1991.2.26 ハワイ開教区視察旅行挙行...Jodoshu Betsuin (Jodo Mission of Hawaii) 1991.2.26...

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一………浄青神奈川 く 1〉 18 Jodoshu Betsuin (Jodo Mission of Hawaii) 1991.2.26 イ開教区視察旅行挙行 参加者 21名 1991.2.25~ 3.2 宗神奈川教区青年会 :光 :明 :御 :法 神奈川浄青機関紙 Vol.18 1991.6.1 鎌倉市材木座 61719 光明寺中神奈川教務所内 浄土宗神奈川教区青年会 小松崎

Transcript of 1991.2.26 ハワイ開教区視察旅行挙行...Jodoshu Betsuin (Jodo Mission of Hawaii) 1991.2.26...

  • 一………浄青神奈川 く1〉 18

    Jodoshu Betsuin (Jodo Mission of Hawaii) 1991.2.26

    ハワイ開教区視察旅行挙行参加者 21名

    1991.2.25~3.2

    浄土宗神奈川教区青年会

    :光:明〔寺:御:法

    藤士ロ

    慈海台下御染筆

    神奈 川浄青機 関紙

    Vol.18

    1991.6.1

    発 行 所

    鎌 倉市材 木座61719

    光明寺中神奈川教務所内

    浄土宗神奈川教区青年会

    発 行 人

    小松崎 成 法

  • 〈2〉 18号

    一年を振り返り

    神浄青会長

    「小松ちゃん、次期会長頼むよ。」

    「野呂さん、約束が違うじゃないで

    すか。副会長までという事じゃなか

    ったですか。」「そんな事言わず頼む

    よ。」野呂上人の押しに負け、諸先輩

    の忠言もあり、とうとう会長を受け

    ることになりました。

    仏教には

    『正受』という言葉があ

    ります。 一つの事柄に心が専ら注が

    れて、なりきっていく境地をいいま

    す。正受については、字の如く正し

    く受けるという態度が大切でありま

    す。正しく受けるとは、

    暑い時には暑いと正しく受け

    寒い時には寒いと受けてゆく

    雨も風もそれら天然現象だけでなく

    人生生活の上に起

    ってくると色々な

    事柄、たとえ病気であろうと、災難

    であろうと、受くべきものは正しく

    受けとってゆくのであります。良寛

    禅師が友人に書いた手紙に、『災難に

    あう時は、災難にあうがよろしく候

    う、病気になる時には、病気になる

    がよろしく候う。死ぬ時は死ぬるが

    よろしく候う。それが災難をまぬが

    るる妙法なり。』

    とお出しになっております。正しく

    物事を受ける事によって次になすべ

    き事も解り、改善されてゆくのです。

    そうだ会長を受けたからには二年間

    一生懸命努めさせて頂こう。幸い事

    務局初め会員諸師のご協力も頂き無

    事に

    一年過す事ができました。 一年

    間の浄青活動を振り返りますと、四

    月の花まつりに始まり、多くの行事

    がありましたが中でも横浜で開催さ

    れた、全浄の中央研修会が最大の行

    事でした。二月には他宗団見学の一

    環として、 ハワイ浄土宗別院参拝、

    真宗別院参拝と湾岸戦争の最中でし

    たが行う事ができました。

    平成二年度の最大の行事としては、

    第二回帰敬会

    が十

    一月二十三日

    (祝)大本山光明寺で行われます。

    今の仏教界の現実を会員諸師が正受

    して頂き、是非帰敬会を成功させて

    頂きたいと思います。会員諸師のご

    協力のもと、任期迄努力させて頂き

    ます。

    平成三年度事業計画

    4月20日 金沢母子寮

    花まつり愛のプレゼント

    4月20日 神浄青定期総会

    5月8日 第1回理事会

    5月30~3‐日 長野

    ・善光寺

    第19回関プロ総会並びに研修会

    6月1日 機関紙発刊

    6月4~5日 湯本ホテル

    関プ

    ロ寺庭婦人大会手伝い

    7月4日 開山忌前清掃奉仕

    7月4日 第2回理事会

    7月29~3‐日 夏期僧堂手伝い

    8月28~29日 広島

    第2.回全浄中央研修会

    9月上旬 第3回理事会

    10月2日 第9回神浄青ソフト大会

    10月9日 十夜前清掃奉仕

    10月9日 第4回理事会

    10月14日 十夜手伝

    ・十夜街頭伝道

    10月24~25日 栃木

    ・宇都宮

    第9回関ブ

    ロソフトボール大会

    =月23日 第3回帰敬会

    (光明寺)

    ‐2月上旬 第5回理事会

    1月25日 別時念仏会

    (光明寺)

    未 定  第17回全浄代表者研修会

    2月下旬 他宗団見学

    。一泊研修会

    未 定  第6回理事会

    4月上旬 第7回理事会

    平成二年度神浄青総会は四月二十

    日に大本山光明寺で開催されました。

    開会の辞に続き、小松崎会長の挨拶。

    続いて國松教区長、成田教化団長の

    ご祝辞。

    続いて議長に吉水智栄師を選任し

    て議事に移り、平成二年度事業報告

    並びに、会計報告を受けました。

    議事に続き、加行成満者の発表と、

    藤吉御法主御染筆の色紙と浄青袈娑

    を贈呈致しました。

    終わりに副会長日比野師より閉会

    の言葉があり、神浄青の今後の益々

    の発展を祈りつつ総会は終了いたし

    ました。

    園測

    同剛

    京浜組吉水智栄師がこの度、神奈

    川県仏教青年会の会長に就任されま

    した。県仏青の発展と吉水新会長の

    活躍をお祈りいたします。

    女性会員募集

    神奈川浄青では女性の会員を募集

    しております。女性ならではのソフ

    トさ、きめ細やかさを男所帯の浄青

    は必要としております。あなたのお

    力をお貸しいただけませんか。

    お問い合わせは各組浄青会長まで。

  • 一―…―浄青神奈川 〈3〉 18号

    第20回全国浄土宗青年会

    中央研修会 ―報告―

    o2

    o8

    o28

    29

    ・ホ

    リデ

    イイ

    ン横

    第二十回中央研修会が関東ブ

    ロッ

    クによる担当になり、関ブ

    ロ理事会

    において開催地が神奈川

    ・横浜と決

    定した時、神奈川教区浄青の力を大

    いに必要としなくてはならないと、

    当時の野呂会長が各会員に力説して

    いたのを今でも覚えている。

    平成元年十二月六日に準備会が、

    実行委員長

    (関ブ

    ロ野呂理事長)並

    びにスタッフ数名と元全浄青理事長

    里見嘉嗣師、事務局高島善隆師、伊

    藤彰哲師、香川隆敬師を迎え鎌倉の

    御代川において会合がもたれた。

    坤鶉鰊誡埒そこで、この中研は第二十回という

    ことで二十周年的色彩を強くだし、

    また永江理事長の基本方針IL世界

    と共に」ふれあいを求めて―あ

    テー

    マに基づき、交流の輪が広げられる

    ようにと検討された。その後準備委

    員会でスタッフと内容について再確

    認し、平成二年二月二日には九州の

    福岡日航ホテルで永江理事長他全浄

    青執行部と共に中研に対する会議が

    開かれ、半年後に迫った大会の幕が

    あき、身の引き締まる思いがしたの

    である。

    早速、神奈川浄青を中心とする実

    行委員会の組織図が編成され、本格

    的な事務作業に入ったのである。

    総務部長に古庄師、財務部長に塩

    沢師、広報記録部長に森本師、企画

    運営部長に宮林師を迎え、八月二十

    八日までのタイムスケジュールにそ

    って、それぞれの役割分担を計画し

    ていただいた。

    各部における神浄青会員の仕事ぶ

    りはめざましく、広報記録部におい

    ては二十周年を意識して二十年を回

    顧するプログラムを組み、歴代理事

    長の活動記録及びコメント、全浄青

    としての産声をあげたときからの資

    料、中研の歴史等を網羅し特色ある

    大会資料になったが完成をみるまで

    には本当に厳しい辛い大変な編集の

    連続であった。財務部においては野

    呂実行委員長の意向として、今まで

    の大会資料はほとんどのぺ―ジが企

    業広告にさかれ、その収入で大会を

    運営するという方法を、今大会では

    最小限にし県内寺院

    ・会員OB諸師

    のご理解をいただき協賛

    。寄付で賄

    うといった方法をとった。その結果

    一丸となった我々の熱意により、目

    鍼論

    り,

    ■%市

    囀一一mm

    =圧盗”

    聰的は達せられ円滑な経理になり本当

    に感謝致すものである。企画運営部

    では大会のPRをはじめ、懇親会を

    中心に各セレモニーの設営等またホ

    テルとの折衝等に細心の注意がはら

    われた。特に懇親会における内容は、

    神浄青らしさのでた好企画であった

    と参加者から今でも語られているほ

    どである。総務部では各部との調整、

    来賓

    ・招待者のリストアップ及び発

    送、参加者の申込

    ・登録、大会当日

    の受付

    ・案内、名簿作成と息

    つく暇

    も無いほどスケジュールに追われた。

    会員諸師が大会を成功させる為に

    神浄青のカラーをだしきり、役割を

    こなし、スムーズにスケジュール通

    り運営されたことにより、今まで以

    上の結束力を強く感じとられたと思

    う。また私自身、生涯忘れられない

    心地よい感動の中央研修会であった。

    (吉水智栄 記)

  • 浄青神奈川 (4)18号一

    ハワイ特集 臥円 |

    ハワイからのメッセージハ レイワ浄土院主任 稗 貫 光 遠

    ハワイには、日系人をはじめ、実

    に様々な人種が住んでおり、その人

    種に伴った文化、宗教が共存してい

    ます。私達の浄土宗、元祖法然上人

    のお念仏のみ教えも今から約百年前、

    祖国

    。日本を後に渡った日系

    一世の

    方々と共に、ここハワイに根を下ろ

    したのです。

    今では、日本から飛行機で七、八

    時間で来られるハワイですが、移民

    当時は日本から十

    一日間も船に揺ら

    れ、到着後すぐにプランテーション

    (さとうきびの耕地)に連れて行か

    れ、 一日十時間以上の労働で低賃金。

    まさに奴隷のような厳しい労働条件

    だったのです。また、その当時は女

    性が少なかった為、ピクチャー

    ・ブ

    ライド

    (写真結婚)で、花嫁として

    ハワイに来られた方も大勢あ

    ったそ

    つヽです′。

    そして、太平洋戦争の開戦の日、

    祖国

    。日本がパール・ハーバーに攻

    めて来た時の日系

    一世の想い、また、

    日系社会を、祖国

    ・ハワイを守るた

    め、自ら進んで兵隊を志願した日系

    二世の想いはいかばかりだったでし

    ょうか。この戦争で、日系社会の主

    な方々は抑留されたのです。

    元祖さまのお念仏のみ教えは、こ

    うした日系人の心の支えとして、共

    に苦難を乗り越え受け継がれて参り

    ました。元祖さまの御法語に

    「念仏

    の声する所、皆わが遺跡なり」とい

    うお言葉がありますが、正しく、こ

    こハワイもお念仏の声する元祖さま

    | :珍

    嬌||‐ |

    の御遺跡なのです。

  • …………浄青神奈川 〈5)18号

    私自身、このハワイ開教区に赴任

    して足掛け七年になりますが、今で

    も不安と心細さの中、はじめてハワ

    イに着いた日のことが思い出されま

    す。そして、その間、如来さまの計

    らいで妻、千里との仏縁を頂き、ま

    た、この上ない二人の可愛い女の子

    を授けて頂きました。今、異国の地

    でこの家族と共に力を合わせ、開教

    の仕事をさせて頂き、貴重な体験を

    していますことは、私の大きな宝だ

    と思

    っております。

    特に、日本を離れ、これほど人様

    の情けや真心が有難く身に染みたこ

    とはありません。また、日本を離れ、

    はじめて日本のいろいろな面を客観

    的にみられたということは、異国に

    いればこそだと思います。外に出て

    内を知る。比較して、はじめてその

    物の真の姿がわかるのではないでし

    ょつヽか。

    そういう点で、私自身、自己を見

    詰め直すことが出来ましたし、また、

    宗教の在り方が日本とは全く異なっ

    ていることを実感しております。

    具体的には、こちらでは宗教その

    ものが社会や地域の中に受け入れら

    れ、生活の

    一部となって確固たるポ

    ジションを持

    っているということで

    す。日曜日は、お寺や教会にお参り

    する日として定着し、その地域で

    週間ぶりに隣人と会う社交の場とし

    てお寺が存在しています。

    開教使は定期的に病院に慰間に行

    き、患者に対して精神的な安らぎを

    与え、お念仏の教えを説きます。そ

    して、それを継続することによって

    家族との信頼関係が生まれ、 いざ臨

    終を迎える時には、医者から家族に

    所属しているお寺のミニスター

    (僧

    侶)を呼ぶよう指示が出され、患者

    から死の恐怖を取り除き、お念仏の

    中で静かに見送ることになります。

    そこには、信頼関係の上に聖職者と

    してのポジションがあり、役割を持

    っています。

    また、お寺は地域に対して、宗教

    的なサービスだけではなく、文化教

    (ご詠歌、写経、仏教講座、カラ

    オケ等の各種クラス)を広く開き、

    まさしく、文化の中心地、カルチャ

    ・センターとしての役割も果して

    いるのです。

    今、日本では宗教の在り方につい

    て、教団内外から盛んに反省なり、

    批判が出ていますが、まさにこの昏

    迷する世相において、私達、宗教家

    が果す役割は大きいかと思います。

    この人生において、真生(しんせい)

    になるべき基軸となる教え、お念仏

    が今ほど求められている時はありま

    せん。次代を担う青年僧侶が説法獅

    子吼したもうまでいかなくても、何

    等かの形で社会や地域に対して、ア

    ピールしていくことが私達の責任で

    あり、使命であるかと思います。

    社会や地域、人々の心から宗教が

    離れた時、それは信仰ではなくなり、

    仏教が減び去ることを意味していま

    す。元祖さまの真髄を伝えていく為

    にも、お互い自策自励して、より

    層の精進を重ねて参りたいものです。

  • 〈6〉 18号

    湾岸戦争終結直前の二月二十五日

    神奈川教区浄青会の開教区視察団

    行二十

    一名は、羽田より空路

    ハワイ

    ハワイ特集 臥肝‖

    ハワイ開教区視察を終えて

    杉 浦 定 徳

    へ向かった。湾岸情勢の不穏な折、

    テロ行為に巻き込まれる危惧も高ま

    る中、押してハワイ

    ヘ渡航すべきか

    どうか内外から疑間の声が上がった

    ことは事実であった。だがしかし、

    遠く日

    み本を

    つ離れ異国の地に於て教化

    伝導に期を場くして居られる諸師と

    の交流を通じて、今後国際化社会に

    向かっての新たな価値観によるニー

    ズに対し、宗門の

    一翼を担う我々青

    年僧の歩むべき方向を模索すると同

    時に、我々が置かれている既存の環

    境に安住する事なく、自身の開教精

    神を覚醒すべく意を決して予定通り

    行動に出たのであ

    った。

    ホノルル空港に着

    いた

    一行は、

    「十九時間の時差」と言う荷物を背

    って最初の視察地

    ハワイ浄土宗別

    院を訪れた。私個人としては三度目

    の参拝であるが、その熱烈な歓迎ぶ

    りは六年前のそれと何ら変りはなか

    った。別院の本尊前において我々一

    行は、団長の小松崎会長導師のもと

    劫断叫断講神F呼“峰呻『耐

    ‐こさシ勝″

    開拓移民の苦労、我々の想像を絶す

    る開教使の辛苦の一端を拝聴した。

    ある者は働哭の念に眼を伏せ、また

    ある者は、祖国に思いを凝らしつつ

    洋上の島に骨を埋めていった開拓移

    民の汗と涙の幻臭を嗅ぐが如く空を

    見詰めていたのは、単なる時差ぼけ

    とは無縁のものであ

    った。

    浄土宗別院のみならず、その他本

    派本願寺別院等についても言えるこ

    とだが、 一見して印象に残るのはそ

    の建築様式であろう。自亜の堂字の

    中は、内陣を別としてキリスト教会

    的雰囲気が濃厚であ

    った。日本の寺

    院形式を踏襲しながらも巧みに西洋

    文化に溶け込む姿にただ賛辞を贈る

    前に、言語習慣の異なる土地におい

    て教化伝導を成して来たその情熱と

    苦労を推し測らねばならない。

    近年の我が国においても社会風

    。価値観の変貌ぶりには目を見張

    るものがある。寺と檀家すなわち寺

    と家とのつながりと言ったこれまで

    の習慣風習に安座することなく、

    人々のニーズを敏感に捕らえ、なお

    かつ普遍の念仏の教えを広めていか

    なければならない。その点において、

    開教区での先駆的な活動の

    一端を知

    ることができたことは多大な成果で

    あり、また同時に開教区が抱えてい

    る宗教上の問題が、はるか常夏の島

    だけの話ではないことを今回の視察

    巡拝で痛切に感じ得た。

    最後に我々一行を快く迎えて頂い

    た中村ビショップをはじめ関係諸師

    に心から御礼を申し上げて終りにし

    い。

    合掌

    ハワイ浄土宗別院本尊

    牌一m酷

    一一一一躾

    聰 聰

    ハワイ浄土宗別院本堂内ハワイ浄土真宗本願寺別院

  • …………浄青神奈川 〈7〉 18号

    「いい物件が手に入った」

    (そ の |)

    今夜、ハワイで男になりました

    (そ の 2)今夜、ハワイでパパにな りました

    順番 まだァ~ ?今夜は最高/腰の調子 も最高さ。

    「こんにちは、勝 新太郎です」

  • 浄青神奈川 〈8〉 18号

    キ キョウ

    「帰 敬 会」帰敬 とは、仏 0法・ 僧 の三宝 に帰依す る、三帰戒 に由来す るものです。私 たち仏教徒 は、 自分とい う尊 いいの ちが生 まれ る為に存在 したはか

    り知れ ない多 〈の いの ち (無量寿)そ の大 いなるいの ちの流れ をみほ とけ とあがめ るのです。

    みほ とけに帰依 し敬 うとい うこ とは 自分のいの

    ちの根源 にたち帰 る とい うこと。 「帰敬会」 とい うこの機会 をのがす こ とな く、仏教 のお ごそ

    か な儀式 を体験 し、 自分のいの ちを もう一度見つめ直 してみ ませ んか。

    演 評 論 家 ひ ろ さ ちや師神奈川教区教 化 団 長

    平成 3年 |

    会 場

    費催援

    ロカ参主後

    今回はハワイの記事でうまってし

    まいましたが、出来はいかがだった

    でしまつか。

    一、 つまらないから編集長を交代

    させた方がよい。

    一、自分の方がもっとよい新聞を

    作れるぞ。

    一、手をぬいている。

    など色々御批判はあると思いますが、

    小人数

    (4名)で作業している都合

    上、どうぞ、大目に見てやって下さ

    い。しかし編集長は責任をとってい

    つでもやめる勇気はあるといってい

    ます。次の編集長は○君?どうです

    か。           (N)

    日も長くなり、日ざしも強くなっ

    てきました。今号はハワイの残り香

    にむせかえる様な空気の中。小生は

    ハワイ焼けも掃除焼けもなく、青白

    き頼のまま、黙々と机に向かう毎日

    です。早く健康的な生活に戻りたい。

    太陽の光は植物だけでなく、人間に

    も必要なんですね。 

     

    (C

    ・N)

    今回は盛りだくさんの記事になり

    皆さんに大いに楽しんでいただけた

    と自負しています。編集委員は勝手

    な人ばかりです。 

     

     

    (Y

    。N)

    成 田 光 俊 師

    言己

    1月 23日 (勤労感謝 の 日 )8:30 受 付9:○ ○ 開 会

    大本 山光 明 寺

    鎌 倉 市 材 木座 6-|フ ー 19電 話 0467-22-06033′ ○ ○ ○ 円

    浄 土宗神 奈 川 教 区青 年 会

    浄 土宗神 奈 川 教 区

    大本 山光 明 寺