図版 Ⅰ 熊岡美彦《台南の農家》1938年 -103 - 近 代 美 術 の 寄 港 地 ・...

Click here to load reader

  • date post

    04-Mar-2020
  • Category

    Documents

  • view

    1
  • download

    0

Embed Size (px)

Transcript of 図版 Ⅰ 熊岡美彦《台南の農家》1938年 -103 - 近 代 美 術 の 寄 港 地 ・...

  • - 101 -

    図 版 Ⅰ 熊 岡 美 彦 《 台 南 の 農 家 》 1938年

    P101_146岡部先生.qxd 09.2.27 2:15 PM ページ 101

  • - 102 -

    図版Ⅱ 津田巌《台湾風景》 1930年代

    P101_146岡部先生.qxd 09.2.27 2:15 PM ページ 102

  • - 103 -

    近 代 美 術 の 寄 港 地 ・ 台 湾 へ の 憧 憬 ― 熊 岡 美 彦 の 美 術 作 品 を 中 心 に

    岡   部   昌   幸

    我 が 史 学 科 と 美 麗 国 ・ 台 湾 の 橋 渡 し を し て く れ た 蔡 易 達 先 生 、 石 田 憲 司 先 生 に 捧 ぐ

    目 次

    カ ラ ー 図 版

    一 、 台 湾 と 日 本 近 代 美 術 ― 寄 港 地 と 日 本 主 義

    二 、『 台 湾 美 術 』 と 芸 術 触 媒 と し て の 台 湾

    三 、 熊 岡 美 彦 の 海 外 体 験

    四 、 熊 岡 美 彦 の 台 湾 作 品

    P101_146岡部先生.qxd 09.2.27 2:15 PM ページ 103

  • 一 、 台 湾 と 日 本 近 代 美 術 ― 寄 港 地 と 日 本 主 義

    私 が 台 湾 と 日 本 近 代 美 術 の 関 係 に つ い て 関 心 を 持 ち 始 め て か ら 二 十 五 年 以 上 に な る 。 そ の 出 会 い は 、 建 築 史 な

    ど で 台 湾 か ら 日 本 に 留 学 し て い た 何 人 か の 研 究 者 と の 直 接 的 な 交 遊 と い う 幸 運 か ら で も あ っ た が 、 長 い 間 、 直 接

    で は な く 間 接 的 な 接 触 の 仕 方 で あ っ た 。 そ れ は 日 本 近 代 美 術 史 の 研 究 を 進 め る う ち に 、 自 然 と 台 湾 が 魅 力 あ る テ

    ー マ と し て い わ ば 心 に 刷 り 込 ま れ て い っ た の で あ る 。

    何 故 か 。 自 ら が 直 接 に 台 湾 を 訪 れ 、 そ の 事 物 や 風 景 を 体 験 し 、 感 激 す る の で は な い 。 た だ 、 日 本 近 代 美 術 に は

    数 多 く の 台 湾 テ ー マ が あ る 。 し か も 、 そ の い く つ か は 美 術 史 上 重 要 な 画 家 の 画 家 た ち が 描 い た 作 品 で あ る 。 た と

    え ば 、 日 本 画 で は 橋 本 雅 邦 の 愛 弟 子 で 東 京 美 術 学 校 の 助 教 授 で も あ っ た 西 郷 孤 月 ( 一 八 七 三 ― 一 九 一 二 ) の 《 台

    湾 風 景 》 ( 山 種 美 術 館 蔵 ) は 、 こ の 薄 幸 の 鬼 才 の 晩 年 の 代 表 作 で あ る ば か り で な く 、 近 代 日 本 画 の 歴 史 を 語 る う

    え で 避 け て は 通 れ な い 岡 倉 天 心 と 日 本 美 術 院 の 美 術 運 動 の 時 代 の な か で 、 そ の 代 表 的 作 例 と し て 取 り 上 げ ら れ る

    こ と も あ る 。

    さ ら に 、 注 意 深 く そ の 《 台 湾 風 景 》 を 見 て い け ば 、 西 郷 孤 月 が 日 本 美 術 院 を 離 れ 放 浪 の 末 に 一 九 一 二 ( 明 治 四

    十 五 年 ) た ど り 着 い た 台 湾 の 台 北 で 発 病 し 、 同 年 東 京 に 戻 り 亡 く な る 年 の 、 悲 運 の 人 生 と 惜 し ま れ る 才 能 が 潜 ん

    で い る 。 そ れ だ け で は な い 。 そ こ に は 歴 史 も 描 か れ て い る 。 熱 帯 樹 の 生 い 茂 る 緑 の 濃 い 田 園 風 景 に は 近 代 的 な 精

    糖 工 場 が 描 か れ て い る の が わ か る 。 つ ま り 、 日 本 近 代 美 術 史 を 丹 念 に 辿 っ て い く と 描 か れ た 台 湾 を 見 る こ と に な

    る 。 そ し て 、 台 湾 の 歴 史 も 見 る こ と に な る 。

    - 104 -

    P101_146岡部先生.qxd 09.2.27 2:15 PM ページ 104

  • 私 た ち は 、 美 術 を 辿 る こ と で 、 台 湾 と そ の 人 び と を 見 て い る の で あ る 。 し か し 、 あ く ま で も 直 接 的 な 関 係 で は

    な い 。 美 術 作 品 と し て 鑑 賞 を す る 間 接 的 な 関 係 で あ る 。 こ の 間 接 的 関 係 を 生 む も の こ そ 、 作 家 の 感 動 で あ り 、 創

    造 力 な の で あ る 。 間 接 的 で あ る と い う こ と は 、 時 代 状 況 に お け る 美 術 作 家 の 体 験 と 精 神 の 粋 と 高 ま り が そ こ に 注

    入 さ れ て い る こ と で も あ る 。 逆 に い え ば 、 日 本 近 代 美 術 に お け る 台 湾 と は 、 芸 術 作 品 と し て 結 実 し て い る 「 台 湾

    と そ の 近 代 」 な の で あ る 。 さ ら に そ れ が 日 本 近 代 の 芸 術 家 の 理 想 像 つ ま り 「 夢 」 や 「 憧 憬 」 で あ っ た こ と の 一 例

    を 本 稿 で 示 そ う と 思 う 。 そ れ は 、 昭 和 初 年 か ら 十 年 代 に 日 本 画 壇 、 特 に 洋 画 壇 で 繰 り 返 し 論 じ 、 提 唱 さ れ て い た

    「 日 本 主 義 」( 註 1 )

    の 夢 と も 重 な っ て い た と 考 え ら れ る 。

    日 本 近 代 美 術 家 が 描 い た 台 湾 と そ の 人 び と の 作 品 、 台 湾 に 関 係 す る 主 題 、 題 材 、 美 学 を 「 台 湾 テ ー マ 」 と 呼 び

    た い 。 梅 原 龍 三 郎 の 《 台 湾 風 景 》 ( 一 九 三 三 年 )( 図 1 ) が そ の 典 型 で あ る 。 梅 原 龍 三 郎 は 藤 島 武 二 と と も に 台

    湾 府 美 術 展 覧 会 ( 台 展 ) の 審 査 員 と し て 台 湾 を 訪 れ た が 、 台 湾 で の 見 聞 、 体 験 と そ の 後 訪 れ た 南 九 州 、 鹿 児 島 で

    の 取 材 は 、 こ の 日 本 近 代 洋 画 を 代 表 す る 在 野 の 画 家 の 発 展 の 大 き な タ ー ニ ン グ ポ イ ン ト と な っ た 。

    こ こ で 、 民 間 航 空 機 が 発 達 す る 前 の 戦 前 期 に お い て は 台 湾 へ の 交 通 経 路 は 船 便 の み で 、 そ の 交 通 経 路 と 同 じ く 、

    当 時 の 日 本 と 台 湾 と の 関 係 は 、 首 都 東 京 か ら は 、 行 き も 帰 り も 九 州 ( 特 に 南 九 州 )、 琉 球 列 島 を 間 に 挟 む も の で

    あ っ た こ と を 強 調 し て お き た い 。 南 九 州 、 琉 球 列 島 は 、 麗 し ( フ ァ ル モ ワ ー サ ) の 国 ・ 台 湾 へ と 通 じ る エ キ ゾ チ

    ッ ク な 寄 港 地 で あ っ た の で あ る 。( 註 2 )

    台 湾 で 梅 原 龍 三 郎 が 藤 島 武 二 と 同 席 し た こ と が 、 こ の 画 壇 の ア カ デ ミ ス ム 巨 匠 と の 確 執 と そ れ に 対 す る 強 い 対

    決 姿 勢 を 生 む 。 藤 島 武 二 は 最 晩 年 に な っ て い た が 、 彼 も こ の 台 湾 へ の 旅 程 か ら 大 き な 芸 術 的 収 穫 を 得 て い た 。 画

    - 105 -

    P101_146岡部先生.qxd 09.2.27 2:15 PM ページ 105

  • - 106 -

    図1 梅原龍三郎《台湾風景》 1933年

    P101_146岡部先生.qxd 09.2.27 2:15 PM ページ 106

  • 壇 の 両 横 綱 ( 片 方 は ま だ 大 関 で あ っ た か も 知 れ な い ) の 対 決 が 台 湾 で 起 こ さ れ た の で あ る 。 梅 原 龍 三 郎 が こ の 旅

    程 で 獲 得 し た 「 日 本 主 義 」 的 画 題 と そ れ が 生 み 出 し た 自 信 は 、 戦 い の 場 所 を 日 本 の 中 央 に 移 し 、 一 世 代 前 の 旧 ア

    カ デ ミ ス ム の 巨 匠 ・ 藤 島 武 二 と の 世 代 間 闘 争 と 画 壇 再 編 を 引 き 起 こ す 。 狙 い は 政 権 交 代 で あ っ た 。

    一 九 九 二 年 私 は 、 こ う し た 台 湾 を め ぐ る 日 本 の 洋 画 壇 の 動 乱 を テ ー マ に 台 湾 と 韓 国 の 近 代 洋 画 を 加 え て 紹 介 す

    る 展 覧 会 を 企 画 し た 。 そ れ が 、「 洋 画 の 動 乱 ― 帝 展 改 組 と 洋 画 壇 、 昭 和 一 〇 年   韓 国 ・ 台 湾 ・ 日 本 」 展 ( 註 3 )

    で 、

    公 立 の 美 術 館 と し て は 、 台 湾 の 近 代 洋 画 に 眼 を 向 け た 最 初 の 展 覧 会 で も あ っ た 。

    そ し て 、 私 は 引 き 続 き 、 台 湾 の 近 代 美 術 と 、 日 本 近 代 美 術 の な か の 台 湾 と い う 双 方 向 で 研 究 を 進 め て き た 。 台

    湾 で は 、 一 九 九 〇 年 代 は 白 雪 蘭 氏 な ど の 研 究 ( 註 4 ) 、 近 年 で は 、『 台 湾 の 美 術 教 育 』 な ど 優 れ た 研 究 も 発 表 さ れ て

    き た 。( 註 5 )

    私 が 調 査 し た 日 本 近 代 美 術 作 品 の 総 論 は 別 稿 に 譲 り た い が 、 台 湾 と の 関 係 が 興 味 深 い 画 家 の な か で 特 に 指 摘 し

    て お き た い の は 、 創 作 版 画 の 画 家 た ち の こ と で あ る 。 一 九 一 四 年 ( 大 正 四 ) 十 八 歳 の と き 両 親 と と も に 台 湾 に 移

    住 し た 山 口 源 は 、 療 養 先 の 関 仔 嶺 温 泉 に 滞 在 中 、 恩 地 孝 四 郎 の 友 人 の 藤 森 静 雄 が 台 湾 の 親 戚 に 身 を 寄 せ て い た と

    こ ろ に 偶 然 に 出 会 い 、 創 作 を 勧 め る こ と に な る 。( 註 6 )

    日 本 創 作 版 画 協 会 第 一 回 展 開 催 の 五 年 前 の こ と で あ る