かね なが 古麓城 · 古麓城の 説明板あり トンネルの上 眺めがよい...

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八代神社妙見宮

案内板

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看板あり

球磨川河川敷緑地

麦島東公園

←八代中心部

●浜勝

●八代市松中信彦スポーツミュージアム❼八代よかとこ物産館

カフェおーるはーと❻

大銀杏●●

種田山頭火句碑

●うちだ屋

八代市立病院

●延命地蔵堂

●宮地手すき和紙工房

盛高鍛冶刃物●

武蔵塚●

●子安観音

宗覚寺

●御小袖塚

●砥崎の河原

●砥石観音堂

●変電所

親水広場ホタルの里公園

妙見中宮跡

p妙見上宮跡

九州自動車道

八代IC

南九州西回り自動車道

SL人吉号

相良時代の城下町

名和時代の 城下町

●嶽の観音

飯盛城跡

新城跡

↓至人吉

↓至坂本・人吉←至日奈久

←至水俣

至人吉↓

至熊本→至熊本

遙拝神社肥薩お

れんじ鉄道

永御蔵御門●

古麓稲荷神社 鞍掛大明神

桜馬場

JR肥薩線

JR鹿児島本線

鰾神社

●奥の院

●相良義陽墓

懐良親王御墓E相良天神

● 宮崎八郎戦没碑(司馬遼太郎筆)

水無川親水公園萩原天満宮

日本製紙 八代工場●

新八代駅

九州新幹線

国道3号線

御霊神社

上片古墳群

鬼の岩屋古墳

霊符神社

階下釈迦堂●

西宮町交差点↓

新萩原橋

ミック❷小松●

彦一本舗❹

より藤❶

●がめさん公園

田代福進堂❸❺丸久食堂

JR八代駅  肥薩おれんじ鉄道八代駅

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多くの寺社が建ち並び門前町として栄えた

1 八代神社(妙見宮)

2 悟真寺と懐良親王御墓

3 春光寺

4 古麓城跡

八代の新名所妙見祭の壁画!

ガメにのった仏様がある

古麓城の説明板あり

トンネルの上眺めがよい

妙見祭のガメなど展示

やつしろ全国花火競技大会花火打上場所

西南戦争 激戦地

この辺りから古麓城の全容が見える

妙見祭の舞台となる(11月23日)

大正11年(1922)球磨川橋梁

名和氏の守護神

肥薩線ゼロ起点

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私、ルイス・フロイスデース。秀吉サマニ会イニ八代ニキマシタ。ウツクシイ川!ウツクシイ自然! コンナニウツクシイトコロ、  見タコトアリマセーン

八代は歴史の

  宝庫ですね!

初代「八代城」

古麓城~ふるふもとじょう~  1334~1588

秀吉が訪れた古麓城は南北朝時代から戦国時代にかけて名和氏・相良氏が築城・整備した山城の総称。その周辺には、妙見宮など数多くの社寺が建ち並び、政治、経済の中心として栄え、能や連歌などの文化も盛んでした。

795年妙見上宮、1160年中宮、1185年下宮が創建されたと伝えられる古社。古麓城がつくられる前からあり、周辺は門前町として栄えていました。妙見神は海を渡ってきたと伝えられ、名和氏・相良氏とも海外貿易に熱心でした。秀吉の八代滞在時には、妙見宮を保護するための「禁制」が出されたといいます。麦島へ城が移り、一時衰退しましたが、松江城築城後、加藤正方が社殿再建、細川三斎が神輿を寄進して祭礼を復興するなど手厚く崇敬されました。境内には八代城下の町人たちが寄進した石塔などが今も残っています。現在の社殿は江戸時代中期の建築で、豪華な装飾が見どころ。妙見神を守る玄武(カメとヘビ)の彫り物を探してみてはいかがですか。妙見祭に奉納される獅子や亀蛇(ガメ)などのミニ展示場もあります。

八代神社(妙見宮) みょう けん ぐう

代々の八代城主があつくうやまった

懐良親王は、後醍醐天皇の皇子で、南北朝時代、九州の南朝勢力のリーダー(征西将軍)として各地を転戦。古麓に最初に城を築いた名和氏は後醍醐天皇の家臣で、八代に南朝関係の史跡が多いのはそのため。明治時代、松江城跡地に建てられた八代宮は懐良親王をまつっています。悟真寺は懐良親王の菩提寺で、カッパ伝説もある古刹。秀吉は、ここで高田みかんを食べ、たいそうご機嫌だったとか!!山門からの眺めに、この地を美しいと言ったフロイスの言葉が思い起こされます。

悟真寺と懐良親王御墓

ご しん じ

かね よし しん のう おん はか

かね なが

秀吉が高田みかんを食べた場所?

名和氏時代の飯盛城、相良氏時代の新城など、山の地形を利用して築かれた複数の城郭からなります。海から入ってきたフロイスにも立派な城に見えたことでしょう。春光寺裏手の駐車場に、各城の位置や現存する堀切跡などを記した説明板があるので、要チェック。まず、古麓稲荷神社へ上り、その奥の遊歩道へ進むのがベター。丸山城跡、新城跡に通じています。攻めにくく造られた山城だけに険しいところも。山登りにふさわしい装備と心がまえで登りましょう。駐車場から新城跡まで往復2時間ほど。

古麓城跡

山城・古麓城を体感する

京都にある臨済宗南禅寺の末寺で、八代城主松井家の菩提寺。寺名は松井家初代康之の法名「春光院」にちなみ、はじめ木付(杵築)にあった寺が、小倉、熊本を経て、延宝5年(1677)、この地に移りました。本堂の背後に、松井家歴代夫妻の墓が整然と並ぶ廟所があります。春光寺が置かれる以前から、古麓城の中心的な施設があった場所と考えられ、秀吉がフロイスに面会したのはこの辺りと考えられています。フロイスの記録によれば、秀吉は宣教師たちに金の茶道具で茶をふるまったそう。

春光寺 しゅん こう じ

秀吉が金の茶道具を自慢?

国指定重要無形民俗文化財「八代妙見祭の神幸行事」(11月22日お下り・23日お上り)。獅子舞、笠鉾、亀蛇、飾馬などの多彩な出し物が列をなす都市祭礼。八代神社(妙見宮)周辺が見物客であふれ、賑わいます。

八代妙見祭の神幸行事

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Yatsush iro Cast le Story Yatsush iro Cast le Story

秀吉目線で八代の景色を眺め

てみよう。

八代ICから車で4分

八代神社から車で2分

八代神社から車で3分八代神社から車で3分(春光寺駐車場まで)

佐々 介三郎(1640~1698)

さ っ さ すけ さぶ ろう

水戸黄門でおなじみ「助さん」のモデルとなった人物。水戸光圀の命令で各地の史料採訪の旅に出た介三郎は、貞享2年(1685)に懐良親王ゆかりの悟真寺や日奈久温泉を訪れています。

ルイス・フロイス (1532~1597)ポルトガル出身のキリスト教宣教師。永禄6年(1563)に来日し、信長や秀吉とつながりをもった。天正15年(1587)、秀吉を訪問するために八代に滞在し、八代の豊かさや自然の美しさを絶賛する文章を『日本史』に記しました。

旅のPoint !

八代を訪れた有名人