『アマルティア・セン―倫理学と経済学―』のまとめ(20080414 )

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交通の評価 交通の公正 第一回卒論発表 小野塚 亮 2008.4.14

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交通の評価 交通の公正

第一回卒論発表

小野塚 亮2008.4.14

はじめに

● 本発表は以下の問題意識に基づいている。– 『地方の公共交通はなぜ不便なのか』『地方の公共交通はなぜ不便なのか』

➔それは、既存の評価手法が狭隘な情報的基礎に基づいているためではないのか?評価手法に新たな視座を取り入れればそれは改善されるのではないか?

➔では、改善されるべき不便さとはいったい何であるのか?改善とはどのような状態を指すのか?

もくじ● 第一章 『評価・効率と公正』

– 伝統的な利用者便益の評価[パウエル(2008)]– 英国の新評価アプローチ[パウエル(2008)]– 公平性と補助[山重(2007)]

● 第二章 『アマルティア・センの枠組み』                   [鈴村、後藤(2002)]– 《厚生主義的帰結主義》への批判と《合理的な愚か者(rational fool)》

– 《潜在能力》と《機能》– 《不平等》と《貧困》

● 第三章 『センの枠組みによる第一章への批判』– 次回発表までに精緻化

第一章 『評価・効率と公正』

● 伝統的な利用者便益の評価伝統的な利用者便益の評価[[パウエルパウエル(2008)](2008)]

● 英国の新評価アプローチ[パウエル(2008)]

● 公平性と補助[山重(2007)]

伝統的な利用者便益の評価

● 理論上の仮定理論上の仮定– ある人がIJ間を移動するのは、IではなくJにいることで得られる追加的便益がIからJへの移動費用を上回る場合であり、そしてその場合に限られるだろう。

– ある人がIJ間の移動にモードNではなくモードMを選択するのは、モードMによるIJ間の移動費用がモードNによる移動費用を下回る場合だろう。

伝統的な利用者便益の評価

● 今回は単純化のためにモードを転換しない既存利用者によるトリップに対象を限定する。

● ある個人PのモードMによるIJ間の移動の…– 一般化費用をGCpijmとする。– 便益をBpijとする。

● 個人PがモードMによるIJ間のトリップから得る消費者余剰CSpijmは…– GSpijm = Bpij GCpijm – で与えられる。

伝統的な利用者便益の評価

● 一般化費用一般化費用GCpijmGCpijmを構成する費用を構成する費用GCpijm = Mijm + vtpm * Tijm + Zpijm

– Mijm :モードMによるIJ間の移動の金銭的   費用

– Tijm :モードMによるIJ間の移動時間– Zpijm:ある個人特有の、各モードによる   移動の非時間的あるいは非金銭的費   用

– vtpm :モードMを利用する場合の個人Pの   時間価値

伝統的な利用者便益の評価

● 英国政府が伝統的に採用する英国政府が伝統的に採用するZpijmZpijmの内容の内容– 移動の快適性

– 移動の信頼性

– 移動の安全性

– 眺望

第二章へ向けて

● 伝統的な利用者便益の評価について

アマルティア・センの枠組みから捉え直す。

– 《非厚生主義的帰結主義》と《合理的な愚

か者(rational fool)》

第一章 『評価・効率と公正』

● 伝統的な利用者便益の評価[パウエル(2008)]

● 英国の新評価アプローチ英国の新評価アプローチ[[パウエルパウエル(2008)](2008)]

● 公平性と補助[山重(2007)]

英国の新評価アプローチ

● 英国の新評価アプローチ英国の新評価アプローチ– 白書A New Deal for Transportに基づく。[Department of the Environment, Transport, and the Regions, A New Deal for Transport: Better for Everyone, Cm 3950, July, 1998.]

– 交通の諸問題に対する様々な解決方法を評価するための新しいアプローチを開発。

– このアプローチは、《新しい基準》《新しい基準》を採用している。

英国の新評価アプローチ

● 新評価アプローチの新しい基準新評価アプローチの新しい基準– 人工環境と自然環境を保護し、向上させる。– すべての移動者の安全を改善する。– 経済の効率化に寄与し、適切な箇所での持続可能な経済成長を支援する。

– すべての人々、特に自動車を持たない人のために、すべての人々、特に自動車を持たない人のために、日常施設へのアクセス可能性(日常施設へのアクセス可能性(accessibilityaccessibility)を)を改善する。改善する。

– あらゆる形態の交通と、土地利用計画との統合を推進する。

アクセス可能性(accessibility)

● 定義定義– 自動車以外のモードによるアクセス

● 副次的目標副次的目標– 歩行者及びその他の人々(自転車利用者、乗馬

者を含む)の条件を改善する。

– 公共交通へのアクセスを改善する。

– 道路による地域社会の分断を減らす。

注意点

● 新評価アプローチの5つの基準の緊張関係新評価アプローチの5つの基準の緊張関係– 5つの基準は相互依存関係にある。➔ 意思決定者は5つの基準の間で適切なバランスを決定しなければならない。

● 定量化に伴うウェイトづけ(順位づけシステム)へ定量化に伴うウェイトづけ(順位づけシステム)への批判の批判– 各副次目標に付与されるウェイトは、恣意的なものになるのが避けられない。

– 定量も定性も恣意性の顕在化という面からすれば、定量化の方が信頼性に欠けうる。

第二章へ向けて

● アクセス可能性(accessibility)を

アマルティア・センの枠組みから捉え直す。

– 《潜在能力》と《機能》

第一章 『評価・効率と公正』

● 伝統的な利用者便益の評価[パウエル(2008)]

● 英国の新評価アプローチ[パウエル(2008)]

● 公平性と補助公平性と補助[[山重山重(2007)](2007)]

山重慎二『日本の交通ネットワーク』

● 序章 日本の交通ネットワークと日本経済● 第I部 交通ネットワーク事業に関する理論的考察

– 第1章 交通ネットワーク事業の公共性と公的介入● 公共性とは何か● 公的介入の手法● 公共性と公的介入● まとめ

● 第II部 交通ネットワーク事業の現状と課題– 第3章 鉄 道

注記

● 当初予定していた「交通における公共性と公的介入」と、「日本における鉄道の歴史と現状」は後に譲って、今回は交通ネットワークにおける「公平性」についてのみ発表したいと思います。

● その理由として以下のものが挙げられます。– 発表時間という制約– 本筋から少し外れる– なんだか眠い…

(3)公平性の問題第1章 第3節 第3項(– – p.37)より

● 交通インフラは、日常生活の足として生活基本サービスとなる場合も多い。– しかるに、赤字を原因路線や拠点の廃止が住民の生活に大きな支障をきたす場合がある。

– あるいは、赤字を縮小するための高い料金が、人々の生活をおびやかすという状況も考えられる。

● →このような問題は過疎地過疎地において起こりや すい。

「市場の失敗」として捉える

● 人々が集まる都市に生まれた個人と、人が少ない地域(過疎地など)に生まれた個人がいたときに、採算性が問題となる市場経済の仕組みの中では、過疎地において提供されるサービスは、都市部において提供されるサービスと比べると少なくなる。

● 交通事業もそのような特徴を持つサービスの一つである。

「市場の失敗」として捉える

● このような状況においては、都市部に生まれた個人には広い経済的機会が与えられる一方、人が少ない地域に生まれた個人には、そのような広い経済的機会は与えられない。

● これは、努力によるものではない生まれながらの経済格差である。

「市場の失敗」として捉える

● そのような経済的格差を是正するために、交通ネットワーク事業においても、直接経営あるいは補助金などを通じた金銭的介入によって、経済的機会の差があまり開かないようにしてきた。

● このように考えると、公平性の観点から交通ネットワーク事業に対する補助が行われてきたことは理解できるところもある。

効率と公正

● しかしながら、そのような公平性を改善するための政策は非効率性を伴うものである。

● したがって、考えるべき問題は、生まれた地域によって生じる経済的格差を、公平性の観公平性の観点から点から最も効率的に是正するような公的介入はどのようなものかという問題。

効率性の観点から対象を絞る

● 近年のモータリゼーションの浸透により、公共交通機関はあまり整備されていなくても、移動の面での経済的地域格差はそれほど大きくなくなっている。

● 介入のあり方としては、子供や高齢者など、車を使った移動が難しい人たちに対象を絞ったほうが、効率的に公平性を確保するという観点からは望ましい。

第二章へ向けて

● 「公平性の観点」「経済格差」について、ア

マルティア・センの枠組みから捉え直す。

– 《不平等の再検討》

第一章:参考文献

1.ティム・パウエル著、岡野行秀・藤井弥太郎・小野芳計監訳(2008)『交通の経済理論 道路経済研究所研究双書3』,NTT出版株式会社

2.山重慎二(2006)『日本の交通ネットワーク』,○○出版3.鈴村興太郎・後藤玲子(2002)『アマルティア・セン−経済学と倫

理学−』,実教出版株式会社

第二章『アマルティア・センの枠組み』

● 《厚生主義的帰結主義》への批判と《合理的《厚生主義的帰結主義》への批判と《合理的

な愚か者な愚か者(rational fool)(rational fool)》》

● 《潜在能力》と《機能》

● 《不平等の再検討》

            [鈴村、後藤(2002)]

アマルティア・センのプロフィール

● 1933年、インドはベンガル地方に生まれる。● 9歳のときにベンガル大飢饉を目撃し、世界を変えるために経済学に興味を抱く。     〜長いので中略〜

● 1998年、厚生経済学と社会選択の理論への顕著な貢献に対してノーベル経済学賞が授与される(アジア人初のノーベル経済学賞)。その際、「経済学の倫理的側面」を復権させたセンの貢献が特筆・強調される。

正統派理論への批判

● 正統派の規範的経済学の基礎への批判1.情報的基礎が著しく狭隘である。

● 《厚生主義》の観点《厚生主義》の観点● 《序数主義》の観点● 《個人間比較不可能性》の仮定

2.2.《合理的な愚か者《合理的な愚か者(rational fool)(rational fool)》》

第一批判の概要

正統派の規範的経済学はその情報的基礎が著しく狭隘であることについて。

《厚生主義》の観点

● 経済システムの成果を評価する際に、システムがもたらす帰結に排他的に注目して、その手続的な特性を完全に無視する《帰結主義》《帰結主義》に依拠するのみならず、帰結の価値を評価する際には、その帰結が各個人にもたらす効用ないし厚生のみを評価の視野に取り入れて、帰結の非厚生的な特徴を無視する考え方。

帰結的観点と非帰結的観点

● 《帰結主義《帰結主義(consequentialism)(consequentialism)》》– あるシステムないし政策の善悪を判断する際に、そのシステムないし政策が結果的にもたらす《帰結》に専ら関心を集中して、この帰結的観点から遡ってシステムないし政策の善悪を判断する立場。

● 《非帰結主義《非帰結主義(non-consequentialism)(non-consequentialism)》》– あるシステムないし政策の善悪を判断する際に、その帰結の背後にあるさまざまな非帰結的な特徴−実際に選択された帰結以外に潜在的には選択可能であった《機会集合》や、帰結の実現を媒介した《選択手続きないし選択メカニズム》など−の内在的な意義にも配慮して、非帰結的観点を取り入れてシステムないし政策の善悪を一層広範な情報的基礎に依拠して判断する立場。

《帰結主義》の分岐点

● 《厚生主義的帰結主義》《厚生主義的帰結主義》– その帰結からひとびとが得る厚生に専ら注目して、厚生の物差しに反映されない帰結の特徴はおしなべて無視する立場。

● 《非厚生主義的帰結主義》《非厚生主義的帰結主義》– 帰結に関する非厚生情報もまた考慮に取り入れてシステムないし政策の是非を評価する立場。

非厚生情報とは

● ロールズ:《社会的基本財》[Rawls(1971)]

● ドウォーキン:《資源》[Dworkin(1981)]

● セン:《機能と潜在能力》[Sen(1980;1985a)]

→これらは《帰結》に関する非厚生情報

厚生主義的帰結主義の問題点

● 事例含意的な批判(1):事例含意的な批判(1):        狐と酸っぱい葡萄[Elster(1983)]

● イソップ童話集のなかに、狐と酸っぱい葡萄の物語がある。葡萄園を通りかかった狐が、どう足掻いても葡萄をもぎ取れず、また彼に葡萄を与えてくれる好意的な人もいないことを充分承知のうえで、「あんな葡萄は欲しくない−−どうせ酸っぱいに決まっている」と吐き捨てて立ち去る有名な物語である。

➔ ジョン・エルスターはこの寓話から次のような教訓を汲み上げている。

厚生主義的帰結主義の問題点

● ジョン・エルスターの教訓ジョン・エルスターの教訓– 功利主義者にとっては、あの葡萄は酸っぱいと考えている狐が葡萄

の消費配分から排除されたとしても、なんの厚生上の損失もないことになるだろう。だが、狐がその葡萄は酸っぱいと主張した根拠には、その葡萄の消費から自分は排除されているという彼の確信があることは間違いない。そうだとすれば、狐が自ら表明した選好を根拠にして、彼に葡萄を与えない配分を正当化することは難しい。

● この寓話の狐のように、選好を環境に適応して調整する行為の背景には、到底満足されない欲望を持ちつづける場合には逃れ得ない緊張感・失望感・挫折感を避けようとする衝動があるのだから、システムあるいは政策の正義や衡平性を判断するための情報的基礎として厚生主義的帰結主義の観点に専ら依拠する立場には、根本的な難点が含まれていることになる。

厚生主義的帰結主義の問題点

● 事例含意的な批判事例含意的な批判((22)):: ハンディキャップと高価な嗜好[Dworkin(1981a)]

– ある裕福な父親が数人の子供をもつものとせよ。そのうちのひとりは盲目であり、もうひとりは高価な嗜好をもつプレイボーイである。第三子は高価な野心を抱いて政治家を志望しているが、第四子は控えめなニーズしかもたない詩人であり、第五子は高価な素材を用いる彫刻家である、等々。

– そのときこの父親は彼の遺言をいかに書くべきか。

厚生主義的帰結主義の問題点

● この父親は受け取る遺産から各々の子供がどの程度の厚生を得ることになるかを考慮して、その遺言の内容を決めるはずである。

● 盲目というハンディキャップを負って誕生した子供は、同じ所得水準のもとでは先天的なハンディキャップを持たない他の子供よりも一様に低い厚生しか享受できないため、遺産相続に際してそのハンディキャップを補填する趣旨の補償の支払いを受ける資格があるように思われる。

● だが、高価な嗜好をもつプレイボーイも、同じ所得水準のもとでは廉価な嗜好をもつ子供と比較して一様に低い厚生しか享受できないかもしれない。

● もしそうだとすれば、そして遺産分配を決定する情報的基礎として厚生情報だけが使用可能であるならば、高価な嗜好をもつプレイボーイに対しても、補填的な補償の支払いが正当化されることになってしまう。

厚生主義的帰結主義の問題点

● この問題の発生源この問題の発生源– 保証の支払いを根拠付ける厚生主義的帰結主義を容認する情報的基礎には、二つの状況−先天的なハンディキャップを背負う不遇な個人の状況と、高価な嗜好を自ら身につけたプレイボーイの状況−を識別する能力が欠けているという事実に発生源がある。

● この識別作業を的確に遂行するには…この識別作業を的確に遂行するには…– 厚生情報の背後を探って、補完的な情報を発見する。

➔ 分配の正義や衡平性を議論するための情報的基礎を拡大して、非厚生主義的帰結主義ないし非帰結主義に足場を据え直す必要がある。

厚生主義的帰結主義の問題点

● 社会的厚生判断の情報的基礎を非帰結主義的に拡張する必社会的厚生判断の情報的基礎を非帰結主義的に拡張する必要がある。要がある。– 選ぼうとすれば選べた−しかし実際には棄却された−選択肢の機会集合には、最終的な選択の手段を提供するという《手段的価値》の他にも、固有の《内在的価値》を認めるべき場合がある。

– 最終的な帰結を実現する選択手続きにも価値ある帰結をもたらす道具としての手段的価値を越えて、固有の内在的価値を認めるべき場合がある。

● (例)ケーキの分配問題 [p.142]● (例)社会主義のパン[p.143]

第二批判

合理的な愚か者(rational fool)

合理的な愚か者(rational fool)

● 正統派の規範的経済学は個人の選好に異様に過酷な重荷を課している。→個人が持つ選好を唯一の繊細な道具として、三つの全く異なるタイプ個人が持つ選好を唯一の繊細な道具として、三つの全く異なるタイプ の問題に対処しようとしている。の問題に対処しようとしている。– 《個人の私的利益の追求》の問題《個人の私的利益の追求》の問題:個人の利害関心は彼が表明する

選好にそのまま反映されるものと仮定している。したがって、彼がxをyよりも選好する記述の背後にはxはyよりも彼にとって相対的に大きな私的利益をもたらすという全く別の記述が表裏一体となって存在している。

– 《個人の厚生の評価》の問題《個人の厚生の評価》の問題:個人の厚生は彼の選好と不即不離の関係にあると仮定されている。したがって、ある政策が個人の厚生を改善するかどうかと、その政策の結果としてその個人が選好順序の階梯を上昇するか下降するかということとは、正確な対応関係にあることになる。

– 《個人の選択行動の合理化》の問題《個人の選択行動の合理化》の問題:個人の選択行動は彼の選好の最適化というシナリオで合理的に説明できると考えている。したがって、彼が行う選択は、与えられた機会集合に所属する選択肢のなかで、彼の選好を最善に満たす選択肢に他ならない。

合理的な愚か者(rational fool)

● このように、《選好》《利害》《厚生》《選択》を必然的に連結する正統派の規範的論理は、人間行動の動機の多様性を全て捨象して、人間をたったひとつの選好に隷属する《合理的な愚か者(rational fool)》として処遇するものである。

● だが、《選好》を《利害》《厚生》《選択》という三つの概念につなぎ止める連結環のそれぞれには、重大な異議申し立てを行う余地がある。a)《選好》と《利害》b)《選好》と《厚生》c)《選好》と《選択》

合理的な愚か者(rational fool)

● 《選好》と《利害》を直結する理論的慣行《選好》と《利害》を直結する理論的慣行– 選好概念の多義性を無視している。多義的な選好概念として[Harsanyi(1955;1977)]がある。

– 《倫理的選好》《倫理的選好》● 客観的な衡平性や正義など、《没個性的》な社会的配慮に基づいて表明する規範的な選好判断。

– 《主観的選好》《主観的選好》● 主観的に表明する《個性的》な選好判断。

– 正統派理論の慣行は、個人の倫理的選好にその正当な位置を承認しない極端な立場をとることによって、ひとが公平で没個性的な倫理的判断を行う能力を持つ社会的存在であることを完全に無視する過ちに陥っている。

合理的な愚か者(rational fool)

● 《選好》と《厚生》をつなぐ連結環《選好》と《厚生》をつなぐ連結環– ひとの選好は決して先験的・固定的に与えられたものではなく、人生の歴史的経験に応じて内省的に形成されるという事実に注目するとこの問題は分かり易い。

– (例)諦観した平穏無事に暮らす人● 高い望みを持てば持つほど失敗の苦痛はさらに激しいことを長い失意の人生から学んだひとは、水からの欲望を過酷な現実に妥協して改鋳してしまって、客観的に貧しい成果やささやかな好意からも主観的には高い厚生を享受することになりがちである。

● このようなひとが貧しい現状を諦観して平穏無事に暮らしているにせよ、彼の改鋳された選好に即応してこの状態を厚生最善の至福状態とみなすとするのは愚かしい判断である。

合理的な愚か者(rational fool)

● 《選好》と《選択》をつなぐ連結環《選好》と《選択》をつなぐ連結環– 正義感や他人の窮状に対するやむにやまれぬ義務感から、自分の選好の観点からいえば最善ではない選択肢を、敢えて自覚的に選択する行為形態 − センが《コミットメント》と名づけた行為形態 − に着目する。

– ひとの選好、特に主観的選好と彼の選択を直結して、倫理的な思考や道徳的な価値に動機付けられた反(主観)選好的な行為形態に理論的な位置を認めない正統派のアプローチは、人間行動の動機に関して著しく視野が狭い特殊なアプローチである。

第二章『アマルティア・センの枠組み』

● 《厚生主義的帰結主義》への批判と《合理的

な愚か者(rational fool)》

● 《潜在能力》と《機能》《潜在能力》と《機能》

● 《不平等の再検討》

            [鈴村、後藤(2002)]

正統派経済学の枠組みとその批判

● 正統派経済学では、財がもたらす《善》は、ひとびとがその財の消費から享受する《効用》によって捕捉されている。→財の価値はひとびとの主観的な満足の指標 =《効用》に直結されている。

● この、財と《効用》の間に中間項を挿入中間項を挿入することでより包括的に《善》把握するアプローチが《潜在能力》アプローチであり、《機能》という概念である。

《特性》と《機能》● 《特性》とは…《特性》とは… [Gorman(1980)],[Lancaster(1966;1971)]

– 財と《効用》との間に挿入される中間項。– 財がもつさまざまな望ましい性質と定義される。– 財を獲得することで、ひとびとは実質的な価値を担う《特性》の束を入手する。

– (例)自転車という財の《特性》の束● 二つの地点の間を自ら移動できる移動性● 買い物を簡便に運ぶ輸送性● 友人と一緒にサイクリングを楽しむ交遊支援性

– ある財が価値をもつと認められるのは、その財を入手すればひとびとが有用性−《効用》−を認めるさまざまな《特性》の束に対する支配権を獲得できるから。

– 《効用》は財それ自体に対して認められるのではなく、その財が体現するさまざまな《特性》の束に対して認められる。

《特性》と《機能》

● 《機能》とは…《機能》とは…– 財−《特性》−《効用》の間に挿入される中間項。– 財の《特性》はそれを用いてひとがなにをなし得るかを教えてはくれず、ひとの福祉について判断する際には、ひとの《機能》を考慮に入れる必要がある。

– ひとの《機能》とは、「所有する財とその《特性》を用いてひとが達成しうる《生き方》・《在り方》である。」と定義される。

● (例)同じ財の組み合わせ(《特性》の束)が与えられても、健康なひとならばそれを用いてなし得る多くのことを障害者はなし得ないかもしれない。

– 《潜在能力》アプローチとは、この《機能》という視点を経済学に導入したものである。

《効用》と《善》

● 《効用》に代わる《善》の概念の必要性《効用》に代わる《善》の概念の必要性《効用》概念の限界《効用》概念の限界– 物質的条件の無視

● ひとの精神的な態度に全面的に基礎をおくこと– 評価の無視

● そのひと自らの評価作業−ある種の生き方を他の生き方と比較して評価しようとする知的活動−への直接的な言及を避けること

– (例)食物に欠乏し栄養不良であり、家もなく病に伏  せるひと[p.192]

《善》と《福祉》の概念

● 《善》の定義の問題:《善》の定義の問題: どのような性質をもつ《特性》や《機能》を社会的 選択の情報的基礎として採用すべきか。– ひとにとっての《善》とはなにかという観点ひとにとっての《善》とはなにかという観点

● さまざまな個人がそれぞれに価値を認める多様な《善》の内容、特定の社会や共同体で共通して価値を認められる《善》の内容、より普遍的な価値をもつ《善》の内容を、それぞれ広く問うもの。

– 社会的に関与すべき《善》とはなにかという観点社会的に関与すべき《善》とはなにかという観点● 社会が公的な責任を担い、資源の移転と利用によってひとびとに保障すべき《善》とはなにかを問うもの。

《善》と《福祉》の概念

● これら二つの《善》の観点は乖離する可能性がある。これら二つの《善》の観点は乖離する可能性がある。– (例)福祉国家のセーフティーネット[p.186]

– 社会を構成する個人にとっての《善》と社会的な目標とされる《善》が現実にはしばしば乖離することが避けがたいとすれば、両者の不一致の可能性を理性的に認識した上で、二つの観点を交錯させる《善》の観念を追求する必要がある。

– 《機能》と《潜在能力》はこのような意図をもって構成された道具的概念である。

《善》と《福祉》の概念

● センの《福祉》の概念とは…センの《福祉》の概念とは…– ひとびとにとっての《善》と不即不離の関係にあると同時に社会的選択の目標という観点からも焦点的な意義をもち、社会がその構成員に対して提供責任を負うべき《善》の観念である。

– 《福祉》の判断に際する、《評価》(ひとの内省的・批判的な活動)の適切な対象は、ひとが実現することができる《生き方》や《在り方》である。

《善》と《福祉》の概念

● 《善》の定義の問題:《善》の定義の問題: 《機能》に対する判断は、《効用》のような主観的感情 (快楽や苦痛、欲望や失望など真剣な熟慮を必要都しない 感情)にではなく、理性的・内省的な熟慮に基づく《評  価》に基づかせる。 《福祉》アプローチでは、この《評価》に、《効用》や 《裕福》の市場評価よりも優先度を与える。 この、《評価》は究極的にはひとびとそれぞれ自身が行 わざるを得ないため、主観性は払拭できない。

《潜在能力》アプローチ

● 《潜在能力》アプローチの三つの支柱《潜在能力》アプローチの三つの支柱– 財や所得など《資源》そのものではなく、《資源》の利用から得られる《効用》でもなく、《資源》と《効用》の狭間に挿入された理論的中間項(《機能》)に注目する視点

– ひとびとが帰結的に達成した《機能》ではなく、ひとびとが《機能》を達成するにあたって選択の自由を行使できる実質的な機会=《潜在能力》に注目する視点

– 《潜在能力》によって捕捉される選択の機会を活用して、ひとが最終的な《機能》=《生き方》・《在り方》を選択する際に適用される選択基準を、内省的・批判的な《評価》に求めた点

《潜在能力》アプローチ

● ひとびとの目的の達成そのものではなく、目的を追求する《機会》《機会》に着目する。(功利主義との相違点)

● 目的の追求に際して個人が現実にもつ《機会》を捉えるためには、目的を推進するそのひと自身の《潜在能力》にこそ着目すべき。– 基本財の公正な配分は機会の公正な配分を意味するとは限らない。機会の公正な配分を真に保障するためには、基本財と価値の達成機会との間に介在して両者の関係を規定する要因(=《潜在能力》アプローチ)を明示する必要がある。

➔ ひとびとの《必要》の格差に敏感な理論的アプローチを《福祉》の経済学の基礎として開発する地点へ

《福祉的自由》と《潜在能力》

● 《福祉》にアプローチする際の基礎概念は《潜在能《福祉》にアプローチする際の基礎概念は《潜在能力》であって《機能》ではない点について力》であって《機能》ではない点について– あるひとが結果的に達成した《機能》の水準が低いものであっても、そのひとの《潜在能力》が豊かであれば、その《福祉的自由》の観点からは低く評価されるべきではない。

● (例)プロテストとしての飢餓と貧困による飢餓– 達成された《機能》の水準が同様に高いものであっても、自律的・責任的な選択範囲=《潜在能力》が貧しい場合には、そのひとの《福祉的自由》の程度は高く評価できない。

● (例)潤沢な生活を恩恵として与えられた奴隷

《潜在能力》の平等〜《達成》平等と《不足》の平等〜

● ひとびとの《潜在能力》は多様な存在である。ひとびとの《潜在能力》は多様な存在である。➔ ひとびとが最大限に発展可能な《潜在能力》を個人間で平等

にすることは、ほとんど困難。● ひとびとの《潜在能力》の多様性は看過されがち。ひとびとの《潜在能力》の多様性は看過されがち。

➔ 資源の画一的な配分を招きかねない。● 《不足の平等》とは…《不足の平等》とは… <=危険

● 各人の《潜在能力》が最大限に発展可能な水準に対して示す不足の程度を平等化する。

● この基準に拠ると、各人が結果的に享受する《潜在能力》の絶対的水準がどのようなものであるか、より不遇な個人の《潜在能力》がどの程度に留められるかは、問題とされることがない。

● 《達成の平等》とは…《達成の平等》とは… <=批判はあるが重要● 資源配分によって実際に達成されるひとびとの《潜在能力》

の絶対的水準を平等化する資源配分の方法を採用する。

《潜在能力》アプローチの関心

● 多様なひとびとの《潜在能力》をできるだけ

豊かに改善するために、限られた資源をより

効率的かつ公正に分配する資源配分メカニズ

ムを考案すること。

➔ 市場と《潜在能力》:効率性概念の再検討[p.201〜]に

ついては、また今度発表します。

第二章『アマルティア・センの枠組み』

● 《厚生主義的帰結主義》への批判と《合理的

な愚か者(rational fool)》

● 《潜在能力》と《機能》

● 《不平等の再検討》《不平等の再検討》

            [鈴村、後藤(2002)]

不平等の再検討《機能空間》における絶対性と《所得空間》における相対性

● 《潜在能力》概念で明らかになる不平等や貧困・剥奪《潜在能力》概念で明らかになる不平等や貧困・剥奪– 《機能空間》上では、絶対的絶対的なもの– 《所得空間》上では、相対的相対的なもの

● 社会の様相に応じた相対性➔ 機能の絶対的な水準を達成するために必要な所得水準は社会の様相に応じてことなる。

➔ (例)公共輸送機関が十分に整備された社会においては、所得水準が低いものであっても移動という機能に関しては必要水準を達成できる。

● 同一の社会内での相対性➔所得の相対的格差の水準に依拠して、機能の達成可能性に関する絶対的な水準は変化しうる。

➔ 《所得空間》での相対的な窮乏は、《潜在能力》でみた場合(=《機能空間》での)の絶対的な窮乏をもたらすことがありえる。

不平等の再検討《機能空間》における絶対性と《所得空間》における相対性

● 機能の達成に不可欠な資源とは…機能の達成に不可欠な資源とは…– 他者との関係性−共通性や差異−それ自体。➔ (例)平均所得が上昇して自家用車を持つ人が増えたために、需要の減少に伴って公共輸送機関が大幅に縮小されてしまったとすれば、自家用車を購入することのできないひとびとの機能の達成可能性は減少する。

➔ ※自家用車を購入することのできないひとびとが被る剥奪は、他のひとびととの相対的な所得格差相対的な所得格差によって直接もたらされる相対的剥奪相対的剥奪−自家用車を購入できる他者への羨望などに起因する−ではなくなく、他のひとびととの相対的な所得格差を原因として引き起こされた客観的な機能の低下客観的な機能の低下に基づく絶絶対的剥奪対的剥奪に他ならない。

不平等の再検討《機能空間》における絶対性と《所得空間》における相対性

● 所得の相対的剥奪と機能の絶対的剥奪所得の相対的剥奪と機能の絶対的剥奪– (例)同様に格差が存在したとしても、それによって公共交通

機関が縮小しないような手段が採用されている社会においては、依然として他のひととの格差に起因する相対的剥奪は残るとしても、移動という機能に関する絶対的剥奪は解消され移動という機能に関する絶対的剥奪は解消される。る。

● 同一社会内の相対的不平等に還元できない貧困や剥奪同一社会内の相対的不平等に還元できない貧困や剥奪– (例)1944-45年にオランダで起こった飢餓の冬

この飢餓の冬では、社会全体の資源量が急激に減少したにもかかわらず、社会内での相対的不平等が拡大することはなかった。また、平均所得の水準は低下したとはいえ、依然として開発途上国よりも高いものだった。だが、それらの事実は大勢のひとびとに襲いかかった貧困の深刻さを和らげるものではなかった。なぜならば、開発途上国と比較してオランダは、同一の機能を達成するためにより高い水準の財や所得を要する社会的・経済的仕組みを作っていたからである。

センの《貧困》研究

● 財や資源の所有・交換・利用を通じて不可避的に連結されている個人や集団の相互依存関係という観点に立って、窮乏、貧困、飢餓、飢饉などの問題を体系的に捉えることを意図している。

● 三つの課題三つの課題– 窮乏、貧困、飢餓、飢饉などの問題を惹起する原因と、その発生の仕組みを解明すること

– これらの問題に直面しているひとびとの悲惨な境遇を、分析的に識別する速度を構成すること

– ひとびとの識別された境遇の測度を社会的に集計して、その特徴を記述すること

➔ これらの問題があぶり出す経済メカニズムの構造的特徴を捕捉するために、《権原》アプローチ《権原》アプローチを構築。

《権原(entitlement)》

● ひとの経済活動の多様な局面で発生するさまざまな《所有形態》を、合法的なルールによって相互に関連付けるもの。– (例)私が一片のパンを所有するものとせよ。この所有はなぜ社会的に容認されるのか。それは私が自分のお金と交換して、合法的に獲得したものであるからだ。ではお金の所有はなぜ容認されるのか。それは自分が所有していた傘を売って、合法的に得たものだからだ。では傘の所有はなぜ容認されるのか。それは自分の土地で採取した竹を素材として、自分の労働で作ったものだからだ。では土地の所有はなぜ容認されるのか。それは父親から合法的に相続したものだからだ。

➔ このようにして、そこに現れる取得と交換の連鎖に非合法的なステップが含まれていなければ、私のパンの所有は正当化されることになる。

《権原(entitlement)》

● 私的所有制度のもとで広く承認されている四つの《権原》私的所有制度のもとで広く承認されている四つの《権原》1.交易に基づく権原2.生産に基づく権原3.労働所有に基づく権原4.継承と移転に基づく権原

● 《権原》概念の大きな特徴《権原》概念の大きな特徴– 複数の正当化根拠に基づいてひとに開かれている選択可能性の広がり−選択肢の範囲−を、全体として捕捉することを意図している点。

● 《権原システム》《権原システム》– 異なる種類の権原の間に結ばれる相互依存関係

● センの関心の焦点センの関心の焦点:ひとびとを襲う飢餓や飢饉は決して偶然的な事故や災害ではなく、無数の合法的な《権原》の連鎖がもたらす社会的帰結に他ならない。

《権原(entitlement)》

● 貧困であるか否かの判断貧困であるか否かの判断– 財や資源に対する《権原》をもとにしつつ、彼がいかなる《機能》=《生き方》・《在り方》を達成することができるかという観点に依拠する必要がある。

● 《権原》と《潜在能力》アプローチとの接合《権原》と《潜在能力》アプローチとの接合– 貧困や窮乏の問題

➔財や資源に対する《権原》の剥奪を通じる人間的な《善》や《価値》の剥奪の問題として捉えられる。

– 市民的・政治的権利の剥奪➔財や資源に対する《権原》の縮小を意味するのみならず、それ自体に内在する人間的価値の剥奪をも意味する。

第二章:おわりに

経済発展とは経済発展とは......

ひとびとが事故の理性的な行為主体性を行使ひとびとが事故の理性的な行為主体性を行使

するためのするための選択の機会を拡大する選択の機会を拡大するプロセスプロセス

第二章:参考文献

1.鈴村興太郎・後藤玲子(2002)『アマルティア・セン−経済学と倫理学−』,実教出版株式会社

● 他の引用文献は1.からの孫引きなので、1.を参照してください。

第三章 『センの枠組みによる第一章への批判』

● 次回発表までに精緻化

● ああああああああああ

● べべべべべべべべべべ

ご清聴ありがとうございました