1 胸郭出口症候群 - 中外医学社1 胸郭出口症候群 疾患の特徴...

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1 胸郭出口症候群 患の特徴 胸郭出口症候群(Thoracic outlet syndrome: TOS)は第 1 肋骨と 鎖骨によって構成される胸郭出口部で腕神経叢や鎖骨下動脈,鎖骨下 静脈が頚肋,鎖骨,第 1 肋骨などの骨や,前斜角筋,中斜角筋,小胸 筋などの筋によって圧迫・牽引されることで生じる症候群であり, 1956 年に Peet 1) らにより提唱された 図1 図2 .要因が神経系, 動脈系,静脈系と別れているために様々な症状を呈するが,神経系の 症状を最も呈しやすい.発症時の平均年齢は 27.3 歳で性別は 1:3.7 で女性に多い 1-3) .神経系の症状は主に腕神経叢の圧迫・絞扼によるも ので,背部痛,胸部痛,上肢のしびれや脱力感・痛みが生じる.動脈 系の症状は冷感などの感覚異常,脈の途絶,虚血による痛みで,上肢 が白っぽくなるのが特徴である.静脈系の症状は上肢のうっ血と浮腫 に伴う感覚異常や痛みで,主に前腕や手指が青紫を呈するのが特徴で ある.症状が現れる部位は肩甲帯の場合もあれば,上腕部,前腕部の 場合など多岐にわたる.肩甲帯や上肢,手指に運動麻痺が生じ,筋力 が低下することも少なくない.痛みや機能障害の程度は多岐にわたる が,持続的な痛みが慢性化することはまれである.上肢を挙上する, 重量物を肩に担ぐ,ボールを投げるといった特定の動作を繰り返すこ とで症状が現れやすい. 胎生期の下位頚椎から出ている肋骨の遺残した頚肋(第 7 頚椎横突 起が肋骨のように大きくなったもの)の存在や,斜角筋の走行異常や 質的変化などの先天的な要因と,外傷や不良姿勢に伴う筋のタイトネ スといった後天的な要因に大別される 表1 .頚肋が存在していても 症状が現れない場合も多く,これらの先天的な要因に加えて,痩身, 2 第1章 上肢 498-08328

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Page 1: 1 胸郭出口症候群 - 中外医学社1 胸郭出口症候群 疾患の特徴 胸郭出口症候群(Thoracicoutletsyndrome: TOS)は第1肋骨と 鎖骨によって構成される胸郭出口部で腕神経叢や鎖骨下動脈,鎖骨下

1 胸郭出口症候群

疾患の特徴

胸郭出口症候群(Thoracic outlet syndrome: TOS)は第 1肋骨と

鎖骨によって構成される胸郭出口部で腕神経叢や鎖骨下動脈,鎖骨下

静脈が頚肋,鎖骨,第 1肋骨などの骨や,前斜角筋,中斜角筋,小胸

筋などの筋によって圧迫・牽引されることで生じる症候群であり,

1956 年に Peet1)らにより提唱された 図1 , 図2 .要因が神経系,

動脈系,静脈系と別れているために様々な症状を呈するが,神経系の

症状を最も呈しやすい.発症時の平均年齢は 27.3 歳で性別は 1:3.7

で女性に多い1-3).神経系の症状は主に腕神経叢の圧迫・絞扼によるも

ので,背部痛,胸部痛,上肢のしびれや脱力感・痛みが生じる.動脈

系の症状は冷感などの感覚異常,脈の途絶,虚血による痛みで,上肢

が白っぽくなるのが特徴である.静脈系の症状は上肢のうっ血と浮腫

に伴う感覚異常や痛みで,主に前腕や手指が青紫を呈するのが特徴で

ある.症状が現れる部位は肩甲帯の場合もあれば,上腕部,前腕部の

場合など多岐にわたる.肩甲帯や上肢,手指に運動麻痺が生じ,筋力

が低下することも少なくない.痛みや機能障害の程度は多岐にわたる

が,持続的な痛みが慢性化することはまれである.上肢を挙上する,

重量物を肩に担ぐ,ボールを投げるといった特定の動作を繰り返すこ

とで症状が現れやすい.

胎生期の下位頚椎から出ている肋骨の遺残した頚肋(第 7頚椎横突

起が肋骨のように大きくなったもの)の存在や,斜角筋の走行異常や

質的変化などの先天的な要因と,外傷や不良姿勢に伴う筋のタイトネ

スといった後天的な要因に大別される 表1 .頚肋が存在していても

症状が現れない場合も多く,これらの先天的な要因に加えて,痩身,

2 第 1章 上肢 498-08328

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下垂肩(なで肩)といった身体的な特徴や不良姿勢,特定の筋を酷使

するスポーツや,重量物を扱う労働者の筋肥大や筋硬結といった後天

的な要因が組み合わさることで症状が現れやすい.前者を牽引型

TOS,後者を圧迫型TOSと分類することもある.

1.胸郭出口症候群 3498-08328

中斜角筋

a

c

b

d

中斜角筋

頚肋骨

腕神経叢

腕神経叢 腕神経叢

腕神経叢

鎖骨下動脈

鎖骨下動脈

鎖骨下動脈鎖骨下動脈

烏口突起

鎖骨下動脈

鎖骨下静脈鎖骨下静脈

鎖骨下静脈鎖骨下静脈

斜角筋間隙

斜角筋間隙

小胸筋下間隙小胸筋下間隙

小胸筋小胸筋

肋鎖間隙肋鎖間隙鎖骨

鎖骨

前斜角筋

前斜角筋前斜角筋

第 1肋骨 第 1肋骨第 1肋骨

図1 胸郭出口部分の構造(地神裕史.上肢の理学療法.東京 : 三輪書店 ; 2016.p. 181)7)

a: 斜角筋間隙部,b: 肋鎖間隙部,c : 小胸筋下間隙部,d: 頚肋

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4 第 1章 上肢 498-08328

外傷解剖学的異常

不良姿勢

上肢頭上挙上労働

重量物挙上

その他筋のタイトネス

斜角筋損傷

腕神経叢の牽引損傷

鎖骨・肋骨骨折

鞭打ち損傷

上肢または脊椎への外傷

スポーツ外傷

第 1肋骨・鎖骨の骨性異常

頚肋

斜角筋異常

線維性索状物

鎖骨下動脈の異常

姿勢または生活・労働環境

表1 発症の要因分類

腫瘍・炎症

胸郭または上肢手術

中心静脈栄養(IVH)による血栓

動揺肩・下垂肩

前斜角筋

小胸筋

鎖骨下筋

中斜角筋

肩甲挙筋

神経根

C5

C6

C7

T1

C5C4から

横隔神経への枝

鎖骨下筋への枝

肩甲背神経

肩甲上神経

内側前腕皮神経内側上腕皮神経内側胸筋神経

長胸神経

第 1肋骨筋皮神経腋窩神経橈骨神経正中神経尺骨神経 上肩甲下神経

下肩甲下神経胸背神経

外側胸筋神経 C6

C7

C8C8

後外側

前枝前枝前枝前枝

前枝前枝

後枝後枝

後枝後枝

後枝後枝

内側

下T1

神経幹

神経束

末梢神経

分枝

鎖骨内側

小胸筋停止腱

前斜角筋停止腱

図2 腕神経叢の構造(Neumann DA,著.嶋田智明,他監訳.筋骨格系のキネシオロジー.

第 2版.東京 : 医歯薬出版 ; 2012.p. 169より改変)

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1理学療法評価

1-1 感覚異常

TOS の症状や原因は多岐にわたるため,適切な治療を行うために

は原因部位の特定や鑑別は重要である.腕神経叢は第 5頚神経〜第 1

胸神経の前枝で構成されており,上神経幹,中神経幹,下神経幹を形

成する.また,上・中神経幹からの枝が外側神経束(C5〜C7),上・

中・下の神経幹からの枝が後神経束(C5〜Th1),下神経幹からの枝

(前部)が内側神経束(C8,Th1)を構成する 図2 .しびれや痛み,

感覚異常が現れている部位と支配神経を対応させることで,どの神経

束が影響しているのかを推測する 図3 .これらの検査は一般的な表

在感覚の検査方法に準じて行う.要因が神経系,血管系のどちらなの

かを確認するために,神経伝導速度の検査が行われることも少なくな

い.一般的に神経の圧迫やニューロパチーの症状が認められる神経で

は伝導が遅延するといわれており,これらの検査結果も含めて要因を

判断する.

1.胸郭出口症候群 5498-08328

腋窩神経 筋皮神経

尺骨神経

正中神経

図3 上肢の感覚神経分布チェック・ガイド

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1-2 ROM制限と代償性アライメント

TOS は関節の構造学的な問題により可動域が制限されることはな

く,二次的に生じる筋力低下や,痛みや感覚異常による防御反応の結

果として肩甲骨や脊椎のアライメント異常をきたし,上肢の可動域が

制限される.肩甲帯,肩,肘,前腕,手関節,手指のROMを計測す

る.上肢を挙上すると痛みやしびれが出現・増強する場合もあるが,

ほとんどの場合は他動運動では誘発されず,自動運動によってのみ誘

発される.TOS 患者では肩関節の自動的な屈曲や外転で症状が出る

角度を記録しておく.

肩甲帯(肩鎖関節,胸鎖関節,肩甲胸郭関節)の動きの制限が症状

につながりやすいため,これらの可動域や左右差,代償運動パターン

を評価する 図4 .

1-3 筋力低下

腕神経叢が関与する上肢の筋には上腕二頭筋/烏口腕筋/上腕筋(筋

6 第 1章 上肢 498-08328

棘突起から肩甲骨内側縁までの距離を計測(cmもしくは横指)

肩峰のラインを基準に左右差をチェック

左肩関節の伸展による代償

左肩甲帯下制による代償

図4 肩甲骨内転の可動域と左右差の評価・ガイド

左肩甲帯の内転時に肩甲帯の下制や肩甲骨の前傾,肩関節伸展の代償が認められる.