Post on 23-Jan-2021
2ar大な思想家や学者が出れば、ぞれが刺激となり
zも捜範となって多くのひとびとが却の営みをはと
める。
x・マルクス、
E-デユルケム、
Gaジンメル、
M-ウぶ;パ i、いずれもそうだ。社会学の鐙史を諮
るときに欠くことのできない彼らの問時代入、また彼
らの影響下で社会学や社会期総想を麗関した人々を、こ
こでいくらか紹介しておこう。
デユルケムらとほぼ問時代、イタリアでは V・パレ
ートが近代経済学の基礎となる業績を残すとともに、
人間の非合理性を強関する社会学を農閉したα
おなじ
くイタリアでは G-モスカがエリ iト理論を機較にし
て政治社会学を創始した。問時期、ドイツでは vr-テ
ンニ
iスが酪期的な集団緯を構築してウェ iパ!に大
きな影響をあたえた。また、フランスではル
aポンが
始者となった A-ウヱ iパ i、ハンガリ iの出身で、
ウェ
lパ!とジンメルに強い影響を受けつつも共産主
義者へと転身し、ヨーロッパ・マルクス主義の理論的
支柱として活寵した G-ルカ iチ、彼の後輩で A-ウ
ェiパlに翻事し、知識社会学を確立した K・マンハ
イムといった面々である。
よく知られたマルクス、主義者としては、ルカ iチの
ほかにイタリアのA・グラムシがいる。被はファシス
トたちに捕らえられ獄死したが、文化の階級闘争を重
視する独自の戦略論を獄中で書いた。とはいえ、マル
クス主義の系統に属すものとして後世最も大きな影響
をあたえたのは、ドイツのフランクフルト学滋とよば
れるグループであろう。メンバーの多くはユダヤ人で、
ブランクフルト大学杜会研究所を拠点にして、マルク
ス主義の思想にウぷ 1パ!の社合学や S-フ口イトの
精神分析を組み入れることによって、多彩な理議活動
を展開した。托表的なメンバーをあげておこう。まず
は、ルカ iチの問題関心を継承して批判理論を提起し
た学旅の指導者 M-ホルクハイマ 10援とともに円…啓
群集心理学をとなえ、
G-タルドが大衆心理を研究し
て社会心理学の恭織をきずいたが、彼らはデユルケム
のライバルマあった。
フランスにおけるデユルケムの影響力は一法倒的であ
った。彼を蹄とあおぐ研究者たちの集開をデユルケム
学鴻というが、第一一次世界大戦までフランスの社会学
や入額学の研究者は、たいていこの学誠に寓していた。
交換理論の発展に大きな震献をなした M-モ iス、措
級論や集団記摺識の Meアルヴァックス、未開人の意
織を研究したレヴィ HHブリュ iル、社会主義摂究の
c-ブ iグレらがその代表である。
ドイツでは、
L-ヴィ iゼがジンメルの形式社会学
を関係学へと発展させ、
A-フィ!アカントが哲学的
現象学と交差させることによって形式社会学に新局逝
を切り開いた。ウぷ}パ!のもとには読を慕ってヨー
ロッパ各地から多数の秀才がおし寄せ、ウェ zi
パ1・
クライスとよばれるグル iプを形成した。そこからは
多方一留にわたって才能が輩出したが、社会学にとって
とくに震要なのは、ウェ iパ iの弟で文化社会学の劉
蒙の弁証法?を誉いて調洋近代文拐に根糠的な批判を
くわえた T・アドルノ。資本主義社会における入院諜
外を告発しつづけ、のちに六十年代の学生反乱のさい
にはその「教祖」と目された Hn・マルク Iゼ。ナチズ
ムの深層心聴を分析、ヒューマニズムあふれる著書で
多くの読者を魅了し、エコロジー還動の思想的支柱と
もなった
ε・フロム。芸術社会学や歴史社会学でめざ
ましい著作を残しながらも、ナチスに遣われて自窓口し
なければならなかった
w-ベンヤミン。ナチズムの嵐
と闘いながら賞かれたこの輝かしい思想運動は、彼ら
の弟子たちによってその精神が現在に脈々と受け継が
れている。
最後にもうひとり、スペインからは J-オルテガが
出て、大衆の存在に着目して独創的な現代社会論を展
開したことも、つけ加えておかなければなるまい。
272|社会学のあゆみ273
L- F
-i
ニ岬ンテスやューから
J-オルテガまで、これまで
よ取り上げてきた社会学者や患想家はすべてヨ
J
ロッパ人であった。ところが現在、社会学の研究や教
i
育がいちばん盛んなのは群を抜いてアメリカである。
Ri
どうしてそうなったのか、その事情を少しさぐってみ
ることにしよう。
w-
アメリカの杜会学は十九栓紀の後半、日・スベンサ
A-
G-U7
E-
!の社会進化論の影響を強く受けた
サムナーらに
i
よって創始されたが、ヨ
ロッパより憩趨に発展して
i w- i
ゆく条件がいくつもそろっていた。ひとつは、ヨーロ
ッパの大学は古い歴史的~伝統をもち、新しい学問の受 i
容に梧当な手間を要したのに対し、アメリカの大学は
さほどの伝統もないことから、社会学という新しい学
需を受容するのにほとんど抵誌がなかったこと。一一つ
カゴ大学からまったく新しいタイプの社会学が発信さ
れ、社会学の面白を一新させた。これをシカゴ学満と
よぶ。シカゴ学派の範囲については護々の見解がある
が、ここではごく広くとらえておこう。シカゴ学派の
形成には橋熱的要悶と必跡的的耐訳出掛が考えられる。前者
はたまたま粧紀紙換期のシカゴ大学に、プラグマテイ
ズムの代表的思想家
・デュ
イ、やはりプラグマテ
イストで藷我の社会的住成をとなえた
ミ ド、
有隅例措騒の行動を批判的に分析した
τ・ヴヱブレンと
いったそうそうたるメンバーがいたことである。そし
て必然…釣要因とは、シカゴが急濯な膨張をつづけるア
メリカ龍一の工業都市であり、「社会的実験窓口そのも
のだったことである。その結果、
スモ
ル会中心
にしてシカゴ大学に社合学科が設立されると、
ト
マスと
ズナニヱッキのポーランド系議畏の譲査研
党を皮切りに、地の利を生かして、観察と調査にもと
づく実証許認明究が続々と生み出されることになった。
そのうち最も有名なのは、
・パーク、
パ
ジヱ
ス、
ワ
スらの都市に関する生態学的研究である
めは、キリスト教精神と家の犠民主主義にもとづ
会改藤滋動が資本主畿の発議による貧富の盤の拡大と
ともにたいへん盛んになり、運動のプログラムを組み
立てるための知恵が社会学にもとめられたこと。一一一つ
めは、プラグマテイズムに代表されるアメリカの実用
主義的精神。プラグマテイズムはアメリカ産の哲学で、
哲学の仕事は永遠不動の真理を発見することではなく、
富分たちにとって何が隣離なのかをその場その場明、発
見し、みずから試行錯誤しながらその解決法を考えて
ゆくことだとする思鵡である。哲学者のみならず、ア
メリカ人全体に見られるこうしたフットワーク重視の
チャレンジ精神が社会学に新震を吹きこんだ。そして
呂つめは、アメリカでは産業資本主義が猛烈なスピー
ドで発麗し、同時に世界各地から大 一患の移畏が流入し
たから、多数の社会問題がむきだしのかたちで存慌す
るダイナミックな牡会が形成され、あたかも英社会そ
l のものが社会学の問題集の様相を議していたことであ
る。
iこうした状、慌を背畿にして、第一次世界大戦後、シ
が、そのほか犯罪組織、少年非行、・自殺、スラム、ゲ
ット
、人議問題、ホームレス、挙揺労鰭者など、お
もに社会調竣学的な現象に関する研究が紬精力的におこ
なわれ、社会学の諸分野をになう多数の人材を輩出し
E
た。シカゴの特搬は、具体的な社会跨題に対する生
き生きと期間心とフットワークのよさにあり、鍍ら
はみずから現地におもむいて当事者たちにインタどユ
し、被らとともに生活しながら観察し、試日行錯誤を
?っじて関査や親許の手法を開発する之とで、ぞれま
で統計資料の分析の域を出なかった「実証科学」を、
親しみゃすく按震の蕗いものに変えていったのである。
彼らの問題関心や手法はその後アメリカ社会学の主流
となり、さらには量界中に波及して現在にったわって
いる。頭であれこれ考えるより、まずは経験と謂査と
いうのが彼らの方法議と言えようか。
275 役会学(J)あゆみ� 第� 111怒 274
窃社会有機体説とシステム輪。
|杜舗榔読の戦方 i/カゴ学派の驚場以来、アメリカ社会学は相続察と
、、ザ関疫に基礎をおく実証的措究を中心にして展開
していったが、第二次俊界大戦後ひとりの大理論家が
出て、世界の投合学を結二十年務リードした。タルコ
ッ卜・パ iソンズ(一九 O二1一九七八〉である。彼
はその長い学間約金、銀のなかで少しずつ考え方を変え
ながら、多方簡にわたる業績を残した。ここでは、中
嬬以降キ i-コンセプトとなった「構造i機能」と
〔社会システム論いの考え方を簡単に説明しておさえ
パiソンズは話・ウェ!パ lの行為の概念を継承し
て、社会を行為のシステムととらえた。行為システム
は…行動有機体システム、パ iソナリティ・システム、
社会システム、文化システムという、他に溜一冗するこ
とのできない居つのシステムからなる。つまり、身体、
医記
密入、社会、文化は、ど・れも報互に深い関係にあるが、
基本的にはそれぞれ鵠有のシステムを影戒していると
いうことだ。たとえば、社会は倒人に還元できないと
したデユルケムの説は、館入と社会を異なったシステ
ムと見るところに生かされ、身体、繍入、社会、文化
をいずれもシステムと見るところに社会有機体説の飛
建的な発展がある。システムは他のシステムや島熱界
を環境としながら、自弓を存続・発牒させるために内
部のしくみを築き、つくり変えてゆく。パ!ソンズは、
システムがみずからを存続・発展させてゆくのに必要
なことがらを機能要件とよび、ぞれを遂行するための
しくみ、あるいはシステム婆紫の配置状態令構造とよ
ぶ。だとすれば、行為システム全体、また各システム
内部の構造と機能を明らかにすることが社会学の仕事
ということになろう。そこで被の理論は、社会システ
ム輸とか構造|機雛説義とよばれるわけである。
かくしてパ lソンズは、社会システム輸の精農を高
め、その有効性を可能なかぎり広げることに、
そそいだの?あった。
全知忠ろいきF雪分が慨に根互依存するととによって、ひとつのん成立つ
描 靴+…枇
恒ネずム鵠@考え方 l
区到
276第川部
なもス
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社会学のあゆみ277
J
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C-H-
G-H'
S-
V
p-
i iH
ヵゴ学派とパ iソンズの存在は一向大戦後におけ
io
、、』
るアメリカ社会学の世界制覇を考えるうえで決
Re
定的に重要である。だがそのほかにも、
重要な社事を
おこなったアメリカの社会学者は書ききれないほどい
l
る。ここはスペースの許すかぎり、
i 独献と偏見で取捨
選択し、
その名を剖列挙しておくことにしよう。
i
ミ
ドとおなじく昌我の社合的生成を論じ
p-
た
ク
リ
社会的交換論を確立した
マンズと
ブラウ。集合行動議および象徴的棺互作
w-E-
G-ホ
用論を確立した
・ブルーマ
。おなじく集ム間行動議
の
スメルサ10職業社会学を確立した
メイヨ
10調査技法の糟密化に大きく貢献した
ラザ!ス
フェルト。民主主義的な立場から政治社会学を襲開し
た
リプセット、
ベンディックス、
コ!ン
。‘、ラダイムという一言葉をご事じだろうか?
もの
の考え方のいちばんベーシックな部分とでも言
えばよかろうか。さきに見たように、第ニ次大戦後、
社会学の理論分野ではずっと構議
機能主義の独占的
な支配がつづいていたが、六0年代の後半あたりから
その状況がくずれ、ぞれまでマイナ
と見られていた
流説、また新しい流諌が続々と名乗りを上げて、みず
からのま弱性を、主張するようになった。その結来、社
会学はいわば一元的なパラダイムから多元的なパラダ
イムの時代へと移行したわけだが、じつはこの状況、
現在もつづいている。これは考えてみると寄妙なこと
で、犠端に一一言一えば、ある流犠で正しいとされることが
べっの流儀では間違っているとされる。数学や物理学
ではけっしておこりえないそんな事態が、社会学では
ハウザ
、
‘セルズニック。宗教社会学を発畏させ
た
・ベラ 10現象学的社合学を確立した
シユツ
ッ。そして、パーソンズとおなじく帯翠1機能主義の
立場に立ちながらも、その壮大な理論体系とは対昭一的
に、社会学は経験的調査と税論抽出枠組とを媒介する州市
範鴎の理識をめざすべき、だととなえ、多数の様域で
「っかえる概念」を残した
マ1トン α
彼らはやや専門家向きの研究者たちであるが、その
ほかにジャーナリズムの世界でも大きな成功をおさめ
た社会学者がいる。アメリカ社会、またアメリカ社会
学そのものをラディカルに批科して左派的な読者の共
感を集めた
ミルズ。吋議独な群集匂で大衆社会
をクリアに分析することで一躍名声を簿し、卓越した
文明批評家と目されるようになった
り
スマン。
左右のイデオロギ
対立の終鷲や脱工業社会の弼来を、
時代に先駆けて予見した 0・ベル。後らの饗作が多く
の読者の心をつかむことによって、現代社会の見取り
阿部をえがき、未来の社会の構隠をしめす役舗を、社会
Rnn
学は期待されるようになってきたといえる。
I
H-
C-w-
P
ii
R-
生じてしまうのだ。これを闘ったことと見るひともい
るが、見ようによっては、いろんな見方があるほうが
豊かで楽しいということにもなろう。あまたあるそん
p-
な流犠流派のなかから、代表的なものを詔介して、本
書のしめくくりとすることにしよう。
Aai i
社会学はおお、ざっぱにミク口社会学とマク口社会学
のごつにわけることができる。組問単に言えば、前者は
A
人間の日常的な招草作用に重点をおいて社会を分析し、
釜告は天下問家を論じる。これに応じて、ミクロ社会
学を得意にする流謙とマクロ社会学を得意にする涜派
がある。前者のほうからはじめよう。ウェ
パ!のと
ころで見たように、人間の行為や栢立作用は意味をベ
ースにして間決闘するから、彼らは「毅味学諜」と総称
されることもある。百・ブルーマ!の流れをくむ象徴
的棺瓦作用識はその代表格で、集団論の発農に貢献し
た
・タ
iUH
ナ
、医療社会学の確立に賞献した
・ス
トラウス、社会的コミュニケーションを演麟モデルで
分析した
・ダンカン、社会矯理学でラベリング理論
を提唱した
ベッヵーらがいる。彼らはみなアメリ
279 i 第i附|278 同学のあゆみ
カの社会学者であるが、おなじくアメリカの
が
E フィンケルは、ひと、びとが日常生識のなかで無意識の
A-l
o
うちにおこなっているふるまいややりとりを超ミクロ
に分析するヱスノメソドロジ
を創始し、現在ぞれは
l E-
差別加をは乙め議々の社会問題に応期されている。また
i
アメリカの
ゴッフマンは、時常生活の秩序がいか
T-i
VA A
-
にして成り立っているかを、多数の特奥な概念をもち
いてあ、ぎやかに描き、ミクロ社会学を大きく前進させ
i
た。
シユツツにはとまる現象学的社会学も意味学
派の有力な一員であるが、アメリカの p-パ!ガーは
その手法を応出府して、資本主義論や近代化論などのマ
i
M-
R-
クロな領域でも多くの業績を残し、保守、玉畿の論客と
しても活醸した。
ii
i H-
こうしてみると、ミクロ社会学ではアメリカが在倒
p- i
的に傑勢であるが、マクロ社会学ではヨ
ロッパも魚i l
けていない。たとえば、ドイツには
ダ
レンドル
フが出です・パ
ソンズの社会学を批判し、階毅融争
を議視するコンフリクト理議をとなえた。おなじくド
イツでは、
υ・ベックが環壊と人聞社会の欝係をト
54し脅しみしていたわけではないが、現代社会学
尊重吾の議盤要人物たちをここで紹介し、本勢のほん
との最後にしたい。言葉づかいがむずかしいが、何も
心記することはない。彼らの著作は、社会学者でさえ
理解するのが容易でない難物ぽかりだからである。
まずはイギリスの
ギデンズ。現代マクロ社会学
の代表的論客で、
・マルクス、
ウェ
パ
、
・デユルケム、
パ
ソンズの業績を批判的に統
合し、「パワ
」と「講造化」をキ;・コンセプトに包
括的な一般理論を欝襲した。つぎはフランスの
ブ
ルデュ
マルクス主義の影響が強く、「ハピトゥス」
や「文化資本」をキ
・コンセプトにして、階級の再
生産過穫を文化操式の再生産過稚と結びつけ、土台と
上部構造の相互関保を解明しようとしている。そして
タルにとらえようとするリスク現識を講築している。
またフランスでは、
トゥレ
ヌが早くから脱葱業
化に着目し、環境灘動やフ子孔ニズム漣動などの「新
しい社会謹動」論を展開した。フランスではマルクス
主義の影響も強く、し・アルチユセ
ルはマルクスの
著作の再解釈にもとづく新しい社会理論を構築した。
一方アメリカでも、
ルドナーがマルクス主義
の影響下に批判的役会学の旗手として登場、社合学そ
のものを批判的研究の対象とする自己表犠の栓会学、
また税産業北に対{めする新しい階級論をとなえた。そ
して、おなじくアメリカの
ウォ
ラ
ステインは、
近代の堂界はグロ
パル化などにはるかに先立って、
当初から資本主義を核とするひとつのシステムであり、
それは中核・半辺境・辺境の三つの部分からなるとす
る、超マクロで歴史的な誌がりをもった世界システム
論を展開している。
J-
N-i
i ij
MVIP
A-グ
A-
i i-
i
ドイツの
ル
マン。業績はまことに多方部におよ
ぶが、その中心は社会システム輸の革新にある。現象
io
i
学的視点を取りこむことによって意味学派の環論と社
会システム議を接合させ、さらにはオ ii
iトポイエ
シ
i
i
スという概念をもちいて「自己組織性」という新しい
観点を社会システム識に導入した。
i
最後にきわめつけの
をふたり。ひとりはドイ
ツの
ハ パ
マス。現代のフランクブルト学派を
代表する論客で、やはり膨大な著作を残したが、中心
は「近代は米完のプロジェクト」という文明論的展望
で、それを実現するために、コミュニケ
シ浅ン的合
理性という新しい合職牲の成立根拠を探究した。最後
はフランスの哲学者
・フ
コ
彼は人聞の知性を
考古学的に読み解く手法を開発し、それをもちいて病
気、狂気、性的タブ!、懲罰などをめぐる{一一自説会分析、
その背設にある権力の作用をあ、はき出してみせた。
かくして現代の社会学では、パワーあふれる群雄が
割拠し、活発に論戦を関わせながら、よりよき人類社
会のために貢献しようとしているのである。
281 社会学のあゆみ 280i