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2016年冬学期ASNET講義 書き直される中国近現代史(その9) 現代中国理解講座 現代中国への視線 ‐歴史の視座と多様性‐ 2016年12月1日 第6回 歴史認識と歴史研究 東京大学大学院総合文化研究科 村田雄二郎 murat a@ ask u‐tok yo ac 歴史人物評価 歴史を鑑とする (以史為鑑) 勧善懲悪 影身ず 史学 勝者・タ台者の歴史 (成王敗冠) 誰が歴史を書くのか? 民族主義の語り 侵略/連帯 抵抗/協力 周辺 の視点 灰色地帯 共産党/国民党/孫文史観 事例1 露清密約 ・ 日清戦後 「 連露拒日 」論 翁同猷(軍機大臣) 張之洞(両広 総督) 劉坤一(両江総督)ら ロシア皇帝ニコライ2世の戴冠式に 李鴻章が清国特使として参列 禦敵互相援助条約 (1896年6月3 日モスクワで調印 9月28日北京で 批准書交換 歴史人物評価 事例1 露清密約 事例 2:田中上奏 ル事例 -: 清帝退位詔 おわ α 近現代史研究の対象と領域 イメージ・記憶と実証主義 戦争の歴史をめぐる 「感情記憶」 歴史認識問題におけるメデ ィアの役割 ト民族主義 学者はメデ ィアの一面的報道を批判するが…… 歴史研究者の立ち位置 専門研究(規律・訓練) と社会性・公共性 *本 デヴ‐を

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2016年冬学期ASNET講義書き直される中国近現代史 (その9)

現代中国理解講座:現代中国への視線

  

‐歴史の視座と多様性‐

2016年12月1日

 

第6回

歴史認識と歴史研究

東京大学大学院総合文化研究科

   

村田雄二郎murata@ask.c.u‐tokyo.ac.jp

歴史人物評価拳

 

”歴史を鑑とする” (以史為鑑)

   

勧善懲悪,

 

”影身ず 史学

* 勝者・タ台者の歴史 (成王敗冠)誰が歴史を書くのか?

* 民族主義の語り:侵略/連帯, 抵抗/協力”周辺” の視点,

“灰色地帯”

共産党/国民党/孫文史観

事例1:露清密約・ 日清戦後 「連露拒日」 論

  

翁同猷(軍機大臣), 張之洞(両広

  

総督), 劉坤一(両江総督)ら

ロシア皇帝ニコライ2世の戴冠式に李鴻章が清国特使として参列

「禦敵互相援助条約」(1896年6月3日モスクワで調印,9月28日北京で批准書交換。)

 

1, 歴史人物評価

  

2, 事例1:露清密約 (, 事例2:田中上奏

4〉ル事例- :清帝退位詔おわpに .α

近現代史研究の対象と領域

*イメージ・記憶と実証主義

  

戦争の歴史をめぐる「感情記憶」

$ 歴史認識問題におけるメディアの役割

  

ネット民族主義

  

学者はメディアの一面的報道を批判するが……

*歴史研究者の立ち位置

  

専門研究(規律・訓練)と社会性・公共性

   

                 

ず、*本

                 

     

         

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喜ぼ嚢

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中東鉄道合弁公司契約に関する章程12条

* 露清銀行 (中国名は華俄道勝銀行、1895年12月設立)

天津分行

                             

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事例Z:田中上奏文

* 「田中奏摺」, 肋β を〃豹β妬e腐りr/”/“撒e腐り′aヵ所溺初

奮闘署1   

      もきき;も撃    

誰が「露清密約」神話を作ったか?

 

川り′防 備/〃〃”〃//ノ侶e郡 (『字林西報』)

 

1896年3月6日に密約原文をスクープ

 

 

伝聞・諸言*

 

梁啓超「亡羊録(一名丙申以来外交史)」(『清議報』 (第24・

 

25・27冊、1899年8‐9月) ”カヅシーニ密約“

  

→『中国四十年来大事記(一名李鴻章)』(新民叢報社、

  

T902年)

 

『李鴻章遊俄紀事』(王光祈訳、中華書局,1928年)

  

ウィッテの回想録(1921年刊)の節訳

 

火のないところに煙は立つか?敗戦による李鴻章の権威失墜, 戊戎変法 (1898年6-9月)旅順・大連湾租借 (1897年12月), 反露感情 (拒俄)

露清密約条文

ロシア駐清公使カッシーニ

  

‐.L二メメニ三瀦憲三私議謎

 

(曙希尼,1891-96)

    

   李鴻章とビスマルク

ウイッテ財務大臣(1892‐1903)

*「日本がロシア・アジアの東方の土地あるいは中国の土地、朝鮮の土地を侵犯した場合、この条約に抵触するものとし」、「海陸両軍でただちに動員できるものはすべて出動して互いに援助し、火器・食糧もあたう限り互いに融通する」(第1条)

*「中国政府は中国黒龍江・吉林地方からウラジオストックに至る鉄道の建設を認める」(第4条)

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中国侵略の全体計画

 

”曇日(のうじつ)の日露戦争は実際は日支の戦(いくさ)にして、 将来支那を制せんと欲せば、必ず先づ米国の勢力を打倒せざるべからざること日露戦争と大同小異なり。而して支那を征服せんと欲せば、先づ満蒙を征せざるべからず。世界を征服せんと欲せば、必ず先づ支那を征せざるべからず。若(も)し支那にして完全に我が国の為に征服せられんか。

・他の小亜細亜、印度、南洋等の如き異服の民族は必ず我を敬畏して我に降服すべく、世界をして我が国の東洋たるべきを知らしめ、永久に敢(あえ)て我が国を侵害することなからしむるに至るべし。之れ乃(すなわ)ち明治大帝の遺策にして、亦(また)我が日本帝国の存立上必要事たるなり。

”.(日華倶楽部訳編『支那人の観た日本の満蒙政策』1930年6月序、22頁。)

  

◆.,.”、“キ,」…・・一二,ー

  

   

 

 

天津.・

 

 

 

   

 

山東出兵と東方会議

1927年5月~9月

 

第一次山東出兵1928年4月~5月

 

第二次山東出兵

 

五・三惨案 (済南事件)1928年5月

 

第三次山東出兵1928年6月4日

 

張作露爆殺事件

     山東省

中国

  

南京・

 

 

▲・.た海

情報戦蟹宣伝戦と『田中上奏文』

       

 

中国:民間団体と国民政府の宣伝

    

 

                 

 

                                                                            

 

 

‐ T鮫. ‐ニム

  

外交

 

lina℃『it経

   

『時事月報』(南京)1929年12月

                 

 

を″日々β庇お伽り′/β/Publishedby

裏 もぎィ }

を葦争議きZ1eC力溺βCr/云な,ShanghaiChina,1931.国民党支部や総商会の印刷・配付

  

活動萄

 

日本:外務省→国民政府外交部へ

 

取締要請(1930年4月7日)

  

これを受けて『中央日報』記事(1930年4

 

月12日)

  

中国外交部は偽書であることを認識してい

 

た。

文書偽造の背景

 

昭和2(1927)年7月25日という日付

 

4月20日田中義一内閣成立、6月27日-7月7日田中総理 (兼外

 

相)東方会議を主催、 「対支政策要綱」発表。

全文約34000字(中国語で約26000字)。 「満洲に対する積極政策」にはじまり、21項目にもおよぶ長文。田中義一首相が昭和天皇に上奏したときの機密文書が宮中から外に洩れ、入手した中国人がそれを中国語に訳したという。

*1929年夏頃から中国国内で流布された。秋には英訳版が

 

アメリカにも流入していった。

 

新東北学会, 遼寧省国民外交協会など民間団体の活動が主。

    

 

  

しにとき

  

か話

こで

『さ

 

し談

の証

 

のそ実

『中央日報』 「田中上奏文の真偽問題」,:.;

”しかし, 最近中日親善を提唱している者の談話によれば, 田中上奏文は偽物であり,そのことは上奏文の矛盾を列挙することで実証できるという。

””このように小冊子の記述は矛盾に満ちている。 その流布を放置するならば, 中日交流に悪影響を及ぼすであろう。 このことを危倶して対処せざるを得ない。

五三惨案

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国際連盟理事会における論争

 

松岡「そのような文書が、天皇に上奏されたことはな

 

い。 一九三〇年四月、′当時の王正廷南京国民政府外交

 

部長は、偽造文書の流通によって生じる悪影響を防ぐ

 

ために、 しかるべき措置を講じると駐華日本公使に約束しているではないか。」

 

頭「偽書であるかはともかく、 『田中上奏文』に記さ

 

れた政策は、満蒙の支配や華北と東アジアにおける覇

 

権の追究を説くものであり、数十年来に日本が進めて

 

きた現実の政策そのものである。」ヰ

 

松岡「中国代表は、 『田中上奏文』の信悪性を確信さ

 

れているようである。中国代表が文書の存在を次の会

 

議で立証されることに期待したい。」

               

(1932年11月23日)

南北和議(1911年12月~12年2月) 伍廷芳《致南京神文砲》(1月21日)

”日来与蓑内閣切実碓商清帝退位力・法, 本定子初日[1月21日]即髪表清帝退位之諭旨, 后因髪生、同, 以致梢滞。 此薙同之髪生在清帝退位后対千方如何処置。清帝統治叔己蜂消爽,而我”御寸政

直接銃轄北方,剛北方符膿子充政府之状窓。据日下情形是北方各官吏符土費同共和,対千≧且釈統一全国之政府宜得其同意。故廷芳以力漕帯退位宜由蓑世凱君与南京”細寸政府協商,以商方同意蛸奴鏡一全国之政府。如此則統一政府成立之后, 千内必能銃一全国之秩序, 子夕1・必能得各国之承仏。

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《退位詔書》最終草案の一

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事例3:清帝退位詔書

1912年2月12日

 

清帝退位

 

《退位沼綱》

 

《清室伏待条件》

 

〔《美子大清皇帝辞位后之債待条件》

 

《美千清皇族待遇之条件》

 

《美子満蒙回歳各族俄待条件》〕

 

《告京タト臣民事》

 

◎蓑世凱の詔書改憲?権力の纂奪?

《退位詔書》最終草案のニ

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”聯美制日” 策:唐紹儀派遣 (1908年10‐12月)

警圏轟蟹ドル三瀬  .÷;’ 借款(鉄道,r/

 

銀行,実業)

*歴史叙述における記憶・イメーン

 

「神話」破壊的実証作業

*実証主義の効用と限界

 

共感と批判の歴史学”{白永瑞)

事 「違い」 の共有と対話

 

資料の共有 (発掘・整理・解読)

参考文献

 

岡本隆司『夏世凱』岩波新書,2015年。*

 

川島真・劉傑編『対立と共存の歴史認識-一日中関係

 

150年』東京大学出版会,2013年。*

 

孫歌『アジアを語ることのジレンマ』岩波書店,2005年。*

 

田中比呂志『蓑世凱』 (世界史リブレット), 山川出版

 

社,2015年。

 

J・チェン『哀世凱と近代中国』 (守川正道訳), 岩波

 

書店,1980年。*

 

白永瑞『共生への道と核心現場』 (超慶喜監訳), 法政

 

大学出版局,2016年。*

 

服部龍二『日中歴史認識--「田中上奏文」をめぐる相

 

刺1927-2010』東京大学出版会,2010年。

国権外交:”南滴洲”における日米の対立

 

同時代の評価: 「怪傑」 「野心家」 「島雄 「俗物的

 

才物」 (尾崎行雄), 「術策に富んだ優れた機会主

 

義者」 (橘模), 「経世の眼」 (犬養毅)

 

‘‘strong

 

man”

 

「悪賢く, 反復常なき人物」 (梁啓超), 「窃国大盗」 (陳伯達) …

* 再評価:北洋新政,修約(国権)外交, 中央集権国家

◎蓑世凱評価の基準

 

進歩/保守,革命/反動,愛国/売国,聖人/民賊

1905年7月

 

桂・タフト(Taft)協定1905年10月

 

桂・ハリマン(Harriman) 覚書

1908年11月

 

高平・ルート協定1909年11月

 

国務長官ノックス(Knox) ”満鉄中立化

パノマン(Edwd畦コメ’

   

      

.Hen~Harriman