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精神療法 第40巻第5号 善 しないため,B病 院小児科 を受診 した ところ, 左上顎洞 の悪性 リンパ 腫 と診断 されて,入 院。 当時の TTCSGの Stage 4の プロ ト コルにて治 療が開始 された。膵炎や感染の合併など , さま ざまな経過 を経 て ,第 3フ ェーズに入るころに ,看 護師や訪間学級の教師に返事 をしな , クス リを投 げて しまうな ど ,治 “コンプ ライアンス "の 低下や コミュニ ーシ ヨンの困 難 さが 目立 って きたため,筆 者 に依頼 された。 母親には精神科外来で面接,Aに ついては筆 者が ッ ドサ イ ドに訪問す ることとした (原 , 1回 )。 まず母親面接 で次の ことが明 らかになった。 Aの 父親は Aの 闘病にまった く非協力的だっ たため ,退 院後の離婚 には迷いはなかった。 し かし3人 の子 どもを抱 えての ,就 ,保 育園さ がし ,家 さが しや転校 は,予 想以上の苦労であ った。 この ころは,上 の兄 の朝帰 りが増 えてい ること の心配 もあった。Aの 再発について はずっとび くび くして きたが, もう大丈夫だろ うと安心 した矢先のことであった。母親は。医 者の説明を一人で聞かなければならな 負担 と 孤独感 を抱 えていた。そのためか母親は非常に きやす く , さらに母親の言動が Aを けることにもなっていた。た とえば,主 治医が Aに 外泊 の希望 を問 うた際 に ,Aが 即答 しな かつたことで母親は傷 ついていた。外泊中に Aを 詰め,体 調が悪 くて嘔吐 した リ ゴロ ゴロした りしている Aに 向かって,「 そんなん だったら ,帰 って来なきゃよかった じゃない |」 と言つて しまったとい う。 しかし ,こ の時期の 再発は , 自分 に とって もAに とって も青天の 治療 抵抗 を家族看護 cueと とらえる 臨床では ,検 の抵抗や治療 の非協力 拒否 に問 々遭遇する。医療側 としては,エ ビデ ンスの高 治療で効果が期待 されるならば,ぜ ひ患者 に届 けたい と願 うわけだが, どう パー ーシ ップを組 んで よいのかわか らな ,何 障壁 になっているのか理解が難 しい ときがある。 前思春期 までの症例の場合,患 者 による検査や 治療 の抵抗や拒否は ,子 どもか ら医療者 家族看護の cueで あると言えるようだ。 症例呈示 症例は 10歳 女子,再 発 の悪性 リンパ 腫で , 化学療法,放 射線療法を施行中である。治療や 学習 の協力が得 られない とい ことで ,小 病棟の看護チ ームか ら精神科所属の筆者 に依頼 のあった症例である。 家族は 40歳 代の母親 と兄が二人,母 親 と父 親は Aの 初発の闘病生活後に離別,下 の兄が Aと 血清型完全一致のため,骨 髄移植の ドナ になる予定であつた。既往歴 としては ,3歳 時に,前 頭部皮腫瘤 として悪性 リンパ (非 ジキンリンパ ,T細 胞型)を 発症。5カ月間 B病 入院,化 学療法 放射線療法にて寛解 ,外 来にてフォロー された。小学 4年 の暮れ に乳歯 を抜歯後,歯 発熱 と共に左頸部の腫 脹 に母親が気 ,正 月 に歯科 を救急受診 させ たが,歯 髄炎 と誤診 された。1カ月経 つて も改 Understanding Chldren's Un,ほ Ш ngness to Take Treat ment as a“ Cue"for Faruly Nurslllg lnvolvement *東 京大学大学院医学系研究科 家族看護学分野 〒 1131X133 東京都 文京 区本郷 73‐1 Kiyoko Kamibeppu:Department of Family Nwsing,Grad‐ uate Sch∞ l of Medlc旋 ,The U」 versity of Tokyo - 704 -―

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精神療法 第40巻第5号

善しないため,B病院小児科を受診したところ,

左上顎洞の悪性リンパ腫と診断されて,入院。

当時のTTCSGの Stage 4の プロ トコルにて治

療が開始された。膵炎や感染の合併など, さま

ざまな経過を経て,第 3フ ェーズに入るころに

は,看護師や訪間学級の教師に返事をしない,

クスリを投げてしまうなど,治療への “コンプ

ライアンス"の低下やコミュニケーシヨンの困

難さが目立ってきたため,筆者に依頼された。

母親には精神科外来で面接,Aに ついては筆

者がベッドサイドに訪問することとした (原則 ,

週 1回 )。

まず母親面接で次のことが明らかになった。

Aの父親は Aの 闘病にまったく非協力的だっ

たため,退院後の離婚には迷いはなかった。し

かし3人の子どもを抱えての,就労,保育園さ

がし,家さがしや転校は,予想以上の苦労であ

った。このころは,上の兄の朝帰 りが増えてい

ることへの心配 もあった。Aの再発について

はずっとびくびくしてきたが, もう大丈夫だろ

うと安心した矢先のことであった。母親は。医

者の説明を一人で聞かなければならない負担と

孤独感を抱えていた。そのためか母親は非常に

傷つきやすく, さらに母親の言動が Aを傷つ

けることにもなっていた。たとえば,主治医が

Aに外泊の希望を問うた際に,Aが即答しな

かつたことで母親は傷ついていた。外泊中に

Aを 問い詰め,体調が悪くて嘔吐したリゴロ

ゴロしたりしているAに向かって,「そんなん

だったら,帰 って来なきゃよかったじゃない |」

と言つてしまったという。しかし,こ の時期の

再発は, 自分にとってもAに とっても青天の

治療への抵抗を家族看護の cueと とらえる

上 別 府 圭 子・

臨床では,検査への抵抗や治療への非協力・

拒否に問々遭遇する。医療側としては,エ ビデ

ンスの高い治療で効果が期待されるならば,ぜひ患者に届けたいと願うわけだが, どうパー ト

ナーシップを組んでよいのかわからない,何が

障壁になっているのか理解が難しいときがある。

前思春期までの症例の場合,患者による検査や

治療への抵抗や拒否は,子どもから医療者への

家族看護の cueで あると言えるようだ。

症例呈示

症例は 10歳女子,再発の悪性 リンパ腫で,

化学療法,放射線療法を施行中である。治療や

学習への協力が得られないということで,小児

病棟の看護チームから精神科所属の筆者に依頼

のあった症例である。

家族は 40歳代の母親 と兄が二人,母親と父

親は Aの初発の闘病生活後に離別,下の兄が

Aと 血清型完全一致のため,骨髄移植の ドナ

ーになる予定であつた。既往歴としては,3歳時に,前頭部皮腫瘤として悪性リンパ腫 (非ホ

ジキンリンパ腫,T細胞型)を発症。5カ 月間

B病院へ入院,化学療法・放射線療法にて寛解

し,外来にてフォローされた。小学 4年の暮れ

に乳歯を抜歯後,歯痛・発熱と共に左頸部の腫

脹に母親が気づき,正月に歯科を救急受診させ

たが,歯髄炎と誤診された。1カ 月経つても改

Understanding Chldren's Un,ほ Шngness to Take Treatment as a“Cue"for Faruly Nurslllg lnvolvement

*東京大学大学院医学系研究科・家族看護学分野

〒1131X133 東京都文京区本郷 73‐ 1

Kiyoko Kamibeppu:Department of Family Nwsing,Grad‐

uate Sch∞ l of Medlc旋 ,The U」 versity of Tokyo

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一     ・ ・ 一オ」“

2014年 10月

露庭であ り,Aが返事をした くもないという

気持ちもわかるのだと言 う。また,Aは 同年

齢の同室児がテレビを見て歌うことに批判的で,

大人びて遊べない子だと母親は見倣 していた。

母親が,病児を抱える母親の機能をもつこと

ができるように,支持的に関わつた。病気の説

明や今後の方針,骨髄移植前後の具体的な注意

点などを,主治医に質問するように励まし,時に主治医との面接に同席した。 ドナーになる下

の兄がどのように心づもりをすればよいかにつ

いても,母親の理解が進み,兄に説明をするこ

とができ,上の兄の心配な行動もなくなった。

今後,A本人に病気や治療のことを説明 して

い く方針 とし,そ の説明の仕方について,母親・主治医・筆者とで話 し合いをもった。経過

中に母親は元夫に会って Aの病状を説明 した

が,辛さは共有してもらえないという寂しさを

募らせる結果であつた。

一方 Aは筆者がベッドサイ ドを訪問しても,

はじめは寝たふ りをしたリテレビを見たりして,

筆者を無視 していた。筆者は 〈入院になってシ

ョックだったね〉と話しかけたり,折鶴を折っ

て置いてきたり,次の来訪日時を書いたシール

を床頭台に貼ってきたりした。まったく拒否さ

れているのではないE「象はもっていた。すると

4回 目から発語はないが,ジグゾーパズルなど

に誘われるようになった。(今度何して遊ぶか

考えておいてね。ほしいものあったら準備する

から。キリンやゾウを連れてきてって言われて

も無理だけどさ〉と言うと「え,変なこと言う

ねえ」とAはびっくりし,筆者はつながった

実感を得た。次のセッシヨンで,CDのイヤホ

ンを筆者に与え,CDの音をつけたり消したり

大きくしたり小さくしたりして,筆者の反応で

楽しむという感覚的な遊びがきっかけになって,

言葉遊びが始まった。

『動物に生まれるとしたら何がよかつたか』と

いうテーマで,筆者が くイルカ)と か 〈ゾウ〉

などと言つていると,Aは「めすライオン」か

「壁に当たって気絶して,最後には母さんにたた

かれて死ぬ蚊」になってみたいと言う。筆者は

タト泊時のエピソードを思い出しながらも,〈え~,

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悲しい一生だねえ。)と 受けた。すると,「蜂に

囲まれる実験してきて」と発展したので,(え~,

それは勇気がいるね~〉〈蜂つて,こ つちが脅か

さなければ刺さないんだよね〉などと躊躇して

いると,「絶対にやってきてよ |」 と繰り返す。

さらに,「木になって。本になってキツツキにつ

つかれる気持ち,わかつてみて 1」 と重ね,こ

れでもかこれでもかと,筆者に自分の状況を追

体験させようとするかのようであった。

この間に,主治医から,骨髄移植や退院の時

期の見込みを含めて,治療計画を説明してもら

ったところ,Aは保育士や教師とも関わるよ

うになり,治療に対しても協力的になった。

「先生は,12月 25日 にゴリラと結婚するのね。

アフリカから来たゴリラなんだけど,交通事故

に遭って死んでしまうの。先生は他のゴリラと

結婚するために,ア フリカヘ行くの」(死んで

しまうのは,悲 しいねえ。〉と受けている間,

Aは筆者の身体を触っていた。両親の離婚の

こと,白血病の子どもが亡くなってしまうTV番組を観て「私もこれでしよう ?」 と言つてい

たという母親からの幸隧告,そ してクリスマスは

Aの退院希望日だったことを考え合わせると,

どう受けるのが “正解"であったのか,わから

ないままである。経済的理由のため他院へ転院

し骨髄移植後,一旦は順調に経過し,病棟へも

適応するも,その後,他界した。

闘病中の子どもの中には,発症や再発,治療

や副作用に昔労する状況の中に身を置かざるを

得ない不条理に,怒 りの感情があるのだろう。

この母親のように,支援者が少なく生活に余裕

がなく傷つきやすくなっていると,闘病中の子

どもの感情を引き受けることができない。そん

なとき子どもは,検査やケアヘの抵抗という形

で,『家族システムだけではもう限界,ち よつ

と助けてちょうだい |』 という医療者への家族

看護のcueを 出していると言えるようだ。そ

してケア者が家族システムを開いて介入し,子どものな情を理解したり,家族の協力体制を再

構築したりできると,子 どもの抵抗感がすつと

引き,ケ アが先に進むようになる。

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