8 1 - Japanese Red Cross Society ·...

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1 就任のごあいさつ このたび、日本赤十字社神奈川県 支部長に就任いたしました、県知事 の黒岩祐治でございます。 まず、東日本大震災に際して、被災 された皆さまに心よりお見舞い申し 上げます。また、亡くなられた方々、ご家族の皆さまに対し て謹んで哀悼の意を捧げたいと存じます。 日赤神奈川県支部では、今般の地震発生直後より、横浜 市立みなと、秦野、津久井の県内3赤十字病院から医師、 看護師等からなる医療救護班をいち早く被災地に派遣い たしました。そして、現在も引き続き、被災地のさまざまな ニーズに対応すべく懸命に活動を展開しております。 日本赤十字社は、設立より今日に至るまで、「人道」を活 動の基本理念として、このような災害救護活動をはじめ、 医療、血液、福祉事業など、いのちと健康を守るために地域 に根ざした幅広い活動を展開してまいりました。   そして、これらの活動は、ボランティアの皆さま、赤十字 社員の皆さまをはじめ、赤十字を応援してくださる多くの 皆さまによって支えられてまいりました。 今後、私も赤十字の一員として、その使命の重さをしっ かりと受け止めて、全力で取り組んでまいりますので、皆さ まにおかれましては引き続き変わらぬご理解とご支援を何 とぞよろしくお願い申し上げます。 日本赤十字社神奈川県支部長 第81号 平成23年夏号 日本赤十字社は発災当日から全国の救護班を被災地に派 遣し、5月17日現在で670個班の医療救護班(以下救護班)が 「医療救護」活動を行い、神奈川県支部もその一員として、5月 17日現在19個班の救護班を派遣し、現在も活動を継続して います。また、近隣支部と連携した「こころのケア」チームに 職員の派遣を行っています。 神奈川県内の救護班は、横浜市立みなと赤十字病院、秦野 赤十字病院、津久井赤十字病院の3病院に計15個班が常備さ れています。救護班1個班は医師1人・看護師3人・事務管理要 員(主事)2人の計6人が基本となりますが、15個班の内7個班 は薬剤師を加えた7人で構成されています。東日本大震災で 平成23年3月11日14時46分、三陸沖を震源とした、国内観測史上最大規模のマグニチュード9.0の地震が発生しました。 この地震により、最大7という震度のみならず、10メートルを超す津波が各地に押し寄せ、甚大な被害をもたらしました。 さらに福島第一原子力発電所事故も起こり、未曾有の大災害となりました。 は、更に調整員とボランティアを加え、現地に派遣しています。 日本赤十字社の災害救護活動は(1)医療救護(2)救援物 資の備蓄と配分(3)血液製剤の供給(4)義援金の受付と配 分(5)その他、必要な業務の5つが主になります。中でも医療 救護は、 一刻も早い処置が必要な被災者に対する被災地での 応急処置、被災により機能を失った医療機関の代わりに機能 回復までの空白を埋めること、巡回診療により医療を提供 し、避難者の精神的な支えとなることを目的としています。 今号の日赤かながわでは、この「医療救護」に従事した人々 の生の声をお伝えします。 東日本大震災 活動報告

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災害時は医療支援、こころのケア、毛布などの救援物資の配付などを、平時は救急法の講習普及、ボランティアや青少年赤十字の育成などに役立てられます。

災害救護活動など日本赤十字社の人道的活動

義援金

活動資金

第81号 平成23年夏号

就任のごあいさつ

 このたび、日本赤十字社神奈川県支部長に就任いたしました、県知事の黒岩祐治でございます。 まず、東日本大震災に際して、被災された皆さまに心よりお見舞い申し

上げます。また、亡くなられた方々、ご家族の皆さまに対して謹んで哀悼の意を捧げたいと存じます。 日赤神奈川県支部では、今般の地震発生直後より、横浜市立みなと、秦野、津久井の県内3赤十字病院から医師、看護師等からなる医療救護班をいち早く被災地に派遣いたしました。そして、現在も引き続き、被災地のさまざまなニーズに対応すべく懸命に活動を展開しております。

 日本赤十字社は、設立より今日に至るまで、「人道」を活動の基本理念として、このような災害救護活動をはじめ、医療、血液、福祉事業など、いのちと健康を守るために地域に根ざした幅広い活動を展開してまいりました。   そして、これらの活動は、ボランティアの皆さま、赤十字社員の皆さまをはじめ、赤十字を応援してくださる多くの皆さまによって支えられてまいりました。 今後、私も赤十字の一員として、その使命の重さをしっかりと受け止めて、全力で取り組んでまいりますので、皆さまにおかれましては引き続き変わらぬご理解とご支援を何とぞよろしくお願い申し上げます。

 日本赤十字社神奈川県支部長

第81号平成23年夏号

 地震発生から5日後、私たちこころのケアチームが現地でお会いしたのは、澄み渡った青空と絵はがきのような風景の中で、憔悴しきった被災者のご家族でした。希望や祈りが不安と焦りに変わり、更に絶望に心が打ちのめされてい

く方々に対して、私たちができることは「そばにいる」ことだけでした。ときには、私たち自身の気持ちも押しつぶされそうになりながらも、そばにいることを示し、支え続けました。また、多くの在留邦人も不安と混乱の中に置かれ、海外にいる日本人へのケアの必要性も痛感しました。奇しくも、派遣期間中に東日本大震災が発生し、国内救護にあたるため日本に帰国せざるを得ませんでしたが、こころのケアチームは現地での活動を継続し、癒しのスペース「赤十字カフェ」や「赤十字こころのホットライン」を開設し、傾聴やアドバイスなどを行いました。

日赤かながわ前号(平成23年春号・第80号)で開催のお知らせをいたしました「赤十字フェスティバル」は、東日本大震災に伴う救護活動を優先するため、中止とさせていただきました。開催を楽しみにしてくださっていた皆さまに、あらためてお詫びいたします。

〒231-8536 横浜市中区山下町70-7TEL.045(681)2123  ホームページ http://www.kanagawa.jrc.or.jp  電子メールアドレス [email protected]

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お詫び

 日本赤十字社は発災当日から全国の救護班を被災地に派遣し、5月17日現在で670個班の医療救護班(以下救護班)が「医療救護」活動を行い、神奈川県支部もその一員として、5月17日現在19個班の救護班を派遣し、現在も活動を継続しています。また、近隣支部と連携した「こころのケア」チームに職員の派遣を行っています。 神奈川県内の救護班は、横浜市立みなと赤十字病院、秦野赤十字病院、津久井赤十字病院の3病院に計15個班が常備されています。救護班1個班は医師1人・看護師3人・事務管理要員(主事)2人の計6人が基本となりますが、15個班の内7個班は薬剤師を加えた7人で構成されています。東日本大震災で

 平成23年3月11日14時46分、三陸沖を震源とした、国内観測史上最大規模のマグニチュード9.0の地震が発生しました。この地震により、最大7という震度のみならず、10メートルを超す津波が各地に押し寄せ、甚大な被害をもたらしました。さらに福島第一原子力発電所事故も起こり、未曾有の大災害となりました。

は、更に調整員とボランティアを加え、現地に派遣しています。 日本赤十字社の災害救護活動は(1)医療救護(2)救援物資の備蓄と配分(3)血液製剤の供給(4)義援金の受付と配分(5)その他、必要な業務の5つが主になります。中でも医療救護は、一刻も早い処置が必要な被災者に対する被災地での応急処置、被災により機能を失った医療機関の代わりに機能回復までの空白を埋めること、巡回診療により医療を提供し、避難者の精神的な支えとなることを目的としています。 今号の日赤かながわでは、この「医療救護」に従事した人々の生の声をお伝えします。

ニュージーランド地震日本人被災者に対する「こころのケア」

日本赤十字社では東日本大震災義援金を募集していますが、「義援金」の行く先や「活動資金」との違いは、どうなっているのでしょうか?ご理解ください~義援金と活動資金~

神奈川県支部 救護課長 野口 理恵子 2月27日~3月12日

 私が活動を行ったハイチの南県は、地震そのものの被害はありませんでしたが、震災後に発生したコレラ感染の拡大により、支援が必要な状況にありました。日赤は、国際

赤十字・赤新月社連盟の指揮のもと、緊急対応ユニット(ERU)チームとして、現地のコレラ感染患者に対する治療と、地域医療機関の人材育成や資機材支援を主に行いました。チームは4人という少ない人数でしたが、ローカルスタッフの協力のおかげで、患者数も目に見えて減少しています。地域に住む人たちと一緒に活動し、感染予防などの知識だけではなく、人の命を大切にしようとする「人道」の想いを共有できたことは、とても貴重な経験でした。

ハイチ大地震コレラ救援活動に派遣

神奈川県支部 企画課主事 根本 明子 3月28日~4月30日

義援金と活動資金の流れ

 「義援金」は寄せられた全額が、義援金配分委員会を通じて、被災者の方々に届けられます。「活動資金」は、災害救護活動や救援物資、ボランティア・青少年育成などの赤十字活動の資金として、ご協力いただく寄付金です。特に、毎年、一定金額をご協力いただいている方々を社員、いただいた資金を社費と呼んでいます。 5月18日現在、221万5,837件、1,966億1,961万2,371円の東日本大震災義援金が寄せられ、順次、配分委員会へ送金されています。詳しい配分状況は、日本赤十字社本社ホームページ(http://www. jrc.or.jp/)をご覧ください。

東日本大震災 活動報告

国際活動報告

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第81号 平成23年夏号 第81号 平成23年夏号

 津波による甚大な被害を受けた宮城県石巻市。市内の病院や診療所が津波による被害を受け、壊滅的な状況のなか、石巻赤十字病院は市内で唯一、病院機能を維持することができました。発災当日から、神奈川県支部は救護班を石巻赤十字病院へ派遣し、外部との通信が極めて困難で被害状況すら把握できない環境でも、日夜を通し24時間体制で医療救護活動を行いました。 津波の影響による低体温症・骨折・肺炎などの診療は診察室や処置室だけでは足らず、ロビーなどでも行われ、多くの人が廊下に段ボールを敷いて寝ざるを得ない院内であっても、自衛隊のヘリコプターで次々と搬送されてくる患者はとどまることなく、さながら野戦病院のようでした。また、非常に強い余震の中で安全を確保しながら、市内の避難所を巡回し、多くの被災者に対して救護活動を行いました。 5月17日までに、神奈川県支部として石巻赤十字病院へ救護班を5班、こころのケアチームの要員として19名、石巻赤十字病院支援要員として7名をそれぞれ派遣しています。

     地震発生直後より計9名の救護班として出発し、3月12日早朝から石巻赤十字病院で活動しました。 当時は、現在報道されているような石巻赤十字病院の惨状は認識されておらず、応援部隊もほとんどいない中、次 と々押し寄せる患者に対応しました。 被害の全容が全くつかめず、繰り返し起こる余震の恐怖と、携帯電話が圏外で家族や病院関係者と連絡がとれない不安と戦いながら、全員が持てる力のすべてを出しました。 災害の大きさから見れば私たちのできたことはごく一部だったと思いますが、私の医師人生の中で、決して忘れられない経験となりました。

    これまで訓練に参加し、実践に生かしたいと思いながらも、被災地では、何ができたのかわからないのが正直な気持ちです。被災地で4歳くらいの女の子から「遠くから来てくれてありがとう」、そして「お父さんはどこ?」という言葉に対して、私には「お父さん見つかるといいね」と答えるのが精一杯でした。このような大規模災害では、何かできたという気持ちになることはないと思います。しかし、その思いだけで終わらせるのではなく、支えてくれた病院のスタッフに対し、感謝すると共に、学んだ事を還元し、次に何をすべきか考えていく必要があると思っています。

 3月11日の発災直後に支部の災害対策本部が立ち上がり、県内の救護班に出動態勢がとられる中で、災害救護を活動としている3つの赤十字奉仕団(神奈川県救護赤十字奉仕団、県無線救急赤十字奉仕団、県山岳赤十字奉仕団)で災害対策本部を後援する「支援センター」を開設しました。災害対策本部と連絡を密にして、救護班を現地で支援するボランティアの調整や、情報の収集と共有、救護班が持参する資材の準備、帰着後の寝袋等の清掃・整理など、24時間体制で対応しました。また、日赤本社に立ち上がったボランティアセンターでは、全国の赤十字ボランティアの派遣調整も行いました。2ヶ

月経った現在は、赤十字奉仕団だけではなく、赤十字防災ボランティアとも協力し、体制も変化していますが、被災者への姿勢は変わることなく活動を続けていきます。

※赤十字奉仕団、防災ボランティアについては、前号(80号)の日赤かながわでご紹介しています。 バックナンバーは神奈川県支部ホームページ(http://www.kanagawa.jrc.or.jp/)へ!

宮城県 石巻赤十字病院、 石巻市での活動

救護活動を陰で支えたボランティア神奈川県救護赤十字奉仕団 髙橋 克明 委員長

ボランティア

盛岡市

福島市

郡山市 福島第一原子力発電所

山田町

大槌町

釜石市

仙台市

横浜市立みなと赤十字病院 救急部 高橋 哲也

秦野赤十字病院 看護部 上野 雅恵

   医 師

    今回の救護活動で感じたこと、それは、地震の恐ろしさ、そして何よりも津波の脅威です。人間は自然の力の前では無力だということを、改めて実感しました。現地の惨状を目の当たりにし、『ここは本当に日本なのか?』と愕然としました。辺り一帯が停電で暗闇の中、月明かりだけが照らすそこには、被災地の現実が浮かび上がり、この状況下で私に何ができるのかと一瞬たじろぎましたが、『自分に出来ることを精一杯やろう』という想いで、病院に運び込まれた被災者の方の応対をしました。被災地から帰還した今も、『被災地のために自分が今出来ること』を常に考え行動しています。

津久井赤十字病院 医療社会事業係長 石郷岡 清

       看護師

    救護班調整員に求められるのは「情報収集・提供を円滑に行うこと」「他者や他組織との連絡調整能力」そして「気がきくこと」だと思います。私は、派遣中にこの3点のみ気をつけました。なぜなら、これらが完璧にこなせれば、医師・看護師・主事が医療活動に専念できるので、救護班は効率的かつ円滑な活動が可能になります。 また、帰還して改めて気がついたのですが、これらは普段の仕事でも十分鍛えられる能力でもあります。今後も、日赤職員としていつ災害現場に派遣されても対応できるよう、努力したいと思います。

神奈川県ライトセンター スポーツ係長 加藤 英明

       主 事

      調整員

石巻市

仙台市

石巻市

市市市

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第81号 平成23年夏号 第81号 平成23年夏号

 津波による甚大な被害を受けた宮城県石巻市。市内の病院や診療所が津波による被害を受け、壊滅的な状況のなか、石巻赤十字病院は市内で唯一、病院機能を維持することができました。発災当日から、神奈川県支部は救護班を石巻赤十字病院へ派遣し、外部との通信が極めて困難で被害状況すら把握できない環境でも、日夜を通し24時間体制で医療救護活動を行いました。 津波の影響による低体温症・骨折・肺炎などの診療は診察室や処置室だけでは足らず、ロビーなどでも行われ、多くの人が廊下に段ボールを敷いて寝ざるを得ない院内であっても、自衛隊のヘリコプターで次々と搬送されてくる患者はとどまることなく、さながら野戦病院のようでした。また、非常に強い余震の中で安全を確保しながら、市内の避難所を巡回し、多くの被災者に対して救護活動を行いました。 5月17日までに、神奈川県支部として石巻赤十字病院へ救護班を5班、こころのケアチームの要員として19名、石巻赤十字病院支援要員として7名をそれぞれ派遣しています。

     地震発生直後より計9名の救護班として出発し、3月12日早朝から石巻赤十字病院で活動しました。 当時は、現在報道されているような石巻赤十字病院の惨状は認識されておらず、応援部隊もほとんどいない中、次 と々押し寄せる患者に対応しました。 被害の全容が全くつかめず、繰り返し起こる余震の恐怖と、携帯電話が圏外で家族や病院関係者と連絡がとれない不安と戦いながら、全員が持てる力のすべてを出しました。 災害の大きさから見れば私たちのできたことはごく一部だったと思いますが、私の医師人生の中で、決して忘れられない経験となりました。

    これまで訓練に参加し、実践に生かしたいと思いながらも、被災地では、何ができたのかわからないのが正直な気持ちです。被災地で4歳くらいの女の子から「遠くから来てくれてありがとう」、そして「お父さんはどこ?」という言葉に対して、私には「お父さん見つかるといいね」と答えるのが精一杯でした。このような大規模災害では、何かできたという気持ちになることはないと思います。しかし、その思いだけで終わらせるのではなく、支えてくれた病院のスタッフに対し、感謝すると共に、学んだ事を還元し、次に何をすべきか考えていく必要があると思っています。

 3月11日の発災直後に支部の災害対策本部が立ち上がり、県内の救護班に出動態勢がとられる中で、災害救護を活動としている3つの赤十字奉仕団(神奈川県救護赤十字奉仕団、県無線救急赤十字奉仕団、県山岳赤十字奉仕団)で災害対策本部を後援する「支援センター」を開設しました。災害対策本部と連絡を密にして、救護班を現地で支援するボランティアの調整や、情報の収集と共有、救護班が持参する資材の準備、帰着後の寝袋等の清掃・整理など、24時間体制で対応しました。また、日赤本社に立ち上がったボランティアセンターでは、全国の赤十字ボランティアの派遣調整も行いました。2ヶ

月経った現在は、赤十字奉仕団だけではなく、赤十字防災ボランティアとも協力し、体制も変化していますが、被災者への姿勢は変わることなく活動を続けていきます。

※赤十字奉仕団、防災ボランティアについては、前号(80号)の日赤かながわでご紹介しています。 バックナンバーは神奈川県支部ホームページ(http://www.kanagawa.jrc.or.jp/)へ!

宮城県 石巻赤十字病院、 石巻市での活動

救護活動を陰で支えたボランティア神奈川県救護赤十字奉仕団 髙橋 克明 委員長

ボランティア

盛岡市

福島市

郡山市 福島第一原子力発電所

山田町

大槌町

釜石市

仙台市

横浜市立みなと赤十字病院 救急部 高橋 哲也

秦野赤十字病院 看護部 上野 雅恵

   医 師

    今回の救護活動で感じたこと、それは、地震の恐ろしさ、そして何よりも津波の脅威です。人間は自然の力の前では無力だということを、改めて実感しました。現地の惨状を目の当たりにし、『ここは本当に日本なのか?』と愕然としました。辺り一帯が停電で暗闇の中、月明かりだけが照らすそこには、被災地の現実が浮かび上がり、この状況下で私に何ができるのかと一瞬たじろぎましたが、『自分に出来ることを精一杯やろう』という想いで、病院に運び込まれた被災者の方の応対をしました。被災地から帰還した今も、『被災地のために自分が今出来ること』を常に考え行動しています。

津久井赤十字病院 医療社会事業係長 石郷岡 清

       看護師

    救護班調整員に求められるのは「情報収集・提供を円滑に行うこと」「他者や他組織との連絡調整能力」そして「気がきくこと」だと思います。私は、派遣中にこの3点のみ気をつけました。なぜなら、これらが完璧にこなせれば、医師・看護師・主事が医療活動に専念できるので、救護班は効率的かつ円滑な活動が可能になります。 また、帰還して改めて気がついたのですが、これらは普段の仕事でも十分鍛えられる能力でもあります。今後も、日赤職員としていつ災害現場に派遣されても対応できるよう、努力したいと思います。

神奈川県ライトセンター スポーツ係長 加藤 英明

       主 事

      調整員

石巻市

仙台市

石巻市

市市市

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第81号 平成23年夏号 第81号 平成23年夏号

 一見、地震の被害がほとんどないかのように見えた県庁所在地の福島市。しかし、地震と津波、さらには福島第一原子力発電所事故の影響を受けて、避難を余儀なくされた沿岸部の方々が避難生活を送っています。神奈川県支部は、郡山市にあるビッグパレットふくしま、福島市にある県立あづま総合運動公園体育館に設置された赤十字の医療救護所で、多くの被災者の方々に対して診療を行いました。 発災直後は医療体制が機能していないだけでなく、機能している病院への搬送も困難な状況であったため、本来ならば入院が必要な患者に対して24時間体制で治療や処置にあたりました。また、各地に点在する避難所でも医療ニーズが高く、救護班は巡回による診療を行うとともに、緊急に必要な薬剤の調達などの調整を行いました。避難している方の中には、家や畑のみならず、家族や親族、友人が津波に流され行方不明になっているにもかかわらず、探しに行けない状況の方も多く、話をじっくりと聞いて、少しでも気持ちが楽になっていただけるような活動を努めました。 5月17日までに、神奈川県支部として福島県へ6班、同時に、被災した地域にある日赤支部を支援するため、福島県支部に13名派遣しています。

     私たちの班は、福島県あづま総合運動場で活動を行いました。門前では放射線量の計測など物々しい雰囲気でしたが、避難されている方々は予想外に明るく、秩序正しい生活を送られていると感じました。救護所では、いわゆる「風邪」の患者が非常に多く、手持ちの薬剤が不足するほどで、インフルエンザも数名確認されました。今後は気候が変わり、さらなる衛生面の充実が重要です。また、精神面を含めてすべてを助けあい、現場に行かなくてもできることを考え行い、一刻も早く被災者の方々が普通の生活に戻られることを切に望むばかりです。班長として活動を共にした班員に感謝すると同時に、被災者の皆さまには心よりのお見舞いと早期の復興をお祈り申し上げます。

     印象的だったのは、ある病院から搬送されてきた27名もの患者を、機能している病院に搬送した日のことです。患者さんたちは、救護所に来る前の2日間、何の看護も受けられず、体はひどく汚れていました。搬送までのわずかな時間で少しでも体をきれいにしたくても、私達だけでは手が足らず、あきらめかけていました。 そこへ同じ施設内に避難している数名の看護師、看護助手さんたちが名乗りをあげて手伝ってくれたのです。おかげで患者さんはピカピカになりました。 自分たちも被災者であるにもかかわらず、他者を思いやれるその姿に、医療者の志の強さを感じた一場面でした。

津久井赤十字病院 副院長 西山 保比古やす ひ こ

横浜市立みなと赤十字病院 看護部 武藤 久美子

   医 師

     私は、福島県支部を拠点とし、福島市内の避難施設を1日3箇所巡回診療する救護班に派遣されました。公民館や体育館が多く、診療所の設営、診療2時間、撤収、移動と目まぐるしい動きをしていました。 診療は1日に70名前後で、患者の様態把握や服用していた薬を聞き出して、手持ちの薬で処方するか、近隣の調剤薬局に対応してもらうことが主な役割でした。 初日最も困ったことは言葉で、福島の人たちは、文頭や文末に「はぁ」を使うことがあります。避難所で「はぁ、えんがみた」(もう、ひどい目にあった)と言われたときは正直戸惑いましたが、昼夜言葉の壁を乗り越え、最良の医療を提供できたと思います。

横浜市立みなと赤十字病院 薬剤部 平田 周祐

       看護師

     福島県支部支援の活動に参加したのは、震災から1カ月経った頃でしたが、まだ震度6弱の余震が起きている時期でした。被災地の支部という事もあり、どなたも休む事なく働かれており、栄養が偏りがちな簡便な食事で済ませているとのことで、心身への負担が大きいように感じました。 沢山の方々に手を差し伸べていただくためには、職員の方々が元気でなければなりませんので、不足しがちな栄養素が補え、さらにホッとできるようなメニューを考えて、お食事をご用意しました。 糧食支援という活動は初めてでしたが、日頃から訓練や研修などを重ねてきたおかげで、無事活動することができました。

神奈川県救護赤十字奉仕団 兼田 加代子

 赤十字では、被災支部の機能を支援するため、全国から職員やボランティアが岩手、宮城、福島の各県支部に派遣されています。その中で神奈川県支部は、福島県支部で支援活動を行いました。 私の活動していた4月10日~13日では、救護班の派遣調整・準備や巡回診療用のカルテの

準備、福島市内および福島市周辺、会津地方の避難所を担当した救護班から報告される日報集計など、様々な業務を行いました。ときには、足りなくなったカルテを避難所まで届けに行くこともありました。 現地では、神奈川県支部だけではなく、他支部から派遣されたメンバーと合同で支援活動を行うため、チームワークも必要になります。変更した事項や伝達内容をまとめ、より良い活動が展開できるよう、次の支援員へ引き継いでいきました。

盛岡市

福島第一原子力発電所

山田町

大槌町

釜石市

石巻市

仙台市

福島市

福島県支部の機能回復のため神奈川県支部 青少年係長 中島 良介

        

ボランティア

         薬剤師

しゅうすけ

郡山市 福島第一原子力発電所

福島市

郡山市

福島県 福島市、 郡山市での活動

調整員

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第81号 平成23年夏号 第81号 平成23年夏号

 一見、地震の被害がほとんどないかのように見えた県庁所在地の福島市。しかし、地震と津波、さらには福島第一原子力発電所事故の影響を受けて、避難を余儀なくされた沿岸部の方々が避難生活を送っています。神奈川県支部は、郡山市にあるビッグパレットふくしま、福島市にある県立あづま総合運動公園体育館に設置された赤十字の医療救護所で、多くの被災者の方々に対して診療を行いました。 発災直後は医療体制が機能していないだけでなく、機能している病院への搬送も困難な状況であったため、本来ならば入院が必要な患者に対して24時間体制で治療や処置にあたりました。また、各地に点在する避難所でも医療ニーズが高く、救護班は巡回による診療を行うとともに、緊急に必要な薬剤の調達などの調整を行いました。避難している方の中には、家や畑のみならず、家族や親族、友人が津波に流され行方不明になっているにもかかわらず、探しに行けない状況の方も多く、話をじっくりと聞いて、少しでも気持ちが楽になっていただけるような活動を努めました。 5月17日までに、神奈川県支部として福島県へ6班、同時に、被災した地域にある日赤支部を支援するため、福島県支部に13名派遣しています。

     私たちの班は、福島県あづま総合運動場で活動を行いました。門前では放射線量の計測など物々しい雰囲気でしたが、避難されている方々は予想外に明るく、秩序正しい生活を送られていると感じました。救護所では、いわゆる「風邪」の患者が非常に多く、手持ちの薬剤が不足するほどで、インフルエンザも数名確認されました。今後は気候が変わり、さらなる衛生面の充実が重要です。また、精神面を含めてすべてを助けあい、現場に行かなくてもできることを考え行い、一刻も早く被災者の方々が普通の生活に戻られることを切に望むばかりです。班長として活動を共にした班員に感謝すると同時に、被災者の皆さまには心よりのお見舞いと早期の復興をお祈り申し上げます。

     印象的だったのは、ある病院から搬送されてきた27名もの患者を、機能している病院に搬送した日のことです。患者さんたちは、救護所に来る前の2日間、何の看護も受けられず、体はひどく汚れていました。搬送までのわずかな時間で少しでも体をきれいにしたくても、私達だけでは手が足らず、あきらめかけていました。 そこへ同じ施設内に避難している数名の看護師、看護助手さんたちが名乗りをあげて手伝ってくれたのです。おかげで患者さんはピカピカになりました。 自分たちも被災者であるにもかかわらず、他者を思いやれるその姿に、医療者の志の強さを感じた一場面でした。

津久井赤十字病院 副院長 西山 保比古やす ひ こ

横浜市立みなと赤十字病院 看護部 武藤 久美子

   医 師

     私は、福島県支部を拠点とし、福島市内の避難施設を1日3箇所巡回診療する救護班に派遣されました。公民館や体育館が多く、診療所の設営、診療2時間、撤収、移動と目まぐるしい動きをしていました。 診療は1日に70名前後で、患者の様態把握や服用していた薬を聞き出して、手持ちの薬で処方するか、近隣の調剤薬局に対応してもらうことが主な役割でした。 初日最も困ったことは言葉で、福島の人たちは、文頭や文末に「はぁ」を使うことがあります。避難所で「はぁ、えんがみた」(もう、ひどい目にあった)と言われたときは正直戸惑いましたが、昼夜言葉の壁を乗り越え、最良の医療を提供できたと思います。

横浜市立みなと赤十字病院 薬剤部 平田 周祐

       看護師

     福島県支部支援の活動に参加したのは、震災から1カ月経った頃でしたが、まだ震度6弱の余震が起きている時期でした。被災地の支部という事もあり、どなたも休む事なく働かれており、栄養が偏りがちな簡便な食事で済ませているとのことで、心身への負担が大きいように感じました。 沢山の方々に手を差し伸べていただくためには、職員の方々が元気でなければなりませんので、不足しがちな栄養素が補え、さらにホッとできるようなメニューを考えて、お食事をご用意しました。 糧食支援という活動は初めてでしたが、日頃から訓練や研修などを重ねてきたおかげで、無事活動することができました。

神奈川県救護赤十字奉仕団 兼田 加代子

 赤十字では、被災支部の機能を支援するため、全国から職員やボランティアが岩手、宮城、福島の各県支部に派遣されています。その中で神奈川県支部は、福島県支部で支援活動を行いました。 私の活動していた4月10日~13日では、救護班の派遣調整・準備や巡回診療用のカルテの

準備、福島市内および福島市周辺、会津地方の避難所を担当した救護班から報告される日報集計など、様々な業務を行いました。ときには、足りなくなったカルテを避難所まで届けに行くこともありました。 現地では、神奈川県支部だけではなく、他支部から派遣されたメンバーと合同で支援活動を行うため、チームワークも必要になります。変更した事項や伝達内容をまとめ、より良い活動が展開できるよう、次の支援員へ引き継いでいきました。

盛岡市

福島第一原子力発電所

山田町

大槌町

釜石市

石巻市

仙台市

福島市

福島県支部の機能回復のため神奈川県支部 青少年係長 中島 良介

        

ボランティア

         薬剤師

しゅうすけ

郡山市 福島第一原子力発電所

福島市

郡山市

福島県 福島市、 郡山市での活動

調整員

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第81号 平成23年夏号 第81号 平成23年夏号

 岩手県では、県南部を中心として、発災から5月17日までに225個班の救護班が医療救護を行っています。その中でも、神奈川県支部は釜石市内、大槌町内を活動拠点として、避難所となった旧釜石第一中学校、県立山田高校の救護所で活動を開始しました。発災からの時間経過に伴い、活動の形は固定の救護所診療から巡回診療へと形態が変わり、その対応も外科的な処置から内科的処置、感染症への対応などに変化してきています。 巡回診療を行う避難所は小規模ではありますが、避難所に避難している方だけでなく、災害により通院ができなくなった近隣の方も診療時間に受診されます。受診された方から「赤十字が来てくれるだけでありがたい」と言っていただいたときは、安心感も一緒に届けていると感じる瞬間です。赤十字がいるということで安心感をもってもらうことも重要な役割のひとつです。 神奈川県支部は、5月17日までに、釜石市、大槌町に6個班の救護班を派遣しています。 また、釜石市鈴子広場には、関東近隣支部合同のこころのケアチームがリフレッシュルームを立ち上げ、被災者やその支援にあたる行政の職員の方に対し、こころのケアを行っています。

     発災後より日々伝えられる東北地方の深刻な状況は、私を含め多くの人たちに心の痛みを与えました。それは望まれない痛みですが、近年希薄だった日本人の、日本人としての愛国心と意識を覚醒させる大きな意味を持っていたと思います。私たちの救護班は大槌地区巡回診療に携わり、少しずつ被災地医療機関の機能が回復してきたのを実感しました。今後、支援の形が変わっても、日本人ひとりひとりの覚醒した強い意識と本来持っている勤勉さで復興を支え続け、近い将来、今まで以上に元気で安全な東北地方が再生すると信じています。

     今回、救護班として現地で活動し、一番感じたことは、救護所の展開や困ったことなど、班のメンバーで話し合うことの大切さでした。初めのうちは連携が上手く取れず、作業に時間がかかることもあり、自分自身も戸惑いがありました。しかし、毎日話し合いの場を設け、率直に意見を出し合うことでひとつにまとまり、スムーズに活動できるようになりました。 また、被災者の方への声かけも、接し方に難しさを感じながら始めましたが、被災者の方から「ありがとう」と言葉をかけられると、日頃の病院業務と同様の、自然な関わりを取り戻せました。 今回の経験を活かし、今後も頑張っていきたいと思います。

秦野赤十字病院 第二消化器科部長 林 秀雄

津久井赤十字病院 看護部 渡邉 啓子

   医 師

     釜石市の現地災害対策本部の周辺は、発災から一ヶ月以上経過していることもあり、住民の方も普通の生活をしているのですが、避難所に向かう途中で見た風景は、折れた電柱、ねじ曲がった車、土台だけとなった建物など、想像を絶するものでした。 活動を終えて戻ると、震災関係の報道も徐々に減り、計画停電も中断しているため、人々の話題にも上がらなくなっているような気がします。被災された方々が立ち直るために、自分たちに何ができるか改めて考えています。

秦野赤十字病院 用度係長 橋本 和美

        看護師

     テレビで被災地の様子は何度も見ていましたが、実際にがれきの山を目の当たりにすると、言葉を失いました。そして、私はここで何ができるのだろうと、とても不安になりました。避難所では、「今度は神奈川から日赤さんが来てくれた。」と話しかけてくる方もいましたが、多くを語らない被災者が大半でした。被災者や、行政の職員の方 と々接していく中で、自分の役割は何か状況を変えることではなく、何気ない言葉のやり取り、思いへの共感、そばにいるということが、一番重要なことだと感じました。今後も、こころのケアの活動が必要だと思っています。

横浜市立みなと赤十字病院 看護部 黒高 恵(こころのケアチーム) 災害によるストレスの程度は、災害状況の深刻さや被災者自身の性格によって異なり、その反応は身体、思考、感情、行動などに現れてきます。 日赤こころのケアは、研修を受けた看護師たちが、災害時に地域の保健師さんたちの活動を支援することを目標としています。 避難所や地域を巡回しながら、被災者や避難所を運営している行政の職員の方々に健康や身近な悩みなどを伺い、ストレスやその対処法などについてお話しをする中でストレスの軽減を図ろうとするものです。 専門家の介入が必要と判断された場合には、地域の保健師と連携をとりながら精神科医につなげ、重症化を防ぐ活動を行っています。

福島第一原子力発電所

山田町大槌町釜石市

山田町大槌町釜石市

石巻市

仙台市

福島市

赤十字の「こころのケア」神奈川県支部 事業部参事 西嶋 美貴子

         主 事

        看護師

郡山市

岩手県 釜石市、 大槌町、 山田町での活動

看護師

盛岡市盛岡市

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第81号 平成23年夏号 第81号 平成23年夏号

 岩手県では、県南部を中心として、発災から5月17日までに225個班の救護班が医療救護を行っています。その中でも、神奈川県支部は釜石市内、大槌町内を活動拠点として、避難所となった旧釜石第一中学校、県立山田高校の救護所で活動を開始しました。発災からの時間経過に伴い、活動の形は固定の救護所診療から巡回診療へと形態が変わり、その対応も外科的な処置から内科的処置、感染症への対応などに変化してきています。 巡回診療を行う避難所は小規模ではありますが、避難所に避難している方だけでなく、災害により通院ができなくなった近隣の方も診療時間に受診されます。受診された方から「赤十字が来てくれるだけでありがたい」と言っていただいたときは、安心感も一緒に届けていると感じる瞬間です。赤十字がいるということで安心感をもってもらうことも重要な役割のひとつです。 神奈川県支部は、5月17日までに、釜石市、大槌町に6個班の救護班を派遣しています。 また、釜石市鈴子広場には、関東近隣支部合同のこころのケアチームがリフレッシュルームを立ち上げ、被災者やその支援にあたる行政の職員の方に対し、こころのケアを行っています。

     発災後より日々伝えられる東北地方の深刻な状況は、私を含め多くの人たちに心の痛みを与えました。それは望まれない痛みですが、近年希薄だった日本人の、日本人としての愛国心と意識を覚醒させる大きな意味を持っていたと思います。私たちの救護班は大槌地区巡回診療に携わり、少しずつ被災地医療機関の機能が回復してきたのを実感しました。今後、支援の形が変わっても、日本人ひとりひとりの覚醒した強い意識と本来持っている勤勉さで復興を支え続け、近い将来、今まで以上に元気で安全な東北地方が再生すると信じています。

     今回、救護班として現地で活動し、一番感じたことは、救護所の展開や困ったことなど、班のメンバーで話し合うことの大切さでした。初めのうちは連携が上手く取れず、作業に時間がかかることもあり、自分自身も戸惑いがありました。しかし、毎日話し合いの場を設け、率直に意見を出し合うことでひとつにまとまり、スムーズに活動できるようになりました。 また、被災者の方への声かけも、接し方に難しさを感じながら始めましたが、被災者の方から「ありがとう」と言葉をかけられると、日頃の病院業務と同様の、自然な関わりを取り戻せました。 今回の経験を活かし、今後も頑張っていきたいと思います。

秦野赤十字病院 第二消化器科部長 林 秀雄

津久井赤十字病院 看護部 渡邉 啓子

   医 師

     釜石市の現地災害対策本部の周辺は、発災から一ヶ月以上経過していることもあり、住民の方も普通の生活をしているのですが、避難所に向かう途中で見た風景は、折れた電柱、ねじ曲がった車、土台だけとなった建物など、想像を絶するものでした。 活動を終えて戻ると、震災関係の報道も徐々に減り、計画停電も中断しているため、人々の話題にも上がらなくなっているような気がします。被災された方々が立ち直るために、自分たちに何ができるか改めて考えています。

秦野赤十字病院 用度係長 橋本 和美

        看護師

     テレビで被災地の様子は何度も見ていましたが、実際にがれきの山を目の当たりにすると、言葉を失いました。そして、私はここで何ができるのだろうと、とても不安になりました。避難所では、「今度は神奈川から日赤さんが来てくれた。」と話しかけてくる方もいましたが、多くを語らない被災者が大半でした。被災者や、行政の職員の方 と々接していく中で、自分の役割は何か状況を変えることではなく、何気ない言葉のやり取り、思いへの共感、そばにいるということが、一番重要なことだと感じました。今後も、こころのケアの活動が必要だと思っています。

横浜市立みなと赤十字病院 看護部 黒高 恵(こころのケアチーム) 災害によるストレスの程度は、災害状況の深刻さや被災者自身の性格によって異なり、その反応は身体、思考、感情、行動などに現れてきます。 日赤こころのケアは、研修を受けた看護師たちが、災害時に地域の保健師さんたちの活動を支援することを目標としています。 避難所や地域を巡回しながら、被災者や避難所を運営している行政の職員の方々に健康や身近な悩みなどを伺い、ストレスやその対処法などについてお話しをする中でストレスの軽減を図ろうとするものです。 専門家の介入が必要と判断された場合には、地域の保健師と連携をとりながら精神科医につなげ、重症化を防ぐ活動を行っています。

福島第一原子力発電所

山田町大槌町釜石市

山田町大槌町釜石市

石巻市

仙台市

福島市

赤十字の「こころのケア」神奈川県支部 事業部参事 西嶋 美貴子

         主 事

        看護師

郡山市

岩手県 釜石市、 大槌町、 山田町での活動

看護師

盛岡市盛岡市

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災害時は医療支援、こころのケア、毛布などの救援物資の配付などを、平時は救急法の講習普及、ボランティアや青少年赤十字の育成などに役立てられます。

災害救護活動など日本赤十字社の人道的活動

義援金

活動資金

第81号 平成23年夏号

就任のごあいさつ

 このたび、日本赤十字社神奈川県支部長に就任いたしました、県知事の黒岩祐治でございます。 まず、東日本大震災に際して、被災された皆さまに心よりお見舞い申し

上げます。また、亡くなられた方々、ご家族の皆さまに対して謹んで哀悼の意を捧げたいと存じます。 日赤神奈川県支部では、今般の地震発生直後より、横浜市立みなと、秦野、津久井の県内3赤十字病院から医師、看護師等からなる医療救護班をいち早く被災地に派遣いたしました。そして、現在も引き続き、被災地のさまざまなニーズに対応すべく懸命に活動を展開しております。

 日本赤十字社は、設立より今日に至るまで、「人道」を活動の基本理念として、このような災害救護活動をはじめ、医療、血液、福祉事業など、いのちと健康を守るために地域に根ざした幅広い活動を展開してまいりました。   そして、これらの活動は、ボランティアの皆さま、赤十字社員の皆さまをはじめ、赤十字を応援してくださる多くの皆さまによって支えられてまいりました。 今後、私も赤十字の一員として、その使命の重さをしっかりと受け止めて、全力で取り組んでまいりますので、皆さまにおかれましては引き続き変わらぬご理解とご支援を何とぞよろしくお願い申し上げます。

 日本赤十字社神奈川県支部長

第81号平成23年夏号

 地震発生から5日後、私たちこころのケアチームが現地でお会いしたのは、澄み渡った青空と絵はがきのような風景の中で、憔悴しきった被災者のご家族でした。希望や祈りが不安と焦りに変わり、更に絶望に心が打ちのめされてい

く方々に対して、私たちができることは「そばにいる」ことだけでした。ときには、私たち自身の気持ちも押しつぶされそうになりながらも、そばにいることを示し、支え続けました。また、多くの在留邦人も不安と混乱の中に置かれ、海外にいる日本人へのケアの必要性も痛感しました。奇しくも、派遣期間中に東日本大震災が発生し、国内救護にあたるため日本に帰国せざるを得ませんでしたが、こころのケアチームは現地での活動を継続し、癒しのスペース「赤十字カフェ」や「赤十字こころのホットライン」を開設し、傾聴やアドバイスなどを行いました。

日赤かながわ前号(平成23年春号・第80号)で開催のお知らせをいたしました「赤十字フェスティバル」は、東日本大震災に伴う救護活動を優先するため、中止とさせていただきました。開催を楽しみにしてくださっていた皆さまに、あらためてお詫びいたします。

〒231-8536 横浜市中区山下町70-7TEL.045(681)2123  ホームページ http://www.kanagawa.jrc.or.jp  電子メールアドレス [email protected]

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お詫び

 日本赤十字社は発災当日から全国の救護班を被災地に派遣し、5月17日現在で670個班の医療救護班(以下救護班)が「医療救護」活動を行い、神奈川県支部もその一員として、5月17日現在19個班の救護班を派遣し、現在も活動を継続しています。また、近隣支部と連携した「こころのケア」チームに職員の派遣を行っています。 神奈川県内の救護班は、横浜市立みなと赤十字病院、秦野赤十字病院、津久井赤十字病院の3病院に計15個班が常備されています。救護班1個班は医師1人・看護師3人・事務管理要員(主事)2人の計6人が基本となりますが、15個班の内7個班は薬剤師を加えた7人で構成されています。東日本大震災で

 平成23年3月11日14時46分、三陸沖を震源とした、国内観測史上最大規模のマグニチュード9.0の地震が発生しました。この地震により、最大7という震度のみならず、10メートルを超す津波が各地に押し寄せ、甚大な被害をもたらしました。さらに福島第一原子力発電所事故も起こり、未曾有の大災害となりました。

は、更に調整員とボランティアを加え、現地に派遣しています。 日本赤十字社の災害救護活動は(1)医療救護(2)救援物資の備蓄と配分(3)血液製剤の供給(4)義援金の受付と配分(5)その他、必要な業務の5つが主になります。中でも医療救護は、一刻も早い処置が必要な被災者に対する被災地での応急処置、被災により機能を失った医療機関の代わりに機能回復までの空白を埋めること、巡回診療により医療を提供し、避難者の精神的な支えとなることを目的としています。 今号の日赤かながわでは、この「医療救護」に従事した人々の生の声をお伝えします。

ニュージーランド地震日本人被災者に対する「こころのケア」

日本赤十字社では東日本大震災義援金を募集していますが、「義援金」の行く先や「活動資金」との違いは、どうなっているのでしょうか?ご理解ください~義援金と活動資金~

神奈川県支部 救護課長 野口 理恵子 2月27日~3月12日

 私が活動を行ったハイチの南県は、地震そのものの被害はありませんでしたが、震災後に発生したコレラ感染の拡大により、支援が必要な状況にありました。日赤は、国際

赤十字・赤新月社連盟の指揮のもと、緊急対応ユニット(ERU)チームとして、現地のコレラ感染患者に対する治療と、地域医療機関の人材育成や資機材支援を主に行いました。チームは4人という少ない人数でしたが、ローカルスタッフの協力のおかげで、患者数も目に見えて減少しています。地域に住む人たちと一緒に活動し、感染予防などの知識だけではなく、人の命を大切にしようとする「人道」の想いを共有できたことは、とても貴重な経験でした。

ハイチ大地震コレラ救援活動に派遣

神奈川県支部 企画課主事 根本 明子 3月28日~4月30日

義援金と活動資金の流れ

 「義援金」は寄せられた全額が、義援金配分委員会を通じて、被災者の方々に届けられます。「活動資金」は、災害救護活動や救援物資、ボランティア・青少年育成などの赤十字活動の資金として、ご協力いただく寄付金です。特に、毎年、一定金額をご協力いただいている方々を社員、いただいた資金を社費と呼んでいます。 5月18日現在、221万5,837件、1,966億1,961万2,371円の東日本大震災義援金が寄せられ、順次、配分委員会へ送金されています。詳しい配分状況は、日本赤十字社本社ホームページ(http://www. jrc.or.jp/)をご覧ください。

東日本大震災 活動報告

国際活動報告