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104. 過食症における AMPA 受容体シナプス移行の役割 高橋 琢哉 Key words:摂食,視床下部外側野,ラット,MCH ニュー ロン,オレキシンニューロン 横浜市立大学 医学部 生理学教室 シナプスに連続刺激を加えることにより惹起されるシナプス長期増強(Long-term-potentiation: LTP)は, 記憶・学習の 細胞レベルのメカニズムと信じられている. LTP 形成に必須の役割を演じるのは, グルタミン酸受容体の中でも α-amino-3- hydroxy-5-methyl-4-isoxazolepropionic acid (AMPA)受容体で, 主に4つの受容体(GluR1〜4)が知られている. これらは C 末端の構造により2つに分けられ, GluR1 と 4 は長い C 末端細胞内ドメインを持つが, GluR2 と 3 の C 末端細胞内 ドメインは短い. 我々は AMPA 受容体のシナプスへの移行を調べる方法として「電気生理学的標識」という方法を開発した 1) . すなわち, 内 因性の AMPA 受容体では膜電位が負でも正でもイオンがチャンネルを通過することができるが, 組換え受容体では膜電位が負 のときのみイオンがチャネルを通過する(内向き整流). この組換え受容体がシナプスに挿入された場合, より内向きの整流を示す ようになる. この方法により, in vitro の海馬スライスにおいて, LTP 誘導により, GluR1 がシナプスへ移行することを証明した 1) . その後 Sindbis virus を用いた方法を開発し 2) , 著者は, 経験依存的に GluR1 がシナプスへ移行することを, ラットのバレル皮 質(ひげの入力がある大脳皮質領域)を用いて in vivo の系で証明した 3) . 最近では, 扁桃体において, 恐怖条件付けにより GluR1 がシナプスへ移行することを報告している 4) . この実験系は動物のさまざまな行動における AMPA 受容体の挙動を in vivo で観察することができる世界で唯一の極めてユニーク, かつパワフルな手法である. 同時に GluR1 の C 末端細胞内ドメイ ンのみを発現させることにより, GluR1 のシナプスへの移行を dominant negative に阻止する GluR1-ct も発見した. 興味深い ことに GluR1-ct は, 通常のシナプス応答には影響を及ぼさなかったが, LTP の発現を特異的に阻止し, in vivo でも, GluR1 のシナプスへの移行を阻止した. 最近, 共同研究者を得て, 摂食行動の調節における AMPA 受容体の役割に興味を持った. 肥満の克服は, 科学に科せられ た重要課題の一つで, 過食は肥満を来すことから, その神経基盤の解明が急がれている. ヒトの場合, 肥満は, 運動等による代 謝やエネルギー消費の改善, 摂食行動の是正などにより一過性には改善されるが, 継続性に問題点が指摘されている. すなわち 過食の改善が困難なのは, 何らかの機序により空腹感が形成されやすいと言う可塑的な現象がおこっているのでは, と著者は推 測している. そこで本研究では, 過食の機序を, 空腹感を形成する視床下部外側野のシナプスに AMPA 受容体が移行することにより引き 起こされる, という仮説をたて, それを証明することを目的とした. 動物は, Charles River 系 Wistar 成熟ラット(6-8 週齢)を用いた. 摂食量および飲水量は, 自動測定装置により計測し た. 脳定位装置をもちいて側坐核, 視床下部弓状核, 視床下部外側野, もしくは腹側被蓋野の両側に(片側 4 l/24 分), レ ンチウイルスに組み込んだ GFP 標識 GluR1-ct を投与した. 対照群には GFP のみを組み込んだウイルスを投与した. 手術侵 襲から回復する 1 週間の後, 自動測定装置に入れ, 3-5 日間の対照期間において基礎量を測定の後, 24 時間の絶食を行っ た. その後再び自由摂食下として, 絶食後に惹起される一過性の過食に及ぼす GluR1-ct の効果を観察した. 上原記念生命科学財団研究報告集, 22(2008) 1

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104. 過食症における AMPA受容体シナプス移行の役割

高橋 琢哉

Key words:摂食,視床下部外側野,ラット,MCHニューロン,オレキシンニューロン

横浜市立大学 医学部 生理学教室

緒 言

 シナプスに連続刺激を加えることにより惹起されるシナプス長期増強(Long-term-potentiation: LTP)は, 記憶・学習の細胞レベルのメカニズムと信じられている. LTP 形成に必須の役割を演じるのは, グルタミン酸受容体の中でも α-amino-3-hydroxy-5-methyl-4-isoxazolepropionic acid (AMPA)受容体で, 主に4つの受容体(GluR1〜4)が知られている.これらは C 末端の構造により2つに分けられ, GluR1 と 4 は長い C 末端細胞内ドメインを持つが, GluR2 と 3 の C 末端細胞内ドメインは短い. 我々はAMPA 受容体のシナプスへの移行を調べる方法として「電気生理学的標識」という方法を開発した 1). すなわち, 内因性のAMPA受容体では膜電位が負でも正でもイオンがチャンネルを通過することができるが, 組換え受容体では膜電位が負のときのみイオンがチャネルを通過する(内向き整流). この組換え受容体がシナプスに挿入された場合, より内向きの整流を示すようになる. この方法により, in vitro の海馬スライスにおいて, LTP誘導により, GluR1 がシナプスへ移行することを証明した 1).その後 Sindbis virus を用いた方法を開発し 2), 著者は, 経験依存的に GluR1 がシナプスへ移行することを, ラットのバレル皮質(ひげの入力がある大脳皮質領域)を用いて in vivo の系で証明した 3). 最近では, 扁桃体において, 恐怖条件付けによりGluR1 がシナプスへ移行することを報告している 4). この実験系は動物のさまざまな行動における AMPA 受容体の挙動を invivo で観察することができる世界で唯一の極めてユニーク, かつパワフルな手法である. 同時に GluR1 の C 末端細胞内ドメインのみを発現させることにより, GluR1 のシナプスへの移行を dominant negative に阻止するGluR1-ct も発見した. 興味深いことに GluR1-ct は, 通常のシナプス応答には影響を及ぼさなかったが, LTP の発現を特異的に阻止し, in vivo でも, GluR1のシナプスへの移行を阻止した. 最近, 共同研究者を得て, 摂食行動の調節における AMPA 受容体の役割に興味を持った. 肥満の克服は, 科学に科せられた重要課題の一つで, 過食は肥満を来すことから, その神経基盤の解明が急がれている. ヒトの場合, 肥満は, 運動等による代謝やエネルギー消費の改善, 摂食行動の是正などにより一過性には改善されるが, 継続性に問題点が指摘されている. すなわち過食の改善が困難なのは, 何らかの機序により空腹感が形成されやすいと言う可塑的な現象がおこっているのでは, と著者は推測している. そこで本研究では, 過食の機序を, 空腹感を形成する視床下部外側野のシナプスにAMPA受容体が移行することにより引き起こされる, という仮説をたて, それを証明することを目的とした.

方 法

 動物は, Charles River 系 Wistar 成熟ラット(6-8 週齢)を用いた. 摂食量および飲水量は, 自動測定装置により計測した. 脳定位装置をもちいて側坐核, 視床下部弓状核, 視床下部外側野, もしくは腹側被蓋野の両側に(片側 4 l/24 分), レンチウイルスに組み込んだ GFP 標識 GluR1-ct を投与した. 対照群には GFP のみを組み込んだウイルスを投与した. 手術侵襲から回復する 1 週間の後, 自動測定装置に入れ, 3-5 日間の対照期間において基礎量を測定の後, 24 時間の絶食を行った. その後再び自由摂食下として, 絶食後に惹起される一過性の過食に及ぼすGluR1-ct の効果を観察した. 

 上原記念生命科学財団研究報告集, 22(2008)

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結 果

 予備実験でヘルペスウイルスを用いたが, 投与後 24 時間をピークとして GFP の発現が認められたが, その後急激に発現量が減少し, 1 週間後にはほとんど認められなかった. これはヘルペスウイルスの神経毒性と考えられた. そこでより安定して神経系に外来遺伝子を発現させるレンチウイルス(FUGW)を用いることとした. 予備実験で 1週間でGFP の発現を認め, 少なくとも4 週間は安定していた(図 1). 

 図 1. 視床下部外側野における GFP の発現.

1 週間でGFP の発現を認め, 少なくとも 4 週間は安定していた. さらに, 明らかな神経毒性は認められなかった. そこで本実験は全てレンチウイルスを用いることとした. 過食のモデルとして, 本研究では, 24 時間絶食後の一過性の過食に対する効果を検討した. 図 2 に示すように, 雌性ラットの場合, 雄性ラットと比較して, 24 時間絶食の後, 一過性に有意な摂食量の増加を認めた. すなわち過食のモデルとして適当であることが示唆された.

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 図 2. 雌性ラットにおける 24 時間絶食後の一過性の過食.

雌性ラットの場合, 雄性ラットと比較して, 24 時間絶食の後, 一過性に有意な摂食量の増加を認めた. そこで本研究では, このモデルで検討することとした. 過食反応は図 3 に代表例として視床下部外側野のデータを示す. 

 図 3. 視床下部外側野にGluR1-ct を発現させたときの 24 時間絶食後の摂食行動.

対照期間 3 日間の摂食量を 100%として表記すると, GluR1-ct 群の 24 時間絶食後の再摂食量は, GFP 対照群と比較して, 有意な差を認めなかった.

 対照期間 3 日間の摂食量を 100%として表記すると, GluR1-ct 群の 24 時間絶食後の再摂食量は, GFP 対照群と比較して,有意な差を認めなかった. 側坐核, 視床下部弓状核, および腹側被蓋野においても同様の結果であった.  

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考 察

 本研究成果から, FUGW レンチウイルスを用いて, 成熟したラットの中枢神経系の特定の部位に遺伝子を発現させる方法が確立した. 特に長期間, 安定して, しかも, 明らかな毒性を認めずに発現させることが可能となった意義は大きい. この方法は今後, 様々な神経機能の解析に強力なツールとなることが期待される. 絶食後の一過性の過食に ct の効果が認められなかったことは, ct そのものが作用しなかった可能性と, この過程に GluR1 が関与しないことが考えられる. 前者の可能性は, 同様の ct がその他の実験で効果があったことから否定的である. 従って, 後者の可能性が考えられる. とは言え, 摂食行動の調節に神経回路の可塑的な変化が関与するという報告もあり 5), 今後の詳細な検討が必要と考えられた. そのため, 他の過食のモデルで検討する必要がある. 興味深いことに, 絶食後の一過性の過食は, 雌性ラットにおいてのみ認められた. その生理的な意義は不明であるが, 拒食症などの摂食障害の罹患率には性差が認められ, 女性の方が疾患に罹患しやすい. 従って, 何らかの機序で雌性動物の摂食調節回路の脆弱性を反映しているのかもしれない. 本研究の共同研究者は, 横浜市立大学医学部生理学教室の舩橋利也准教授である. 

文 献

1) Hayashi, Y., Shi, S.H., Esteban, J.A., Piccini, A., Poncer, J.C. & Malinow, R. : Driving AMPA receptorsinto synapses by LTP and CaMKII: requirement for GluR1 and PDZ domain interaction. Science,287:2262-2267, 2000.

2) Shi, S., Hayashi, Y., Esteban, J.A. & Malinow, R. : Subunit-specific rules governing AMPA receptortrafficking to synapses in hippocampal pyramidal neurons. Cell, 105:331-343, 2001.

3) Takahashi, T., Svoboda, K. & Malinow, R. : Experience strengthening transmission by driving AMPAreceptors into synapses. Science, 299:1585-1588, 2003.

4) Rumpel, S., LeDoux, J., Zador, A. & Malinow, R. : Postsynaptic receptor trafficking underlying a formof associative learning. Science, 308:83-88, 2005.

5) Pinto, S., Roseberry, A.G., Liu, H., Diano, S., Shanabrough, M., Cai, X., Friedman, J.M. & Horvath,T.L. : Rapid rewiring of arcuate nucleus feeding circuits by leptin. Science, 304:110-115, 2004.

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