1989 1990 (62歳) ENTRANCE」ギャラリー16(京都) 「入口-盗ま … · 1990 (62歳)...
Transcript of 1989 1990 (62歳) ENTRANCE」ギャラリー16(京都) 「入口-盗ま … · 1990 (62歳)...
1990 (62歳)
「ENTRANCE」ギャラリー16(京都)
「入口-盗まれた熱」Entrance-The Stolen Heat 200×200×20cm / 102×91×45cm(椅子)(鉄、硫黄、熱)
1989
入口-盗まれた熱
menu
1990
入口-盗まれた熱(裏側)
1990
「残留酸素No.1」Residual Oxygen No.1 23φ×150cm / 75×105cm(酸素ボンベ、ドローイング)
「残留酸素No.2」Residual Oxygen No.2 23φ×150cm / 75×105cm(酸素ボンベ、ドローイング)
「残留酸素No.3」Residual Oxygen No.3 23φ×150cm / 75×105cm(酸素ボンベ、ドローイング)Photo by Hiromu Narita
残留酸素No.1 残留酸素No.2
1990
「村岡三郎展」カタログ 太田垣實(ギャラリー16)
残留酸素No.3
1990
「彫刻家のデッサン展」伊丹市立美術館(兵庫)
「熱の記憶-北緯43°7′,東経90°07′」
「VESSEL(memory)-焼失した声帯No.7」 「砂上の鉄」
「記憶計-熱」
「現代彫刻の歩みⅢ(1970 年以降の表現-物質と空間の変容)」神奈川県立県民ホール・ギャラリー(横浜)
「折れた酸素」、「酸素-焼失した声帯」出品。
「第44回ベネチア・ビエンナーレ-未来の次元」(ベネチア、イタリア)
「酸素-ベネチア」Oxygen-Venice 150×1000×200cm(鉄、酸素ボンベ、水中マイク、スピーカー、アンプ、電線、
その他)
酸素-ベネチア
1990
「Iron Book」出品。
(参考)『村岡三郎-問いなき回答』建畠晢
酸素-ベネチア
1990
「STUCKI2」(バーゼル)
「酸素-バーゼル」Oxygen-BASEL 70×180×80cm(酸素ボンベ、水、帆布)
酸素-バーゼル
1990
「熔断-18000mm×1380℃」A Torch Cutting-18000mm.×1380℃ 6φ×1800cm(鉄、熱、酸素ボンベ(金メッキ))
熔断-18000mm×1380℃
1990
「STUCKI2」カタログGabriele Rivet(バーゼル)
「SAVOIR-VIVRE、SAVOIR-VIVRE、SAVOIR-VIVRE」モントリオール現代美術国際センター(モント
リオール、カナダ)
「10本の酸素」、「折れた酸素」、「貯蔵-蝿の生態とその運動量」出品。
「SAVOIR-VIVRE、SAVOIR-VIVRE、SAVOIR-VIVRE」パンフレット Claude Gosselin (モントリオー
ル現代美術国際センター)
「現代日本美術の流れ<日本>」富山県立近代美術館(富山)
「OXYGEN」出品。
1991 (63歳)タクラマカン砂漠(7月)
「1トンの熱」カサハラ画廊(大阪)
「1トンの熱-焼失した声帯」One Ton's Temparature-Burnt Vocal Cords 340×277×145cm(鉄、硫黄、熱、酸素ボ
ンベ)
1トンの熱-焼失した声帯
(裏側)
1991
「午前・午后-左手の骰子×右手の骰子」Morning・Afternoon-Die in the left hand×Die in the right hand 200×150×45cm(鉄、硫黄、熱、鉛、ガラス、ハロゲンランプ)
午前・午后-左手の骰子×右手の骰子
1991
「20本の酸素と20枚の鉛板」Twenty Oxygen and Twenty Lead Plates 148×163×276cm(酸素ボンベ、パキス
タン絨毯、鉛版、カルシウム)
20本の酸素と20枚の鉛板 (20枚の鉛板)
1991
「体温-ジョニー」Body Temperature 76×106cm(ドローイング)
「送られた熱」参照
体温-ジョニー
1991
「体温-天王寺駅の鳩」Body Temperature 43×54cm(ドローイング)
左手で天王寺駅前広場の鳩を触り、その感触を右手でドローイングした作品。天王寺駅前で鳩を追っ
掛けている時、警官に注告され追い払われた。しかたがないのであとは感触を思い出して描いた。触覚
ドローイング。
「体温-15才の犬」Body Temperature 43×54cm(ドローイング)
左手で犬を触り、その感触を右手でドローイングした作品。触覚ドローイング。
体温-天王寺駅の鳩 体温-15才の犬
1991
「机上の酸素」岡崎球子画廊(東京)
「机上の酸素」Oxygen on the Desk 96 ×183.5×100cm( 机) / 100 ×42×45.5cm( 椅子)(鉄、酸素ボンベ、ハロゲンラン
プ、精子)
「時計」(鉄、塩)
机上の酸素 時計
1991
「Thermo language(熱言語)-sperm の空位(精子)」(ドローイング)
他ドローイング5点。Photo by Hiromu Narita
Photo by Hiromu Narita
机上の酸素(部分)
1991
「秋山画廊5周年展PARTⅢ Saburo MURAOKA + Yoshinari OKAMOTO」秋山画廊(東京)
「酸素(振動)-記憶」Oxygen-Memory.50×600×120cm(鉄、帆布、酸素ボンベ、振動スピーカー、カセットテー
プ、X 線写真、熱、その他)
酸素( 振動) -記憶
1991
「主張する小さなオブジェ展 PARTⅣ」信濃橋画廊5(大阪)
「遠藤利克・川島清・村岡三郎ドローイング展」ギャラリー白(大阪)
「左手を頚動脈に」Oxygen-putting left hand on my carotid artery (鉄、酸素ボンベ)
「BACK & FORTH PART5 70 年代からの航跡」ギャラリー16(京都)
「貯蔵-蝿の生態とその運動量」、「直線」、「直角の水」出品。
左手を頚動脈に
1991
「現代日本美術の動勢-立体造形」富山県立近代美術館(富山)
「1トンの熱-焼失した声帯」、「熔断-11000mm×1380℃」出品。
「芸術と日常-反芸術/汎芸術」国立国際美術館(大阪)
「空化-未確認の記録(バール)」、「タナトスD」出品。
「芸術と日常-反芸術/汎芸術」展カタログ (国立国際美術館)
「村岡三郎とボイス・二人展 鳥打帽とフェルトの帽子」M画廊(足利、栃木)
「残留酸素No4」Residual Oxygen No.4 23φ×150cm / 75×105cm(酸素ボンベ、ドローイング)
「貯蔵-蝿の生態とその運動量」、「蒸留水( 8リットル)」、「塩の先端」、
「火床」、「πcm の釘」、「折れた酸素」(マルチプル)、「体温-ジョニー」、「体
温-天王寺駅の鳩」、「体温-15才の犬」出品。
パフォーマンス「人類消滅」松澤宥、村岡三郎執行(タクラマカン砂漠2ヶ
所)
現代をになう作家たちⅥ 村岡三郎「深くは眠らぬ人よ」美術手帖 5 月
号 建畠晢
残留酸素No4
1992 (64歳)
「振動-記憶」Vibration-Memory 信濃橋画廊(大阪)
「振動-記憶」「左手を頚動脈に」出品。
「左側の壁-2000×6000×400℃」秋山画廊(東京)
「左側の壁-Sulfer」Left Side Wall-Sulfer (鉄、硫黄、熱、洗面台)
左側の壁-2000×6000×400℃
1992
「熱言語-落下する熱」Falling Heat サイギャラリー(大阪)
「熱言語-落下する熱」Falling Heat 「熱」を媒介にしてもコミュニケーションは成立するはずである。その試み-「熱言語」。
この作品は展示会終了後「落下」して、ビンの部分は取り替えられた。
熱言語-落下する熱(落下前) 熱言語-落下する熱(落下後)
Photo by Hiromu NaritaPhoto by Hiromu Narita
1992
「熱言語-落下する熱」 Falling Heat(ドローイング)
ドローイングの中に「大腸菌の領域」という場所がある。村岡は滋賀大時代に暇を見つけては大腸菌を
使った研究をしている研究室に行って、顕微鏡で大腸菌を飽かず観察していた。何の意図性も我々には
感じられないその行動に、村岡は羨望とも言える感情を抱いた。
「私は大腸菌になりたい」と村岡は言う。
後の広島での6本の酸素ボンベには、大腸菌も含め6種類の微生物の名前が刻印されている。
宇宙的視野からの「平等性」は、松澤にも通ずるところがある。
「熱言語-落下する熱」(ドローイング)
「熱言語-残留熱」(ドローイング)
「熱言語-焼失した精子」(ドローイング)
「熱言語-熱の遠近法」(ドローイング)
「熱言語-ガラスの向うの熱」(ドローイング)
「熱言語-平行の熱」(ドローイング)
熱言語-落下する熱 熱言語-残留熱
1992
熱言語-焼失した精子
熱言語-平行の熱
熱言語-熱の遠近法
熱言語-ガラスの向こう側
1992
「大阪現代アートフェア-10回記念特別展 '92」マイドーム大阪(大阪)
「下位の酸素」(鉄、酸素ボンベ、地下鉄の音)
「なぜか気になる人間像 ピカソ、ダリ、ホックニーなど 徳島県近代美術館所蔵名品展」埼玉県立近代美
術館(埼玉)
「カサハラ画廊20周年記念展」カサハラ画廊(大阪)
「語り出す鉄たち-今日の金属彫刻から」東京都美術館(東京)
?「彫刻家による絵画/画家による立体展」ギャラリー16(京都)
「左手の(?)」(キャンバスに油彩、)
「酸素」
1992
「残留酸素No.5」Residual Oxygen No.5 23φ×150cm / 75×105cm(酸素ボンベ、ドローイング)
残留酸素No.5
1993 (65歳)京都精華大学の教授となる
「熔断-160m3 OXYGEN」 STEGOSAURUS SUTUDIO(名古屋)
「熔断-160m3 OXYGEN」Thermal Cutting-160m3 Oxygen(鉄、熱)
Photo by Hiromu Narita
Photo by Hiromu Narita
熔断-160m3 OXYGEN
1993
「30本の酸素」Oxygen-30,1993(鉄、酸素ボンベ、ガラス)Photo by Hiromu Narita
30本の酸素
1993
「NiCAF YOKOHAMA '93 第2回国際コンテンポラリーアートフェア」パシフィコ横浜(横浜)
「現代美術入門-物質と観念」国立国際美術館(大阪)
「第5回富山国際現代美術展 TOYAMA NOW '93 -ART Scene in Central Europe- 」富山県立近代美術
館(富山)
「右側の壁-Salt(左手を頚動脈に)」 Right Side Wall-Salt (putting left hand on my carotid artery) (鉄、塩、酸素
ボンベ)
Photo by Hiromu Narita
右側の壁-Salt(左手を頚動脈に)
1993
「グループ展」秋山画廊(東京)
「熱原理-左手を頚動脈にⅠ」Heat Principle-Take my pulse with left handⅠ(鉄、ドローイング)
「熱原理-左手を頚動脈にⅡ」Heat Principle-Take my pulse with left handⅡ(鉄、ドローイング)
「Invisible Nature 」プラハ城ロイヤルガーデン(プラハ)/ルードウィッヒ美術館(ブタペスト)/ ルード
ウィッヒフォーラム(アーヘン)(?)~1994
「熱の中」Inside Heat 88×64cm(アクリル板、根、ドローイング)
右側の壁-Salt(左手を頚動脈に)
1994 (66歳) タクラマカン砂漠、アルタイ(7月)
「酸素-滋賀」 Oxygen,Shiga (鉄、金メッキした酸素ボンベ)滋賀県立美術館永久設置。
左側の鉄板には、以下のようなメッセージが刻まれている。
For the Burnt Vocal Cord or One Who regards His Hometown as a Strange このメッセージの後半は、サイードが『オリエンタリズム』の中でアウエルバッハから孫引きしたも
のをさらに柄谷行人が『悲劇と言葉』の中に引用した、「故郷を甘美に思うものは」から引いている。
(参考)『悲劇と言葉』柄谷行人
対話展「松澤宥+村岡三郎<精神と物質>」岡崎球子画廊(東京)
「熱原理Heat Principle '93.12.26 AM9:56~」160×380cm(鉄、板ドローイング、酸素ボンベ)
1994
「村岡三郎新作展 THE SALT-左手を頚動脈に」 KENJI TAKI GALLERY(名古屋)
「THE SALT-左手を頚動脈に」 THE SALT-putting left hand on my carotid artery(塩、鉄、ドローイング)
Photo by Hiromu Narita
Photo by Hiromu Narita
THE SALT-左手を頚動脈に
1994
「塩-執行」秋山画廊(東京)
「塩-執行」
「戦後日本の前衛美術」横浜美術館(横浜)
「NiCAF YOKOHAMA '94 第3回国際コンテンポラリーアートフェア」パシフィコ横浜(横浜)
「シリーズ・ART IN TOKYO No.6 KARADA が ART になるとき[物質になった器官と身体]」板橋区立
美術館(板橋、東京)
Photo by Hiromu Narita
塩-執行
1994
「関西の美術1950's~1970's-創造者たちのメッセージ-」兵庫県立近代美術館(神戸)
「死にいたる美術-メメント・モリ」栃木県立美術館(栃木)
「咳」 Coughing 67×45cm(ドローイング)
風邪をひいて、黒炭で塗りつぶした上で、消しゴムを手に持ち、咳が出たときの体の振動の痕跡を、
ドローイングしたもの。
1995 (67歳)
「30周年記念 20人の方法展」信濃橋画廊+エプロン(大阪)
「Invisible Nature 帰国展」 KENJI TAKI GALLERY(名古屋)
戸谷成雄、遠藤利克との3人展。
「溶断-17500mm×1380℃」Thermal Cutting-17500mm×1380℃(鉄、熱)
Photo by Hiromu Narita
溶断-17500mm×1380℃
1995
「平成6年度第3回千葉市新収蔵作品展 戦後美術の動向から」千葉市民ギャラリー(いなげ、千葉)
「戦後文化の軌跡 1945-1955」目黒区美術館他(東京他)
「コレクションによる特別展示 人間像のゆくえ」徳島県立近代美術館(徳島)
「村岡三郎展 1952-1986 SCULUPUTURES」 KENJI TAKI GALLERY(名古屋)
「塩焼き小屋」、「土」、「対」、「未確認の記録-バール」、「貯蔵-蝿の生態とその運動量」、「ペット」、「観
測値(A または B の観たもの)」3点、「観測値」3点、「タナトスC(自画像)」、「10個の太陽」、「交信」、
「標的空間」、「ホヴァリング(空中停止)」、「Spring」、「ガラス」、「直角の水」、「熔断-5400mm×1380℃」、
「アイアンブックA,B,C,D,E,F,G」、「タナトスB(バッキンガムスタヂアム)」、「斧」出品。
1995
「被爆50周年記念展 ヒロシマ以後 現代美術からのメッセージⅡ」広島市現代美術館(広島)
「Plate-Burnt Vocal Cords」Plate-Burnt Vocal Cords(鉄、硫黄、写真)
Photo by Hiromu Narita
Photo by Hiromu Narita
Plate-Burnt Vocal Cords
1995
「塩の布」
「Oxygen-Mosquito」「Oxygen-Amoeba」「Oxygen-Moss」「Oxygen-EarthWorm」「Oxygen-Spirogyra」「Oxygen-Colits Germs」
Photo by Hiromu Narita
Photo by Hiromu Narita
Photo by Hiromu Narita
塩の布
Oxygen
Oxygen-Spirogyra
1995
「村岡三郎新作展 Iron Corner-Burnt Vocal Cords」 KENJI TAKI GALLERY(名古屋)
「Iron Corner-Burnt Vocal Cords(焼失した声帯)」Iron Corner-Burnt Vocal Cords
↑↓Photo by Hiromu Narita
Photo by Hiromu Narita
Iron Corner-Burnt Vocal Cords(焼失した声帯)
1996 (68歳)
「村岡三郎新作展 WHITE IRON -A donkey shall die-」KENJI TAKI GALLERY(名古屋)
「WHITE IRON -A donkey shall die-」 写真は、地球からは決して見えない月の裏側。 Photo by Hiromu Narita
WHITE IRON -A donkey shall die-
1996
「シリーズ・ART IN TOKYO No.8 美術の内がわ・外がわ-何故、眼差しは交ったのか-」板
橋区立美術館(板橋、東京)
「1953 年 ライトアップ-新しい戦後美術像が見えてきた」目黒区美術館(東京)
「小企画展 制作者集団・極」兵庫県立近代美術館 絵画・企画室(神戸)
「大阪市立美術館付設 美術研究所の50年」大阪市立美術館(大阪)
「天と地の間に-今日の日本美術展Ⅱ」名古屋市美術館(名古屋)→ルフィーノ・タマヨ美術館
(メキシコシティー、メキシコ)に巡回
「酸素-左手を頚動脈に」 Oxygen-putting left hand on my carotid artery(鉄板、酸素ボンベ)
Photo by Hiromu Narita
酸素-左手を頚動脈に
1996
Photo by Hiromu Narita
酸素-左手を頚動脈に
1996
「Salt」Salt(塩)
Photo by Hiromu Narita
Salt
1997 (69歳)念願の天文台を伊香立のアトリエの屋根に作る。
(参考)「たしか中学生・・・」村岡三郎
「NICAF 第5回国際コンテポラリーアートフェアー」東京ビッグサイト東4ホール
「OXYGEN」Oxygen(酸素ボンベ、ガラス、板ドローイング)
OXYGEN
1997
「超克するかたち-彫刻と立体」千葉市美術館(千葉)
「村岡三郎新作展 送られた熱(体温)」KENJI TAKI GALLERY(名古屋)
「送られた熱( 体温)」Transmitted Heat -Body Temperature (鉄、銅、体温、電話回線、インターネッ
ト他)
体温の熱を電話回線を通じてギャラリーの銅棒の中に投入していく。熱を痕跡ではなく、
実態として具現化する。30年来やってみたいと考えていた仕事。想像の中では、まだ曖昧
な部分が残り、解釈の余地が残ってしまうのではないかと予想していたが、プロトタイプの
銅棒を触った瞬間に、解釈の余地のない直截な表現になっている事に自ら驚いた。
自分は60年掛かってこの作品を作ったのだと実感した。この作品が成立した事によって、
これまでの活動がやっと意味を持つことになる。
Photo by Hiromu Narita
送られた熱( 体温)-部分
1997
Photo by Hiromu Narita
Photo by Hiromu Narita
Photo by Hiromu Narita
送られた熱( 体温)
熱を送る装置
体温を送る
1997
「触知」は、村岡にとって存在の根底であると直観されている。子供の頃、夜空を見上げて、
星がきれいだとか思ったことはない。ただ暗闇の恐怖感だけを感じた。そして「恐怖」は、触
覚的だと直観した。触覚を認識のベースに据えることは、健康的なことだと村岡は考える。「感
性」などという曖昧な言葉は、触知をベースにしない限り明確にはならない。
制作活動においても常に「触知」から離れないで思考する。村岡は、自ら「触覚ドローイング」
と呼ぶ独特の方法を常時実践している。左手で喉とか頚動脈とかに触れながら、そのイメー
ジを右手でドローイングする。視覚をほぼ排除した形で、触覚によってドローイングする。
左手も右手も触知だけである。
この系譜には、70年代から行なっている「頚動脈ドローイング」、「遺跡」シリーズ、「負の
鉄」、「負の銅貨」、「熱原理」シリーズ、「熱言語」シリーズ、「 Vocal Cord」、「熔断」、「IRON BOOK」、
「残留酸素」、・・・。特に「熔断」である明確な手応えを得た。この系譜で重要な小品がある。1991年の「体温-ジョニー」、「体温-天王寺駅の鳩」、「体温-15才の犬」。この連作のきっかけ
となった「体温-ジョニー」は、20年以上前に見た映画「ジョニーは戦場に行った」を思い出
して描いている。映画「ジョニーは戦場に行った」は、生存が触覚のみで成立するということ
を示した作品である。村岡はこの映画を見て、3日間くらい、ジョニーと同じように震えて
いたという。
「触覚ドローイング」では、常に「不安感」が付き纏う。不安感も恐怖と同じように極めて触覚
的である。村岡は、何かあると必ず「触覚ドローイング」に戻る。触知で宇宙を捉えようとす
る。「触覚」から離れては決して思考しない。これは村岡の「覚悟」である。
「体温」は、会期期間中インターネットを通じて公開され続けた。
(参考)廣松渉『哲学の越境』、『共同主観性の現象学』より
(参考)カッシーラー『シンボル形式の哲学』より
(参考)廣松渉『哲学の越境』より
1997
「分断された熱」(鉄、硫黄、ガラス)
「第2回東京調査団展 記号の重量」和敬塾本館 旧細川公爵邸(目白、東京)
「送られた熱(体温)No.2」(鉄、銅、体温、石)
「光州ビエンナーレ」ホール(光州、韓国)
土屋公雄、原口典之とのコラボレーション。
「WALL WORKS」KENJI TAKI GALLERY(名古屋)
戸谷成雄、遠藤利克との壁を使った3人展。
「石炭」Coal 700×162cm、ドローイング162×137cm(石炭、鉄、ドローイング(木炭 on canvas)) タクラマカンで見た「塩」と「石炭」。石炭は露天掘りで直径1m以上の固まりが汽車で運ば
れているのが印象に残った。「塩」の方は早くに作品化したが、「石炭」は、暖めるのに時間が
掛かった。露天掘りで直径1m以上の固まりが手に入らなかったことも影響している。
1997
Photo by Hiromu Narita
石炭
1997
「村岡三郎展-熱の彫刻 物質と生命の根源を求めて」国立近代美術館(東京~京都)
「記憶体」Solidefied Memory 20×20×25cm(CD-ROM、銅、体温、心臓音、遺伝子他)
記憶とは当然言葉だけではない。体内音としての心臓音、体温、映像、言葉、そして遺伝子の
記憶装置である精子。表面の傷もまた、記憶の「痕跡」を示している。これらのあらゆる「記憶」
を、視覚に頼りすぎるのでもなく、言葉に頼りすぎるのでもなく、触覚、聴覚、嗅覚、視覚
の統合として提示した自刻像。「記憶体」はジョニーである。
貯蔵-記憶。変換された記憶。或は、記憶の閉回路。
(参考)カッシーラー『シンボル形式の哲学』より
(参考)廣松渉『哲学の越境』、『表情』より
1997
現在 大津市本堅田在住
Photo by Hiromu Narita
Photo by Hiromu Narita記憶体
menu
参考資料
(1) 「作品展 WORKS-1952-1978」パンフレット1978(ギャラリー16)
(2) 「牛窓国際芸術祭」第三、四回パンフレット1988(JAPAN 牛窓国際芸術祭事務局)
(3) 「村岡三郎展 ENTRANCE 」パンフレット1990(ギャラリー16)
(4) 「BACK AND FORTH '70 年代からの航跡」パンフレット1991(ギャラリー16)
(5) 「秋山画廊五周年記念展」パンフレット1991(秋山画廊)
(6) 「村岡三郎とボイス・二人展 鳥打帽とフェルトの帽子」パンフレット1991(M画廊)
(7) 「信濃橋画廊1965-1995」1995(信濃橋画廊)
(8) 「第2回東京調査団展 記号の重量」パンフレット1997(調査団展実行委員会)
(9) 「ユーロパリア89 ジャパン」カタログ 中原佑介(ゲント市立現代美術館)
(10) 「ベネチア・ビエンナーレ」カタログ 建畠晢 1990(日本交流基金)
(11) 「STUCKI 2」カタログ GABRIELE RIVET1990(バーゼル)
(12) 「村岡三郎作品集」 建畠晢編1991(カサハラ画廊)
(13) 「芸術と日常-反芸術/汎芸術」展カタログ1991(国立国際美術館)
(14) 「現代日本美術の動勢-立体造形」展カタログ1991(富山県立美術館)
(15)「語り出す鉄たち-今日の金属彫刻から-」カタログ1992(東京都美術館)
(16) 「宇部の彫刻」1993(宇部市)
(17) 「OXYGEN SABURO MURAOKA」 1994(KENJI TAKI GALLERY)
(18) 「shizen-verborgene natur」Ludwig Forum fur Internationale Kunst Aachen 1994(19) 「死にいたる美術-メメント・モリ」展カタログ1994(町田市立国際版画美術館 栃木県立美術館)
(20) 「東京都現代美術館収蔵作品選1995」1995(東京都現代美術館)(21) 「1953 年ライトアップ-新しい戦後美術像が見えてきた」 1996(目黒区美術館 多摩美術大学)
(22) 「超克するかたち-彫刻と立体-」カタログ1997(千葉市美術館)
(23) ディアローグ=35「村岡三郎」『みづえ』聞き手=乾由明1973 4 月号
(24) 作家訪問 村岡三郎「不確定法で・・・」村岡三郎+篠田孝敏 『美術手帖』1984 3 月号
(25) Exhibition 村岡三郎「死の土地を経て」中村英樹 『美術手帖』1987 4月号
(26) 現代をになう作家たちⅥ 村岡三郎「深くは眠らぬ人よ」建畠晢 『美術手帖』1991 5 月号
(27)村岡三郎 VS 酒井忠康「原点の感覚に翻訳し直すための作業」 月刊『アトリエ』1992 3 月号
資料提供:村岡三郎、KENJI TAKI GALLERY、成田弘、他
Copy Right:Saburo Muraoka,Naomasa Okumura,Denno Lab.1st edition :Oct.27,1997
menu