ツキイチテーブル#35「筋トレ前の準備体操 アートって何だっ!?」...

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『敵対と関係性の美学』の要約 この要約には2011年刊行『表象05』掲載の星野太氏訳「敵対と関係性の美学」を種本としています。要 約内に表記している頁数は『表象05』に準じています。 2014/10/29

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『敵対と関係性の美学』の要約

この要約には2011年刊行『表象05』掲載の星野太氏訳「敵対と関係性の美学」を種本としています。要約内に表記している頁数は『表象05』に準じています。

2014/10/29

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「敵対と関係性の美学」とは・・・

2004年のクレア・ビショップ(批評家)の論文のタイトル。

ビショップが、ニコラ・ブリオーの著作『関係性の美学』と、ブリオーが『リレ

ーショナル・アート』として範疇に収めたリクリット・ティラヴァーニャやリアム・

ギリックの作品を批判し、それに対してサンティアゴ・シエラやトーマス・ヒル

シュホルンの作品を『敵対』という考えを帯びているとして評価している内容。

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ニコラ・ブリオーの「関係性の美学」とは・・・

1998年のニコラ・ブリオー(キュレーター)の著作の

タイトル。ブリオーが、1990年代の芸術の概略を示

した内容。

ニコラ・ブリオーによる90年代の芸術とは・・・

「自立した私的な象徴的空間の存在を主張するのではなく、人間どうしの相

互作用、およびその社会的な文脈という領域」(p77)

=リレーショナルアート

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「リレーショナルアート」とは・・・

ひとくくりに定義はできないが、共通的な特徴として

・相互的な「出会い」を打ち立てようと試みる。

・個人的な空間でなく「集団的」に作られる。

・集団的、社会的な実体として人々が集められる。

・それだけではなく、新しく共同体(集まり)を生み出す手段を与えられる

(p77~78)

・作品を観賞して思いふけるよりも、作品を使用することが強調される。

・作品にアーティスト本人のトレードマークが見出しにくい。

(p79)

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「関係性の美学」前後のアート業界の状況(’90後半~’00前後)

・ヤングブリティッシュアーティストの台頭と、それへの反発(p77)(YBA。≪ダミアン・ハースト≫≪アーティストラン≫≪オルタナティヴスペース≫≪ショッキング、スペクタクル≫などがキーワード)

アートが消費と共犯関係となってしまい、脱政治化されたとも見られた。

・パレ・ド・トーキョーの2002年の展示のスタイルがヨーロッパで流行(p75)「ホワイト・キューブ」モデルを、スタジオないし試験的な「実験室」として概念化。

作品や展示が「開放的」「相互作用的」「制作中」「実験室」的となった。

・ディレクター・キュレーターのスター化(p77)展示や施設を監督するディレクター・キュレーターこそが作品やアーティストよりも地位が高まって見

られるようになった。

・ビエンナーレ・トリエンナーレがヨーロッパで急増(p79)さらにはブリオーが評価したアーティストたちが各地で引く手数多となった。

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「関係性の美学」前後の社会の状況(’90後半~’00前後)

・IT化(インターネット、携帯電話)

・グローバル化

・経済が商品型からサービス型へ

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ブリオーは、リレーショナルアートがこのような現実の社会の状

況に対して呼応していると捉えた。

・人々はIT化、グローバル化、サービス化によって、身体的、対面的である何か相互作

用があるものを欲するようになった。(p78)

・今日のアーティストが追い求めているものは60年代的な夢想的な政治提言ではなく

て、“いまここ”における一時的な解決策。(p78)

ブリオーは「より幸福な明日に賭けるより、現在の隣人たちとのありうべき関係性を発明

することの方が、より急務であるように思われる」と要約した。(p78)

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そのようなリレーショナルアートの典型といえるアーティストをブリオーは二人ピッ

クアップした。

リクリット・ティラヴァーニャ(1961~)

リアム・ギリック(1964~)

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リクリット・ティラヴァーニャ(1961~)

ニューヨークの303ギャラリーでの展示

滞在制作中ギャラリーを訪れた人にカレーなど料理をふるまった。

ギャラリーの事務所や倉庫にあったものを展示空間へ持ち込んだ。

ギャラリーのディレクターも持ち込まれた。ディレクターはその状態

のギャラリーの中で日常業務をした。

滞在時にはカレーをふるまい、ティラヴァーニャ本人がいない時に

は廃棄物、台所用品、食品のパッケージなどが展示作品となった。

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・制度的な空間と社会的な空間との区別(美術館やギャラリーとレストランやホームパーティーという様な)

の取り払いや、アーティストと鑑賞者との区別の取り払いを目指した。

・観衆の参加・作品の使用こそが主眼。

・食事は観衆と作家が友好関係を作るための手段。

(p80)

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リアム・ギリック(1964~)

作品は立体的、幾何学的なデザイン。

素材はアクリルやアルミなどを用いていて、箱型や平均台、ディスプレイの

ような形のものなどが典型的。

・ミニマリズムの彫刻やインスタレーションを髣髴とさせる(皮肉ってる?)。

・一方で「事務所、バス停、会議室、社員食堂」の様に見て取れる。

形や素材だけでなく、展示にはそれらしい文章などを散りばめたりして、

企業、商業、国家、政治などのシステムを連想させる。

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ギリックの考え

「自らの作品は人々に考察を促すようなものではない。」

「鑑賞者たちが作品に背を向けて話していれば十分。」

「作品は背景、装飾みたいなものである。」

(p84)

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ギリックは企業、商業、国家、政治などのシステムを批判するだけとはならずに、実

際に改善をしていこうとすることに関心を持つ。アートの展示の他にも、

・ポルシェの交通システム等の実験プロジェクト

・住宅計画のためのインカムの設計

等といった「現実的な社会問題解決のプログラム」にも参画している。(p84)

「アートの展示」と「現実的な社会問題解決のプログラム」がギリックにとってはシームレスな

ものとなっている。(p84)

これらに一貫するのは、明確な解決策ではなく社会に対して代替案、妥協案、折衷案の

提示にこそ強く関心を示している。(p84)

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リクリット・ティラヴァーニ、リアム・ギリックともに

人々の関係性にこそ価値を見出している。

観衆の存在こそがそれぞれの芸術にとっての

本質的な構成要素である。

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ブリオーによるリレーショナルアートについての考え

・リレーショナルアートは「美的」かどうかだけでなく「政治的、倫理的」かどうかを問

う。(p87)

・リレーショナルアートは鑑賞者自身が「私がこのおしゃべりの中に加われるか、こ

の空間にいることができるか」を問う。(p88)

・「出会い」こそが、出会いを構成する個人よりも重要。(p88)

・「対話」を可能にする関係性は即ち“民主的”であるのだから、それは良いもので

ある。(p88)

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ビショップによる、ブリオーへの疑問・反論

・ハプニング、フルクサス、ヨゼフ・ボイスなど、観客との関わりを主眼にした考え方

は別に目新しいものではないのでは?(p85)

・リレーショナルアートに特有の「構造」こそがブリオーにとっての関心事で、それ

はつまりとても形式を重んじているだけの考えなのでは?(p88)

・リレーショナルアートの作品の効果は作品に参加した人々のみしか享受できな

いのでは?(p89)

・「倫理的、政治的なもの」を、芸術として「美的なもの」と同等に測定できる方法

なんてあるの?(p89)

・人々や社会の関係性における政治的な側面は無視していないか?(p93)

・そもそも「民主的」ってどういう意味で使っているの?(p89)

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リレーショナルアートの理想と現実リレーショナルアートはブリオーが言うような意義や性質とは裏腹に、その実情はかなり異な

っていた。

・ティラヴァーニャの作品のように、美術業界人や愛好家たちが交流でき、業界人同士で内

輪のゴシップ、展評や単なるおしゃべりとかに興じれるし、バーみたいなのでウケがよかった

だけだった。(p89)

・単純に世のキュレーターたちが「開放的」「実験的」な展示をすることを強く欲していた(p

82)

・「関係性の美学」的なアーティストたちが、各地の芸術祭などで引く手数多となり「巡業ス

ター」となって、国際的なアートシーンに偏在していった。(p105)

・その場に妨害や邪魔する人が来ないことで成立する。結局は予定調和的。(p93)

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ビショップは、ブリオーが主張するような「関係性」やその実情は、

民主的とは言えないものだと反論している。

ビショップはここで、ブリオーに対する対案として、

真に民主的であると言える社会とは何かを論じるため

「敵対」

という概念を提示する。

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「敵対」とは・・・エルネスト・ラクラウと、シャンタル・ムフが著作「ポスト・マルクス主義と政治―根源的民主

主義のために―」(1985年刊行)で主張した概念。(p89)

「1970年代におけるマルクス主義の理論化の行き詰まりを受け継ぎ、グラムシのヘゲモニー

論、および分断され脱中心化されたものとして主体性を捉えるラカンの理解を通したマルク

スの読みなおしたもの」(p90)

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ここで論じられる「敵対」の概念を強引にざっくりと要約するならば、

・社会が民主的であるには「排除」「衝突」「分断」「不安定性」が存在することこそが必要条件。

・完全な「同化」や完全な「排除」は絶対に完遂し得ない。常に社会に対立関係が

生じている。

・社会にそのような対立関係が存在していなければ、逆に言えばそれは権威による合

意しか存在していないこと言える。

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――補足――

※ヨーロッパにおける政治哲学等の分野(特に反新自由主義的な左派的思想として)ではそれなりに

著名なものらしく、日本でも研究対象とした論文がいくつも存在する。解説をしているものから幾つかポ

イントを挙げると、ラクラウとムフは、

・マルクス主義を批判的ではあるが継承している。

・「ヘゲモニー」と「敵対」をキーワードとしている。(「ヘゲモニー」はアントニオ・グラムシ、「敵対」はカー

ル・シュミットからの影響が大きい)

・ジャック・ラカン、ジャック・デリダを援用している。

・民主制を語る上で、個人のアイデンティティとは決してひとつのものではなく、多元的であることを機

軸において主張をしている。

(一人の個人の中に、いくつもの異なるアイデンティティが存在していること)

・労働闘争と、反核運動、性的マイノリティ、フェミニズム、エコロジー運動など新しい社会運動との接合

を重視した主張をしている。

・ロールズやハーバマスを批判している。

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そして、そのような「敵対」の考えが見て取れるアーティストをビショップは二人ピ

ックアップした。

サンティアゴ・シエラ(1966~)

トーマス・ヒルシュホルン(1957~)

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サンティアゴ・シエラ(1966~)

・A地点からB地点まで重たい岩を移動させ、元の位置に戻させる。

・マスターへーションをしてもらう。

・薬物中毒の娼婦たちにヘロインを1回買える報酬で

背中につながった合計160cmのタトゥーを彫る。

・亡命者に一日4時間6週間ダンボール箱の中に入らせる。

・インドの汲み取り便所労働者(最下層カースト)に便で

作品を作らせてロンドンの有名ギャラリーに高額で売る。

・メキシコで麻薬マフィアの通り道にバリケードを作る。 etc・・・

これらすべてに協力者に対価として報酬を支払う。

(p95)

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・誰かを使用することでシエラ自らが利益を上げている仕組みを隠しはしない。

・無償で与えられるものなど存在しない。

・すべての人には値段がついていることを提示し、値段の格差を露見して社会的政治的な諸

問題を見出す。

(p95)

これらの労働は無意味なものがほとんど。

協力者はシエラの労働から受ける

身体的なダメージは大きい。(p95)

金銭のためならどんなことでもやり、

金銭のために傷つくという現実社会の

映し鏡(p96)

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2001年ヴェネツィアビエンナーレ

ビエンナーレの期間中は特に排除される人々である本物の不法露天商の人たちを金髪に染め上げ

て、ヴェネツィアビエンナーレでシエラが与えられた空間を、その露天商たちに明け渡した。

その状況で、露天商たちに普段と同じように商売をしてもらうようにした。

しかし露天商たちは決して生き生きとせず、自分たちがビエンナーレの中にいることに不安を覚え萎

縮した。

それを観に来た鑑賞者たちと露天商たちの間には、

互いに調和や和解は生まれることはなく、両者には相

容れない緊張関係が維持されたままであることが浮

かび上がるかたちとなった。

(p98)

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2003年ヴェネツィアビエンナーレ

シエラの作品を展示するギャラリーの入口には入国管理官が立ち、スベイン国籍を持つものでなけ

れば建物に入れない。

芸術作品による相互作用には、現実の公共空間と同じように、社会的・法的な「排除」や「分断」があ

ることを提示した。

(p99)

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トーマス・ヒルシュホルン(1957~)

ダンボール、ガムテープ、アルミホイルなどの素材を用いて

記念碑、建築物、祭壇を再発明するという作風。(p99)

ヒルシュホルンの考え

政治的な芸術を生み出しているのではなく、

政治的に芸術を生み出している。

芸術は特権的であり自律したもの。

鑑賞者の介入によって完成するものではない。

(p100)

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2002年ドクメンタ

郊外の公営団地の敷地に小屋のような作品を設置。

アクセスの都合上、作品を見に行くためにはトルコ系の

運転手によるタクシーに乗って行かなければならない。

また帰るためには待合場で一定時間を待たなければ

ならないようになっていて、結果的に否応なく地元の家

族が経営しているバーを利用せざるを得ない。

鑑賞者たちは民族的・経済的にドクメンタの観客とは

想定されていないような人々の居住区域への進入者

となるかたちとなる。

(p101)

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ヒルシュホルンの作品において

鑑賞者は芸術の「ファン」であることそのものの意味や価値を問い

質される。

鑑賞者の役割は、思考したり反省したりすることだけ。

(p102)

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シエラ、ヒルシュホルン共に、

社会参加型の公共芸術プロジェクトからは遠い位置にある。(p103)

芸術と社会との緊張関係・境界線のような、社会的なものと美的な

ものとの複雑な重なり合いへと回帰している。(p104、105)

そんなシエラ、ヒルシュホルンも今日ではビエンナーレ、トリエンナ

ーレなどで存在感を高めるような常連となっている。

(p105、106)

要約終わり