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情報経済論 第3回 11 第3回 情報技術(ITInformation Technology)と情報経済 1.知識経済(情報経済)から経済成長へ (1) 工業社会から情報化社会へ(1970 年代:高度経済成長の終焉) GNP (現在では GDP)を財生産部門とサービス生産部門(サービス産業、知 識産業、情報産業、研究と開発、メディアなど)に分け、後者の割合は 1955 GNP 4 分の 165 年に 3 分の 170 年代の終わりには約 2 分の 1 と増加 し続けたことから(アメリカ経済)、経済が財の経済から知識の経済に移行した という主張が現われはじめた。そして情報社会あるいは情報化社会という言葉 が登場し普及し始めたのも 1970 年代ごろのことである。 この時代には先進資本主義国の重化学工業化を機軸にした高度経済成長がル・ショック 1 オイル・ショック 2 によって翳りが見え始め、低成長経済に移行 すると同時に、資源問題や公害問題などの社会的な問題も生み出した。大量に 資源を使い、大量に廃棄物を出す重化学工業に代わって、低資源で付加価値の 高いサービスや知識、そして情報産業への転換が期待されたのである。 1 1971 年にアメリカのニクソン大統領のドル防衛政策(金・ドル交換停止)による衝撃。 これにより世界経済の成長を支えていたアメリカのドル散布は不可能となり、ドルも暴落、 世界経済が縮小、日本でも輸出競争力のない中小企業を中心に大きな打撃を与えた。 2 1973 年の第 4 次中東戦争をきっかけにアラブ産油国が原油価格を大幅に行き上げ石油危 機が世界を襲った。石油価格が 2 ヶ月で約 4 倍に値上がりし、原油に依存していた先進資 本主義国に大きな打撃を与えた。日本の経済も大きな影響を受け、トイレットペーパーの

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情報経済論 第3回

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第3回 情報技術(IT:Information Technology)と情報経済

1.知識経済(情報経済)から経済成長へ

(1) 工業社会から情報化社会へ(1970 年代:高度経済成長の終焉)

GNP(現在では GDP)を財生産部門とサービス生産部門(サービス産業、知

識産業、情報産業、研究と開発、メディアなど)に分け、後者の割合は 1955 年

の GNP の 4 分の 1、65 年に 3 分の 1、70 年代の終わりには約 2 分の 1 と増加

し続けたことから(アメリカ経済)、経済が財の経済から知識の経済に移行した

という主張が現われはじめた。そして情報社会あるいは情報化社会という言葉

が登場し普及し始めたのも 1970 年代ごろのことである。

この時代には先進資本主義国の重化学工業化を機軸にした高度経済成長がド

ル・ショック1やオイル・ショック2によって翳りが見え始め、低成長経済に移行

すると同時に、資源問題や公害問題などの社会的な問題も生み出した。大量に

資源を使い、大量に廃棄物を出す重化学工業に代わって、低資源で付加価値の

高いサービスや知識、そして情報産業への転換が期待されたのである。

1 1971 年にアメリカのニクソン大統領のドル防衛政策(金・ドル交換停止)による衝撃。

これにより世界経済の成長を支えていたアメリカのドル散布は不可能となり、ドルも暴落、

世界経済が縮小、日本でも輸出競争力のない中小企業を中心に大きな打撃を与えた。 2 1973 年の第 4 次中東戦争をきっかけにアラブ産油国が原油価格を大幅に行き上げ石油危

機が世界を襲った。石油価格が 2 ヶ月で約 4 倍に値上がりし、原油に依存していた先進資

本主義国に大きな打撃を与えた。日本の経済も大きな影響を受け、トイレットペーパーの

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(2) 日本経済の成長とアメリカ経済の低迷(1980 年代)

オイル・ショック以降、日本経済は合理化を

進めいく。その結果、再び生産性を回復し輸出

も拡大していった。これを象徴的するのが

トヨタを始めとして導入された、親会社が部品

の在庫を持たずに、下請会社に対して指定時間

に合わせて部品を納入させるかんばん方式で

ある。必要なときに必要な量だけ生産すること

で,在庫の徹底的削減をめざし、生産全体の効率を上げていく JIT(Just In

Time)の生産方式であり、一般的にもトヨタ型生産方式と呼ばれるようになる。

また、情報通信政策に関しても、90 年 3 月に「新高度情報通信サービスの実

現 VI & P」ヴィジョンを打ち上げ、光ファイバーを 2015 年までに家庭に張り

巡らし、B-ISDN(広帯域統合サービス・デジタル通信網)の全国ネットワーク

をつくると提案されている。そして 88 年 4 月 NTT が ISDN の INS ネット 64

を世界で初めて開始し、89 年 6 月に INS ネット 1500 を開始した。これが企業

のデータ通信、POS システムなどに利用されてきたのである。

一方、アメリカ経済は 1980 年代に「強いアメリカ」

を掲げるレーガン政権が登場し、減税による景気刺激

策と軍事予算拡大によって経済の回復を計るが、減税

は連邦予算の大幅な赤字を生み出し、また高金利によ

るドル高は貿易収支の悪化を生み出し(双子の赤字)、

生産性は回復しなかった。

特に、生産性を回復した自動車を始めとする日本の

工業製品のアメリカへの輸出は貿易赤字を拡大する

ことになり、「ジャパンバッシング」を生み出すこと

になる。一方、アメリカの自動車産業はこの時期に日本のかんばん方式を積極

的に学んでいく。

買いだめ騒動に代表される「狂乱物価」と「マイナス成長」を経験した。

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(3) インターネットと情報経済(1990 年代:ニュー・エコノミー)

1990年代に入って登場したクリントン政権

は情報スーパーハイウェイ構想3を掲げ、この

政策によってコンピュータやインターネット

などの IT 投資=情報化投資が増えた4。情報

スーパーハイウェイ構想を支える技術=コン

ピュータとインターネットであったが、当時

はこれらを総称して ICT(Information and

Communication Technology)と呼び、その後 IT と呼ばれるようになった。そ

の結果アメリカ経済は、1990 年 7 月から 91 年 3 月までの短い景気後退の後、

2000 年に至るまで長期の景気拡張を、低い失業率とインフレ率で達成した。

アメリカ経済の推移(1980年~)

-4.0%

-2.0%

0.0%

2.0%

4.0%

6.0%

8.0%

10.0%

12.0%

14.0%

1980 1985 1990 1995 2000 2005

GDP成長率 失業率 インフレ率

3 クリントン大統領とゴア副大統領は 1992年の大統領選挙期間中に「すべての家庭、企業、

研究室、教室、図書館、病院を結ぶ情報ネットワークをつくる」と公約し、大統領当選後

の 93 年にはシリコン・ヴァレーでアメリカの産業競争力の強化のための「情報スーパーハ

イウェイ」を 2015 年までにつくるという構想を発表した。情報を高速かつ大容量で運ぶ高

速道路(スーパーハイウェイ)をつくるというのである。当選後はこのハイウェイ建設に

関して 94 年~98 年に投資総額 2 億 7500 万ドルが計上され、また規制緩和によって民間の

投資活動、巨大メディア産業を中心とした買収・合併劇が繰り返されたのである。 4 ゴア副大統領に影響を与えたと言われるサプライサイドの経済学者

G・ギルダー(George Gilder)は『未来の覇者』(Microcosm、1989)

においてコンピュータ技術の発達によってアメリカ経済は勝利する、

また『テレビの消える日』で、「日本は 1200 億ドルを投じて、2000 年

までに光ファイバーを家庭にまで伸ばす計画をたてている」と警告を

発し、地域電信電話会社やケーブルテレビの利益を投じて光ファイバー

網を作れと提案している。

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特に IT 投資=情報化投資を中心とした設備投資が、需要の側面から景気拡大

に貢献しただけでなく、供給の面(サプライサイド)を活性化させ、労働の生

産性を高め長期的な景気拡大を生み出したと言われる。サービス部門の中でも

情報産業の分野、IT=コンピュータとインターネットが他の生産活動に与える

影響=労働生産性の上昇が注目されたのである。

1990 年代のアメリカ経済は、1980 年代に成功した日本のかんばん方式を積

極的に導入し学び、さらにこれをアメリカが得意な IT=情報通信技術で強化し、

リエンジニアリングという名前で生産システムをより市場に直結させることに

よってシリコン・ヴァレー型生産方式とも呼ばれる、市場の変化にオンライン

で即応した生産システムを作り出すことによって労働生産性を高め経済成長に

つなげていった。そして IT 投資(情報化投資)が労働の生産性を高め、長期的

な景気拡大を生み出す、という考え方=ニュー・エコノミー論が登場した。

これに対して日本経済は、前述のように 80 年代にはアメリカを中心に経済摩

擦を生じさせるほど好調であったが、80 年代末に始まったバブル経済が 90 年

代に崩壊して以降、企業の設備投資は急激に減少し、情報化投資も激減し、経

済は長期低迷した。この遅れ、経済の後退を回復させる手段として 90 年代後半

から IT 革命という言葉が盛んに叫ばれるようになり、インターネットを中心と

した情報化投資も官民あげて盛んに推奨されるようになった。IT 革命が叫ばれ、

インターネットが普及する中で、電子商取引(B to B=Business to Business、

B to C=Business to Consumer)が注目されてきたのも象徴的である

日本経済の推移(1980年~)

-2.0%

-1.0%

0.0%

1.0%

2.0%

3.0%

4.0%

5.0%

6.0%

7.0%

8.0%

9.0%

1980 1985 1990 1995 2000 2005

GDP成長率 失業率 インフレ率

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2.イノベーションと経済学

(1)ケインズ革命から新古典派経済のマクロ経済成長理論へ

第二次世界大戦後の先進資本主義国はケインズ

(John Maynard Keyns,1883-1946)の『一般理論』

の考え方に基づき、財政政策と金融政策を行うことで

政府による市場への介入を強めていった。これによっ

て恐慌を回避するだけでなく国民所得を年々増加させ

る高度経済成長を成し遂げていった。

経済学の理論分野においてもケインズの考え方は新

古典派の市場中心の理論(ミクロ経済学)に対する革

命(ケインズ革命)として位置づけられ、国民経済全

体とその成長を分析する国民所得理論(マクロ経済学)の体系を作り上げた。

また、ケインズの弟子であるハロッド(Roy Forbes Harrod, 1900-1978)はケ

インズ経済学の動学化を行った5。

一方、ヒックス(John R. Hicks、1904~1989)による、労働の全雇用量決定

に関する有効需要の理論と、市場利子率決

定に関する流動性選好の理論とを組み合

わせたモデル=IS・LM 分析はアメリカで

広く受け入れられることになった。代表的

なのが 1948 年に刊行されたサミュエルソ

ン(Paul A. Samuelson、1915~)による

教科書『経済学』で6、サミュエルソンは

完全雇用水準に達するまでは財政政策や

金融政策によって有効需要を増大させ、完

全雇用になればそうした政策をやめても

完全雇用が維持され、新古典派の想定する市場理論の妥当性が復活するとして、

ケインズ経済学と新古典派経済学の接合を試みた。その後アメリカの経済学は

この考え方=新古典派総合に支配されることになる。(「経済学概論」参照)

5 ケインズ理論では投資活動は有効需要を高め、国民所得や雇用量を高めるという役割を果

たすが、投資活動は同時に資本蓄積を通じて国民経済全体の生産能力を拡大し、供給を拡

大させる。経済成長にともなう供給能力の増加と、所得上昇にともなう需要の増加との関

係から、長期的な経済成長の可能性を理論化しようとしたのがハロッドの経済動学の考え

方であった。 6 ここで、IS・LM 分析に基いて国民経済を決定する主要なマクロ経済変数-国民所得、雇

用量、消費、投資、財政支出、貨幣供給量、物価水準、利子率、輸出入-などの間の関係

を、方程式体系によって解くモデルが作られた。

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そして、新古典派の想定する市場理論に基づき、生産に関して物的資本と人

的資本の投入を収穫逓減(=限界費用逓増)の法則を前提としてマクロ経済成

長の過程を理論化する新古典派総合のマクロ経済成長理論がロバート・ソロー

(Robert M. Solow、1924~)によって確立することになる。

(2)イノベーションと経済成長の理論

一方、経済成長に技術革新の要因を組み込む考え方は新古典派の流れをくむ

オーストリアの経済学者シュンペータ(Joseph Alois Schumpeter, 1883-1950)

にさかのぼることができる。資本主義社会の動態をイノベーションの概念で説

明しようとしたシュンペータは『経済発展の理論』(1912)で、経済発展は、人口

増加や気候変動などの外的な要因よりも、イノベーション=創造的破壊のよう

な内的な要因が主要な役割を果たすと述べている。

シュンペータはイノベーションの例として単なる技術革

新だけではなく

① 創造的活動による新製品開発

② 新生産方法の導入

③ 新マーケットの開拓

④ 新たな資源(の供給源)の獲得

⑤ 組織の改革などを挙げている。

また、いわゆる企業家(アントレプレナー)が、既存の

価値を破壊して新しい価値を創造していくこと(創造的破壊)が経済成長を

もたらすことを主張している。

このイノベーションを経済成長の理論に内生化しようとするのが内生的成長

理論~ニュー・エコノミー論とつながる考え方である。

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3.IT 革命とニュー・エコノミー論

(1)内生的成長理論からニュー・エコノミー論へ

新古典派(新古典派総合)のマクロ経済成長理論においては、

① 収穫逓減(=限界費用増加)の法則

② 完全競争

③ 技術進歩の外生化

が前提とされる。

一方、IT 投資(情報化投資)の技術的特性、知識・アイデアを成長の主要因

と考えることにより

① 収穫逓増(=限界費用減少)の法則

② 独占的競争

③ 技術進歩の内生化

を前提とする内生的成長理論が、1980 年代後

半に新新古典派(サプライサイドの経済学)の

ローマー(Paul Romer, 1955- )、ルーカス

(Robert Lucas, 1937- )らによって提唱される。これはその後ニュー・エコノ

ミー論へと発展した。

ニュー・エコノミー論によれば、IT 投資(情報化投資)の拡大が労働生産性

(一人当たり労働者の生産高)を高めるので、生産量の拡大ほどには雇用量を

増大させないことになる。そこで景気拡大が賃金上昇圧力やインフレ率の増加

に結びつかず、企業の収益は増加する。企業はその収益の中からまた設備投資

=IT 投資を拡大し、景気拡大は長期的に持続することになる。

(2)ニュー・エコノミー論をめぐる論争

1987 年にノーベル経済学賞を受賞したロバート・ソローは同年(1987 年)

に ”You can see the computer age everywhere but in the productivity

statistics”( IT 投資の伸びが労働生産性の伸びとして統計にあらわれない)と

指摘した(いわゆる「ソロー・パラドックス」)。また 90 年

代に入ってもポール・クルーグマン(Paul Krugman, 1953

~、2008 年にノーベル経済学賞を受賞)らも「生産性など

のアメリカ経済のファンダメンタルズ(経済基盤)に何も変

更がない」と主張し、1990 年代の高成長は生産性の上昇で

はなく、従来の生産設備の稼働率を高めて達成されたもので

あるとして、これを根拠にローマーやルーカスらのニュー・

Paul Romer Robert Lucas

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エコノミー論を否定した。特に 90 年代の前半は、IT 投資は進展していたにも

かかわらず統計的にも労働生産性の上昇が見られないという「生産性のパラド

ックス」が指摘される。

しかし、90 年代中盤のインターネット・ブームは IT 関連の産業の勃興を促

し 90 年代後半からは IT 革命の加速化、IT 投資の加速化によって IT 利用産業

においても生産性が上昇した7。(詳細は第 7 回以降で解説)

一方、IT 投資は労働代替型

(労働者を IT と交替させる)

の設備投資という性格を持ち、

そのため景気回復の過程で失

業率は上昇し、また生産の拡大

による雇用情勢の回復が賃金

上昇→インフレにはつながら

なかった8。

7 IT 革命の初期の時期に労働生産性の上昇が表れなかった(ソロー・パラドックス、生産

性のパラドックス)要因としては

① IT 資本(ストック)の減価償却期間が短いことから資本ストックの累積が少なく、資

本ストックで計った成長への寄与率が低い。

② 金融業やサービス業などの労働生産性の悪い部門に IT 投資が集中した。

③ IT 投資が労働生産性の上昇に効果を発揮するのに時間がかかる。

④ アメリカの NIPA(国民所得勘定)における「IT 投資」項目のうち、1999 年に NIPA

に「ソフトウェア」が消費財から投資財に組み込まれることによって「IT 投資」の成

長率への寄与率が上昇し、「ソロー・パラドックス」は解消した、言われている。 8 IT 投資は労働との代替を要因としているため、雇用情勢には深刻な影響をもたらした。

新技術導入・自動化など最新の技術が体化された IT 機器は、工場などの生産労働者(ブル

ーカラー)にとってかわるのではなく、中間管理職のする知的労働(ホワイトカラー)に

とってかわる結果となって表れている。特に 90 年代の前半、「雇用なき景気回復」と呼ば

れた時期にはこの傾向が顕著である。ただし、コンピュータプログラマーなど専門的な能

力を有する職種では雇用が増加している。

80 年代と 90 年代の雇用増減要因比較 (万人)

80 年代 90 年代 80 年代→90年代

GDP 成長率要因 2130 1840 -290

IT 投資代替要因 -250 -530 -280

その他雇用創出要因 -170 40 210

合計 1710 1350 -360

米国労働省の統計より

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(3)ニュー・エコノミー論の意義と限界

しかしながら、ニュー・エコノミー論は景気循環(景気拡大)に技術進歩=IT

(情報通信技術)の革新という要因を組み込み、経済成長の理論(一方で雇用

と失業の理論)へと発展させた意義は大きい。そして 1990 年代のアメリカの景

気拡大の現象を一定の側面で説明しうるものであった。

また、知識経済論や情報経済論(第 2 回参照)が情報の増大によるバラ色の

情報社会、未来社会を描き出したのに対し、情報の単なる増大だけでなく情報

技術=IT の生産への応用、情報とモノの連動による生産の、そして経済全体の

変化を解こうとする視点は重要である。特に情報技術=IT の経済性成長に与え

る影響を、需要の側面からだけでなく供給の側面から分析することは、長期的

な経済成長理論の構築にもつながるものである。

ニュー・エコノミー論は、1990 年代のアメリカの景気拡大の現象を一定の側

面で説明しうるものであったが、経済成長の一般理論としては定着しなかった。

これは、ニュー・エコノミー論の前提となる収穫逓増(=限界費用減少)の法

則を、ソフトウェアのコピーといった極めて特殊な製品の生産方法を前提とし

ていることに要因がある。(第 4 回以降で解説)

そこで、経済活動における生産活動への情報技術の応用、すなわち IT 投資の

概念を明らかにした上で、情報を経済学的に分析する理論的基礎(ミクロ経済

学的基礎)を、特に供給の側面から第 4 回以降学んでいく。