Post on 20-Feb-2021
目
はじめに
第一章
序曲
不眠の夜
不眠の夜
の意味
不眠の夜
の成立過程
第二章
コンブレー
の構成
シンメトリックな構成原理
しい夜
の匂いと音
街
の教会
第三章
スワン家のほう
と
ゲルマントのほう
ふたつの散歩道
xiii
スワンの肖像
ゲルマント公爵夫人の夢と現実
第四章
芸術への道
芸術家の人と作品
ヴァントゥイユ父娘
文学の受容から創造へ
第五章
比喩の魔力と根拠
サンザシの描写
壇のサンザシ
生け垣のサンザシ
あとがき
岩波人文書セレクションに寄せて
xiv
第一章
序曲
不眠の夜
1
不眠の夜
の意味
夢うつつの自我喪失状態
1
1
身体の
による
失われた時を求めて
全体の回想
1
191 岩波人文書セレクションに寄せて
岩波人文書セレクションに寄せて
二〇〇四年に「岩波セミナーブックス」の一冊として世に出た『プルーストの世界を読む』が十年
ぶりに再刊されることになった。長いあいだ品切れになっていた本が、こうして新たな読者に迎えら
れるのは、なによりも嬉しい。本書は、著者としていちばん愛着を覚える一冊だからである。
この本を出すまで、私はプルーストの専門研究者として、あまり一般読者の目にふれることのない
仕事ばかりしていた。二十代の終わりにソルボンヌに提出した博士論文「未発表草稿に基づく『囚わ
れの女』成立過程の研究」は、『失われた時を求めて』の新しい校訂版(新プレイヤッド版)の随所に引
用されるなど高い評価を受けはしたが、読者はほんの一握りの専門家だけであった。また、日本のプ
ルースト研究会のメンバー約四十人と協力して作成した『プルースト書簡集総合索引』(京都大学学術出
版会、一九九八)も、便利なものとはいえ、膨大なプルースト書簡の原典を調べるための道具にすぎな
い。もとより私は、こうしたフランス語の著作だけではなく、一般の読者にも近づきやすい『プルー
スト美術館』(筑摩書房、一九九八)という日本語の本も出してはいたが、これも『失われた時を求めて』
と絵画をめぐる専門的な調査研究の成果であった。
そのようなわけで『プルーストの世界を読む』は、私がはじめて書いた一般向けの『失われた時を
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求めて』への案内書である。もちろん「あとがき」でも断ったように、第一章「序曲「不眠の夜」」
は三十代に、第五章「比喩の魔力と根拠―
サンザシの描写」は四十代にそれぞれ書いた論文を収録
したもので、それ以前の仕事も含まれてはいる。しかしそれも合わせて本書は、『失われた時を求め
て』を私がどのように読んでいるかを小説の文言に即して端的に示そうとしたものである。本書で採
りあげられているのは、たしかに小説冒頭の「コンブレー」にすぎない。しかし『失われた時を求め
て』を手にした多くの読者が、どこに向かうのかも判然としない回想談に接して途方に暮れ、最初の
一巻で投げ出してしまうのも事実であろう。プルーストの小説は、ざっと表面をなぞるだけでは理解
できない。最初の巻だけでも熟読すれば、『失われた時を求めて』がいかに厳密な構成をとり、その
文言にいかに重層的な意味が込められているか、それが納得できるのではないか。そう考えて本書は、
「コンブレー」で挫折する多くのプルースト読者への手引きたらんとしたのである。
それが成功しているかどうかは著者の判断するところではないが、さいわい本書はおおむね好評を
得ることができた。プルースト研究者の斉木眞一氏からは「学術研究と個人的読解との長年にわたる
幸福な結合の成果」との評言をいただいた(「マルセル・プルースト年報」五四号、イリエ=コンブレー所在
「プルースト友の会」二〇〇五年一月発行)。プルーストの熱心な愛読者である工藤庸子氏は、「学識に裏打
ちされた研ぎ澄まされた感性だけが、こうした文章の薄い襞に分け入って、ことばのさざめきを聴き
とることができる」と書いてくださった(「UP」二〇〇四年九月号「プルーストに親しむ」)。それが本書で
実現できているか著者としては心許ないかぎりであるが、すくなくとも私が目指すべき目標を教えら
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れたようで、おふたりの評価には勇気づけられた。
もうひとつの愛着の要因は、この本の出版時に私の置かれていた状況にある。この本が出た二〇〇
四年二月、私は前年の秋から半年の予定でパリ第三大学に赴任し、客員教授としてプルーストに関す
る授業をしていた。私にとって本書には、校正や「あとがき」の執筆をしたパリの寓居の想い出がこ
もっている。ところが休職中の東京都立大学では、私の所属していた仏文をはじめ文学専攻をすべて
廃止するという東京都案が出てきた。専門家として失格の烙印を押される悲しい事態となり、私とし
てはパリでの授業とこの本の出版だけが心の支えだったのである。
さらにいえば本書は、これと相前後して出版された『プルースト「スワンの恋」を読む』(白水社、
二〇〇四)とともに、私にとっては現在刊行中の『失われた時を求めて』の拙訳(岩波文庫、全十四巻のう
ち既刊七巻)につながる最初の翻訳の試みであった。もちろん本書の引用は、「コンブレー」の数カ所
のさわりを訳しただけで、試訳とも言えぬ小手調べにすぎない。訳文も、その箇所を味読するための
実例の提示が目的であるから、全体の通読を前提とした翻訳とは異なる配慮で作成されている。それ
でも本書の随所には、その後の全訳にひき継がれる私なりの『失われた時を求めて』の読みかたが提
示されているように感じられる。たとえば、スワンの来訪を告げる呼び鈴の音の描写において、いか
に語順に認識の順序が反映されているかを指摘して、訳文でも原文の語順を反映するよう努めた箇所
などが、それにあたる。
岩波文庫で刊行中の『失われた時を求めて』の翻訳では、各巻末の「訳者あとがき」で、それぞれ
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の巻を私がどのように読んでいるか、なにを重要と考え、その箇所にどのような意義を見出している
かについて、そのあらましを記すよう努めている。この方法もまた、振り返ってみれば、本書によっ
て私のうちに確立したものに感じられる。もとより文庫の巻末では、本書で試みたような詳しい分析
をするだけのスペースがない。おまけに「コンブレー」を収録した文庫第一巻の「訳者あとがき」で
は、プルーストの小説にはじめて接する読者を念頭に『失われた時を求めて』のあらましや翻訳の方
針にかなりのページを割いたので、「コンブレー」自体について立ち入った考察をする紙数の余裕は
なかった。すでに本書で「コンブレー」を充分に分析したので、あえて本書の記述との重複を避けた
こともある。『失われた時を求めて』の冒頭「コンブレー」を読んでプルーストの世界に惹かれた読
者が、ひとりでも多く本書も手にとってくだされば、著者としてそれにまさる喜びはない。
なお、再刊にあたり一部の文言を修正したが、『失われた時を求めて』からの引用を岩波文庫の新
訳にとり替えることはしなかった。それぞれの箇所の分析の都合によって、その時点で選択された訳
文だからである。本書を読みながら新訳の該当箇所も参照くださる場合には、文庫巻末の「場面索
引」を参照してくだされば、たやすく該当箇所を探すことができる。
二〇一四年初秋
吉川一義
01.pxiii-xiv_プルーストp001-010_プルーストp191_194 プルーストの世界を読む 人文書セレクション_01