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教育用ケース コンタクトレンズの サービスイノベーション ( ) メニコンのビジネスモデリング 早稲田大学商学学術院教授 井上 逹彦 2011 5 25 Ver.1.0 日本語版 ASB Case No.1

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教育用ケース

コンタクトレンズの

サービスイノベーション (株 )メニコンのビジネスモデリング

早稲田大学商学学術院教授

井上 逹彦

2011 年 5 月 25 日 Ver.1.0

日本語版 ASB Case No.1

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コンタクトレンズの略史

コンタクトレンズの歴史というのは、まさに、イノベーションの歴史と言える。

製品そのものとしては、①ハードコンタクトレンズ、②ソフトコンタクトレンズ、

③酸素透過性ハードコンタクトレンズ、④使い捨てコンタクトレンズという順で開

発が進められてきているが、その背景には、素材や製造方法の技術的なイノベーシ

ョンはもちろん、販売方法やサービスのイノベーションがあった。

これらのイノベーションによって市場は拡大し、日本でもコンタクトレンズの利

用者は順調に伸びていった。1991 年には 700~800 万人に達し、その後、使い捨てレ

ンズの普及もあって、現在では国内で 1500 万人を超えている。実に、10 人に1人以

上が装用していることになる。

コンタクトレンズが一般に実用化されたのは 1932 年でのことである。英国の ICI

社が PMMA(ポリメチルメタクリレート)を開発し、米国のロームアンドハース社

がこの素材を利用してコンタクトレンズを製品化した。PMMA という素材は、当時

としては、安全かつ経済的で、ハードコンタクトレンズ(以下、ハードレンズ)を

一般に普及させた立役者だと言える。ただ、酸素を通さないという致命的な欠点が

あり、装用できるのは、せいぜい8時間程度であった。また、異物感も強かったと

も言われる。

この問題を克服するかのように生まれたのが、ソフトコンタクトレンズ(以下、

ソフトレンズ)である。チェコスロヴバキアの研究者であるオットー・ウィフテル

レが、HEMA(ヒドロキシエチルメタクリレート)を開発して、ソフトレンズが技

術的に可能になったのは 1960年代に入ってからだと言われる。米国のボシュロムは、

この素材に注目し、1971 年にソフトレンズの製品化に成功した。HEMA は、水を介

して目に酸素を供給できる素材であったため、約 15 時間まで装用可能で、異物感も

少なかった。ただし、柔らかいがゆえに、付着物が着いても痛みを感じにくく角膜

を痛めることもあった。また、タンパク質除去のために、当時、煮沸消毒が必要で

手間隙もかかった。

1980 年代になると、酸素透過性ハードレンズが登場した。これは、PMMA にシリ

コン系樹脂配合したものである。後に、フッ素系樹脂を加えられ、さらに酸素透過

性が高まり、1週間装着可能という製品も出されるようになった。

日本国内の動向

日本国内で、はじめてコンタクトレンズを実用化したのは、メニコンの創業者で

ある田中恭一氏であり、1951 年のことであった。当初、眼鏡店に勤務していた恭一

氏は、コンタクトレンズを付けているという米軍将校婦人と出会う。見たこともな

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かったので「見せて欲しい」と頼んだが、「高額なので壊されたら困る」1と言われ、

どうしても現物を見せてもらえなかった。これがきっかけとなり、「アメリカで作れ

るものなら、自分でも作ってみせる」2と奮起して、自力で素材、レンズの形状、研

磨の方法などを研究し、製品化に成功した。メニコンが作った角膜コンタクトレン

ズというのは、目の黒目の部分だけを覆うもので、それまで日本で研究が進められ

ていた白目まで覆う強角膜とは異なる発想に基づくものであった。これがメニコン

の原点となり、後に、メニコン O2 をはじめ業界のリーダーとして画期的な製品を生

み出して行くことになる。

ちょうど同じ時期、1951 年にシードもコンタクトレンズの研究に着手している。

1957 年には東京コンタクトレンズ研究所として株式会社化して、1972 年には、わが

国初のソフトコンタクトレンズ「マイコンソフト」を製品化。そして、1984 年には、

酸素透過性ハードコンタクトレンズ「マイコンハイ O2」を発売している。

これらのコンタクトレンズメーカーが何よりも大切にしているのは、安全性であ

る。医療品として、診察と販売をしっかり連携させて、より安全な製品を開発して

正しい利用法を伝えることが基本とされた。そして製品開発においては、いかに、

耐久性を高めるか、そして、加工制度を上げるかが技術的な課題であった。実際、

メニコンではそのための素材開発にも着手し、目の細胞レベルでの安全性にまでこ

だわって商品開発をしている。メニコンをはじめとする先発メーカーの「高品質・

高耐久性」モデルが業界の一つのスタンダードとなった。

使い捨てコンタクトレンズの登場

これとは、ある意味で逆の発想を行ったのが、使い捨てコンタクトレンズ(以下、

使い捨てレンズ)である。使い捨てレンズを最初に開発したのは、コンタクトレン

ズ事業では後発である、ジョンソン・エンド・ジョンソン(以下 J&J)のグループ企

業であるビスタゴンであった。同社は、1988 年に、1週連続装用可能なアキュビュ

ーからスタートして、後に、毎日付け替えるワンデーアキュビューが開発された。

アキュビューの含水率は 58%であり、従来のソフトレンズよりも酸素透過性が高い

(Dk/L 値:33.3×10-9cm・mLO2/sec・mL・mmHg)。また、通常よりも薄く、ソフトレ

ンズにありがちな目の乾きを緩和することができる。

使い捨てレンズが、従来のレンズと異なるのは、その基本的な発想である。従来

のレンズは、高品質のレンズを2~3年という期間にわたって、洗浄ケアなどしな

がら大切に利用することを想定してものづくりが行われていた。それゆえ、「いかに

1 日経ベンチャー2003 年 7 月号, p.128 2 日経ベンチャー2003 年 7 月号, p.128

3

レンズの耐久性を上げるのか」、「いかにレンズ表面を滑らかにするのか」、「効果的

で手間隙のかからないケアは何か」というのが技術的課題とされていた。つまり、

素材改良などによって耐久性を向上し、製造方法を工夫して加工精度を上げながら、

採算ベースに合うようなコストダウンを意識しなければならなかったのである。

これに対して使い捨ては、加工精度と耐久性に対して割り切ることができる。た

とえばソフトレンズの場合、あまり薄くすると破れやすくなるのだが、使い捨てで

あれば思い切って薄くできる。また、洗浄に関しても、常に新しいレンズを装着す

ることで目の健康を保てばよいという発想に立つことができる。

使い捨てレンズの価値

この逆転の発想から、J&J は、新しい価値を提供できるようになった。ワンデー ア

キュビューについていえば、「目の健康を支える4つの C」としてその価値が伝えら

れている。

CLEAN: 毎日取り換えるから、いつも清潔

長く使い続けるほど、蓄積するレンズの汚れ。汚れの蓄積は、目のトラブルの原因のひと

つです。目の健康を考えた「ワンデー アキュビュー」なら、毎日、滅菌された新しいレ

ンズなので、清潔・快適。

CLEAR: 均一なレンズで、視界はクリア

独自の製法により、いつも同じ品質のレンズで視界はクリアです。仕事に、ファッション

に、スポーツに、自由な毎日を楽しめます。

COMFORTABLE: 快適な付け心地

新品レンズならではのフレッシュさ。また、目の健康にとって大切な酸素がたっぷり通る

酸素透過性を実現。

CONVENIENT: レンズケア不要だから、朝付けて夜捨てるだけ

めんどうなレンズケアもかさばるケア用品も、いっさい不要。万一なくしても、スペアが

あるから安心。

(J&J 公式ウェブサイト:http://acuvue.jnj.co.jp/product/1day/#l01 より抜粋)

利用者としては、通常のレンズよりも清潔かつ安全で、目の健康に良いというメ

リットを感じやすい。また、万が一紛失しても、スペアがあるので安心である。ソ

フトレンズにありがちな取り外しの際の破れやすさの問題、ハードにありがちな破

損のリスクもクリアできる。また、目に合わなかった場合でも費用負担が軽い。メ

ンテナンスの面でも、洗浄保存の手間がいらない。ワンデーアキュビューは年間5

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万円~6万円かかり、決して安くはないのだが、魅力的製品として広くユーザーに

受け入れられた。

使い捨てレンズの製法

使い捨てレンズが、これほど魅力的だとすれば、先発のメーカーがもっと早くこ

れを開発していてもよかったと思われるかもしれない。海外ではボシュロムやチバ

ビジョンが、国内ではメニコンやシードが大きな市場シェアを獲得しており、開発

力もあった。なぜ、既存のメーカーは、後発のメーカーに先を越されたのだろうか。

実は、単に発想の転換だけが問題であったわけではない。そもそも、J&J が使い捨

てレンズを実用化できたのは、製造方法に関するイノベーションがあった。コンタ

クトレンズの製造法は、大別して3つある。一つめは、レースカット法である。こ

れは、旋盤で切削する方法で、精度が高くサブミクロン単位まで加工できる。ただ

し、表面の平滑度を上げる研磨は大量生産に不向きで、高品質のものを作れる代わ

りに相応のコストがかかる。メニコンは、この製造方法でハードレンズを作ってい

る。二つめは、スピンキャスト法と呼ばれるものである。これは、凹んだ方を回転

させる方法で、加工時間が短い。その反面、レンズの上面カーブを管理するのが難

しく、コストが高くつく。ボシュロムなどは、この製造方法でソフトコンタクトを

実用化させた。三つめは、モールディング法である。これは、上下の型で挟む方法

である。コストが安くて大量生産に向いているという特徴がある一方で、加工精度

が粗く、ミクロン単位でしか加工できない。

J&J は、大量生産に向いているモールディング法をベースに、新たな製法を開発し

た。それが、SSM(スタビライズド・ソフト・モールディング製法)である。この製法

の特徴は、膨張を防ぐために、素材を水につけた状態のまま工程に流す点にある。

この製法は J&J がゼロから開発したのではなく、外部から取得した技術がベースに

なっていると言われる。後発である J&J がコンタクトレンズのチームを編成し、必

要な技術を探していたところ、1984 年、デンマークの会社が新しい製造技術を開発

したという情報を聞きつけたので、翌日に現地に赴き技術取得の契約を交わし、自

社の事業に結びつけたのである。

この製法によって大幅なコストダウンが実現した。たとえば、日本でアキュビュ

ーが発売されたのは 1991 年であるが、当時、通常のソフトレンズは一枚 15,000 円。

これに対して、一週間連続装用のアキュビューの価格はわずか 650 円であった。こ

のぐらいの価格差がなければ、使い捨てレンズは事業としては成り立たなかったの

である。

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使い捨てという発想

既存の発想にどっぷりと浸かったメーカーだと、この技術を見てもその活かし方

がわからなかったであろう。水につけた状態のまま成形するというのは画期的であ

るが、サブミクロンを追求していたメーカーにとっては、ミクロン単位でしか加工

できないのでは意味がないからである。仮に、使い捨てというアイデアが出された

としても、社内の既存の事業を脅かすとして敬遠されていたかもしれない。

ところが、J&J はもともとの生業なりわい

が医療用器具の使い捨て(ディスポーザル)メー

カーである。医療用器具では院内感染をさけるため、使い捨てが基本であり、この

事業で実績があった。使い捨てのビジネスモデルに精通していたのである。それゆ

え、大量生産でコストダウンして、使い捨てにするという考え方が社内にあった。

ディスポーザルには独特の旨味がある。一度使って使用感がよければ反復使用し

てくれる。購買に習慣性と継続性がある。J&J は製品の寿命を短くして、関係を継続

することによる利益の上げ方を十分に理解していた。

使い捨てという発想は、既存のメーカーにとっては逆をいくものである。しかし、

当事者の J&J にとっては、ごくごく自然な発想であったのかもしれない。J&J は、コ

ンタクトレンズでは後発であったがために、当時の支配的な考え方とは違う、自由

な発想で事業をデザインできたと考えられる。

使い捨ての販売

使い捨てといっても、アキュビューは医療品である。医師の診断がなければ処方

して販売することはできない。ところが、これまでにない製品であったがゆえに、

米国では当初、眼科医も販売店も使い捨てには不安を感じていた。利用者が、使い

捨てのレンズを従来のレンズと同じもの(廉価版)だと勘違いし、定められた期間

を過ぎて利用してしまうと、目の健康を害しかねない。定期的に診断のために再来

してもらえるという確信がない限り、利用者に薦め難かったのである。

そこで、J&J は、眼科医と販売店に使い捨てのメリットについて啓蒙活動を行うと

同時に、とにかく商品を扱ってもらうように働きかけた。同時に、830 万ドルという

巨額の費用をかけて、大胆な広告を行った。アメリカで人気のスーパーボウルやオ

リンピックの期間に、テレビ CM を流した。従来のコンタクトに対する優位性をア

ピールし、無料でお試しできる期間も設けた。このような対応が功を奏して、利用

者も、レンズの利用法を理解し、眼科医や販売店のもとに再来してくれた。アメリ

カでは使い捨てレンズ事業がうまく立ち上がった。

日本市場の立ち上がりにおいても同様の困難があった。1991 年に市場に投入され

てから2年間、全くといっていいほど売れなかった。利用者が使い捨てという消費

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形態に慣れていなかったのかもしれないが、それ以上に、眼科医や販売店が積極的

に薦めなかったのが原因だと言われている。というのも、通常のレンズを販売すれ

ば 60-70%の粗利益率を稼げるのに対し、使い捨てだと 30-40%しか稼ぎだせない。

日本の販売店では、眼科医が店内に診療所を構え、適切な診断と処方を行う。この

ようなコストを回収する必要もあった。使い捨てであっても通常のコンタクトや眼

鏡と同じ利益率が求められていたのである。

日本の J&J は、この状況を打開するために、丹念に啓蒙活動を続けて行った。眼

科医も使い捨てのメリットを理解していたので、「再来してくれるのであれば薦め

る」という考えであった。啓蒙活動が進むにつれて再来してくれることも明らかに

なり、不安は払拭された。通常のレンズが2~3年に一度しか販売できないのに対

し、使い捨ては継続的に販売できる。ビジネスとしての継続性も立証された。利益

率が劣っていても年間の売上額は大きいので、トータルにみると十分な旨味もある

ことがわかった。

市場の拡大と業界への影響

使い捨ての登場は、コンタクトの利用者を増やし、国内でも市場を拡大させた。

年間にかかる費用は、毎日つけかえるタイプで5~6万円かかるので決して安いわ

けではない。それにもかかわらず、新規にコンタクトを装用する人の7割~8割が

使い捨てを選ぶようになった。診療を受けて1ヵ月分のレンズを購入するスタート

アップの費用が数千円にとどまるということもその理由の一つである。

この動きと呼応するかのように台頭したのがコンタクトレンズ専門の販売チェー

ン店である。HOYA ヘルスケアが運営していた、アイシティがその先駆けだと言わ

れるが、同社の社員が独立してこの業態を広めていった。コンタクトレンズ専門店

は、典型的には、繁華街のビルの2階に店を構えて、目玉商品を格安で準備してビ

ラをまいて利用者を呼び込む。使い捨てレンズは、安ければ買いだめしておいて損

のない商品である。目玉商品として格好の商材であったのである。コンタクトレン

ズ専門店の登場によって、使い捨てに限らず、通常のレンズも価格競争が激化した。

使い捨てレンズの普及は、既存のコンタクトメーカーに大打撃を与えることにな

る。国内市場のトップメーカーは、日本でレンズを最初に実用化したメニコンであ

ったが、使い捨てレンズの登場以降、徐々にマーケットシェアを落として行った。

そして、1998 年には、とうとう洗浄を含めたケア商品も含めた販売額で、J&J にト

ップの座を譲り渡すことになった。

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(株)シード 2009 年度決算説明会資料

図1 コンタクトレンズ市場規模推移

実は、既存のメーカーも、使い捨ての動向には目を光らせており、日本市場への

導入以前から日本で受け入れられるか否か、自社でも扱うべきか否かが検討されて

いたようだ。市場の可能性については、自社の顧客であり、販売パートナーである

眼科医の間では、「年間のコストは高くつくし消耗品感覚で使用すると目を痛めるリ

スクが高くなって普及しない」3という意見がほとんどであったと言われる。また、

自社が同様の製法で模倣した場合、J&J のようなグローバルロジスティクスを備えた

メーカーと同じ規模のスケールメリットを追求するのが難しいというのも事実であ

る。このような状況もあって、使い捨ての脅威が顕在化するまで特別な対応を行う

ことはなかったのである。

メニコンの対応

ところが、使い捨ての存在感は増すばかりであった。コンタクトレンズ市場にお

ける使い捨ての割合は、1995年の 17%から 1998年の 46%へと急速に伸びていった。

また、先のコンタクトレンズ専門店における価格競争も相まって、メニコンの業績

は悪化した。1995 年まで順調に売上を伸ばして行ったメニコンであったが、使い捨

てへのシフトが本格的に始まった 1996 年以降、その売上を急速に落としていった。

この間、コンタクトレンズの市場規模は、装用人口の伸びには及ばないにしても成

長していた。それにもかかわらず、メニコンの売上は下がっていった。性能と耐久

3 清水(2008), p. 25

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性が高いレンズを、相応の価格で売り切る伝統的なメニコンは窮地に立たされた。

しかし、メニコンは、酸素透過性の高いハードレンズを重視する姿勢を崩さなか

った。というのも、使い捨てによってコンタクトの日用品化が進み、望ましくない

利用が促されると考えたからである。酸素透過性の高いハードレンズと比べると、

ソフトレンズの酸素透過性は5分の1にとどまる。もともと、日本の医師たちは1

週間連続装用のレンズであっても、連続装用するのは望ましくないとして、洗浄し

ながら利用するように指導していた。このアイデアがきっかけで、毎日洗浄して2

週間使うというシュアビューが開発されるのだが、このレンズにしても、利用者が

誤って連続装用すると目にかかる負担も大きくなる。販売チャネルの変化と共に、

コンタクトレンズの日用品化が生じ、誤用が増えてくると、眼病の発生率が高まる

という恐れも拭いきれなかった。実際、アメリカでは使い捨てレンズの普及と共に

眼病が増えていることが、テキサス大学のキャバナ博士の調査によって報告されて

いた。

実は、メニコンが安全にこだわるのには過去のいきさつもある。立ち上げ間もな

く、1957 年に株式会社化して事業を本格化させたとき、外部の専門家の助言から製

法を変更したところ、大きな失敗をしてしまったのである。数ヵ月経つとレンズが

ぼろぼろになってしまうというクレームが数多く寄せられた。後で調べたところ、

涙液に含まれる成分によって化学変化を起こすことがわかった。これによって、目

を怪我するなどの事故は発生しなかったが、リコールして全て回収しなければなら

なかった。このような経緯もあり、メニコンでは「安全哲学憲章」を掲げ、自前主

義にこだわっている。

メニコンが、素材開発から研究して開発に結びつけるために、研究所を擁してい

るのはこのためである。コンタクトレンズメーカーが、自前で研究所まで有するの

は珍しいといわれているが、メニコンには3つの研究所、すなわち、総合研究所(レ

ンズ素材開発、ケア用品開発)、技術研究所(製造技術開発)、臨床研究所(瞳への

フィット、デザイン開発)がある。

サービスモデル、メルスプランの誕生

使い捨てレンズの脅威が強まるなかで、自社の哲学を貫いて新しい事業を立ち上

げなければならない。メニコンはこのような状況に追い込まれていた。このような

窮地の中で生み出されたのが、メニコンのメルスプランンである。メルスプランと

は、一言でいえば、会員制コンタクトレンズ提供サービスであり、毎月一定額の会

費を支払うことで、その時々の状況に合ったコンタクトレンズの供給を受けるとい

うサービスである。いわば、「定額制でコンタクトレンズを使うメニコンの安心アイ

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ライフシステム」(メニコン Web サイト)である。2001 年に社長の田中英成氏(発

案時は取締役)がトップダウンで開始して、2011年現在では会員数約 90 万人に達し

ている。

表1 サービスの概要

サービスの名称 サービスの内容

取り替え保証 とれない汚れやキズがついた場合に新品レンズと交換

破損保証 破損してしまったら新品レンズと交換

紛失保証 紛失したら1枚 5,250 円(通常のハードレンズ)で新品を提供

規格調整 度数が合わなくなったら度数の合う新品レンズと交換

新商品の優先提供 新商品等の発売時には優先的に提供

* 使い捨てタイプのサービスは上記とは異なる

出所:守口・八島(2007), p.106

メルスプランでは、入会金 5,250 円、月額 1,890 円を支払うことによって、1年毎

に無料で新品レンズ供給されるだけでなく、破損や紛失の保証を含むさまざまなサ

ービスを受けることができる。さらに、月々ケア用品に 840 円支払えば、必要な洗

浄液や保存液が自宅に届けられる。欧米で最長 30日間装着可能と認可された高性能

レンズも、メルスプラン専用として位置づけられている。メルスプランは、メニコ

ンの技術を製品として物販するのではなく、サービス化することによって収入を上

げる仕組みである。これまでの事業とは逆転の発想に立つと同時に、使い捨てレン

ズとも差別化できるのである。

メルスプランの価値

サービス化という発想によって、メニコンは、新しい価値を提供できるようにな

った。メルスプランの Web サイトの説明を抜粋して編集しよう。

1. ユーザーが安心して、常に良い状態のレンズを使える

目の状態は、常に少しずつ変化する。視力は生涯一定というわけではないし、目の角膜の

形状も一定ではない。涙の性質や状態も変化する。だから、その時の目の状態に合わせて、

最適なレンズへの変更や交換が必要になる。メルスプラン会員になると、レンズの変更や交

換の際に、その都度、レンズを購入する必要がなくなる。しかも、定期的に新品レンズに取

り換えるサービスもあるので、「レンズの買い換えがもったいないから無理して使う」なん

て危険なことをしなくても良くなる。

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2. レンズを取り換える時でもレンズ代金が必要ない

必要な時には、いつでもレンズの変更や交換もできる。定期的なレンズのリニューアルサ

ービスもあるので、レンズの種別の変更を希望する時や、度数や規格の変更が必要な時、そ

れにレンズが破損したり、ケアしきれない汚れが付いたりした時には、安心して眼科医に相

談できる。

3. 眼に異常が起きたときの早期発見と対応ができる

最近では、簡単なレンズケアで便利に使用できる商品として使い捨てレンズが普及してい

るが、一方では高度管理医療機器であるコンタクトレンズをあたかも日用雑貨の様に取り扱

う乱暴な利用者の方も増えている。メルスプランでリニューアルサービスを付与することが

定期的な眼科検査の機会となって、瞳の健康チェックと共に、会員が検査の必要性を意識す

ることで、万一の事態にできるだけ早期に対応できるようになる。

http://www.menicon.co.jp/mels/birth/index.html/

このように、メルスプランによって、正しく安全にコンタクトレンズを使うこと

が可能になる。定額制であるため、破損や変更のための保険としての役割も期待で

きる。さらに、メンテナンス費用も含めて月額 2730 円からというように、使い捨て

との価格比較が可能になる。従来の買い切りタイプだと、破損や変更のリスクもあ

って単純な月額費用比較が難しかったのである。メルスプランは年額 32,760 円から

となるので、使い捨てレンズのおおよそ半分の出費に収まる。

メルスプランの発想

メルスプランは、現在の使い捨てレンズのあり方だけではなく、従来の高品質コ

ンタクトレンズの売り切りモデルをも大なり小なり否定している。このような発想

は、どのように生まれたのだろうか。

田中英成氏がこのアイデアを思いついたのは、ある営業会議の話し合いのときで

あった。このとき、販売店からの代金回収がどうしても滞るということが問題にな

っていた。当時取締役として参加していた田中英成氏は、「お金の流れを逆にしてみ

たら、この問題が解決できるではないか」というアイデアを思いついた。店舗から

お金を納めてもらうのではなく、消費者からお金を納めてもらい、それを店舗に納

めるという発想である。

11

出所:守口・八島(2007), p.79

図2 メルスプランの商流と物流

それはすなわち、メーカーが消費者に直接課金すること、そして、店舗には業務

委託をしてその対価を支払うことを意味する。この発想から、会員制が生まれ、そ

れに定額制が結びついて生まれたのがメルスプランである。つまり、これまでメニ

コンは店舗と売買契約を結んできたわけだが、それを業務委託契約に改めて、消費

者とダイレクトに会員契約を結ぶという取引形態に改めたわけである。

出所:守口・八島(2007), p.80

図3 メルスプランの契約

もちろん、このような大胆な発想がすぐに事業として実現されたわけではない。

1996 年の経営戦略プロジェクトで田中英成氏が提言してから3年間、このアイデア

なかなか実行に移されることはなかったという。というのも、当時は売り切り型の

ビジネスモデルが業界に浸透しており、社内の反対、取引先の不安があったからで

ある。

1999 年末には会社の業績はますます悪化し、田中英成氏は、ボトムアップでは限

界があることに気づく。そして、父であり、創業者である田中恭一氏に「今のまま

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ではメニコンの将来はない。自分が社長となり、改革を断行する」と迫ったという。

翌年の株主総会を経て 2000 年には社長に就任して新体制を築き、2001 年からメルス

プランを本格導入、そして 2002 年から徐々に業績を回復させていった。

メルスプランの意義

さて、このような取引形態にはさまざまなメリットがある。そのメリットは、メ

ニコンが代金の回収から開放されたという点にとどまらない。まず、会員制という

形で消費者と結びつくことによって、コンタクトレンズを開発し、サービスを提供

する上で有益な情報を入手できるようになった。また、継続が前提となる会員制の

おかげで、高いリピート率が実現した。いくらメニコンが提供する製品が支持され

ていても、これまでの売買契約では、メルスプランのように 80%ものリピート率を

達成するのは難しいはずである。

次に、定額制にすることによって、コンタクトレンズの正しく安全な利用を促す

ことができる。定期的な診察とともに、その時々に合ったレンズに交換するので、

無理して合わないレンズを使い続けることもなくなる。また、定額制にすることに

よって、使い捨てレンズとの月額費用が比較可能になるし、壊れても紛失しても、

ある種の保険のようなサービスがついているので安心である。

最後に、店舗との関係が委託契約へと変更されることで、価格決定権をメニコン

に移すことができる。この点は、価格を安定化させ、値下げ競争を防ぐという意味

で、メニコンのみならず業界全体にとって重要なポイントである。

そもそも、値下げ競争は、メーカー、販売店、ユーザーのそれぞれに望ましくな

い影響を与えかねない。つまり、メーカーは、コスト削減に追われ、技術革新を起

こしにくくなるし、販売店は、アフターケアなどのサービスを充実させる余裕がな

くなる。そして、ユーザーは、医療品という意識が薄れ、日常品として扱い、目の

健康を害する。メニコンは、医療用具としての原点に回帰し、値下げ競争を防ぐこ

とによって、健全な業界の発展が実現すると考えたのである。

「繰り返しますが、コンタクトレンズはあくまで医療用具です。メニコンではこの原点に

立って、『安全性』の高い製品を提供し、その姿勢をユーザーに伝えることが最も大切だ

と考えています。それがメーカーの責務であり、業界の健全な発展にもつながるからです。

例えば、メニコンには、『目の細胞レベルでの安全性にまで徹底的にこだわって商品を開

発する』という方針があります。どのコンタクトレンズも見た目はほとんど区別がつかな

いし、装着後もすぐには違いが分かりません。しかし、長期間使用すれば違いが出てきま

す。だから、メニコンではこの方針を堅持することで、長く安全に使っていただける製品

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しか開発しないのです。」(田中英成氏)

メニコンは、メルスプランの導入によって業績を回復させることに成功した。2009

年 3 月期の連結売上高は約 380 億円に達した(朝日新聞 朝刊 東海経済 2010 年 3 月

21 日)。使い捨てレンズ登場後、2001 年~2002 年の時期に 260 億前後まで落ち込ん

だ売上を、かつてのピーク、すなわち 1995 年~1996 年の 330 億前後の水準を超える

ににまで巻き返したのである。

ただし、使い捨てレンズの脅威がなくなったわけではない。メニコンは、酸素透

過性の高いハードレンズを中軸に据えてきたが、使い捨てを扱っていないわけでは

なかった。2007 年まで、使い捨てコンタクトは OEM 供給を受けながら、製品ライ

ンに加えていた。そして、いよいよ 2007 年には、自社生産に転換する方針を打ち出

す。

使い捨てレンズもメルスプラン対象内だが、使い捨てを軸にするのは安全哲学に

も反するし、通常の継続購買と差を打ち出しにくい。使い捨てであるが故に、破損

したときや紛失したときの保証の意味がないからである。一定期間に一定のコスト

負担。メルスプランのなかでどう位置づけるのかという難しい課題に直面する。

メニコンには、ミニコンティニューという、30 日間連続装用が欧米で認められて

いるレンズもある。また、「汚れにくいので1ヵ月も使える」ソフトコンタクトや遠

近両用のハードコンタクトの開発も進んでいる。さらに、レンズの中心はハードで

その周辺がソフトというハイブリッド型の開発も進められている。これらの技術を、

いかにメルスプランというサービスにいかに活かすのかというのも今後の重要な経

営課題になるのかもしれない。

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【設問】

1. J&J のアキュビュー、ならびに、メニコンのメルスプランの事業コンセプト(誰

に、何を、いかに提供するか)を整理してください。

2. J&J のアキュビュー、ならびに、メニコンのメルスプランでは、どのようなビジ

ネスモデリングが行われたのでしょうか。成功するモデリングのコツは何でし

ょうか。

3. メニコンは、次にどのような事業コンセプトを打ち立てればいいでしょうか。

成功するモデリングを意識しながら提案してください。

4. 自社の事業に役立つビジネスモデリングを行い、実際に事業提案をしてみてく

ださい。

*ビジネスモデルという言葉は、一般的には収益を上げる仕組みのことを意味します。

しかし、ビジネスモデルの本質はそれだけに留まりません。その本質は、自らが収益を

上げる仕組みを設計・構築するときに参照する対象であり、模範とすべき対象を単純化

して抽出した収益原理だという点にあると考えられます。それゆえ、この教材では、ビ

ジネスモデルとは「収益を上げる仕組みづくりをする際に参照する『単純化された収益

原理』や『収益原理を典型的に体現した参照対象』」だと考えることにします。そして、

そのモデルをベースに、実際の仕組みを設計したり構築したりすることをビジネスモデ

リングということにします。ビジネスモデリングの実例については、ASBに掲載されて

いるディスカッションペーパーを参照してください。

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参考文献

橋本敏彦「事例で学ぶ技術立脚のビジネスモデル:ケース①コンタクトを消耗品にしたジョ

ンソン・エンド・ジョンソン」『NIKKEI BizTech』No.001

守口剛・八島明朗(2007)「逆転の発想によるビジネスモデル」『 JAPAN MARKETING

JOURNAL』106 号

大島孝徳(2009)「消費材メーカーにおける消費者との関係性構築:メニコンの事例を中心

として」『名城論叢』

榊原清則(2004)『イノベーションの収益化』有斐閣

清水泰(2008)『会社を継いだ男たち:ドキュメント2代目の挑戦』Pan Rolling

「コンタクトレンズ 透過性高め着けっ放し使い捨て型はコストの壁」『日経ビジネス』1991

年 6 月 3 日号, pp.69-72

「有訓無訓 安全にこだわる姿勢が企業の競争力を決める」『日経ビジネス』2003 年 9 月 15

日号, p.1

「セミナー再録 田中英成メニコン社長 『安全性』を徹底的に追及し 300 万人の会員獲得

を目指す」『日経ベンチャー』2003 年 7 月号, pp.128-9

「マーケティング研究 Case8 メニコン コンタクト市場で外資に対抗詳細な説明で『誤解』

を追放」『日経ネットビジネス』20030 年 3 月号, pp.104-6

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メニコン企業基本情報(http://job.rikunabi.com/2012/company/top/r839600070/)

事業内容

コンタクトレンズ(CL)、レンズケア用品等医療機器の研究開発・製造・販売など

企業理念

(1)より良い視力の提供を通じて、広く社会に貢献する。

(2)マーケットニーズの先取りと創出により、顧客の信頼を得る。

(3)変革により人間尊重企業としての豊かさと喜びを実現する。

設立 1957(昭和 32)年 7 月 20 日

資本金 17 億 6934 万円(2010 年 3 月現在)

従業員数 977 名(2010 年 4 月現在)

売上高

350.8 億円 (2010 年 3 月期)

334.2 億円 (2009 年 3 月期)

316.0 億円 (2008 年 3 月期)

代表者 代表執行役 田中 英成

事業所

【本社】

愛知県名古屋市中区葵三丁目21‐19

【海外拠点】

フランス、ドイツ、アメリカ、イギリス、スペイン、オランダ、シンガポール(計

7拠点)

【営業所】

札幌、東北(盛岡、仙台)、関東(東京、水戸、宇都宮)、北信越(金沢、新潟、松

本)、東海(名古屋、静岡)、関西(大阪)、中国(広島、岡山)、四国(松山)、九州

(福岡)

【直営販売店】

札幌、東北(青森、仙台など)、関東(首都圏 11 店舗など)、中部(名古屋市内 5 店

舗、岐阜、豊橋、静岡)、北陸(富山など)、大阪(心斎橋、上本町、高槻など)、中

国(広島、福山)、九州(福岡、熊本)

【研究所】

・総合研究所(愛知県春日井市)

・臨床研究所(愛知県名古屋市)

・技術研究所(岐阜県各務原市)

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【工場】

・関工場(岐阜県関市)

平均年齢 男性:39.6 歳

女性:28.2 歳

�2010 年 4 月現在 商品の歩み 1951 年 日本で初めて角膜コンタクトレンズの実

用化に成功

1973 年 CL「メニコンソフト」発売

1979 年 日本初の酸素透過性ハード CL「メニコン O2」発売

1985 年 日本初の眼内レンズ製造承認取得

1986 年 世界初の連続装用ハード CL「メニコン EX」発売

1994 年 「メニコンソフト S」発売

1997 年 日本初の犬用眼内レンズ「メニわんレンズ」発売

1997 年 高酸素透過性ハード CL「メニコン Z」発売

2000 年 遠近両用コンタクト「メニフォーカル」発売

2001 年 新会員制システム「メルスプラン」スタート

2002 年 1 ヶ月交換ソフト CL「マンスウエア」発売

2005 年 ワンデータイプ「メニコン 1DAY」発売

2005 年 1 ヶ月交換乱視用ソフト CL「マンスウエアトーリック」発売

2006 年 ソフト CL用 1 本タイプケア「エピカコールド」発売

2007 年 日本初 30 日間連続装用ハード CL「メニコンティニュー」発売

2008 年 次世代シリコーンハイドロゲル素材ソフト CL「2WEEK プレミオ」発売

2009 年 さらにうるおいアップのソフト CL用 1本タイプケア

「エピカコールドアクアモア」発売

2009 年 シリコーンハイドロゲル素材の乱視用ソフト CL「2WEEK プレミオトーリ

ック」発売 海外展開の歩み 1977 年 メニコンヨーロッパ(フランス)設立

1992 年 メニコンファーマ(フランス)設立

1993 年 メニコンファーマ製造工場新設

2001 年 メニコンエスパーナ(スペイン)設立

2003 年 メニコンホールディングスヨーロッパ(フランス)設立

2005 年 メニコンマンダリンアジア(シンガポール)設立

2008 年 メニコンシンガポール製造工場設立

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会社名 株式会社シード(SEED CO., LTD.) 本社

所在地 〒113-8402

東京都文京区本郷 2-40-2

アクセスマップ

電話 03-3813-1111(大代表) 設立 1957 年 10 月 9 日 資本金 18 億 4,128 万円

(大阪証券取引所ジャスダック市場:証券コード 7743) 従業員 334 名(男 240 名 女 94

名)2010 年 3 月末現在 売上高 111 億円(2010 年 3 月期 グループ連結) 役員一覧 代表取

締役社長 浦壁 昌廣 取締役 矢島 恵二 取締役 鎌田 清 取締役 新井 隆康 常勤監査

役 中山 友之 監査役 里美 健一郎 監査役 種房 俊二 取引銀行 三井住友銀行、三菱東

京 UFJ 銀行、みずほ銀行 他

(株)シード 2009 年度決算説明会資料

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(株)シード 2009 年度決算説明会資料

(株)シード 2009 年度決算説明会資料

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1. 当ケースは、ビジネス教育用に作成されたものであり、経営の適否判断のために作成されたものではない。

2. 当ケースは、既に外部に公開されている資料及び、インタビューならびに取材をベースに作成した。

3. 当ケースを、無断で複写・転載することを禁止する。