第 5 講 契約の有効性
大阪大学大学院国際公共政策研究科教 授
大久保 邦彦
法学部 1 年生配当科目 民法入門
1
【契約】⇒【債権・債務】
契 約債権債務
有効に成立した
2
契約のプロセス契約成立
契約終了
債務発生
債務履行
契約締結過程 契約履行過程
契約内容
問題
問題
問題
3
取消不可取消可
有 効無 効
成 立 不成立
契 約
確定的有効取消権消滅
取消し
内 容
4
無効原因虚偽表示
心裡留保(の例外の場合)
公序良俗違反
原始的不能
錯 誤 強行法規違反
意思無能力5
取消原因
詐 欺
制限行為能力
強 迫6
契約の有効要件意思表示に関する要件意思の不存在(意思の欠缺)瑕疵ある意思表示契約内容に関する要件内容の実現要件内容規制(公序良俗違反)
7
契約の拘束力の根拠私的自治の原則・自己決定原理・意思原
理自己責任の原則(契約信義・帰責原理)信頼原理・取引安全等価性原理基本的な人格的利益の保護自由原理経済的効率性
9
意思表示
意思表示とは、 一定の私法上の法律効果
を発生させるという意思を
表示する行為である。
出典: 山本敬三『民法講義Ⅰ〔初版〕』108 頁
10
意思表示の構造動機
効果意思
表示意識
表示行為
“ 鉛筆 12 ダースを 1 万円で買いたい”と思うこと
「鉛筆 1 グロスを 1 万円で買います」と言うこと
“ 「鉛筆 1 グロスを 1 万円で買います」と言おう“と思うこと
“ 鉛筆が切れてるので鉛筆を買おう”と思うこと
11
売買契約の成立
売主X
買主Y
「鉛筆 1 グロスを 1 万円で売ります。」
「鉛筆 1 グロスを 1 万円で買います。」
鉛筆を12ダース
買おう
鉛筆 を
12
ダ ー
ス売 ろ う
鉛筆 12 ダースの売買が成立する
意思 意思
12
意思の不存在 瑕疵ある意思表示
種類
心裡留保 詐 欺
虚偽表示 強 迫
表示錯誤 動機錯誤
意思無能力
効果 原則:無効取消権の発生
(動機錯誤は無効)
13
心裡留保(民 93 ) 意思表示は、表意者がその真意
ではないことを知ってしたときであっても、そのためにその効力を妨げられない。
ただし、相手方が表意者の真意を知り、又は知ることができたときは、その意思表示は、無効とする。
16
心裡留保心裡留保とは、 表意者が、表示行為に対応する
効果意思のないことを知りながら、
相手方にそれを告げずに行う 意思表示である。
17
心裡留保の具体例
上司の家に引越しの手伝いに行って、家を褒めたら、その上司が、「やあ、君がイギリスで買ってきた、あのゴルフ・クラブとだったら、交換してやってもいいけどねぇ~。」と言った。
出典: 道垣内弘人『ゼミナール民法入門〔第 3版〕』 75頁
18
意思表示の構造-心裡留保の場合-
動機
効果意思
表示意識
表示行為
“ ゴルフ・クラブと家を交換するつもりはない”
「ゴルフ・クラブと家を交換します」と言った。
それにも かかわらず
19
心裡留保の効力原則⇒有効(民 93 本)表意者は、真意とは異なるとは言え、
約束をしている(契約信義)。相手方は表示を信じるしかないため、
その信頼を保護する必要がある(信頼原理)。
例外⇒無効(民 93但)表意者の真意と異なる(意思原理)。相手方の信頼を保護する必要がない。 20
虚偽表示(民 94 )
①相手方と通じてした虚偽の意思表示は、無効とする。
②前項の規定による意思表示の無効は、善意の第三者に対抗することができない。 22
虚偽表示虚偽表示とは、 相手方と通じて行う真意でない
意思表示である。 表示に対応した意思がないこと
を表意者が知っている点で、心裡留保と共通するが、
そうした表示を相手方と通謀して行う点で、心裡留保と異なる。
23
虚偽表示の具体例
X Y所
登
A差押え
差押え を免れるために、
家を Y に売ったことにして、
登記も Y に移そう。X に登記がないと、 A は 差押え ができない
売買契約
24
意思表示の構造-虚偽表示の場合-
動機
効果意思
表示意識
表示行為
“Y に家を売るつもりはない”
「 Y に家を売ります」と言った。
それにも かかわらず
X は、
25
意思表示の構造-虚偽表示の場合-
動機
効果意思
表示意識
表示行為
“Xから家を買うつもりはない”
「家を買います」と言った。
それにも かかわらず
Y は、
26
意思の不存在(民101 )
動機
効果意思(内心の意思)
表示意識
表示行為(から推断される意思)
×27
虚偽表示の効力(民94 )
①相手方と通じてした虚偽の意思表示は、無効とする。
②前項の規定による意思表示の無効は、善意の第三者に対抗することができない。 28
虚偽表示の効力原則⇒当事者間では無効(民 94Ⅰ )双方の当事者とも、表示どおりの効果を 発生させる意思がない(意思原理) 。例外⇒善意の第三者には、
無効を対抗できない(民 94Ⅱ )。虚偽の外観を信じた第三者を 保護する必要がある(信頼原理)。表意者も、自ら虚偽表示を行い、 真実と異なる外観を作出した(帰責原
理)。29
善意の第三者の保護
X Y所
登
A差押え
差押え を免れるために、
家を Y に売ったことにして、
登記も Y に移そう。X に登記がないと、 A は 差押え ができない
売買契約
Z売
却
30
無権利の法理 何人も自己が有するよりも多くの権利を他人に移転することができない。
Nemo plus juris ad alium transf ere potest, quam ipse habet. 31
錯 誤(民 95 )
意思表示は、法律行為の要素に錯誤があったときは、無効とする。
ただし、表意者に重大な過失があったときは、表意者は、自らその無効を主張することができない。
33
【錯 誤】⇒【無 効】
錯 誤 無 効要素の錯誤重過失の不存在
表意者のみ主張可能
34
錯誤の諸類型1.表示錯誤=意思欠缺錯誤
a.表示上の錯誤b.表示内容の錯誤
2.動機錯誤a.狭義の動機錯誤b.性質錯誤
35
表示上の錯誤
丸
紅
顧
客
「パソコンを 19,800円で売ります。」「パソコンを 19,800円で買います。」
パ ソ コ ンを
198,000 円
で 売 ろ う
パ ソ コ ンを
19,800 円 で 買
お う
36
表示内容の錯誤
売主X
買主Y
「鉛筆 1 グロスを 1 万円で売ります。」
「鉛筆 1 グロスを 1 万円で買います。」
鉛筆を20
ダース買おう
鉛筆 を
12
ダ ー
ス売 ろ う
鉛筆 12 ダースの売買が成立する
錯誤意思
信頼
帰責性
37
意思の不存在(民101 )
動機
効果意思(内心の意思)
表示意識
表示行為(から推断される意思)
×38
狭義の動機錯誤
友人の結婚披露宴に招待された Aが、
結婚のプレゼントにするつもりでBデパートでワイングラスのセットを
買ったが、すでに友人の婚約は破棄されてい
た。
39
性質錯誤 Y は X画廊でゴッホの「ひまわり」を見つけ、
それを 20億円で購入した。 しかしその後、その「ひまわり」は 贋作であることが判明した。★特定物ドグマの採用が前提
www.korega-art.com/img/art/gogh/g01.jpg
40
瑕疵ある意思表示(民120Ⅱ )
動機
効果意思(内心の意思)
表示意識
表示行為(から推断される意思)
他人の違法行為・間違いが作用
41
動機表示構成 「動機錯誤は原則的に 顧慮 され
ないが、動機が表示されて意思表示の内容になった場合には、法律行為の要素となり、錯誤無効になる。」★「表示」は黙示的なものでもよ
い。
動機錯誤に関する判例
出典: 大判大正 3 ・ 12 ・ 15 、大判大正6 ・ 2 ・ 24
42
意思能力自分のしている行為の法的な意味を理解する能力意思無能力 無 効
条文はない 意思無能力者の側のみ無効を主張できる
44
取消原因
詐 欺
制限行為能力
強 迫46
詐欺・強迫(民 96Ⅰ )
詐欺又は強迫による意思表示は、取り消すことができる。
「脅迫」(刑 222 )ではない
48
【詐欺・強迫】⇒【取消権】
詐 欺----------------------------------
強 迫取消権
49
詐欺の具体例
X Y
詐欺
「甲を 2000 万で売れ」
「わかりました」取消権
50
意思表示の構造-詐欺の場合-
動機
効果意思
表示意識
表示行為
“ 甲を 2000 万円で売 却 する”つもりで、
「甲を 2000 万円で売 却 します」と言った。
Y の詐欺
=
51
瑕疵ある意思表示(民120Ⅱ )
動機
効果意思(内心の意思)
表示意識
表示行為(から推断される意思)
他人の違法行為・間違いが作用
52
強迫の具体例
X Y
強迫
「乙を 1000 万で売れ」
「わかりました」取消権
53
意思表示の構造-強迫の場合-
動機
効果意思
表示意識
表示行為
“ 乙を 1000 万円で売 却 する”つもりで、
「乙を 1000 万円で売 却 します」と言った。
Y の強迫
=
54
行為能力
1 人で確定的に有効な法律行為を行う能力
行為=法律行為制限行為能力 取消権
56
制限行為能力者の類型未成年者成年被後見人被保佐人(被補助人)
57
契約内容に関する要件
内容の実現要件内容の確定性内容の実現可能性
内容規制(公序良俗違反)内容の適法性内容の社会的妥当性
59
内容の確定性【内容の不確定】⇒【無 効】 or
【内容の不確定】⇒【不成立】 (条文はな
い) 契約の核心的部分が 確定できない場合には、 契約は無効ないし不成立となる。
62
内容の確定性
高校生 A が、 父 B に、 「大学に合格したら何かいいもの
をちょうだい」と頼んだところ、
B は「よっしゃ」と答えた。
63
内容の確定性〔解決〕• 内容(いいもの)が確定していなければ、
契約 を有効としても、その内容を実現しよう
がない。• したがって、「契約は無効とするしかな
い。」 と一般に言われる。• しかし、契約が成立した以上、それは一
定の 内容を伴ったものでなければならないか
ら、 契約は不成立と考えたほうがよい。
64
内容の実現可能性【内容の実現不可能】⇒【無
効】 【原 始 的 不 能】⇒【無
効】 (条文はな
い) 契約の成立時点ですでに、 契約の核心的部分が実現できな
い場合には、契約は無効となる。
66
内容の実現可能性
A が、 B に、「 1000 万円くれたら、タイムマシンで江戸時代に連れて
いってやるよ」と言ったところ、B が「本当 ? 行く行く」と答えた。
67
内容の実現可能性
〔解決〕 仮に契約を有効だとしても、
その内容を実現しようがない。
よって、契約は無効。68
内容の実現可能性 A が B との間で、 軽井沢にある A所有の別荘
を売り渡す契約を結んだが、
契約締結の前日に、その別
荘は全焼してしまっていた。
69
内容の実現可能性〔解決〕契約は原始的不能により無効。しかし、最近は、契約を有効とした上で、後発的不能の場合と同様に処理する考えも有力になってきた。
70
原始的不能後発的不能
契約成立
契約終了
債務発生
債務履行
契約締結過程 契約履行過程
後発的不能原始的不能危険負担
債務不履行契約締結上の過失責任 71
債務不履行のルール
② 損害賠償
債務不履行の事実
債務不履行の事実+
帰責事由
① 強制履行
③ 契約解除 72
危険負担(民 534Ⅰ )
売主A
買主B
所
占
金
引渡債務
所有権移転債務
代金支払債務?火事
73
不能の分類
原始的不能後発的不能 債務者に帰責事由あり 債務者に帰責事由なし
⇒ 契約は無効
⇒ 債務不履行⇒危険負担
74
債務者の帰責事由
原始的不能 後発的不能
有契約は無効
契約締結上の過失責任
債務不履行
無 契約は無効 危険負担
75
契約自由の原則 個人は、契約によって、自由に法律関係を形成できる、という原則締約の自由相手方選択の自由内容形成の自由方式の自由
77
契約の内容規制契約自由の原則によると、当事者が法律行為を行った場合は、原則として、その内容どおりの効力が認められる。しかし、例外的に、内容の不当性を理由として、効力が否定される場合もある。法令(強行法規)による内容規制公序良俗規範による内容規制
78
公序良俗違反(民90 )
公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする。
【公序良俗違反】⇒【無効】
公序良俗
79
「公序」と「良俗」の意味
民法起草者(富井政章)は、「公序」 = 国の行政警察の秩序「良俗」 =男女に関する社会の風俗
(性風俗) を意味する、と考えていた。
80
殺人契約〔ケース〕 A は、暴力団員 B に、 C の殺人を依頼し、その報酬として 1億円支払う契約をした。
〔解決〕 この契約は、公序良俗に違反するた
め、無効である。 81
愛人契約(援助交際)
〔ケース〕 女子高生 A は、中年サラリーマン B
との間で、月に 10 万円もらう代償として、デートや性交渉をする契約をした。
〔解決〕 この契約は、公序良俗に違反するた
め、無効である。82
契約の拘束力の根拠私的自治の原則・自己決定原理・意思原
理自己責任の原則(契約信義・帰責原理)信頼原理・取引安全等価性原理基本的な人格的利益の保護自由原理経済的効率性
83
最近の動向① 公序良俗違反として争われる行為 伝統的な道徳観念に関する行為 ⇒経済活動(取引関係・労働関係)に関す
る行為② 法令違反行為を民 90 違反と捉える傾向
③ 規制の根拠 社会的法益の保護(社会秩序・道徳の維持)
⇒個人的法益(個人の権利・自由)の保護
出典: 山本敬三『民法講義Ⅰ〔第 2 版〕』 241頁、佐久間毅『民法の基礎 1 総則〔第 2版〕』 193頁
84
動機の不法〔ケース〕 A は賭博で負けて生じた債務を弁済する
ため、その事情を明らかにして、Bから金銭の貸与を受けた。
〔判例の解決〕 動機が不法の場合、その動機が表示され
て法律行為の内容となったときは、その法律行為は無効となる。
出典: 我妻栄『新訂民法総則』 284-285頁、大判昭13 ・ 3 ・ 30
85
暴利行為★大審院昭和 9 年 5月 1日判
決〔ケース〕 Y の保険金債権を
X に対する債務の担保として質入する契約において、
「 丸 取り条項」が附されていた。
86
暴利行為★大審院昭和 9 年 5月 1日判決〔判旨〕① 相手方の窮迫・軽率・無経験に乗じて、② 過大の利益を獲得する行為は、③ 公序良俗に反する。④ したがって、「 丸 取り条項」は無効。★ ①は意思原理と帰責原理に、②は等価性原理に関わる。
主観的要件
客観 的要件 87
法律行為の目的が公序良俗違反とされるためには、
法律行為の内容等が客観 的に公序良俗に違反していることで足
り、当事者が公序良俗違反の認識を持っていることは、原則として必要ない。しかし、公序良俗違反の 1 要素として、当事者の主観的要素が考慮されることはあ
る .
公序良俗違反の主観的要件
出典: 森田修『新版注釈民法 (3) 』127頁
88
「合わせて一本」論古典的な私法は、 ①契約締結過程に関する瑕疵 という観点と、 ②契約締結の結果である 内容の不当性という観点とを、 峻別して取り扱う特色を持つ。
出典: 河上正二「契約の成否と同意の範囲についての序論的考察( 4 ・完)」 NBL472号41-42頁( 1991 )
89
契約の有効要件意思表示に関する要件意思の不存在(意思の欠缺)瑕疵ある意思表示契約内容に関する要件内容の実現要件内容規制(公序良俗違反)
90
契約のプロセス契約成立
契約終了
債務発生
債務履行
契約締結過程 契約履行過程
契約内容
問題
問題
問題
91
「合わせて一本」論 しかし、 2つの観点は単独では 契約の拘束力を否定できない
が、 両観点を合わせて拘束力を否定
す べきではないか ?
★公序良俗制度の存在意義★ 契約内容規制
合わせて一本
+ 契約締結過程規制出典: 河上正二「契約の成否と同意の範囲についての序論的考察( 4 ・完)」 NBL472号 41-42頁( 1991 )
92
民法 91条 法律行為の当事者が
法令中の公の秩序に関しない規定と異なる意思を表示したときは、その意思に従う。
この条文が直接定めているのは、 当事者の意思>任意規定 ⇒強行法規>当事者の意思 ?
任意規定
93
狭義の強行法規の例利息制限法 1条 金銭を目的とする消費貸借における利息の契約は、 その利息が次の各号に掲げる場合に応じ当該各号に 定める利率により計算した金額を超えるときは、 その超過部分について、無効とする。① 元本の額が 10 万円未満の場合 年 2割② 元本の額が 10 万円以上 100 万円未満の場合 年 1割 8分
③ 元本の額が 100 万円以上の場合 年 1割 5分
94
利息制限法の適用〔ケース〕 A は B に 1000 万円を、弁済期が 1 年後、年利 30% の約束で貸し与えた。
1 年後、 A は B に、 1300 万円の支払いを求めることができるか ?
〔解決〕 年 15% を超える利息の契約は無効なの
で、 A は B に、1150 万円の支払いしか請求できない。
95
取消しの遡及効(民 121 本)
契約成立
債務発生
有 効
取消し
無 効
遡及効
97
契約未履行⇒履行拒絶
X Y契約締結取消権
「取り消します」
98
契約既履行⇒給付利得
売主X
買主Y
所
占
登
金
給付利得返還請求権
給付利得返還請求権
給付利得返還請求権
所
取消し
99
不当利得の要件・効果
民法 703条 法律上の原因なく他人の財産又は労
務によって利益を受け、そのために他人に損失を及ぼした者(以下この章において「受益者」という。)は、
その利益の存する限度において、これを返還する義務を負う。
100
不当利得の要件・効果
要件
効果
法律上の原因なく(不当)
不当利得返還請求権
受益
損失
因果関係
関連性101
要件
法律上の原因なく(不当)
受益
損失
因果関係
関連性
債権がないのに
S の元にあるべき物がG のところにあることが、G の受益であり、S の損失である。
給付利得の要件
給付の実行
102
給付利得の機能誤って実行された給付の巻き戻し
債権者G
債務者S
給 付給付は
金銭の支払いに限られない
103