職の程度 , 政府による契約支払い拒絶 , 政府による収奪リスク , そして全体

的な法秩序維持の程度がそれぞれ(当該国で活動する企業や投資家などにより)主観的に

評価されたものを指数化して使用している . 41 アマルティア・センは , 「インドにおいて民主化は貧困の削減に寄与してきた」と述べ

ている . 「民主的な政府はインド各地における貧困(やそれによる人民の死)を無視出来

ないからだ」 .

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

35

証明されたわけではない.

4.2 経済成長と人間開発

第 4.1 節でも示されたように, 人間資本の充実と経済成長の間には密接な

「平均的な」相関関係が存在する. ここでは第 2 節でも紹介された, ポール・

ストリーテンやアマルティア・センの「人間開発」の思想に強く影響されて開

発された,国連開発計画(UNDP)の「人間開発指数(HDI)」 を用いて, 経済

成長と人間開発の間の「平均的な」相関関係と「ばらつき」を示したい.

「人間開発」とは人々の選択肢を拡げるプロセスである. それは消費できる

財の選択肢というより, 人間の能力と活動を拡大することで生まれてくる選

択肢である. 開発のあらゆるレベルで人間開発にとって不可欠な能力がいく

つかある. その能力がなければ生活における多くの選択肢を利用することが

できない. その能力とは, 健康で長生きできること, 知識のあること, まず

まずの生活を営むのに必要な資金を入手できることであり, これらは人間開

発指数に反映されている42.

「人間開発指数(HDI)」は, 寿命(出生児平均余命), 知識(成人識字率と

初等・中等・高等教育就学率の複合指数), および生活水準(調整済み 1 人当

たりの所得;PPP$)それぞれを指数化したものを, 3 分の 1 ずつの等しいウェ

イトを掛けて統合した指数である. よって所得なり経済成長が既に 3 分の1の

ウェイトで参入されていることには注意が必要だが, 図 1-5 に示されているよ

うに,HDI と 1 人当たり所得水準との間には高い相関関係が存在する. HDI の所

得以外の 2 指数は, 健康(保健・医療)および教育と社会開発の 2 つの柱を体

現しているので, これはまた, 「経済成長」と「社会開発」の間の「平均的に」

高い相関関係を示すものでもある.

42 ストリーテン , ポール (1999), 「人間開発の 10 年」国連開発計画『人間開発報告書 1999年版』, p. 22 を参照した . 同じ『人間開発報告書 1999 年版』に掲載された セン , アマル

ティア (1999),「人間開発の評価」(p. 29)によると ,センは「人間開発指標(HDI)」自体は簡

略で不完全なものであり「人間開発」を部分的に体現しているに過ぎないことを警告して

いる .

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

36

図 1-5 1 人当たり所得と人間開発

(Growth is Good for the Poor)

(注) 横軸には 2006 年の 1 人当たり平均所得( 2005 年基準の購買力平価)を中所

得国の平均値( ppp$6,649)からの乖離で表わし , 縦軸には同じく 2006 年の

人間開発指数(HDI)を中所得国の平均値( 0.774)からの乖離で示している . (出所) 国連開発計画(UNDP)の人間開発データ・サイト< http://hdr.undp.org/

en/statistics/data/>から基礎データを入手して筆者作成.

この散布図はまた, 所得増加(経済成長)が人間開発(あるいは社会開発)

に与えるであろう正の効果は, 所得水準が低いほど大きく, 所得水準が高ま

り中所得水準から高所得水準に転じるに従って減退することを示唆している

(因果関係が証明されたわけではないが)43. 低所得水準に喘ぐ諸国の間の,

人間開発(あるいは社会開発)の到達度には大きな「ばらつき」があるとも言

える.『人間開発報告書』は, 各国の所得水準の世界におけるランクと HDI ラ

ンクとの乖離を示すことによってこの関係に潜む「ばらつき」を浮き立たせて

いる. 図 1-5 では , 所得水準が中所得諸国の平均を(大きく)上回るのに , HDI

43 章末のインターネット・リソース・ガイドにも示したが『人間開発報告』のデータ・

サイト< http:/ /hdr.undp.org/en/statist ics/data/>の中の「人間開発アニメーション」では , 人間開発と経済開発(経済成長)との関係をアニメーションで示し , 人間開発が経済成長を

促進するという立場をとっており , 大変興味深い .

‐0.5

‐0.4

‐0.3

‐0.2

‐0.1

0

0.1

0.2

0.3

‐20 ‐10 0 10 20 30 40 50 60 70 80

横軸: 1人当たり実質GDP (単位: ppp $1,000)(中所得国平均 $6,649からの乖離)

縦軸

人間開発指数(HDI)

(中所得国平均0.774 

からの乖離)

ガボン

ボツワナ南アフリカ

赤道ギニア

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

37

で測られた人間開発の進展が遅れている赤道ギニア(HDI ランク-所得ランク

= - 86) , ガボン(同- 55) , ボツワナ(同- 69) , 南アフリカ(同- 49)が示

されているが , これらの諸国には , 高所得が高人間開発(高社会開発)に結び

つかないなにがしかの各国固有の理由がある . 逆に所得水準に比して人間開発

(社会開発)の進んでいるキューバ(同+ 40) , トンガ(同+ 32) , ミャンマ

ー(同+ 29)マダガスカル(同+ 22) , ネパール(同+ 17)などの諸国も注目

に値する . 「国民総幸福(GNH)」で有名なブータンはこのランク差が- 20 で

あり , 所得水準のランク程 , 人間開発(社会開発)が進んでいないのは意外で

ある . 「所得水準( 1 人当たり GNI)」と「幸福」に隔たりがあるように , 「人

間開発」と「幸福」の間にも隔たりがあるのかもしれない .

4.3 これからの課題

本第 4 節ではアド・ホックな経済成長推計式における諸非経済要因と経済成

長との関係, 所得水準と人間開発指数(HDI)との関係における, 社会開発と

経済成長との相関関係を通して, 経済開発と政治・制度開発, 社会開発とのか

かわりの一部を紹介した.

紙面の都合上ここでは詳しく取り上げなかったが, 社会資本と経済成長と

の関係(Social capital matters?)分析は , 今後政府の調整機能や , 取引費用や情

報の伝達等の観点から新制度経済学におけるミクロ経済分析も進められるべ

き研究対象分野である . 20 世紀は人口爆発の世紀であったが , 21 世紀は人口老

齢化・人口減少の世紀へと代わっていく . 多くの開発途上国が , 先進国の幾多

の(高コストの)社会保障制度をまねて高齢化社会に対応することは不可能で

あり , ここでも地域住民のネットワークなど , 社会資本の果たす役割が不可欠

であると思われる .

自由・民主主義と経済成長との関係(Freedom matters?; Democracy matters?)

分析は, 特定の政治参加の権利等の指標を超えて, 今少し幅広く行われるべ

き研究分野ではある. ただし, 米国主導の「新自由主義」の意味での画一的な

自由・民主化は退潮し, 米国一極体制から今後多極化を進める世界の中で「自

由」の多様化が起こるのではないだろうか. 「開発」のプロセスや結果に影響

を及ぼす政治体制や制度は, 今後益々それらの果たす「機能」に注目して分析

され, 特定の体制・制度の画一的な押しつけや導入ではない, 「同機能」を果

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

38

たす土着の制度や, 各国に適応した制度の構築が進むのではないだろうか.

経済開発の概念や対象分野そのものが経済成長から大きく拡大していること

は先に示した. 開発経済理論, 経済成長理論は高所得水準と高成長の「要素・

要因」を探し求め続けるが, その過程で, これからも政治, 制度, 社会, 人間

と分析対象領域を拡げていくことになるだろう.

人間の合理性を少なくとも部分的には否定し, 感情を加味した「幸福の経済

学」が今後拡大していくのであれば, それらを取り入れる経済開発(理論)では,

やはり「開発」の結果達成される「人間の状態」において目的(関数)が設定さ

れることにもなろう. 「人間が人間らしく生きる能力を有した状態」をエンパ

ワーされた状態と呼ぶのであれば,‘ empowerment’ によって「 ’empowered’され

た人間の状態」達成が「(経済)開発の目的」とされるのかもしれない .

5. 経済開発の主要課題

本節では , 開発経済学者が(経済)開発の課題として取り組んできた諸問題

の中から主要と思われるものを選んで提示することにより , 読者に経済開発

の対象領域についての認識を深めて頂きたい . 対象課題の中には , 純粋に経済

的な問題の他に , 前節までに紹介した経済開発の対象領域の拡大を反映した諸

課題も多い . 開発経済学の教科書では一般に ,「開発」の議論において解決され

た(同意が得られた)とされる課題・設問 , 未だにその答えの出ていない課題・

設問 ,(1つの課題の解決から生まれた2次的な課題を含めて)新しく生まれて

きた課題・設問等に分類して諸課題を提示することが多いが , 実は開発経済学

者の間でも「解決」に同意が得られていないものが多く , また一度解決したと

される課題が , 「開発」の行われる環境・コンテクストの変化から再度問題視

されることも多い . よって本節では ,少し違った視点からの分類法を使用して

諸課題を提示することとする . また ,本書の第 II 部において , も重要と思わ

れる開発課題が課題毎に学際的に取り扱われるので , ここでは課題内容の説明

に止め , 議論の方向性や結論等には言及しないこととする .

5.1 「貧困削減の三角形」に関して

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

39

1) 経済成長は貧困削減の必要十分条件であるか?

経済開発は所得と雇用の増大 , 即ち経済成長を通して貧困削減を目指すもの

である . 過去 , 経済成長の果実はトリクルダウンを通じて途上諸国の貧困削減

をもたらしてきたか? 経済成長は貧困削減の必要条件なのか必要十分条件な

のか? ‘Growth’ を ‘Pro-Poor Growth’とする要件は何か?

2) 経済成長の要因は何か?

世界には何故, 高経済成長を経験する諸国と低成長に喘ぐ諸国が存在するの

か? 世界には何故, 高所得の諸国と低所得の諸国が同時に存在しているの

か? 何が高経済成長, 高所得を規定する要因・要素であるのか?

3) 経済成長(所得増大)と不平等との間にはトレード・オフが存在するのか?

経済成長と所得不平等との間に普遍的な関係が存在するか ? 経済成長は所得

の不平等を伴うものであろうか? 所得・資産不平等は , 経済成長を加速する

か減速するか? 地理的な不平等( spatial inequality)についてはどうであろ

うか ? 国家開発と地域開発の間にはどのような整合性が保たれるべきであろう

か? より平等かつ高成長を目指すには何が必要とされるのか?

4) 投資と成長のインセンティブを損なわない再分配政策とは何か?

資産や成長の果実のより平等な分配・再分配が貧困削減に重要であるとされ

る . 同時に , 過度な所得再分配は , 投資家 , 起業家 , 企業の投資意欲をそぐこ

とも確認されている . 投資と成長のインセンティブを損なわない再分配政策と

は何か?

5) 農業開発は経済成長のエンジンであり得るか?

途上国の貧困層の多くが農村と農業に留まっている事実は , 貧困削減におけ

る農村開発の変わらぬ重要性を示唆している . 昨今 , アフリカやアジアで再台

頭している(工業化)に頼らない , 農業開発による成長の持続は可能か? 農

村・農業開発は都市化を伴う工業化による経済開発より(持続的に)‘Pro-Poor ’

であるか?

5.2 開発ガバナンス・制度に関して

6) 経済開発は政府主導で行われるべきか , 市場主導で行われるべきか?

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

40

途上国経済社会開発は政府主導で行われるべきであろうか , 市場主導で行わ

れるべきであろうか? 政府と市場の役割はどう変化しているのか? 構造主

義派における政府主導の国家開発計画の時代から , 新古典派再興による市場化

の流れ , 新内生的経済成長論から生まれたコーディネーターとしての政府の役

割の再確認へとパラダイムは変遷している . 「開発」のコンテクストで望まれ

る政府と市場の関係は何か?

7) 経済開発に 適な政治体制は何であろうか?

戦後多くの発展途上国が社会主義革命を経て社会主義化 , 共産主義化した .

その後 , 「歴史の終わり」, 冷戦の終結によって 1990 年代には資本主義の優位

性が証明されたと言われている . インドにおける民主化は飢餓の撲滅に貢献し

たとされているが , 東南アジアでは開発独裁が高成長をもたらし , 貧困の削減

をもたらしたと言われている . 対外経済援助の交換要件として民主化・民主主

義が強要されることも散見される今日 , 開発経済学者はこの問題にどう答えを

だしているのか?

8) 「東アジアの奇跡」「アジア成長モデル」は健在か? 他地域への適用性は

あるか?

政府と市場の良好な関係 , 高い貯蓄率と人的資源への投資を基に , 海外投資

受け入れによる輸出指向型開発戦略を展開して高成長を遂げた「東アジアの奇

跡」「アジア成長モデル」はアジア金融危機後も健在であるか? 変化が見ら

れるとすればそれは何か? 東アジアの成功体験(および失敗体験)は他の開

発途上地域に適用可能なものであるか?

9) ワシントン・コンセンサスに基づく途上国(経済)構造改革は成功したか?

1980 年代より国際開発金融機関のドグマであった「ワシントン・コンセンサ

ス 」 は 開 発 途 上 諸 国 の 経 済 社 会 開 発 に 寄 与 し た だ ろ う か ? 構 造 改 革

(Structural Adjustment)の光と影を検証すると , 途上諸国の経済社会体制を

先進諸国のそれに迎合させていくという基本戦略の是非はどうか? ポスト・

ワシントン・コンセンサスはどのように形成され , どこへ向かうべきか?

10 ) ガバナンスは経済開発にとって本当に重要なのか?

1980 年代から 1990 年代初頭へ続いた「構造改革」が多くの諸国で失敗であ

ったとされる時 , その理由の筆頭にガバナンスの欠如( lack of governance,

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

41

poor governance)が挙げられる . ガバナンスの諸要素は多様であるが , 今開発

コミュニティーにおいて共通項とされるものは何か? 経済開発の施政者の間

ではガバナンスは何を意味するのか? 実際 , ガバナンスの諸要素と経済開発

の間には検証可能な因果関係が存在しているのであろうか?

11) 地方分権化の流れは経済開発のトリクルダウンを促進するか?

グローバリゼーションの流れと並行して , アジアや世界各地ではローカリゼ

ーション , 地方分権化の流れが加速している . 地方分権化は地方住民の参加や

その声を反映して , 経済成長の利益の地域的トリクルダウンを推進するのであ

ろうか? 国家としての経済開発の効率性や整合性は犠牲にならないであろう

か? 開発途上にある諸国にとって望まれる地方分権化とはどのようなもので

あろうか?

5.3 グローバリゼーション下の「開発」に関して

12) 貿易の自由化 , 貿易統合は経済開発を促進するか?

戦後 , 開発途上諸国は , 経済的自立を求めた輸入代替政策(内向きの開発戦

略)から輸出指向政策(外向きの開発戦略)へと基本戦略を転換させてきた . 現

在 WTO のメンバーシップは途上諸国 にとって , 経済開発に必要不可欠な切

符であるとされる . 貿易自由化にまつわる種々の国々の成功体験と失敗体験か

ら我々は何を学んだか?

13) 金融の自由化 , 金融統合は経済開発を促進するか?

かつて米国議会で途上国援助擁護に使用された ’two-gap model’ の時代から ,

資金の乏しい開発途上諸国において , 開発の内部金融のみならず外部金融の機

会拡大は必須であるとされてきた . 民間金融に限れば , 開発の外部金融の恩恵

を受けている途上諸国の数は限られている(せいぜい 20-30 カ国) . 金融自由

化によって債務危機 , 金融危機に繰り返し巻き込まれる途上諸国も現れた . 金

融自由化が経済開発を促進するために必要とされる条件は何か? 我々は債務

危機 , (アジア)金融危機等から我々は何を学んだのか? 世界はブレトン・

ウッズ体制崩壊後 , 確固たる世界金融体制を再構築出来ないでいる . このよう

な条件下で開発資金を必要とする途上諸国の取るべき道は何か?

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

42

14) 国際 (労働 )人口移動は開発途上国を地理的制約から開放するか?

貿易や金融の自由化に比して , 対応やグローバルなシステム作りが遅れてい

るのが国際労働移動(労働市場統合)の分野である . 国際 (労働 )人口移動は , 途

上国を地理的制約から開放するのか ? 開発途上国と先進国の双方にとって望ま

しい「人的資源市場」の開放・統合とは何か?

15) グローバリゼーションは経済開発を促進するか?

グローバリゼーションは貿易 , 資金 , 情報・アイデア , 国境を越えた労働移動 ,

および海外投資活動に裏打ちされた多国籍企業の多国間生産ネットワークの拡

張に拠る世界経済のより緊密な結びつき , 統合を意味する . 多国籍企業の地球

規模の展開は途上国開発を促進するか? 多様な分野において伸展・深化するグ

ローバリゼーションは , 開発途上諸国の経済開発にどのような正の効果と負の

効果を及ぼしているのか? 途上諸国に求められているのは何か?

16) 自由貿易協定(FTA)などの地域協定は途上国開発の切り札なのか?

グローバリゼーションの流れは , リージョナリゼーションの流れも生んでい

る . ガット・ウルグアイ・ラウンドの成功により貿易障壁は地球規模で低くな

りつつあるにかかわらず自由貿易協定や地域経済連携協定などが花盛りなのは

何故か? WTO 交渉が暗礁に乗り上げつつある今 , 2国間や地域諸国間の交

渉の進展のスピード感は否応なしに高まっている . 開発途上諸国はこのような

地域協定をどう創出し , どう加わっていくべきか? 発言力の弱い個々の開発

途上諸国にとって , 地域協定は途上国開発の切り札と成り得るのであろうか?

17) IMF, World Bank, WTO 等を通じたグローバル・ガバナンスは途上国開

発を促進してきたか?

グローバリゼーションの進展により貿易や金融面での結合度が高まり , 自国

のコントロールの外にある要因で開発途上諸国の開発プロセスが頓挫すること

が多々見られることとなった . 途上諸国の経済社会開発を助ける国際貿易体

制 , 国際金融体制 , また環境や情報化を国際的に管理運営する地球公共財

(global public goods)の望まれる姿とは?

5.4 新たな挑戦・制約に関して

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

43

18) 経済開発と人間開発の間にはどのような因果関係があるのか?

新しい経済成長理論では , 人的資本(Human Capital)や知識資本(Knowledge

Capital)の重要性が強調されている . 社会構成員各自の人材や R&D への投資が

必要とされ , 新しい知識やアイデアが社会公共財となるよう政府の調整機能

(コーディネーション)が重要視される . 人的資本への投資はそれをファイナ

ンスする所得 , 経済成長によって支えられるものであるが , 人間開発が経済成

長を可能にし , 支えるものであることも確かである . 経済開発と人間開発の因

果関係をどうとらえ , どのような施策が採られるべきか?

19) 制度 , 社会資本構築は経済開発を促進するか?

近年 , 経済成長・経済開発達成に必要な諸要素 , 所得成長のポテンシャル

(steady state income level) 高揚と成長の安定性確保には , 法制度を含めた様々

な社会制度を含む制度的要因( institutions)および社会資本 (social capital)の構

築が必要であるとされるに至っている . これら新しく経済開発分析に取り込ま

れてきた諸要素は実際どの程度経済成長・経済開発を左右しているのであろう

か? 多様な開発途上諸国に必要とされる制度 , 社会資本にはどのような共通

項があるのであろうか?

20) 資源に富む国々の開発は容易なのか? 資源ガバナンスはどうあるべき

か?

エネルギーや鉱物資源に富む諸国において経済成長が停滞する現象は古くは

「オランダ病」や「資源の呪い」としてとらえられていた . アフリカ諸国を対

象とした実証分析でも , 資源に富む諸国が経済成長の達成により苦労している

姿が映し出されている . 1970 年代に台頭した資源ナショナリズムは持てる国と

持たざる国に途上諸国を 2 分化した . 21 世紀に入り , 資源ナショナリズムが再

台頭している . 21 世紀には化石燃料の枯渇がはじまり , 更に「貧困」にも重要

なインパクトを及ぼすとされる「水資源」の争奪もはじまる . 諸資源を持つ国 ,

持たざる国の開発戦略はどうあるべきか? 水資源を含んだ資源のグローバ

ル・ガバナンスはどうあるべきか?

21) 環境保全と経済開発の間にはトレード・オフが存在するのか?

地球温暖化が原因とされる異常気象が身近になった 21 世紀初頭の今 , かつ

て大量資源消費に支えられ経済成長を遂げた先進諸国の間には危機感が芽生え ,

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

44

環境保全の地球的枠組みが模索されている . 京都アジェンダにおいても WTO

の関係会合においても , 発展途上諸国は , 地球環境保全の行動とファイナンス

は先進国主体に行われるべきと主張している . 急成長する中国やインドにお

いて現在のペースでエネルギー消費を含めた環境消費が行われ , アメリカ等の

大量資源消費国がその生活様式を改めねば地球環境は破綻されると思われる .

現代の環境保全技術と , 排出権取引などの市場の工夫をこらしても経済開発と

環境保全は相容れないものであるのか? 開発途上諸国の経済成長と環境保全

の間にはトレード・オフが存在しているか? 地球環境資源のグローバル・ガバ

ナンスは途上国を巻き込みつつどう進展すべきか?

22) アジアをはじめとする老齢化に開発コミュニティーはどう対応すべき

か?

アジアにおいては , 日本のみならず中国 , 韓国 , タイ等において人口構成の

老齢化が急速に進行している . 世界の諸地域を見渡してもアジアの人口高齢化

(dependency ratio で見て)は他地域に先駆けて(10-15 年は早く)進行して

いることがわかる . 1960 年代末から 1970 年代を通じてアジアの旺盛な投資活

動は , この地域の ’dependency ratio’ の急速な低下に伴う貯蓄率の強い伸び

によって支えられてきた . 1 人当たり所得が OECD 加入水準に遥かに満たない

段階で老齢化を迎える開発途上諸国はどのような対策を講じて行くべきか?

また , 先進諸国の老齢化にともない , 開発・投資資金の流れはどのように変化

して行くのであろうか?

23) 援助は経済開発を促進しているか? 開発援助の今後のあるべき姿は?

開発援助(開発援助金融 , 開発政策支援 , 技術援助)は途上国経済社会開発

を促進してきたか? 多くの援助供与国で財政健全化が行われ , 援助のアカウ

ンタビリティの問われる現在 , また 9.11(同時多発テロ)以降の貧困削減とテ

ロとの戦いの関係付け以降 , (経済開発)援助のモダリティはどのように変化

していくのであろうか? 9.15(リーマン・ショック)以後の国際金融体制変

化のなかで , 公的資金 , 民間資金の役割と関係はどう変化するか? 開発金融

の将来はどうあるべきか?

24) 政策実行の順序 (sequence)をどう捉えるのか? 開発政策に時間軸を足す

べきか?

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

45

1990 年代以降 , ガバナンス論 , PRSP 導入 , アジア金融危機 , グローバル金

融・経済危機と(国際)開発において難問に直面する度に新しい「開発」や「経

済成長」の必須条件(十分条件ではない)が提示されてきた . 開発政策はどの

ような現状や成果に照らし合わせてどうような順番で施行されるべきか , 制

度( institutions)はどうような順に変化すべきか? 例えば , 開発独裁で開発

(発展)した後に民主化すべきか , 民主的制度の中で開発(発展)すべきか?

このように開発政策に時間軸を明確に導入する必要があるか? 世界銀行が

提案する包括的開発フレームワーク(CDF)が2次元の開発フレームワークで

あるとすると , 時間軸を足した3次元の開発フレームワークはどのように規定

され , 実行されるべきか?

25) 今後の経済開発やそのパラダイムを支える開発経済学はどう進化すべき

か?

現在開発経済学において, ミクロ面では情報の非対称や欠如やリスクを取り

込んだ開発のミクロ経済学, 制度経済学が進展し, マクロ面では技術進歩を内

生科し,政府の調整機能を重視する内生的成長論が進展している. 今後の開発

経済理論の発展は「開発の目的」を明示的に取り込むことに成功するか?「幸

福の経済学」の進展にともない, 開発経済学は「開発」のプロセス....

や結果..

だけ

でなくその目的..

をも扱う学問体系に進化し得るか? それともそれは(開発)経

済学者の奢りに過ぎないか?

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

46

** 引用文献 **

日本語文献

大坪滋 (2008),「経済成長―不平等―貧困削減の三角関係に関する一考察」,『国際開発研究フォ

ーラム』, 36, pp.21-44.

大坪滋(編) (2009), 『グローバリゼーションと開発(Leading Issues in Development with

Globalization)』勁草書房.

長田博 (2007), ”Pro-Poor Growth アプローチ,” 『国際開発研究フォーラム』, 33, pp.25-41.

欧文文献

Ahluwalia, Montek (1976), “Inequality, Poverty and Development,” Journal of Development Economics,

3(4), pp.307-342.

Ahluwalia, Montek, Carter, N.G. and Chenery, Hollis (1979), “Growth and Poverty in Developing

Countries,” Journal of Development Economics, 6(3), pp.299-341.

Barro, Robert J. and X. Sala-i-Martin (1995), Economic Growth, McGraw-Hill.

Barro, Robert J. (1997), Determinants of Economic Growth: A Cross-Country Empirical Study, MIT Press.

Barro, Robert J. (1999), “Inequality, Growth, and Investment,” Paper presented at the World Bank

Macroeconomics Workshop, mimeo.

Benabou, Roland (1996), “Inequality and Growth,” NBER Macroeconomics Annual, 1996, pp.11-74.

Bourguignon, Francois (2003), “The Growth Elasticity of Poverty Reduction,” in Eicher, T. and Turnovsky,

S. eds., Inequality and Growth, MIT Press.

Bourguignon, Francois (2004), “The Poverty-Growth-Inequality Triangle,” Paper prepared for the Indian

Council for Research on International Economic Relations—World Bank Lecture, India Habitat Center,

New Delhi, February 4.

Brinkman, Richard (1995), “Economic growth versus economic development: Toward a conceptual

clarification,” Journal of Economic Issues, 29, pp.1171-1188.

Bruno, Michael, Ravallion, Martin and Squire, Lyn (1996), “Equity and Growth in Developing Countries:

Old and New Perspectives on the Policy Issues,” World Bank Policy Research Working Paper, No.

2375, The World Bank.

Bruno, Michael, Ravallion, Martin and Squire, Lyn (1998), “Equity and Growth in Developing Countries:

Old and New Perspectives on the Policy Issues,” In Vito Tanzi and Ke-Young Chu eds., Income

Distribution and High Growth, MIT Press.

Collier, Paul (2007), The Bottom Billion, Oxford University Press [邦訳:コリア-, ポール (2008), 『

底辺の 10 億人』(中谷和男訳)日系BP社]

Datt, G. and Ravallion, M. (1992), “Growth and Redistribution Components of Changes in Poverty

Measures: a Decomposition with Application to Brazil and India in the 1980s,” Journal of Development

Economics, 38(2), pp.275-295.

Deininger, Klaus and Squire, Lyn (1996), “A New Data Set Measuring Income Inequality,” World Bank

Economic Review, 10(3): 565-91.

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

47

Deininger, Klaus and Squire, Lyn (1998), “New Ways of Looking at Old Issues: Inequality and Growth,”

Journal of Development Economics, 57(2), pp. 257-285.

Deininger, Klaus and Olinto, Pedro (2000), “Asset Distribution, Inequality, and Growth,” World Bank

Policy Research Working Paper, No. 2375, The World Bank.

Dollar, David and Krray, Aart (2002), “Growth is Good for the Poor,” Journal of Economic Growth, 7(3),

pp. 195-225.

Easterly, William (2001), The Elusive Quest for Growth: Economists’ Adventures and Misadventures in the

Tropics, The MIT Press [邦訳:イースタリー,ウィリアム (2003), 『エコノミスト 南の貧困と闘

う』(小浜裕久, 織井啓介, 冨田陽子訳)東洋経済新報社]

Fields, Gary (2001), Distribution and Development: a new look at the developing world, MIT Press.

Forbes, Kristin (1998), “A Reassessment of the Relationship between Inequality and Growth,” MIT mimeo.

Galor, Oded and Zeira J. (1993), “Income Distribution and Macroeconomics,” Review of Economic Studies,

60, pp.35-52.

Hirschman, Albert O. (1958), The Strategy of Economic Development, Yale University Press [邦訳:ハーシ

ュマン, アルバート O. (1961), 『経済発展の戦略』(小島清監修, 麻田四郎訳)厳松堂出版]

Hirschman, Albert O. (1968), ”Political Economy of Import Substituting Industrialization,” Quarterly

Journal of Economics, February

Kuznets, Simon (1955), “Economic Growth and Income Inequality,” American Economic Review, 45,

pp.1-28.

Kuznets, Simon (1963), “Quantitative Aspects of the Economic Grwoth of Nations: VIII, Distribution of

Income by Size,” Economic Development and Cultural Change (Part 2), pp. 1-80.

Lewis, W. Arthur (1954), “Economic Development with Unlimited Supplies of Labor,” Manchester School

of Economics and Social Studies, May, pp.139-91.

Li, Hongyi and Zou, Heng-fu Zou (1998), “Income Inequality Is Not Harmful for Growth: Theory and

Evidence,” Review of Development Economics, 2(3), pp. 318-34.

Myint, Hla (1954-55), “Gains from International Trade and Backward Countries,” Review of Economic

Studies, 22(58), pp.129-42.

Nurke, Ragnar (1953), Problems of Capital Formation in Underdeveloped Countries, Oxford University

Press.

Paukert, F. (1973), “Income distribution at different levels of development: a survey of the evidence,”

International Labour Review, 108, pp. 97-125.

Perotti, Roberto (1996), “Growth, income distribution, and democracy: What the Data Say,” Journal of

Economic Growth, 1(2), pp. 149-187.

Prebisch, Raul (1950), The Economic Development of Latin America and Its Principal Problems, ECLAC.

Ravallion, Martin (2005), “Inequality is Bad for the Poor.” World Bank Policy Research Working Paper,

No. 3677, The World Bank.

Romer, Paul M. (1986), "Increasing Returns and Long-run Growth," Journal of Political Economy , 94

(October), pp.1002-37.

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

48

Romer, Paul M. (1990), "Endogenous Technological Change," Journal of Political Economy, 98 (October),

pp.71-102.

Rostow, W.W. (1959), “The Stages of Economic Growth,” Economic History Review (August 1959).

Rostow, W.W. (1960), The Stages of Economic Growth: A Non-Communist Manifesto, Cambridge

University Press.

Rostow, W.W. (1963), "The takeoff into Self-Sustained Grwoth," in Agarwala and Singh, The Economics of

Underdevelopment, Oxford Univ. Press, pp. 154-186.

Schultz, Theodore W. (1956), “The Role of Government in Promoting Economic Growth,” in L.D. White

ed., The State of the Social Science, University of Chicago Press.

Seers, Dudley (1969), ”The meaning of development,” Paper prepared for the 11th World Conference of the

Society for International Development, New Delhi.

Sen, Amartya (1999), Development as Freedom, Anchor Books [邦訳: セン, アマルティア(2000), 『自

由と経済開発』(石塚雅彦訳) 日本経済新聞出版社].

Sen, Amartya (1999), “Assessing Human Development,” Human Development Report, 1999, UNDP, p.23

[邦訳: セン, アマルティア(1999),「人間開発の評価」国連開発計画『人間開発報告書 1999 年

版』(北谷勝秀, 椿秀洋, 恒川恵市訳) 国際協力出版会, p. 29].

Singer, Hans (1950), “The Distribution of Gains between Investing and Borrowing Countries,” American

Economic Review, 40(May), pp.473-85.

Solow, Robert M. (1956), “A Contribution to the Theory of Economic Growth,” Quarterly Journal of

Economics, 70(February), pp.65-94.

Solow, Robert M. (1957), “Technical Change and the Aggregate Production Function,” Review of

Economics and Statistics, 39, pp.312-20.

Streeten, Paul (1999), “10 Years of Human Development,” Human Development Report, 1999, UNDP,

pp.16-17 [邦訳: ストリーテン, ポール(1999), 「人間開発の 10 年」国連開発計画『人間開発

報告書 1999 年版』(北谷勝秀, 椿秀洋, 恒川恵市訳) 国際協力出版会, pp. 22-23].

Todaro, Michael P. and Smith, Stephen C. (2009), Economic Development, 10th ed., Addison Wesley [邦訳

(2003 年の第 8 版の訳書): トダーロ, マイケル・P およびスミス, ステファン・C (2004), 『ト

ダロとスミスの開発経済学』(岡田靖夫監訳, OCDI 開発経済研究会訳) 国際協力出版会].

UNDP (1997), “Governance for sustainable human development.”

Viner, Jacob (1953), International Trade and Economic Development, Oxford University Press.

World Bank (1992), Governance and Development, World Bank.

World Bank (1993), The East Asian Miracle: Economic Growth and Public Policy, Oxford University

Press [邦訳:世界銀行 (1994), 『東アジアの奇跡―経済成長と政府の役割』(白鳥正喜監訳)東

洋経済新報社]

World Bank (1994), Adjustment in Africa: Reforms, Results, and the Road Ahead, Oxford University Press.

World Bank (2006), World Development Report 2006: Equity and Development,Oxford University Press

[邦訳:世界銀行 (2006), 『世界開発報告 2006: 平等と開発』(田村勝省訳)一灯舎].

World Bank (2007), World Development Indicators 2007 CD-ROM.

World Bank (2008), World Development Indicators 2008 CD-ROM and Supplement.

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

49

** 参考文献ガイド ** 先ず , 開発経済学で伝統的に扱う「経済成長・不平等・貧困の三角形」を正しく理解

し , また‘Pro-Poor Growth’ の系譜を理解しておくために以下の 2 論文を読んで頂きた

い . 両論文とも経済学を専門としない読者にも理解されるように執筆されており , 以下

の URL よりダウンロードできる<http://www.gsid.nagoya-u.ac.jp/bpub/research/public/

forum/index.html> .

大坪滋 (2008),「経済成長―不平等―貧困削減の三角関係に関する一考察」,『国際

開発研究フォーラム』, 36, pp.21-44.

長田博 (2007), ”Pro-Poor Growth アプローチ ,” 『国際開発研究フォーラム』 , 33,

pp.25-41.

開発と不平等との関係に興味を持たれた読者は, 是非 World Bank (2006), World

Development Report 2006: Equity and Development,Oxford University Press [邦訳:世界銀

行 (2006), 『世界開発報告 2006: 平等と開発』(田村勝省訳)一灯舎]を一読すること

を勧めたい.

「何故貧困は無くならないのか」という経済開発の1大テーマを扱い, 過去 50 年間

の途上国経済運営の失敗の上に「貧しい人々に貧しさから抜け出すインセンティブ」を

与えよと主張する,

Easterly, William (2001), The Elusive Quest for Growth: Economists’ Adventures and

Misadventures in the Tropics, The MIT Press [邦訳:イースタリー,ウィリアム

(2001), 『エコノミスト 南の貧困と闘う』(小浜裕久, 織井啓介, 冨田陽子訳)

東洋経済新報社]

も一読されたい. 同様に, アフリカ経済研究の権威で, 世界銀行の開発研究グルー

プ・ディレクターも努めたオックスフォード大学のポール・コリア-が「何故 貧国は

貧困から抜け出せないでいるのか」「この も貧しい国々のために本当になすべきこと

は何か」を論考した以下の書も勧めておきたい.

Collier, Paul (2007), The Bottom Billion, Oxford University Press [邦訳:コリア-, ポ

ール (2008), 『 底辺の 10 億人』(中谷和男訳)日系BP社]

本章第 2 節で開発経済学の変遷や潮流を紹介したが, それは筆者が 1980 年代初めの

スタンフォード大留学時代から(経済)開発思想の師と仰ぐマイヤー教授の以下の 2 冊

に大きな影響を受けている.

Meier, Gerald M. and Stiglitz, Joseph E. (2000), Frontiers of Development Economics:

The Future in Perspective, Oxford University Press [邦訳:マイヤー, G.M. および

スティグリッツ, J.E. (2003), 『開発経済学の潮流―将来の展望』(関本勘次, 近

藤正規, 国際協力研究グループ訳)シュプリンガー・フェアラーク東京].

Meier, Gerald M. (2004), Biography of a Subject, Oxford University Press [邦訳:マイ

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

50

ヤー, G.M. (2006), 『開発経済学概論』(渡辺利夫, 徳原悟訳)岩波書店].

『開発経済学概論』は, 「何が開発途上国の経済成長の源泉か」「何によって国家間の

開発実績の格差が説明できるか」「どのような政策が開発の促進に も適合的か」とい

う問いを持って, (経済開発から人間開発に至る)開発経済学の体系化を行っている.

また「グローバル化の衝撃」等の新課題も扱っている. 高度な経済開発の思想論や成

長理論等も平易な著述で紹介されている.

本章でも紹介したが, 「人間開発」という新たな開発概念を提唱し, 経済開発を「手

段」として位置づけつつ, その領域拡大や目的設定に寄与したセンの以下の著作は是非

読んで頂きたい.

Sen, Amartya (1999), Development as Freedom, Anchor Books [邦訳: セン , アマルテ

ィア(2000) , 『自由と経済開発』(石塚雅彦訳) 日本経済新聞出版社].

開発経済学の所謂 , 教科書と呼ばれるものは色々あるが , 先ず原著で以下のグローバ

ル・スタンダードの教科書にチャレンジされることを薦める .

Todaro, Michael P. and Smith, Stephen C. (2009), Economic Development, 10th

ed., Addison Wesley. あるいは ,

Perkins, Dwight H., Radelet, Steven, and Lindauer, David L. (2006), Economics

of Development, 6th ed., W.W. Norton.

Todaro and Smith の Economic Development, 8th ed.(2003)には邦訳 , トダーロ , マイケ

ル・P およびスミス , ステファン・C (2004), 『トダロとスミスの開発経済学』(岡田靖

夫監訳, OCDI 開発経済研究会訳) 国際協力出版会 があるので, この版については(含

まれる開発関連のデータ等は少し古くなるが)日英両語を比較しながら読むことが出来

る. 日本語文献の中からは先ず , マイヤー , G.M. 編(1999),『国際開発経済学入門』(松

永宣明・大坪滋訳)勁草書房 を読んで頂きたい . 欧米で開発経済学の読本として著名

な Meier, Gerald M. (1995), Leading Issues in Economic Development, 6th ed., Oxford

University Press の中から , 開発の歴史的・理論的考察に関する章と国際経済と開発に関

する章 , および政府の役割に関する章を選りすぐり , 新たな論文も含めて日本の読者向

けに翻訳したもので , 内容の質が大変高い . 白井早百合(2008) ,『マクロ開発経済学:

対外援助の新潮流』有斐閣, 第1章「経済格差のマクロ経済学」の一読も勧めたい . こ

れも学部レベルの教科書で誰でも容易に読める . 日本語の開発経済学教科書には他

に, 以下のようなものがある.

絵所秀紀(1997), 『開発の政治経済学』日本評論社 .

野上裕生(2004), 『開発経済学のアイデンティティ』経済協力シリーズ第 204 号 ,

ジェトロ・アジア経済研究所 .

ジェトロ・アジア経済研究所 , 朽木昭文 , 野上裕生 , 山形辰史(編)(2004), 『テ

キストブック開発経済学』有斐閣ブックス .

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

51

黒崎卓, 山形辰史(2003), 『開発経済学 貧困削減へのアプローチ』日本評論社 .

高橋基樹 , 福井清一(編)(2008), 『経済開発論―研究と実戦のフロンティア』

勁草書房 .

次に ,「グローバリゼーションと開発」について , 経済 , 制度 , 政治 , 文化・社会の側面

からグローバリゼーション下の種々の開発課題を提示した学際的テキストとして以下

を薦めたい .

大坪滋(編)(2009), 『グローバリゼーションと開発(Leading Issues in Development

with Globalization)』勁草書房.

今日の経済開発や国際開発は , モノ・ヒト・カネを通じた経済統合や , 情報 , 制度 , イ

デオロギー , 文化等のグローバリゼーションの伸展というコンテクストの中で考えて

いかねばならず , グローバリゼーションの諸相を正しく理解し , その下での開発の主要

課題を知らねばならないからだ . また , 「グローバリゼーション」と「経済成長・不平

等・貧困」の概説書として , World Bank (2002), Globalization, Growth, and Poverty:Building

an Inclusive World Economy, Oxford University Press [邦訳:世界銀行 (1992), 『グローバ

リゼーションと経済開発』(新井敬夫訳)シュプリンガー・フェアラーク東京]も薦めて

おきたい.

統計分析や計量経済分析結果を理解する読者は , 関連議論に大きく影響を及ぼした

以下の著作・論文も読破したい .

Barro, Robert J. (1997), Determinants of Economic Growth: A Cross-Country Empirical

Study, MIT Press.

Dollar, David and Krray, Aart (2002), “Growth is Good for the Poor,” Journal of

Economic Growth, 7(3), pp. 195-225.

Ravallion, Martin. 2005. “Inequality is Bad for the Poor.” World Bank Policy

Research Working Paper, No. 3677. Washington D.C.: The World Bank.

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

52

** インターネット・リソース **

開発経済学に興味を持たれた読者に , 以下のインターネット・リソースの活用

を薦めたい .

① 開発経済学の初学者向けのオンライン・チューター( tutor2u サイト内):

http://www.tutor2u.net/maps/economics/OCR_Econ_AS_Unit2886.pdf

英語サイトではあるが経済開発の諸概念や諸理論が順序立てて , 平易かつ簡

潔にまとめられている .

② 世界銀行の開発トピックのサイト:

http://www.worldbank.org/html/extdr/thematic.htm

貧困 , MDGs,マクロ経済と成長 , グローバリゼーション , 社会開発 , 教育 , 環

境等々様々な開発関連トピックの情報サイトへの窓口が用意されている .

貧困や不平等に関するデータを入手したい読者には以下を薦めておきたい .

③ 世界銀行の「貧困ネット」「貧困計算」「貧困と不平等」の各サイト:

http://www.worldbank.org/poverty/

この中の ”Data and Tools”コーナーに , 貧困と不平等に関する Deininger and

Squire (1997) およびこれを拡張した UNU/WIDER(2000)の所得・消費不平等

データへのリンクがある .

④ 世界銀行の「貧困計算ネット(PovcalNet)」のサイト:

http://iresearch.worldbank.org/PovcalNet/

ここでは世界銀行の種々の貧困関連報告書の貧困係数を再現(再計算)出来

る .

⑤ 国連大学世界開発経済研究所の不平等データベース・プロジェクト:

http://www.wider.unu.edu/research/Database/en_GB/database/

“UNU-WIDER World Income Inequality Database, Version 2.0c, May 2008”が利

用可能 .

人間開発の概念や , 諸指標を学びたい読者には以下を薦める .

⑥ 国連開発計画(UNDP)の『人間開発報告』サイト:

http://hdr.undp.org/en/

⑦ 『人間開発報告』のデータ・サイト:

http://hdr.undp.org/en/statistics/data/

新の人間開発指標が入手出来る . またこの中の「人間開発アニメーション」

では , 人間開発と経済開発(経済成長)との関係をアニメーションで示して

おり , 大変興味深い .

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

53

Column 1-1

ソロー・スワン新古典派経済成長理論とその後の経済成長論

生産活動はある技術の元に資本(K)と労働(L)を投入要素として行われる.

一般的な生産関数は式 (1) のように表される.

Y = F(K, L) (1)

F で表される生産技術の元で, 資本と労働の投入量をそれぞれ 2 倍にすると,

生産量もまた 2 倍になる. これを「規模に関する収穫が不変 (constant returns to

scale: CRTS)」と言う . 生産量(Y)を労働投入者数(L)で除すと懸案の「 1 人

当たりの生産量(所得)」が得られるので (1) 式の両辺を L で割ると ,

y = Y/L = F(K/L, 1) = f(k) (2)

となり, 1 人当たりの生産量( y)は 1 人当たりの資本量(k)の関数(f)として表

される. k は資本労働比率と呼ばれ, これが増大する過程を「資本深化( capital

deepening)」と言う. ここで 1 人当たりの所得とは 1 人当たりの生産量,即ち労

働生産性と同義であり, その水準は資本深化の水準に依存すると言う経済成長

論の基本が読み取れる.

図 B1-1-1 に表される (2) 式の生産関数

はまた, 「資本の限界生産性逓減の法則

( law of diminishing marginal productivity of

capital)」に支配されると仮定される. 例え

ば, ある一定数の労働者(L)の働く縫製

工場を想像し, そこで使用されるミシンの

台数(K)を増やしていく過程を考えると

良い. 初は手縫いで行っていた縫製作業

の効率がミシンの導入で飛躍的に増大する

が, ミシンの数が増えていき, 労働者 1 人当たりのミシン割り当てが増えてく

ると, 追加で足したミシン 1 台から得られる追加の縫製済みシャツの枚数(こ

れを限界生産物と言う)は減ってくる. 特に労働者 1 人に 1 台のミシンが行き

渡った後は , 追加でミシンを導入してもそれ以上シャツの生産枚数は増えない

ことが想像されるであろう . このように資本深化が 1 人当たり生産量(所得)

の増大に与える影響は深化が進むにつれて逓減するのである.

さて, 資本深化のスピード(∆k/k)は以下のように展開される.

∆k/k = ∆K/K - ∆L/L = (I – dK)/K – n = sY/K – (n+d) (3)

ここでは, 資本ストックの純変化量(∆K)が新規投資量( I)から減価償却量

( dK; d は減価償却率)を差し引いた量であることと, 新規投資( I)は貯蓄( sY;

図 B1-1-1 生産関数

y

k

y = f(k)

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

54

s は貯蓄率)によって賄われると入った関係が盛り込まれていると同時に, 労

働増加率を(人口増加率と同じく)n としている. (3)式の両辺に k(= K/L)

を掛け , y = Y/L で変換すると , 「ソローの成長方程式」と言われる式 (4) が得

られる .

∆k = sy – (n+d)k (4)

(4) 式は , 1 人当たり生産量(所得)を左右する資本深化( 1 人当たりの資本

量増加)は , 1 人当たりの貯蓄( sy) , 貯蓄率( s)と正の相関関係にあり , 人口

増加率( n) , 資本減耗率( d)と負の関係にあることを示している . 資本深化

(∆k)は , 1 人当たりの貯蓄( sy)に支えられた新規投資から人口増加と資本減

耗に対して 1 人当たりの資本量を維持するための(資本拡張;capital widening)

投資( (n+d)k)を差し引いたものと等しいとも言える .

このソロー成長方程式の関係を図示したものが図 B1-1-2 である. この図で,

1 人当たりの貯蓄曲線( sy)と 1 人当たりの資本量維持の投資線( (n+d)k)が交

わる A 点において , 両項の値が等しくなり資本深化(∆k)はゼロとなり , 1 人当

たりの資本量が k0 で固定され定常状態が出現する . 資本深化がまだ足りない場

合(例えば図の k1 レベル)は , 1 人当たりの貯蓄に支えられた新規投資が資本

拡張分の必要投資量を上回り

1 人当たり資本量( k)は増加

する . 逆に資本深化が行きす

ぎた場合は((例えば図の k2

レベル)では新規投資量が 1

人当たりの資本量維持に必要

な量を下回り , 1 人当たり資

本量( k)は減少する . かくし

て , A 点は安定的な定常点

( steady state)となる . こ

の時の 1 人当たりの生産量

(所得) y0 は , 定常状態における 1 人当たりの所得水準( steady-state per

capita income)あるいは長期所得水準 , 潜在的な 1 人当たりの生産水準

(potential level of output per worker)などと呼ばれる . この図からは , 定常

1 人当たり資本量 k0 に向って労働者 1 人当たりの資本量が少ない水準から増加

していく場合 , それに伴う 1 人当たり生産量(所得)の伸び(経済成長率)は ,

k の水準が低いときには高く , k が高まるにつれて低下すること(生産関数 y =

f(k) の傾きがよりフラットになっていくため)も見て取れる . これは同じ定常

点 A や定常所得水準 y0 を共有する国家の間では , 資本深化の進み具合が未だ低

図 B1-1-2 ソロー経済成長モデル

y2

y0

y1

k2k0k1

A

y

k

(n+d)k

y=f(k)

sy

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

55

く , 所得水準の低い国ほど , より高い経済成長率を実現することを示唆してい

る . またこの図で , 定常点 A 点(および定常 1 人当たり資本量 k0 定常所得 y0)

は , 諸関数(図の曲線 , 直線群)の形状や位置に依存していることがわかる . 例

えば貯蓄率( s)が増加すれば , sy 曲線が上昇し , (n+d)k 線との交点である定常

点 A は右上に移動し , この時 , 定常 1 人当たり資本量 k0 定常所得 y0 も増加す

ることがわかる . 人口増加率( n)が高まれば (n+d)k 線は反時計回りに上昇し , sy

曲線との交点である定常点 A は左下に移動し , 定常 1 人当たり資本量 k0 定常

所得 y0 も減少することがわかる . 技術水準(全要素生産性)が高まれば , 生産

関数( y = f(k))とそれにつれて貯蓄曲線( sy)も上昇し , やはり定常点 A の右

上への移動とともに定常所得 y0 も増加する . 従って , 何が定常点 A を規定する

要素 , パラメターかを見極めることは経済開発において 重要課題であると言

える . 定常所得水準を規定する諸要素の探索を深めた代表的な研究には Barro

and Sala-i-Martin (1995), Barro (1997)等がある .

新古典派経済成長モデルでは技術(水準)は外生的に所与のものとして取り

扱われているが , 理論的には定常状態に達した後は停滞すると考えられる定常

所得 y0 が伸び続けるためには労働生産性の絶え間ない上昇が不可欠であるこ

とを示した点も忘れてはならない . これは (1) 式の労働投入量(L)を労働の

効率投入量( effective units of labor)(TL)で置き換えてソロー方程式を拡張す

ると明らかである . ここで T は労働増大的技術進歩(あるいはハロッド中立的

技術進歩)であり ∆T/T = θ とすると (1), (2), (4) 式は,

Y = F(K, TL) (1)’

ye = Y/TL = F(K/TL, 1) = f(ke) (2)’

∆ke = sye – (n+θ+d)ke (4)’

と書き換えられる . ここで ye および ke はそれぞれ 1 効率労働者( effective worker)

当たりの生産量と資本量である . 図 B1-1-2 のソロー経済成長モデルで, y およ

び k はそれぞれ ye および ke に , n を n+θ に置き換えて考えてみて頂くと良いの

だが , この場合 , 定常点 A での定常所得水準は ye と一定になるが , 効率労働者

ではなく物理的労働者 1 人当たりの生産量(所得)は , ∆T/T = θ で増大し続け

ることとなる .

その後の所謂「新経済成長理論」では , ここで重要とされた技術水準向上の

パターンを解明し , 技術変化を内生的に扱う試みがとられている . また , 従来

の生産技術の枠に捕らわれないアイデア , 人的資本 , 情報資本等の「公共財」

の蓄積による外部経済効果(直接コストを払わない外部者にもその恩恵が及ぶ

こと)を重要視し , 伝統的な生産関数が規模に関する収穫不変や限界生産性逓

『国際開発学入門―開発学の学際的構築』「第I部:開発, 国際開発とは何か」 「第1章:開発経済学の視座」

(大坪:出版社提出初稿:2009 年 8 月 3 日)

56

減の法則から解放される可能性をも示唆している . これらの新経済成長論では ,

政府がインフラ整備 , 投資関連制度構築等の投資基盤整備に努めると共に , 企

業間の投資活動の調整を図り , 技術進歩に繋がる投資を奨励することが重要と

される . 市場一辺倒ではなく , 政府の , 新しい調整役としての役割

( coordinator ’s role of government)が重要だと , 捉えるのである .