「イスラーム法と社会」...98 監査役 No.617 2013.9.25 イスラームの栞...

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監査役 No.617 2013.9.2598

イスラームの栞

1.民衆蜂起とイスラーム法(シャリーア)チュニジア、エジプト、リビアの北アフリ

カの3国で成功した民衆蜂起による民主化から2年が過ぎるが、期待された政治の民主化も、若者たちが待ち望む経済改革も雇用の安定も、ほとんど実現されていない。チュニジアやエジプトでは、言論の自由を得たことに勢いをつけて、イスラーム過激派の台頭が脅威となっている。民主化を旗印に、この際とばかりに急激な宗教回帰政策が実施されはじめたエジプトでは、今年7月3日に軍のクーデターによってムスリム同胞団を中心とする政府が排除され、イスラーム色の強い新憲法が停止されるという事態が発生している。日本から見れば、独裁政権崩壊後、近代的

な民主主義に向かうと見えた社会が、いきなりイスラーム回帰現象を起こしたことは、理解しにくいかもしれない。しかし、イスラームを国教とする国・地域では、元来、人びとはイスラーム法(宗教法)の戒律に従って暮らしている。新しい国造りの基盤として、イスラームの戒律に従うことを表明するのは、不思議なことではない。今回のエジプトのクーデターにおいても、ムスリム同胞団を追い出した軍も国民も、イスラーム法を否定することは、ありえない。ただ、その運用方針や適応の度合いが問題となるだけである。

2.イスラーム法(シャリーア)とは何かイスラーム法シャリーアは、クルアーン、

スンナ(預言者ムハンマドの生前の言行録ハディースから得られる知識)、イジュマー(信

徒の見解の一致、現実には法学者の見解の一致)、キヤース(法学者による類推)の四点を法源として制定される厳格な道徳規範である。神が決めた「神の法」であり、その原理は改変することは不可能である。しかし、成文法ではなく、法学者が原理に則って個々の事例を判定する不文法である。シャリーアは宗教儀礼のみならず、日常生

活、社会生活、経済活動、政治や国際関係にいたるまで、人間活動の全般に深く関わる戒律である。政教一致的な社会が理想とされるために、近代的な市民法を敷いている国・地域でも社会的日常的にはシャリーアが大きな力をもっている。特に結婚、離婚、子弟の養育、遺産相続などの家族法の分野では、ほとんどすべてのイスラーム教徒が、シャリーアに従っている。日本人ムスリムも、結婚する際には、婚姻届のほかに、シャリーアに則った婚姻契約書(キターブ)に署名して、公的にも宗教的にも、晴れて夫婦となることができる。シャリーアは、9世紀の中頃までに成立

した四法学派(ハナフィー派、マーリク派、シャーフィイー派、ハンバル派)の学説を固定して遵守する体制を、現在まで採っている。しかし、不文法であるため、実際には個々の法学者(ウラマー)の判断によって運用されるので、時代や地域に即した柔軟な対応が見られる。前回にも述べたことであるが、面白い点

は、信者はどの法学派の見解であっても、それに従うことができることである。言い換え

「イスラーム法と社会」東京国際大学特命教授 国際交流研究所長/筑波大学名誉教授 塩尻 和子(しおじり かずこ)

連載 第2回

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ると、自分に最も好都合な判断を下す法学派や法学者の判断に従うことができる。法学者は、聖職者ではなく、法学者となる資格にも、一定の基準はない。前近代では、裁判官・判事などのように公職に就くものも少数ながらあったが、多くのウラマーは別に生業をもち、モスクなどで、無償で法律相談に乗っていた。

3.要求されるイスラーム法の知識食物のタブーとして一般に知られているも

のとしては、規定に則って屠殺処理されていない食肉、アルコール類や豚肉および豚由来の食品摂取の禁止があげられる。近年、大きな問題となっている「利子なし

銀行」もシャリーアの判断による。「利子なし銀行」はイスラーム金融の特異なシステムとして取り上げられることが多いが、イスラーム法の判断がさまざまであるように、その実施には多くの形態がある。本来は、禁じられる「利子」とは「高利貸の暴利」を指しており、普通預金の利子などを対象とするものではない。しかし近年、湾岸諸国などでシャ

リーアの厳格な適用が唱えられるようになり、「利子なし銀行」が注目されるようになった。「利子なし」とはいえ、現実には、何らかの投資や運用の形式を採用しており、預金者に利益を配当したり、逆に預金が目減りしたりもするが、信者には神の法に忠実に従っているという安心感があり、投資の失敗が大きな問題にはならないようである。イスラームの法判断は伝統に非常に忠実で

厳格であるという一つの側面と、それと同時に時代や社会の要求に合わせて柔軟に対応していくことができるという二つの側面をもっている。この二つの側面が相克を繰り返しながらも、社会の中で柔軟に運用されてきた。最近、日本の各地でシャリーアに則った食

品(ハラール食品)の開発が行われており、国内に住むイスラーム教徒の食卓に届けるだけでなく、日本産のおいしい米や牛肉などを湾岸諸国へ輸出する試みに関心が集まるようになってきた。イスラーム教徒を対象とする商売や貿易を円滑に進展させるには、シャリーアの知識と理解が必要となる。

エジプトの家庭料理。正面にある緑色のスープは日本でも買えるようになったモロヘイヤのスープ。スープの上はロースト・チキン、ナスのグラタン、牛肉のトマト煮、サラダなど。左側は白いご飯。(日本とよく似た米を使う。)

ご馳走してくれたエジプトの友人、私の左側の二人は旧友夫妻。右側は旧友の友人夫妻。かなり裕福な家庭で、広いフラット(マンション)に住んでいる。

写真はいずれも2012年12月、エジプト、カイロで撮影